小林一茶風日記

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2007-05-30

『核爆発災害 そのとき何が起こるのか』

高田純 著

中公新書

ISBN978-4-978-4-12-101895-3

核爆発によってどのような災害が引き起こされるかについて書かれた本。

大体のところは、核爆発についての啓蒙概説書、と考えておけば良い本で、私には結構面白かったし、知っておいて損はないだろうから(知らないで済むことを願いたいが)、読んでみて良い本だと思う。

広島原爆の生存者の事例から始められていて、読み物としても読みやすい(原子爆弾原子力という呼称は、科学的に不適切だとして、本書では余り用いられていない)。

欠点としては、日本語のたどたどしい箇所が少しあって、そのせいかどうか若干分かり難いところもあるが、そんなに、酷いという程ではないだろう。

(一応例を挙げておくと、「なお、この闇のビジネスには、核兵器開発を放棄したリビアから、日本企業も無関係でないことが判明している」などと書かれている。リビアからのからとは、リビアから日本企業まで、ということなのか、リビアの証言によって、という意味なのか、二通りに解釈できる)

内容的に興味深いものはあるので、悪い本ではないと思う。

興味があるのならば、お薦めしたい。

以下メモ

・核爆発が発生した場合、それによって高温の火球が形成され、火球からの閃光と熱線、続いて爆発による衝撃波がやってくる(光速で到達する閃光と熱線に比べ、衝撃波の到達には時間がかかる)。熱線は火傷と火災の原因になり、衝撃波によって砕かれ、飛び散る窓ガラスはヒトに対して大きな脅威となる。

・火球からは核分裂に伴う初期核放射線放出される。火球は上昇して地面からは離れていくので、初期核放射線の被曝は爆発の規模によらず最初の1分間くらいである。

・空中核爆発では、核分裂生成物は上空へ巻き上げられるが、火球が地表に接する地表核爆発の場合、地表粉砕物が上昇気流に吸い上げられて混じるため、核分裂生成物は大きな粒子を形成し、核の灰となって爆発地点の風下に落ちてくる。地表核爆発では甚大な残留核放射線災害が生じ、メガトンクラスの大型核兵器では、特別の防御がないと致死リスクを負う被曝となる範囲は風下数百キロにも及ぶ。

(空中核爆発だった広島に降った黒い雨に含まれる放射性物質は、初期核放射線の中性子を吸収して放射化したナトリウム24(半減期15時間)等である。これらは核分裂生成物に比べて半減期が短く、一週間程で危険はなくなる)

・核爆発で発生する電磁パルスによって電子機器が故障したり、放射線で電離させられたイオンによって長時間電磁波通信に障害が発生するおそれがある。この影響は空中核爆発の方が大きい。

・広島と長崎では、0.2シーベルトを越えて被曝すると、ガンの発生リスクが高まることが確認されている。妊婦の場合、0.1シーベルトで胎児に影響が出る。1シーベルトを越えて被曝すると嘔吐等の急性放射線障害を引き起こし、4シーベルト以上で下痢が生じる。4シーベルトは、その後60日以内で半数が死亡する半致死線量である(汚染された食物を取るなどして消化管が損傷した場合、4シーベルト以下で下痢となることもある)。

・熱核兵器は、核融合材料を劣化ウランで閉じ込めるため、爆発時にウラン238が中性子を吸収してプルトニウム239に核変換され、更なる核分裂爆発を引き起こす。

陽子や中性子の数が奇数の核種は偶数の核種に比べてより不安定である。核燃料となるウラン235とプルトニウム239は、どちらも質量数(及び中性子の数。陽子の数は92と94)が奇数である。

・TNT火薬換算で1キロトンの威力を持つウランやプルトニウムの重量は、56グラム。それが爆発した後の1分後の全放射能は、3700エクサベクレルである(チェルノブイリ原子炉事故で漏洩した放射能は、2エクサベクレルと推定されている)。

(ただし、核分裂連鎖反応が続くにはある程度の量が必要である。その臨界質量はウランよりもプルトニウムの方が小さく、小型化できる上に濃縮が必要なウランに比べて製造も楽なので、プルトニウム型の核弾頭の方が多数作られている)

・全核分裂生成物の放射能は、7倍の時間が経つと10分の1に減衰する。1キロトンの威力の核分裂爆弾の場合、爆発1分後に3700エクサベクレルだった放射能は、7分後に370エクサベクレル、49分後に37エクサベクレルとなる。熱核爆弾では、威力のおよそ半分が核分裂によるものと考えられている。

・もし核攻撃の警報を直前に受けたなら、ガラス窓が視野に入らない屋内で身を屈める。それによって、最初の熱線と、衝撃波で砕かれたガラス破片からの被害を防ぐ。地中貫通核兵器が使われるのでない限り、地下街は比較的安全。

・初期被害を回避したら、爆発のゼロ地点と自分が居る位置との距離を推定する。建物が大破し自動車が横転しているような場所は、ゼロ地点から近く、熱線による火災の危険があって残留核放射線も危険なので、ただちに地下鉄で脱出をはかる。建物が半壊していても自動車が横転していない場所は、火災の危険は少なく、短期核ハザードが減衰するまで1時間屋内退避をしてから、脱出する。窓ガラスが破損していなければ、ゼロ地点からは距離があるので、屋内退避する。

2007-05-29

自殺

した農水相について、石原都知事が、サムライだった、と言ったとか言わなかったとからしいが、名誉あるもののふの死に様は切腹にこそあれ、それ以外の自殺をサムライといってはいけないのではないか、と思ったものの、切腹といっても仕草だけで介錯人がバッサリというのが多いだろうから、介錯人のいない現代ではしょうがないのか。

ところで、政治家の自殺ということを考えると、秘書等が常に周りにいるだろうから、睡眠薬を多量に飲むとか手首を切るとかの時間のかかる方法は失敗する可能性が高そうだし、政治家が自殺未遂となればそれだけで政治生命を失いかねないから、失敗する訳にもいかず、青酸カリみたいなのは入手しづらそうだし、ピストルなら手には入りそうだが、かといって持ってはいけないものを使う訳にもいかず、政治家の自殺は何らかの社会的なメッセージだろうから、入水自殺みたいな遺体が出てこない可能性のあるものも、選ばれにくいのではないだろうか(辻政信みたいな話もあるが)。

となると、残るは首吊り自殺飛び降り自殺、ということになるが、政治家の自殺には首吊りが多く、芸能人の自殺には飛び降りが多い、ような気がする。

戦後に自殺した現職国会議員7名のうち、5人までが首吊りで、青酸カリの近衛文麿はかなり特殊なケースだろうから、やはり政治家の自殺には首吊りが多い、といえるのではないか。

芸能人は、死に様も派手好きなんだろうか。政治家が首吊りを選ぶのは、何故だろう。

2007-05-27

匿名ダイアリーに書くべきかもしれないが、余りにシュールな経験だったので、メモ

プライバシー保護のため、話を一部脚色してある)

今日、日曜の真っ昼間だというのに、隣の部屋から女性の喘ぎ声が轟いてきた。

うちの壁が特に分厚いということはなく、テレビの音とかも番組が分かる程度に洩れてくることはあるが、それよりも大きな声で、延々何十分にもわたって、喘いでいた。

エロゲとかの安っぽい想像の世界なら確かにありがちなことではあるが、現実に自分が体験するとは。

どのくらいシュールだったかというと、その女性の喘ぎ声でポコチンは勃ったけどその女性の喘ぎ声でオナニーしようという発想は全く出てこなかった、という程。

アダルトビデオを大音声で流していた、という可能性も考えたが、AVというのはまず殆ど男優の喘ぎ声がでかいから、わざわざ編集したのでない限り、それはないのではないか。

「だめぇ、あとちょっとなの、あん、だめえ、もうちょっと頑張って、あ、あ、ああん」

「あああ、ラスボス戦で全滅しちゃった」

というギャグならあるが、セックス以外であの喘ぎ声の由来となるものも、ちょっと思い浮かばない。

取り敢えず分かったのは、AVのような声で延々と何十分も喘ぎ続ける女性が、実際にいる(らしい)、ということだ。

思うに、あれはやはり、隣近所に女性の声を響かせよう、という一種の露出プレイではないだろうか。

次は是非、玄関ドア開けっ放しでのプレイにチャレンジして欲しいものである。

2007-05-26

アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語

西尾哲夫

岩波新書

ISBN978-4-00-431071-6

近代におけるアラビアンナイトの受容と変容について書かれた読み物。

雑学読み物というよりは、好事家向けの読み物で、これといったテーマがなく、記述が中途半端で茫洋とした印象は受けるが、読み物としては、こんなものといえばこんなものという本か。

特に良い本でもないが、読んでみたいのなら読んでみても、というところ。文学に興味があって読み物で良ければ、悪いという程ではないだろう。

私は余り文学は好きではないので、特に良い本だとは思わなかったが。

だったら最初から読まなきゃいいじゃん、ってことだよな。もうちょっと歴史よりかと思ったんだよぉ。

以下メモ

千一夜物語は、1704年に、アントワーヌ・ガランによってフランス語に訳され、ベストセラーになった。アラビアンナイトは、その英訳の題名からきている。

・ガランが訳出に使用した写本は、かなり古い形態を持つと考えられているが、現存するその写本には、シンドバッドアリババアラジンも空飛ぶ絨毯も入っておらず、ガランはそれらを他から持ってきたらしい。

・アラジンが住んでいるのは中国の町という設定になっている。

2007-05-24

ちょっと今更だがメモ

cf:http://tamatasi.blog70.fc2.com/blog-entry-266.html

面接において、やわらかい雰囲気を醸し出す中で、誘導質問をして、本音を引き出す、という話。

一般的にぶっちゃけていえば、社畜といわれる日本のサラリーマンに求められる美徳は、周囲に対する同調精神、ではないだろうか。

「終業時間になっても誰も帰らないのに自分だけ帰れないよね?」

「でも請求できる残業時間は月30時間までなんだよ」

「入札談合は絶対に必要だよね」

「欠陥商品だけど黙ってりゃばれないよね」

利益を出すためには粉飾決算も当然だよね」

「これやると法律違反だけど、スピード違反と一緒で、規制する方が悪いよね」

「頑張って仕事しようね」

等々の周囲からの同調圧力に対し、決して反発せず、できれば疑うことさえ夢にも思わずに空気を読んでそれに従うのが、日本社会において求められる美徳、というものではないだろうか。

しかるに、誘導質問に対してそれに誘導される人というのは、その美徳を持っている人である可能性が高いであろう。

「前の会社はろくな会社じゃなかったよね」

「そんなんじゃ愛社精神も持てないよね」

「手当ては貰えるだけ貰ってさっさと辞めるのが正解だよね」

面接において落とすべきなのは、誘導質問に乗せられいささか都合の悪い本音を出してしまった人ではなく、寧ろそれに乗らなかった人、ではないだろうか。

「そんなに酷いという会社でもありませんでした」

「愛社精神はそれなりに持ってました」

「終業時間なんだから帰って当たり前です」

「働いた分は当然残業代が請求できるはずです」

「入札談合は悪いことです」

「欠陥商品だってばれたらどうするんですか」

誘導に対して正論で反対できる人材を、その企業は本当に求めているのだろうか。

2007-05-23

『救急精神病棟

野村進

講談社+α文庫

ISBN978-4-06-281092-0

精神科救急医療ルポルタージュ

精神科の救急医療を行っている「千葉県精神科医療センター」に取材したルポで、大体の傾向としては、精神病院について大上段に振りかぶったものではなく、医療センターにおける日常の一コマを淡々と描いた、といった感じの本か。そういったもので良ければ、読んでみても、という本。

私としては寧ろ大上段に振りかぶったものの方が好きなのだが、別に悪いということはないし、こういうのが好きな人には結構面白い本ではないだろうか。活字中毒が暇潰しに読むには、十二分の本だと思う。

後は特に述べておくようなことはなく、全体的には別にありがちな普通のルポ。興味があるのならば読んでみても、という本だろう。

2007-05-19

『新しい薬をどう創るか 創薬研究最前線

京都大学大学院学研究科 編

講談社ブルーバックス

ISBN978-4-06-257541-6

新薬開発に関していくつかのことが書かれた本。

モチーフ的にも内容的にも、新薬開発への招待、という本で、手前味噌の自己称賛的な部分はあるが、読み物としては一応それなりの本か。

新薬開発に関するあれこれのことが書かれていて、雑学読み物としてはそこそこに興味深かったので、そうしたもので良ければ、読んでみても、という本ではないだろうか。

招待の割には、入門者向けにやさしい本ではないが、高校生物化学勉強している人なら、特に難しいという程ではないだろう。

手前味噌だ、というのは、例えば、最初の方にメバロチンの開発物語が出てくるのが、スタチン系の薬は売り上げ世界一、とかの讃美ばかりで、ええええええええ、という感じではあるのだが、一つ思ったのは、組織の名前がクレジットされるようなアンソロジーだと、個々の著者が持つ反省や薬学全体への批判が、それを現すと自分の所属する組織への批判になってしまいかねず、避けられてしまうのではないだろうか。

だから、少々ナルシシスティックで気持ち悪い感じはあるが、読み物としてはそれなりだろうから、新薬の開発に興味があるならば、読んでみても、という本だろう。

ただし、招待だから都合の悪いことは書かないでしょ、というのは理解するとしても、薬学研究の道に本気で進むかもしれないと思っているような人は、都合の良いことばかりで騙される危険性は、あるかもしれず。

以下メモ

タンパク質の二次構造であるα−ヘリックス構造はアミノ酸らせん状に並んでいるが、上(末端側)から見ると、7個毎のアミノ酸(アミノ酸配列で1番目と8番目と15番目…、2番目と9番目、…)が、ほぼ同じ位置にくる。片側に親水性アミノ酸、反対側に疎水性アミノ酸が集まるようなアミノ酸配列を持つペプチドは、水にも油にも親和性のある両親媒性ヘリックスとなる。

・ガン組織は正常組織より血管壁が粗く、大きな物質が通り抜けられるので、抗ガン剤をポリエチレングリコール等でコーティングして大きな分子にすると、ガン細胞を選択的に攻撃できる。

また、大きな分子は腎臓でろ過され難く、ポリエチレングリコールでコーディングすると貪食細胞に察知され難くなるので、体内に長い時間留まることができる。

2007-05-17

ステーキチェーン店で起こった監禁強姦事件

に対しては、怖いとか安心できないとかの意見が多いような気がするが、これがちょっとよく分からない。

心斎橋がどういうところか知らないし、ペッパーランチがどういう店かも知らないが、報道によれば事件が起きたのは午前0時20分頃で、この時間に飯を食っていては、つまり終電は逃した、という時間だろうから、保守親父のステレオタイプ的言説では、若い娘がそんな時間に一人でウロウロしているからだろ、ということになるのではないだろうか。

この時間に歌舞伎町で飯を食って、漫画喫茶の深夜パックで始発まで時間をつぶす、という行動なら、私が取ることも想定の範囲内だが、その場合は、通りに面していて大きなガラス窓で中が丸わかりの吉野家とかで客が何人かいるところを探すと思う。「ペッパーランチ」心斎橋店がどういう構造かは知らないが、こういう構造の店なのだろうか。

漫喫でこういう事件が起これば同じ、かもしれないが、一人客が泊まりで利用することを前提に営業している店と同一には語れないだろう)

歌舞伎町なんかで夜一人で食事をしていたら、若い美人が隣にやってきて、何故か話しかけられて、話が弾んで、これから私の知っている店で少し飲みませんか、とか誘われて、のこのこ付いて行って、身ぐるみ剥がされる、と、私の感覚では、歌舞伎町とはそういう所だ。

事件が起きたから怖いという前に、そもそも、そんな時間にそんな店使うことが危ないのでは、と思う私の感覚が、田舎年寄り丸出しなんだろうか。

2007-05-15

『視聴率の正しい使い方』

藤平芳紀 著

朝日新書

ISBN978-4-02-273142-5

視聴率に関していろいろなことが書かれた本。

一応、視聴率が本当はどのようなものであるのか、というモチーフがあることはあるのだろうが、全体としては、視聴率に関しての雑学読み物、と考えておけば良い本か。

私は余り積極的には支持しないが、雑学読み物としてはこんなものではあるだろうから、そうしたもので良ければ、読んでみても、という本。

積極的には支持しないというのは、問題点が二つあって、一つは、雨の日や日曜は家に居ることが多いので視聴率が高い、とかの視聴率に関する雑学が書かれた部分が、本当に、雑学の細切れにしか過ぎないこと。そうだとは書かれていないが、新聞の小さな囲み記事の連載をまとめたような感じ。一冊の本としては、余りにもぶつ切りに過ぎるのではないだろうか。

もう一つは、モチーフに関することで、昔偏差値批判に対する批判というのがあって、偏差値がけしからんという意見に対しては、偏差値なんてただの統計数字ではないか、という批判があった訳だが、本書における視聴率批判に対する再批判というのが、要するにそれに当たらずといえども遠からずというものであるように、私には思われること。今日振り返ってみれば、偏差値批判というのはいってみれば学歴社会批判であった訳で、それに対して、偏差値なんてただの統計数字である、と反論するのは、その限りではどんなに正しいのだとしても、結局は、完全に政治的な立言にしか、なっていなかったのではないだろうか。そういう歴史を知っている身としては、本書のような批判は、ひいてしまうというか、燃えるものではなかったし、余り面白く意義のあるものだとも思えなかった。

しかし、これはこちらの方が悪いかもしれないので、雑学読み物としては、こんなものではあるのだろう、というところか。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

以下メモ

・視聴率の調査対象世帯に複数台のテレビがあって違う局の番組を同時に流している時、世帯視聴率はそれぞれカウントされる(同じ家の複数のテレビが同じ局を流していても、カウントは一つである)。

 視聴率1%で100万人が見たことになる、というような計算は正しくない。

サッカーの試合では、CMが多いハーフタイムに視聴率が下がるので、一試合トータルの平均視聴率にすると視聴率が低く出る。NHKではハーフタイムにニュースを挟んで前後半を別番組にしたりするが、民放では、CM販売上の制約があって、一番組にしかできないらしい。

・放送の多局化が進めば、一局あたりの視聴率が減るだろうから、各番組の視聴率の差が標本誤差の範囲に殆ど収まってしまうような事態も考えられる。

2007-05-14

近ごろの若い者は、

バカに見える、ような気がする。

統計を取って調べた訳ではない自分の感覚なので違っているかもしれないが、私が考え、あるいは感じる頭が良さそうに見えることと、今の若い人たちが考え、あるいは感じる頭が良さそうに見えることとは、異なっていても別に不思議はないから、近ごろの若い人で私にとって頭が良さそうに見える人が少ないとしても、そういうことも確かにありそうな気がする訳である。

多分、頭が良いことと、頭が良さそうに見えることとには、本質的な関係はそれ程ないのだろう。

生まれつき頭が良いなどということは一部の部分だけで、頭が良い人の大多数は、頭が良いとされることを内面化したから、頭が良いのだろう。頭が良いというモデルは、自分から見て、当然頭が良さそうに見えるから、頭が良いとされることを内面化する過程では、頭が良さそうに見えることをも内面化することが不可避的に起こるに違いない。

頭が良いことと、頭が良さそうに見えることとは、数値化して統計を取れば有意な関係にあるかもしれないが、それは、頭が良くなる過程で両者が不可分に内面化されるからであって、本質的な関係があるかどうかは疑わしい。

本質的な関係がないとすれば、それは文化であろう。

文化であれば、世代によって差があっても、別に不思議なことでないのではかろうか。

私が子供の頃、頭が良さそうに見える同級生はまだ結構いたが、そういう人には、ガリ勉タイプと看做されるマイナスイメージもあったように思う。ガリ勉を嫌う傾向が現在の方が弱いとはとても考えられないし、最近では、頭が良さそうには、おたくっぽいというイメージも付きまとうから、昔ながらの頭が良さそうという指標が、今の若い人にプラス評価されることは余りないのではなかろうか。

今の若い人が昔の指標に替わる新しい頭が良さそうに見える指標を持っているかどうか知らないし、そういう話は聞いたこともないが、近いうちに出てくるのかもしれない。

我々は、何を以って頭が良さそうに見えるか、という文化の継承に失敗したのではないだろうか。

2007-05-11

メディアバイアス あやしい健康情報ニセ科学

松永和紀 著

光文社新書

ISBN978-4-334-033398-9

食品の安全性や健康情報等に関して、それを取り上げるマスメディアのゆがみについていつくかのことが書かれた本。

健康情報を取り上げるマスコミの歪みについてというか、マスコミが歪んで取り上げた健康情報についてというか、特にこれといったテーマはないので、それらの事柄に関する様々な事例を集めた雑学本、と考えておくべき本か。

(私を含めて)こういうのが好きな人には、それなりに楽しめるだろうから、そうしたもので良ければ読んでみても、というもの。

余り具体性のない、反論のための反論になっている箇所がままあるような気がするので、反対者には意義はないかもしれない。

(例えば、コンビニが保存料のソルビン酸を追放してどう悪くなったのか、ということについては、具体的な数値が出てこないし、農薬を使わないと植物が自衛のために防御物質を作る、という話も、有機食品が通常の食品に比べてより安全とかより栄養があるという科学的な根拠はない、というのが結論では、反論のための反論にしかなっていないのではなかろうか、と、シュウ酸カルシウムによる尿路結石で苦しんだ私が書いてみる(シュウ酸は植物由来のものよりも人間の体内で作られる量の方が多いらしいが))

後、『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』はアメリカ雑誌だ。イングランドだからイギリス、という発想なのだろうか。西インド諸島もアメリカの近くにある訳だが、と、北広島市が北海道にあることを知らなかった私がこれまた書いてみる。

全体としては、特に悪くもないが格別に素晴らしくもない本。雑学本としてはそれなりだろうから、そういうもので良ければ読んでみても、という本だろう。

メモ1点。

・基本的にメディアでは悪いニュースこそがニュースになるが、安全と報道して後で危険と分かれば非難される可能性が高いものの、危険と報道して後で安全だと分かった場合に非難されることは少なく、また、多数の専門家が反対していたとしても、1人の研究者が危険だといえば、メディアは免責され得ることも手伝って、警鐘報道が増える。

2007-05-09 思考実験

思考実験

世界中みんなバカ」になるなら、日本人がバカになっても、それによって国益が大きく損なわれるということはないであろう。

http://blog.tatsuru.com/2007/05/09_0928.php

前提が正しいかどうかは問わない。

アメリカは大多数の平均レベルは低いけど極少数の天才がいる、日本は天才は生まない代わりにその他大勢の水準レベルは高い、という理解は割とあると思うが、これってどうなのだろう。

これが正しいのならば、日本とアメリカで同程度平均レベルが下がったとしても、それでも少数の天才が出て社会を引っ張るアメリカの方が、天才も生まないのに全体のレベルまで下がって良いところがなくなった日本よりも、平均レベルが下がったことによる衝撃が少ない、ということはないのだろうか。

平均レベルが下がると天才のレベルも下がるのだろうか。

2007-05-08

官僚メディア

魚住昭

角川oneテーマ21

ISBN978-4-04-710089-3

いくつかの事件について書かれた本。

一応、メディアと国家権力との癒着構造にかかわる事件を集めたもの、といえば集めたものだが、割と雑多な読み物で、全体的なテーマはない。「月刊現代」や「AERA」に書いた文章を元にした、ということなので、要するに、雑誌掲載を一冊にまとめたものであり、この著者のファンが買うような本、というところだろうか。

テーマ的には甚だ中途半端だが、別にそういう本ではなく、好きな人にはこれで良いのだろうから、読みたければ読んでみても、というもの。

分類すれば、朝日新聞型の進歩派ジャーナリスト、にはなるだろうから、そういうのが良い人には、という感じだと思うが、昔は良かった、という話が多いような気がするので、昔が良かったのなら進歩主義ではない訳だから、違うかもしれない。昔は北朝鮮の批判は書けなかったので良かった、かもしれないが。

以下メモ

木村建設平成設計が地元九州で使っていた中山構造研究所構造計算と、姉歯元一級建築士の構造計算とでは、使用する鉄筋量に殆ど変わりはなく(元々、九州で使っていたものを示して、この程度で、と姉歯に発注した)、中山構造研究所の構造計算は、法令が定める耐震強度クリアしている。

・メディアは情報が欲しいから検察を叩くことをしないが、逆に、検察はメディアに餌を与え続けるためには、事件を摘発し続けなければならなくなった。

ちなみに、NHK番組改編問題に関して

載っている中川昭一氏への取材メモは、NHK幹部と中川氏が29日に会ったことを記者が誘導的に聞き出したものだが、会合が、番組放送前の29日ではなくて番組放送後にもたれたのであろうことは、朝日新聞報道後に分かったこととして、著者もそう認めているのだから、本来なら、この取材メモそのものに対するクレディビリティに疑問符が付けられるべきではないだろうか。

少なくとも第三者的にはそうであり、著者はこの取材メモの出所を知っているのだから、違う、と言い切れるかどうかは、やや危うい。

この取材メモに基づいて、29日に会ったのでなくても中川氏がNHKに圧力をかけたと判断するしかない、と誘導的に論じるのは、この取材メモが本物で中川氏がこの通りに言った可能性は高いのだろうものの、少し言い過ぎのように、私には思われる。

しかし取材メモの通りであったとすると、29日の会合にこだわってすべてを台無しにした朝日新聞が、NHK担当者からの必死の内部告発を叩き潰し、自民党を助けた訳だ。安部総理は朝日新聞に恩義を感じているかもしれない。中川氏に恩義を感じているとしても、褒美のポストが政調会長では、少ししょぼいような気もするが。

2007-05-07

会社での話だが、ここ最近、会社の水道の水がおかしい。

特に月曜日の朝などは、水がはっきり黄色っぽく濁っている。考えられることとしては、休みの間にビルの貯水タンクに溜まっている水が変質している可能性が大きいのではないだろうか。

などという話を、私が会社の人間に話しても、ああ濁ってるね、という程度で、てんで取り合ってもらえないのは、どうしたものだろう。

余りの認識の違いに愕然とする。この鈍感さはどこから来るのか。やっぱり、水と安全はタダだと思っているのだろうか。

水が濁っていると言っている側からその水道水でいれたお茶を屈託なく飲めるのには、感心した。それはもう、そんな水飲みたくないと思う私の方が変わっているのだろうか、と思うくらいに。そんなはずはないと思うがなあ。

お茶にすれば色が変わって分からなくなるとはいえ、人間、もう少し環境に敏感になるべきではないだろうか。あるいは、環境に敏感になれないのが、社畜の社畜たる所以なのだろうか。

2007-05-06

『がんのウソ真実 医者が言いたくて、言えなかったこと』

小野寺時夫 著

中公新書ラクレ

ISBN978-4-12-150242-1

ホスピス科の医者が書いたエッセイ

ガンについて書かれている、といえば書かれているものだが、基本的には、エッセイと捉えておくべき本だと思う。

エッセイなので、合う人には合うし、合わない人には合わないだろう、という本。余り、ガンに関してこれこれこういうことが書かれているから、といって手に取るような本ではないだろう。

エッセイなので、自分に合うと思えば、読んでみても、というところ。この著者の他の本が面白かったので買った私としては、悪くない本だった。

欠点としては、高度進行ガンには手術適応でないケースが多いとか、ホスピス科の宣伝みたいな面があること、です・ます体で語尾を整えるのが難しいことは分かるが、語尾がおかしい部分があること。後、「チンパンジーから進化を遂げたいろいろの人種」とかの妙な記述も、なくはない。1頁13行でスカスカな印象はあるが、老眼対策に大きな活字にする、というのなら分かるものの、行間をあけるだけで効果があるものなのだろうか。

一方で、良い点だが、エッセイなだけに、具体的に良い点というのは挙げ難い。基本的にはそれなりのエッセイで、私は好きだし、合う人には合うだろう、というところか。

悪くないエッセイで、合う人には合うだろうから、興味があるならば、読んでみても、という本だろう。

2007-05-04

マルクス主義の再構築

を目指す人は、まず労働価値説でないマルクス主義というものを考えるべきではないだろうか。

労働価値説がなければ、資本家による搾取はないから、共産主義革命もないのでは、とは思うが。あるいは、マルクス主義でない労働価値説、を打ち立てるべきなのか。

マルクス主義に現在も魅力を感じている人にとって、その魅力は、マルクス主義以外の経済学が一世紀以上も前に捨て去った労働価値説にあるのだろうか、それとも、労働価値説以外のところにあるのだろうか。

2007-05-03

『こんなに役立つ数学入門 高校数学で解く社会問題

広田照幸/川西琢也 編

ちくま新書

ISBN978-4-480-06358-8

研究者が、研究で使用している高校で学ぶ数学に関して書いたエッセイ

要は、高校生に対して、学校で学んでいる数学は役に立つんだよ、ということを説いたもので、それは別に読む前から分かってはいたのだが、何というか、本当に、数学が何の役に立つのか、と思っているような人向けの本。

それなりには面白いが、数学が何の役に立つのかという疑問は全く持っていない私には、本書はやや微妙だった。高校で学ぶ数学を使っているといっても、他の一般向けの本なら書かれないような特殊なことは余りないし、せいぜいが、微分してこの式を得ました、といった程度の、ほんのさわりのものでしかなく、それでは、知らない人には分からないし、面白くもないのではないかと、私ならば思う。メインモチーフがこうだと、残りは、煮え切らない内容のアンソロジーになってしまう訳で、私には本書は中途半端だった。

ただし、逆にいえば、高校で学ぶ数学を全く理解していなくてもイメージはつかめる、ということではあるかもしれないから、これはこれで一つの方策ではあるのかもしれず、数学なんて何の役に立つのかと思っているような人や、高校生や大学生くらいの人には、良いのかもしれない。

そういう人ならば、読んでみても、というところか。

私には余り合わなかったが、数学が何の役に立つのかと思っているような人には良いのかもしれないので、そういう人なら読んでみても、という本だろう。

メモ1点。

地震の大きさはそれによってずれた断層の面積と比例するので、活断層の長さによってその活断層で起こる地震の最大マグニチュードが想定できる(断層の長さをLkmとすると、その断層で起きた地震のマグニチュードMとの関係は、log10L=0.6M-2.9 になることが知られている)。ただし、近接する複数の活断層が同時に動くこともある。

2007-05-01

『頓悟入道要門論』の最後は、

「一失人身万劫不復努力努力須合知爾」となっているが、須らく知るべきのみ、を修辞であるとして除外すると、マハーパリニッバーナスッタンタにおける釈尊の最後の言葉と同趣旨だ、ということに気付いたのでメモ

これは、釈尊の最後の説法を知っていて、それにあわせてこういう結語にしたのだろうか、それとも偶然の一致で、だとすれば即ち、仏教理論を煮詰めていくとこういう結論になるのだろうか。

(大乗経典の大般涅槃経が釈尊の最後の言葉をどう記述しているのかは知らない。また、この語句自体は梵網経からの引用らしいが、梵網経がこれをどこから持ってきたかも知らない。

禅師が阿含経典を重視したとは思えないが、仏教徒として釈尊の最期に興味を持つのは、もっともなことではある、と考えるのは、釈尊を人間として捉える現代人的な発想だろうか。天台の五時八教説の影響下にあったとすると、天台説では、阿含経典は仏陀が最初の方に説いたものだから価値が低く、仏陀が最後に説いたのは法華経だから法華経最強!、といっているのに、釈尊の死ぬ場面が説かれる遊行経が長阿含経に入っているのは、どう考えても都合が悪いような気はするが)

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