小林一茶風日記

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2005-11-30

自らが追い込まれた時、一発逆転を期待して、客観的に見れば到底勝ち目のないことに賭け、更に状況を悪くしてしまう、という実例に遭遇した。

旧日本軍みたいな感じ。

気持ちは分かるが、やっぱり人間ああなるものなんだろうか。

2005-11-29

『シュメル 人類最古の文明』

小林登志子

中公新書

ISBN4-12-101818-4

シュメール文明について紹介した概説書的な本。

どこまで網羅的なのかは分からないが、別に普通の概説書、といった感じの本なので、そういうもので良ければ、読んでみても、という本か。

悪いということもないが、概説書なので、特に面白いということもない。個人的には、まとまった部分としては書記の学校に関して書かれたところが興味深かった程度で、後は人に薦めるまでの面白さはなかった。

勉強用で良ければ、というところ。

以下メモ

・ティグリスはギリシャ語での呼び名で、古代ペルシャ語で、矢のように速く流れる河、という意味のティグラーからの借用語という。矢のように速く走る動物が、タイガー

羅針盤がなく沿岸航法を採っていた古代では、陸が見えなくなった時に備えて船に鳥を乗せていた。ノアの方舟の話で、鳩がオリーブを咥えて帰ってくるのは、こうしたことによる。

・古代メソポタミアでは、中空の粘土製品(ブッラ)の中に、様々な幾何学形の小型粘土製品(トークン)を入れて、穀物や家畜の数量を管理していたと考えられている。

 ブッラが増大すると、トークンを中に入れるだけでなく、外側に押し付けて跡を付けるようになり、やがてトークンを押し付けてできる痕跡を尖筆で描くようになったのが文字の誕生である、というシュマント=ベセラの推論が文字誕生の有力説である。

春分の日であったと考えられる元日には、王と女神官が聖婚儀礼を行った。

・シュメールのウルナンム法典では、後のハンムラビ法典のような同害復讐法ではなく、傷害罪には銀で賠償する規定になっていた。

・シュメール人の諸都市国家を統一して、南メソポタミアに最初の統一王朝を打ち立てたアッカド人サルゴン王のサルゴンはヘブライ名で、アッカド語ではシャル・キンという。シャル・キンは、真の王、の意で、この王の出自が王族ではなかったことを示している。

 シュメール人は、イラン南西部に住んでいたエラム人や、後にバビロン第一王朝を打ち立てるマルトゥ(アッカド語でアモリ)人等は蔑視していたが、アッカド人との間に民族的な対立はなかったらしい。

・ウル第三王朝の滅亡後、シュメール人は周りのセム語族の中に埋没していったが、宗教や法律用語としてのシュメール語は新バビロニア時代まで残った。オリエントでは、読み書きを行うのは書記の仕事であり、王の識字率は高くなかったが、アッシュル・バニパル王はシュメール語が読めたことを自慢している。

2005-11-23

『島原の乱 キリシタン信仰武装蜂起

神田千里 著

中公新書

ISBN4-12-101817-6

島原の乱の経緯と、当時の人々の宗教感情のあり様を追った本。

史料を丹念に追って島原の乱を跡付けているので良質の歴史書だと思うし、私には十分に面白い本だった。

興味があるならば、良い本ではないだろうか。

一番最後の最後が、やや尻すぼみというか、どうも意味なく終わってしまった感はあり、また、敢えて問題点を挙げれば、島原の乱という一事象から当時の日本人の宗教感情全体を語るのは(必ずしも著書が全面的にそういう議論をしている訳ではないが、少なくとも本書の構成としてはそうなっている)、どこまで妥当性があるか疑念がなきにしもあらず、ではあるが。

歴史好きならば読んで損はないと思う。

以下、メモ

・天道に奉仕することによって、その加護を得られる、という考えは、中世末期の日本に広く存在した。

支配者達も、天道に適う施政を喧伝し、自ら天道の体現者であることを目指した。信長秀吉、家康が神を目指し神になったのも、この脈絡から捉えられる。

イエスズ会が唯一神デウスの訳語として天道を用いたように、当時の日本人にとって、キリスト教は、こうした天道の一種としての共通の構造を持っていた。

キリシタン大名も、彼らだけが特別の存在だった訳ではなく、天道に適う施政を目指す他の支配者と同様に、デウスに適いデウスの加護を得られる施政を目指したのである。

・島原・天草地方では、豊臣・徳川両政権下での禁令にもかかわらず、キリシタン統制が進んでキリシタン活動が逼塞したのは、1620年代後半に入ってからである。

・島原の乱で一揆を起こした人々の多くは、この時は棄教したものの、再びキリスト教に戻った「立ち帰り」キリシタンであり、飢饉と重税が続いた中で、かつての信仰に戻り、かつてと同じようにデウスの加護を得ることを目指したものだろう。

・当初、幕府は一揆を重大視しておらず、松平信綱を送ったのはあくまで戦後処理のためだっただろう。

2005-11-20

ラッセルパラドクス 世界を読み換える哲学

三浦俊彦

岩波新書

ISBN4-00-430975-1

ラッセル哲学の解説書。

残念ながら、私には内容は余り理解できなかった。

述語的属性とか確定記述とかを予め知っている人には、面白いのかもしれない。私には分からなかったので、分からないが。

以下、若干のメモ

・集合を、自分自身を要素に持つ集合と、自分自身を要素に持たない集合とに別けた時、自分自身を要素に持たない集合、の集合、が考えられるが、この集合(自分自身を要素に持たない集合の集合)は、それが自分自身を要素に持つ集合であるとすると、自分自身を要素に持たない集合の集合なのに、自分自信を要素に持つ集合を要素に持つことになっておかしいし、自分自身を要素に持たない集合であるとすると、自分自身を要素に持たない集合の集合なのに、自分自身を要素に持たない集合が一つ要素から外れることになるので、おかしい。(ラッセルのパラドクス)

・ラッセルは、こうしたパラドクスを回避するためには、自己言及を禁ずることが道だと考えて、ある集まりが、その全体によってしか定義できない要素を含む場合、その集まりは全体を持たない、という原理を採用した(悪循環原理)。

・しかし、悪循環原理を採用すると、すべての命題は真が偽かのどちらかである、というような命題が、それが全体によってしか定義できないものであるがために、無意味な文になってしまう。

・それを避けるため、ラッセルは、個物をタイプ0、個物の集合をタイプ1、個物の集合の集合をタイプ2、という風に、すべてのものを階層化した。

 タイプtにある集合の集合、は、タイプt+1におけるある集合、だから、自己言及は発生しない。

・この動物は犬である、この犬は吠える、地球は青い、といった文は、この動物、この犬、地球といったタイプtの個体に対して、タイプt+1に位置する、犬の集合、吠えるものの集合、青いものの集合、をそれぞれ持ってきているが、犬は吠える、というような文は、タイプt+1に位置する犬の集合、吠えるものの集合を対比させているので、本来無意味であり、犬は吠える、という文は、論理的には、「いかなるxについても、もしxが犬であるならば、xは吠えるものである」という趣旨を述べている。

(タイプt+2における、吠える動物種の集合、を考えることができるのではないか、という気がするが、それが何故いけないのか、私には分からない)

2005-11-15

吉田茂 尊皇の政治家

原彬久 著

岩波新書

ISBN4-00-430971-9

吉田茂の伝記。

あっさりとした普通の伝記、といえば普通の伝記だが、個人的には、さらりとし過ぎていて、突っ込みが足りないようには思った。

あっさりとし過ぎで、毒にも薬にもならないという感じ。著者なりの吉田茂像をもっと強く打ち出すとか、なんらかのテーマを設定するとか、あるいは面白いエピソードを詰め込むとか、一冊の本を世に問う意義というか、もっと単純にいって、コクのようなものがあっても良かったのではないだろうか。

(サブタイトルから見て、一応、尊皇、というのが、著者による吉田茂像の一面ではあるのだろうが、余り有機的な統一感はない)

新書レベルの伝記で良いのならば、一通りの伝記ではあるので、読んでみても、というところなのかもしれないが、特別面白いものでもないと思う。

以下、メモ

・吉田茂は、大久保利通の次男牧野伸顕の長女雪子と結婚して、その閨閥に連なった。

・外務次官時代、ロンドン条約締結を押し進めて、右翼軍部強硬派から睨まれた。

2005-11-13

『統計グラフのウラ・オモテ 初歩から学ぶグラフの「読み書き」』

上田尚一 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257497-7

統計グラフについての教科書

様々な統計グラフの使い方や、どういうデータの場合にどういうグラフを用いたら良いか、というようなことが書かれた本で、基本的に教科書と考えるべき本だろう。

教科書なので、それで良いという人なら読んでみても、という本か。読み物として特に面白いということはないと思う。

以下、メモ

・例えばある政党の得票率が20%から24%になったような場合、これを変化率に注目して説明すれば「20%増えた」となるし、変化量に注目すれば「4パーセントポイント(4ポイント)増えた」という説明になる。

・対前年同月比のデータに変化が現れた場合、データは一年間の情報を見ているのだから、変化が現れたのは、その月ではなく半年前と見るのが妥当である。

2005-11-10

『暗黒宇宙の謎 宇宙をあやつる暗黒の正体とは』

谷口義明 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257496-9

可視光やその他の電磁波では観測できないダークな天文事象に関していくつかのことが書かれた読み物。

大体のところは、暗黒というモチーフで一冊本を書きました、という天文学読み物だと考えれば、間違いはない。

色々と手を広げ過ぎた結果、説明が中途半端になっているので、私は余り良い本だとは評価しないが、あくまで天文学読み物とみれば、許容範囲内、という本か。

天文学読み物が読みたいのならば読んでみても、というところ、ではあるが、ただし、普段私以上に天文学読み物を読んでいる人なら、本書程度の内容では満足できないのではないかと思うし、天文学読み物を余り読まない人には、もっと他に良い読み物があるのではないかという気がするし、どういう層に向くのかはちょっとよく分からない本ではある。

ダークマターやダークエネルギーの解説を期待する人は、他の本を探した方が良い。

メモ1点。

・質量が太陽質量の0.08倍から0.013倍の星は、中心温度が、水素核融合が起きる1000万Kには達しないが、重水素核融合が起こる100万Kにはなるので、重水素核融合によって輝くことができる。これが褐色矮星である。

2005-11-07

女帝の是非を論じている「皇室典範に関する有識者会議」というのは、若年の男子皇位継承者がいない現状を考えれば、いずれにせよ女帝にゴーサインを出さざるを得ない、というか、そのための隠れ蓑の有識者会議でしかない訳だが、それにしては反対者からの非難を一身にあびる訳で、割の悪い仕事というか、天皇制に思い入れがないとやってられねえ、という仕事であるような気がする。

井伊大老みたいな感じか。

俺なら逃げるね。

『検証・山内一豊伝説 「内助の功」と「大出世」の虚実』

渡部淳 著

講談社現代新書

ISBN4-06-149812-6

 山内一豊の伝記。

 割と普通の伝記本で、伝記ものとしてはこんなもの、といった感じの本か。

 少し文句をつけたい部分はあるのだが、結構私の好きなタイプの本ではあるし、所詮は来年の大河ドラマ便乗本にしてはきっちりとできているので、まずまず、こんなものではないかと思う。今本屋に行けば山内一豊関連の本が大量に置いてあるだろうが、多分平均よりも上だし、上から数えて何番めくらいの割と良い出来栄えの本ではないだろうか。

 興味があるのならば、購読しても良いのではないかと思う。

 文句をつけたいというのは、典拠となる史料が何かは割と記してあるのだが(この点が私の好きなタイプという所以なのだが。書かれていないところは、『歴代公紀』(近代に入って編纂された山内家歴代の記録)に拠っているのだろうか?)、その史料がどういうものなのか、という批判は殆どないこと。『藩翰譜』はまだしも、『御四代記』とか書かれても、知らないのでどういう史料なのかさっぱり分からないし、どこまで信用して良いのか、という肝心なことが分からない。

(『旧記』に関しては、江戸時代に記された、とのみ書かれていて、文脈上、後世の史料なので余り信頼できない、というエクスキューズだとは思うが、そもそも山内一豊も夫人も亡くなったのは江戸時代に入ってからだから、江戸時代に記された、というだけでは、本来、史料の説明には殆どなっていない)

 しかし新書ということを考えれば、こんなもので仕方がないといえば仕方がないか。

 きっちりとできているので、購読しても良い本だと思う。

 以下、メモ

・山内一豊は最初、尾張上四郡を支配する織田伊勢守に仕えた。伊勢守は掛川時代や土佐入国後の一豊に寄寓している。

・一豊の夫人の名前は不詳。千代というのも、根拠がはっきりしない。

・山内一豊は、堀尾吉晴、中村一氏、田中吉政らと共に、豊臣秀次の宿老に指名された。ただし宿老といっても、秀吉から領地を与えられ、秀吉家臣のまま秀次に付かされた監督役であり、秀次の失脚に連座するようなことにはならなかった。彼らは揃って転封され、関ヶ原の戦いまで運命を共にする関係が続いた。秀次が近江八幡に所領を与えられた際、一豊は長浜に配され(中村一氏が水口、堀尾吉晴が佐和山、田中吉政は八幡にあって秀次領内を差配した)、家康の関東移封に伴って秀次が清洲に入ると、一豊は掛川に配されている(駿府に中村一氏、浜松に堀尾吉晴、岡崎に田中吉政)。

小山評定において、一豊は掛川城を明け渡す旨の発言をしており、『藩翰譜』はそれを堀尾忠氏の発案だとしているが、この宿老の関係を考えれば、一氏の子、中村一忠、吉晴の子、忠氏が参戦している中で、協議の末、長老格だった一豊が代表して発言したことも考えられる。

・長宗我部時代の土佐の領地高は9万8千石であり、関ヶ原合戦後の一豊の土佐への移封は、掛川5万9千石から、土佐9万8千石への転封だった。

・一豊が新たに城を構えた大高坂山は、最初、河中山と命名されたが、水害に悩まされたので高智山と字を改めた。これが高知の地名の元である。

・一豊没後に出家して見性院と号した夫人は、徳川豊臣の消長が完全には定まらない中、上洛して高台院と交流を持っている。

(と、著者はその働きを評価しているが、家中の者が見性院の上洛に反対したのが、豊臣から徳川への流れを読み切って、豊臣方と接触する必要なし、と判断して反対していたのならば、この動きはアナクロだったということも考えられるのではないだろうか)

源祐親源祐親 2007/11/29 10:20 しかし、何故見性院が晩年を京都で過ごしたのか。公私にわたって長年付き合いのあるねねさんと交流こそが、晩年の人生を豊ならしめた一因だったことは確かなのではないだろうか。

2005-11-04

明治大正翻訳ワンダーランド

鴻巣友季子

新潮新書

ISBN4-10-610138-6

明治大正期の翻訳者や翻訳文学に関していくつかのことが書かれたエッセイ

雑学本、というよりは、ファンが読むような類のエッセイ、と考えておいた方が間違いのない本か。

私には特に面白い本でもなかったが、特別駄目という程でもないエッセイなので、これで面白いという人には面白いのかもしれない。ファンが読むエッセイで良ければ。

竜頭蛇尾な印象を受ける部分も結構あるし、雑学本としては余り期待できないと思う。

2005-11-02

『ご臨終メディア 質問しないマスコミと一人で考えない日本人

森達也/森巣博

集英社新書

ISBN4-08-720314-X

左派の人がメディアの悪口を言い合った対談。

基本的にファンが読むようなタイプの本なので、ファンならば、多分面白いのだろう。そんなにたいしたことが書かれているのでもないが、他人の過失は見やすい訳で(他人の過失は見やすいから、そんなにたいしたことは書かれていないと感じる、ともいえる)。

ファンの人は勝手に読んでいて下さいという本。それ以外の人が手を出してみるようなものでもないだろう。

メディアの批判が左派だからどうこう、ということは多分ないが、拉致被害者に関して云々するのは、それ以前にそもそも拉致問題が封殺されてきたことを問題にすべきでは、とか、虐待ではなくて拷問と書け、といっておきながら、スーダンは飢饉なのか、とか、こういうレトリックでは届かない相手には届かないだろう。

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