20世紀のはじめ

それこそ

WW1の「戦闘」が

どうにも非人間的というか

欧州の戦場は水と泥で

もう20世紀だというのにただ爆弾で深く掘ってしまい

そこに水がたまって水のなかの塹壕で立ったまま長時間耐えていたら

水のつめたさで血管が収縮して足が壊疽になってみたいな

アホらしい悲劇だらけみたいな話とか

 

そういう「なんか効率もわるくバカバカしいだけの戦争」が

しかもテクニカルにはロー

というか後退さえしているというか

しかしはじめて世界戦争とかいうくらいの規模でやったらそういう

ばかばかしいというだけのものになってしまった

というかんじ

かんじ>?だったと

思うのだが

 

いっぽうで21世紀になったら戦闘というのは

・ガザにおけるイスラエル空爆とか

イスラエルとイランが離れている(’国境を接していない)にも

かかわらずミサイル空中から爆撃とか

のように遠隔戦闘で大量殺傷であったり(そこはテクノロジーはハイ)

 

あるいはウクライナにおけるロシア軍のように

憎しみ(>憎しみが主なのかそれとももともとの習慣なのか?)

による地上戦のあとつかまえて拷問して肉体きりきざむ系のことしてから

殺すみたいな近接刃物的な大昔からずっとある人間のいためつけあいだったりも

する

 

わからん

 

人間のおろかさちゅうか

 

それこそテクノロジーだけハイな最高値としての

科学の結集ゲンシバクダン核爆弾みたいなものは

もはやそれをつくった時点でもう人間の英知なんてもんは雲散霧消して

使ったら地獄で使わなくてもってるだけでも地獄で

互いに同時廃棄もできないしいまもあるし

バカのうんこまみれくらいバカなことが今もつづいている

のであった

 

としかいえないだろ

 

バカだらけで

恥ずかしい

くらいの歴史

 

4月23日(火)

むしろ「オレ以外にも”人間”がいたんだ!」って

おどろくべきである

なにしろ「人間の心」

いまだかつて観測されたことがなく

オレがもっておるこの「こころ」が他人にもあるなんて

信じるわけないじゃん~~え~~

そうなの?あるの?全員に? うそ^^

うそじゃん‘~

 

みたいなことです

わからん読書メモ

『所有論』(鷲田)を読んでいるが

読みおわらないだろうと思ったので終章の最後を先に読んだ

まあわからんが

わからんね

何が書いてあるのかわからんがプルードンの言うことがすごく重要に

取り扱われている感じもしない

 

さて最初から進んできたやつで

ロックに対置されるレヴィナスが出てきて

オレはまったくレヴィナスの言っていることがわからないのだが

レヴィナスは「他者」を考えるーというときに主体性から考えるー

ような人らしいぞ

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sprj/17/0/17_94/_pdf/-char/ja

 

用語も「定立」とか独特だし「外ー越」みたいに「超越」じゃなくてなことばをつかう

造語

 

まあそれで読んでいるのだがレヴィナスが出てきたあとに

「他者の心」問題がでてきた

オレにとってはすこし馴染みのある問題である

 

他者は

なぜオレは他者と出会ったときに他者もまたオレとおなじく

人間のこころをもつ者であると認知するのだろうか?

なにをもってそう思った?

みたいな話である

 

機械でも人形でもなくて人間だ

っていうんですよ

 

このあたりの話は大好きではあるんだが

フィクション(の効用とか)2

じゃあさ

 

フィクションがない場面で他人のセックスとか

想像するのは無味乾燥か?味気ないか?つまんない?

 

まあ他人のセックスじゃなくてもその他他人の運命とか

苦しみとかなんでもそうなんだけど

 

いやさそれはフィクションがもし無かったら無味乾燥

どころかオレの世界なんてすごく狭くて単純すぎる世界だから

たにんなんて出会う人数なんにんだと思ってるんだという世界で

 

フィクションがあったからこそオレは脳の中に妄想をたんまり

育てることができるしできたしできてきたんだよ

 

ここではフィクションはAVのみならず写真投稿雑誌とか

新聞とかドキュメンタリーノベルとか実話投稿文庫とか

なんでも含む(’エロ方面ばっかじゃねえか)

 

新聞がフィクションかどうかってギロンがあるとはおもいますが

あれは確実にフィクションですよ

だってオレがそれを見たわけじゃないし新聞が真実そのものを

書くことも伝えることも不可能です

そうです

 

だから記事は記者が主観で書いているので一面の真実しか

そこには投影されない

 

オレが現実リアルの世界で出会った人のその姿は

「オレの前にあるその姿や言動」であって

他人つまり第三者の前ではさらにちがう姿であることは想像に難くない

のでこれもまたあるいみではフィクションです

 

ちょっと拡張しすぎ?

 

ともかくなにもないところからエロ妄想を組み立てるのって

すごく大変なんですからオレ(とかあらゆる男性はエロ妄想のためだけに)

はAVだけではなくあらゆるメディアアクセス可能なものを総動員して

他人のセックスについて調べそして手記をよみマンガをよみ

他人の妄想するさらに他人のセックスについても熟読し吟味して

はたしてどのような他人の夫婦がどうやって・・・と

長くおもいをめぐらした末に

 

なぜそんなにも懸命でしかも精緻な感性をめざすのやら

当然理由はわかっている

それをしたい(強く)からだ

それ以外の理由なんかねえし

フィクション(の効用とか)

なんでもいいが朝はいいね

朝にやれという村上春樹(その他ほとんどの作家)の

意見はわかる

あさはいい

 

なんかこうたとえば5月1にアゲル月刊日記のテーマ

を考えるならばたぶんどうしてもバイト労働ではない方面

のほうがいいとは思うが社会全体について考えるなどと

いうことはできないのだが公的部門に「バッファ」があるから

余裕がうまれるのは事実でもあるし

民間はくだらない「節約」とやらでそんなことしてても収益にならんのにさ

節約ばかやろうで

合理性というもんがまったくない

とかいいたいんだが

そんな話はあまりおもしろくない

 

どういうところからどういうマネタイズにつながるのかは

考えたいが

考えるより実践したほうがはるかにいいだろ

 

フィクションをみたりきいたりしてそれをもとに

たにんのセックスや他人の思想や他人の想いについて

おもいをめぐらすことは無益かってそんなわけはなく

なるべく言語でいうならばオレの場合は他人のそれについて

考えることそのものが脳内の色付けが味わいふかく滋養のあるものへと

変化していくんだよ

レトリックで言えばそういうことなんだけど

具体的にいうとそういう「感情」がエネルギー素材として入ってくることで

社会などという歴史などというなんなら無味乾燥になりがちなもの

を考えることが突然味と色と匂いのあるものに変化するんだよ

だから考えたいなあって思うんだよ

 

ヴィンランド・サガをずっと読んでいるのはオレが考えるところの

狩猟採集民と農民と略奪民の姿がそこに絵と物語をもって

存在しているフィクションだからさ

だからすげえおもしろいし

描かれていないけど子供がうまれたりしているとどういうセックスしてた

のかなあ~~とか想像するじゃんね

あたりまえにさ

なんでも続けていると

けもの「美しい傷」

台湾でロケったというMVが

人口がすごい

けもの 『美しい傷』 シンプルなプロダクションで主役の歌と詩情を浮き彫りに | Mikiki by TOWER RECORDS

 

羊毛とおはなも20周年

 

なんでも続けていると長くなるというのはトートロジー

続けていると中身が強くなっていくのか

いくだろう

 

そうだろそうだろう

知り合い

知り合いというのは顔を互いに知っていて名前も知って

いて話をしたことがある(親密さはなくてもいい)

ならば知り合いくらいには言えるだろう

オレの知り合いがなんか市長になったみたいだよ西のほうで

 

維新を下したならそれはいいね

応援する

でもオレそこの市民じゃないからなあ

まあそのうちどっかで国政へみたいなことになれば

また話がかわるわけでね

ふうん

ふむふむ