小林一茶風日記

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2010-11-24

『ことばと思考』

今井むつみ

岩波新書

ISBN978-4-00-431278-9

人間の思考と言語とのかかわりについて論じた本。

要するに、言語がその人の認識世界観を規定するというサピア=ウォーフ仮説についての心理学的な検証が書かれたもので、結論的には、言語がその人の認識に影響を与えるのは疑いないが、どのようにして、そしてどれだけ規定しているのかは、詳らかではない、というところか。

この結論から分かるように、現時点のまとめといえばそうなのかもしれないが、一冊の本として興味深い内容には、あまりなっていないと思う。中途半端、といったら研究者は怒るのかもしれないけど、ぶっちゃけそうだよね、という感じ。

まったく面白くないとはいわないし、現時点でのまとめではあるのだろうから、それでも良ければ、というところか。後は、そもそも言語と思考に関係があるとは思ってもいなかった人とか。

赤ちゃんの認識の発達における言語の役割り、みたいな部分は面白かったので、そっちを主軸にすれば良かったのにと思うが、それはそれで他に書いているということなのだろうか。

言語と思考とのかかわりという点では、現時点のまとめではあるとしても、興味深い結論があるのではなかった。

それでも良ければ、というところだが、特に薦めるような本でもないだろう。

以下メモ

・赤ちゃんに、人が線路を「わたる」シーンを見せた後、道路を「わたる」シーンとテニスコートを「横切る」シーンを見せると、これらの三つのシーンをすべて go across という同じ動詞表現するアメリカの赤ちゃんは、19ヶ月になると、場所の性格が変わったテニスコートの方を特に好んでみることはなくなった。生後19ヶ月までの間に、自分母語重要ではない情報に注意を向けることをやめてしまう。

・脳の中の別々の領域で処理される認識を統合するのに、ヒトは言葉を使っているらしい。

 長方形の囲いの一隅に餌を置いてやると、ネズミはこれを覚える。続いてネズミに方向を分からなくさせると、ネズミは対角線上にある二つの隅のどちらに餌があるのか分からなくなる。ヒトでもこの条件ならば分かりようがない。しかし、長方形の一辺に色を塗ってやっても、ネズミは二つの隅のどちらか分からない。ヒトの赤ちゃんも同様であるが、「左」「右」という言葉を正しく使えるようになった子どもは、正しい隅を探索できる。大人に対して言語を使う他の処理を強制的にやらせながらこの実験を行うと、大人でも正しい隅が分からなくなる。

2010-11-17

恐竜はなぜ鳥に進化したのか 絶滅も進化も酸素濃度が決めた』

ピーター・D・ウォード 著/垂水雄二 訳

文春文庫

ISBN978-4-16-765172-5

地球生命の進化史を酸素濃度の変化と関連付けて論じた本。

部分部分は割と面白いところもあったので好事家向けには悪くない本だと思うが、大部の本で細かいことをがたがたとやっている割には、議論が粗く、お薦めにするには足りない、という本か。

根本的なことをいうと、本書の議論の大前提となる過去の酸素濃度が、コンピューターシミュレーションの結果でしかないし、グラフが一枚提示されるだけで、細かい結果も詳細な説明もない。

例えば、著者は、過去1000万年の酸素濃度は現在よりも高く、それが初期人類に対して酸素を多く使う神経細胞の増大に寄与した可能性がある、というのだが、そのような変化はグラフからは読み取れない。500万年前には酸素濃度が28%あったというのだから小さな変化ではないし、もしそのようなグラフに現れない短期の変化が多数あったのなら、本書の議論などまとめて吹き飛ぶくらいのインパクトがあるのではないだろうか。

もう一つだけ書いておくと、オルドビス紀カンブリア紀動物の絶滅で始まりオルドビス紀動物の絶滅で終わる時代であり、このどちらの絶滅も酸素濃度が低下したためだ、と著者はいっているのだが、そうであるならば、もちろんオルドビス紀の酸素濃度は両端が低く中央が高い山型になっていなければならないのに、本書のグラフで示されたオルドビス紀の酸素濃度は、両端が高く中央が低いV字型になっており、見事なまでに真逆である。

その他にも、内温性が低酸素濃度期に進化したことの利がまったく分からない、とか、竜盤類に先端的な気嚢システムがあったというのなら、低酸素期に竜盤類から進化した鳥盤類がそれを失ってしまったというのは不自然ではないか、とか、全体的にかなり議論が粗いと思う。

部分部分では面白いところもあるので、好事家ならそれでも良ければ、という本だが、広く一般向けには足りないだろう。

広く薦めるような本ではない。

以下メモ

シルル紀サソリ類やクモ類に続いて昆虫陸上に進出するが、昆虫が飛翔能力を獲得して陸上に大きく拡散適応するのは石炭紀の三億三千年前頃まで待たなければならない。

 デボン紀には最初の四肢動物と考えられる化石が現れるが、両生類が地上で大きく拡散、適応するのは、やはり石炭紀に入ってからである(ローマーの空白)。

 これらのことから、デボン紀中期頃の低酸素期には、陸上には昆虫も四肢動物もほとんどおらず、石炭紀に入って酸素濃度が上昇しだしてから、真の両生類が出現し、昆虫類が再度陸上に進出したという可能性が考えられる。

・石炭紀は、その名のとおりヨーロッパでは石炭から成る地層だが、この時代の大陸に出現した広大な平原に樹木が進出し、一方で、樹木を分解する細菌は、まだ現れていないか、少数だったろう。石炭となる還元炭素の沈降により、石炭紀には空気中の酸素濃度が大きく上昇した。

・昆虫の呼吸システムは、小さな体に相応しくできていて、大型化することができない。石炭紀に巨大な昆虫が現れたのは、現在よりも高い酸素濃度のおかげだった。

・初期の四肢動物は、現生の両生類やほとんどの爬虫類と同様、体をくねらせて歩くために肺が圧迫され、移動時に呼吸することができなかっただろう。

・川が蛇行するためには植物の根によって安定した川岸が作られなければならない。

ペルム紀に入ると、二酸化炭素濃度が減少した。それに応じて減少した植物と、超大陸パンゲアの形成のために有機物の沈降速度が遅くなったことから、酸素濃度が減少し始めた。

 低酸素と、再び上昇した二酸化炭素がもたらす高温は、海底における硫黄代謝細菌の増殖を促し、放出された硫化水素によって、ペルム紀の大虐殺が起こった可能性がある。

・気嚢を使った鳥の呼吸は、一度気嚢に空気を溜め込むことにより肺の中を空気が一方向に流れるために、血液中の二酸化炭素と酸素の交換効率が良く、鳥が高い空を飛べるのはこのおかげである。

2010-11-05

戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』

盛本昌広 著

洋泉社・歴史新書

ISBN978-4-86248-633-2

戦国時代の軍事行動の実際について書かれた雑録。

サブタイトルにあるように出陣から退陣まで一通り書かれた雑録で、テーマはなく、かなり細かいことを重くやっている本。一言でいえば好事家向けの本だろう。

好事家で、戦国時代の細かいことについて書かれた雑録でよければ、というところか。

悪い本ではないが、これで面白いかというと、華はないだろう。

個人的には、○○という言葉はこういう意味だろう、という記述がいくつかあって、戦国時代の言葉でも現在では意味が完全には分かっていないものが結構あるのだなあ、ということが分かった点が面白かった。

広く一般向けではあまりない好事家向けの本。

それでもよければ読んでみても、という本だろう。

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