漫画で考える「善悪」

私は漫画もよく読みます。
特に、自分自身の「生き方」を考えさせられるような、
作者からの「人生」に関する哲学的な投げかけが込められた作品が大好きです。
 
過去にもいくつか漫画をご紹介しましたが、
私からするとそれらは全て「人生哲学漫画」のジャンルに入ってきます。
 
例えば、史上空前の売上を誇る少年漫画「ONE PIECE」。
この漫画は、一体何が「正義」なのか?ということを深く考えさせられます。
世の中が「正義」としているものを、盲目的に追随することの危険性。
「こんなのおかしい!」と政府軍に属する少年コビーが叫びます。
あるいは、過去の世代の恨みを根拠に、現代の無実の人々を傷つける魚人海賊団の是非。
あるいは、親が大悪党という理由で、
世間から疎まれ肩身の狭い思いをして生きてきた少年時代のエース。
「これが正義だ!」という答えは作中に用意されていません。
答えは、読者自身の考えに委ねられているのです。
 
はたまた、映画化もされたギャンブル漫画の金字塔「賭博目次録カイジ」。
この漫画随一の名キャラクター利根川
ヤミ金融の幹部である彼は、ぬるま湯につかった若者達にこう言い放ちます。
「世間の大人どもが本当のことを言わないなら俺が言ってやる・・・
 金は命より重い・・・!
 そこの認識をごまかす輩は生涯地を這う・・・・・・!!」
「勝ちもせず生きようとすることが そもそも論外なのだ」
私は正直、この「賭博目次録カイジ」を
学校の教科書にしてもいいのではないかくらいに思っています。
「賭博目次録カイジ」で語られていることは、紛れもない「世界」の「真実」の一面です。
この容赦ない重みをずっしりと受け止めた上で、
それでも、いやそれだからこそ、「優しさ」や「愛」を実践する人々が存在します。
「生きる」ということは神に「競争」を強いられた絶望の世界なのでしょうか?
それとも、もっと違う意味が存在するのか?
読者は、主人公のカイジと一緒に、いつしか考え始めるのです。
 
それから他にも、新進気鋭の作家さんによる大ヒット漫画「進撃の巨人」を紹介しました。
読者は、「弱肉強食」という「世界」の「真実」をこれでもかというくらい見せつけられます。
このおぞましいほど過酷な「世界」の中で、それでも懸命に生きることの「美しさ」。
このとうてい勝ち目のない「世界」に闘いを挑むのか否か?
闘わない「安穏」。闘う「無謀」もしくは「希望」。
知らず知らずのうちに読者は探し始めます。闘うことの意味を。
 
そして今回最後に、「人生哲学漫画」としてイチオシの
私の大好きな作家さんをご紹介したいと思います。
その方は、武井宏之さん。
少年ジャンプコミックの「シャーマンキング」などを描かれています。
基本はバトル漫画なのですが、
現実世界の宗教や思想に基づく精神的な相違の元に各キャラクターが存在し、
一体何が正しいのか深く考えさせられるのです。
この方の漫画を読むと、
ものすごく「世界」について「哲学的考察」がなされていることに気づきます。
この漫画を読む少年達が「世界」への多面的な見方を持つきっかけとなる
素晴らしい漫画だと思う次第です。
私も正直、この方の「世界」の見方に結構影響を受けていると思います。
 
さて、武井宏之さんが現在連載中の漫画に「機巧童子ULTIMO」があります。
私は、この漫画も大好きです。
テーマは、ずばり「善」vs「悪」。
この「世界」、「善」と「悪」のどちらが真実なのか?
仏教の6つの徳目である「六波羅蜜」を象徴するカラクリ人形と、
キリスト教で罪の源とされている「7つの大罪」を象徴するカラクリ人形が闘います。
う〜ん・・言葉で説明しても、うまく伝わらないですよね。
興味を持たれた方は、単純にエンターテイメントとしても面白いので是非読んでみて下さい。
 
今日は最後に、
この「機巧童子ULTIMO」の第1巻に登場する
ちょい役の骨董屋の店主の言葉を紹介したいと思います。
「そのくせ最近は、法ばかりがうるさくなって多くのバカが
 バレさえしなければ何をしても良いと思うようになってしまった。」
「己の基準を持たずモノの「善」し「悪」しさえも他人任せの者達。
 そうして知らず知らずのうちに他人に支配されていく事にも気づかぬまま
 生きるのだろうな。」
 
私は、このセリフに深く考えさせられました。
今私たちは、「善悪」の判断をどこでやっているのだろうかと。
ちゃんと自分の「心」や「頭」で「善悪」を判断しているのでしょうか?
 
確かによく考えたら、「法律」は「善悪」ではありません。
私やあたなは、「法律」の他にちゃんと「善悪」の基準を持っているのでしょうか?
少なくとも私は、自身の「善悪」の基準を明確に考えたことはありません。
正直なところ、その場その場の「感情」や「雰囲気」で「善悪」を判じていたように思うのです。
 
「人生」を生きる上で自分にとって正しい「選択」や「判断」は、
決して自身の「感情」やその場の「雰囲気」に流されてできるものではありません。
ましてや、テレビや新聞、ネット等の他人の考えや都合で決めてしまっていては、
それは本当に生きていると言えるのでしょうか?
 
学校で教えてくれることは、他人が正しいと考えている一つの考えに過ぎない。
是非、私たち一人ひとりに「善悪」を考えさせてくれる、
上記に紹介した「人生哲学漫画」のような書籍を通じて、
自身の「善悪」を磨いていきたいものです。
 
この部分、本当に日本人は弱いですよ。
だから、「政治」もいつまでも三流だし、「いじめ」もなくならないのだと思います。
 
 
ところで、この自分だけの「善悪」の基準、
またの名を「価値観」と呼びます。
 
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