日々の研究

2017-01-16 月曜日

金曜日の昼に羽田にいって、夜に羽田をたって、月曜日の深夜に帰宅する、という超ハードコースで、バークレーにいってきた。第18回統計物理会議だが、これは、チャンドラー先生がずっと主催しているもので、レボビッツ先生がずっとやっているラトガース会議の西海岸版のようなものかもしれない。(レボビッツのは100回を超えているけれど。。。)ただ、統計力学といっても、いわゆる、アメリカの「化学物理」色が強い。統計力学をつかって、色々な化学現象を力強く開拓しようとするもので、概念や手法では物理と共通点もあるし、生物物理は全て化学現象である、といいきってしまえば、それも含んでしまう。実際は、チャンドラー先生の共同研究者は知人たちやその学生たちが集まっている会議、という感じかもしれない。毎年この時期にやっているのだけど、僕は昨年やっと都合をつけれて参加するはずだったのだけど、飛行機が飛ばずに関空から引き返した。それで、何とか今年に。。。というわけで、いってきた。

時差の影響はきつく、食事のタイミングをあわせるのも失敗し、生活リズムはぐたぐたになってしまった。また、学内宿泊施設(=といっても凄く高い)へのいきかたが中々分からず、近くまできているのは確実なので、何人かに聞いたのだ適格な答えを教えてくれない。結局、最初に人に聞いたとき、彼が、「あ、そこだよ」と目の前の建物を指さしてくれたらよかったのだけど、全然違う方向をいったものだから、ぐるぐるまわることになった。それでやっと着いたと思ったら、今度はエレベーターに閉じ込められた。実は、空港でレストルームにいくのを忘れてしまい、列車を降りた駅でしようと思ったら、駅にはない、、といわれ、店にいこうかどうか迷ったが、地図をみるど、駅からすぐのところにバークレーがあるので、先に宿舎にいけばいいと思って、そこまで引き延ばしていたのだった。エレベーターに閉じ込められたとき、最初に頭をよぎったのは、そのことで、「まずいな。どう頑張っても30分はもたないぞ。いや、10分でも危ないかもしれない。」と泡食った。ともかく、すぐに緊急電話を入れた。すぐに向かってくれる、ということだったが、バークレー構内のどこかからそこにやってくるみたいで、中々こない。連絡が途切れている、という恐怖のパタンも頭をよぎったので、ホテルにメールに現状を伝えた。そうこうするうちに人がきてたが、何ともならない。「電源いじってくるから」と言い残して消えた。いよいよやばいな、と思ったが、気を紛らした方がいいと思って、「エレベーターに閉じ込められた、なう」とtwitter に書いた。あと、メールを書いたり、ネットみてたりしていると、気が紛れてきた。twitter に書き込んで5分くらいで脱出できた。(電源を。。」と言っていたおじさんが帰ってきてくれた。結局、15分くらいの閉じ込めで済んだので、大したことはなかった。

研究会は、統計力学と生物物理の境界領域を「Department of chemistry」で展開するーというのが主軸になっていたが、講演のレベルが概ねすごく高かった。超有名人を除いて、知らない講演者も多かったが、スマートで、勢いがあって、新しいことに挑む意欲に溢れる若手研究者たちは新鮮だった。実験にしろ、数値実験にしろ、日本でも似たことはやっていると思うのだけど、何が違うんだろう。動機とアイデアがはっきりしていて、徹底的にやることかな。(ただし、(数値計算を主たる方法として使わない)理論の発表は僕だけだった。

2017-01-12 木曜日

新年になっているのに、日記を書けていない。ずっと、筑波・水戸出張での課題が気になっていて、気が付いたら、かなり激しい試行錯誤になっていた。論点の混乱もあったし、計算の下手くそさもあったし、簡単な問題のはずなのに何で出来ないんだ〜とだいぶ消耗してきた。

やっとできた。結果は予想どおり、という意味では面白くないが、この予想そのものが全くの非自明で1年前には想像もつかないものである。中川さんの熱力学拡張案を半信半疑であれこれ可能性を考えていたが、これでほぼ確信した。多分、大丈夫な気がする。勿論、今、計算したのは、簡単な玩具模型だけであり、一般論を構築するにはテクニカルにまだ壁がある。(何をすればいいのかだいぶ分かりつつはあるのだけれど。)まずは、この枠組みが予言する新しいこと(現象論)を整理して、春までに公開することを目指そう。

2016-12-31

2016年。正月、3月、GW ...と、時間がとれるたびに、量子系の論文を色々よんで、あれこれ計算して、あぁでもない、こうでもない、とのたうっていた。その話を論文として投稿するところまでいけたのは、何よりもうれしいことだった。生まれて初めての量子系の論文で、精神的にびくびくする、というか初々しい感じがする、貴重な体験だった。勿論、ひとりでできたわけではなく、杉浦さん、横倉さんが指導者の役割を果たしてくれたからこそである。短期記憶など能力的にかなりやばい感じになっている中で、新しいところにいけたのは心底うれしい。また、20年来のライフワークであるSSTに大きな動きが始まっており、まだ途上であるが、これもワクワクする。この二つだけで、研究としては良い年だった。

映画館に4回もいった。(シンゴジラ2回、君の名は。この世界の片隅に)子供が一緒でなく行く映画館はおよそ25年ぶりのような気もする。もののけ姫も千と千尋もこどもと映画館にいったが、どちらもそれほど強いインパクトはなかった。どちらかというと秀作を惰性で観ている感じだった。ところが、今年みたこれらの映画はそれぞれ強い個性があって、目がさめた感があった。シンゴジラの映画としてこういうのがありえるんだー感に圧倒された。君の名。を見たあとは、おそらく、高校生のときガラガラの映画館でカリオストロをみたあとの感覚に近かった。これには本当に驚いた。世界は変わっていく、、ということを実感したのも大きい。

変わっていく、といえば、アルファGo も驚いた。碁が人工知能で人間を超えるときがこんなに早くくると思ってなかったし、しかも、超え方が凄い。あの狭い空間の石の配置だけでも、人類が囚われていた世界観をあっさりと破っていく様をみると、自然法則を追及しようとする研究者の営みもおそらく重箱の隅をいじっているに過ぎないのだろうと感じてしまう。もっと自由にもっと大胆に世界をみることはできるはずなのに、何も見えていないのだろうと思う。

そういうわけで2016年は、近年になく、記憶に残る年だったと思う。

2016-12-29 木曜日

昨日までに解きたかった問題は解けず、今日から冬休みモード。午前中は この本 を読んでいた。午後は買い物に出かけて、Radwinps のCDを買ってきた。帰宅後は、査読レポートを書いて、本読みの続き。途中からスピードは大幅ダウン。年末年始で100ページくらい読めれば、米田の補題までいけるはずだが、難しいかもしれない。(練習問題は飛ばしているので浅い理解のままとりあえず全体を掴もうと。。)別に何かの義務ではないし、休暇中のリフレッシュのための題材なので読めるとこまででいい。

2016-12-23 金曜日

水曜日と木曜日は出張だった。筑波の斎藤さんところで、某実験について話をしにいき、水戸の中川さんところで、流体の講義をしてきた。相当に隙間がない中でのやや強引な出張だったが、突破口になればいいな、、と少し前に企画した。といっても、最近、復活SST話にご無沙汰していたので、火曜日の夜から復習をして、新幹線の中もずっと問題に集中して、頭をそっちにあわせた。そして、斎藤さんに説明をして、アドバイスをいただいたり、議論したりして、あれやこれや、、としていると、木曜日の朝おきたときに、かなりいいのがきた。講義前に中川さんに説明して、「これはいけるんじゃないか」と盛り上がった。ただ、木曜日は、流体の講義4時間だけで時間がすぎて、帰りまぎわに、中川研の院生の面白い話を聞いて、こういうことかなぁ、、と適当なことを喋った。帰りは、SSTに戻って、朝のアイデアを検討した。ただ、東京駅についたら、新幹線は2時間遅れ、、、。ぼーと駅で具体的にできる方法を考えて、新幹線の中ではノートで計算して、地下鉄最終で自宅についた。

まだ、計算終わっていないけれど、これは確実に計算できるし、結果があぁなれば大きく前進する気がする。熱力学の拡張(SST)の中川版を問題にしていて、今のところ一番可能性があるのだが、(要請した範囲でも)拡張が一意ではなく、他の可能性もある、というのが気になっていた。その中で優先順位をつけたかったのだが、どうやら、中川版だけが残る可能性が9割がたになった気がする。物理的な条件下でミクロ側からそれが主張できる可能性がでてきた。SST中川版の具体的な予言は簡潔で綺麗なので、それを実験で検証されれば、十分なのだが、それはそれで時間がかかる。他の側面からのサポートが欲しく、数値実験かミクロからのパスか。数値実験は僕には難しくプロと相談しないとできない。ミクロからのパスは本来ならできないといけないのだが、中々手がかりがなかった。(非平衡統計力学の無力を味わうばかり。。)それがやっと動き始めた。

不思議なものだ。火曜日の夜は、慌てて準備している状況だったのだが、一瞬で変わった。しかし、その一瞬は、日常の生活を送っていたのだと中々来なかったと思う。出張して、その問題に焦点をあてて、話をするからこそ降りてくるんだよなぁ。

今日は、計算の続きをしたかったのだが、上田さんとの論文のリプライ案へのコメントを書いて、南さんとの論文の草稿をいじった。(随分前からその予定になっていた。)

2016-12-16 金曜日

今日は場所を変えて、遙か遠いところにバスで移動して、13:00くらいまで。何でや...と思うけれど、おそらく予算の関係なんだろうな。そこで1日会議をすることで、それなりのサポートをもらえるのだと思う。ただ、行くのは大変みたい。僕はホテルからシャトルがでているので、それに間に合うようにいったが、同じホテルでもそれに遅れたフランス人やインド人はタクシーとばしたらしい。バスがでていないところからは、地下鉄で某駅までいって、そこからローカルバスをひろって適切なところで降りないといけない。これは難易度が高い。アンドレアスはスマートなので、きちんとこなしたが、それでも結構な時間をつかったようだった。

講演は、それぞれ良質だが...。気分が盛り上がることはなかった。昨日書いた、「応用がきらい」というのはちょっと違う。多分、成熟している分野、あるいは、コミュニティーができているような分野の研究に自分が関わりたくない、というのが近いのだと思う。1993年のパタンダイナミクスの国際会議にいって、次々と話される話はほとんど理解できて、そこに自分がone of them に入っているのはつまらなく感じて、博士課程で一番時間を使っていたパタンダイナミクスの研究から変わることにした。こういうのは、良し悪しではなくて、性格だと思う。今でも、ホログラフィーとかトぽロジカルーとか理論物理でもファッショナブルなテーマで多くの人が関わっているのがあるが、僕は、多くの人が関わっているだけで、距離をとりたくなる。そこにいても自分の独自性が保たれるならそういう研究もいいのだろうけど、、、それがないうちはそういうテーマで自分が研究したいとは思わない。おそらく、非線形動力学とかも半端なスケールだが、(相互に話が通じる程度の)コミュニティーができていて、そういうのが嫌なのだろう。また、研究というのを個人の営みとしてみるときは、差分でみるので、素晴らしい研究であっても、その喋っている本人がやったところまでみると、ふーん、となってしまう、というのもある。一言でいって、僕にはワクワク感がない。

その一方で、今、自分たちが進めている研究たちはそれぞれ凄く楽しい。特に、論文として形になった Sasa-Sugiura-Yokokura だけでなく、現在論文にしている Minami-Sasa (=Yakhot 予想(確率過程模型の有効模型に関する予想)の現代的定式化と具体的な計算!)やもうすぐ論文にするNakagawa-Sasa (復活SST!?)も、流行とは無縁だが、それぞれ非常に独創性が高く、明快な結果に到達していて、かつ、ワクワクする。独創性はやや足りないが、単純素朴に面白いと断言できるTaniguchi-Shiraishi-Sasa(はね返り係数の相転移!)もある。そう遠くないうちに論文公開できるだろう。ラファエルとのオルソディクス話も面白いが、真実の断片は捕まえていると思うけれど....まだワクワクするところまでは来ていない、、というあたりか。

そして、個人的に今もっとも気になりはじめているのが、卒研のひとつで、これが本当ならかなり驚く。20年前くらいにやりたかったことの一つで僕は全くできなかったことを、(そんなことは知らずに)学生がテーマ設定から解決まで勢いよく進展させている。あまりにも渋くそもそも問題を理解できる人がほとんどいないテーマだが、無茶苦茶大事だと僕は思っている。(ただ、このテーマで僕より理解している人が世界で一人いることは知っているので、その方にメールを書いて話を始めた。勿論、その問題を考えたことのある研究者は他にもきっとたくさんいるだろうけど、表にでていないので、誰がどこまで考えているか、、なんてわかりようがない。検索してもでてこない。僕は漠然とした問題意識しかなかったのだけど、20年前にその方から明示的に言葉を学んだ。)こういうのが研究スタイルとしては個人的には大変いい。その卒研生もそういうのがよい、ということだったので、それで行こうとなった。でもまぁ、そんなに簡単にすすまないと思っていたのだが、良い方向への想定外だな。。

という風に、研究については、日常の方がはるかに刺激的なんだよなぁ。。とか...思っていると鎖国(国際会議いかない病)してしまう。僕は96年から鎖国した。99年に香港にいったけれど、そもそも記憶にない。90年代の終わりごろに、特異摂動の長期滞在研究会やパタンの研究会のお誘いなどポチポチあったが断った。2000年にクリス(=ジャルチンスキー)に個人的に会いにいったが、これは国際会議ではない。2005年にレティシアさんに呼ばれて部分開国、2007年から全面開国。(2006年には国際交流を名目に予算を申請しているので意図的。)それからたった10年しかたっていない。ただ戦略的にはよくなくて、少なくとも、おそらく2002年くらいに国際会議にいくのが「社会的には」よかったのかもしれない。まぁ、分からないけれど。。

この10年の国際会議で何かいいことあったか、と考えると難しいのだが、例えば、外に行かなければSasa-Yokokura は確実に存在しない。あれは、僕がインドに講義しにいった、という結果の産物であり、それ以外のパスでその研究がどこかで立ち上がる確率はほぼゼロである。まぁ、あれだ、「ほっといても自分が向かう向きがあるとすると、その反対方向に少しだけ外場をかけるくらいがちょうどいい」というやつだな。この前の講義でも枕でしゃべったけれど、うまくいくときというのはそういうバランスがとれているんだと思う。反対方向の外場が大きすぎると苦しくてダメだし、外場がゼロだと安定方向にとどまってしまって跳べないんだと思う。

最近は、そろそろ最後にしようかな、、と思いながら国際会議にでることも多い。もう少しだけ続けてみるが。。どこかで区切りをつけるかな。(何度か断ってやっと昨年度引き受けたのに飛行機が飛ばなかったバークレー会議に1月にいくのと、3度目くらいの依頼でひきうけたプラハ会議に7月にいく。まだ強い決心がついていないので、強引にこられると、中々切れない。でも、8月のバンガロールは多分いかない気がする。(これ昨年も断っているのだが、代わりに講義を引き受けたのでもう役目を果たした気でいる。。))

2016-12-15

香港で、 こういう会議 に参加している。この会議はDDAPというシリーズもので、非線形科学の発展を...という題目になっている。実は、 1999年のDDAPの1回目に参加している。場所は全く同じ。講演していないが、そもそもポスター発表をしたかどうかも覚えていない。蔵本さんは招待講演だったが、何を講演されたのかも覚えていない。たしか、ホテルは茶碗谷と相部屋で、水口とか御手洗さんとかがいた。もう、いわゆる非線形科学から僕は離れようとしていたころで、そもそも何でその会議に参加しようとしたのかも覚えていない。その後、DDAPに参加したことは一度もなく、日本開催のときも、僕は全く関係ない立場だった。それが、今回、基調講演せよ、との依頼があった。しかし、どうやっても「浮いている」わけで、困ったなぁ、、と思っていた。(こういう講演は、主催者が知人だから、、という側面が大きく、学問的にどうこうというわけではない。)実際、昨日の夕方について、ポスターセッションから参加したが、僕の話に興味を持ちそうな人はいない。。見てなかったプログラムをみて、参加者の全体像が分かってきたが、これは厳しいなぁ。。統計力学に素養があるナイジェル=ゴールデンフェルトとダニエル=フィッシャー(二人とも今は生物がメイン)をターゲットとして想定しつつ、かつ、好奇心が強いアジアの若手たちを刺激するように工夫することを目指して、昨夜に色々改訂した。

講演。ちゃんと事前にパソコンが動くことを確認したのに、つなぐと何も表示されない。ファイルをコピーして別の計算機につなごうとしたが、僕のパソコンが暴走し始めた。やばいと思ったが、暴走が止まって、コピーして講演開始。ターゲットのひとりのダニエル=フィッシャーさんは僕の次の講演で、(僕の講演の前から)どうやらその準備をしているらしいので、見ないことにする。(見るとテンション下がるから。)ナイジェルは、とりあえず前を向いているので、彼の顔が下がるかどうかをチェックポイントにすることを決めた。最初のドタバタがあったせいか、リズムが悪く、予定より早く進んでしまった。途中でスピードを抑えて、最終的には予定通り35分で終えた。10分の質疑応答時間を作ったが、さてさて質問がでるか不安だったが、10分続いたので良かった。仮に質問がでなくても、ナイジェルは最後まで前を向いていたし、全体をみても8割以上はついてきてくれたと思うので、まぁ合格でいいと思う。休憩時間もたくさんの若手が質問にきてくれて、若手の刺激という意味でもよかったのだと思う。

しかし、会議全体は、何とも言えない気分になる。非線形動力学の生物等への応用がメインだが、僕はどんな分野でも「既存の方法の応用」に興味ないからなぁ。ほとんどの話は実は理解できる。カオスもパタンも僕が大学院生のときに徹底的にやったので、テクニカルに理解できないことはない。(数理的なことなら、今でもほとんど瞬間に反応できる。もちろん、「アイデア」は面白かったり、意味があるかもしれなかったり、色々だけど。今日きいたなかでは、(8月以来2回目だが)金子さんのがやはり面白かった。(ダニエル=フィッシャーさんのは今ひとつ。グレボジさんのも今ふたつ。)でも僕より年長の人たちが代表ではそもそもダメなんじゃないかな。

元気な若手はいないのか、、と思っていたら、バンケットで右隣に座った(物理から入って今はがん細胞の実験をしている)ジェンさんという若手研究者はやたら勢いがあった。研究としてどこまでやれているのかは分からないけれど。。あと、昼食のとき、御手洗さんが左隣で、ずっと英語でしゃべっていたが、研究への向かい方などの話が面白かった。(右となりがエミリー=チンさんで、先方は覚えていないだろうけど、実は、1993年に話をしているんだよなぁ。昼食時、エミリーさんはずっとモーゲンさんとしゃべっていたので、話をする機会を逸してしまった。)バンケットの左隣は、(かだのふの学生でBTWのSOCで超有名になった)タンさんでカダノフさんがどういう風に院生と接していたかなど。。タンさんと会うのは2回目で、前はBTWがどうやってできたかを聞いたのかな。(BTWは院生のときにリアルタイムで読んでもっとも面白かった論文の一つ。)