人間を市場価値のみではかるべきではない、

という言説は、よく分からない。
人間を価値ではかるべきではない、というのなら、ある場合にはあてはまるだろうが、市場価値だけを特別視する理由が分からないし、人間を市場価値以外の価値ではかるべきである、というのなら、具体的に市場価値以外のどんな価値ではかるべきなのか、人間にとって有用なものには市場価値が付くだろうから、市場価値以外の価値ではかれ、という主張は、人間にとって無用の価値で人間をはかるべきだ、という主張であり、それは結局、人間を価値ではかるべきではない、という主張と同値なのではないだろうか。
愛はお金では買えないかもしれないが、もしお金で買えるならば、お金を出したい人はいくらでもいるだろうから、愛に市場価値がない訳ではない。
市場価値という一元化された価値だけを使うな、という主張ならありそうだが、それは目的や手段をはっきりさせて、適切に使っていないことが問題なのであって、市場価値ではかることに問題がある訳ではない。栓抜きが必要な時に、50円の栓抜きでなく5000円の包丁を持ってこられても仕方がないが、だからといって栓抜きを市場価値のみではかるな、などと主張する人はいないだろう。
人間は目的を持って作られた栓抜きとは違うのだ、ということも考えられるが、病気で困っている人にとって必要なのは、高収入の弁護士でなく、腕の悪い(=市場価値の低い)医師でもなくて、腕の良い(=市場価値の高い)医師である、ということを鑑みるならば、市場価値のみではかるな、という言説が正当化されることはないように思われる。
(むしろ、人間が(市場価値以外の)何らかの価値を充足する目的で生まれてきたのだと主張するならば、人間をどれだけその価値を充足したかという基準ではかることが正当化されるだろう)
要するに、人間を市場価値のみではかるべきではない、ということに、ナンセンス以上の意味があるのかどうか、よく分からない。