小林一茶風日記

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2006-03-27

『フロイスの見た戦国日本』(川崎桃太著、中公文庫)を50pで挫折した。

基本的に、ルイス・フロイス『日本史』の無批判の紹介本。

ダイジェストだからしょうがない、という考えはあり得るだろうが、それにしても、という感じか。余りに批判精神がなさすぎで、読んでいて疲れる(批判しようにも批判するだけの戦国時代の知識がないのかもしれないが)。

2006-03-26

FFXIIクリア。

製作者が発売を延期したくなる気持ちがよく分かるゲームであった。

しかし少しくらい延期しただけで、どこをどう直せば面白くなるのかは、さっぱり思いつかないが。企画を通した段階で間違いだったということか。

金かけて作った以上、売らざるを得ないだろうという、開戦前山本五十六みたいな心境だったのだろうか。

2006-03-24

麻原彰晃誕生

高山文彦

文春新書

ISBN4-16-660492-9

麻原彰晃の生い立ちが書かれた読み物。

一応、オウム真理教設立の頃までの松本智津夫の足取りを辿ったもの、といえば辿ったものだが、焦点がぼやけているというか、著者が強く出過ぎというか、伝記というより、ノンフィクション読み物、と捉えた方が良い本か。

つまり、この著者の他の本を読んで面白いと思ったような人が読む本。

変な架空の人物が出てくるとか、情報として伝記として面白いのはオウム真理教設立後ではないかとか、事件から余り日を経ずに書かれたものを十年後に本にすることの意義がどこにあるのかとか、細かい不満が結構あって、全体的に、どうも私には余り良い本ではなかった。

ただし、読み物としてどこか特別に悪いという程ではないので、これで合う人には合うのだろう。この著者の他の本を読んで面白かった人には、面白い、のかもしれない。

別に私は薦めないが、そうした人ならば、読んでみても、という本。

しかし、釈尊が亡くなる時、教団を捨ててアーナンダと旅に出た、という解釈は聞いたことがないが、誰かがそういうことをいっているのだろうか。

(↑という変な仏教解釈を書いているところが、私が感じた違和感の決定打ではある)

2006-03-22

スペイン巡礼史 「地の果ての聖地」を辿る』

関哲行

講談社現代新書

ISBN4-06-149820-7

サンティアゴ巡礼に関していくつかのことが書かれた本。

ヨーロッパ中世に盛んになった、スペイン北西部にある聖地(聖ヤコブの遺骸があるとされる)サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼について、いろいろと書かれた雑学本的な概説書。

いくつか欠点があり、特に、神話的伝承と史実の区別をはっきりさせようとしていない点は、私としては致命的に思えるので、薦めることはしないが、そういったものでも良いというのであれば、読んでみても、という本か。

中世社会の一つの面を描いた本として、興味があるのならば、そう悪い本ではないかもしれない。

欠点としては、その他、これといったテーマがなくまとまりがないこと、神話と史実の区別が明瞭でないことを含めて、全体に、説明が、明快で直截的なものではないような気がすること、が挙げられる(例えば、地中海世界では古くから、貝殻は再生と誕生の象徴だった、といわれても、分かり難いのではないだろうか。多分要するに、貝殻は女性器の象徴なのだろう)。

こうした欠点があるので、私は良い本だとは思わない。特別悪いということもないので、どうしても読みたいというのであれば、読んでみても良いかもしれないが、特に、という程ではないだろう。

以下メモ

プロテスタントが巡礼を認めなかったことや、カトリック内部でも、世俗化した巡礼に対する批判や、マリア信仰が盛んになることで、16世紀以降、サンティアゴ巡礼は衰微した。

病気が神によって引き起こされると考えられた中世にあっては、巡礼者の中には病人も多かったが、巡礼路には教会や支配層等によって無料の施療院が建てられ、またイスラム医学や、巡礼に伴って各地の医療情報が集まることで、巡礼路は、当時の社会においては、実際に病気の快復が見込める場所となった。

2006-03-18

『「複雑ネットワーク」とは何か 複雑な関係を読み解く新しいアプローチ』

増田直紀/今野紀雄 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257511-6

大体のところ、ネットワークのモデル化に関して書かれた本。

主に、現実のネットワークをどのようにモデル化して捉えるのか、というようなことが書かれたものと考えておけば、多分大過ない。そのようにして構築されたモデルによって現実のネットワークを分析すると、どうなるのか、という話も、扱われてはいるが、その成果は、おそらくまだそれ程上がってはいないのだろう。

割と初歩から説明してあるように思うし、それなりに(成果がないなりに)いろいろなトピックを扱ってはいるので、ネットワーク理論の考え方や手法に関して興味がある、という人には、悪くない本ではないだろうか。

そうしたものに興味があって、あくまで手法で良ければ、読んでみても良い本だろう。

ただし、私としては、面白いのは、手法ではなくて、その手法によって得られた成果である、と考えるので、それ程たいした成果が書かれていない(上がっていない?)本書が面白いか、といわれれば、人に薦める程ではない、とは思う。

また、手法のみで良い人には、モデル化の話だけに絞ったものの方が良いかもしれないし。

個人的には、もう少し面白い成果が上がってから、で良いような気もする。

以下メモ

・多くのネットワークでは、頂点が持っている枝の数(次数)には、かなりのバラ付きがあり、べき分布となる(その次数を持っている頂点の割合は次数の何乗分の1にしかならないので、大きな次数を持ったハブ存在する)。このような性質をスケールフリー性という。

 コンピュータ・ネットワークがスケールフリーである場合、ハブを意図的に狙われると弱く、感染症の場合、多くの人と接触するハブとなる人がいると、感染が広がりやすい。

・視細胞と繋がっている双極細胞は、繋がっている視細胞が光を受けた時に強く反応し、繋がっている視細胞の周囲の視細胞が光を受けた時には、反応を抑える。これによって、反応が増幅され、画像処理においてパターンの境界を強調することができる。

 このような情報が大脳の第一次視覚野に入っていくが、第一次視覚野のニューロンが、例えば横長に位置するいくつかの視細胞からの入力を最終的に受ける時、このニューロンは、明るい棒が横向きになっている場合に、最も強く反応して、パターンを識別する。

2006-03-15

『対称性から見た物質・素粒子宇宙 鏡の不思議から超対称性理論へ』

広瀬立成 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257505-01

素粒子論について書かれた本。

一応、タイトルにある通り、対称性を鍵として描かれたものではあるが、実際にそれをどこまで特色として評価して良いのかは、やや疑問に思う。最初の方に出てくる鏡の対称性と、おそらくは本書の中心となるべき素粒子の対称性とが、説明として、巧く繋がっていないのではないだろうか。

ということで大体のところ、別に普通の素粒子論に関する読み物、と考えておけば良い本か。

別に普通の素粒子論に関する本なので、そうしたもので良ければ読んでみても、というものではあるが、初学者向けに特に優しく分かりやすい、とか、中級者向けに深い内容がある、とか、上級者向けに最新の研究内容が書かれている、とか、その他何らかの特色があるということは、余りない。

特に失敗したということはないが、別に成功したという訳でもない本。

類書の中で特に本書を、という売りには、欠けるだろう。

以下メモ

・荷電スピンという考え方を導入すると、陽子中性子は、元々同じ粒子で、荷電スピン1/2のものが陽子、荷電スピン−1/2のものが中性子、という考え方ができる。

・弱い力を伝えるウイークボソンは、弱い力の到達距離内では質量がない光子と同じように振る舞う。その距離内においては、必要なエネルギー不確定性原理によって得られるが、それより長い距離ではゲージ対称性が自発的に破れて、ウイークボソンは質量を獲得する。

・強い力はクオークに働いてレプトンには作用しないが、強い力と電弱理論を統一する大統一理論は、クオークにもレプトンにも働くので、そこから、クオークとレプトンの相互作用、陽子崩壊が導かれる。

・荷電スピンという考え方で陽子と中性子を同じ粒子として扱ったように、フェルミオンとボソンとを同じ粒子として扱おうとするのが、超対称性である。フェルミオンに超対称変換を二度繰り返すと、フェルミオン→ボソン→フェルミオンとなるが、フェルミオンはこの時、時空座標を変える。この移動は、元の粒子に重力が働いたことを示唆している。

2006-03-13

『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』

好井裕明 著

光文社新書

ISBN4-334-03343-1

フィールドワークの手法に関して書かれた本。

端的にいって、私には好きになれる本ではなかった。

面白いと思う人には面白いのかもしれないから、好きな人だけ勝手に読んでいて下さい、という本か。

私としては、元々フィールドワーク系の本で好きなものは余りなく、些細な日常を批判的に見ようとする左翼的心情が気に入らないし、入門書というよりは宣伝啓蒙書といった感じで宣伝臭が強いし、基本的には成果ではなくて手法が書かれた本なのだが、どちらが面白いかといって、面白いのは、手法ではなくて、その手法によって得られた成果の方であろうし。

私はパス

2006-03-11

『マルクス・アウレリウス「自省録」』

鈴木照雄 訳

講談社学術文庫

ISBN4-06-159749-3

マルクス・アウレリウスの思索メモ

基本的には、多分逐語訳に近い感じの、分かり難い文体の本ではある。手元にないので詳しく比較した訳ではないが、岩波文庫版の方が読みやすい感じがした。

いずれにしても、ある種の主知主義的、合理主義的態度の源泉なのだろうということは分かるものの、古典として、薦めるべきようなものかどうかは、疑問に思う。

私は、嫌いではないが。

ただ思うのは、

私の経験によれば、若いうちは自分の欲望に悩むものだが、歳を重ねるにつれて、だんだんそういうことはなくなってくるのではないだろうか。

高校生が、何故人を殺してはいけないのか、と問うたりするが、あれは欲望のある若いうちだからこそ出てくる悩みであって、中年になったら、別にそこまでして人を殺したいという強い欲求は、もう抱かないような気がする(何故人を殺してはいけないのかと悩むのは、人を殺したいという欲望があるからであろう)。

齢を重ねた人が殺人事件を絶対に起こさない訳ではないが、それは、何故人を殺してはいけないのかと悩む若い人が必ずしも殺人を犯さないのと同じ。つまり問題は、欲望(があるかどうか)ではないのだろう。

欲望自体がなくなるのではないが、鋭さがなくなるというのか、その出方が違ってくるというのか、いずれにしても、欲望につき動かされていた若い頃とは明らかに違う感じ。年齢によって欲望の質が変わるのか、欲望に対する耐性ができるのか、そのような欲望によっては揺るがないアイデンティティが構築されたのか、あるいは、人生の到着点が見えかけてきたからかもしれない。おそらく、歳を重ねて係累が増えたからではない。

これは、多分に、私の経験のみによる判断だが。

さてしかし、そこで問題なのは、このように悩みが自然に解決するものであるならば、若い頃に自分の欲望に悩むことが、果たして有用なのか、ということであるが、どうなのだろう。

みんな悩んで大きくなった(by野坂昭如)、ということなのだろうか。

2006-03-09

コンソメと銘打ったのに食肉の煮出し汁を使っていなかった味の素が駄目なのは分かるが、コシヒカリを使って「コシヒカリ使用」を謳ったのに100%でないから駄目だとされたエスビー食品は、可哀想な気がする。

やっぱり、コメだから厳しいのだろうか。

あるいは、これからそうなるのだろうか。「遺伝子組み替え大豆使用」は、100%でなくてもいけるような気がするが。

2006-03-07

亡くなった演出家久世光彦葬儀ニュースで、各局各番組が「寺内貫太郎一家」の同じ場面を流していたのは、50年代の番組みたいにビデオが残っていないということはないだろうから、権利の関係だと思うが、誰が決めたのだろう。

というか、故人の業績に触れる中で少し流すくらいなら、引用の範囲で済みそうな気がするのだが、そうはいかないのだろうか。権利を持っている人間は、拡大解釈を避けようとするだろうが。

2006-03-06

『<旭山動物園革命 夢を実現した復活プロジェクト

小菅正夫 著

角川oneテーマ21

ISBN4-04-710037-4

「行動展示」で成功を納めている旭山動物園園長のエッセイ

旭山動物園で実際に行ったことの他、動物園経営論、組織論、動物園論のようなことまでがあれこれと雑多に書かれた本で、総花的で、まとまりはない。

これで普通のエッセイだといえば普通のエッセイだが、あの旭山動物園の園長が書いた、という以外に、売りとなるものはないだろう。

気軽に読み捨てれる(←ら抜き)ような本なので、雑多なエッセイで良ければ、読んでみても、というところだが、特に薦めるような内容のある本ではなかった。

メモ1点。

・トラの模様は、色の見えないシカ等から見ると、背景と区別が付き難い。

2006-03-04

教育と選抜の社会史』

天野郁夫 著

ちくま学芸文庫

ISBN4-480-08966-7

産業社会においては不可避的に学歴社会化が進むという観点から、日本の学歴社会成立の歴史を追った本。

内容的には、多分、良質の社会科学系の書なのだろう。読みたいという人ならば読んでみても、という本か。

ただし、私としては多少引っ掛かる部分があるので、一般向けにお薦めするには、二の足を踏む。一つには、無駄に難しいという気がすること。もう一つは、本書のような歴史の流れを大上段から捕らえようとした議論は、えてして危ないものである、と思うこと。本書のような議論をあやういと感じる程には、私が歴史主義に侵されている、ということが分かった。

否、歴史の法則について語っているような本は、本書も含めて、私は大好きなのだが。しかし、20年以上前の本で、軽く読み飛ばせるものではなく無駄に難しいとなると、私なら、読みたいと思うかどうかは結構微妙なところだと思う。

無駄に難しい、というのは、はっきりどこがどうということではないが、頭にすんなり入ってこない感じがする。例えば、「このいわば教育的選抜の過程にとり込まれた職業的選抜の及ぼす影響は、資格職業の場合よりも、学歴が擬似職業資格的な性格しかもたない企業の職員層の場合に、いっそう深刻である」というような。どこがどうおかしいということはないが、やっぱり無駄に難しいという気がするのだが、どうなのだろう。私が用語に慣れていないだけなのだろうか。

(ちなみに、「いっそう深刻」なのは、何がどう深刻なのか、書かれてはいない。意味としては、要するに、医者のようにどこの大学であれ医学部を出て国家試験に通ればなれる職業とは違って、一流企業に入社するにはより良い大学を卒業しなければならないから、より良い大学を目指して受験戦争が深刻化するのだ、ということだろう)

それなりに面白い本だとは思うが、難しいのを無理に読む程ではないのではなかろうか。それでも良ければ、というところだろう。

以下メモ

・近代セクターが西洋から移入された日本では、できたばかりの企業は、人材の供給元を同じ近代セクターである近代公教育に頼らざるをえなかったが、希少な資源を官僚機構とも取り合った結果、より良い公教育を受けてきた者(より良い大学を出た者)にはより良い条件が示されることとなって、公教育の中に元々あった高等教育機関間の格差が、大きく増幅された。

試験において高い得点を取ることができるような文化的な枠組みや価値観を持つものが、学歴社会において有利に働いていることは考えられる。

2006-03-02

高校生の国際意識調査

で、日本の高校生が気力がないといわれている件。

基本的に思うのは、進学率の違いを考慮に入れて欲しい、ということであるが、それとは別に一ついえるのは、最近日本で問題になった、学力低下の問題と格差拡大の問題とは、同じ背景を抱えているのだろう、ということである。

よく勉強をして、良い大学に入り、良い会社に入って、良い生活を営もう、という旧来型のミドルクラス的な価値観が揺らいでいるために、よく勉強をして、良い大学に入ろうとはしない人たち(学力低下)、良い会社に入って、良い生活を営もうとはしない人たち(格差拡大)のことが、問題視されているのではないだろうか。

しかし今のところ、騒いでいるのは、価値観が揺らぐことによって不安を受けている人たちであって、学力が下がったり格差を付けられたりした人が、ルサンチマンから騒いでいるのではないように思う。

そうであるうちは、まだまだ革命には遠い、といわねばならないだろう。

2006-03-01

本日の疑問

チンジャオロースやホイコーローは中国風の読みなのに、八宝菜は、何故日本風の読みなのだろうか。

小籠包は、シャオロンポウかショウロンポウか、とか。

と思ったが、グーグルでは112件vs87600件で、圧倒的にショウロンポウか。

というか、中国語なら包はパオか。

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