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加藤寛之 都市計画家のお仕事とは? Twitter

2015-10-20

やっぱり個店支援はまちづくりじゃない

21:00 |

まちづくりにおいて、エリアの期待値を高めるために、そのエリアの魅力を丁寧に発信することはとても重要だと思う。

この2年ほど、これまでサルトではしてこなかった個店の魅力を伝える仕事をさせてもらいました。

あくまで、エリアの価値を高めるために、個店の魅力を伝える仕事です。

だからそのお店にも、十分にそこを理解してもらってから、その仕事に取り掛かりました。

今日はその締めくくりとしてヒアリング

いや、よかった。録音、てか録画しておきたいくらいよかった。

彼らが受け継いできた商売を継がせたい、そして継ぎたいと言ってもらえたと報告を受けました。

涙出そうになりました。

空き店舗を埋めたり、ビルや建物を改修して新しいコンテンツ(お店)を作り出すだけではなくて、トータルにエリアの価値を作り出していくことによって、後継者やチャレンジャーが生まれる環境を作り出せたことは、なんとも言えず、嬉しい限りです。

その環境づくりに繋がらない取り組みは、まちづくりとは言えなくて、やっぱり打ち上げ花火だし、税金使って、使わんでも、みんなの時間使って一生懸命することじゃない。

だからやっぱり個店支援はまちづくりでは全くないんだけど、今回まちが進むだろう未来に沿って魅力を伝えてきた取り組みは、彼らの売上も上がり、顧客構成も変化して、それとともに、彼ら自身の仕事に対する姿勢が変わり、仕事が楽しくなったと言ってくれたことも、なお嬉しい。

エリアの期待値が上がると、リスクテイクできるのは、単に新しいチャレンジャーだけではなく、こうやって後継者も、そしていま頑張る商売人も、その担い手になれる。

打ち上げ花火みたいなことしてるのは、税金使おうが使わまいが、また打ち上げ花火をしようってことになる。

そしてもちろん、まちの状況は一向に変わらない。いくらたくさんメディアに取り上げられても。いくらたくさん集客できても。

でも、今回のように自然発生的に、まちが進むだろう未来に向かって、まちが変わっていく状況をつくれると、話は変わってくる。

これは、みんながやる気が出てきました!、とか、楽しくお店をPRしました!なんてことではなく、まちの未来に向かってるかどうか、が明確になってくることが大事で、そのことで勝手によい方向に進んでいくと思う。

そして、その未来に向けて動き出す担い手は多様で多ければ多いほどよいと思う。

それは自分だけで作り出せるものじゃないから、環境を作り出す。

それこそがサルトがしたいまちづくりなんだなぁって本日改めて思いました。

2015-07-02

まちづくりのリソース

15:02 |

衰退地を再生するまちづくりに関わって一番違和感があるのが「みんなのために」とか「みんなで一緒に」っていうような掛け声。みんなのために、みんなでする方がいい、というような感じ。

もちろん僕自身もまちづくりを仕事にしている人間なので、最終目的は「地域のみんなのために」であることに間違えはない。

でもそれを言っているだけで、まちづくりをしているような錯覚に囚われるけど、言ってるだけでは目的は達成できない。というか、それを声高に叫ぶことで見失うことがある。

みんなが到達したい目的を叫ぶのは、一見正しく思えるんだけど、現場では全くそうではないことが多い。

なぜならまちづくり(地域)のリソース(ヒト・モノ・カネ・ジカン)は限られているから。

目的を達成するためのプロセスをデザインして、リソースを調達して、実行するのが僕らの仕事。

まさにこれはマネジメントなんだけど、これを理解しない人が多い。なぜかまちづくりになると、プロセスの議論やマネジメントがしっかりなされないで、戦略が組めなくなる。

だから、声の大きな人が言っている事業や、頑張っている人の事業や、なんとなく弱者を救うような事業を否定できない。

どうなるかといえば、全部することになる。もちろん、全部するとリソースの分配は平等にせざるを得ない。

結果、どれも中途半端で効果が薄くなるから、結局目的としていた「みんなのために」は到底ならない。

限り有るリソースを理解していれば、平等になんて出来るわけがない。

これは何も税金で行う事業だけではなくて、みんなの時間や労力だって、公的なもので、それを戦略無き道へと突き進める、叫び声「みんなのために」「みんなで一緒に」という、一見正しいんだけど、みんなを結局陥れているような感じがするのです。

まちづくりのリソースの話。

2015-02-20

都市の兆しを読む

12:08 |

AIA関西で整理しつつある、衰退傾向にある都市を再生するための手法「シンプルなメソッド」は、まちのファンをつくることが基本。

将来のまちの価値をつくりだすまちの潜在的なファンはだれなのか。

まちのコンテンツを洗い出しながら、コンテンツの切り口を探りつつ、コンテンツとファン候補層を行ったり来たり思考実験をして最初のファン層であるシーダーを設定する。

そんな思考実験を手助けしてくれるのが、都市の兆し。

おっちゃんが集まるおでん屋に、何故か常連になっているOLさん。寂れた商店街に、何故かカフェをオープンする若い夫婦。

まさに彼らがまちの兆し。

まちでの営みのほんの数パーセントに過ぎない彼らの動きを見極めて、それをメインストリームにするのが、僕らが取り組む、人にフォーカスしたまちづくり

まちのコンテンツは劣化して減少するから、コンテンツを増やすことが最重要。

都市のストックをリノベーションして、新しいコンテンツを増やすことへのリスクをとれればそれでいい。

けれど、日本の多くの中小零細都市では、そのリスクは結構大きく、失敗したら、多くのリソースが損なわれる。

まちの価値を上げることで、まちへの期待値が上がる。そうすればリスクが低下する。

もっと言うと、まちへの期待値さえ上げることができれば、リノベーションによるまちのコンテンツ増加は勝手に動き出す。

歴史が証明する戦略の基本同様、まちづくりだって、戦わずして勝つ方が本当は一番いい。

2013-12-30

中心市街地活性化・地域商業再生の正当性

10:35 |

 中心市街地は、地域の魅力が歴史的に交流し培われてきた場所だったんだと思います。

 その地域で暮らすひとはもちろん、事業を営むひとも、その魅力から多くの恩恵を受けてきたエリア。誰もが恩恵を受けることができると社会的に認められているなら、中心市街地は公共性の高いエリアといえるし、その機能を行政施策として取り戻すことに正当性がある。いわゆる公共財として、正の外部性を伴ってる、伴っていたといえるから、その機能を取り戻すことへの正当性。

 一方で個別店舗は、社会経済の変化に対応し経営すべき私的存在。中心市街地を構成する一要素だけど、公共性が認められるものではないはず。すでに厳しい経営状況だとしても、仮に経営に影響する大きな社会的な変化が起こった時、商売が成り立たないと判断すれば、郊外へ活路を見出す、業態の変更など様々な経営的判断を独自に行うことが求められるし、それが自由にできる存在であることで、経済の活力は生まれてくる。

 中心市街地の衰退傾向は今に始まった事態ではないし、現在も人口減少(特に生産人口の減少)やインターネットの普及による商業の変化等の影響を受けることで、衰退傾向を脱する兆候はほとんど無く、そのような中で個別店舗の経営状況は芳しくない。中心市街地は、社会経済の変化を受け入れつつ、その変化に対応して存続していくことで、歴史的文化的にも、社会経済的にも魅力を守り、公共性を継承していくことが求められているのが、現在の状況。

 つまり、中心市街地の中で個別店舗の経営状況が悪いことは、それぞれの事業者の経営判断ミスであって、中心市街地が持っている(持っていた)公共財としての機能とは関係がないし、もっというと、その機能を継続できなくしているのも、個別事業者の責任といえなくもない。中心市街地が持っていた魅力は誰もが恩恵を受けることができたのに、魅力は消え失せつつあり、多くの人にとって用のないまちとした責任。

 現在行われている多くの中心市街地・地域商業関連施策が、全くもって間違いなのは、この当たりの見極めがあまりに甘いからか、または既存商業者の票が大切なのか、または全く地域再生というものを本気に考えていないのか。

 中心市街地の機能が失われている原因を作ってきて、それでも居座る人たちと、その居座る人たちをヨイショしてまとわりつく人たちと関連の外郭団体既得権者)にお金を配っても、結局既得権益を守ることにしかならない。

 中心市街地が培ってきた機能を取り戻すには、大きな変化が必要。まさにイノベーションだと思う。

 イノベーションを中心市街地で起こそうと思ったら、やっぱり既得権益が崩壊するようなメスの入れ方を考えるしかない。それはバサッとメスを入れるときもあれば、知らず知らずのうちにそうなるように仕掛けることもあるけど、結局、既得権を崩壊させるっていう決断がまず必要なんだと思う。それこそに正当性があるはず。

 その意志なしに、何ができるのかって考えてしまう。今年度の補正予算のバラマキ方といいい(商店街に400万円をほとんど意味なく配る、ただで渡すに等しい。審査するだけ意味ないと思うね、あんなのは。審査する人の仕事を作りたいだけか・・・・)、来年度の予算の付き方といい。

 そんなのは社会保障であって、中心市街地の再生では、全く持ってないと断言できる。

 自分自身が明らかにしたいし、多分将来多くの人が馬鹿げていると気づくだろう、この変な状態を変えないと。

2013-11-13

まちのポテンシャルを活かすリノベーション

19:43 |


まちのポテンシャル

有形無形、可視非可視、認識非認識関わらず、そのまちが持っている潜在的な力、簡単に言うと魅力


サルトが建物のリノベーションに関わる時、やっぱりまちとの関係性をしっかりと考えたい。

まちのポテンシャルを活かしたい。


まちに必要な要素、機能はなんなのか、求められている役割は何なのか、まちの魅力を活かしきるにはどうしたら良いか。


建物を面白く使おうってことよりも、まちのポテンシャルを先行して考えることが、サルトがリノベーションに関わる意味があるんじゃないかと思っています。


もちろん事業として成立しないと動かないし、魅力あるものでないと人も集まらない。


単に自分たちがこんな事したいって思う事よりも、実はまちの状況を考え、どうやってこのまちの魅力と掛け合わせるかって悩む方がマーケットに忠実で、事業性が向上することも多くて、自分たちのやり方に一定の自信を与えてくれる。


まちの魅力を考えた上で自分たちが面白いって思える事をする。順番が大切だと、自分たちに言い聞かせる。


ただただ自分たちが面白くて、とんがった、なんだか攻撃的なリノベーションも確かにカッコいいし、凄いし、憧れる。


でもやっぱり、サルトがするならまちの記憶のようなものを大切にしたいし、まちのポテンシャルを露出させる、顕著化させる方法のひとつなんだって考えて、それがまちづくりを生業とするサルトのリノベーションなんじゃないかと思って取り組みたいなと思います。