猿虎日記(さるとらにっき) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005年02月21日

流行語2

言及していただきました。ありがとうございます。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050221#nowar

なるほどです。ただ、

「反戦」といった時に、すべての「戦争」をひっくるめて語る辺りが自分の違和感。もちろん、必要な限り戦争は避けたほうがいいし、今のイラク戦争はしなくてもいい戦争だったとは考えているけど、湾岸戦争のような既存の国境を壊す動きに対しては、やはり戦争という手段でしか解決できなかったろうと思う。

 ということですが、私としては、むしろ、反・反戦の方にこそ、「すべての『反戦』をひっくるめて語っている」のではないか、という違和感を感じるのです。たとえば、「反戦というのはすべて、すべての戦争をひっくるめて語るものだ」と語るのも、そうじゃないか、なんて思ってしまうのです。たとえばイラク反戦運動は、「イラク戦争に反対」する運動だと少なくとも私は思っています。すべての戦争に反対、という人もいるかもしれないが、そうでない人もいるかもしれない。なぜ、「反戦運動をする人はみなすべての戦争をひっくるめて反対している人だ」と決めつけるのか、という疑問、それから、「イラク反戦運動は、すべての戦争に反対する人以外参加をお断りします」なんてことは誰も一言も言っていなかったのに、「反戦運動というのはすべての戦争をひっくるめて反対する人の運動だから」と参加しなかった人がもしいたとするなら、それはおかしいのではないか、自分で敷居を高くしておいて、あんな高い敷居は越えられない、と言っているようなものではないか……その辺が、私の疑問なのです。

 また、これについてですが

それでちょっと思い出したのが湾岸戦争時の反戦活動。あの時、反戦活動をした人たちはその活動でどういう実効性があったかなどの検証をしてなかったのではないだろうか。あの時の無力感が、今の反戦活動に何か繋がっているのかもしれない。

 しかし、「実効性の検証」が結局なされないような活動、など、それこそゴマンとあるような気がするのです。たとえば湾岸戦争やイラク戦争、アフガン・ユーゴへの爆撃、自衛隊のイラク派兵などについて、そうした「実効性の検証」がはたしてなされた(なされる)のでしょうか? なのになぜか、「反戦」活動だけは、「実効性」とやらが厳しく問われる、そんな気がしてならないのです。私は、湾岸戦争時の反戦活動に「実効性」がなかったとはまったく思わないです。反戦というのは戦争を止める活動だ、と勝手に決めつけて、「反戦活動があったのに戦争が起こった」というその一事のみをもって「反戦活動は実効性がまったく無かった、ゼロだった」と言うのこそ、決めつけではないかと思うのです。

 もっと単純化した話でいえば、たとえば勝敗が明白に決まるスポーツの試合ですら、負けたのだから試合をしなかった方がよかった、とは誰も言わないし、無力感などとは誰も言わない。まして、反戦は「試合」ではないのに、なぜ「無効、無力感」などとしきりに(しかもしばしば、参加しなかった人から)言われるのか、というのが、気になるのです。