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2015-12-17

00才からのベーシックインカム 00才からのベーシックインカムを含むブックマーク

社会の制度的コストを削減するというベーシックインカムの前提からは外れるが、特定の人たちに限って適用することを考えたほうが、日本ほどの高福祉社会ではまだしも現実的だと思う。財源も全員として試算すると無理があるみたいだし。

まず高齢者に限って年金医療介護保険などを打ち切ってBIにまとめてしまう。80以上でも90以上でもなんでも構わないが、必要最低限といわずできるだけ多く与える。高額医療や介護は資産がないとできないかもしれないが、助かるのは高齢者の面倒を見る人のほうで親の介護で生活が成り立つようになる。年寄りが元気で自立してればその分生活費にできるのだから予防にも積極的になる。今は介護保険を使うことで事業者が利益を享受しているのだから、自立してもらっては事業者は困るわけで、要介護認定はより重く、必要な介護はより多彩に盛る必然性があるのだから話にならない。高齢者が車で送迎されて、予防のために施設で歩行運動を行うという正気とは思えない事が平然と行われてしまうのも仕方がない。

年金受給資格は年々上がっていくだろうからBIを超高齢者から始めて可能なら順次切り下げていけば、そのうち辻褄は合う。


高齢者BIはうまくデザインされれば若いやつが貯金をしなくて済む。若者が老後のために貯蓄する、というのは不自然極まりない。金は若いうちに使わなければ生きた金とは言えない。それは本人にとっても社会にとっても必要で有用な投資であり積極的に奨励される。最もこれだけの高福祉社会であるにも関わらず高齢者でさえ何があるかわからないから金を使えないというのだから、貯蓄癖は何をやっても治らないだろうとも思う。BIは貯蓄に一切回せないようにするしかない。基本的に強制でなくいくつ以上に与えられる権利とするのがよい。財産があって問題なければ使う必要はない。

自立した個人という神話が最も壊滅的になるのは年を取ることによる。体が弱れば誰かに助けてもらわねばならないし、認知症になれば自分の判断の根拠が失われる。貯蓄するのは誰かに頼らず一貫して個人として物事を解決していくために必要なことで、貯蓄をなくせば個人から降りるほかない。人は死ねば自然に還るが、生きてるうちから少しずつ溶け出していると見るべきだろう。

貯蓄がないというのは共産主義社会主義になってしまうのだろうが、これは統一的な国家としては失敗は明白だが、マルクスは歴史の最終段階としての必然としてこれを提出した。これを歴史でなく個人史と捉え直せば老人の世界では共産主義は成り立つ。個人がきちんと段階を踏んで成長していればの話であるが。

過疎となった地方で老人共産圏を実現すればよい。団塊の世代はその為のこれ以上ない良質な人材であり、機会と言える。昔取った杵柄でがんばって欲しい。


逆に子供にBIを導入するという方法もある。生まれた瞬間から生活に必要なお金が支払われる。子供は当然ながら自活能力がなく財産もないんだから生活保護の対象内であり、子供の健全な生活は国が保障してなんら問題ない。

これもどちらかと言えば子供より面倒を見る人にとって福音となる。仕事をして子供を育てるのではなく子供を育てることが仕事になる。孤児は引く手あまたになるだろう。生活に困ったらとりあえず子供を生むか養子縁組して子供を育てればいい。金が支払われるのは子供に対してなのである程度物心がついてもし嫌なら親を変えてしまえばいい。金で親を買えるようにする。

一見バカバカしいが、子供は昔のように7人兄弟とか10人兄弟とかで育つほうが本来育ちやすい。つまりちょっとずつ違う年代の子と寝食をともにするほうが、予習復習になって半ば勝手に育つ。子供が金になるならプロの子育て家が誕生して、たくさんの子供を牧場のように大事に世話して育てる人間がでてくるだろう。今の伝統無き教育よりははるかにましかもしれない。


橘玲によれば世界の豊かさは分業の徹底によって実現されていくという。作業を細かく分け仕事を専門特化することで、全体としてより大きな生産が可能となる。その代わりに近代人はかつてよりどんどん何もできない無能となっていくが、その無能さは技術革新や高品質のサービスが補完していく。ただのマッチポンプに見えなくもないが、その豊かさの実現を阻んでいるのが国家であり、分業が徹底されないことが世界の局所的な貧困を招いているという。

世界政府実現の前提は子育ての分業化だろう。子育て、特に母親と子の関係は切っても切り離せない反分業的仕事として残り続けている。近代人は専門家した無能であるかもしれないが、子育てという全人的能力を必要とする、あるいは全人的問題の発生する課題には取り組み続けなければならない。高度な分業化によって高品質な車が作られるように分業によって高品質な人間を作ることがもし可能であれば、彼らは世界政府を実現する人材となるだろう。

ただこのくびきに触れることはとても怖い。母と子を切り離してしまっていいのだろうか。仕事をし、結婚し、子供を育てるという幸福の基本や基盤が失われた後に何が残るのか。世界の豊かさはそこに住んでる人間の内容的貧困さとセットで進む。

ただそもそも世界の分業化は安価な石油の無限供給という虚構のうえに成立してるのでたいして射程のある話ではなく、考えるだけ無駄かもしれない。年金構想と同じくいずれ破綻するのは目に見えている。未来のテクノロジーが解決するだろうと見切り発車したもんじゅにも未来人は訪れそうにない。




幸福な二重生活

養老先生は都市と田舎の二重生活を送るのが健全な生活であると説く。フランスの金持ちは年の半分都市で仕事をして後はリゾート地という名の田舎にバカンスに行ってしまう。流石長年金持ちだった国はよく分かっている。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも生きがいい。

それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間漁をしていたの」と尋ねた。

すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、漁師は自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃああまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、

漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝てそれから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで女房とシエスタして

夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。

いいかい、きみは毎日もっと長い時間漁をするべきだ。それであまった魚は売る。

お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり儲けも増える。

その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建ててそこに魚を入れる。

その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し

ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。

きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て

日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして

夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。

どうだい。すばらしいだろう」

一国二制度というと中国かと思われそうだが、実現できないのだろうか。

一年の中で実現するのは不可能そうなので、人の一生の中でデザインすることは少なくとも日本において可能ではないかな。

誕生を神道で結婚をキリスト教で死を仏教で執り行うという思想的分断を平然とやってのけている。この感覚で18までBIという名の原始共産制、大人になったら資本主義の競争社会で生き、年取ったらまたBIという名の老人共産圏で生きる。個体発生が系統発生を繰り返すように、人生を人間の思想史体制史としてデザインできたら面白い。


現実と仮想世界の二重生活も捨てがたい。映画『アバター』のように仮想空間の超自然的世界で原始生活を楽しむというのは人間の生物的デザインとの辻褄が合う。都市に適応的な肉体を持っていないのが不幸の源泉であるわけだから。

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