柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

マルクス=エンゲルスの民主主義批判

マルクスエンゲルス全集』(大月書店)によれば
マルクスエンゲルスの連名である。
意外にも「権力を国家権力の手中にもっとも徹底的に集中させよ」
と言っている。
また「時を同じくして」を同時革命と解す事もできる。


マルクスエンゲルス全集 第7巻』(村田陽一訳、大月書店)

マルクスエンゲルス 一八五〇年三月の中央委員会の同盟員への呼びかけ(一六七)(村田陽一訳)

中央委員会から同盟員へ

さらに、民主主義者は、あからさまに連邦共和制をめざしてつとめるか、あるいは、単一不可分の共和国がどうしても避けられない場合には、せめて市町村や州をできるだけ自主的で独立的なものとして、中央政府を無力化することにつとめるであろう。労働者はこの計画に対抗して、単一不可分のドイツ共和国をめざしてつとめるだけでなく、この共和国内でも、権力を国家権力の手中にもっとも徹底的に集中することを目標として、つとめなければならない。

 ドイツの労働者は、かなりに長い革命的発展を完全に経過しつくさないうちは、支配権をにぎることもできず、彼らの階級利益をつらぬくこともできないが、こんどは、すくなくとも、この来たるべき革命劇の第一幕がフランスにおける彼ら自身の階級の直接の勝利と時を同じくして起こり、それによって大いにはやめられることを、確実に知っている。
 しかし、労働者が最後の勝利を得るためには、彼ら自身がいちばんに努力しなければならない。すなわち、自分の階級利益を明らかに理解し、できるだけはやく独自的な党的立場を占め、一瞬間といえども民主主義的小ブルジョアの偽善的な空文句にまよわされずに、プロレタリアートの党の独立の組織化をすすめなければならない。彼らの戦いの鬨の声はこうでなければならない――永続革命、と。
 ロンドン、一八五〇年三月

マルクスエンゲルス〔ロンドンのドイツ人労働者教育協会からの脱退声明(二七五)〕(村田陽一訳)

    グレート・ウィンドミル街の協会の火曜日例会の議長へ

 下名のものは、協会から脱退することを、本状をもってご通知します。
 ロンドン、一八五〇年九月一七日
        H・バウアー K・プフェンダー
        J・G・エッカリウス S・ザイラー
        K・マルクス K・シュラム F・エンゲルス
        F・ヴォルフ W・リープクネヒト
        ハイン・ハウプト G・クローゼ

手稿による

注解

(一六七) 中央委員会の共産主義者同盟員への呼びかけは、一八五〇年三月末にマルクスエンゲルスが執筆して、亡命地やドイツにいる共産主義者同盟員のあいだに非合法に配布したものである。この文書は、プロイセン警察によって幾人かの逮捕された同盟員の家で押収されたが、一八五一年にブルジョア新聞『ケルン新聞』と、同じくブルジョア新聞の『ドレスドナー・ジュルナール・ウント・アンツァイガー』との発表され、その後また、『一九世紀の共産党陰謀』という本にものせられた。この本は、エンゲルスが「もっともいやしむべき二人の警察ルンペン」と特徴づけた二人の警察官ヴェルムートとシュティーバーによってまとめられたものである。本書では、この著作は、エンゲルスが目をとおして、一八八五年にマルクスの著書『ケルン共産党訴訟の真相』新版に付録としてのせたテキストによって収録されている。二四四

(二七五) ロンドンのドイツ人労働者教育協会からの脱退声明は、マルクスエンゲルスがプロレタリア党の創設のためにおこなった闘争の歴史上のもっとも重要な時機の一つ、すなわち一八五〇年九月の共産主義者同盟の分裂に関係している。すでに一八五〇年の夏には、マルクス主義の創設者たちは、一八四七年の経済恐慌の力が使いはたされており、したがって、全般的な経済的高揚が始まりつつあるところでは、近い将来に新しい革命を期待することはできない、という結論に到達していた。そこからマルクスエンゲルスは、新しい条件のもとでは、科学的共産主義の思想を宣伝すること、小ブルジョア民主党から独立したプロレタリア党を思想的・組織的に強化することに、主要な注意をむけるべきだ、という結論を引きだした。こういう冷静な分析と科学的な結論に立脚する戦術とにたいして、共産主義者同盟の中央委員であるヴィリヒとシャッパーが反対した。ヴィリヒ、シャッパーおよび彼らの支持者たちは、客観的な現実の唯物論的な分析を「革命的」言辞でおきかえ、ドイツに新しい蜂起をよびおこそうと試み、冒険的な戦術をとって、小ブルジョア民主主義者との同盟にうったえた。こういう基礎のうえに同盟中央委員会内に生じた意見の相違は、すでに八月と九月前半における中央委員会の会議で鋭く現われ、一八九〇年九月一五日の会議ではきわめて鋭いものとなった。この会議で同盟の分裂はおこなわれた。マルクスはこの会議でヴィリヒおよびシャッパーとの意見の不一致を次のように基礎づけた。「少数派は、批判的見解に代えるに教条主義的見解をもってし、唯物論的見解に代えるに観念論的見解をもってしている。彼らは、現実の関係ではなくて、たんなる意志を革命の推進力とする。われわれが労働者にむかって、君たちは諸関係を変えるためでなく、君たち自身をも変え、政治的支配の能力を養うためにも、一五年、二〇年、五〇年にわたって内乱と国際戦争を経過しなければならない、と言うときに、諸君は逆に労働者にむかってこう言う。『われわれはいますぐ支配権をにぎらなければならない、でなければ寝ていたほうがましだ』と。われわれがとくにドイツの労働者にたいして、ドイツのプロレタリアートの未発達な姿を指摘するときに、諸君は、ドイツの手工業者の民族感情と身分的偏見はプロレタリアートということばを聖物にしている。民主主義者と同様に、諸君は革命的発展を革命についての空文句とすりかえている。」(カール・マルクス『ケルン共産党訴訟の真相』、本全集、第八巻所収、を参照。)
 この会議で、同盟中央委員会の所在地をケルンに移転し、ケルン地区委員会に同盟の新しい中央委員会の結成を委託するという決定がなされた。この提案には、六人の中央委員――マルクスエンゲルス、シュラム、バウアー、エッカリウス、プフェンダー――が賛成投票し、残りの中央委員――ヴィリヒ、シャッパー、レーマン、フレンケル――が反対投票した。後者は、少数派となったので、会議を退席して、ロンドン地区の同盟員に呼びかけてその支持を得た。ロンドンのドイツ人労働者教育協会の大多数の会員も、ヴィリヒ=シャッパーの分裂派に味方した。このことが、マルクスエンゲルスおよび彼らの支持者たちがこの協会を脱退する動機となったのである。四一四


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