ためらいのためらい

 吉本隆明私の「戦争論」 (ちくま文庫)』(http://d.hatena.ne.jp/aian/20050224/1109254073よりの孫引き)

──人間性というものを考えると,「戦争自体がダメだ」とはなかなかいい切れない気がしますが?

吉本 そうですね。だから,僕も「本音の本音でいっちゃうと」といういい方をしたんです。それはなぜかというと,「俺はそこまでは,ちょっと実感的になかなかいい切る器量がないよな」「声を大にしてそれをいうと,自分にはあまりできそうもないことをいっていることになるな」っていう気がするものですから。

 私もこの本読みました。意外と面白かったですが、やはり笑っちゃうようなところも多かったです(そう言う意味でも面白かったですが)。吉本ファンの方だったらごめんなさい。それはともかく、上の吉本の「「俺はそこまでは,ちょっと実感的になかなかいい切る器量がないよな」「声を大にしてそれをいうと,自分にはあまりできそうもないことをいっていることになるな」っていう気がする」というのはわかります。これは「私は、戦争反対と発言したりするほど戦争について考えているわけじゃない。そんな負い目のようなものを常に持っています。」という『ダ・ヴィンチ』の三崎氏の発言も同じですよね。それを批判したり、情けないと叱咤したりするようなつもりは毛頭ありません。ていうか私だってヘタレもいいとこの人間なので。「授業中しゃべっている学生をもっときつく叱って下さい。それが教師の責任でしょう」と学生にしばしばきつく叱られています(<授業アンケートによくこう書かれることがある)。それこそ「俺はそこまでは,ちょっとなかなかきつく叱ったりする器量がないよな」「声を大にしてそれをいうと,自分にはあまりできそうもないことをいっていることになるな」っていう気がするものですから。
 脱線しましたが、えーと、内田さん的な、「ためらい」こそが大事なんだ、とか、他罰的な語り口が……とか、ソフトであるためにハードに努力する、とか、そういう話もなんとなくわかります。わかるんですが……しかし……。というわけで、私は、「ためらうこと」と「ためらわないこと」の間でためらってるわけですよ。これは一段レベルの高い「ためらい」じゃないか……なんつって。
 むしろ気になるのは、インタビュアーの「人間性というものを考えると,「戦争自体がダメだ」とはなかなかいい切れない気がしますが?」という発言です。これ、疑問形にしてますが、巧妙に断定してますよね。こういうソフトな断定の方が気になる。