『写楽 江戸人としての実像』

中野三敏
中公新書
ISBN978-4-12-101886-1
東洲斎写楽が誰であったかに関して書かれた本。
基本的な主張としては、写楽が誰であったのかは、斎藤月岑の『増補・浮世絵類考』に「俗称斎藤十郎兵衛。江戸八丁堀に住む。阿波侯の能役者」と書かれている通りであって、その記述から戦前は写楽が誰であったのかは殆ど疑いがもたれていなかったのに、戦後になって謎めいた人物のように捉えられたのは、江戸時代の身分制度やそれに基づいた雅と俗の二元的な文化のあり様、つまり阿波藩お抱えのれっきとした士分にある者が、浮世絵、なかんずく河原者を描くことは堂々とできることではなかった、ということが分からなくなったからだ、と説かれたもの。
本の出来栄えとしては微妙なところであると思うが、こうした主張そのものは、写楽が誰かということを斎藤月岑が書いていたことも知らなかったので、私には面白かった。
それ程積極的に薦めるのではないが、こうした主張に興味があるのなら、読んでみても良いかもしれない。
本の出来が微妙だというのは、一つは、意識して擬古文的にしているのかどうかは知らないが、凝った文体で読みにくいこと。もう一つは、著者の主張は、10ページ足らずのはじめにを読めば私には殆ど分かったので、後は、先が読めるというか、ほぼ予定調和で動いていく感じがあったこと。良くいえば、その主張を敷衍・論証したもの、ではあるのだが、それが楽しいか、というと、また話は別だろう。
全体としては、やや微妙。積極的に薦めるのではないが、それでも読みたければ読んでみても、というところだろう。
以下メモ。
・江戸文化において元禄や化政期が特筆されてきたのは、庶民文化をよしとする近代的な観点から、町人文化の勃興期や爛熟期が注目されたのであり、江戸文化そのものとしては、その中間期の方が、古雅な上層文化と町人文化とが調和した一つの絶頂を示している、といえるだろう。
・『江戸方角分』によれば、多田人成は、大田南畝の弟、島崎金二郎である。