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2015-11-27

続・「空気」の研究 続・「空気」の研究を含むブックマーク

登場するのは明治期を代表する法制官僚・井上毅である。井上による明治憲法草案の第一条は「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」だった。この“しらす”という古語を漢語的表現の“統治”にかえて「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という条文になった。では“しらす”とはどういう意味を含んでいるのか、井上の解釈が紹介されている。

“「しらす」は知らすである。上に立つ者がおのれを鏡として、下の者たちのありのままを映し出す。(中略)上に立つ者の心はただひたすら鏡そのものでなければならない。極端に言えば自らの考えは持たない。(中略)さまざまな人の考えや行いをつとめてあるがまま認めつつ、破局を来さないように調整していく。あとは自ずとなるようになっていくしかない。(鏡には)たくさん大きく映るものがある。それがそのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころである。そうやって進行するのが「しらす」の政治であり、日本人が古来認めてきた国土人民をとりまとめる唯一の正しい仕方ということになるのでしょう。 ”

著者はこの“しらす”の井上流語釈に疑問を残しながらも、法制官僚の中心で明治国家を法的にデザインし、いくつもの法律を立案した井上の影響として、「明治憲法体制全体に“しらす”の精神がゆきわたっているように思われる」「端的には権力の分散化・多元化の工夫」がみられるという。

『未完のファシズム』 - HONZ

面白い。

山本七平はこれを知っていたのだろうか。

多分知らなかった。

『空気の研究』では「自ずと」空気の支配が強くなり責任者が不明になり破局へと向かっていった、というストーリーになっていた。

しかし違ったのだね。勝手にそうなったのではなく、そもそも明治憲法が明確な意志をもってそうデザインされていたのだと。

「あとは自ずとなるようになっていくしかない」

「それがそのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころである」

これが明治憲法の草案を書いた人物の思想であり、山本七平の分析と驚くほど一致している。

ただしストーリーはまったく違ったものになってくるし、次の疑問はではなぜ明治憲法はそのようにデザインされたのか、になるのだろうが思い当たることがあるので書いてみる。




江戸「無血」開城の意味

日本史・あの事件の意外なウラ事情 - 長尾剛 - Google ブックス

思うにすべての始まりはここにあるのではないかと思う。

西郷隆盛徳川慶喜を討つつもりだった。そしてその首を掲げることこそ新しい時代の幕開けを世間に告げるものになるはずだった。

これは世界史的常識に照らせば圧倒的に西郷が正しい。中国の王朝交代時など常に凄惨極まりないが、別に中国が特殊なのではなく世界中あらゆるところでそれは儀式のごとく執り行われ、そもそもフランス革命でさえそうだった。

なのになぜ日本ではこのような奇跡が成ったのだろうか。それには色々な人間が動いており複雑ではあるが、ごくおおざっぱに言えば日本は平和だったということではないだろうか。江戸は250年も続いた。その間特に大きな内乱もなく外敵もなく、武士はその存在価値を見失いおおいに軟化していたことだろう。たかだか60年そこらで平和ボケとかいわれるのに250年である。

江戸時代後期の経世論家である林子平は、「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいう也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也。」としている。

http://www.7key.jp/data/bushido/yuu.html

いずれにせよ奇跡は成った。150万という江戸の住人は戦火を免れた。

その後なし崩し的に新政府軍は勝利をしたが、問題は残った。

新政府軍の権力の正統性はどう保障されるのか。

権力の正統性というのは実際のところはかなり曖昧なところが多く、例えば中国共産党においては「侵略してきた日本軍を打ち負かし国を守ったこと」をもってその正統性としているが、しかしそれが極めて曖昧であるからこそ台湾問題が生じているし、戦時中の日本の残虐を強調し続けなければ国が持たない。仔細あって溥儀は生き残り、徳川慶喜と同じように普通の市民となって生涯を全うしたし、敵対していたそしてより正統性を持っていたかもしれない国民党も打ち破れず生き残ってしまった。だからこそ日本なのだ。

もちろん最終的には暴力がものを言うというのはあるだろうが、しかしそれもその正統性への支持があってこそ力強いものになる。その為にその圧倒的な力を誰にも分かるように誇示しなければならず、そういう手続きが本来は必要なのだ。

薩摩長州による新政府軍はそこをかなり曖昧にしたまま、つまり見ようによっては幕府側が単に日和っただけともとれるやり方によって不戦勝と相成った。


これが新政府の権力の成り立ちの物語である。まるで神話の国譲りのように西郷隆盛と勝海舟の「話し合い」によって権力を譲り受けた。

上に立つ者の心はただひたすら鏡そのものでなければならない。極端に言えば自らの考えは持たない。(中略)さまざまな人の考えや行いをつとめてあるがまま認めつつ、破局を来さないように調整していく

西郷隆盛は聖人とされているが、そこでの振舞いはまさにこのようなものだろう。結果「そのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころ」に実際落ち着いた。

それが明治憲法の精神として表現された、というのは実に自然な流れであるように思う。

そして戦火を免れた江戸が後に焼け野原と化すというのはなんとも言えない歴史の皮肉と言える。




アイデンティティ戦争

しかしいったい明治政府の権力の正統性は何によって担保されているのか。徳川慶喜はその後も普通に人生を全うしたので朝敵を打ち破ったというわけでもなさそう。憲法が規定してたとしても作ったのが明治政府では意味がない。まだ民主主義以前なので選挙が行われたわけでも当然ない。その前の大政奉還によって戻ってきた統治権はそのまま天皇が持つことになったわけだから、天皇から委任されたわけでもないだろう。

結果的にそれは対外的な戦争によって、日清日露戦争によって初めて明治政府の真の力量は試され、誇示された格好になる。戦争景気も相まって人々はそれを熱狂的に支持した。

戦争が国家のアイデンティティに関わる、という事態は戦後のアメリカに似る。




平和時の政治哲学としての「空気」

山本七平の研究によれば太平洋戦争末期に空気の支配は極に達し、その後も日本人の意思決定の方法になったということだけども、それが平和時のそして内政の方法論としては実に優れたものだということは歴史の証明するところだろう。

しかしその「空気の支配」はどこで醸成され生じたものかというなら、江戸の250年の平和がその出所なのではないのか。その永い平和こそが江戸「無血」開城を実現し、明治憲法の精神になった。

もしそうなら現在の人と江戸の人々は同じ空気で生きているというしかない。


『未完のファシズム』は少なくとも戦争という異常事態においてはファジズムのほうがまだしもマシである、という結論になるようだが。












 

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