小林一茶風日記

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2007-01-30

古事記起源 新しい古代像をもとめて』

工藤隆 著

中公新書

ISBN4-12-101878-8

中国少数民族の事例を元に、無文字時代の神話のあり様を考え、そこから『古事記』を捉えようとした本。

専門性が高いため、かどうか、全体的にやや瑣末な部分が多いが、面白い箇所もあるので、それなりには楽しめる本か。

(方法論的なことが書かれた部分は、瑣末だが、専門的には多分しょうがないのだろう。歌垣について考察している第十章は、要するに、長い時間歌い継いでいく歌垣は歌い手協調性がないと成り立たないものだから、歌垣における女性の取り合いが政争にまで至る話は、神話伝承として後の発展段階に属するものだろう、ということが書かれたものだが、テーマに即したすっきりしたものでないのは、モデル構築の専門的な部分を含むとはいえ、専門云々は余り関係がなさそうだ)

興味があれば、割と面白い本ではないかと思う。

現代の中国における事例を、古代日本のモデルとして適応して良いのか、という批判はすぐに思い浮かぶが、実際には、必ずしも少数民族の事例がこうだから、という議論ではなく、事例抜きでもそれなりに説得力のある議論がなされていると思う。

(文字に記す前の暗唱段階では、神話は対句や韻を踏んだ繰り返しの多いものだったろう、とか。歌垣の話も『古事記』本文には「闘明(闘い明かして)」とあるから、長時間歌い合ったことは確かである。これらに比べると、豚の話(後述)や死生観の話(古代人には、死者は、いつまでもいとおしく戻ってきて欲しいものではなく、戻ってきて欲しくはないもの、生きる自分とは別の道を歩んで欲しいものだっただろうというもの)は少し微妙か。スサノオの歌にある妻籠みの垣のように、現代中国少数民族の民俗事例をそのまま持ってきている例もある)

この他、記紀神話の前史が、著者が考えている程長くあったのかは私は疑問に思うし、本書でも無視される『三経義疏』、という問題もあるが(最後の与太話は無視するとして。否、そこが結論なのだから無視しちゃいかんのだが。後、細かい話としては、「弘仁私記」が太安麻侶を持ち上げるのは多人長の身びいきだろう、とか、上代特殊仮名遣いの違いを意味の違いに波及させるのはどうか、とか)、全体としてはそれなりに楽しめる本だろう。

専門的な瑣末なものは嫌という人や、方法論的に多分無理という人は別にして、興味がある人には、悪くない本ではなかろうか。

興味があるならば、購読して良い本だと私は思う。

以下メモ

・『常陸国風土記』によれば、茨城は先住民族を茨で殺したので付けた地名である。

・日本の古代国家は、政治的リアリズムだけではなく、神話・呪術的世界や歌による恋愛文化といった非リアリズム的要素を国家の中枢に入れた。

・古事記「記序」には復古精神が濃厚に説かれており、『古事記』は、律令国家が整っていく時代にあってそれに逆らう反動の書であった。

太安万侶は、実務官僚っぽいイメージだけど、そうでもなかったのだろうか)

・昔の中国や、現代中国少数民族の村では、人糞は豚が処理している。日本でも弥生時代には豚がいたらしいが、その後余りいなくなっており、早い時代に人糞を肥料にすることが起こったのではないか。死体から人間にとって良いものが生じるハイヌヴェレ型神話の中でも、日本だけ屎尿から神が生まれたのは、そのためではないだろうか。

・中国ではイノシシ年は普通ブタ年のことである。ベトナムにはウサギがいないので、ウサギ年はネコ年である。

(ちなみに、個人的には対句を使って記紀の創世神話を再構成しようとしている第四章が一番面白い所なのだが、とてもメモにまとめようがないのが残念だ)

2007-01-26

『「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち』

安田敏朗 著

中公新書

ISBN4-4-12-101875-3

国民国家に必要な「国語」を作ろうとしたことを批判する観点から、国語学史の流れを素描した本。

私には著者が何をいいたかったのかどうも余りはっきりとせず、全体的には、なんだかよく分からない本であった。

国語は近代国民国家にとって必要なものだったから国語学者たちはそれを作ろうとしたのだ、というのが全体のテーマであると看做すには、余りにもあからさまに、結論が先にありき、であるし、かといって、国語学者がそれを作ろうとしたからどうだ、という話が語られる訳でもなく、たとえるなら、調理していない海鮮煮込み鍋、みたいな本か。

基本的に国語学者たちの政治的な主張があげつらわれるのみで、国語学の中身に、国民国家に必要な国語という政治がバイアスをかけた例は殆ど語られていないのだが(日本語と、琉球語アイヌ語朝鮮語との同祖論とか、方言の中に古い時代の要素を発見することで、方言の話者に日本国民としての歴史的な一体感を持たせた、というくらいか)、その点が、私には、批判として、何を批判したいのかがよく分からない、という感じを抱かせる所以ではある。国家に反対しない奴は全員敵だ、みたいな感じなんだろうか。

国語学者たちの政策は、戦前には必ずしも結実せず、戦後、「現代かなづかい」「当用漢字表」という形で、国語民主化スローガンの元、行われた、という指摘は面白かったし、ここが一つのクライマックスではあるのだろうが、私としては練り込みが足りないと思った。

これらのことから、全体的には、私にはなんだかよく分からない本。

私としては、余り薦めるような本ではなかった。

ちなみに、

「○○が××をした(△△著『……』)が、」とか、「○○が××であった(△△著『……』)ように」とかいう括弧の付け方は、文脈の流れを容赦なくぶった切るので、余り良くないと感じた。「○○が××をしたが(△△著『……』)」「○○が××であったように(△△著『……』)」という風にするのが良いだろう。

2007-01-23

本屋和田先生の本のタイトルを見て思った勝ち組負け組の分かりやすい定義。

勝ち組負け組と世間を煽り立てて金を稼いだ奴が勝ち組。

それに煽られて勝ち組負け組と騒いでいる奴が負け組。

これで俺も負け組の仲間入りだぜ。

2007-01-21

『「退化」の進化学 ヒトにのこる進化の足跡』

犬塚則久 著

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257537-X

退化器官や痕跡器官等の、人体にある進化の痕跡について書かれた本。

だだだーっと詰め込まれた概説的構成や、細かな解剖学的事項の記述が多いことから、余り読みやすい本ではないと思うが、内容的には、それなりに面白い本か。

興味のある人や、解剖学的な記述が大丈夫だという人ならば、楽しめるのではないかと思う。

もう少し読みやすくできないかという気はするが、テーマがある訳でもない雑学読み物なので概説的になるのは仕方がないだろうし、解剖学的な細かい記述が多いのも内容的に当然ではあるだろうから、こんなものでしょうがないといえばしょうがないか。

雑学読み物としては余り読みやすくはないが、それなりに面白いので、興味があれば、悪くはない本だと私は思う。

興味があるのなら、読んでみても良い本だろう。

以下メモ

・耳の穴は元々エラ穴であり、それ故に喉と耳は繋がっている。エラ穴を支える骨が変化して顎ができたと考えられるが、歯の生える歯骨だけがどんどん大きくなることで、最初に顎を構成した骨は後ろに追いやられ、人間哺乳類)では音声を伝える耳小骨になった。

心臓は、進化の過程で肺循環が加わることによって形を大きく変えており、奇形の多い臓器である。

・消化効率を高める咀嚼は哺乳類に恒温性の基盤を提供するものであり、常に咀嚼を行うために、哺乳類の歯は一度か二度しか生えなくなった、と考えられている。

・卵を生む動物は便も尿も卵も一つの総排泄腔から出すので、卵を生む原始的な哺乳類を単孔類という。

赤ちゃんの頭の骨は、産まれてくる段階では完成しておらず、穴が開いている。骨化は産まれた後も続き、最終的に閉じ終わるのは80歳過ぎとされる。

・ヒトの虫垂はリンパ小節が集まった免疫組織として機能している。

・副乳や親知らず等、退化器官は個体変異が多い。

・性腺は中腎という原基から分化するが、男では髄質が拡大して精巣になり、女では皮質が拡大して卵巣になる。

2007-01-17

『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート

コリンジョイス 著 谷岡健彦 訳

NHK出版生活人新書

ISBN4-14-088203-4

外国人記者が日本について書いたエッセイ

大体のところ、ありがちなガイジンによる日本印象記、と考えて間違いはない。

特に批判している訳でもない普通のエッセイで、その分、(日本人には)これといった内容はないが、読み物としてはそれなりの読み物、という本か(休憩時間のあるプールというのは、私は見たことも聞いたこともないが)。

90年代くらいのこの手の本には日本社会を批判したものが多かったような気がするが、流れが変わったのだろうか?

批判でもべた賞めでもない淡々としたエッセイ。

そんなに抱腹という程、笑える訳でもないし、特派員の境遇が書かれたところ(記事の採否や最終稿の決定、どんな見出しを付けるのかは、すべて本社のデスクが権限を握っており、現地採用の特派員にできることは限られる)以外は、特別に興味をひくようなものはないと思うが、読み物として読んでみたければ読んでみても、という本だろう。

2007-01-15

プロ野球の凋落もここに極まれり。

一月前半のスポーツニュースの話題といえば、例年、プロ野球選手の自主トレだったが、今年は自主トレの話題の殆どを日本人大リーガーにさらわれ、とどめに、まだプロにすらなっていない大学進学の高校生投手にまで持っていかれたらしい。

2007-01-14

『人はなぜ簡単に騙されるのか』

ゆうきとも 著

新潮新書

ISBN4-10-610196-3

騙しのプロである手品師が騙しについて書いたエッセイ

部分部分には面白い箇所もあるが、第三章とか第四章とか全体として何が言いたかったのか訳が分からないところもあって、一冊としては結構微妙な出来のエッセイか。

エッセイなので合う人には合うかもしれないし、読み捨てるくらいのつもりならこんなもので十分かもしれないが、余り良い本だとはいえないと思う。

それなりに面白いが、積極的には薦めかねるものがある。新潮新書らしく軽く読み捨てられる一冊なので、それでも良ければ、というところだろう。

以下メモ

タバコをコインに通すマジックは、余りにも現実にできなさそうなのが弱点である。穴あきコインを使うと、少し自然になる。

・掌に置いたコインを、突然消すのと、一旦握った後で手を開くと消えているのとでは、観客に想像力が働く分、後者の方が反応が良い。

2007-01-11

宝石の裏側』

内藤幹弘 著

新潮新書

ISBN4-10-610195-5

オリジナルジュエリーの製作・販売をしている人が書いたエッセイ

宝石業界の裏側を描いたものではなく、一言でいって、手前味噌、といった感じの本で、つまるところ、ジュエリーは、業者の大量販売品でなく、あなたに似合うものを(あなただけのオリジナルで)、ということが主張されたもの。

なにも著者の宣伝にこちら側が金を払う必要はないと思うが、宣伝で良ければ、一応はそれなりのエッセイか。

業界裏話は期待できないが、オリジナルジュエリーの製作・販売をしている著者がどのような考えで仕事をしているのか、ということが分かる本ではあるので、そういうもので良ければ読んでみても、というもの。

再度書くと、著者の宣伝にこちらが金を出す必要はないと思うが。それでも良ければ、という本だろう。

2007-01-09

仕事師たちの平成起業

溝口敦 著

小学館文庫

ISBN4-09-408136-4

様々な裏ビジネスについての雑学読み物。

(裏といっても、占いペット用葬送業者のように、完全に合法のものもある)

雑誌の連載をまとめたもの、ということで、多分、一つの業種につき一号分なのだろうから、全体的にいって突っ込みが浅い印象は否めないが、一応、そのビジネスがどのようにして儲けを出しているのか、ということを中心に記述している。

広く浅く、といえばそういうものなので、読み捨てるくらいのつもりの人や、本当に裏ビジネスがどういう仕組みで儲けを出しているか知りたいという人ならば、読んでみても良いかもしれない。

私としては、突っ込みが浅くて、物足りない気がした。

それなりの読み物といえば読み物だろうから、読み捨てるのならばこんなもので良いのかもしれないが、別に薦める程ではないだろう。

以下メモ

・身体障害者手帳というのは、偽造が簡単でメリットもある。

コンサート等のチケットは、S席やA席のように面でしか取れないので、良い席を取れなかった人や良い席が割り当てられた法人等からチケットが流れ、チケット屋には良い席と悪い席の両極端が集まる。

・AVで緊縛師に払うギャラは1日20万円。

無料パソコン家電製品を引き取る業者は、アジアやアフリカに輸出している。

2007-01-06

『信玄の戦略 組織、合戦、領国経営

柴辻俊六 著

中公新書

ISBN4-12-101872-9

武田信玄の領国経営と領国拡張について書かれた本。

家臣の職制とか版図拡大の過程とかの結構細かいことが、こまごまと概説的に書かれた本で、私には取り立てて面白いものでもなかったが、そういうこまごまとしたことを知りたい人向け、という感じの本ではあるのだろうか。

大河ドラマ便乗本として考える程、一般向けの読み物ではないし、(かといって所詮は大河ドラマの便乗本なのだから)なんらかのテーマが論じられている訳でもないし、私としては、余り良い本だとは思えなかった。

あとがきには、武田信玄の「専制的な支配の実態を明らかにすることに主眼を置いた」と書かれているが、本書のどこにそのような分析があるのか、私には皆目理解できない。税役に関して書かれているところなのだろうか? 税金なんて、歴史上最も専制的でない国家にもあったのだろうに。

後、史料の内容に対する批判が甘いような気がした。著者としては、史料に書いてあることは、あくまでそれを尊重して、現代的な立場からの批判は加えない、という立場なのだろうが。

だから、私としては薦めるような本ではない。新書レベルではないこまごまとしたことが知りたいなら、読んでみても、というところだろう。

2007-01-03

『背信の科学者たち 論文捏造データ改ざんはなぜ繰り返されるのか』

ウイリアム・ブロード/ニコラス・ウェイド 著 牧野賢治 訳

講談社ブルーバックス

ISBN4-06-257535-3

様々なミスコンダクトの事例を通して、それが、(現代)科学にとってイレギュラーではない、当然起こり得る事態であることを論じた本。

テーマ的に、やや明快さを欠き、捉え難いような気もするが、色々な科学不正の事例が語られていて、その点では、私には面白かった。不正事例に興味があるならば、楽しめる本ではないだろうか。

テーマとしては、科学は客観的なものであるとイデオロギッシュに信じられているが、科学とそれ以外の知的活動との客観性の差は程度問題でしかなく、科学における不正も、(科学が本来持つと信じられているような)客観性によってはすぐに暴きたてられることにならないのであって、不正は、科学における例外事象ではなく、普通に起こり得るものなのだ、というのが大体のところだろうか。余りすっきりとはしていないと思うし、原著が古いせいか今更感もあるので、科学哲学の方が興味の中心という人には、向かないかもしれない。味付け程度で良ければ、特に悪いということはないが。

後は、訳文がこなれていない箇所が若干あるが(第9章の冒頭とか)、全体的に変、ということはないので、許容の範囲内か。

基本的に、私としては面白かったので、不正事例に興味があるならば、楽しめる本ではないかと思う。

興味があるならば、購読しても良い本だろう。

以下メモ

ガリレオ実験は再現不可能で、ニュートンは『プリンキピア』の中で偽りのデータを使った。

・都合の良い実験データを選んで発表したミリカンはノーベル賞を授賞し、すべての実験データを開示して彼に反対したエーレンハフトは失意の底に沈んだ。

・追試を行ってもそれで評価されることはないから、実験を改良することでより良い結果が得られる見込みがあるとかの特殊なケースでないと、追試は行われない。

・科学者は一つの研究を複数の論文に分けることで、業績を水増しする。多くの二流以下の科学論文が氾濫しており、それらは、追試どころか、一度も引用されることなく、忘れ去られていく。

・ゼンメルワイスは消毒液で手を洗うことによって産褥熱による死亡率を18%から1%へと減らしたが、その客観的なデータが同時代の産科医を説得することはなかった。

助手や共同執筆者の不正

が明らかになった場合、科学者は決まって、そこまでの管理はできない、と責任逃れをするが、助手や共同執筆者の素晴らしい実験成果が出た場合に、その利益を(しばしば最も)得るのも、その科学者である。

一般的にいって、成功した場合の利益を享受するならば、失敗した場合の損失をも甘受せねばならないだろう。

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