小林一茶風日記

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2006-10-31

先日、よく買っている弁当屋のおばちゃんに、あなたはたまごが好きだからといわれて、茹で卵をサービスで付けてもらった。

よく分からないが、私はたまごの入っている弁当をよく購入していたのだろうか。意識して選んだことはないが。

思い当たる節がない訳ではない、というか、私がたまご好きと言われたのは初めてではないので、そうなのかもしれないという気はしないでもない。ただし、昔そう言われたのは誤解に基づいており、私は、鶏卵全般が好きだった訳ではなくて、砂糖のみがたっぷりと入ったやや半焼けの玉子焼きが好きだった。つまりどう見てもただのおやつである。

それを意識して弁当屋のメニューを眺めてみると、

・ボリュームのあるチキンカツが付いているのでよく買っているチキンカツ弁当には茹で卵が入っている。

・シュウマイが美味しいのでよく買っているシュウマイ弁当には玉子焼きが入っている。

・野菜炒めが好きでよく買っている野菜炒め弁当には茶碗蒸しが入っている。

確かに、鶏卵が入った弁当をよく買ってはいたようだ。毎日買う訳でもないので、この店ではほぼ鶏卵が使われている弁当しか買っていなかったかもしれない。

それは、ただの偶然なのか(鶏卵が全く入っていない弁当の方が少ないし)、それとも、無意識の内に鶏卵の入った弁当を選んでいる、という可能性があるのだろうか。

2006-10-29

中村邦夫 「幸之助神話」を壊した男』

森一夫 著

日経ビジネス人文庫

ISBN4-532-19364-8

中村邦夫松下電器産業社長(現会長)に関して書かれたビジネス読み物。

基本的な軸としては、松下電器がどのような問題を抱え、中村がそれに対しどのような改革を行ったか、ということが書かれたもので、中村をやや無批判に礼賛した本ではあるものの、全体的にはありがちなビジネス読み物と考えて良い本だと思う。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本か。特別ではないがそう悪くもない本。

松下がどんな問題を抱え中村がそれに対してどう対処したのか、を一文でいえば、大量生産時代には見合っていた製品毎の事業部制を止めて、より大括りなドメイン会社方式にした、というところで、松下における事業部制が今の時代に合っていないことは書かれていても、本当に、ドメイン会社方式が今の時代もしくは次の時代に合っているのかどうかは、証されておらず、そうした点が、やや無批判に礼賛している、と感じられる所以ではあるのだが、それが証明できるくらいならばどこの会社も飛び付いている訳で、しょうがないといえばしょうがないか。

日経記者が失敗した訳でもない大企業のトップについて何かを書くとなれば、こんなものなのだろう。

特別に薦める程ではないが、悪くはない本。興味があるのならば、読んでみても良い本だと私は思う。

メモ1点。

山下跳びは、松下幸之助から見れば娘婿で社長だった松下正治外しという面もあった。

(※なお、邦夫の邦は異字体である)

2006-10-26

ミッションスクール あこがれの園』

佐藤八寿子 著

中公新書

ISBN4-12-101864-8

近代日本におけるミッション・スクールというイメージの成立とその変容を追った本。

余り質が良いとは思わないが、ありがちな教育社会史の一研究だといえばそういうものではあるので、そうしたもので良ければ読んでみても、という本か。

いくつかの論考をまとめたせいか全体としての筋が見えないこと、リスペクタビリティ、ファム・ファタル等といった(横文字の)分析概念が、いかにも借り物っぽく感じられること、ミッションスクールの両義性のような本来結論に直結する部分が消化不良のように思われること、それらの結果として、いいたいことがかなり曖昧で分かり辛く、私に理解できた部分は結局既存の主張の繰り返しでしかないこと、などから、私には余り質の良い研究だとは思えなかった。

グロテスク教養』といっていることがかなり被っていて、どういう違いがあるのか私にはよく分からなかったので、これなら『グロテスクな教養』の方が良いのではないか、と思ったが、読書ノートを読み返してみるとあの本もあんまり誉めてないな。読む順番が逆なら、逆の評価になるのかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/sarasate/20050705

いずれにしても、駄目という程、悪くはないが、薦める程、良くもない本だと思う。

読みたければ止める程ではないが、特に良い本ではないと私は考える。

2006-10-24

『性と暴力アメリカ 理念先行国家の矛盾と苦悶』

鈴木透 著

中公新書

ISBN4-12-101863-X

性と暴力という観点からアメリカ社会を論じた本。

全体としてのテーマは必ずしもはっきりとはしない、要するにぐだぐだとしたいつものよくある人文系社会評論、だが、よくあるぐだぐだとしたものに慣れ過ぎてしまったせいか、論証のやり方すら忘れてしまったかのような本。

発想としては面白い指摘もあるので、よくあるぐだぐだとした人文系社会評論が好きな人なら、これで良いのかもしれないが、圧倒的に論述が足りていないので、発想はすべて思い付きレベルでしかない。自分が何を論じたいのか、そのためにはどういう論証が必要で、どのように論述していけば良いのか、ということを、もう少しまともに考えてみてもばちは当たらないのではないだろうか。

例えば、性と暴力の問題は、人為的な集団統合というアメリカの根幹に関る問題だ、という話が、はしがきとあとがきとに出てくるが、最初と最後に出てくることからも想像が付くように、本論中にそういった話は殆ど出てこないし、これ以上の敷衍も説明も、論証もある訳ではない。本論中では、アメリカは性を直視する伝統がある、という話と、共同体から危険なものを排除するリンチの伝統が現代におけるイラク戦争などの対外戦争にも色濃く現れている、という話が二つの軸として出てくるのだが、こちらに関しても、前者は一応論じようとはしているものの論証を中心にすえたすっきりとしたものではないし、後者は何を以ってリンチ型の戦争とするのかという定義さえない体たらくで、思い付きを越えるものがあるとは余り思えない。

事例の積み重ねだけで証明になるのか、事例の積み重ね以外に論証のしようがあるのか、どれだけ事例を積み重ねれば、論証したといえるのか、といった厄介な問題があることは認めるにしても、それにしても、という感じか。

思い付きで良ければ、発想としては面白いものもあるので、こういうのが好きな人なら読んでみてもの良いかもしれないが、安直な社会批判みたいな部分もあるし、全体的には少し厳しいのではないかと思う。

私としては余りお薦めできる本ではなかった。

以下メモ

・ピューリタンにとっては、性の誘惑を断ち切ることが到達度を示す一つの指標だった。

フロンティアの消滅は、広大なフロンティアの治安を自警団などによって維持してきたアメリカにおける暴力的伝統を断ち切る好機だったが、ジェシー・ジェイムズやビリー・ザ・キッドといったアウトローを英雄視することで、暴力に対する美化が続いた。

2006-10-21

『入門!論理学』

野矢茂樹

中公新書

ISBN4-12-101862-1

論理学についての入門読み物。

光文社新書みたいな初級者向けの入門書なので、入門書が読みたいという人には、良い本ではないだろうか。

幅広く何でも扱っているというのではなく、主に命題論理と述語論理の公理系に絞って書かれているので、道筋を追いやすくはあるだろう。

個人的な感想としてはそうたいした内容があるのでもなかったが、入門読み物なので、こんなものだろう。入門書としては、悪くない本ではないだろうか。

入門書で良ければ、読んでみても良い本だと思う。

2006-10-17

『好かれる方法 戦略的PRの発想』

矢島尚 著

新潮新書

ISBN4-10-610184-X

PRをPRした本

PR会社の社長をしてきた著者の経験を元に、PRについてそのさわりを軽く紹介したもので、私としては軽すぎてたいした中身がないとは感じたが、新潮新書らしい軽く読み捨てられる一冊だといえばそういう本なので、そうしたもので良ければ読んでみても、というものか。

PRのPR以外の内容はほんとにないので、私は別に薦めないが、そうしたものが良いのならば、というところだろう。

2006-10-15

非ミドルクラスの、上昇願望を持たない生活態度は、それを日常の称揚と見るならば、負け組格差拡大などといって潰してしまうのは惜しいのかもしれない。エリートが営むエリートの生活を守るための自由ではなく、普通の人が営む普通の生活を守るための自由こそが、自由な社会にとって必要な自由といえるだろう。

2006-10-14

『反西洋思想

イアン・ブルマ/アヴィシャイ・マルガリート 著 堀田江理 訳

新潮新書

ISBN4-10-610182-3

反西洋主義的な思想は広く普遍的に存在する、ということが説かれた本。

そこそこ面白いとは思うが、テーマや内容はせいぜい50pくらいの雑誌論文に相応しい程度のもので、要するにそれを一冊に薄く引き延ばした、といった感じの本か。

良くいえば、厚くなった分は、様々な反西洋思想が集積されて、ごった煮になっているので、これで面白いといえば、面白いだろう。そういうもので良ければ、読んでみても、というところ。

しかし、このゴッタ煮というのがまた問題ではある訳で、分量が厚くなったから議論が厚くなったということには全くなっておらず、様々な反西洋思想を系統立てて分類、整理したりとか、やるべきことはいくらでもあったのではないだろうか。旧約聖書に登場するような、傲慢で堕落した都市バビロンに対する反発と、現代の反西洋思想とを本当に同一のものと看做して良いかどうか、あるいはそれがどのような関係にあるのかの検討とか、反西洋思想を、富や成功に対する憬れと妬み、物質VS精神、普遍主義VS伝統主義、凡庸な日常VS偉大な集合体、知性VS反知性、世俗的な価値VSそれを越える価値、等々といった数多くの事柄の、何にどの程度還元するのか、またそれらの事柄の相互の関連はどうなっているのか、そして最も重要な点として、どれが決定的な要素なのか、の検討、とか。

後、反“西洋”思想の西洋を、著者や本来対象とする読者が、少なくとも一部ゲイシャガールのようなカリカチュアとして考えていることは確かだと思うが、翻訳されて日本語で読む場合に、その辺の事情が全然分からないので、何かが問題となる可能性はあるかもしれない。

ということで、全体として余り良い本ではないと思う。そこそこは面白いので、それでも読みたければ、読んでみても、というところだろうか。

練られてない感じがあるので、積極的には薦め難い本だと私は思う。

しかし、この本がアメリカで売れたのだとすると、反西洋思想は今に始まったことではないので大丈夫だ、という読まれ方をしたのではないかと思われるが、どうなのだろう。あるいは、国内における反対者の主張は非西洋諸国において反西洋思想として引用されている、あいつら許せんぜ、っていう感じなんだろうか。

メモ1点。

・偉大な人物を集合体の代表とは捉えず、個人を重視する社会にあっては、殆どの個人は凡庸な普通の生活を送らざるを得ないので、凡庸な日常を称揚する価値観が起こっている。凡庸な人生の称揚や物質的な快適さは、偉大な人物も(偉大でない人物も)集合体の一部と看做すユートピア的な理想にとって、そのガス抜きをしてしまう大きな脅威である。

つまり、

カミカゼアタックは、暴力を以って西洋に対峙した時の、ありがちな対応なのだろう。けだし、世俗的な価値に対峙するためには、それを越えた価値が説かれねばならないし、世俗的な価値である富も快楽も、命を失っては享受することはできないので、命を失っても享受することができる価値は、一般に世俗的な価値を越えたものになるからである。

2006-10-11

巨人軍タブー事件史』

別冊宝島編集部

宝島社文庫

ISBN4-7966-5450-X

巨人軍のスキャンダルに関していくつかのことが描かれた雑録読み物。

別冊宝島からの文庫落ち、ということで、そうした類の雑録読み物と考えてほぼ間違いないが、竜頭蛇尾というか、タイトルだけというか、たいした中身は殆どないような章も結構ある。別冊宝島の中で出来が良かったものを文庫落ちさせているのではない、ということが分かった。

読み捨てるのならばこんなものかもしれないが、全体として、別に出来が良いとはいえないのではないかと、私は思う。その程度のもので良ければ、というところだろう。

2006-10-09

『勝負勘』

岡部幸雄

角川oneテーマ21

ISBN4-04-710060-9

岡部幸雄元騎手によるエッセイ

内容的にも、取捨選択の上でも、岡部幸雄のエッセイ、の一言で示される本で、それで良ければ読んでみても、というものか。

特に取り立てて、という程のものではないが、読み捨てるくらいには十分なエッセイ。身勝手というか、奇麗事を並べているな、という感じはあるし、同じことを誰が言っても説得力があるというものでもなく、岡部幸雄だから、という部分も多分にあるだろうが、それなりのエッセイだと思う。こんなものではないだろうか。

興味があるのなら、読んでみても良い本だろう。

以下メモ

マティリアルスプリングステークスの後、調子が下降線だった。

タイキシャトルは、フランス遠征時、装蹄師を蹴って肋骨を折らせていた。ジャック・ル・マロワ賞の装鞍所で蹄鉄が外れた時、装蹄師は痛みを堪えて蹄鉄を直した。

2006-10-05

論文捏造

村松秀 著

中公新書ラクレ

ISBN4-12-150226-4

ベル研究所シェーンが行った論文データの捏造事件を追ったノンフィクション

評価としては、ノンフィクション部分は、割と普通のノンフィクションで、それなりによくできていると思うが、論文捏造に対してどのように対処すべきかを提言した部分が、要するに社説レベルで殆どたいしたことはいっていないので、差し引きプラマイゼロ、という感じの本か。

良くいえば、ノンフィクション部分はまずまずなので、事件に興味があってそこのみで良いというのであれば、読んでみても、というところ。メインはそこなので、読んでみる手はあるだろう。

問題点としては、何よりも末尾を飾る(べき)社説部分の出来が悪いこと。シェーンの研究チームのリーダーだったバトログに対する中途半端な糾弾は、心情的には分かるが、糾弾すべきかどうか私にはよく分からないし、いずれにしても相当中途半端なものでしかない。また、超伝導で磁力が生じる(ピン止め効果のことか?)とか環境ホルモンが云々とか、科学的な事柄に関しては、正直疑問を感じるが、そもそも科学的な部分は殆どないので、それ程の問題ではないかもしれない。

最後が良くないので読後感が良くなく、私としては特別に良い本だとは思えなかった。メインであるノンフィクション部分はまずまずなので、そこだけで良いというのならば、読んでみても、というところだろう。

2006-10-03

『百姓から見た戦国大名

黒田基樹 著

ちくま新書

ISBN4-480-06313-7

戦国時代の社会に関して、やや思弁的に述べられた本。

戦国社会研究のまとめ、と考えれば、一応は大体そういうものなので、そういうもので良ければ読んでみても、という本か。

それなりに面白いので、やや頭でっかちなまとめ、で良いのなら、興味があれば読んでみても、というところではないかと思う。

大体の筋としては、中世から戦国時代にかけては、飢饉が多く、人々が食べていくのがやっとの時代だった、そうした中で、人々は自分の暮らしを守るために、村を単位に政治的に団結するようになった、村は、生産資源を確保するため、しばしば武力を以って他の村と対立し、または同盟を結んだ、村同士の紛争は、当然のようにその領主の紛争に直結したが、戦国大名はそれぞれの領主を家中として組織化することで、村々の対立が領主の対立へとエスカレートすることを防いだ(逆にいえば村の対立がエスカレートすることを防ぐために、戦国大名の存在が要請された)、戦国大名は、村が成り立っていけるようにこれを保護し、村同士の紛争の解決手段として、公正な裁判を提供することが求められた、というのが、おおまかな内容だろうか。

欠点としては、やや思弁的というか理念的というか、頭でっかちという感はある。先行研究をまとめているのだから、仕方がないしまたこれで大丈夫なのかもしれないが、歴史においては、思弁的というのは、危ういというのとほぼ同義ではある。例えば、著者は、伊勢宗瑞(北条早雲)から氏綱への代替わり(永正十五年、隠居)、信虎から武田信玄への代替わり(天文十年)について、飢饉を背景にした世直しだったと論じているが、直後に引用している下総の寺の過去帳では、この両年に飢饉のため死者数が増えている事実はない、とか、飢饉が頻発した時期(15世紀後半から16世紀)と、村が政治団体として組織されるようになった時期(13世紀から15世紀)とが対応していない、とか。

しかしこの点を除けば、それなりに面白いので、まとめで良いのなら読んでみても、という本ではないだろうか。興味があるのならば、読んでみても良い本だろう。

以下メモ

・戦国大名が、村同士の紛争解決を担ったのと同様に、宿町における紛争解決を保障したものが楽市である。

・戦国時代におけるこうした、支配者と支配者によって域内の平和が荷担された領域、という関係は、秀吉によって列島規模に拡大され、また、近現代の国家へと繋がっていくと考えられる。

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