小林一茶風日記

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2006-06-29

フェルマーの最終定理

サイモン・シン 著 青木薫

新潮文庫

ISBN4-10-215971-1

フェルマーの定理に関して書かれた数学読み物。

評判となった本で、確かに評判になることも分からなくはないが、私には必ずしも合わなかった、という本か。

良い点としては、補遺以外には難しいところは余りないのに、フェルマーの定理の現代数学における意義や、その証明方法のある程度のところまでがきっちりと説明されているのは、結構凄いことではあるのだろう。

スフィンクスが何をしたのか、私は知らないが。後、谷村豊の名前が「とよ」だったのに、しまいには本人も「ゆたか」と名乗るようになった、というのは、原文がどうなっているのか知らないが、英文で分かるのだろうか)

実際の難しい数学的内容を抜きにその数学的意義を語る、というのは、大変なことには違いなかろうから、その辺に価値を見出せる人なら、読んでみても良い本ではないだろうか。

合わなかった、というのは、アレクサンドリアの図書館の話など、他の通俗本からそのまま引っ張ってきただけだろう、という感じのする部分があって、ちょっとどうかという感があること、無駄に長い面があること、数学者的独善さがあること、数学的な内容が、私としてはもう少し欲しかったような気がすること(難しくなるだけかもしれないが)、補遺が、難しい部分は全部補遺に放り込んでいるせいなのかエウクレイデスは今のような数式は使わなかったからそのままでは分かりにくいせいなのか、無駄に難しいように思うこと(√2が無理数であることの証明は、相当に持って回った表現で、私は他の本で予め知っていなかったら難しく感じたと思うし、ピタゴラスの三つ組み数が無限にあることの証明も(メモ参照)、もう少し書きようがあるのではないだろうか)。

中核部分は確かにそれなりに書けてはいるのだろうが、全体的には、そう特別に優れたという訳でもないように思う。

私には合わなかったので強くお薦めする程ではない。こういう分厚い本が好きな人なら、興味があるならば手を出してみても、というところだろう。

以下メモ。

・すべての楕円曲線がモジュラー形式と関連付けられる、というのが谷村=志村予想だが、フェルマーの定理に整数解があるのならば存在するはずのある楕円曲線が、モジュラーでないことが証明された。

・フェルマーの定理が成り立つために谷村=志村予想の全体が真である必要はないので、アンドリュー・ワイルズは、ある場合に(楕円曲線の導手が平方因子を持たない場合に)谷村=志村予想が成り立つことを証明した。

・x^2+y^2=z^2を満たす整数解が無限にあることの証明。

奇数を2x+1と置くと、(x+1)^2=x^2+2x+1だから、奇数2x+1に平方数x^2を足すと、平方数(x+1)^2となる。

奇数×奇数は奇数なので奇数の2乗は必ず奇数となるが、その数は、平方数であり且つ奇数(2x+1)となるから、その数に、ある平方数(x^2)を足せば、平方数((x+1)^2)となる。元の奇数は無限に存在するので、この組み合わせは無限に存在する。(Q.E.D.)

3の2乗は9だから9=2x+1と置いてx=4となり、4の2乗に3の2乗を足すと5の2乗になる。

5の2乗は25だから25=2x+1と置いてx=12となり、12の2乗に5の2乗を足すと13の2乗になる。

7の2乗は49だから49=2x+1と置いてx=24となり、24の2乗に7の2乗を足すと25の2乗になる。

……

2006-06-24

『驚異の戦争 古代生物化学兵器

エイドリアン・メイヤー 著 竹内さなみ 訳

講談社文庫

ISBN4-06-275409-6

ギリシャ・ローマを中心とした古代世界で使われた生物化学兵器に関する一般向け読み物。

これらの兵器の悲惨さと結局は兵器を作った者に災いが跳ね返ってくる教訓とを語ってBC兵器の反対を訴える、という反戦的モチーフが、あることはあるが、大体のところは、古代の生物化学兵器についての雑学本だと考えて良い本だと思う。

そう特別ではないが、別に普通にありそうな雑学本。

歴史叙述としてはあやうい面があるような感じもあるが(例えばギリシャ神話のいくつものバージョンを弁別していない等)、それなりの雑学読み物、といった本ではないかと思う。

そうしたもので良ければ、読んでみても、というところではないだろうか。

無理にという程特別なものでもないが、興味があるのならば、という本だろう。

ちなみに、アメリカの本なので、聖書やギリシャ・ローマの有名どころの知識が前提とされている感じはあるが、大きく問題となる程ではないだろう。聖書に関しては結構合理主義的な解釈を施していて、こういう本だから当然、これこれの奇蹟はこういう生物化学兵器を使ったものではないか、という解釈になっている訳だが、ファンダメタリストがこれを受け入れるとは到底思えない訳で、一般向けに反戦モチーフを説いた本が、これで良いのだろうか。

以下メモ

・古代では、ハチは死んだヘビから毒を吸い取り、ヘビは有毒植物を食べて毒を強化すると広く信じられており、同様に、トリカブトのような有毒な花は、黄泉の国の入り口から出る有毒な蒸気から養分を取ると信じられていた。

アルキメデスが作った鏡による兵器は、現代の実験で着火させることに成功している。

2006-06-22

何を勘違いしたのか検算したら違っていたので、昨日の記述は、18%以上を18%近くにこっそりと修正した。

2006-06-21

日銀総裁

が明らかにした数字を見るに、約五年間の運用で1000万円が2231万円になったということは、ファンドの仕組みがどうなっているのかよく知らないが、年複利で計算して一年に18%近くの利回りを上げていることになる訳で、村上ファンドというのは、優秀だったのだろう。

それよりも寧ろ、平均株価が大きく上昇した去年おととしと比べて、その五年間の前の一年数ヶ月の間にもほぼ同様の運用実績を上げている、という方が、当時の経済状況を考えれば、驚異的な実績のようにも思われる。

しかし、日銀総裁が、その一年数ヶ月で240万円からの利益を叩き出したファンドマネージャーに再度投資しようという時に、最初の時と同じ1000万円しか投資しなかったというのは、一口1000万円からなのだろうとしても、村上氏への激励のためだったという本人の弁が当たっているような気は、しないでもない。

一度の成功を見ただけでぶっこんでしまえという欲深い俺のような奴が、詐欺にあいやすい、というだけの話なのかもしれないが。

2006-06-19

日本語の歴史』

山口仲美 著

岩波新書

ISBN4-00-431018-0

日本語の歴史に関していくつかのことが書かれたエッセイ

概説ではなく、いくつかの論点に焦点を絞ったエッセイ的な読み物、といった感じの本で、エッセイ的であるだけに全体的なテーマとか統一感とかには乏しいが、大体のところ、特別ではないがそう悪いこともない、という本ではないかと思う。

私にもそれなりには面白かったし、私よりも文学趣味のある人なら(『源氏物語』とか『平家物語』とか)、多分もっと楽しめるのだろう。

そういうもので良ければ読んでみても、という本か。

それ以上のものではないが、エッセイ雑学本の類で良ければこんなものだと思うので、興味があるのならば、読んでみても、というところだろう。

以下メモ

古代敬語は絶対敬語だったので、天皇(大王)は自分自身に対して敬語を用いた。

・カタカナは漢文訓読用に漢字の補助として用いたので、小さく済ませるため元の漢字の一部を使って簡略化している。

・平安時代にできたひらがな文は、日本語の話し言葉ストレートに文章表現するもので、それ故に王朝文学が花開いた。

中世の日本語は、論理的になって、助詞を使って主語目的語をはっきりさせるようになったため、曖昧な構造の中でこそ使われていた係り結びが使われなくなった。

尾崎紅葉が完成させた「である」調が、客観的な物事の説明に適した表現だったため、言文一致体の決定打となった(「〜だ」「〜です」「〜であります」等と比べて、「〜である」は、江戸時代には講釈等で使われていた、公の場で用いられる客観的な語感のある言葉だった)。

2006-06-15

例えば、日銀総裁が一般の銀行普通預金を持っていたとする。その銀行が経営危機に陥って日銀特融が実施された場合、日銀総裁は、自分の預金を守ったとして、非難されるべきなんだろうか。

そうであるとするならば、日銀総裁は、公共料金の支払い等に銀行自動引落を使うべきではない、ということなのだろうか。

実際には預金は一千万円まで保護されるのだから、一千万円までの普通預金なら大丈夫、ということにはなるだろうが、ではそれ以上の資金はどうするのか。日銀総裁宅に現金で置いておけ、ということなのだろうか(インフレ抑制への強力なインセンティブにはなるだろうが)。複数の銀行に分割して預けろ、ということだと、かえって日銀総裁が様々な銀行のステークホルダーになることになって、良くないのではないだろうか。

所有する株や不動産はどうするのか、塩漬けにしておけというのも問題があるし、処分しろというのも、資産デフレへのインセンチブになる訳で、困るだろう。

そこで、おそらく現実的で現代的な解決策としては、ルールを予め決めておけ、ということになるのだと思う。

まり、現行のルールに抵触していない以上、日銀総裁が村上ファンドに資金を預けていても、責任を問われるべきではない、ということになるのではないだろうか。

(現行ルールを変更すべきかどうかは、別問題である)

2006-06-13

ダイヤモンド科学 美しさと硬さの秘密

松原聰 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257517-5

ダイヤモンドに関していろいろなことが書かれた雑学本。

若干難しめのような気がしないでもないが、全体的には普通にありそうな雑学本か。

別に普通にありそうな雑学本なので、特に述べておくようなことはなく、そういうもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

難しめというのは、ブルーバックスとしてはそうでもないが、雑学本としては難しめというところ。説明が簡略というか中途半端というか、理解できるようにはすべての事柄が書かれていないという感じがする(例えば、ダイヤモンドが何故地殻の厚い大陸下でないとできないのか、説明されていない)。

しかし雑学本と割り切れば、こんなものか。

興味があれば、というところだろう。

以下メモ

・ダイヤモンド中の炭素は、4つの方向に結合を持っているので、硬い。

メチル基中の炭素も同様の結合を持つため、メタン等を使って、高圧条件下でなくてもダイヤモンドを合成することができる(CVD法)。

マグマが上昇する時には途中の岩石を取り込んでいくが、上昇時間が短いと、それらがすべては溶解し切らずに残る。ダイヤモンドは、このようにして大陸下深くから地表付近まで運ばれる。

・硬いダイヤモンドは原子間の結合が強いので熱伝導率が極めて高く(そのため、触った時に体温を奪って冷たく感じるので、簡易な鑑定法になる)、また不純物としてホウ素を含んだダイヤモンドは半導体になる等の特性があって、ヒートシンクや温度センサー等、切削工具以外にも様々な工業材料としての用途が考えられている。

2006-06-10

『歴史探索の手法 岩船地蔵を追って』

福田アジオ 著

ちくま新書

ISBN4-480-06297-1

享保四年に流行した岩船地蔵に関して書かれた歴史民俗学的な読み物。

読み物としてはサブテーマがあるなどそれなりに工夫もしてあって、悪い本ではなく、十分に標準レベルの歴史民俗学的読み物だと思うが、いかんせん、素材がどマイナーで、そこを越えるものはない、という本か。

悪い本ではないと思うので、興味があるのなら読んでみても良い本なのだろうが、一般向けにそこまで興味を惹く素材かどうかは、やや疑問ではある。

それでも良ければ、というところ。積極的に薦めるにはマイナー過ぎるようには思う。

以下メモ

・岩船地蔵に限らず、近世の流行り宗教が村から村へと村単位で村送りされたのは、村が近世における重要な生活単位だったからである。

・西関東から甲信越、駿河に今も残る岩船地蔵の多くは、流行した享保四年やその直後に造られたものだと考えられるが、現在に残る伝承としては、享保四年の流行を伝えるのではなく、(船に乗っている形などから)水難除け等が由来として語られている。

2006-06-08

不完全性定理 数学的体系のあゆみ

野崎昭弘 著

ちくま学芸文庫

ISBN4-480-08988-8

メタ数学に関する入門的な読み物。

入門読み物としては、それなりといえばそれなり、といった本だとは思うが、ゲーデルの不完全性定理の証明の実際については、私には理解できなかった。

他の部分が仮にどんなに良かったとしても、そこが理解できなくて本書に価値があるといえるのかどうか、少なくとも私には余り価値はないので、本書は、私にとっては良い本ではなかった。

不完全性定理について知りたいだけなら他に分かりやすい良い本がある、とはいえないかもしれないというのが、侮れないところではあるので、興味があるのなら読んでみても良いかもしれないが、別に薦めることはしない。

2006-06-07

自殺者数

日本における自殺者数が、1998年から現在まで、3万人超くらいの数字で大体平均的に推移しているのに、1997年以前には、2万人から2万5千人くらいの間で、かなり長い間これまた平均的に推移しているのは、不思議だ。

このようにかなり不自然な(と私には思われる)異同に関して、それを指摘する意見は殆ど見られないが、これは統計学的には不思議ではないのだろうか。

というか、普通に考えれば、これは1998年に自殺の定義が変わったか集計方法が変わったかで数字が変わってきているのではないかと疑いたくなるところだが、警察庁と厚生労働省の二つの統計で同じような動きになっている訳だから、そうではないということなのだろうか。

3万人を超える自殺者を生む1998年以降の現代日本社会と、自殺者数が2万人から2万5千人くらいの間だった1997年以前の日本社会とで、何が変わったのだろう。

(自殺者数の分かりやすいグラフのあるページ→http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2740-2.html

2006-06-05

ツンデレのリアリティは、他者の内面という隠されたものを想定しているところにあるのではないだろうか。

もしそうであるならば、ツンデレにおける萌えは、萌えるが故にリアリティがある、のではなく、リアリティがあるが故に萌える、のではないだろうか。

あるいは、このような因果関係を認めるべきではなく、萌えとリアリティは不可分の、一体のものであるのかもしれない。本来コントロール不可能な現実である他者の内面を、ツンデレにおいては支配している、という点で、幼児的全能感の発露が、エスを解き放つのかもしれない。

2006-06-03

戦闘美少女の精神分析

斎藤環 著

ちくま文庫

ISBN4-480-42216-1

著者によるアニメ評論。

基本的には、ラカン派に属するらしい、何言ってっかさっぱりわっからない系の評論。

ファリック・ガールのヒステリー化、とか。ラカンにおいてはヒステリーに特殊な位置付けがなされているらしいから、それを踏まえれば分かる、かどうかは知らないが。

だから、ファリック・ガールのヒステリー化、で分かる人向け。そういう人だけ勝手に読んでいて下さい、という本か。

私には、余りよく分からなかったし、理解できた部分についていえば、それらを説得力のある論理構造として捉えることは、できなかった。

理解すれば論理構造があるのかもしれないが、実際にも、著者の言説を論証したり基礎付けたりするような部分は殆ど存在しないので、要するにこの本の主張が単なる思い付きレベルだからではないか、と私は疑う。

もう一ついうと、第一章と第六章を本論とすれば、二〜五章は補論であり、結局、本論の貧弱さに比べて脚注ばかりが立派、という感じがする。

と、いうことで、一冊の本として、成功している本だとはいえないだろう。

特に薦める程ではないと思う。

以下、個人的で勝手なメモ書き。

おたくと非おたくとを分ける分水嶺は、アニメキャラで抜けるかどうかである。

・虚構であるアニメが、現実の模倣としてではなく虚構そのままでリアリティを獲得するために、性が使われる。

(この両者、前半では性の虚構性が前提となっているのに、後半においては性の現実性が前提とされているが、性対象は自身にとって所詮虚構でも、性欲は自身の内にある現実だ、ということなのだろうか)

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