『和歌とは何か』

渡部泰明 著
岩波新書
ISBN978-4-00-431198-0
和歌とは、儀礼的な空間を作り上げ、その中で演技をするものだ、と規定した上で、そのコロラリーとして、和歌について語った本。
その規定からくるある種の帰結といえば帰結であり、発想は面白いと思ったが、ただし、ややまとまりには欠けるか。和歌全体について論じるのか、演技という側面について論じるのか、演技こそが和歌の本質なのだ、ということなのだとしても、少々どっちつかずの感はある。
どちらかといえば、和歌についての入門書というより、和歌に関して、その側面から語った読み物、と考えた方が良い本か。そうしたもので良ければ、読んでみても、という本。
もう少し深く、あるいはきっちりと考察されていれば良かったのではないか、という印象は残った。
和歌に関する読み物としては、一つの読み物ではあると思う。
興味があるならば読んでみても、という本だろう。

以下メモ。
・掛詞は、ただ音が似ているというだけの偶然性を使って、物事が予めそうあるべきだったと思わせるような必然性を、(三十一文字という定型の)和歌の中に作り出す。序詞や縁語についても、同様の趣がある。本歌取りにおいても、本歌の存在によって、新しく作られた歌が当然そうあるべきだったという必然性が与えられる。
(力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむる、のは、和歌にそのような必然性があるからなのだろうか)
・「流れて」「泣かれて」という言葉が掛詞になっている例などを鑑みると、当時は濁点はなかったから、音だけではなく表記の一致も掛詞として用いられた。