いろいろ

音楽って

うた

を含むので

「どんな人間でもそれを聴いたことがなく歌ったこともないまま

死んでいく人は まず 存在しない」という仮説をたてました

 

本は1冊たりとも読まないで死んでいく人もいるだろう

 

あとやっぱPast Livesをみなくては

なぜならアトロクのウォッチメンと尼は泣き坂の

ダブル取り上げだからね

2週連続(偶然ですけど)

 

オレが見聞きしてる範囲でさあ

そのことがよく登場する感じの

 

あれもそうだよ

「他人にも心があるのか」仮説とか

 

それこそ高橋源一郎のラジオはときどききいてるが

ほとんどまじめに聴いていないのに

今朝きいてた分には「小説家はそれだけでは生業経済なりたたず

バイトする人もいるし意地になって小説だけでやっててついに生活保護

になる人もいる」

だってさ

DJヒロヒトは面白そうだね

6年間かけて執筆できたのは高橋はラジオとかその他人生相談

とかその他いろいろやっておるからです

 

「機械が人間を殺して(抹殺して)それを見たあるいはまた聞きした

人が「そういうことはよくある」と言う

そういう国」を書くとしたらいったいなぜそういうことになっているのか

を考えますよ

ええ

 

 

東京の宿は高い YJ感想(イリオス)

YJかんそう

イリオス

休載が多いのでなかなかすすまないイメージだが

やはりジャンケットバンクと同じでなんかいも読み直したい

こっちはコミックスも買いたい

今週はイネさん’(パリスの妻)が

やはりイネさんはただものではなかった(その情念)ということが

よくわかってとてもいい

しかしキャシーもまた本当にただものではないことを

もっと証明してほしい

そしてエレネは今後に「任務」がくわわった

とてもよい

 

ますますよい

 

ジャンケットバンクは2対2たいけつが

そろそろ終わりそうだが

来週終わるかどうかだねーーー

来週は合併号のやすみでYJありません!

はあ

 

しかし週刊文春ホウ・シャオシェンの映画の情報が

のっていたので

ゴールデンウィーク後半は大阪と東京とそれぞれいくことになりそうだ

東京は日帰りだけどね

だって高いもんね=宿

 

大阪はそこまででもないぞ

なあ

初夏

3日連続でスタバにいきかけたが

顔がほこり(土ほこり)だらけなのでついに直で

フロいって帰宅した

大変すっきりした

木曜

明日は金曜である

やれやれ

長期戦というのはつかれるのう

まあしょうがないか

 

夕焼け写真散歩にいってくるか

ついでに図書館のぞいてもいいし

ああ

もう初夏なんだよ(気温的には)

そうだよね

そうだよ

そーなんす

 

ツナ缶かいわし缶をくって卵をくってタンパク質でなんとかしよう

 

へへいへいへい

 

椎名林檎のBD「エレクトリック・モール」が

とどいた

90’sの熱狂の証拠

がそこにあるという

関係者そのもんがそういうんだからたしかだろう

そうだろう

 

馬産や野菜栽培系農業や牛豚系畜産などの

テーマを漫画で扱うのは

その「大変さ」と「楽しさ」(ものすごい簡略化した要素分解すぎて恥ずかしい)

を表してマンガのなかの人間の姿に「奥行を与える」=「人間の姿の多様なありさまであるとか運命に翻弄されたりトラブルに接したり肉体的に苦しみ疲労があったり金銭的な苦しみその少なさみじめさ・・・」

書いていてそういう奥行ってもとめられてるのか?と思えてきた

もちろんマンガにおいては「そこまでかかんでいい」というものも

あるでしょうねえ

 

少年マンガとしてサンデーで連載してた銀の匙とじゃじゃ馬は

(背景としての経済のおそろしさもかくけれど)基本的に

少年が女子とその他が好きという少年の欲望と

あとは馬や豚など育てたり愛が芽生える(馬や豚に)とかそういう

北海道における彼らのなんか青春が展開するのであるが

そのような青春の展開は「しらんけどなんかロマンぽい」というかんじ

をもって読者から圧倒的な支持をうけた

ポイントは「しらんけど」ではないか

どのくらいその肉体が疲労などでつかれ苦しむのかは具体的には

読者は知らんのだ

 

オレは肉体をつかうバイトをやって思うのだが

いつそれが終わるか(コントロールできるか)を知らんと

無限感があり

人間が苦しむその根本は肉体の疲れそのものではなく「いつ

おわるのかわからんというアンコントロール感」が人間を

苦しめるのである

それに慣れるのは大変だよ

 

しかしポイントとして農系のお仕事は「最終到達点」があり

作物は肥えておおきくなり収穫され

豚も肥えて食べられるようになり

馬は育ってレースに出られるようになる(ならんやつもいる)

 

結果が出るのはいいことだ

どんな結果でも

 

まあつづけるこったいな(自分に向けて)

4月25日(木)

はあやっと木曜まできたぜ

きたぜきたぜ

まあそうだぜ

 

朝はやっと雲がどこかへ流れていき

木曜なので夜明けをみながら車をはしらせおおきな

JRを越える陸橋をわたると

上からとおく東の山がみえて

東の山の上によこにながく覆いかぶさるような雲がみえた

雲はあきらかにひくく山を隠すようにひろがって

まるで粘菌が土の上を水平にひろくひろがって覆いかぶさるそして食う

粘菌は何を食うかといえば

 

菌類・細菌を食っているのだ(知らなかった)

 

解説

https://kagakubar.com/evolution/42.html

 

いわゆる物質循環があり

分解者としての細菌類・菌類がいることは知っていたが

さらにそれを食うのが粘菌(変性菌)であることはしらなかった

あのねば^ーとしたやつらはそういうものを食うていたのか

ふうむ

 

しらないことだらけだね

 

そのように朝はあさらしくかがやいていた

なにしろ高いところが好きだ

だから平な平原に「見晴らし台」みたいなのがあるといいね

 

士幌もそういうのの丘の地帯があるってきくよ

というかそもそもまったいらなどではないし

 

それこそ「銀の匙」(荒川弘)の舞台は帯広だときくが

ちゃんと読んでいないのでわからぬ

 

銀の匙とじゃじゃ馬(略(

は二大北海道自然牧場系大河マンガとしてちゃんと読みたいところである

オレにはそういうちゃんと読み返すべきというマンガが

多すぎる

リスト化して読みにいくべき

そうしないと一生読まない

そういうアレが多い

「そうしないと一生それしない」

海外旅行だって死ぬほどいきたいほどではないものの

その一歩手前くらいには「すごくいきたい」のである

 

すごくしたい

それをしたい

 

じっさい「旅」においては現地にいってから

ぽかーんとしてしまうこともあるので

事前のしらべも重要であるというのはこれまでの経験でオレが

学んだことであるが他人に言うほどのことでもない

 

旅の記憶というのは案外どうでもいい光景のほうが

脳にのこるもんでね

 

 

連続(してスタバに行ってしまう)

魂の救いを

求めて

昨日も今日もスタバにいってしまうが今日ははじめて

トリプルショットエスプレッソラテにしました

550円

こういうの毎日いくと破産するかね

オレの昼飯弁当なんて280円だというのにね

 

まあ読書はつづくわけです

所有の話がどこにつながるのか分からなくても

古今の哲学者たちはだいたいけっこう卑近なことを

言っている人間のしょうもない姿をとりあげている

そして石原吉郎は抑留における食糧の圧倒的不足において人と人が

ぎりぎりの対峙して2つにわけるという行為の緊張を書いている

のだそうだ

読むだけで胃がいたい

しかしそれはもうそうなると

相手が憎いとかそういうことではなく

相手は食糧を分け合い体温を分け合う生命のぎりぎりのところの

「相手」であって

しかも別れたあとは一切思いださないという決裂であり

つまりもう相手は人間であるようにはみえなくなっているのではないか

というのがオレの考えである

たぶんオレの考えは違うとしてもとてもじゃないが友愛のゆの字も

そこにはないわけだし

刃物で向い合うだけの関係性

 

ちょっと極限すぎて考えるも考えられないところである

日本軍とその戦争を生き延びた人の書くものは

水木先生もそうだが

壮絶すぎてわからなくなってしまうところがある

 

もちろん比較はだれでもそれをする(ヒューム)とはいえ

それが何か他のものと比較して一番壮絶だなどと言うつもりはない

 

夕食をくったので明日も早くおきるぜんていでさっさと

寝ることにする

三連休の前に明日と明後日はあつい日になるというので着替えフロ着替えである

外で肉体がバイトである

やりゃいいんだよやれば

おわりはくるしね

抑留にくらべたらなんでもマシだ

 

このようになんでも比較にいれてしまう

 

 

メモ(『所有論』つづき)

『思考の技術論』からの孫引きになるが

吉本隆明エンゲルスの集団婚姻から個別婚姻への想像を批判して

「人間が嫉妬から解放されたことなどいちどもない」と書いている

そうだ(メモつくった)

 

それと同じくなのか関連してなのか

ヒュームも「所有」の「人間同士でのたたかい」について

「誇り(自負)と卑下」「愛と憎しみ」という強い感情についての分析に書の紙を割いているそうな

(出典はヒューム『人間本性論』の所有の章ではなく二巻の一部二部だそうです 章立てタイトルをみよ)

 

そうだろうね==権利(あるいは所有)とか思ってたら

そこに他人に「分け与える」とか「許す」とかよっぽどのもんだよ

 

そしてヒュームは「比較でしか考えられない」ことを書き

それに関連して

ニーチェの「否」からシェーラーは「ルサンチマン」について書いたがこれもまた嫉妬?からのおそろしき否定の感情である

それは自分をまもろうとするこころでもあるんだってさ

このあたりぐさぐさくるね

先人はとっくにこういうことを考えていたってね

欧州人であるかなきか関係なくなるべく「人間があつまっている」

ところではみんなそうだねっていうね

 

そして石原吉郎がでてくるのでびっくりしたオレが

見聞きしてるもんおおざらえなんでも出てくるねこの著作