小林一茶風日記

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2008-01-31

『ヘッジファンドの真実

若林秀樹 著

洋泉社新書

ISBN978-4-86248-216-7

ヘッジファンドのファンドマネージャーがヘッジファンド等について書いた本。

前半はヘッジファンドに関する概説、後半は、ヘッジファンドに関することの他、著者の前職であった証券アナリストのことなど、やや雑多なことが書かれたもので、その分、著者によるエッセイ、みたいな捉え方の方が有効かもしれない本か。

ロング、ショートから、デリバティブ、レバレッジアービトラージ、クォンツくらいまでは、ほぼ日常語扱いなので、全くの初心者がヘッジファンドのことを知ろうと思って手を出すのは危ないと思う。

金融のことを多少は知っているけども、ヘッジファンドのことはよく知らない、という人向けか。

後は、特別ではないが、そう悪いこともない本。ヘッジファンドのことが一応まとめてあるし、ヘッジファンドのファンドマネージャーが書いた、というだけでも、それなりの価値はあるだろうから、読んでみても良い本だとは思う。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

以下メモ

・ヘッジファンドの評価にはリターンを標準偏差で割ったシャープレシオが使われることも多い。

ソロスが使い、かつて主流だった為替取引を利用するグローバル・マクロというヘッジファンドの運用戦略は、現在では少数である。

・実際に運用している金額と運用原資の比率をグロス・エクスポージャという。この数字が高いことはリスクをとっていることを示しているので、相場不透明な時には各ヘッジファンドはグロスを落とし、一種の信用収縮が起こる。

・売りと買いの差を運用金額(原資?)で割った比を、ネット・ロング・エクスポージャという。

相場が上昇局面にあると予想すれば、ネット・ロングを大きくして、ベータ(相場上昇に乗っかった利益)を取りに行く(ベータを取りに行かずに、相場変動のリスクを避ける運用戦略もある)。

・グロス・エクスポージャやネット・ロング・エクスポージャを機動的に用いて、それに合ったポートフォリオ組成を行うことが、ヘッジファンドの特徴の一つである。

・ヘッジファンドの成功報酬は、通常、直前のピークよりもリターンが落ちている場合は請求されない(ハイウォーマークルール)。

証券会社から見て、ヘッジファンドは、規模は小さくてもレベレッジを利かせ、回転率が良く、少数精鋭のため証券会社の情報に期待する面も大きいので、上顧客である。

・ヘッジファンドは、ファンドマネージャーが管理できる規模や、時価総額、流動性等との兼合いから、好パフォーマンスを出せる運用金額が限られており、運用会社や運用助言会社はそれに見合った中小企業である。そのため、ヘッジファンドの資金を広く公募することは難しい。

2008-01-28

『「マラソン駅伝」の素朴な大疑問 ペースメーカーが1位でゴールしたらどうなるの?』

金哲彦 著

HP文庫

ISBN978-4-569-66945-8

マラソンや駅伝についての雑学読み物。

完全に、よくあるコンビニ文庫の読み捨て雑学本だが、余りにも完全にお手軽すぎて、私には、もう少し面白みが足りないような感じがした。

別によくある読み捨て雑学本なので、そういうもので良い人には良いかもしれないが、私が、そういうものだろうと思って買って、且つ必ずしも満足できなかったので、薦めるにはためらわれるものがある。

様々な項目が詰め込まれ過ぎて、それぞれがつかみだけで終わってしまい、掘り下げた部分がないので、面白い小ネタやエピソードが満載という訳ではないように思う。

そういうもので良ければ、という本かもしれないが、私としては、強くは薦めない。

以下メモ

・長距離を走っている時は、全力疾走する訳ではないので、結構余裕がある。

・マラソン選手が失速するのは、熱中症にかかった場合、オーバーペースで乳酸がたまり筋肉が収縮しなくなった場合、血中や肝臓エネルギーが尽きてしまった場合(ハンガーノック)がある。

2008-01-26

ダボス会議

における福田総理の演説を延々と垂れ流す日本放送協会というのは、極めて寒いものがあるような気がする。国家元首の動向を大きく報じる全体主義国家の放送局と大して変わっとらん。所詮は同レベル、ということなんだろうか、やっぱり。

学歴社会の法則 教育経済学から見直す』

荒井一博 著

光文社新書

ISBN978-4-334-03431-3

教育の経済学に関して書かれたエッセイ

入門読み物という捉え方もできるが、経済学エッセイ、と考えておくのが穏当な本だと思う。新古典派経済学や自由主義に結構敵対的だが、後は、それなりにありそうな経済学エッセイ。

新古典派経済学の考え方ではいじめは解決できない、というのは殆ど言い掛かりに近いだろう(功利主義に対する非難としてならありそうだが、ミルならば、いじめを傍観せず積極的に介入することは、質の良い満足をもたらす、とかいいそうだ)とか、日本の英語教育には、道具としての言語を使用可能にする以外の機能がありそうだとか、批判できる部分もあるし、最後の方は常識的言説を垂れ流しているだけという感じもしないでもないが、全体としては、それなりにありそうな教育の経済学に関するエッセイだろう。

そう特別でもないが、別にこんなもの、というところだと思う。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

以下メモ

・富裕な人々が、富裕度を誇示するために、多大な資金を教育サービスの購入に充てる、という側面がある。

小学生くらいの子供には、(分冊ではない)一冊の百科事典を与えてやると良い。

・小規模学級が生徒の学力を向上させるという明瞭な結果は出ていない。

2008-01-23

『江戸の教育力』

高橋敏 著

ちくま新書

ISBN978-4-480-06398-4

寺子屋等、江戸時代後半の教育事情について書かれた本。

現代の教育をけなし、江戸時代の教育を言挙げするモチーフに強く彩られた本ではあるが、後は、江戸時代の教育事情に関していくつかのことが書かれた雑学読み物、といったものか。

礼賛する分マイナス面には目が行き届いていないだろうし、本書で描かれているような教育事情は、上・中層の農民(のおそらく多くは男子)のもので、それ以外の階層がどうだったのかという問題も残るが、雑学読み物で扱われる事例としては、一応こんなもの、という本だと思う。

特別なものでもないし、江戸時代に興味のない人が特に、という本でもないが(例えば、本書に記されている年齢は基本的にすべて数えだと思うが、別にそういう注意書はないし、金銀銭の交換レートの計算方法が書かれた引用部分でも、そのことに対する説明はない)、別に悪いという程でもない。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

メモ1点。

儒学漢籍にルビと訳注をつけた経典余師が、江戸時代後期の人々の儒学受容に大きな力となった。

2008-01-20

フリーランスのジタバタな舞台裏』

きたみりゅうじ

幻冬舎文庫

ISBN978-4-344-41050-3

著者のフリーランス作家としての経緯を描いた読み物。

フリーランスとしてはそれ程苦労もしていないし、貧乏を味わってもいないと思うが、それなりには仕事をもらえるのかという不安を抱えていたスタートから本が売れるまでの過程が描かれた前半は、結構面白い。後半は、やや成功自慢になっている感がなきにしもあらず。

物語的には第十三章で一応の終結だから、後はエピローグでも付けて適当に終わらせておけば、良い本だったと思うが。第十四章以下は蛇足なので、余り読後感が良くない。

前半は悪くないので、それでも良ければ、読んでみても、という本だろう。

2008-01-19

私がSFを読まなくなった理由、

ということをつらつらと考えてみるに、あるジャンル――別にSFでなくても、他の小説ジャンルでも、漫画でもアニメでもゲームでも何でも良いのだが――、そのジャンルの中で、面白いもの、上位ごく一握りの極めて良く出来た作品、というのは、結局、多くの人にとって面白いものであり、従って、そのジャンルにおける面白い作品を以ってしては、そのジャンルが自分に本当に合っているのかどうかは量れないのではないかと思う。

スタージョンの法則に則れば、どんなものでも90%はクズなのだから、そのジャンルが本当に自分に合っているのかどうか、を知るためには、そのジャンルの中で大体標準的なもの、即ち、ジャンルの大多数を占めるクズ作品、が、どのくらい自分にとって面白いか、そのクズをどこまで許せるのか、ということを考えるのが良いのではないだろうか。

2008-01-18

日経新聞が、

職員がインサイダー取引を行ったNHKを叩いているのは、社のスタンスとしては確かにそうなのだろうけども、おまえんとこもこの前捕まったじゃん、って感じではある。

しかし、インサイダー取引が云々されるようになったのはここ20年くらいのことだと思うので、それ以前にはマスコミの人はインサイダー取引をやり放題だったに違いない、と考えると、インサイダー取引が問題になり始めた頃に(例によってアメリカからの輸入に過ぎなかったが)、これからは気をつけないとマスコミ人もやばい、という話を聞いた記憶がないのは、人は自分の悪事は隠す、ということなのだろうか。

2008-01-17

ミニスカート

から出ている足を見るオジサンは痴漢っぽいと思うが、ミニスカートから出ている足を見た者を法律で処罰することは極めて難しいだろうから、ミニスカートから出ている足を見るオジサンは痴漢だ、などと痴漢の定義を拡大してしまうことは、第一義的に痴漢の違法性を希釈する効果を持つのではないだろうか。

従って、ミニスカートから出ている足を見るオジサンは痴漢だ、といわれて怒るべきは、ミニスカートから出ている足を見てしまうオジサンではなく、現実に痴漢の被害にあっている若い女性ではないだろうか。

史記の「正統」』

平せ隆郎 著

講談社学術文庫

ISBN978-4-06-159853-9

年代矛盾を中軸に、『史記』に関していくつかのことが書かれた本。

結構雑多な本なので、選択にあたっては、『史記』に関するコラム集、と考えておくのが良い本か。特別なテーマや内容はなく、私としては正直、期待した程面白くはなかったのだが、最初からコラム集と考えるならば、こんなもの、というところ。

著者は、『史記』における年代矛盾の解消を体系的に行ったといい、概略を読む限りは確かにその通りなのだが、本書に載っている具体例になると、あるところでは、七と十の当時の字体が似ていたから間違ったのだろうといい、別のところでは、十一をつづめると七に似るから誤ったのだといっていて、どうも恣意的にみえるが。

個々の件で蓋然性の高いものを集めると、全体としては恣意的にみえる、ということもあるだろうし、コラム集で良ければ、読んでみても、という本だろう。

メモ1点。

・戦国時代に、一部の王が帝を称したことがあった。

(著者名の隆は旧字である)

2008-01-15

記号消費が高度に進んだ社会

では、人々の経済格差は広がるのではないだろうか。

記号消費に必要な金額は、記号を伴わない必要不可欠な消費だけをするのにかかる金額よりも高いが(そうでなければ誰も記号の付いた商品を提供しない)、より多くのお金を得るのには普通何らかのコストが――長く働くとか技能を身に付けるとか――かかるので、そのコストを支払わずに、記号を伴わない必要不可欠な消費だけをする人が出てくるからである。

(ところで、このような高度記号消費社会において、人々を記号消費に向かわせる原動力は何だろう。人々は、自分が求めるものについて記号消費を行い、自分が求めないものについては記号を伴わない廉価な消費を行う、ある意味賢い消費者になるのか、人々を記号消費に駆り立てる原動力が一律に働くのだとすると、人々は、可能な限りあらゆるものについて記号消費を行うのだろうか。後者の場合、その社会の経済格差は、あらゆるものに記号消費を行える人と記号消費からベタ降りしてしまった人との両極端に分かれ、大きなものになる可能性もあるだろう)

このような高度記号消費社会において、記号消費を行う商品と記号を伴わない商品とがある商品群は良いとして、記号を付けることが難しい商品、本質的に記号を伴わない消費となる商品は、記号消費を行う豊かな消費者と記号消費を行わない消費者が共に消費するために、その価格が、記号消費を行う豊かな消費者が支払える金額になって、記号消費を行わない消費者が支払うには高額なものになるのではないだろうか。

高度記号消費社会においても本質的に記号を伴わない消費となる商品としては、保険や(保険は、一人一人の小さなリスクを多数が集まることによってカバーするものであり、記号を付けるのは難しいような気がする。もっとも、今の保険は安心という記号を売っているのかもしれないが)、投資信託等のファンド(カリスマディーラー運用するとかの記号を付けても、運用実績がはっきりと出てしまうのでは、価格差は付け難いだろう)、そしてもう一つ、高度記号消費社会において記号を付けることが難しい商品として、医療サービスが考えられる。

美容整形、アンチエイジング介護医療、ある種の予防医療は記号消費に進むのだろうが、病気やケガを治すという意味での基本的な医療サービスに記号を付けるのは、難しいのではないか。治療や薬は、病気に対して効くことが、何よりも第一であろうし、医療に対する国家的統制が今度も維持されるであろうし、出産高齢者介護を例外として、医療サービスは、消費者にとっては消費しない方が望ましいからである。

より効きそうな記号には国家によってブロックがかかるだろうし、望まない商品に更に記号を付けて消費させることは、困難なのではないだろうか。

つまり、高度記号消費社会においては、経済格差が広がって、低所得者層にとっては、必要な医療サービスはかなり懐をいためるものになるのではないか。

現在の状況が、それを反映したものであるかどうかは分からないが。

2008-01-14

『戦争する脳 破局への病理』

計見一雄 著

平凡社新書

ISBN978-4-582-85402-2

精神科医が戦争に関してあれこれと書いたエッセイ

エッセイというか、思索メモ、みたいな感じのものか。私としては、戦場での精神医学に関してかかれた第四章は面白かったが、後はそれなり、といった感じの本だった。

エッセイとしては特に悪いということはないので、後は、合う人には合うのだろうから、合うと思えば読んでみても、という本だと思う。

内容その他、特別どうこうという程のものはないと思うし、特に薦める程ではないが、読んでみたければ読んでみても、という本だろう。

2008-01-10 松下はやめると中村君が言ったから今日はパナソニック記念日

12/19と12/22になぜか同じエントリがある。

削除できないのだろうか。編集で中身だけ消すしかないのか。

ツアーで優勝したら、

プロテストを経ないでもプロになれるのだろうか。よく分からん。

ノーベル賞受賞者精子バンク 天才の遺伝子は天才を生んだか』

デイヴィッド・プロッツ 著/酒井泰介 訳

ハヤカワ文庫NF

ISBN978-4-15-050330-7

ノーベル賞受賞者精子バンクとして有名になった精子バンクに関して書かれた本。

(精子ドナーにノーベル賞受賞者を集めたのは最初だけで、ドナーのなり手が少なかったこと、高齢者が多いノーベル賞受賞者ではダウン症等のリスクが高まること、顧客である女性も特にノーベル賞受賞者だけを望んだ訳ではなかったこと、から、この精子バンクによって生まれた子供の中にノーベル賞受賞者を精子ドナーとする子はいなかった)

創業者の(優生学的)思想や精子バンクの経緯に絡めて、ドナーと生まれた子供たち、及びその家族のその後を描いたドキュメンタリー

ドキュメンタリーとしては悪くない本だし、精子バンクによって生まれた子供と家族や父親との関係を探る一つのケーススタディではあるだろうから、そうしたもので良ければ、読んでみても、という本か。

読み物としては、読めないことはなく、これもあり、というところ。

ただし、私としては、ノーベル賞受賞者の子供がいない、というだけでも、そう特別に興味を惹かれるような内容ではなかった。

ノーベル賞受賞者の子供がいない以上、事実上の、というか実際問題のテーマは、天才が天才を創るか、ということではなく、精子バンクで生まれた子供と父との関係、というものにならざるを得ないだろうから、もっと、そういうものとして書かれ、また読まれるべき本ではなかったのだろうか。その辺りが曖昧なので、一冊の本の内容としてぼやけてしまっている印象がある。

読み物としては読めない訳ではないので、悪いという本でもないが。

それでも良ければ、というところだろう。

kokada_jnetkokada_jnet 2008/01/13 16:48 初めまして。ゴルフ界の制度、最近変更されて、プロテストに合格しなくても、自分で「プロ宣言」すれば、それだけでプロになれるそうですね。
まあ、そういう人は滅多にいなくて、大半の人はプロテストを受けるのでしょうが・・。

sarasatesarasate 2008/01/13 23:04 kokada_jnetさん、はじめまして。石川選手はツアー優勝したので後二年シード権がある訳ですが、シード権を失ったらどうするのでしょうね。ちなみに、去年のプロテストでトップ合格したのは、中嶋常幸選手の息子らしい。

2008-01-07

『照葉樹林文化とは何か 東アジアの森が生み出した文明』

佐々木高明 著

中公新書

ISBN978-4-12-101921-9

照葉樹林文化論についての現状でのまとめ。

照葉樹林文化を構成すると考えられる様々な文化的要素の紹介と(第一部)、照葉樹林文化論の学説史的な展開や展望(第二部)、及び、稲作を中心にしたいくつかの問題点についての討論(第三部)から成っていて、まとめとしては大体標準的なまとめ、という本か。

そうしたもので良ければ、読んでみても、という本。

根拠が書かれていないので、単純に素朴にみえるものを古いものと想定しているようにみえる、とか、縄文時代に照葉樹林文化があったから(照葉樹林文化から発達した)稲作文化が弥生時代に急速に広まったのだ、としているのは、必要条件としてなら分かるけども、稲作そのものは縄文晩期に伝来しているのだから十分条件ではあり得ない(何故縄文晩期には広がらなかったのか、ということを説明できない)、とか、批判できる点もなくはないが、まとめとしてはこんなものだろう。神事などの宗教行事に用いられてきた木はすべて照葉樹である、と書かれている本を、松の内に薦めるというのもどうかという気もするが。

まとめとしてはおおよそ標準的で、悪くはない本。

まとめで良ければ、読んでみても、という本だろう。

本郷和人本郷和人 2008/01/10 16:34 拙著をお読みいただき、感想を記していただきました本郷和人と申します。本当にありがとうございました。さて1月31日(木)7時より、新宿紀伊國屋ホールにて、いま人気沸騰中の作家、佐々木譲先生とご一緒に90分ほどのセミナーを開催致します。ご招待させていただきく、お知らせする次第です。よろしければ詳細をお伝えしますので東京大学史料編纂所のHP、古代史料部に記載されております私のメルアドあて、メールを賜りますよう、心よりお願い致します。

sarasatesarasate 2008/01/10 23:21 本郷和人さん、はじめまして。同趣旨のメールを差し上げましたが、現時点では予定が立ちません。誠にありがたいお申し出ですが、今回は遠慮させていただきたいと思います。

2008-01-06

現人神が依代としての神

であるとすると、依代は神そのものではないのだから、現人神は進化論とは必ずしも矛盾しない、ということになるだろう。

依代ならば人間が作った剣でも鏡でも門松でもかまわないのであり、烏などは神の遣いとされるくらいだから、蛇でも猿でも猿の子孫でもかまわない訳である。

古事記』等を無謬の聖典とする思想に立脚するならば、矛盾するということもいえるだろうが、そこまでの原理主義的な発想は、日本的な宗教思想には余り似つかわしくないように思われる。

2008-01-05

『波のしくみ 「こと」を見る物理学

佐藤文隆/松下やす雄 著

講談社ブルーバックス

ISBN978-4-06-257575-1

物理現象である様々な波についての数理的な解説が書かれた本。

難しい数式はコラムとして別枠にしたということだが、分量的にも(単純にページ数にして1/4近い)、内容的にも、コラム込みで楽しめる人向き、という本だろう。

理系大学生か、もしくは同等以上の数学知識のある人向け。

私には、難しくてよく分からなかった。

2008-01-04

ガス器具会社と生命保険会社の、

過去の事件をまるでなかったかのようにユーザ重視を表明するCFは、なぜだか無性に腹が立つ。

広告会社もついているのだろうに、あれは事件を知らない人向けなのだろうか。

2008-01-03

スポーツルール日本人選手に不利なように変更される、

というのは、よくいわれることだが、その背景には、ルールを変えるという発想がないことがあるのではないだろうか。

日本的思惟では、ルールは所与の前提であって、与えられた枠内で腕を磨き技術を競うのが、日本的スポーツのあり様なのだろう。かくして、技術は芸術にまで高められるが、その芸は与えられた枠内でのみ使えるものだから、前提が変われば、技術は役に立たない陳腐なものに成り下がってしまう。

スポーツのルールなんて所詮は人が作ったものに過ぎないから、ルールは可変であり、与えられた枠内で技術を磨くことと、与えられた枠を修正して技術を不要にすることとは、相等しい。前者が正しくて後者が汚いとする理屈存在しないと思われる。

自国に不利なルール変更をされないように、スポーツの国際団体に理事等を送り込め、と諸星裕は書いていたが、日本が国際団体に人材を送り込んだところで、ルールを変えるという発想がなかったならば、その人は国際団体において、憲法の変更を拒絶する日本の左翼政党のようなゴリゴリ保守的態度をとって、使えない人材に成り下がるのではないだろうか。

というか、過去にそういう態度を取り続けてきた結果、日本人がスポーツの国際団体の理事になれなくなった、ということはないのだろうか。

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