「星見の井戸」

昨日「目を凝らす」という表現を使いました。
 
昨日の文章を描いた後、職場で働きながら、
本当にそうだなぁと思ったのです。
 
自分はどこに向かって、進みたいのか?
 
日々対処しなければならないことに必死で、
自分にとっての進みたい方向が見えていなかった。
 
真昼の太陽が明るすぎて、
本当に自分が進むべき方向の星を見つけることができていなかった。
 
「目を凝らす」ことが必要だと感じました。
この社会、この世界、ちゃんと目を凝らさないと、
社会や他者にとって大切なものに惑わされ、
自分にとって本当に大切なものは見えてこないと感じるのです。
 
「星見の井戸」というものがあります。
その井戸を覗き込むと、昼でも星が水面に映るとか。
 
そういった「星見の井戸」が、私達にも必要だと感じます。
自分の目指す星をどれにするのか?
 
もちろん、ギラギラ光る太陽に向かって進もうという人があってもよいと思います。
現代社会がもてはやす生き方をできる人は、
そうすることで「幸せ」をつかめるでしょう。
その場合でも、周りの星々を眺めてから太陽を選んでも遅くはないと思います。
もしかしたら、自分の「幸せ」に直結する星が別にあるかもしれないからです。
 
生まれたからには、
それぞれがそれぞれに生まれた「意味」があると思うのです。私は。
あるいは、生まれた「意味」を持つ必要があると思うのです。
 
「意味」を持たずに生きるのは、本当に苦しい。
 
だから、私には私の、あなたにはあなたの、生まれた「意味」を。
 
昼間に星が見えないのは、
大気中の微粒子によって太陽の光が乱反射されて、
その光に星の光が負けてしまうからだそうです。
「星見の井戸」では、
斜め方向から入ってくる乱反射した光を深い井戸で遮断することができます。
その結果、上から真っ直ぐに届く本来の星の光を昼間でも見ることができる訳です。
 
自分にとって、「星見の井戸」とは何なのかなと考えました。
それは、やはり自分自身なのだと思うのです。
 
自分自身をしっかりと覗き込んで、自分の星を見つける。
 
外の世界をダイレクトに見ても、太陽がまぶしすぎて、目がくらむばかり。
他の人の意見を聴いたって、自分の星がわかるとは思えません。
 
そうではなくて、自分自身の深い井戸を覗き込む。
そこに星が映ると信じて、覗き込む。
 
外の世界は明るくて賑やかですが、ノイズで満ちています。
ノイズを消し去るほど静寂で深遠な井戸が、私達の「心」の中にあるのです。
 
ノイズを除去した後の「本質」に近づきたいのなら、
やはり自分の「心」の井戸を覗き込む以外に方法はないのかなと、私は考えます。