日本会議・国家神道への根本的な批判を要する

この9月3日の内閣改造で入閣となった22人中、17人、ほぼ8割が、戦前の国家神道につながる思想、宗教観ををもつ、『日本会議』に所属していることが、ツイッターの一部では、話題になっている。


新閣僚内の日本会議メンバー 
http://pic.twitter.com/kx4hPxCMXK


日本会議役員名簿
http://www.nipponkaigi.org/about/yakuin
基本は、神道関係の役職を持つ者が、中心となっていることが、よくわかる。役職名のみあげてみる。

[顧問]
神社本庁統理 神道政治連盟常任顧問 神宮大宮司

[副会長]
神社本庁総長

[代表委員]
熱田神宮宮司 神宮少宮司 神道政治連盟会長 
靖國神社宮司  明治神宮宮司  東京都神社庁庁長

(参考)
英霊にこたえる会会長
埼玉大学名誉教授 長谷川三千子

[理事長]
明治神宮崇敬会理事長


 日本神道というものが、江戸の国学末期の平田篤胤にいたる独善的狂信的発展により、その本来の姿をゆがめてしまったと私は思っている。安倍晋三的なものを本気で批判するなら、日本会議の思想、宗教、これは国家神道そのものであろうが、これを批判する必要がある。そして、それは、その基になった国学というか、平田篤胤の異形神道を、根本的に批判することであろうと思う。この明治を生み、昭和で終末にいたった日本の過去の思想的遺物は、石原慎太郎を12年の長期に渡る都知事の座におく土台の上に、増長した石原に尖閣問題を起こす隙を国民が与え、さらに、小沢政権を検察が葬り去り、安倍政権誕生にたって、容赦ない増税で、国民の血を吸い、NHKを支配ながら、新しく姿を現してきた。ブルドーザーで、安倍NOといったり、官邸前で、警察に囲まれながら叫んだりしても、このエスタブリッシュメントを養う、吸血鬼のような過去の遺物を退治はできなかろう。さて、どうするか。各自、問われているのだ。
 はっきりさせなければならないのは、国家神道は、昭和20年8月15日に、天皇人間宣言した、あるいは、させられたことで、崩壊しているという歴史である。この事実から、始めることが、むしろ、日本にとって、前に進む持続可能な道だと思っている。この機会に、「日本会議カウンター」の一つとして、これまでにブログに挙げてきた、新しい日本の国家観をまとめておく。要は、日本人に天賦の人権という意識が持てるかどうかにかかっている。私は、「天皇人間宣言」を、真剣に受けとめ、人間に下った天皇とともに、新たな歴史を歩んでゆく日本人という形で、人権尊重の礎を作れるのではないかと思う。かつ、日の丸象徴を、現人神との一体化、神国の象徴から、本来の太陽神象徴に戻すことである。これは、偽太陽神といってもいい原子力への崇拝、執着から、自然エネルギー国家への転換を意味している。また、核被害国としての核廃絶への決意表明にもなる。以下、そんな思いをつらつら書いてきたものの集積である。




2014-06-28 人権、反戦国家日本の立国と、米国からの独立
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140628
天皇人間宣言したいま、日本軍が命がけで守るのは、日本人各自の人権なのである。ここに、天皇も含まれている。」ここに一国の立国がある。


2014-06-25 戦争は職業軍人に任せられるべきではない
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140625
「日本人の軍隊」という本来の目的をはずれ、何らかの、誰かの、利益や怨念のための軍事行動に、走らされてゆく。徴兵制では、そうはいかなくなる。上官も、国民の命を直接使うための、かなりの説明責任と、高潔な倫理感、バランス感覚を要求される
そういう国に、日本がなることを、私は夢見ている。それこそが、先の大戦を、発展的に乗り越え、無駄死にさせられた山のような戦死者の御霊を弔う、そういう本当の道だと思う。


2014-06-13 日本国憲法の精神に立ち還るために、尖閣再棚上げを要する
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140613
日本国民は、石原を始めにした、軍事国家化をよしとする勢力によって、尖閣諸島領有権という、「賄賂」をすでに受け取ってしまっている状況にあるのだ。それは、日本国憲法の精神を犠牲にしたうえでの賄賂に相当すると思う。
また、その勝手な贈収賄成立のおかげで、中国の脅威を傘にかけて、秘密保護法が通され、オスプレイが市街地を飛び、軍事費増の論拠を与え、国民自身の権利がひとつひとつ、徐々に崩れていく。



2014-03-01 勝海舟の心の中にあった「日本」
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140301
靖国のある前から、日本人の中に芽生えた日本であり、江戸をも、あるいは明治をも超越する次元をもつ。そして、松本はこうまとめる。「勝海舟は世間が「尊王」か「佐幕」かとさわいでいるとき、まず第一に(正確にいえば佐久間象山に次いで)「日本」に目ざめた国民であった。それは、「国民」という概念がまだない時代のネーションの自立だった。」



2014-01-28 日本が自ら総括すべき闇としての福沢諭吉の「愉快」
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20140128
年明けの、岩上の福沢諭吉関係のツイートには、何か、明治から現代に脈々と続く、日本人の政治的身体感情の闇の正体というものを感じさせた。「学問のすすめ」は読んだこともなく、福沢がどういう思想の持ち主かは知らなかったのだが、ここで述べられていることは、一つの日本人男性の「常識」、「強さ、父性の証明」のように、現在に至るまで続いているように思う。身近な、戦中派世代の男性(有体に言えば私の親だが)でも、「朝鮮人は悪い奴ばかりだ」「世界で最も劣った民族だ」といってはばからない者がいる。世界を回っていた、その世代の親がそういっていたと。そんなことはなかろう、朝鮮人でもいい人はいるし、どうしようもない奴もいる、民族全体を否定することはできないと反論すると、相手は感情的に、「オレの常識、強さの証明を受け入れないのか、この野郎」といった感じの空気感を漂わせる。この感覚は、今現在でも、確実に、石原慎太郎的なもの中に現れているし、その中核は、安倍晋三にもある。彼は、中国、朝鮮、韓国人を、すでに、対話の相手とみていない。ここに、ドイツが戦後、国をあげて乗り越えてたもので、日本が国として乗り越えていないもの、放置している人倫の欠如があるとともに、それが今は、米国の一部勢力に利用されているような、日本のトラップがあると私は考えている。



2013-07-31 靖国を乗り越え、日本が前に進むための一つの構想
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130731
 もし、こういった自覚があるならば、「靖国の理念、つまり、神国日本の天皇と、国民は忠孝一本で連なり、この皇国を守るために殉死するなら、靖国に祭られ、天皇が拝みに来てくれる、こういう理念は現代の人権や自由といった基本的理念から考えるとあまりに無謀なことであった。日本は、靖国国家神道を作ってひどく無謀なことをしてしまった。」こういう、反省に向かうと思う。そして、こういう反省がないと、日本の歴史は進歩しない。実際、また、元の木阿弥に戻りそうになっている。
では、靖国を超えて、何のために国家としてまとまり、そして戦うのか。ナチズムの反省を受けて成立したドイツ基本法の第一条は、憲法秩序の最高善として人間の尊厳を尊重するとして、次のように掲げられている。
「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは、すべての国家権力の義務である」
  さらに、Wikipediaをみてみると、あらかじめ、麻生のようなナチズムをまねたがる政治家が出現して憲法を改正しないような仕組みが書き込まれている。このあたりの事を「戦う民主主義」というらしい。
  私の秘かな持論としては、このような天賦の人権の尊厳を高らかに認め、これを守ることを一つの大きな基本に置く憲法を制定するとともに、そのために戦う軍隊を、民衆の手に取り戻すことである。それによって、軍隊内の組織の風通しを良くするとともに、軍事目的を逸脱させないような監視を、国民が責任をもってやれるようにする。つまりは新、徴兵制である。しかし、これは「軍事国家」復古を口にするような石原慎太郎のいうような徴兵とは全く別の意味である。



2013-05-20 「日の丸」象徴をレイシズム尊皇攘夷的興奮から救出できるか?
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130520
つまり、日本人にとって、各人の「人権」が尊重されるべきものであるという観念を獲得することは、天皇人間宣言から、これを本気で認めることから、始まるのではないかと思う。人間宣言を本気で受け止めれば、天皇の神性につながるかたちで、自己の存在、権利の基礎を置くことはできない。彼は、一国民と変わらぬ、人間であると、自らいうのだから。その先に、失われた神性の先に、日本人が、自己の存在そのものに、尊重すべき、侵すべからざる基本的人権を見出す方向にいけるのかどうかである。新たな日本の国の統合性として、現人神天皇と人民との、忠孝一本によって形成される国体から、個人の尊厳の方向に、守るべき対象は、移行してゆくだろう。それを、どう日本的に位置づけるのか?



2013-05-04 『自由意志による従属』としての日米関係、または『自由からの逃走』
http://d.hatena.ne.jp/sarabande/20130504
サンフランシスコ講和条約時、米日支配層が、お互いが正直にいって戦争犯罪を犯した国であること、および、反共であったことから、ある種の結託をした。米国は、日本に頭を丸めて周辺諸国へ謝罪賠償させないようにしむけ、核攻撃という自国の戦争犯罪を、返す刀で批判されないようにした。これは、アジアの中での日本の独立した信頼回復、尊厳の回復のブロックにつながり、サンフランシスコ講和条約での主権回復とは言うが、なにをするにしても、動くにしても米国のお墨付きが必要になった。ここから出ようと、日露、日中と日本独自の外交を政治家がしはじめると、特捜検察、マスメディアが積極的な転覆にかかるようになる。アメリカの虎の威を借りて、中国朝鮮を下にみるような、軍産複合体につながる財界に支えられた「親米保守」が変わって台頭するようになる。