柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

杉本彩「あー、昔はね」

sasaki_makoto2006-08-17

エドワード・W・サイード「批評の未来」『故国喪失についての省察』(みすず書房


 わたしの信じるところでは、批評が、体系的または原理的な形態を取ると、そのような形態は批評
 をパッケージ商品化する傾向があるので、批評の活力は失われる。しかし、その機能が、根っから
 世俗的(セキュラー)で、とことんまで問題をつきつめ、休みなく移動をおこなうことで、対抗的
 批評(オポジショナル・クリティシズム)の有益な非妥協性が貫かれるとき、批評の活力は最大限
 に実現される。


メビウス大友克洋
スパイク・リードゥ・ザ・ライト・シング」/高城剛「バナナチップス・ラブ」


という前者から後者への関係が


エドワード・W・サイード柄谷行人


にもあるようだ。



イード『故国喪失についての省察』の「コンラッドニーチェ」によれば、
『闇の奥』「ノストローモ」を書いたコンラッドには
ニーチェからの影響が強いという。


『闇の奥』は映画「地獄の黙示録」の原作と聞いた。


「ノストロモ」は映画「エイリアン」の宇宙船の名前。



地獄の黙示録」は、祝祭的、デュオニソス的な世界を描いたのかもしれない。
監督のフランシス・コッポラは、ニーチェを意識して
ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を使ったのだろうか。


1989年のCOMPLEXのライブのオープニングでも
ワルキューレの騎行」が使われたが
ワーグナーが作曲して100年後、120年後だったのはいつだろう。