明日へのメモランダム

2018-07-02 『万引き家族』鑑賞記

 「万引き家族」を昨日、鑑賞してきた。BGMはほとんどなしで、延々と、今の日本では存在できないような、ボロボロの家族らしき共同生活と、そこでの昭和的絆が、描写される。物語性がなく、途中で、席を立とうかとも思わされるほどであった。そういう意味で、かなり実験的な、娯楽性を排除した、是枝監督による「映画作品」であると感じた。最後までみると、実は、物語はすでに展開しきっていて、「万引き家族」という形で、何かが残っている、その生活と関係性を、延々と描写しているような作品であったことが見えてくる。最後の10分ぐらいで、納得がつく映画だ。前回の日本人監督によるパルムドール受賞作、今村昌平監督の『うなぎ』とつながる、主題性や描写の仕方を感じた。ハリウッド映画とは対極にあるような、社会性の、それも辺縁から描くような社会性を持った作品である。


 仕事や、金銭、地位、名前、家族を失ってまで、なにが残っているのか、そして、何が脈打ち生きているのか、また、その場所から、仕事や金銭、地位、名前のある表の世界の場所が、どう映るのか、そういうことを体験させてくれる映画である。おそらく、こういう体験を共有していくことが、是枝監督の本来の意図する所でもあるのではないか。そのくらい、日本社会が削り出してきた傷が深くなっているのだろうかと思う。「そして父になる」が、先々週ぐらいにTV放映されていたが、そこでは、落ちぶれた街の電器屋が、まだ、かろうじて生計を立てて、生き生きと描かれていた。しかし、今回の「万引き家族」では、同じ雰囲気の絆や場所が、もうすでに、夢のような非現実的な世界に移行してしまっているような形で描かれている。映画終盤で、駄菓子屋が「忌中」で閉店となり、その後、ガラガラとはかない夢が崩れるように展開していくのが、シンボリックであった。


 「万引き家族」という題名の意味合いは、実際の万引きとは、別のところにもある。これは、「そして父になる」と同じ主題で、是枝さんの根深いテーマのように感じる。また、そういう形態の中に、なにか、真実味のある関係性が析出してくる。そもそも家族の元、男女関係は非血縁関係からなっているものだ。


 この映画をみることで名のある世界の出来事というものを、ちょっと脱臼させながら、見上げることができるようになる。結局、名のある世界が貧困虐待などの非道を生み出している、人間性を脱価値化する原因にもなっている、そして名がなくてもできる絆もある、そんな斜にかまえたというか、逆に地に足のついた余裕感である。特に、日本社会は、きれいで優秀な商品を生産する分、それを支える名のある社会の中の圧力が強すぎて、その輝かしい商品生産の影になるひずみが大きいのだと思う。日経ビジネスオンラインを見る時にでてくる、夢と主張を語るピリッとした社長たちの姿、おそらく、万引き家族の構成員を切り捨ててきた社長たちの姿、それを、すこし別の場所から、楽にみれるようになる。そんな効能が、『万引き家族』にはあるので、最後の10分まで我慢してみることを勧めたい。


 最後に映る少女は、ベランダの隙間から、ボロボロでも家族の温かさを身にまとったおじさんの面影をのぞきこむが、その視線には、最初に拾われた時に比べると、おそらく、なにか抵抗力をもった、救いのあるようなものに成長しているのではないかと思った。彼女は、傷に手当てする母親らしき人の体験を持っており、また、虐待する母親に「否」をいうことができるようになった。是枝監督は、児童施設に保護された、自分やスタッフに、絵本を読み聞かせてくれた女の子のために、この映画を作ったのだとも、インタビューで話していた。


 なお、音楽は、極めて抑制的に使われているが、要所要所で、非常に効果的でもあったと思う。最後のエンドロールで、担当が細野晴臣であることがわかり、妙に納得した。

2018-04-14 文藝春秋5月号に寄す

  特集名に誘われて、5月号の『文藝春秋』を購入したのだが、普段愛読している日刊ゲンダイを読むのと同じようなストレスのなさを感じ、驚いている。安倍のように平気でうそをついて、責任をごまかしながら、美辞麗句をいってけむに巻く輩と長年つきあい、苦い経験を重ねてしまった身からいうと、「訣別」という表現が適切であると感じる。未練を残すと、変わることはできない。もてあそばれるだけである。


文藝春秋 5月号 総力特集『安倍忖度政治との決別』

http://bunshun.jp/articles/-/6901

 『安倍政権旧日本軍の相似形』

  半藤一利 保坂正康 辻田真佐憲 より

辻田氏「同時に、国をまとめるための「国民の物語」を再構築する必要があるとも感じます。戦前は建前上、天皇のもとで国がまとまり、政治家官僚から市井の国民に至るまで、自分が貢献すべき「国家」のイメージを持っていた。戦後に「国民の官僚」が生まれないのは、こうした便宜的な物語を欠き、「公共」のイメージが曖昧なまま来てしまったからではないでしょうか」



 これは、私の問題意識と相通じるものだ。例えば、欧米は、社会の基盤的物語として、形骸化しつつあるとも、キリスト教精神があり、それが、公共性を担保している。日本には、それがない。神道は、世界宗教からみると、未開宗教みたいなもので、それの生む公共性というのは、安倍政権や安倍行政のような、人治、忖度、歴史修正、事実無視に堕していく。以前の記事でも指摘したが、「法」を内包していないのだ。今回、その限界が見事に、目前に証明されつつある。

 法治にして、歴史から学び、非を率直に認めながら、かつ、過つ可能性のある人間として支えあい、歴史とともに歩を固めていく、そして、「忖度」するにしても、特定の人間ではなく、そういう原理に忖度しながら、人治を超越した所に基礎をもちながら、治を協働的になしていく、そういう社会に脱皮していく必要があると思う。


辻田「今の時代に即した公共心を共有すれば、不都合な事実を隠し続けるのが、いかに公共の利益に反することか、訴えやすいはずです。むしろ、それができなければ、このまま十年二十年たっても、佐川氏をはじめとする当事者たちは、事実を語ってくれないかもしれない。私はそれを非常に危惧しています」


 これも、同感。人治を超え、かつ、人治の基礎になるような「公共性」を、新たに日本人が持ち得なければ、おそらく、身もふたもない佐川氏のような官僚が、あるいは、安倍氏のような政治家が、はびこって恥じない国になろう。辻田氏と同じ問題意識に対しての私の答えが、以前から言っている以下の記事である。


【過去記事紹介】「朕-臣民-国体」から、「人間天皇-国民-国体」へ

http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20170316

 日本の歴史性と、民主主義社会、大戦の反省といった要素を合わせると、「人間‐天皇」という象徴は、新たな国民の物語を醸成していく上で、外せないだろうと思う。日本国民のフォーマットであり、外交のフォーマットになるようなものだ。

2018-04-05 皇居乾通りの花見から、戦没者慰霊の道へ

皇居:桜、39万人楽しむ 乾通りの一般公開が終了

https://mainichi.jp/articles/20180402/k00/00m/040/024000c


 先日、東京に行く機会があり、これに行ってきた。千鳥ヶ淵を通り、戦没者墓苑に献花した後、九段に抜けて、靖国神社に初めて入る。戦没者墓苑のまばらな人通りに比べ、靖国神社は多くの人でにぎわいをみせていた。

 戦没者墓苑には、遺骨そのものが、いまでもマリアナ諸島硫黄島から帰還し、供養されつづけている。対して、靖国神社には、身体性を排除された英霊が祀られている。あそこには、「墓」といえる場所はなかったのではないだろうか。この戦災に対するリアリティの差がまずは、感じられた。強かった栄光の日本、威勢の良い軍人像や、ゼロ戦、大砲などの武器展示、そういうものに、自分を重ね合わせて、誇りに感じるというか、酔いしれるというか、そういうメンタリティーがなくはなかろう。しかし、あそこは、終戦で歴史が終わってしまっている施設であると感じた。

それに比べ、千鳥ヶ淵で献花すると、何か、あのような戦争を繰り返さないような、決意じみたものを感じさせてくれる。そして、それが、方角的にはおそらく、「人間天皇」の居られる皇居にむかって祈られることになる。それに比べ、靖国の場合は、未来に向かう祈りの通路というものが、どこにあるだろうか。過去栄光とやらに酔うこと、そこから出てこれるのかだろうか。

 

 話題の遊就館にも、社会勉強をかね、入ってみた。満州事変については、関東軍が行ったことであるという記述はしっかりしてあった。最後には、痛々しいまでの、女性の髪で「必沈」と編み上げられた応援旗の展示もみられた。そして、祭神として、多くの戦没者の写真は掲げられていた。神国日本は、悲惨な末路をたどったが、これからこうしていこう、そういうヴィジョンは、遊就館の中には、なかなか見当たらない。昭和天皇の「新日本建設に関する詔書」が、最後の最後に展示されてはいるが、本当は、そこからの歴史が重要なのだと思っている。今上天皇は、在位の間、靖国神社に詣でることはなかった。「親の心、子が知り保ち続けた」ということだ。彼がいるからこそ、日本会議安倍内閣の世であっても、日本はアジアの中で存立でき、あるいは沖縄も日本につながれ続けている、そういう紐帯になってくれている。あっぱれである。



Wikipedia靖国神社問題』より】

https://ja.wikipedia.org/wiki/靖国神社問題


2006年になって「富田メモ」に、昭和天皇A級戦犯合祀を不快に思っていたと記されていたことがわかった[33]。以下は該当部分。


私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、

筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている

だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ


日本経済新聞社富田メモ研究委員会」は「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。







千鳥ヶ淵戦没者墓苑の六角堂

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今上天皇の歌碑

「戦なき世を歩みて思い出づ かの難き日を生きし人々」

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千鳥ヶ淵 皇居のお堀の名称とのこと 貸しボートでにぎわう

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靖国神社から出る  

いかに靖国を乗り越えるのか。今後も日本には、ずっと問われ続けるだろう

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陛下、「お忍び」で皇居外を散策 遭遇の通行人、驚く

2018年4月2日09時19分

https://www.asahi.com/articles/ASK422GLFK42UTIL001.html

突然の「お忍び」の散策に、遭遇したランナーや通行人は驚いた様子で、立ち止まってあいさつをしたり携帯電話で撮影したり。両陛下は足を止めて声をかけるなどし、乾通りにつながる乾門の前では手を振ってこたえた。5分ほどの外周の散策を終えると、乾門から皇居へ戻った。両陛下は2014年4月にも同様のルートで皇居外を散策し、周辺のサクラを眺めたという。

/たまたま、天皇皇后陛下も、お花見散策をたのしんだようだ。来年の今頃は、こんなゆっくりとした気分ではおられまい。皇位最後ののんびりとした雰囲気での花見だったのではなかろうか。今上天皇は、在位の間、靖国神社に詣でることはなかったことになる。「親の心、子が知り保ち続けた」ということだ。

2017-11-22 ガッティ指揮、コンセルトヘボウ マーラー第4番 17年11月 日本公演

  半年ぐらい前に、カーラジオをつけているとNHK FM ベストオブクラシックで、マーラー2番『復活』が流れていたのだが、これがすごい貫禄のあるテンポ感で、かつ、音楽の構築がギリギリ崩れず、壮大な伽藍を提示してくるようなこれまでにない演奏で、瞠目しながらきいていた。それが、ダニエレ・ガッティ指揮、コンセルトヘボウ管の演奏であった。「ガッティ」で検索したところ、幸運にも11月に来日するとのことで、昨日、サントリーホールで、念願のガッティ指揮、コンセルトヘボウ管のマーラー交響曲第4番を堪能してきた。会場で販売していた2番『復活』のCDも購入し、演奏後にガッティのサインもゲットすることができた。

 彼は、昨年の9月に、コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者に就任したばかりとのことで、コンセルトヘボウだからといって尻込みなどなく、これからやってやるぞ、という意気込みがみなぎった指揮者だ。小澤征爾もそうだし、握手もした樫本大進もそうだが、大器のある演奏家なり芸術家は、独特の率直さとオープンネス、健康さがあるものだと感じる。その中にきわめて繊細な感性と、力強い構築力を兼ね備えているものだと思う。ガッティのサイン会では、「Your tempo is fantastic, I think.」と賛辞を贈らせてもらった。最初警戒した表情でおられたが、破顔笑顔で「Thank You!」と返答してくださった。半年前のラジオでの感動を、直に、世界的指揮者に伝えることができるというのも、すごいものだ。日本人らしく、みんな粛々とサインもらってたが、もったいないね。サイン会やるぐらいだから、演奏家も一瞬、ひとことぐらいだったら、聴衆の感想をききたいんじゃなかろうか。


 ハイドンチェロ協奏曲は、とにかくチェロもうまいし、オーケストラもしびれるほど一体化したサウンドで申し分はなかったが、なかなか身が入らなかった。しかし次のマーラーは、最初から最後まで、ガッティの振るコンセルトヘボウ管の音楽に、息をのむように聴き入ることができた。ラジオできいたガッティの解釈によるマーラーが、そのままに、目前に生で展開されているわけだ。枯山水のような静寂なピアニッシモが極めてゆっくりと続いたかと思うと、いきなり振り切れるような壮大な伽藍があらわれる。それも、管弦ともに一糸乱れぬ凝集力がある。特に、第一楽章の最終部は、驚くほどの表現力だった。

 テンポが遅い方に振り切れるだけでなく、早い方にも振り切るときがあり、また、ピアニッシモフォルテッシモの差も効果的に表現されている。それは、彼の確信に満ちた音楽的な解釈によるのだろうと思う。ピアノポゴレリチを彷彿とさせる所がある。こういう演奏は、N響ではなかなかできないだろうし、小澤征爾を拒否したように、もしかしたら、受け入れられないかもしれない。しかし、マーラーも指揮をした、創造の源を受け入れるコンセルトヘボウであるからこそ、こういう音楽表現の自由さを許容する度量と技量があるのだろう。私としては、大いに評価したいし、応援したい指揮者である。



【参考】

マーラー1860-1911) 交響曲第2番『復活』 ダニエーレ・ガッティコンセルトヘボウ管弦楽団HMV

http://www.hmv.co.jp/product/detail/8233405

大枚果たいて、生演奏きかなくても、これでコンテンツ的には堪能はできるが、ライブの経験は、代えがたい。



ガッティ指揮「マーラー第4番」ロイヤル・コンセルトヘボウライブ

https://www.youtube.com/watch?v=7toiS71nBK8

21日に、サントリーホールで聴いたのと同じメンツのものが、Youtubeですでにあがっていた。私が生で聴いたものと同じ解釈による演奏内容である。

2017-11-18 小澤征爾指揮、ボストンフィル マーラー『復活』 89年12月日本公演

[] 16:29

 クラシックギターセゴビアもそうだが、とびぬけた演奏家は、やはり巨匠になる前、若い頃に迫真のものがあるのだと思う。YouTubeのおかげで、そういう映像や録音に、簡単に触れることができるようになった。


マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」

Sop シェレンベルク Aluto 伊原直子 合唱 晋友会

ボストン交響楽団 指揮 小澤征爾

1989年12月5日 大阪フェスティバルホール

https://www.youtube.com/watch?v=QH5Q4qfrvqs&feature=youtu.be


 大学時代に、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏CDで、この曲をよく聴いたものだ。彼が、こういうテンペラメントで実際に指揮をしていたのか、と、今回通してみさせてもらい、非常によくわかった。特に愛好していた2楽章の踊るような指揮振りは、そうだったのか小澤、と感激ものである。全5楽章で、1時間半の映画なみの長さだが、久しぶりにクラシック音楽動画を食い入るように見入ってしまった。第1楽章が終わった後で、おもむろに小澤征爾が指揮台をおり、前にある椅子にすわってしまったので、これは何なのか不思議に思ったが、もともと、「1楽章の後で5分以上の休憩をとる」というマーラーの指示があり、それに忠実に従っていたものだとわかる。こういう所も、非常に新鮮に感じた。

 演奏のみならず、カメラアングルが、黒澤映画ばりに昭和の迫力にみちているなと思ったら、最後のエンドロールで、演出が「実相寺昭雄」とでた。どこかで聞いた名前だなと思ったら、ウルトラマンシリーズの監督である。彼は、クラシック音楽にもかなり入れ込んでいたらしい。小澤と、アルトの井原と、実相寺、当時の日本人の才能が、1世紀前のマーラーと、当時のいまだ光輝いていたアメリカ国のボストンフィルと、リンクしあった、迫真の日本公演だったのだろう。

 小澤征爾は、私が成人する頃には、すでに世界的な日本人指揮者として持ち上げられていたのだが、どこがすごいのか、今一つよくわからなかった。大野和士は、FMでモーツァルトオペラ序曲を聴いたときに、「これこそオペラというべき品と艶と歌うようなリズムが息づいた演奏だ」と感じ入ったものであり、山田和樹も独特の精密さとやさしさのある音楽で、一聴一見してよさがわかった。小澤征爾は、何がすごいのか、特にマーラーのCDを何枚か愛好して聴いていたとしても、なかなかよくわからなかったのだが、この実相寺演出マーラー『復活』をみて、はじめて彼のテンペラメントの並外れたものをみさせてもらった気がする。

 それは、みて聴いて美しいという、品のある美、というよりも、それを超えたところに力点があり、それをつかんでそこから湧き出づるような音楽である。最終楽章にみるように、なにかを浄化するような力をも持ちあわせるような迫真の音楽であるし、2楽章にみるように、柔軟性のある喜びでもある。それに呼応するように、アルト井原の4楽章の独唱の迫真の美しさがある。合唱もそうだが、マーラーインスパイアされたクロプシュトックの詩が、そのまま飛び出てくるような、意味をもった歌になっている。おそらく、パブロ カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲の演奏にも通じるような、「凄み」が小澤の指揮がつくりだす音楽場にはある。それは、エネルギーの満ち溢れていたこの時期の演奏に、特によくみられるのではないだろうか。日本でなされた公演だが、数あるマーラー『復活』の録音、録画の中でも、指折りのものではなかろうか。

 この小澤征爾の才能は、日本国内では開花しなかった。当時のアメリカにわたってこそ、あの独特で自然で、自由奔放な指揮振りが、おおらかに認められ、当地の名門オーケストラの指揮台を得て、オーケストラをかのように鳴らすことができるに至ったのだ。小澤は、1959年ブザンソン国際指揮者コンクールに優勝し、帰国N響指揮者として迎えられ活動を開始しているが、1961年には、さまざまな理由があったのだろうが、N響からボイコットされるという事件がおきた。


Wikipedia 小澤征爾 N響事件 より

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE

毎日新聞 原田三朗「しかし、ほんとうの原因はそんな立派なことではなかった。遅刻や勉強不足という、若い小澤の甘えと、それをおおらかにみようとしない楽団員、若い指揮者を育てようとしなかった事務局の不幸な相乗作用だった」


その因縁は生きていて、89年のこの日本公演は、NHKが放送することは決してできず、毎日放送開局40周年 記念特別番組ということになっている。

 

 今、小澤征爾は82歳、2010年の食道癌をどうにか克服し、「セイジ・オザワ松本フェスティバル」(旧サイトウ キネン フェスティバル)、「スイス国際音楽アカデミー」で、後進の指導にあたっているようだ。私が注目している山田和樹も、小澤征爾にみいだされた才能である。現役指揮者としては、若い頃のようには活動できなくなってしまったが、小澤の音楽に向き合う破天荒なまでに真摯で天満な姿勢は、今もってしても、世界各地の若い演奏家インスパイアをあたえている。



【参考動画】音楽ドキュメンタリー小澤征爾ボストン交響楽団と共に20年

      1993年小澤征爾さん58歳の頃のドキュメンタリー

https://www.youtube.com/watch?v=h0pOr1kTX-s

 

 小澤征爾が、ボストンという街で本当に歓迎され、音楽を通して素晴らしいものをもたらしてくれる「よき人」として受け入れられ、かつ、影響を与えていることが、よくわかる番組。青年時代の指揮映像もある。

 ベルリオーズ作品に出演する、2人の女性歌手のインタビューがあるが、私が『復活』をみて受けた小澤の音楽に関する印象と同じようなことを、うれしそうな顔で語っていた。あの当時、あの場所での彼の存在が、ボストンフィル全体に、一体感をもたらすような場をつくっていたのだろう。深い音楽というのは、芸術の世界のみならず、学術的、倫理的、政治的にも、大きな影響を及ぼす潜在力になるものだ。ハーバード大学のある街、ボストン1979年から1989年の20年間の、メンタリティーを、小澤が支えていた部分があるかもしれない、とまで思わせた。人と街と時代との、一期一会である。