金曜日

完治していないが、それほど酷くないので学位審査にでかける。(体温を測って判断すべきことでないので測らない。2,3年前は審査から帰宅すると39度を超えていた。)今日は、理論化学と分類される分野で、掲載雑誌をみても、僕は一度も関わったことはない。しかし、「アルゴンクラスターの蒸発の動力学と統計理論」がテーマなので、対象と手法はある程度近い。その一方、研究の背景精神は直交するくらいに遠い。そういう遠近感になれてしまっているくらいに駒場生活が長いのだと実感する。

さて、学位論文、プレゼンともに大変よく準備されていたので、いくつかの確認的質問をする。こういうとき、どういう質問をするかで、審査者側も試験されているのだと僕は思う。

現在、おそらくどこの大学でも審査員と学位論文提出者のやりとりが一般公開されているはずだ。これは大変いいことだ。僕は、もう一歩踏み込んで、質疑応答を文書として公開してもいいとすら思う。これは、学位論文提出者よりも、学位審査する側へのプレッシャーがより高くなるからである。そういう提案をすると、忙しくなって云々、、現実的でない云々、、という反論がくるのは百も承知だが、審査する側の負荷を今より重くしていくことが大事だと考えているからである。

学位だけでない。一定額以上の研究費や人事などについても、最終選考インタビューの公開という英断をどこかでやらないのだろうか。何をどこまで公開するのかは難しい問題だが、影響の大きなものほど公開の度合を今以上にあげていくことは絶対に必要だと思う。

脱線してしまったが、今日の審査の議論で、クラスター化学反応の実験をしている方からのコメントで、面白い実験を聞いた。熱浴からのエネルギー移動の定量化に関するひとつのアイデアで、聞いた瞬間に「面白い!」といってしまった。「でしょ。私がやったのではないけれど。。」とおっしゃっていたが、こういうやりとりが自然な学問交流だと思う。論文はしっかりメモしたので、あとで読んでおこう。帰りの電車で考えたら少し変な気もしてきたし。。(う、待てよ。PRL だから単に僕の勉強不足で、学問交流云々は関係ないか。。)