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2006-04-27

松永英明さんへインタビュー」について 「松永英明さんへインタビュー」についてを含むブックマーク

松永英明さんへインタビュー ?: Grip Blog <Archives>

松永さんへのジャーナリスト志望の泉さん、フリージャーナリストの佐々木俊尚さん、元記者のR30さんによるインタビュー記事。五回分。

何かあるみたいな予告はあったんだけどこういう形だったのは結構意外。俺はてっきりkanos・・・ゴホッゴホッと勝手に予測してたんだけどともかく興味深く読んだ。んでこれはこれで面白かったんだけど個人的にはやっぱりあのcatfrogさんとかtomozo3さんの企画してたオフ会が実現しなかったのはすごく残念だったなーと思った。なんというかあっちには決まりきった形式がないというかホントにやってみなければどうなるか分からないというちょっとワクワクするような可能性を感じてたので。ま俺自身はどっちにしろこうしてブログを書くことしか出来ないのでしょうがないんだけども、とにかく以下インタビュー記事を読んで思ったこと。




まず一番重要だと思うのはここで書かれていることは基本的な枠組みというか方向性としては今までmatsunagaさんが書かれてきたものの枠内にあるんだろうけど、とりあえず現状においてmatsunagaさんがオウム=アーレフから離れたのはなんらかの思想的転向があったからではないということ。一言でいえば「情熱が薄れた」ということで「出家信者」ではなくなった。そういう話であることだと思う。

そうである以上今後何らかの事情でそれこそ「情熱が復活する」というようなことでも教団に戻る可能性が十分にありえるし、そしてそれを教団の側が拒否する理由も特になく受け入れるだろうと。そういう現状なわけである。

とりあえず俺はそういう現状自体を批判するつもりも資格もないのでこの部分についてはむしろすごく正直に書かれているなーと感じる。はっきり言って仕事を継続すること、世間の中で食っていくことを第一義に考えるならもっと通りのいい建前を作ることはできるはずだしそういう要求もあっさり受け入れられる。脱会届けを正式に出せという要求をなんだかんだ言って拒否してるのも現状の認識を考えれば当然ともいえる。この点、俺はひきこもりであるからして普通の人とはおそらく価値観が違っていて、適当に建前を作ってかたちを整えるのを潔しとしない。だからこういう態度を通すのはある意味痛快であったりもする。

が。

それはそれとしてこのことについてまったく別な問題がある。それはmatsunagaさんがサリン事件について少なくとも当時それをオウムが行っていたということをまったく知らなかったのだということを理由にあるいはそれをして「実際に関わった麻原含む幹部」と「まったく知らなかった末端信者」とを分け後者の責任の有無を問うていること。そういう主張をしていること。ここに俺は大きな矛盾を感じる。matsunagaさんがそれを主張するのは潔くない。

まずmatsunagaさんは当時単に何も知らなかった末端信者である以上に「河上イチロー」名義でオウム信者であることを隠しつつオウムを擁護するという工作をネット上で積極的に行っていたわけだけど、その後色々あって結局は

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060316#1142445000

その後もしばらく「オウムははめられた」という認識が続きましたが、いろいろと「裏ワーク」の存在がわかってきて、すべて教団内部の人間による犯行だということがようやく受け入れられるようになったわけです。

現在は当然、松本・地下鉄サリン事件が教団信者によって遂行されたものであることは疑いのないものであるという認識を持っています。そして、松本サリン事件については村井氏(マンジュシュリー・ミトラ正大師)、地下鉄サリン事件については井上氏(アーナンダ正悟師)が具体的に計画を立て、実際に全体の指揮を執ったことは間違いないと思いますが、麻原旧団体代表がそもそもサリンの研究・製造を進めさせていなければ起こらなかった事件であり、教団武装化を進めたという意味で全体の責任を負うべきなのは麻原旧団体代表にほかならないと認識しています。

と認識するに至った。

それならばそこで本来。信じていたものに裏切られたわけだからオウムという存在なりその教義なりに大きな疑惑の目を向けるとかの相応のリアクションがあってしかるべきだ。当然そこでは場合によって思想的転向という可能性もありえる、というか多少なりともなければおかしい。特にmatsunagaさんやテレビに出てさんざ無実を主張していた上祐氏のような人ほどその衝撃、落差は大きかったはずなのだから。

だけどこれまでの行動からも書いたものからもそういうことが指し示されているようなものはない。今回教団から離れるにしてもあくまで「出家した状態で修行を続けるほどの情熱がなくなった」という程度のものでしかない。

  • もし知っていたらどうだったのか?

ifをいってもそんな事は本質的には誰にも分からない。だけれども知らなかったから云々と主張することは知っていればやらなかった(阻止するなり教団から離れるなりのリアクション)が前提になければ何の重みもない。

ではその重み付けはどういう風にされるのか? 

それはその後に教団が行ったということを確信して事実として認めた後の行動なり言動によって担保されうるのである。そこでの行動こそが知っていればどうしていたのかを完全にではなくとも保障するのだし、知らなかったから云々という主張を裏書することになるのではないのか。


そういうわけでやっぱりmatsunagaさんはそんな主張をすべきでないのだと俺は思う。それはあくまで事実を知った後に転向のあった人にのみ許される、あるいは説得力を持つ話でしかないのだから。

そして付け加えるなら、事件に対する認識が何だか軽いなというのは事件後の話でなくおそらく当時から軽かったのではないかと考えられること。つまり「河上イチロー」にとってオウムがサリン事件に関わっているのかどうか、そんなことはさして重要な問題ではなかったのではないか? ゲッペルスだかに傾倒していた河上イチローは「空気」に従って真実がどうなのかなんて疑うことなくそういう事とは無関係に行動してただけ、なんじゃないのかと。

事実を知った後の行動などからはそういうニュアンスを俺は感じるのだがどうなんだろうか。




「日本の問題」問題

http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/04/gripblog2r30_9d44.html

http://d.hatena.ne.jp/keroyaning2/20060425/1145912568

あとこのあたりで言われてるR30さんがこの問題の構図を日本とアジアの関係とやたら結び付けていることへの疑義について。

確かになんかちょっと擁護というか代弁のようなことをしてるとこもあってそこまで共感しちゃっていいのか、という感じは俺にもあったんだけども、ただ俺もそういうアナロジーを

http://d.hatena.ne.jp/santaro_y/20060320/p1

このエントリの後半部分で示唆してたりするのでこの意義について書きます。

R30さんやあるいは靖国がどうという問題を持ち出しているmatsunagaさんがそれをどの程度の覚悟で書いているのか分からないんだけど、それは批判を無効化することには全然ならないと思う。

俺は何を書くにしても特に批判的なものであればなおさら、なぜそれを自分が書くのか、とか立ち位置からしてどこまで書けるのかを自問するめんどくさい人間なんだけども、まずこの件自体は民主党のブロガーカンファレンスに参加したわけではもちろんないし、matsunagaさんと特に親しかったわけでないまったくの無関係な第三者なのである。俺は。

ここで最初に書いたんだけどこれが問題であるのは「民主党のブロガーカンファレンス」なんかに参加したからであってそうでなければ実名性が問われる必要はなかったし逆にいえばそれ以外の個人的問題は突っ込めない。

でもすごい興味を引かれた。何か色々書きたくなったんだけどじゃあそこでどんな動機なり立ち位置がありうるのか。「まったくの無関係な第三者」ではあまり深くつっこみようがないししたくない。

そこでこれが日本人の問題としてその構図をアナロジーとして捉えられると気付いたんだけど、要するにそういうレベルであればそこで俺は「当事者」になるわけである。この件について「まったくの無関係な第三者」も深く追求したり批判したりする資格が得られるのだし、その動機にも正当性が与えられる。matsunagaさんの心理的経緯なり場合によって事件を総括することに公益といってもいいぐらいの意義がでてくる。

そういう風に思って書いたのだけど

量子的自己の脱・世間と脱・社会 - アンカテ

ここで、他人事として割り切ってしまえば、意図的に「社会」の中で「世間」の外という位置を確保して、議論を巻き起こしてほしいと思う。松永さん個人のことを何も考えずに、日本やネットやブログ界の都合だけで言えば、松永さんがクリアにそういう立場に立ってくれるのが一番いい。

しかし、そういう形で身をもって「世間」という暗黙のルールを可視化するという挑戦は、物凄い葛藤の中で的になるということであって、無茶苦茶ハードな道だと思う。経済的にようやった自立した人(である可能性がわずかでもある人)にそんなことを要求するつもりは私にはない。それではどうしたらいいのかと言えば、ここは「世間」に妥協した方がいいのではないかということになって、「アルファブロガーは烏山宛の年賀状を出すか?」で「世間」の目からどう映るのか、書いてみたのである。

essaさんのエントリのこの部分を読んで「あーそこまで求めるのはちょっと過剰な期待なのかなー」と思ってたんだけど、今回そういう話を持ち出してしまってることについて改めて聞きたいとこだったりする。

『「世間」に妥協』するつもりがmatsunagaさんにあるように見えない。その上で「日本の問題」というとこまで話を広げるなら『物凄い葛藤の中で的になるということであって、無茶苦茶ハードな道』になるかもしれないと思うんだけどそこまでの覚悟があって言っているんだろか? なんたってそういう事なら無関係な第三者の突っ込みに対して「オマエ関係ないから黙ってろ」とは言えなくなるわけだから。もちろんそこはmatsunagaさんも対等な立場での反論のできるテーブルでもあるんだけども、そういう覚悟なく言ってるならそれは批判を無効化したいだけの論点ずらしといわれても仕方ないと思う。




空気的意思決定

んで最後にこのインタビューですごく面白いなーと思った部分が

松永英明さんへインタビュー ?: Grip Blog <Archives>

このイ涼罎matsunagaさんがイメージしてるサリンが製造、そして撒かれるに至った経緯について話してるとこ。一介の信者でしかないmatsunagaさんの想定なのでこれがどの程度当たっているのかは謎だけど、もしこういうようなものだったとするとこれはいかにも山本七平が『空気の研究』とかで描いているような戦時中の軍部の意思決定に近いなーと感じた。それが良いのかどうか、それをやればどうなるのかというような予測、国家に対して挑戦して勝てるのかどうかとかそういう分析なりなんなりが全然なかったのかという。

あるいは「まったく知らなかった末端信者」にしても現にやってたのは間違いなかったのだから、中にいる人にも多少なりとも疑義というか疑う声があっても良さそうなのにどうも全然そういうのがない。これが果たして信仰の問題なのか、それともそういうことはとても言えない「空気」が支配してたからなのか。それこそそんなことを言えば「非国民(非サマナ?)」とでも罵られる状況があったんだろかという。

でオウム=現アーレフが危険だというのには一つ間違いのない前提があってそれは「物凄い実行力がある」ということなんだと思ってる。やるかどうか以前のやれるかどうかというかなり高いハードルを越えたのであってそれは前科であると同時に実績なのだ。だからその目的が不明である状況において恐れがあるのはある意味当然。やろうと指向すれば出来てしまう、それだけの実行力があるとみなされているわけだから。

そしてこれは日本においてもやっぱり同じような状況があると思われ・・・


みたいな話もしたいけど長くなりそうなんでとりあえず以上。




*追加

http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/aum/a2-1.html

村上春樹による映画「A2」を踏まえたオウムについての話。今読んだんだけど4の「普通の人々」「意識の記号化」の辺りとかすごく面白い。

DryadDryad 2006/04/27 20:54 初めまして。もう5年は前の話なのでちゃんと覚えているわけではありませんが、「河上イチロー」名義の頃のサイトをよく見ていた人間としては、あの頃の彼の言動は「オウム擁護のための工作」の一語で括れるようなものではなかった・・・と思います、多分。あの頃の、彼のサイト界隈の空気を語ることのできる方は、今ではあまりいないようですし、私自身深く関わっていたわけでもないので詳しく話せと言われると困るのですが、個人的には日本の個人サイト史の一つの結節点だと思っているので一応。

katshikatshi 2006/04/28 11:12 こんにちは。僕も似たようなことが気になって、最近村上春樹の「約束された場所で」とかを読み返していました。そこにも出てくるんですが、やっぱり「空気」ってのは間違いなくあったようですね。ただそこにはどうも二種類のベクトルがあるようで、間違ってる・嫌だと思ってるけど誰も反対しないので引き受けちゃう(同調圧力)というのと、教義からなのかマインドコントロールからなのか判然としないけれど何の迷いもなく上に従っちゃうというのとは、分けて考えた方がいいのかなと思ってます。共同通信の記事リンクも、探してもう一度読もうかなと思っていた所だったのでありがたいです。

santaro_ysantaro_y 2006/04/29 04:47 Dryadさんどもはじめまして。
俺もどこかで当時を知っている人の感慨のようなもの読んで伝説のようになってて凄い「熱」があったというのはなんとなく感じました。なので「オウム擁護のための工作」というのが部分的な話でしかない(それだけが目的でない)だろうというのは分かります。「あの頃の、彼のサイト界隈の空気」でここが難しいとこですが俺はネット自体始めて2年も経っていない人間なのでそれ他の空気も知りえないとこがあって、結局語れるのは事実として残ってるとこしかない。それでいうとオウム信者であることを明示せずオウムについて書いていた、というのはこれはオウムだからどうというのと関係なく「工作」といわれても仕方ない行為なんだと思います。某新聞社の記者がそれを隠してブログでポジショントーク・・・が批判されるのと同じように。そこは本人がどの程度の意図なり目的でやっていたかとは違うレベルの話だと思うんで俺が突っ込めるのはそこまでだと思います。
しかしなんつーか河上イチローについて言われてる話からすると今の松永さんは結びつかないというかその辺どうなんでしょう? 俺はちょっと肩透かしをくってる感じというのが正直なところで。本人がおっしゃっているように河上イチローのスイッチが入ってないからなのかなー・・・

santaro_ysantaro_y 2006/04/29 05:09 katshiさんどもです。
いや村上春樹なかなかやるなーと思いましたw全然読んだことなかったんですけど。
でその二種類のベクトルの話なんですけど、後者の「何の迷いもなく上に従っちゃう」人の割合が前者の同調圧力の大きさになるんだろなーという気がします。後者は判断を言語化できない(する必要もない)からそれは非言語的な同調圧力として表現されて、疑義をいう事さえいかん、という感じになるんだろうなと。
でそれは宗教だから当然といってしまえばそうなのかもだけど、ただそこでいう宗教ってオウムとかのカルトって意味でなくて日本教なんじゃないのかってことが言いたいんでしょうね。多分俺は。

DryadDryad 2006/04/29 07:43 その辺は難しいところで、例えば「河上」さんは当時、一貫して「セット思考(発言主体の所属で意見の正否を判断すること)はやめよう」という主張をされていたと記憶しています。その主張自体は極めてまっとうなものだったと、今でも思いますが、ただその主張はご自身がオウム信者であったことが背景にあるであろうことは疑いないわけです。しかし、そのことが彼の発言の正当性を毀損するのか否か、あるいは、そのような主張をする際には身元を公表すべきなのか(といっても、それをやったら完全にポジショントークとしてスルーされるであろう事は目に見えてますけど)・・・とか。あと、結びつかなさについては、私も同じようなものです(笑。とはいえ、人は変わっていくものだと思いますし。

santaro_ysantaro_y 2006/04/29 10:30 >Dryadさん
まず第一にネットで発言する人はポジションを明確にしてる人が多いわけでないし明示しててもそれが正しいのかどうかなんて殆どの場合分からないですよね。だからネットでは多くの場合現実問題として「発言主体の所属で意見の正否を判断すること」はできないというのがあると思います。でもって更にネットの一つの理想のようなものとして、現実の色々な所属から離れたところの自己が表現されるないし解放されるというのだというのもあって、これはハンドルで運営してるブログはリアルの知人にばれたら嫌、と考えてる多くの人の持ってるイメージだと思います。でだからこそポジショントークは嫌われるんじゃないかなと。その所属した世界では言いえないことが言えるしそういう言葉が聞きたいという強い欲求、があってそういう理想みたいなものに対する悪く言えば「裏切り」のようなものを感じてそこに引っ掛かるんだと思います。
でこの件についても実はホントはオウムという所属から離れたところの松永さんの言葉がみんな聞きたくて、だから余計にポジショントークじゃないかというとこを徹底的に疑うんだと思うんです。
で実際そういう言葉が出てくればきっと人の心を動かせると俺は思うんですよね。少なくともネットの中の人の心は。でもまだ今のところはそういうとこまでいってないのかなーという感じです。

DryadDryad 2006/04/29 19:05 なるほど。「(二度も)期待を裏切った」みたいなのは、あるのかもしれませんね。ただ、この件に関して、ポジショントークから自由「に見える」言説というのは限りなく困難な気もします。実際、河上/松永さんがオウムについて発言した所というのはあまり見たことがありません(意識的に避けられているのかも)。しかし、彼が自由主義的/民主主義的な主張をすれば、その帰結としてオウムを擁護することにしかならないわけで。だからこそ、周囲は「オウムに所属していた自分」に対する徹底した自己批判(「私はマインドコントロールされていた!」「麻原は偽のカリスマだ!」)を求めているんだと思いますが、松永さん曰く「それは嘘になる」と。その辺、「共感はしないが理解はできる」と私は思います。
あと今思ったのが、「河上イチロー」というのは、2000年以前における日本の「ネット自由主義」の象徴だったのかもしれないなぁ、とか。今から考えると、彼の引退と前後して、日本のネットが大衆化し変質していった過程は興味深いところです。本来、その辺について真っ先にはてなキーワードが作られるものと思っていたのですが・・・。私が松永さんをそれなりに信用するのは、そんな「河上イチロー」を見ていたことが一番大きいのだとは思います。

DryadDryad 2006/04/29 19:17 あと、ポジショントークなんて「当たり前」だと思うんですけどね。その上で、ポジションが判明しているならそれを加味しつつも、発言内容を精査すればいいだけの話で(その意味では、既に「元オウム信者」だという事が明らかな松永氏を警戒する理由がよく分からんです)。この件に限ったことではありませんが、最近の某所を中心とした、判明したポジションに対して過剰に陰謀論を読み込む風潮はなんとかならないのかな、という気がします。

DryadDryad 2006/04/29 20:11 長々とすいません(;´・ω・`)上で書いた「結びつかなさ」についてなのですが、当時(1990年代)の河上氏のサイトの主張は、今では某掲示板あたりでより過激に継承されている部分があるので、今更出る幕がないのかなぁと思いました。まぁ、「継承」といっても相当歪んだ形ではありますが。

santaro_ysantaro_y 2006/05/01 04:31 そうっすね。んー難しいというのはホントその通りだと思うんですけど結局「熱」が感じられないのかな。もちろんなくったっていいんですけども。。。
http://www.ni.tama.ac.jp/shumpei/LastModern_Common/000029.html
最近読んだんですけど『日本のネット自由主義』からその後の変転という辺りについてくいう感じなのかなーと想像します。こういう波にきっと乗ってたんでしょうね。

>判明したポジションに対して過剰に陰謀論を読み込む風潮はなんとかならないのかな

確かに。んでそれはやっぱりそのポジションというのが「オウム信者」だからというのが大きいんだろうと思います。例えは悪いですが某国の情報部員というポジションが明らかになればそこには陰謀を見るしかないわけでw 俺としてはネットだからこそ出来れば個人を見たいというのがあるんですけど難しいとこですねその辺。
あと某掲示板というのは「あやしいわーるど」なのかな。なんかその辺りの人と関係してるとかちらちら聞くんですけどこれまたイマイチ分からない。ネットってホント流行り廃りはげしいですけどその時の空気みたいのを経験してないと中々実感として分からないとこがあれです。

DryadDryad 2006/05/01 08:21 もちろん私も、今後松永さんがオウムについて語っていたら、そこは割り引いて読むことしかできないと思います。まぁ、過剰に何でもかんでもひっくるめるのは良くないよね、ということで一つ・・・。
あ、某掲示板というのはもちろん現在の2chです(^^;あやしい系の方々の文化は、私も全く分かりません。派閥も色々あるようですし。基本的には、日本のネット界にまだ「アングラ」というジャンルが存在した頃からの住人の皆さんだと認識しています。あの頃の猥雑な熱気を理解するには、う〜ん・・・「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」とかでいいんでしょうか(´・ω・`)

DryadDryad 2006/05/01 08:25 URLのご紹介ありがとうございました。概ねご指摘通りだと思います。「社会」に対抗するマイノリティたちの王国。で、3.3.2あたりを読んで思ったのが、それまでなら「アングラ」と呼ばれていた連中が、「自分達はマジョリティである」という意識を持つようになったことが、変化としては一番大きいのかなと。もちろん、その立役者として2chが果たした役割は非常に大きいと思います。結果として生み出されたのが、2chあたりの「マイノリティ的な被害者意識とマジョリティ的な振る舞いを併せ持つ人々」だと思いますし、個人的にはこういうものに大変批判的ですが、話がぶっ飛ぶのでこの辺で(´・ω・`)