2011-12-23
京王線
持って帰る必要なんて別にない、冬休みの間も学校に置いとけば良いはずの体育館シューズを間違って持ってきてしまったことに気付いた僕は、下駄箱からやっぱり引き返して、でも四階の教室まで上るのは面倒だから、音楽室のロッカーにそれを突っ込もうと思った。本当は部活のロッカーであって僕のロッカーではないけれども、まあ部長権限で使ってもいいと思った。ところが、何の連想なのかわからないけれども、他にもう誰もいない校舎はなんだか怖いような気がして、細くて小さくておかっぱ頭で顔の表情が見えない黒く塗りつぶされた女の子がそこら中にちらついて笑い声をあげていた。まったくなんてことだと僕は思って、恐怖して縮こまり、ちょうど音楽準備室から出てきた生物の先生に、おや、なんだか顔が変わっているな、僕の記憶ではこの先生はもっと痩せていたはずなのに、いやだれだっていいんだ、ともかく助けを求めようとしても声が出せない。とはいえこの頃には薄々これが夢だってことには気付いていたし、怖がれば怖がるほど怖いっていうことも理解していたから、こうしよう、お化けだろうが幽霊だろうが、俺が殺す。懐からアサルトライフルとグレネードランチャーが一体化した何かのゲームの武器を取り出し、音楽室から正面玄関までの道のりで出てくるものすべてを殲滅していく。ゲームの敵みたいなよくわからないサイボーグみたいな奴がたくさん出てくるけど、全部ぶっ飛ばす。外に出てもぶっ飛ばし続ける。さて、本当はぶっ飛ばしちゃいけない味方をぶっ飛ばし続けると、絶対に倒せない量の味方、もとい既に敵、が現れて、強制的にゲームをオーバーさせるんだけれども、この状況では敵と味方にまとめて敵対する特殊な第三勢力がもうすぐイベント的に現れる予定があるので、それまで持ちこたえればもはや関係が無くなるのだ、だけどそのためには時間が必要だし、この場を離れたほうが良い、というアドバイスをその女性は僕にする。というかそれは僕の祖母で、そのアドバイスに従ってなんかよくわからない空を飛ぶ状態になって僕は飛んでいく。スタート地点に来るとライフが勝手に回復するのだ。そうして祖母と二人で、そこはもう学校ではない、どこかの線路の近くなのだけれど、線路までは見渡せないそこで、学校の校庭の周りに、野球部のボールが飛んで行かないように張ってある緑色のネットみたいなものをよじのぼる。なかなか登るのは難しいし、ネットの目が小さいから足の親指をつっこんで登るのが結構指に堪える。何枚登ったか知れないがやがて上につく。そうしたらここから向こう側に身体を移して、白い霧が立ち込めていてここはどこだかわからないけれどあのあたりにある足場に着地すればオーケーだ。祖母は器用に身体を丸めながら、頂上で一息ついて、懐から何やら青白いパイプみたいな何かを取り出して、シュウと音を立てている。あれは多分喘息の薬の吸入器か何かだ。一気に感傷が蘇る。僕がまだ小さかった頃、しょっちゅう喘息の発作を起こして苦しんでいた頃、あれを持って祖母はつきっきりで看病してくれたじゃないか。そう思うと涙が止まらず、祖母が死んでしまう前にちゃんとお礼を言っておきたかったなと思う。いや、今なら言えるじゃないか。おばあちゃん、小さい頃は、しかしそこで僕の身体はバランスを失い、よくわからない学校にあるような緑色のネットの頂上部分から落下を始める。父親と母親が半ば呆れ半ば怒っていた。僕はかかりつけの歯医者の近くの交差点に倒れていたという。熱もある。本当はどこで何をしていたのか。だれといたのか。兄に問い詰められる。僕に兄なんていないのに。確かに熱があるとは思ったので、帰り道にアクエリアスでも買おうとする。けれどポカリスエットしか見つからない。しかも、やけに値段が高騰しているのだ。それにしてもこの通りにこれだけ生活用品店や居酒屋が出ているのも妙なものだ。駅前の再開発のせいでこのあたりの商店街は死滅したと思っていたのに。けれどこのあたりに店があったほうが、足腰の弱ってきた祖母にはいいだろう。さっき撮った写真があるんだ。それを現像したいと思った。けれど現像の仕方なんてわからなかったから、百円ショップか何かで適当に現像してもらった。中学時代の友人にそれを見せたら、いい写真だ、けれどこれどこで現像したんだ、と言われた。中学の部室を出ると、相変わらず僕が書いたつまらない芸術がまだ貼ってあるのだった。100の質問みたいなやつだ。他にも、後輩たちが付け加えた芸術のコレクションが、プレハブ小屋の外壁にところ狭しと張られていた。「2012年の3大事件」の第11位に、ナポリタンがどうとかとか書かれていたが、すぐ忘れてしまった。駅のバスの待合室に、小さな猫がいた。やせ細って、目やにがたまり、みすぼらしいけれど、鳴き声で人懐っこさがわかった。しゃがみ込んで手を出してやると、悲しそうな鳴き声を上げながらゆっくりとよってきて、僕の膝に頭をこすりつけた。それがくすぐったくて、僕も手でそいつの痩せこけた頭をがしがしと撫でてやった。隣に少女がやってきて、猫さん撫でてもいい、と尋ねる。ああ、いいよと言うと、隣にいた小さいくせにぶくぶくと太ったやたら艶の良い猫が口を大きく開けてがっぷりと少女の頭ごとかじってしまう。これは親愛の表現なんかじゃないし、痛いか、と聞くと、うん痛いかも、と言う。顎のあたりを手でこじ開けようとするもやたら力が強くて敵わない。僕は尻尾を握っておもいっきり猫をぶら下げるように引っ張った。猫は鋭くギャンと鳴いて、少女の頭を離した。
2011-11-13
うそうそほんと
回復は創造より困難です。
最近は手を使ってガリガリ手帳に小さい文字で何事か書き付けて、寝て起きたら昨日何を思ったかは大体忘れているのですが、手帳を見ることで思い出せるので、なおさら忘れやすくなるというか、ICレコーダーを回していると相手の話を真剣に聞かなくなるというか、しかし手帳にシャープペンシルやボールペンで何か書くというのはもともとあまり好きではなかったのですが、だってパソコンで打っていたほうが、いくらでも消せるし、あるいは消えるからなんですけど、あでも消えないんですけど、海の底だってパソコンなら打てる気がするし、記号を叩いていたほうが安心できると思うんですけれど、まあそういうわけですので、あんまりここに書くでもないことが多くなったというか、いや多分いいわけですけど、何に対するいいわけなのかもわかりませんけど。
あと、ウェルメイドは褒め言葉であっていいと思います。

