憎しみという贈り物はあげない

1日で金メダル3個。女子レスリング、凄すぎるっ!オリンピック4連覇
の伊調選手は勿論だが、初出場のふたりもよかったね。

みんな、おめでと〜☆☆☆

『ぼくは君たちを憎まないことにした』(アントワーヌ・レリス ポプラ社
読了。

2015年11月13日に起きたパリ同時多発テロ。惨劇の現場のひとつ
となったバタクラン劇場での犠牲者のなかに、ひとりの女性がいた。

女性の名はエレーヌ。17カ月になる男の子の母親で、ジャーナリスト
の夫と3人で暮らしていた。そのエレーヌの夫であるのが本書の著者
アントワーヌだ。

愛する妻を理不尽に奪われたアントワーヌは喪失感のなかでテロリスト
への手紙を綴り、Facebook上で公開した。「憎しみを与えない」との言葉
が含まれた文章は多くの人々に共有され、日本のメディアでも取り上げ
られた。

初めはネット上で拡散した文章を、旦那に翻訳してもらって聞いた。
その後、新聞紙上に掲載された日本語訳を読んだ。

少なからず衝撃だった。日常が、正体も分からぬ何者かによって奪われ
る。喪失感、絶望、苦悩、悲しみ。いろんな感情が錯綜したことだろう。
そうして、命の簒奪者に対して怒りや憎しみが湧き上がるのは自然な
心の動きなのだろう。

だが、著者は憎まないという選択をした。怒りを持続させたり、憎しみを
燃え上がらせたりするにはエネルギーがいる。でも、心の作用としては
憎しみを洗濯する方が簡単なのではないだろうか。

そこに思い至った時、この文章は手元に残しておかなければと思った。
新聞に掲載された翻訳文は、私のスクラップブックに仲間入りした。

その「テロリストへの手紙」を含め、エレーヌを失ってからの2週間を散文
のように綴ったのが本書だ。

著者は「書く」という行為で、愛する妻を失った現実と向き合おうとして
いるかのようだ。ネット上を駈け廻った文章だけを読めば、強い人だ
と感じるのだが、そこにいたのは幼い息子とふたりだけ取り残されて
途方に暮れているひとりの平凡な男性に過ぎないではないか。

幸せだと意識せぬほどの当たり前の日々は再生できない。だって、
ふたりに欠かせない「エレーヌ」というピースは永遠に失われてし
まったのだから。それでも日常は連綿と続く。残されたふたりは、
明日も明後日も、生きて行かねばならないのだから。「エレーヌ」と
いう宝物を抱えて。

憎しみは新たな憎しみを生む。だから、どこかで断ち切らなければいけ
ない。多分、誰もが分かっているはず。それでも憎悪の連鎖は続くのだ。
断ち切るのが難しいことだから。

だから本書を読んで考えたい。もし、愛する者を突然奪われたら、私は
相手を憎まないとの選択が出来るのか…と。弱くてもいいのだ。憎しみ
の連鎖を断ち切る気持ちを持てるのであれば。

尚、以下にテロリストへの手紙の、本書収録の訳文を掲載する。メディア
によって少々訳文が違うようだけれど。

「 金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪った。その人は
ぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。それでも君たちが
ぼくの憎しみを手に入れることはないだろう。君たちが誰なのかぼく
は知らないし、知ろうとも思わない。君たちは魂を失くしてしまった。
君たちが無分別に人を殺すことまでして敬う神が、自分の姿に似せて
人間をつくったのだとしたら、妻の体の中の銃弾の一つ一つが神の心
を傷つけるはずだ。

だから、ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。君たちはそれが目的
なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に
陥ることになるから。君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、
安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、君たちの負け
だ。ぼくたちは今までどおりの暮らしを続ける。

ぼくは今日、妻に会った。夜も昼も待って、やっと会えた。彼女は金曜日
の夜、出掛けて行った時と同じように美しく、十二年前、ぼくが狂おしく
恋した時と同じようにきれいだった。もちろん、ぼくは悲しみに打ちひし
がれている。このことでは君たちに小さな勝利を譲ろう。でも、それは
長くは続かない。ぼくは彼女がいつの日もぼくたちとともにいること、
そして自由な魂の天国でまた会えることを知っている。そこに君たちが
近づくことはできな。

息子とぼくは二人になった。でも、ぼくたちは世界のどんな軍隊より強い。
それにもう君たち関わっている時間はないんだ。昼寝から覚める息子
のところへ行かなければならない。メルヴィルはまだやっと十七か月。
いつもと同じようにおやつを食べ、いつもと同じように遊ぶ。この幼い
子供が、幸福に、自由に暮らすことで、君たちは恥じ入るだろう。君
たちはあの子の憎しみも手に入れることはできないのだから。」