前打ち報道氾濫に見る無責任社会

日雇い派遣禁止は本決まりの方向との前打ち報道を見た。こうした前打ち報道を目にするたびに記者クラブ制度の弊害を思いださずにいられない。読者に対して情報源を明かさないまま、政府の政策方針を事前に入手し、大部分は匿名で報道する。そういう類のニュースがあまりに目につく。情報源や入手経過を明示せず報道する姿勢は、読者が自分自身で情報の価値を判断する契機を奪っている。情報を提供してくれた相手への配慮の糖衣に包まれて、書き手の意識は肝心の読者の方を向いていない。こうして報道する所作は、何が社会にとって有益な情報(ニュース)なのかというセンスを日常的に去勢されている現実を自覚していない。官庁のどこかの誰かが決めた決定事項を、報道機関という組織の名の下に、どこかの誰かが、報道する。しかもそうした記事には、その政策が実現したらどのような意義(有用性)があるかの解説までついていたりする。

いまだに、国民第一(パブリック・ファースト)で情報発信しないほうが、官庁にとって、報道機関にとって、都合がいいのだ。何が誰によって意思決定され、誰が伝えているのか、そういうことが何ひとつ可視化されないまま、責任の所在は曖昧なまま、ただ事態だけがのっぺりと進んでいく。そういう官庁とメディアの蜜月の論理が、世の中の情報流通をいかに歪めているか、そういう情報発信がルーチン作業になっている人々は、考えたことがあるのだろうか。伝統的メディアの人間の行動原理は、おそらく外野が何を言っても変わらない。行動を変えるのを期待できるのは、官庁の側の人間だ。打ち出される政策の中身について言いたくなることもいろいろあるが、それはそれとして、ともかく情報発信のあり方を変えて欲しい。国民第一に情報を発信し、建設的な政策論議に資するのが役割だと思い出して欲しい、官庁にはそれしきのスジ論がわかる人間はいないのだろうか。なにかしら前打ち報道された政策の所管担当者を情報漏えいの罪で告発でもすれば、行動は変わるだろうか。そうすれば官庁発の情報も、世の中の議論も、少しはまともなものになるだろうか。

  • 月刊誌紹介|生活経済政策研究所 2008年5月号(No.136)

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

特集 生活保障システムとしての最低保障
逆機能する日本の生活保障システム/大沢真理
ミニマムの確定に向けて―生活保護基準をめぐる論点整理―/布川日佐史
貧困基準の検証と新しい所得保障制度/駒村康平
三層構造による社会的セーフティネットの再構築を―連合の提案―/小島 茂

気になる特集。月別に個別のパーマリンクもないようなので、とりあえずポスト。社会保障が逆機能に陥っていることは大勢の見方になっているとは思うものの、企業社会を前提とした社会保障ジェンダー・バイアスを残したまま逆機能に陥っているといった切り口のものが大半で、その企業の成長を促してきた補助金、租税特別措置、税額控除など、高度成長以後有効だった政策群が何重にも社会保障の逆機能を昂進させてきたといった視点のものは、勉強不足なのか、みかけない。 ふつうはそれらの政策のおかげで企業の成長を通して人々は豊かになりえたという見方になるのだが、それは主に特定の人々(常用雇用・世帯主・男性)の福祉を増進するものでしかなかったことが、もっと強調されるべきだと思う。終身雇用型の企業活動が優勢となり人々の生活を強く拘束した時代は、個々人が社会的な選択の機会を奪われ、関係性の貧困が拡大した時代でもあったと再定義できるはずだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008051201004

 与党は12日、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度長寿医療制度)で焦点となっている低所得層の保険料軽減策に関して、所得判定方法を見直して「低所得」の範囲を広げ、より多くの人が軽減措置を受けられるようにする方向で検討に入った。6月末までに結論を出す。
 後期高齢者医療制度には約1300万人が加入しており、保険料は個人単位で負担する。具体的には、所得の多少に関係なく原則負担する均等割と、所得に応じた所得割から成り、均等割については低所得層を対象に、本来負担額から7割、5割、2割を差し引く3段階の軽減措置がある。
 ただ、均等割の軽減措置の対象となるかどうかの所得判定は世帯単位となっており、世帯主に一定程度の収入があれば、加入者本人が低所得であっても対象外となる。このため与党は、所得判定方法を世帯単位から個人単位に変更することで、対象者を拡大する案を検討することにした。
 これに対して厚生労働省は、介護保険国民健康保険では保険料の軽減判定方法は世帯単位となっているとして、後期高齢者医療制度についてのみ個人単位に見直すことには慎重。政府・与党として今週以降、具体的な扱いを協議する。
 同制度の運用改善をめぐってはまた、保険料の年金天引きを自治体による選択制とする案も浮上している。選択制とするには法改正が必要とされており、与党で対応を協議する。

とりとめのない思考メモ。社会保障の基本単位は世帯か個人か。機会の均等を徹底させるならば、個人単位にいきつくのは自明ではある。しかし、モノゴトはそう単純ではない。人は誰かと誰かが結びつくこと・協力しあうことで生まれ、そして一人で死んでいく。結びつくことの最小単位が家族を形成するとして、それが持続的に再生産されることなしに、社会は成立しえない。思うに社会保障の助けを必要とする何らかの困難とは、腑分けして分析すれば、極めて個人的なものである。だが個人を救済できたとしても、個人は死すべき存在であり、持続可能な存在ではない。そうした個人が他者と結びつくなしには、社会を再生産できない。社会保障とは社会を持続可能ならしめるための仕組みだと考えるならば、人と人を結びつけるのに資するのは、個人への助力なのか、人との結びつきの揺籃器たりえる世帯への助力なのか。どちらへの助力が正しいかは、単純には決まらない。ただ現在の日本の制度が世帯のみに偏重していることは、社会保障としてバランスを欠いているのだ。人と人との結びつきは、ライフコースごとに、多様に変化しうるものだということを想定できていない。

ある製造業派遣企業

http://www.ohmynews.co.jp/news/20080507/24671

───人材派遣ビジネスのイメージが悪いことについてはどう思いますか。
 パートやアルバイトなど、いわゆる非正規雇用は現在約1700万人いると言われています。製造業の派遣は約100万人ですから、割合は高くないのですが、格差社会の象徴と受け止められているようです。派遣先が、日本を代表するような大企業ばかりで、目立っているということもあるかもしれません。

───そもそも、トヨタ九州の副社長を退任後、テクノスマイル社長としてビジネスを拡大している動機は何ですか。
 トヨタ九州時代は、今とは逆の立場でした。非正規雇用の人材を使う立場でしたから。その時、態度も能力も変らないのに、非正規だからといって賃金が安いことに対し、もう少し何とかできないかという問題意識がありました。派遣でもしっかり育てて、能力を認めてもらえれば、しっかり稼げるようにしたいと思っていました。

───業界では「2009年問題」への対応をどうするかという声も出始めているようです。
 改正労働者派遣法によって、製造現場への派遣が2006年秋から始まりました。受け入れ期間が最長で3年ですから、その後、どうするかが注目されています。同じ工場内でも派遣先を変えれば問題ありませんので、異動させることで対応していくように顧客とも話し合っています。すでにその対策はできています。
 巷では、派遣を直接雇用に変更し、管理は派遣会社に任せるやり方をするところも出るのではないか、と言われています。しかし、これがある意味「偽装的」な面がありますので、うちはやりません。業界では今後、様々な問題が起こる可能性はあります。

ジャーナリスト・井上久男氏によるトヨタ系企業・テクノスマイル・馬見塚譲社長へのインタビュー。4回もの連載の最後の部分。2009年秋に、製造業で人材派遣を活用している企業で、直接雇用申し込み義務が一斉に表面化する問題について語っている。期限後も同じ派遣労働者でも工場内で配置転換すれば、問題は生じないとする見解を語っている。同じ工場内で派遣先を変えるなどという対応は形式的なものに終わるのが目に見えている。これは「偽装雇用」と呼ぶに値する働かせ方を今後も継続して活用すると宣言しているのに等しい。この発言は先日、判決が出た松下プラズマディスプレイ裁判の高裁判決の趣旨とは対立する。
一方この企業は、派遣先のトヨタが常用雇用する人材の供給先にもなっている。派遣先トヨタの雇用形態はなるべく影響を受けないかたちで人材をリクルートする装置として機能していることが見てとれる。トヨタという特定の派遣先の人材供給に貢献する限りは、自社に熟練度の高い人材がとどまる必要性がない企業であるわけだ。今後こうしたタイプの企業が常用雇用化に貢献する人材育成企業とメディアでもちあげられていく可能性がある。上掲記事もそのニュアンスが強い。だが実質的には、元請け企業の人材の選別過程が外部化された現象にすぎないのではないか。人材育成企業として積極的に評価できるかは、トヨタ系以外の企業に常用雇用者を提供するつもりがあるかどうかで真価をはかりうる。こうした製造業派遣企業は、通常の派遣業にみられる派遣元−派遣元の関係とは、かなり異なる関係性の中で活動していることに留意しておきたい。