うっほほ〜い♪
またもや東急ストアの鯛の口に寄生虫タイノエ。
小さい方がパパで、大きい方がママで、ママのお腹には赤ちゃんがびっしり!
狭苦しく不確実な穴ぐらをわざわざ選んで潜む肝っ玉母さんファミリーだ。
同じ店で前回見つけた個体と宿主はしばらくアルコールに浸して脱脂した後、
乾燥標本にしようと干したらそりゃ当然なんだが見事に茶色くミイラ化した。
今回は敢えて液浸のまま白くして、上等な標本ビンにでも収納して楽しもう。
裏に青いプラ板をくくりつけて科学博物館っぽく演出したいな。
で、ときどき眺めて晩酌するんだ、しみじみと。ダンチョネ〜。
そしていま部屋にセミエビが1頭いる。
死ぬまで大事に飼って、死んだら剥製にする。
食い意地のために殺すことはしません。
でもまあ死んだ直後の腐敗が進んでない段階なら茹でて食べても大丈夫かな。
もう何度も言っているが、良いアウトプットの為には良いインプットが必要なんだ。
ってことは当然、良いサーランギーの為には良い甲殻類が必要なんだよ。
今はインプットの時間。頃合いにまたアウトプットすっからお楽しみに。
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『 THE世界一展 〜 極める日本!モノづくり 〜 』開催にかこつけて、
行かなきゃと焦っては忘れてきた日本科学未来館に、ようやく。
お、いい形の釜だ。変な紋様が無ければより良い釜だ。余計な装飾を。
あれっ、この電卓、俺がいつも使ってるやつにそっくりだわ。同シリーズか。
うーん、こうしてまとめて眺めると、通底しているのはやはり無私なる心。
「顔も知らない誰かのために、その技術をもって我々はいったい何ができるか?」
この想いがさらなる技術に繋がり、安全性、確実性、使用感に還元されていく。
こうした展示の本望は、僕らの暮らしに当たり前のように存在する構造が、
知らない誰かが築いてくれているおかげなんだよなぁ… と改めて実感するところにあります。
得られた感激を元にいつか自分もアウトプットして、結果また誰かの当たり前に繋がれば嬉しい、
そういう相互な想い合いが島の内外を飛び交っている状況に想いを馳せる、
いわば気付きのきっかけ作り会といったところか。
ほら時々いるじゃないか、鬼の首とったように、
「世界一とか素晴らしいとか自画自賛しちゃってホント恥ずかしい…
こんな自惚れた愚かな国はさっさと滅びればいい… もっと世界をみろ…」云々。
「日本の技術は」の文言で賞賛している対象はあくまでその技術と手がける職人たちであって、
日本を恥ずかしがる人を含めて褒め讃えているわけではないのですから、
日本を恥ずかしがる人が日本を恥ずかしがるのは筋違いです。
日本の活躍を恥ずかしいと感じる人は、それだけの謙虚さがあるのならば、
「日本はもっと謙虚にするべきだ」などと差し出がましく抜かすその夜郎自大をこそ恥じて、
無銘の日本人が汗を流して立ち上げた恩恵に日々感謝し、ただ黙って使わせて戴きなさい。
実際、恩恵にあずかってるんではないのか。亡国論者め。んナロ〜ッ!!
っはっは、まあいいや。考え方はいろいろだ。
常設展の方にも行ってみました。
「ピースケ・アノヤロウ・ナンデ・アンナニ・エラソーナノ?」
「ホント・ナニサマノ・ツモリナンダカネ・アイツ・ハジヲシレヨ」
「ガッキ・ヘタダシ・ツクリモ・アライシ・チカヅキタクナイネ」
「ソモソモ・アノバカ・ナニデ・メシ・クッテルノ?」
とは井戸端コミュニケーションロボ。うるさい、うるさい、うるさあい!!
お、待ってました。これだこれ。
噂に聴きし『アナグラのうた 〜消えた博士と残された装置〜 』を体験、
つい目頭が熱くなった。最近すぐ感動して泣く癖がついちゃっていかんな。
楳図かずお『わたしは真悟』を読んだ時の鳥肌が再び。
システムの側が「1000年もキミを待っていたんだ…」
「君の歌を… 歌わせてくれないか…」と、温もりある共有を渇望してくるのだから。
この部屋の装置に組み込まれている空間情報技術というのは本来ならば、
我々の社会生活の見えない所で黙って役立てば事足りる、無機的で無実体なものである。
それをこれほどまでポエティックな物語に仕立て、遊びながら考えさせてくれる。
モノに宿る八百万(やおよろず)の心にも通じる試みだね。いいもの拝見しました。
一方で「ボク片足で立てるヨ!」などと明らかに人間をコ馬鹿にした態度なのは、
世界のHONDAが米粉を練り上げて作ったロボダッチ(中に人が入っている)と、
奇声を発しながら駆け寄ってブン殴ってみる勇者の登場に期待するも自分ではやらない見物人たち。
も〜どいつもこいつも意気地なしだな。こういう時こそ実力行使あるのみだろう。
そんな調子だといつかロボット軍団に支配される世の中になっちゃうぞ!
科学未来館の便所はさすがの宇宙船スタイル。下部に取り付けられた精密機械の作用により、
高貴なる家柄のボクちゃまの落とし物は知られざる古代インカ帝国の輝く金銀財宝に精製されますが、
キミんちのお父さんの糞はお父さんの糞のまま遥か一億光年の未来へ勢いよく発射される仕掛けです。
「ピエール瀧の体操48歳」。
48歳のお誕生日と同時にこの骨が次第に瀧へと変身していくヌ〜ン。
ナイス生首ゴロンは遠隔操作アームによる脳外科手術シミュレーター(ジャパネットたかた限定モデル)。
その隣の内科手術シミュレーターで遊ぶのは…
「あっ動脈切っちゃった。てへへ、血まみれ〜」
「横隔膜にリラックマ縫い合わせて可愛くデコっちゃお♪」
「まっいっかガーゼ残っても。面倒だしアタシの体じゃないし」と張り切る、
未来の臨床を担うであろう白い巨塔チルドレン。体調のすぐれない方はお早めに当院へ!
そして最も現実を突きつけられ身につまされる展示であったのは、
人間の食への浅ましき執着と愚かしき争いをテーマとした壮大なジオラマコーナーだ。
資本が支配する腐った世の中で、泣き叫ぶ子供たち… 疲れきった大人たち…
ひと皿の食事のためにどれだけの動植物が犠牲になっているか…
富める者は飽食し… 持たざる者は飢え…
地球のヒエラルキーの在り方が問われる現代、我々は未来へどんなメッセージを訴えるべきか?
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普通の食堂だよ。で、そうそう、
実は未来館の展示の中にインド音楽に関わるエッセンスを見つけました。
次回はその話を書きますのでまた読みにいらして下さい。
「世界一」展は5月6日まで。