小林一茶風日記

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2006-03-11

『マルクス・アウレリウス「自省録」』

鈴木照雄 訳

講談社学術文庫

ISBN4-06-159749-3

マルクス・アウレリウスの思索メモ

基本的には、多分逐語訳に近い感じの、分かり難い文体の本ではある。手元にないので詳しく比較した訳ではないが、岩波文庫版の方が読みやすい感じがした。

いずれにしても、ある種の主知主義的、合理主義的態度の源泉なのだろうということは分かるものの、古典として、薦めるべきようなものかどうかは、疑問に思う。

私は、嫌いではないが。

ただ思うのは、

私の経験によれば、若いうちは自分の欲望に悩むものだが、歳を重ねるにつれて、だんだんそういうことはなくなってくるのではないだろうか。

高校生が、何故人を殺してはいけないのか、と問うたりするが、あれは欲望のある若いうちだからこそ出てくる悩みであって、中年になったら、別にそこまでして人を殺したいという強い欲求は、もう抱かないような気がする(何故人を殺してはいけないのかと悩むのは、人を殺したいという欲望があるからであろう)。

齢を重ねた人が殺人事件を絶対に起こさない訳ではないが、それは、何故人を殺してはいけないのかと悩む若い人が必ずしも殺人を犯さないのと同じ。つまり問題は、欲望(があるかどうか)ではないのだろう。

欲望自体がなくなるのではないが、鋭さがなくなるというのか、その出方が違ってくるというのか、いずれにしても、欲望につき動かされていた若い頃とは明らかに違う感じ。年齢によって欲望の質が変わるのか、欲望に対する耐性ができるのか、そのような欲望によっては揺るがないアイデンティティが構築されたのか、あるいは、人生の到着点が見えかけてきたからかもしれない。おそらく、歳を重ねて係累が増えたからではない。

これは、多分に、私の経験のみによる判断だが。

さてしかし、そこで問題なのは、このように悩みが自然に解決するものであるならば、若い頃に自分の欲望に悩むことが、果たして有用なのか、ということであるが、どうなのだろう。

みんな悩んで大きくなった(by野坂昭如)、ということなのだろうか。

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