「ユニクロ」杉本貴司著 を読む

 ユニクロ創業者の柳井正氏を主人公に、彼の青年時代から今日に至るまで、試行錯誤を繰り返しながらユニクロを成長させてきたストーリーの全体像を追っている本です。

 今まで雑誌記事や書籍などで断片的に入ってきていた情報が、やっと一つの大きなストーリーにつながった感じがしました。

 

 僕はかねてからユニクロの特徴は、アパレルの世界に「家電型」のビジネスモデルを持ち込んだことだと考えています。

家電型のビジネスモデルとは、かつてのTVやビデオのビジネスに代表されるように、技術革新をベースに機能価値で差別化された、マス顧客をターゲットにした最大公約数的な需要を満たす商品を大量に生産・販売、規模の経済でいち早くコストを下げ素早く売り切る、という規模とスピードが価値の源泉となるビジネスです。

 一方でアパレルの世界は、特定層の顧客をターゲットに、感性価値で差別化された嗜好性の高い商材を高価格で少量販売する、という家電型とはほぼ真逆なビジネスを志向していると思います。

 ユニクロは、こうしたアパレルの世界に、ほぼそれとは真逆の家電型ビジネスを当てはめたことによって、独自のビジネスモデルを構築したのだと思います。

 東レと組んで、フリースや、ヒートテック、エアリズムといった新技術ベースの機能価値を前面に押し出した商品を連打していたころ、これはまさに、3DCurvedLED。。。と毎年のように新技術特長を訴求していた昔のTV業界と同じだよな、と思っていました。

 もともとこの家電型ビジネスは、家電業界だけにとどまらず、住宅、キッチン、自動車など、日本の他の多くの産業でも同様のスタイルが見られるビジネスモデルです。経済が成長し、顧客の需要が似通っている社会に最適化したモデルであり、一昔前の日本企業や日本のビジネスパーソンの得意とするところでもあります。

 よって、ユニクロが、この日本企業・日本のビジネスパーソンと相性の良いビジネスモデルを自社のビジネスに取り入れたことは、強みやケイパビリティを活かす、という点で自然な方向であり、また欧米企業とは異なる独自のポジショニングを創る上でも有効だったと思います。

 

 しかし、ユニクロの機能価値をベースにした衣類は、主に下着やポロシャツ、ジーンズといった定番商品中心であり、嗜好性の高い領域はビジネスモデル上、強みを発揮できず、本来収益性を上げやすいこうした分野にビジネスを展開しにくいというジレンマがあると思います。機能価値や「利便性」「価格」に基づいた競争力は、家電業界ですでに経験してしているように、規模とスピードに勝る中国メーカーに一気に置き換えられてしまうリスクが大いにあります。この課題をユニクロはどう解決していくのでしょうか。中国やインドから勃興して来るであろう競合を、ビジネスモデルを進化させ研ぎ澄ませることで、ぶらすことなく真っ向勝負で退けていくのか。あるいは、機能価値をベースにマス需要をターゲットにしながらも、そこに独自のブランド価値や意味的価値を付加していくという、未だかつて例がないような方向性にチャレンジしていくのか。ユニクロの挑戦には目が離せません。

 

「ロシアトヨタ戦記」西谷公明著 を読む

 この本、以前から気になっていたのですが、先日家にたまった本をブックオフに売りに行った際、中古本が売られているのを発見して買ってきました。ずっと積読になっていましたが、この三連休でやっと読んだ次第。

 ビジネスの経験談の本は、たいてい自慢話か無味乾燥な事実の羅列になってしまうことが多いのですが、この本は極めて抒情的なトーンの中で、ロシアの文化や社会などへの考察も交えながら、また奥田会長との個人的なエピソードなども挿入しながら、ビジネスの体験談が語られるという不思議な雰囲気を持った本です。

 著者は、もともと長銀エコノミストで、ウクライナ大使館付き調査員からトヨタに転職し、ロシアのトヨタ販社の社長を2004年から09年まで5年間勤められた方です。叩き上げのビジネスマンではない、ということがこうした独自のトーンを生み出しているのかも知れません。

 ロシアというまだまだまだ社会のルールやモラルも整っていない不条理で荒々しい未成熟社会の中で、コンプライアンスを通しながら、その国の流儀の中で会社を経営するということの難しさは並大抵でないでしょう。著者はその中での苦労を失敗例も交えて率直に語ってくれており、好感が持てます。

 税務監査で言いがかりをつけられ、多額な追徴金を請求されそうになったり(通常は賄賂を渡して解決)、社屋の建設には調整役をかましたさまざまな調整が必要だったり、日々問題が起こる通関・物流の難しさ、さらに最終的には、リーマンショック原油価格の下落で自動車の需要が急激に落ち込み、発注のコントロールが遅れ巨大な在庫を抱えることになったことまで、ビジネスをしていれば良くありがちな話が実体験で語られています。

 そうした厳しいビジネスの現実の中にあっても、著者の視点は常にロシアの社会・人々を、たとえ簡単には理解することはできなくとも、そのまま受け入れようとしています。こうしたビジネスと人文の接点は僕自身が日々考えていることでもありますので、ふむふむと面白く読ませていただきました。

 この本が出版されたのは21年末ですが、その後、トヨタのロシア事業は、229月に生産・販売を中止しています。著者を始め多くの人が積み上げてきた努力が一瞬に吹き飛んでしまっています。ロシア社会は、まだまだ荒々しく未成熟な状態が続くのでしょうか。

 

中国映画「B for busy (愛情神話)」を観た

先日飛行機の中で何気なく観た中国映画「B for busy (愛情神話)」。

中国の映画って昔の硬いイメージがあり敬遠していたのですが、今はこんなに自然体で「普通」な映画が作られているんだ、ということに驚き。
上海の中心部(昔のフランス租界エリアですね)に住む40-50代の中年男女(バツイチ中心)の日常を舞台にしているのですが、ドラマティックなストーリーというより、昔ながらの上海の街の生活、その中で起きる何気ない日々の出来事が淡々と続いていく感じで、力の抜けた感じが心地良いです。
セリフは殆どが上海語。掛け合い漫才のような会話が続きますし、それを英語の字幕で追いかけないといけないので疲れますが(多分英語字幕では上海語のジョークにはついていけていない)、主人公が息子と話をするシーンはなぜか普通語でした。息子の彼女は北方人なのでそこに合わせている場合についてはわかるのですが、親子二人の時の会話も普通語。上海人の親子なのに一体これはどういうことなのか背景がわからず。

当たり前すぎて意識してなかったのですが、映画で見ると、上海人って完璧な「バイリンガル」なんだよということに改めて気づきました。
中国の文化や社会って非常に多様性と包容性があって、日本とは違ってみな生まれながらにして多文化に馴染んでいる、ということがなかなか日本の人には理解してもらえないのですが、「皆が当たり前にバイリンガルである」ということは、中国(特に南方)の多文化性を象徴的する事例だな、と思った次第です。

 


www.youtube.com

ピエール=イヴ・ドンゼ著 「ラグジュアリー産業」を読む

最近読んだ本。「ラグジュアリー産業」。

 


日本では自動車や家電業界についての分析は多いものの、「ラグジュアリー」という業界がハイライトされることは少ないと思います。
この本を読んで、フランスにおけるコングロマリット企業の急成長や、地域別のビジネスの特徴など、ラグジュアリーブランドのビジネスの全体像を初めて知ることができました。
僕としては、ビジネスの近さという点で、チラッと出てくるフォルクスワーゲングループにおけるアウディの例など「工業グループ」の動きに興味を持ちました。

家電業界は、今までTVのビジネスが典型だったように、技術革新や性能の向上をベースに、いち早く商品を開発し、それをマス顧客をターゲットに早く大量に売り切るという、「規模の経済」と「スピード」が価値の源泉となる高度成長期時代の大量生産・大量消費・大量廃棄ビジネスに最適化してきたのですが、主要市場ではすでにそのビジネスモデルはかつてのような価値を失っており、多くのプレーヤーは次のビジネスモデルを模索し、試行錯誤をしています。
このラグジュアリー産業における価値のつくり方はビジネスモデルの変革において大きな示唆を含んでいると思います。

ラグジュアリー産業においては欧州の生活様式・文化をベースにした欧州ブランドが圧倒的な優位性を持っていますが、この世界で果たして日本のブランドが存在感を出し、ビジネスを確立することができ得るのか。これは残りのビジネス人生で是非挑戦したいテーマだな、と思っている今日この頃です。

「シャルル・ドゴール」「アデナウアー」を読む

 年末年始に読んだ本。


 ドゴールの本を読んだら、それに関係してドイツ側の同時期の状況も知りたくなった次第。自分がいかに欧州の現代史を知らなかったかがあらためてわかりました(というよりもともと興味がなかったということなのですが)。


 久々に子供の頃に見た映画「ジャッカルの日」も見てしまいました。
しかし、こうした本を読むと、どうしても今の日本の政治家が小粒に見えてしまいます。

 

 

小林元著 「イタリア式ブランドビジネスの育て方」を読む

 夏休み中にふと思い立って、10年以上前に読んだきり一度も本棚から取り出すことのなかったこの本「イタリア式ブランドビジネスの育て方」を読み返したのですが、あらためてこんな内容だったのか、と驚き。

 世界で鼻息が荒いアメリカ型の「グローバリゼーションモデル」のビジネスに対して、イタリアのラグジュアリーブランドに見られるような「北イタリア型」のビジネスモデルを、ご自身が東レの繊維ビジネス(Alcantara)で経験された具体的な事例を通じて紹介し、これを踏まえた日本企業のあるべき取り組みを提言されています。

 今でこそこうした内容が一般的に語られるようになってきましたが、この本が書かれた2007年は、まだリーマンショック前でアメリカ型グローバル資本主義が無敵と思われていた時代ですので、当時としてはこの内容はかなり先見的だったのではないかと思います。
少なくとも、当時の僕は、グローバル型ビジネスモデルを追いかけることで頭がいっぱいで、この本の内容にはまったく響いていませんでした。今回久々に読み返して、初めて内容が頭に入ってきた次第。マス顧客をターゲットに効率性と規模の経済を追いかけるビジネスの限界を強く感じる今日この頃、こうした内容は参考になります。

 

 

山口周著「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」を読む

 2年半前に読んだ本です。

 ブラジルにいる間は、時間があればできるだけブラジルの情報を摂取したいと思い、あまり日本の本は読まずポルトガル語の記事と格闘していたのですが、日本に帰ってきてからは心置きなく日本の本を読み漁っています。
 さて、この本、よく目にしていたものの、よくある流行を追った新書の類いかと思い注意していなかったのですが、読んでみてびっくり。日本にいなかったのはたった6年ほどでしたが、日々の仕事においても、ビジネスの世界ではずいぶんいろいろなことが変わったしまったな(自分がすっかり時代遅れになってしまった)ということを強く感じていたところだったのですが、この本には、ふだん漠然と感じていたことが明快に整理されて提示されている感じです(すべてを論理的に説明することは決してこの本の主題ではないとは思いますが)。

 論理思考の普及による「正解のコモディティ化」や「差別化の消失」、あるいは「全地球規模の自己実現欲求市場の誕生」や「システムの変化にルールが追いつかない社会」といった現在の世界で進行しつつある大きな変化により、これまでの世界で有効に機能してきた「客観的な外部のモノサシ」がむしろ経営のパフォーマンスを阻害する要因になってきている。世界のエリートが必死になって美意識を高めるための取り組みを行っているのは、このような世界において「より高品質の意思決定」を行うために「主観的な内部のモノサシ」を持つため -   

こう書くとエラク難解に思えますが、このテーマが判りやすいロジックの積み上げで説明されており、いろいろな社会の事象がこのストーリーのもとに整理されています。いろいろ整理がつかなかったことがこのストーリーでひとつにつながったような感じがしました。