小林一茶風日記

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2007-10-10

幻想未来/文化への不満』

フロイト 著/中山元

光文社古典新訳文庫

ISBN978-4-334-75140-1

フロイトによる宗教批判を集めた論集。

『幻想の未来』『文化への不満』と、『人間モーセ一神教』の一部を訳したもの。

全体的に、精神分析をある程度知っている人が、興味を持つのならば、読んでみても、というような本か。

文章は、酷く堅くはないものの、翻訳調文体だし、所々分かり難い箇所があるし、精神分析を知らない人にはよく分からないだろうし、特に薦める程のものではないと思う。

分かり難いのは、フロイトのせいなのか、時代のせいなのか、翻訳のせいなのか(訳文について一つだけ悪例を挙げておくと、「ユダヤ人大量虐殺したことも、キリスト教徒にとって中世をより平和で、安全にする力はなかったのである」などと書かれている)。基本的な部分でも、宗教という筋立てと文化という筋立ての二本の筋があるのだが、その論理的な関係が、私にはよく分からなかった。

酷く悪くもないが、特別に良くもなく。

それらについて織り込める人なら、読んでみても、というところだろう。

ちなみに、『幻想の未来』と『文化への不満』の簡略な粗筋は、以下のようなもの。

人間は誰しも自分の欲求をすべて満たしたい生き物だが、現実にそれを実現することは無理だし、少しでも多く満たすためには、他者との協同生活を営み、協同生活の掟である文化の中で暮らしていかねばならない。

文化は人間に多くの欲望の放棄を求めるので、人間には、文化に対する不満が、本質的にある。

(フロイトは、文化は客観的には人間に利をもたらすものであるから、それに対する不満が本質的に存在するのは奇妙なことだという。文化が満たすのはエロス的な欲望であり、タナトスの方は、文化にとって最大の敵であるから、抑制されるタナトスが、文化に敵対するのである(ただし、フロイトは、個人の幸福と社会との敵対が、エロスとタナトスの対立から生まれたのではない、と書いている。抑圧されたタナトスは、超自我となって、自我という攻撃目標を、文化によって得る))

文化が、人間の持つ文化への敵愾心を和らげ、人間に保護を与え、人間に望ましくない欲望を放棄させる重要な手段として、宗教が使われてきた。

宗教は、無力な幼児が親の庇護を求めるように、外界の庇護を求める人間の欲求が生み出す幻想なのである。

フロイトは、

原初の社会では、年長の息子には父との対立から過酷な運命が待っており、父の老衰活用できる年少の息子が父の代わりに地位を得ることができたので、その残照が様々な伝説に残っている、と書いている。

日本書紀』を読んだ時に、弟が跡を嗣ぐ話が多い、と感じたが、これもその一種なのだろうか。

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