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ササクレ屋

2007/07/29(日) くらいの日記

おはようございます

08:45

◆また寝てないんだがな。今日は寝られなかったんじゃなくて寝なかったのです。新しいサイトを始めようと思ってその前に仕事しろ世とか言う当たり前な助言には耳をふさいで心を閉じて今がよければいいの今さえ楽しければといって今日はササクレ屋とデリカシーの話をします。私はどちらかというと自分で一般的なデリカシーのあるほうだと思ってたんですよねこれでもえへへ。たとえば靴下をぬぐとき、うらがえしにしてひっぺがして洗濯かごに放り込むと、履くまでには必ず腕を入れて表向けないといけないですよね? だから最初から裏返らないようにひっぱって靴下を脱ぎます。ひっぱってというのには語弊があるかもしれないけど少なくとも片手で靴下を脱ぐのに必ず裏返しにしないと脱げないということはないと思います。そこでめんどうくさがると、あとで「誰か」がわざわざそれをまた裏返す作業をしなくちゃいけないのです。自分でやって自分で裏返すならいいけど、他人に洗濯を頼む身分のくせに靴下を裏返しに脱ぐとかもうデリカシーというか思いやりがないと思います(大手小町で言うぞ!)。それで一度ならず裏返しに脱ぐなと言っても習慣なんだかポリシーなんだかしらないけどぜってー裏返しに脱がれたりするともうそのまま干してそのままとりこむぞと思うよねー。実際やったねー。おまえなんか裏返しの靴下を履いて出社しろボケって思っちゃうYONE☆

◆まあ、そんなデリカシーレヴェルの俺ですが、今度はデリカシーのない人として指摘をされたことについてです。まず、キレイ好きの友だちに、台所のシンクに調理前の野菜をじかに置かないでほしい(たとえ洗う前でも気持ち悪いから)、というのと、牛乳のパックを開けるときパコッてひしがたに片手で開けられるのに、私は癖で指をつっこんで引き出して開けていて、それもやめてほしいと言われました。今は、シンクに野菜は置いちゃうけど(段取り的にどうしてもおかないと料理できない)、牛乳パックは直しました。その代わりシンクのステンレスはチレーにしてるよ。

◆なんか相変わらず寝る時間はムチャクチャだけど妙なやる気が出てきたので(主に仕事と関係ない方面に)、来週の目標は派遣会社に営業電話することにします。ちょう弱気就活。

◆とりあえず今「就活」を単語登録したのでオッケー!!大オッケー!

◆MySpaceで知ったbrideandgroomというバンドのアルバムをiTMSで買いました。CDは安くてTシャツがついてたんだけど送料が高かったので。この子たちはいい子たちそうだなあ。

◆いい子たちそうだからとかそういう理由でCDなどを買うのは富豪のすることじゃまいか!

◆すいませんノ(´Д`)

◆シークレットトラック扱いで長いメッセイジが入ってるけど英語わかんない(´・ω・`)

◆たぶん「brideandgroomはほんとにケチャップときみが好き」とか言ってるんだろうな。←MySpaceに書いてある

◆日が高くなる前に植木にじゃぶじゃぶ水をやって、もうクーラーを出動させたよ。

◆来月のテーマは仕事をするにしよう。今月のテーマの米を食うは楽だったな…ちっ

◆でも8月って暑いおねー。

「自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする」と考えることの危険さ

12:43

http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20070727/1185575866

◆いや、びっくりした。非常に簡潔にまとめられた読みやすい文章だけど、ホントに危険な考えかただと思う。

◆本音を言わせてもらうなら、近藤さんが「もうこれ以上は仕事できない」と思った瞬間というのは全部たまたま本当に「まだいける」甘い状況だったのだとしか私には思えない。その甘さを責めたいわけでそういうふうに言うのではない。「もうこれ以上仕事はできない」という思いの本当の恐ろしさというのが、近藤さんの文章からは抜け落ちているように思うのだ。

◆もうこれ以上仕事はできない、というのがまだクリア可能な、極限ではない状況であることはもちろん大いにあるだろう。ただ、社長のような偉い人がそれを言っちゃうとどういうことになるか、近藤さんはそこのところは甘く見ていると思う。

◆偉い人がそれを言っちゃうと、「本当にもうこれ以上できない」人はどうなるだろうか。その人の「これ以上」は、近藤さんが経験したようなまだ余力のある「限界」だと言い切れるだろうか。

◆根本的に、過労から起こる心身症状というのは、近藤さんが思っているようなものではないと私は思う。

◆たとえば、徹夜をするとハイになるというのを経験したことのある人は多いと思う。けれど、これは身体が危機的状況(休息の不足)にあるから本能的に「どんな危機的状況にも即座に対応して命を守るよう」アドレナリンなんかをバンバン出して、ピンチに身体が備えているからだ。仮にその徹夜で仕事がはかどったとしてもあとできちんと休息を取ってやらないと即座に過労につながることになる。でも誰でもそういうふうには考えないでつい「今」仕事がはかどるかどうか、をとても気にする。

◆過労から起こる心身症状のひとつに認知の歪みがある。近藤さんは

限界っていうのは、ある程度は認知の問題で、自分の中で「この辺までだろう」と勝手に限界を作っている部分もあるなあという事を経験上思うのです。

というふうにお考えのようだが、本当の恐ろしさはその自分の「認知」が歪んでしまう、正しいものではなくなってしまうことが過労によって引き起こされることじゃないだろうか。

◆認知が歪むといっても抽象的なので例を挙げると、あ、このへんのいいまわしの元ネタは鶴見済「人格改造マニュアル」なんですけど、たとえば過労による抑うつ状態のとき、「物事を『全か無か』『白か黒か』といった二分法で考えて、その中間など考慮に入れようとしない考え方」や「ひとつかふたつの事実を見て、『すべてこうだ』と思い込む一般化のしすぎ」といった歪んだ認知により、症状を悪化させる悪循環に陥ることが多い。鶴見済はこれを10パターン挙げている。つまりそれほど「的確な判断ができにくい」状態にある、ということは忘れてはいけないだろう。

◆さらに近藤さんが経験からおっしゃるのなら私も経験から言うけれど、自分はもうこれ以上仕事はできない、という場所からさらに頑張ってみたことが私にもある。そのとき、「休んで能率を上げたほうがよかった」とか「最初から無理なことを言われていた、自分は悪くないと諦める」とか「もうできないと言おう」とかいった「正しい」判断はついにできなかった。今なら後者のほうが正しい判断だったことを痛感できる。でも、渦中にいた私にはそんなことはわからなかった。これ以上できない仕事でもやるしかないときには本当にやってしまった。もし自分の上司が「まだ壁は越えられる」論調であったとしたら、大げさではなく私は死んでいたかもしれない。なにしろ「認知」が誤ってしまうのだ。本当の恐ろしさはそこにある。さて、私は「壁」を越えられたでしょうか。あるときは越えたし、成長もしたし、近藤さんの言うような、「よくあれくらいのやり方で限界だとか思っていたなあ」と過去の自分に対して思うことだって確かにあった。だけど本当に仕事の限界というものは、個人の認知を基準にしてはいけないものではないだろうか。

◆それはただ、絶対として「可能」「不可能」な案件として存在する。もちろん仕事をする人には個体差があるのである人には可能でもほかの人には不可能というようなことは起こりうるだろうが、基準が「本人がもうこれ以上は仕事ができないと思ってからもうちょっと先」ではあまりにも危険すぎる。

◆できない仕事はできないのだ。壁が1回だろうが5回だろうが、できないものはできない、ということが世の中には少なからずあるものなのだ。会社をすべる人が「認知」というあやふやなものを基準にしてしまうと、できないものもやらなきゃいけないものに変わる。

◆株式会社はてなは、きっと本当の意味で「できない」仕事の量じゃないのかもしれない。私が経験した仕事がたまたまどんなにがんばっても無理な仕事量だっただけだろう。ただ、人間の認知がいかに脆弱であやふやなものなのか、人の上に立つ人間ほど知っておかなければならないように思う。

追記 5:01

別に「夜中に眠いのに無理して起き続けて仕事をする」みたいな非健康的な話をしているのではなくて、健康的な体を維持しつつ、体力もつけながら、精神的にも自分を鍛えて、仕事に集中できる質と量を高め続けていく、そういうことは最初の入り口で思うよりも遥かに奥が深い長い道のりだと思うということです。

◆この一文は最初からありましたか? 私が注意深く読んでいなかっただけかな、何度も読んだつもりだったんだけど。まあそれはさておき。

◆ならばなぜ、近藤さんは冒頭で「『ああ、今の自分は仕事をしすぎだ、もうこれ以上仕事をしたら体が壊れる』とか思う」という表現をしたのか理解に苦しみます。この表現から鮮明に想像できるのは、無理な拘束時間であったりまともな休憩時間も取れなかったり到底無理な納期を迫られたり、というようないかにも不健康な場面しかないからです、少なくとも私には。私の体験に基づいて話をさせてもらうのでこれは普遍性があるとは思いませんが、「これ以上仕事をしたら体が壊れる」と思う状況というのは、健康的な体を維持したり体力をつけたり精神的に自分を鍛える隙も無いほど劣悪な労働環境にほかなりません。そして、私は直接コメントなどで近藤さんに問いかけたわけではないので回答はないのでしょうが、非健康的な話でなくいったい何の話だったのでしょうか。「体が壊れる」というのは非健康的でなくて、軽口として使われる「死ぬほど忙しいよ〜」の「死ぬ」と同様に、それほどに軽いものなんでしょうか? 私は「体が壊れる」ことを認知の歪みがはじまったりする過労の重篤なサインと受け止めたのでこのエントリをあげました。認知がゆがみ始めるほど体が悲鳴を上げているのに、認知が限界を作っている、というのが危険だと言いたかったのです。壁を乗り越えることが素晴らしいことなのはわかっています。しかしそれが「できない」ことも事実現実として存在するのです。

◆壁を乗り越えることの素晴らしさを説くのは結構ですが、乗り越えられない壁はないとまさか断言できるわけでもありますまい。それが鍛錬の不足によるものなのか、もともと無理だったのかどちらのケースもあるでしょう。近藤さんは、壁を乗り越える素晴らしさを説くあまり、もともと無理なことなどない、と断言するとでもいうのでしょうか。

◆近藤さんは、壁を乗り越えられなかった人をどう処遇するのでしょうね。認知が正しくなくて不健康な暴走をした部下が「壊れた」ときそれをどう判断するのでしょうね。私がどうして黙っていられなかったか、ここまで書いたことでみなさまにおわかりいただけたのでしょうか。

私が過ごしているこの今日という日はまさに

16:38

問題は、その後に生き残ってしまうことも多々あること。いや、確率から行けば、その方がずっと高いのだ。するとどうなるのか、「これ以上何もしないで死ぬ」ということが、「何かのために最適」という状態になるのだ。そのような状態を、私は「余生」と呼んでいる。

404 Blog Not Found 逃走という名の闘争

◆ことが過労ということになると、ついがらにもなく真面目なことを書いてしまったりする。8年前、私は過労で身体を壊した。月に100時間を越すサービス残業、休日出勤、徹夜、泊まり、体重は数ヶ月で12kg落ち、50時間眠らずに働いて15時間起き上がれずに半休を取るような無茶苦茶な勤務だった。やっと人員の補充が決まったとき、多忙すぎて本人もかなりおかしくなっていた上司(当初の6人から削減されて二人きりになっていた部署だった)佐々木はよく遅刻をするしよく休むので許せないと進言があったらしく私は総務課長に「明日から来なくていいよ」と解雇された(裁判にして圧勝したけどな)。それから8年だ。病気は小康状態のときもあり、悪くなることもあり、仕事もつとまらなくていくつも辞めた。

◆いつ体調を崩して休むかわからない人間なんか、好き好んで雇ってくれるところはない。基本的には病気は隠してもぐりこむしか方法はない。世の中には私はいらないんじゃないかと何回も思った。仕事ができない私のことなど私自身が嫌いなのだ。私は仕事が好きだった。今は同じように働けない。

◆来年で40になる。でも、私の日々は確かに余生なのだと思っている。

ささQ家恒例の

23:37

◆セレブフラグが立ったのでホテルのプールでもくもくと泳いだりメキシカンブッフェをたらふく食ってきたりしたよ。そして明日とあさってもホテルのプールに行くことになったよ。明日は読みかけの本なんかも持っていくよ。プールサイドで読んじゃう。

◆オマエは本当にいったい何をやってるんだ。

◆( ´∀`)<だって月末までのタダ券があるっていうから

◆いっこ前のエントリが弱音を吐きすぎで見苦しい。出かけてからやめときゃよかったと何度思ったことか。でももう書いちゃったし引用もさせてもらっちゃったし、留守にしてる間にウチにしてはたくさんのかたが読んでしまわれたようなので今さら消さないでおきます自戒として。ごめんね。

f:id:sasaq:20070729210324j:image辛うまチョリソソーセージ(肉)

◆肉!

◆タコスおいちかった。テキーラサンライズを飲みました。プールは久しぶりだったけど泳げたのでびっくりしました。もくもくと数百メントルは泳いだと思う。スポーツは苦手なんだけど水泳はまあ人並みにできるのであった。ハイ俺豆知識ね。思い出消えるぜ。水着なんてあなたもう買ってから10年くらい経ってるから。そのくらいぶり。

◆肉成分を注入したので明日もがんばって泳ぎます。

◆たぶん。