電柱通り雑記

2016-12-28 ブログを引っ越しました。

ブログを引っ越しました。

新しいブログURLは下記の通りです。

http://sateusa.cocolog-nifty.com/blog/

2011-12-22

[] チルダイした 12:15


「大城(立裕=引用者)の文学的業績は沖縄現代思想である反復帰論の思想とセットになったときにこそ、21世紀に入る文学的・思想的条件を獲得することができるのである

(比屋根薫「2011 年末回顧 3 小説」、沖縄タイムス2011年12月22日)


沖縄現代思想」??? そんなものあるのか。


沖縄現代思想である反復帰論の思想」??? ご冗談でしょう。自分が信奉しているからといって、それを「沖縄現代思想」などと一般化しないでください。「反復帰論」を唱えているのは、ごくごく一握りの島嶼左翼だけです。つまり知的閉鎖集団のムラの思想ってこと。


大城立裕の文学的業績は「反復帰論」とセットになったとき、「21世紀に入る文学的・思想的条件を獲得することができる」だって??? おそろしいことをおっしゃいますね。それに何という上から目線。大城立裕の文学も批評文もラディカリストからすると愚鈍に見えるかも知れないが、ラディカリストの空中の言説とちがって、それなりに現実や歴史と噛みあっています。それに大城立裕の真骨頂は、「反復帰論」といったトンデモ言説など歯牙にもかけず、匍匐前進しているところにあります。


「反復帰論」は、21世紀どころか、時代そのものに手をかけることすらできないのは先験的です。

nahaz,not namaznahaz,not namaz 2011/12/22 21:05 これがウワサの啖呵炸裂! と震(奮)えました。あわててタイムスを読むも、論旨がイマイチ不明。軽い言葉の断片が並んでました。 「寒卵」の句を拝読してから、桜坂に観に行ったトルコ映画の題名が『卵』。ラスト近くで、卵が一個出てきて、「あっ…」。

2011-12-19

[]  寒卵 13:24


「いまどこ?」のメールに寒風の中と答ふ


割るるときまごうかたなし寒卵


帰宅より急(せ)くこと多し寒夕焼


鬱病とひとしき重さ寒卵


冬涛や沖の沖には沖ばかり


数珠つなぎの債務とむつむ日向ぼこ


人去りてうつつは夢の芒原

2011-11-07

[][] 消費資本主義社会はつらいよ(番外編) 09:56 13:30



● 時間の個人化 −−ジャン・ボードリヤール


 消費者が主体に躍り出ることによって、せり上がってきたのは、時間の個人化という事態である。ジャン・ボードリヤールは『消費社会神話と構造』(今村仁司塚原史 訳、紀伊国屋書店)で、このように述べている。


「未開社会には時間が存在しないので、人びとが時間をもっているかどうかを問うことは意味がない。そこでは、時間は、反復される集団活動(労働や祭りの祭礼)のリズム以外の何ものでもない。時間をこれらの活動から切り離して未来に投影し、予測と操作を行うことは不可能である。時間は個人的なものではなく、祭りの行事において頂点に達する交換のリズムそのものなのだ。未開社会では、時間はわざわざ「時間」と呼ばれる必要がないので、交換に関する動詞や人間および自然の周期と一体になっている。時間は「繋がれている」が拘束されておらず、しかも「繋がれていること{Gebundenheit}さえもが、どんな自由とも対立しない。この時間は純粋に象徴的な時間であって、時間だけを切り離して抽象的概念とすることはできない。『時間は象徴的である』ということ自体が無意味だといってもよい。要するに、未開社会には貨幣が存在しないのとまったく同じように、時間も存在しないのである」。

「分割可能で抽象的でクロノメーターで測られるような時間は、したがって交換価値のシステムのなかで均質化し、他のあらゆるモノと同じ資格でこのシステムに組みこまれる。」 


  ボードリヤールの指摘からうかがえるのは、時間の新たな様相である。ボードリヤールの言葉を、ぼくなりに咀嚼してみる。

 「時間をこれらの活動から切り離して未来に投影し、予測と操作を行うことは不可能である。」とはどういう意味か。ボードリヤールはべつのカ所で、「未開社会の特徴である集団全体としての『将来への気づかいの欠如』と『浪費性』は真の豊かさのしるしなのである。われわれの方には豊かさの記号しかない」と記している。納得できる指摘である。現代人の「将来への気づかい」つまり自分の生のすべてを「未来に投影」するることのわかりやすい例をあげると、生命保険をはじめとする諸種の保険や貯金などがある。あるいは「教育」、「福祉」。これらは「後々のため」あるいは「不測の事態」への備えである。しかし「未開社会」では今現在の「集団活動」のリズムこそが最上のもので、未来のために現在を犠牲にするようなことなかった。

 未開社会の時間は、人間および自然の周期と一体になっていて、ことさら時間とよぶ必要はなかった。対照的に、現代社会の時間は「予測と操作」が可能な交換価値として、個人的なものとなった。

 レジ前の無言劇が象徴するのは、時間が個人化したことの露骨なあらわれということができる。言葉をかえていえば、現在の強迫神経症的とでもいうべき意識や感性ありようは、時間の個人化がもたらしたものである。社会が高度化すればするほど時間の価値は高まり、価値が高まれば高まるほど、時間は個人的なものになる。つまり否応なしに個人が析出されるのである。

 未開社会といわずとも、沖縄でもほんの数十年前(スーパーやコンビニ以前、つまりマチヤが一般的であった時代)までは、「時間は『繋がれている』が拘束されて」はいなかった。「時間は、反復される集団活動(労働や祭りの祭礼)のリズム以外の何ものでもない」というのは、過去の理想化のし過ぎだが、場所や空間と不可分の関係にあったとは言える。マチヤにはあったが、コンビニやスーパーにないのは、場所性や空間性である。マチヤは地域のなかにあり、近隣とは地続きであった(「買い物難民」などというのは考えられなかった)。地域や近隣の消滅が時間が「拘束」と感受される理由である。

 時間が個人化したということは、個人のさまざまな属性(男性・女性・大人・子ども・職業・健康状態・地域等々)が消去され、人々が顔をもたない「消費者」として均質化したこと、言葉かえれば、自然な差異が価値化された差異に転化したことを意味する。しかしそれは人々が求めたものである。生の息苦しさ、恣意的な生、個人化、これらはぼくたちが求めてきたものの帰結なのである。

2011-10-31

[] 秋夕焼け 13:32


こころとは秋夕焼の遺物かな


天高し街を行くもの脚二本


乙女座の男なりけり鰯雲


幻灯のような妻なり虫の夜


ただいまに誰も居ぬ家虫の夜


ビルを出て悔しければ天高し

2011-10-20

[][] すべての職場が全面禁煙分煙09:45

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111019-OYT1T01004.htm?from=top

. 厚生労働省は19日、すべての事業所と工場に「全面禁煙」か、喫煙室以外での喫煙を禁止する「空間分煙」を義務づけることなどを盛り込んだ労働安全衛生法改正案をまとめた。

 20日召集の臨時国会に提出する。

 同省は2010年2月、飲食店も含む公共の場所を原則禁煙とする通知を出していたが、浸透しきれていない。同省の調査では、全面禁煙、空間分煙のいずれかを実施している事業所は全体の64%にとどまり、半数近くの労働者が喫煙対策の改善を求めているとのデータも得たため、同省は法律で義務化する必要があると判断した。

 飲食店については、一定の濃度を超えない煙の量にするか、十分な換気を行うことを義務づける。

 改正案では喫煙問題以外にも、事業所での健康診断の方法の改善策も盛り込んだ。従業員の健康診断で「ひどく疲れた」「不安だ」などのストレスチェックの項目を設けて、医師保健師に検査してもらうことを義務づける。

2011年10月20日07時53分 読売新聞


チルダイした。

2011-10-17

[] 冬隣 14:27


生国は押入れなりき秋夕焼


ちりぢりにばらばらに仮設の秋の昼


腸(わた)取りし秋刀魚定食バカッたれ


探しもの無月またいで帰り来ぬ


わが道をゆくのみ鰯雲観覧車


看取るのは我か汝か冬隣

2011-10-11

[] したたかな脱力系 10:44

花田英三・矢口哲男「オン ザ ビーチ」(EKE企画)


 本書は、詩の同人誌「EKE」に現在も連載されている往復書簡の、2002〜07年掲載分を1冊にまとめたものである。話題は日常のあれこれであったり、詩の話や酒の話であったりするのだが、すべてが行き当たりばったりで、一貫したテーマというのはない。

 ゆるい(脱力ということ)といえばこれほどゆるい構成はない。けれどもぼくには、このゆるさがたまらない。構成がゆるいだけでない。精神のありようもゆるいのである。というよりも、花田、矢口のご両人はゆるさを志向しているふしさえある。しかし侮ってはいけない。このゆるさが油断のならない観察力と持続的な思念に下支えされていることを。

 さらにいえば、これはご両人の資質というべきか倫理というべきか知らないが、精神のこわばりがこれっぽっちも見えないこと。教育の言葉ははなからお呼びでなく、また上から目線も皆無で、私的かつ身体に根ざした言葉だけが繰り出される。外在的な言葉で武装された表現が、どれほどもろくて根底を欠くものであるかを言外に告げている。

 例をあげると、地元新聞の文芸時評で「全く進歩のない詩人」という言葉を見つけた矢口が「アレッ、これ僕のことじゃないか? って思いました」と書くと、花田は「これは間違いなく君のことですよ。ハハハ、愉快だね。ところで『進歩する詩人』って、いったい誰のことを指しているんだろう?」と返信する。食えない詩人たちだぜ。もう1つ。矢口が、個がニッチもサッチも行かなくなって20世紀は狂気が主人公になった、と論理を展開しはじめるのだが、すぐに「えい、つまらぬ意見になってしまいました」と自省する。花田が「ずらし」を持ち味とすれば、矢口はときとして抽象論へ走るという具合に個性の違いはあるが、共通しているのは言葉に対する感度。硬い言葉、正しい言葉はまるで罪であるかのように忌避される。真面目くさった言葉もうそっぽいものとみなされる。こういうしたたかな脱力系はまことに得難い。

沖縄タイムス」2001年10月1日

i-otodokei-otodoke 2011/10/12 16:47 ぼくもこのゆるみに言い知れぬ魅力を感じますね。2,3回「EKE」で読んだ程度でコメントすべきではない思いますが。ふたりの詩もいいですよ。スキだらけでスキがない素浪人風というのが何ともいえない。軽いけど重いのですよね。

2011-10-04

[] 鰯雲 14:38


世の中に猫はなぜいる鰯雲

鰯雲いましばらくの辛抱だ

手摺り掴み釣瓶落としの齢かな

こもるとはたたかうことと冬銀河

そぞろ寒ひとりおろかに七十歳

軒遊びかつてそこには秋夕焼け

2011-09-07

[][] 消費資本主義社会はつらいよ(その3) 09:56


● 「我慢できる限界は3分」

 閑話休題。ぼくが言いたいのは、マチヤからスーパーへの移りゆきを象徴的な例として、消費社会の噴流にまきこまれることになった人々の意識や感性がどう変わったか、そして何を喪ったかということである。あるいは社会の急激な変容にかかわらず、なおもしぶとく生き残っているものがあるとすれば、それは何かということである。そのことをたしかめたいのである。

 消費社会を生きているぼくたちの快適さを保証するものはさまざまだが、その一つに速度がある。流れが中断したりにぶったり滞ったりしないことである。スーパーもまたその魅力を高めるために、商品構成やディスプレイレイアウトなどにさまざまなアイデアをひねり出し、工夫をこらしているが、速度もその一つといえる。

 以前に「特急レジ」という言葉を聞いたおぼえがあり、スクラップブックをあさったところ、「『不公平』解消 レジに工夫」(朝日新聞、2002年8月5日)という新聞記事の切り抜きが出てきた(何でこんな記事を切り抜きしていたのだろう?)。

 この記事によると、「特急レジ」というのは、5品目以下の買い物客のための専用レジのことである。

 神奈川県のあるスーパーで、8台あるレジの内、1台を少品目の買い物の専用レジにしたところ、とても好評だとある。また、別のスーパーでも同じく「特急レジ」を実施したところ、不公平だという苦情があって、やむなく廃止したとも書かれている。スーパーの涙ぐましい努力をほうふつさせる話である。

 この記事にはまた、「レジ処理にかかる時間は客一人につき平均一分程度で、並ぶ客が我慢できる限界は三分」というスーパー店長の談話が載っている。

 「我慢できる限界は三分」というのは、ぼくの実感にてらしても肯ける。レジ前の無言劇をおもえばよい。「時は金なり」という格言がおびている道徳主義的だけれども牧歌的でもある匂いはあとかたもなく払拭され、「時」が剥き出しの商品になっていることを、スーパー店長の談話は告げている。だから恐ろしいほどのリアリティがある。


● コンビニ

 コンビニについても触れておく。先にあげた3つのスーパーと同じ圏内に「ローソン」があるが、ぼくはほとんど利用しない。たまにスーパーが開店していない時間帯に立ち寄ることがあるけれども、年に数回ていどである。店内に入り、お目当ての商品を手にしてレジで勘定をすませて店を出るまでほんの数分、快適といえばまことに快適である。難点は品揃えとスーパーにくらべて値段が高いこと。

 かつて芹沢俊介は、コンビニとスーパーを比較して、「スーパーが家族を対象にしているのに対して、コンビニは独りをテーマにしている」と指摘したことがある。また、スーパーは地域に根をおろそうとするが、コンビニは脱地域、脱社会的であるとも述べている(『平成<家族>問題集』、春秋社)。

 若い人や通りすがりのドライバーたちが、気軽にコンビニを利用している姿を見ると、すんなりと納得できる指摘である。

 日常的にはコンビニをほとんど利用しないと書いた。買い物といってもぼくが買うのは、コーヒーとかガムといった品の1,2個だから、コンビニを利用するほうがよさそうなものだが、なぜかそのような発想が湧かないのである。これは我ながら不思議である。けれども、ドライブをしているときなどは、ほぼまちがいなくコンビニを利用する。

 店に入って目当ての商品を見つけてレジに持って行き、店員はバーコードを読み取り、お金のやりとりをして、ひと言も言葉を交わすことなく店を出る。ぼくでさえこのような人間的な接触のなさや簡便さを快いと感じるくらいだから、若い人ならなおさらだと思う。

「脱地域・脱社会」を快く感じる身体感覚がぼくにもまちがいなくある。

 このような感性の根源にある問題に、時間という観点から接近を試みてみる。


● 時間管理

 伊藤元重著『流通は進化する』(中公新書)によると、「コンビニに来るお客さんは、店に入ってからあれこれモノを選んでレジをすませるまでに」かかる時間は、平均4分37秒である。この本にはさらに次のような記述がある。

 「コンビニエンスストアマニュアルを見ると、レジに三人以上の列ができたときには、必ず隣のレジを開けるようにとの指示があるそうだ。これはコンビニエンスストアのようなところで商品を買う顧客が、レジの前に三人も待っているような状況は我慢できないということだろう。」

 「コンビニエンスストアに来る人たちにとって、100円安く買えるということと、時間が20分有効に使えるということと、どちらが大事であろうか。おそらく時間が20分有効に使えるほうが重要であろう。先進国である日本の消費者にとって時間の価値が高いということが、コンビニエンスストアの成長の大きな要因であろう」

 言っていることはいちいち納得できる。伊藤の指摘からうかがえることは、徹底的な時間管理の思想である。消費者の行動や欲望がスムーズに流れるように、データの集積と評価にもとづいて時間管理がマニュアル化しているのである。

 快適さや便利さと管理はメダルの表裏なのであって、どちらか一方だけを選ぶという都合のいい選択肢などはない。管理という言葉はネガティブな印象を与えるが、しかしそれは消費者の欲望が呼び寄せたものである。「より快適に」「より便利に」という消費社会の命題に応えるかたちで、時間管理はあるのである。ドライブの途中、スーパーやマチヤがあってもそこを通り過ぎて、コンビニが見つかるまで車を走らせるのも、コンビニの「過透性」が心地よいからである。この過透性を支えるのは時間のスムーズな流れにあることはいうまでもない。

 ここまでくると、よりクリアカットに、現在が消費社会と呼ばれる理由がわかる。「我慢できる限界は三分」ということも、「レジの前に三人も待っているような状況は我慢できない」ということも、消費者の欲望が「主体」と化しているということを告げている。

2011-09-05

[][] 消費資本主義社会はつらいよ(その2) 14:07


● 「あと戻り」できない

 こんなことを書いたからといって、べつにノスタルジックになっているのではない。現在を呼吸しているぼくたちは、何ものとも知れぬものにせき立てられ、ゆとりを失い、いわば強迫神経症的な生を生きるほかなくなっている。けれども「あと戻り」できないことも事実である。マチヤの時代に回帰することもマチヤの時代を復活させることも不可能である。

 効率化、合理化、大型化は、経済原則としては仕方のないものであり、人為の力ではいかんともしがたい。消費資本主義社会のシステムに組み込まれたぼくたちは、身体性や関係性が減衰することを知りながら、否応なくこの軌道を走らざるをえない。

 那覇市場や農連市場にいくといまでも相対売りをしていて、スーパーでは味わうことのできない身体感覚を得ることができるが、もはやそれは局所的なあるいは部分的なケースというほかない。

  このことは善悪の問題とは関係ないことである。「ゆとりある心が失われた」とか「むかしの人間関係はおだやかだった」といって、道徳主義的・復古主義的に世の風潮を慨嘆する人をよく見かけるが、時代の必然性・不可逆性を無視した議論というほかない。

 ぼくは見果てぬ夢ノスタルジーにひたることは嫌いではないが、それが個人の好みであることをやめて、普遍的なもの・積極的な正しさのように主張する人を見ると「死んでくれ」としか思わない。道徳主義と同じく、エコロチズムに荷担する気になれないのはそのせいである。

  焦燥とせわしなさに身を噛まれ、掴みどころのない生活実感しか持てなくても、消費資本主義の現在を必然の相で認知するのでないかぎり、つまり時代の必然を必然の相で認知するのでないかぎり、とんでもない短絡や喜劇を演じることになる。マチヤを反消費の象徴として理念の言葉で語り、那覇新都心を消費の魔都であるかのように呪詛のことばを投げつけている知識人がいるが、倫理反動というべきである(たとえば「すばる」2007年2月号の特集「オキナワの『心熱』」などを見よ)。


● 必然性の認知と違和の同居

 しかしまた、言っておかなければならないことは、時代の趨勢を必然的なものとして認知することと、その必然的な動勢に違和をいだくこととは、一個の人間の内部で同居しうるということだ。

 産業経済の進展にともなう近代化、都市化の激流は否も応もなくアジアの端っこのこの島嶼をも巻き込み、ローカルな生活感情や諸価値に深刻な打撃をあたえた。その結果、ぼくたちは、具象性や自然規定性を欠いた均質で抽象的な時空間を生きることを余儀なくされている。

 あれら一部知識人がいうように、たしかに、マチヤはローカルな価値表象の一つであるといえなくもない。そういう意味で、ぼくも、マチヤの衰退・消滅を哀惜する点で人後におちないつもりだ。

 しかし同時に指摘しておかなければならないことは、マチヤは、近代化、都市化した成熟社会の中で「見出された」価値表象だということだ。現在の寄る辺なさ、生きがたさ、閉塞感が招きよせた価値表象なのである。したがって、マチヤに理念的な意味づけをして那覇新都心にネガティブな眼差しをむけている知識人は、何度でもいうが倫理反動でしかない。

 忘れてほしくないのは、マチヤが雨後の筍のように沖縄各地に出現したのはたかだか戦後のことある。そして、ぼくたちの生活環境・消費環境から退場するようになったのは、ここ数十年を出ない。

 1975年の沖映通りへのダイナハの出店を嚆矢として、スーパーが、続いてコンビニが進出し、沖縄全域に燎原の火のように拡大した。スーパーやコンビニの出現は、好むと好まざるにかかわらず近代化、都市化に適合しないマチヤのような流通形態を駆逐し、その結果、ぼくたちの消費環境は一変した。それにともなって人々の感性や価値観はいちじるしく変容した。

 以後、沖縄の人々はマブイ(強いていえばベンヤミンの「アウラ」だって「マブイ」のようなものだ)を落としたまま生きることを余儀なくされている。くりかえすが、ここで肝要なことは、マブイ(たとえばマチヤ)の消滅を哀惜することと、マブイの消滅を必然化する時代の力を受け容れることとは、無矛盾的に同居しうるということだ。

2011-09-01

[][] 消費資本主義社会はつらいよ 14:09


(何でこんな原稿を書いたのか記憶はあやふやだが、ハードディスクにいつまでも残しておくのは不憫なので蔵出しします。たぶん2008年に書いたもの。何回かに分けてアップします。現在の実態にあわせて修正したところがあります。)


● レジ前の殺意

 会社から歩いて5分ほどの圏内に、食品スーパーが3つある。「かねひで」、「サンエー」、「りうぼう」の3つだ。

 どこに行くかはその日の気分次第だが、ぼくは週に2回か3回、このいずれかのスーパーにに行く。買うのはだいたい決まっていて、キャンデー、ガム、禁煙パイプのたぐい。ガムと禁煙パイプはただいま禁煙中のため欠かせない(タバコを吸わなくなって7年も経つというのに、情けない)。

 スーパーに行ったら行ったでさまざまな商品が並んでいてけっこう愉しい。ときには季節の到来を店内で発見することもある。けれども、レジ前に並ぶことを思うと、毎度のことながら気分が萎える。急ぎの用事があるわけではないが、この余裕のなさは何なんだと、いつもおもう。

 必要とするものを買い物かごに入れて、さてとレジに向かうのだが、誰もがするようにぼくも、一瞬のうちに混み具合を判断する。近づくにつれて、他の買い物客のかごの中の容量が見えてくるので、それを一瞥して、空いているレジを選ぶ。

 レジで勘定をしている人がもたついていたりすると災難である。たまに見かけるのだが、紙幣を出して、いざ支払う段になってはじめて小銭入れを探ったりする人がいる。そして一円玉や十円玉を、丹念に数えはじめる。レジ係は平静をよそおっているが、並んでいる人は内心おだやかでない。そんなときはそっと別のレジに移動したりする。

 つい最近ぼくは、「お先にどうぞ」と順番をゆずられたことがある。その人の籠は満杯で、ぼくはコーヒーパックとガムだけだったので、気を利かせてくれたのであろう。こんなことは滅多にあることではない。

 この空間では、「沖縄のこころ」や「沖縄人のやさしさ」なんてものは神話でしかない。誰もがおし黙り、なにやら神経だけが切り立っているいるような空気である。時間にするとほんの二、三分だが、この無言劇が象徴する事態はいたるところで生起している。というよりも今ではそれはありふれた環境世界となっている。

 このことが告げているのは、ぼくたちの身体が固有の質やリズムを失い、恒常性を奪われてしまったということである。ことばを換えていえば、人工的な自然(?)が身体化したということだ。


●かつてマチヤというのがあった

 はじめからスーパーを日常の消費環境として育った世代とは違って、「スーパー以前」の空気を呼吸してきた世代は、スーパーの出現によって何かを獲得したが、同時に何かを喪ったことを、身体的に知っている。

 ぼくの家のすぐ近くに小さな食品スーパーがあった(2年ほど前に経営者が変わり、2010年に廃業)。40年ほど前までは、道向かいで住宅兼用のマチヤ(個人商店)をしていたのだが、道路拡張のために立ち退きになって、この場所でスーパーとして再スタートしたのである。マチヤの頃はおばーさんが一人できりもりしていた(マチヤは固定客が20世帯あれば経営的に成り立つという話を聞いたことがある。その頃はツケで買い物をすることができた)。折目節目は別だが、日常の必要品はほとんどこの店で間に合っていた。つまり、人々の欲望のサイズや質は、マチヤの質とサイズに見合っていた。

 商品構成もありふれたものばかりで、日常生活に欠かせないものだけであった。醤油や味噌といった調味料やお米、パン、缶詰、野菜類。内箒もあったから、掃除機はまだ一般化していなかったのであろう。しかも、今のようにめまぐるしく商品が新しく開発されるということもなかったので、同じメーカーの同じラベルの商品が埃をかぶって何ヶ月も陳列されていた。もちろん賞味期限消費期限の表示などはなかった。

 買い物に行っても、おばーさんが店にいるとはかぎらない。洗濯をしていたり、食事の支度をしているときなどは奥にひっこんでいて、何度呼んでも出てこない。サービスという観念もお客さんという観念もまるでなかった。まさに「ユラリアチネー」(のんびりした商い)であった。客をほったらかしにして、近所の人と話こむということだってあった。

 店先で待ちぼうけをくらわせられたからといって、スーパーのレジ前でのように、殺意のようなものが湧いたかというと、そんなことはない。おばーさんが出てくるまで何をしていたかは、今となってはまるで思い出せないが、当然のことのように受け入れていたことだけはたしかである。おばーさんの動作ののろさを呪ったりいらついたりすることもなかった。現在からすると嘘のような話だが、年配者なら同意してくれるとおもう。(つづく)

2011-08-30

[]IT製品との終わりなき戦い 13:35

 

 2ヶ月ほど前にipad2を買った。嬉しかったことは間違いないが、無条件でそうかというと、そこのところは微妙である。忌々しいという感情がかなりの程度まじっているのである。強いて言えば、うれしさが3分の2、忌々しさが3分の1。IT製品を買うたびに毎度味わう感情である。歳のせいか近年はますますそれがひどくなっている。


 なぜ忌々しさを感じるかというと、手に入れた製品に振り回され、四苦八苦するのが目に見えているからである。つまりイラランミーン カイ イッチャン(袋小路にはまった)状態になるのが分かりきっているからである。それでもなお性懲りもなくIT製品を買ってしまうのは、いかなる業のなせるわざか。いや、業などというと、ことがらを見えなくさせる。ぼくもまた消費社会の煽りに乗せられてられているというのが実体に近いというべきだ。これもまた忌々しさを感じさせる要因だ。


 機械音痴なくせに新しいもの好きなのである。こうみえてもぼくは結構早い時期にワープロを購入している。フロッピーが8インチとか16インチの頃だ。その頃、沈みかけていた「朝日ジャーナル」がワープロ特集を組んでいたのを覚えている。


 現在ぼくはパソコン、ケイタイ、カメラ、ipodipad2などをもっている。しかしどれ一つとして満足に使いこなせない。迷惑がられているのを承知で(これは年の功)、家では娘や孫に、会社ではスタッフにいちいち教わってどうにかこうにか動かしているという体たらくだ。マニュアルを見ればよいではないかという人がいるかも知れないが、ぼくに言わせると、あれは人を混乱させ疲れさせるためにあるようなものである。

          (「WA」56号原稿)

masaki722masaki722 2011/08/30 22:29 自分のしたい事が出来れば、そのガジェットは役に立っている

と、僕は考えます。
振り回されても頑張ってくださいw

2011-08-17

[] 蟻を潰す 11:35


蟻を潰す己に視られている殺戮

片陰を歩くこの先段差あり

青信号まで炎天にいたぶられ

ブラジルの裏側に住み日雷

昼寝覚ま暗がりのど真ん中

2011-07-27

[][] 繰り上げ法要(追記あり) 13:50

 新聞の告別式の広告を見ているいると、繰り上げ法要が目立ってふえているような気がする。いつからそうなのかは知らないが、ぼくがこのことに気付いたのは3,4ヶ月ほど前である。(数年前のエントリーでも繰り上げ法要のことを取り上げたことがあるが、数は現在ほど多くはなかった)。


 広告は、型どおりに死亡告知に続き告別式の日時や場所が記され、最後に繰り上げ法要の告知がなされる。文言はほぼ一定していて、つぎの通り。

「七七の儀は繰り上げ法要として初七日の○月○○日(○曜日)に四十九日と併せて執り行いますのでご了承下さい」

「七七の儀は繰り上げ法要として初七日の○月○○日(○曜日)に四十九日と併せて近親者のみにて執り行いますのでご了承下さい」

 ためしに、告別式広告中の繰り上げ法要の件数を、ここ1週間分数えてみた(琉球新報による)。


・2011年7月20日(水):7件中3件

内1件は「七七の儀は初七日と四十九のみ執り行いますのでご了承下さい」

・7月21日:1件中1件

・7月22日:21件中6件

  内2件は、「七七の儀は旧盆の為 繰り上げ法要として三・七日の○月○○日(○曜日)に四十九日と併せて執り行いますのでご了承下さい」

・7月23日:18件中8件

  内1件は、「尚 七七忌の法要もすべて同日相営みますのでご了承下さい」

・7月24日:11件中7件

・7月25日:8件中6件

・7月26日:17件中8件

 7月22日の「旧盆の為 繰り上げ法要」をするとというのは、盆をまたいで法要してはならないという沖縄の習俗(正月も同様である)によるもので、これはずっと以前からあった。

 23日の「同日」というのは告別式の日という意味である。

 戦後、「新生活運動」なるものがさかんに行われたが、同じく生活の簡略化ではあっても、それと繰り上げ法要とは性質も次元もあきらかに異なる。新生活運動には牧歌的で向日的で民主化という熱病の匂いがしたのだが、繰り上げ法要には、人々の声にならない悲鳴のようなものが聞こえる。なによりも繰り上げ法要は、個別の家族の思い切った選択である。この選択が一定の流れを形成しているということは、沖縄の人々の意識のありようが、これまでの民俗社会の価値観とはっきりとずれていることを告げている。まるで海底のプレートがずれているようにだ。


 七七の儀は、四十九日まで七日ごとに法要が行われるが、これは喪家にとっては心身ともに重い負担を強いる仕来りである。慣習を負担に感じるということは、人々の意識や感性が個人化したことを意味する。それが葬の場面でも顕在化したのである。ローカルな心性と個人化した意識のせめぎあい。

2011-07-11

[] 遠雷 15:23


昼寝覚ゴジラの嚔に驚きて

遠雷の墓場は絶対北谷

蝉しぐれ薄墨色の現住所

明日は夏至明日は厭な日なりけり

夏のリーフその裏側の妣が国

片陰を敗残兵のごと歩む

2011-06-27

[] 「この雰囲気がたまらないんだよ」 11:50


 今ではだいぶ様相がちがっているいるだろうが、復帰前の沖縄選挙は相当に過熱したものがあった。とくに郡部においてはそうで、部落はひとつにかたまり、選挙中はよそ者の侵入をゆるさないという空気であった。

 このような現象は、沖縄にかぎったことではなく、かつては日本全国どこでも見られたものだろうし、ある歴史段階の社会では、地域的、部族的、宗教的な要因から、現在でも生起していることにちがいない。

 これから述べるのは、40数年前に読んだ新聞記事の記憶にもとづくもので、細部はあやしいが、大筋は保存されていると思う。

 沖縄タイムスだったか琉球新報だったかの地元紙に、北部支局発の選挙をめぐる探訪記事が載っていた。選挙運動があまりにもヒートアップしていることに注目した支局の記者が、選挙戦の過熱ぶりを取材するために、北部一円を車を走らせたところ、行く先々で停車を命ぜられたという。部落の入り口や出口で酒などを飲みながらムラ人がたむろしていて、車が近づくと懐中電灯を照らして停車を命じ、どこへ行くのか、何をしているのかと誰何するのである。

 それがあまりにたびたびだったものだから、記者氏も我慢ならなくなったのであろう。ある部落入り口で停車させられたときに、「あなたがたがしているのは、選挙の自由妨害ではないか」と、きつい口調で抗議すると、ムラ人はすましたもので「そういうむずかしい話はわからないが、この雰囲気がたまらないんだよ」と、拍子抜けする答えが返ってきたという。記者氏はこのエピソードを民度の低さの例としてあげていたように思う。

                   (「WA」54号)

2011-06-16

[] 蟻の心 13:18


信号待つ長き炎天都落ち

梅雨晴間平成にそろそろ飽きにけり

蝸牛地球の端を密と這う

夏の昼七十のわれはどのあたり

指先を逃げ惑う蟻の心想う

i-otodokei-otodoke 2011/06/22 09:26 「そろそろ、平成も飽きたな」という気持ちに同感。思えば「平成」って、何かいいことあったかな。

sateusasateusa 2011/06/24 15:39 たしかに、いいことは何ひとつ思い出せませんね。
まさか訪ねてくる人がいるとも思えないので、コメント欄を素通りしていました。スマンですた。

2011-06-10

[] 琉球語の「チム(肝)」について 16:07

 沖縄では、こころ(ククル)よりも、意味内容がほぼかさなるチムという言葉が圧倒的に多く使われる。チムとは肝のことである。この言葉は、動物の内臓器官である肝臓を指すのでないかぎり、ほとんどの場合、こころの意味で用いられる。国立国語研究所編の『沖縄語辞典』(大蔵省印刷局)は、このように説明している。


  肝。肝臓。食物としての、豚などの肝臓。 心。心情。情。kukuru(心)よりもはるかに多く使う。


 ある沖縄方言の研究者によると、沖縄の古歌謡『おもろさうし』には、こころは、「ふなこころ(船・心)」や「きもこころ(肝・心)」などわずかな複合語しかないのに、きも(チム)は44項目もある。チムがこころの意味で、古い時代から多用されていたことがわかる。共通語にも「肝っ玉」とか「肝を冷やす」などという言葉があるが、琉球語の多彩さにくらべると、その比ではない。ためしに稲福盛輝『医学沖縄語辞典』(ロマン書房本店)をのぞいくと、チムのつく語は100以上あるし、『沖縄語辞典』には70近く立項されている(ククル=こころは20に届かない)。

 チムはほかの言葉と結合して、たくさんの複合語や成句がある。ぼくが実際に使ったり聞いたりした(している)チムのつく言葉をあげてみる。


 [チムグリサン]キモ・苦しい。可哀想だ。[チムイチャサン]キモ・痛い。痛々しい。可哀想だ。[チムヂュラサン]チム・美しい。[チムダチュン]チム・抱く。憂い悩むこと。[チムタガーユン] チム・違える。心が合わない。意思が疎通しない。[チムノースン]チム・直す。こころをやわらげる。[チムヤンメー]チム・病い。[チムフガン]チム・不満足。気にくわない。[チムガカイ]チム・掛かり。気がかり。[チムヌ シヌバラン]チムに・忍びない。[チムヌ ネーン]チムが・ない。心がこもっていない。心が冷たい。[チムワサワサー]胸さわぎ。[チムグクル]チム・心。[チムガナサ]チム・愛しい。


 まだいくらでもあげることができるが、およそのイメージがつかめればよいので、この辺で切り上げる。

 すぐに気づかれたことと思うが、これらの言葉のいちじるしい特徴は、情動や心情と分かちがたく結びついていることである。人間のこころの表出を「知」と「情」とに分けて考えると、チムのつく言葉はほとんど「情」とつながっていることがわかる。抽象的で外化された次元にはないということだ。知よりも情、抽象的な層よりも情動が基層にあって、チムはその基層を象徴しているといえる。チムという言葉は、吉本隆明の言語理論のキーワードのひとつである「自己表出」という概念にそっくり包含される。

 もうひとつ指摘したいことは、チムのつく言葉が身体性を濃厚に保存していることである。同情を意味する[チムグリサン]や[チムイチャサン]を例にとると、相手の苦しみや痛みを身体でうけとめ、対象に感応して、その苦しみや痛みを共有していることが読み取れるのである。

 現代では、同情といえば、自分の外にある客体としての対象にたいする感情を意味するが、「チムグリサン」や「チムイチャサン」はあきらかに様相がことなる。チム(こころ)の動きと身体とが相互浸透しているイメージなのである。人間の歴史のある段階までは、こころの動きと身体が不離一体であったことを思わせる。


  2

 貧しい知見ではあるがぼくが読んだかぎりで、ほとんどの研究者が、チムのこのような態様と多用されている事実から、本土と対比しての沖縄的な特性としている。なかには「チムの文化」と呼ぶ人さえいる。だがぼくは、あてずっぽうにいうのだが、空間的な特性としてではなく、歴史的時間の問題として捉えたほうがよいように思う。「チム」がベースの社会に「こころ」がかぶさった、というようにである。

 チムが多用されている理由について、中本正智は、『おもろさうし』や『混効験集』などの文献を援用して、つぎのように指摘している。


 『おもろさうし』に「こころ」があり、「ふなこゝろ」<953>(舟心・舟をあやつる心づかい)のように用いられる。また「きむ」、「きも」が「きむたか」<1163>(霊力高き)のように用いられる。「こころ」は人間側に制御されている精神力を表し、「きむ」は自然界と直結する霊力をいう。「きむ」の対語「あゆ」「あよ」が「あよがうち」 <31>(心の中)のように用いられる。『混効験集』に「きもちやへ 肝いたさなり 痛腸の心也」、「おきもちやべ 語肝勞の心ならん きもちやべ」「しまちやへ 嶋勞と云ことならん 勞は慰勞と註す」とある。「きもちやさ」は「肝痛さ」で心が痛むところから苦労する、苦しいの意を表す。また「肝はえて 肝うれしきと云心」のような用法もある。15世紀前後にはココロ系とキモ系が用いられていたが、ココロ系は衰微し、それだけキモ系の表現が豊かになってきたのであろうことがうかがわれる。

                  (中本正智『図説琉球語辞典』、金鶏社)


 15世紀前後には、「ココロ系」と「キモ系」が並存していたのであるが、ココロ系が「衰微」するのに反比例してキモ系が豊かになったというのだが、なぜココロ系がキモ系に駆逐(?)されるようになったかについて、ここからは分からない。「キモ系の表現が豊かなってきた」理由を「ココロ系の衰微」に求めるのは、なんだかとても予定調和的な記述の仕方である。中本正智の記述から推察しうるのは、「ココロ系」よりも「キモ系」が古層にあるらしいことである。

 キモ系の表現が豊かになった背景について示唆的なのは、柳田國男の、「カナシ」という言葉について述べた次のような唸りたくなるような洞察である。


 カナシという国語の古代の用法、また現存多くの地方の方言の用例に、少しく注意してみれば判ることであるが、カナシ、カナシムはもと単に感動の最も切なる場合を表す言葉で、必ずしも悲や哀のような不幸な刺激には限らなかったので、ただ人生のカナシミには、不幸にしてそんなものがやや多かっただけである。我々の心持ちまたは物の考え方が進んで来ると、そんな昔のままの概括的な言葉では、個々の場合を言い表し足りないので、次第に単語の内容が狭く限定せられ、従ってその用法が地方的に分化して行ったのである。  

             「涕泣史談」(「不幸なる芸術」『柳田國男全集9』、ちくま文庫



 チムのつく言葉についても同じことがいえるとおもう。時代がすすむにつれて、「昔のままの概括的な言葉では、個々の場合を言い表し足りないので、次第に単語の内容が狭く限定せられ」、数多くのチムのつく言葉が生み出された。逆にいえば、時代を遡ればさかのぼるほど、「概括的な言葉」で足りたのである。

 別様の言い方をしてもよい。「キモ系の表現が豊かなってきた」のは、時代を降るにしたがって、人々の心性が細分化して、その細分化に対応して語彙が増えた、というに。チム系が支配的な世界にココロ系は入り込めなかった、とぼくは理解したい。


いうまでもなくチム(肝)以外の器官にもそれぞれ名前がついている。肺はフク、心臓はフクマーミ、胃はウフゲー、腸はナカミー、内臓はワタミームンと呼ばれる(『医学沖縄語辞典』。ただし、呼び方は地域によって異なる)。これらは動物(人間を含む)の内臓器官の名称として使われていて、それ以外の意味で使われることはまずない。だが、くり返すが、チムは肝臓の名称であるけれども、同時に人間のこころを意味する言葉でもある。

 なぜチムという言葉がこころを意味するのか。名嘉真三成はこのように述べている。


 なぜ沖縄のチィム(チム=評者)とククルの意味が、国語と違うようになったかは明らかではないが、おそらく、古来の宗教儀礼に豚などの臓物を捧げ神と心を通わす神聖な行為の一般化に、その要因の一端があろう。臓物を代表する肝は「肝向かふ心」のごとく、上代語では枕詞として心を修飾し、心と交わるものであった。その意義特徴を沖縄は具体的臓物に求め、本土方言は抽象的ことばに求めたと考えられる。                                 (名嘉真三成『琉球方言の意味論』(ルック)


 似たような実体論的、外挿法的な解釈をする研究者はほかにもいるが、このような理解は疑わしい。内在性がまるで感じられないのである。おおいに飛躍するが、チムがこころを意味するのは、チムが内臓一般を意味するからである、とぼくは考える。そして内臓がこころを意味するのは、古来、人々がこころの場所は内臓にあると信じていたことの名残である。

               「猫々だより」96号(猫々堂)に掲載の文章を改稿

2011-05-03

[] 未成年者の万引通報を「ためらう」ことの輝き 10:45

(5月5日改稿)


5月1日の沖縄タイムスにこのような記事が載っていた。

「『万引必ず通報』6割」、「那覇署店舗アンケート」、「調書・未成年にためらい」。

リード文は次の通り。


那覇署が管内の小売業28店舗に対して実施したアンケートで、『万引犯を捕まえた場合は必ず警察に通報する』と回答した店が6割程度にとどまることがわかった。背景として、店舗側が調書作成などに大きな負担を感じていることや、未成年者の犯行に寛容な考えがあることがうかがえる。」


記事全体のニュアンスから受け取れるのは、万引の通報が6割程度であることにネガティブなまなざしを向けているということである。このまなざしは、記者のまなざしというよりは警察のまなざしと見るべきだろう。6割程度という数字が多いのか少ないのかはぼくには分からない。ぼくがこの記事に注目したのは、店舗側が、未成年者の万引犯に「寛容」であったり、通報することに「ためらい」を感じているらしいことである。正直、うれしくなりましたね。警察の単線的なまなざしとはちがって、店舗側のそれは、地下茎のようにかろうじて命脈をたもっている、ローカルな感情や価値観の発露と見られるからである。ここでは、このことにしぼって話をすすめる


ことあるごとに、「地域のもつ教育力」といった空念仏を唱えている教育機関や警察や地域団体が、うち捨てて顧みないのが、土地の長い歴史に根ざした感情や価値観である。数年前、突如として(ぼくにはそう思えた)未成年者の集団飲酒がクローズアップされ、連日のように新聞を賑わせたことがある(それが今ではどうだ)。当時、各地で未成年者の集団飲酒撲滅のための集会が催され、パトロールが実施された。その時にぼくの目と耳にとどいたのは、教育の語法、司法の語法だけであった。沖縄の未成年者の集団飲酒が全国的に突出しているのはなぜかが問われることなく、頭から悪と決めつけ、集団飲酒狩りがおこなわれたのである。


未成年者の集団飲酒や万引通報にたいする社会の対応は、白か黒か、非行か善行といった価値軸であるのだが、そのような価値軸は社会に分断線を引くだけである。それにたいして、この記事の店舗側の対応に見られるような「寛容」や「ためらい」は、社会的包摂のための心情的な基盤である、とぼくには思える。


さて、このような店舗側の対応にたいして、警察幹部は上の新聞記事でこのように語っている。


「悪いことをしたらバシッと叱ってもらえるかどうかが非行から卒業できるかどうかの分かれ道。見て見ぬふりの大人が多くなってしまった今だからこそ、警察が少年を検挙する重要性は増している」


ここには二つのことが露呈している。ひとつは、あろうことか警察が道徳教育の役割まで担おうしているらしいことである。もうひとつは、どさくさにまぎれて警察組織の権益の拡大という鎧の下をあからさまに表明していることだ(官僚機構によくあることだが)。「見て見ぬふりの大人が多くなってしまった」ことを認めてもよい。それと同時に、「同情」や「ためらい」の心情の存在も心細いものになってしまったことも。警察は「寛容」や「ためらい」は無用の長物で、さっさと通報せよというかもしれないが、ぼくには、「寛容」や「ためらい」が存在するということこそがなぐさめである。警察的な論理よりも店舗側の論理の方が好もしく思える。かつてこの社会は、善悪二元論排除の論理ではなく、「寛容」や「ためらい」のような不定形の感情や倫理が根をはっていたことを忘れないでおこう。

2010-11-15

[] 可憐な町と可憐な欲望 11:30


 トンネルが開通して、それまで集落の中を走っていた国道58号が山寄りに移動したために、郷里の行き帰りに、辺土名の集落を通ることはなくなった。

 10年ほど前、郷里でキャンプをしたときに、買い出しの必要があって、辺土名の食品スーパーに車を走らせたことがあるが、ここ数10年で、辺土名の集落に入ったのはその時を含めて数えるほどしかない。

 国道の移動とは関係なく、交通手段として自家用車が普通のことになってからは、国頭地域の人々にって、辺土名は買い物の場としては中心地ではなくなった。身体感覚としては、辺土名よりも遠方の名護のほうが身近になったといってよい。

 名護には大型スーパーがあり、書店があり、ゲームセンターやパチンコ店がある。100円ショップだってある。ふだんは農業林業に従事している人といえども、半身は「消費者」だから、モノが豊富にある名護でいろいろと買い物をするのである。何を今更という人がいるかも知れないが、このように消費を享受できるほどに、生活レベルが向上したということは、言祝ぐべきである。


 子どものころぼくたちは、およそ七キロほどの距離を、徒歩で1時間以上もかけて、辺土名に出かけた。釣り道具や鳥かごを作るための錐や小刀、タナガー(川エビ)を獲る網などを買うためである。

 国頭地域のそれぞれの集落には共同売店があったが、日常の必需品しか扱っていなかったため、文房具店、釣具屋、金物屋、映画館、食堂などがある辺土名は、まさに「都会」であった。けれども当時のぼくたちは、辺土名で「お上りさん」をしても、目的のものを買う金しか所持していず、無駄遣いとも衝動買いとも無縁であった。当時の辺土名の町の規模は、ぼくたちの欲望と釣り合っていたといえる。辺土名の町も可憐であったが、ぼくたちの欲望も可憐であった。

2010-10-08

[] やんばるの道の変遷 15:01


 やんばる(山原)をドライブしていると、ところどころに旧道を目にする。ほとんどが山裾の凹んだ場所にあって(与那トンネルのある場所のように例外ももちろんある)、かつての海岸線に沿って立地している。旧道は今でも轍がくっきりと残り、雑草が生い茂っている。

 名護から奥集落までの道幅は、一号線のころは、四メートルから七.五メートルであったとものの本にある。やんばるで生まれ育ったぼくですら、よくもこんなに狭い道を、幹線道路として利用していたものだと呆れるばかりである。車が対向した場合は、どっちか一方がバックしたり脇に寄せたりして、道をゆずっていた。バス同士が対向したときなどは、車掌が笛を吹いて誘導している場面を何度も目撃した。

 沖縄の道は、宿道→郡道→県道→1号線→国道58号と変遷してきたが、もっとも大きく変貌をとげたのは、国道58号の工事の時だと思う。それまでの道は、やんばるの場合だと、たとえば「名護七曲がり」という名称が象徴するように、山裾をなぞるように曲がりくねった道が走っていた。それが、国道58号が開通してからは、直線道路と呼んでもおかしくはないほど、道幅は拡張され見通しもよくなった。

 58号の工事はもちろん地形や地質を無視はしなかっただろうけれど、旧来のように自然条件に縛られることはなかったにちがいない。テクノロジーの発達は、角切りをしたり橋を架けたりトンネルを掘ったりして、時間と空間を短縮する直線という思想を実現した。便利になったが味気なくもなった。

                                   WA51号 改稿

2010-10-04

[] 少年(未成年者)の集団飲酒について 14:48


2010年9月23日の琉球新報に次のような見出しと小見出しの記事が載っていた。

「集団飲酒が大幅増加」

「1〜8月、県警補導少年418人」

「携帯で知り合い、目的なく」


記事は次のようなものである。

「3人以上で酒を飲む『集団飲酒』で、県警が補導した少年が2010年1月から8月末時点で418人に上り、前年同期(259人)を159人も上回ることが22日分かった。県警少年課によると、プロフと呼ばれる自己紹介サイトを通して知り合う例もあり、携帯の普及で面識がなくともメールで友達になり、目的もなく何となく飲む傾向があるとしている。同日開かれた県議会文教厚生委員会赤嶺委員長)などで示された。

 飲酒の補導は03年の4847人をピークに09年度は1246人と年々減少し、集団飲酒の補導も県警が統計を取り始めた08年は921人、09年は412人と半減した。今年集団飲酒で補導されたのは高校生138人が最多、無職少年111人、中学生96人だった。

 県警の平良英喜少年課長は『地域の目が厳しくなり、通報が増えている面もある』とした上で、プロフやブログの普及で面識がなくてもメールなどで連絡を取り合い、飲酒や深夜徘徊につながるケースが増加していることを説明。これまでのような地域的なつながりを超え『交友関係の幅や活動範囲が広がっている』と述べている。」


 分かりにくい記事である。警察発表がこのようなものなのか、記者のまとめがおかしいのか、たしかめる余裕も手立てもないから、それは問わないことにして、記事を前提にして話を進める。


 分からないことの一つは、「飲酒」と「集団飲酒」の違いと、それにもとづく統計数字の扱いである。

 記事によると、たとえば、09年度の「飲酒」補導は1246人で、「集団飲酒」の補導は412人である。まず、この数字の差、834人というのはどういうことかという疑問が起きる。「集団飲酒」とは「3名以上で酒を飲む」こととあるから、この差834人はどこから出てきたのか。2名で飲酒したのか、独酌(まさか)していたのか、それとも親あるいは大人と飲んでいるところを補導されたのか(まさか)、この記事からはさっぱり分からないのである。


 あげ足をとっているのではない。ぼくは、少年(未成年者)の飲酒は「集団飲酒」以外はありえないと思っているから言うのである。大人はいざしらず、少年の飲酒は「集団飲酒」を一般性(ふつうのこと)とする。したがって警察統計が「飲酒」と「集団飲酒」とに分けている根拠がよく分からないのである。


 二つ目は、「プロフと呼ばれる自己紹介サイト」の位置づけだ。これは、3、4年ほど前から新聞などでさかんに報道されている少年(未成年者)の「集団飲酒」全体の中で、どれほどの比重を占めているのか。

 「プロフと呼ばれる自己紹介サイト」を通して知り合った者同士が、集団飲酒するという事実が皆無とはいえないであろうことをぼくも認める。たとえばカラオケや居酒屋などに行くという例があるかも知れない。だが、ぼくは、「プロフと呼ばれる自己紹介サイト」が「集団飲酒」の呼び水になったりきっかけになったりするのは、あったとしても特異で例外的なことだと思う。特異例を一般的傾向性とするのは詐術か、ためにするもの言いである。


 特異例であっても、それが時代や社会を象徴するということはありうる。たとえば酒鬼薔薇事件や秋葉原事件などがそうである。けれども「プロフと呼ばれる自己紹介サイトを通して知り合う例もあり、携帯の普及で面識がなくともメールで友達になり、目的もなく何となく飲む傾向があるとしている。」という言葉に接すると、ぼくは、即座に「ウソつくな」と言いたくなる。いちおう、「例もある」と巧妙(そしてよくある)な「逃げ」の言葉を紛れ込ませているが、記事全体の流れからすると、「集団飲酒」の全体的な傾向性はあたかもプロフを契機にしているかのようにしか読めない。そのような記事の流れである。


 この記者氏(ということにしておく。新聞社にはそれなりのチェックシステムがあるはずだから)は、もしかすると情報社会に恨みがあるのではないかと、あらぬ疑いを抱かせる記事の書き方である。ここのところだけをいえば、この記者氏は、警察発表をそのものとして理解するのではなく(いくら何でも、警察発表がこのような杜撰なものとは思えないから)、強力な自己バイアスがかかっているとしか思えない。


 ついでだから言えば、「目的もなく何となく飲む傾向」といった警察や新聞ジャーナリズム特有の定型的な言葉には、心底うんざりする。ぼくも酒をよく飲むが、だいたいが「目的もなく何となく飲」んでいる。それのどこが悪い。少年が「接待」や下心があって酒を飲むとでもいうのか。自分を棚にあげるな、バカが。定型的な言葉というのは、耳ざわりはよいが、だいたいが権力性を帯電しているということを自覚せよ。


 問題になっている沖縄の少年の集団飲酒は、きわめてローカルな心性あるいは気風に根ざしているというのがぼくの認識である。そして沖縄の少年の集団飲酒が全国的に突出しているとすれば、このローカリテイを問うほかないと思っている。ぼくはべつに、少年の集団飲酒を肯定したり称揚しているのではない。ただ、頭から「非行」とか「悪」と決めつける社会の眼差しには違和感がある。集団飲酒はかろうじて残された「地域性」の露頭という側面がある。子どもが身体的に「群れ」る風景がこの日本列島から消滅していることをおもえば、思い半ばにすぎるであろう。


 頭を冷やすにはなんといっても柳田國男を読むに如くはない。一つ引用する。

「いずれにしても最初は気軽な戯れの心持ちをもってこれを試みない者はないのであるが、『ウソつき泥棒の始まり』などと一括して、これを悪事と認定するような風潮が起こった結果、彼らはおいおいにウソを隠すようになって来て、新たに不必要な罪の数を増したのである。こういう点にかけては、近代人はかえって自由でない。」

  「ウソと子供」(「不幸なる芸術」、『柳田國男全集9』、ちくま文庫)339頁

2010-07-12

[][]「一階部分の思想」ということ(2) 10:59

加藤典洋『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』(クレイン)


2.サルマン・ラシュディの言葉


 もう一人の、サルマン・ラシュディの文章はつぎのようなものだ。ふただび孫引きである。

 国連のアナン事務総長は、かつて何に賛成するかではなく、何に反対するかを考えるべき時にきていると述べたが、わたし(サルマン・ラシュディ)の考えは逆である。巨大な飛行機を世界貿易センターペンタゴンに激突させた9・11テロ後は、何に反対するかはほとんど自明である。「原理主義者たち」は「言論の自由に反対し、多党制の政治システムに反対し、成人による普通選挙に反対し、政府アカウンタビリティに反対し、ユダヤ人ホモセクシャル、女性の権利に反対し」「社会的多元主義に、世俗主義に、ミニスカートに、ダンス・パーティに、髭を剃る自由に、進化論に、セックスに」反対するが、わたしはこれらすべてに賛成する。「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファッション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公正な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といった、日常生活のうちに生きる、ありふれた自由こそ、なにものにもかえがたい価値なのだ。


 現在の日本社会を生きるぼくなら、これにチャパツ、ケイタイ、ゲーム、電車の中での化粧・・・を付け加えるところだ。さらに一言多いことをいえば、サルマン・ラシュディはここで、直接的には原理主義者の閉じられた思考法を批判しているのだが、この批判は皮肉なことに、ブッシュ大統領や日本の為政者や教育改革国民会議に象徴される道徳主義者たちにそのままあてはまる。ここのところを読みながら、一瞬、誰を批判しているのかと、錯覚をおこしたほどである。


 ただ一つ、引用文の範囲内でぼくが抱いた違和感をいえば、サルマン・ラシュディは、「原理主義者たち」と高度な資本主義社会を生きるぼくたちの価値観を、同一のレベルでとらえていると思われることだ。ぼくもサルマン・ラシュディが肯定している諸価値を肯定する。しかし「原理主義者」たちがこれら諸価値を否定しているとしても、それを批判する根拠がぼくにあるかというと、それは疑わしい。「日常生活」も「ありふれた自由」も、彼我の間ではすさまじい断層があり、いまのところ、この断層を埋める普遍的な言葉があるとは思えない。あるとすれば、この世界を均質なものとみなす「左翼」の言葉とブッシュの言葉だけだが、ここから未来に通じる何かが生まれることは、金輪際ありえないことは明瞭である。(ひとつ引用文でよくわからないところがある。「世界の資源の公正な分配」といっていることだ。なんでここに唐突に「世界の資源の公正な分配」って言葉が出てくるんだろう)


新しいパソコンでアップしました。

セットするのに思いのほか手間取りました。

(ぼくが作業したのではありませんが)

それにしても無線ランのなんとすっきりしていることよ。

しようもない話題をひとつ。

土曜日に家で、中1の孫娘の誕生会をしました。

おばさんたちや祖母から

図書券衣服などのプレゼントがあったのですが、

94歳の曾祖母からはマンゴーでした。

ディケアで、仲間の一人からもらったのだそうです。

2010-07-05

[][] 「一階部分の思想」ということ(1) 11:34

加藤典洋『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』(クレイン)


会社のぼくのパソコンを買い換えることになった。

故障や迷惑メールなどで、使用中のパソコンにいいかげん疲れていたし、ぶん殴りたいという発作に襲われたことも一再ならずあったので、素直にうれしい。

ボーダーインクの心優しいみなさん、お心遣いありがとう。

というわけで、フィルダーやらファイルやらをチェックしたところ、

古いパソコンから引っ越してきたままのガラクタ原稿が一山出てきた。

たんなるメモから書きかけ原稿やほとんど完成稿に近いもの、

なかには紙媒体に掲載されたものもあった。

内容的には、あまりにも無惨すぎてただちに消去したいものから、

人前に出してもそれほど恥をかかずにすみそうなものまで、さまざま。

これから気ままに、比較的まとまりのあるものを手直ししたりして、

このブログにアップしていきます。

 9・11同時多発テロとそれに続くアメリカ軍によるアフガニスタン空爆に触れたあまたある文章の中で、加藤典洋の「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」は、数少ない、心に沁みる文章であった。加藤の文章が心に沁みたのは、理不尽で未曾有のできごとを前に、ともすれば無力感とやり切れなさにおし潰されそうになりながら、この世の凌ぎ方とでもいうべきものを考えさせられたからである。以下は、加藤の文章に触発されて、本書が出版されてそんなに時間が経っていないころ書いたものである。(このタイトルを書名とする本書が出版されたのは、奥付を見ると2002年5月で、アメリカ軍によるイラク攻撃前である)。

(追記:以上のまえがき的な文章も当時のものです。為念)


1.モフセン・マフマルバフのことば 

 加藤典洋はこの短い文章を、イラン映画監督モフセン・マフマルバフと、『悪魔の詩』を書いてイスラム教を冒涜したとして、時のイランの指導者ホメイニ師から死刑宗教布告を出された小説家サルマン・ラシュディの文章を紹介することからはじめている。


 マフマルバフの文章は、9・11テロの半年前、当時のタリバン政府によるバーミヤン石仏破壊が行われた直後に書かれたものである。はじめてアフガニスタンを訪れたモフセン・マフマルバフは、「戦禍、地雷飢餓のすさまじさに驚」く。砂漠に取り残され、「世界中の誰にも知られることなく」死んでいくおびただしい難民の群れ、腹をすかせた子どもたちが何マイルも裸足で走り続ける姿。このような光景を目撃したモフセン・マフマルバフは、バーミヤン石仏は人為的に破壊されたのではない、恥のために倒れたのだ、と書く。「アフガニスタンに対する無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ」と。


 沈痛きわまりないマフマルバフの文章を引用して、加藤はこう書いている。

「(マフマルバフの文章を読んで=評者)僕が感じたのは、アフガンの人々のことを自分は知らなかった。そこでどれだけの人がどんな苦しみの中にいるか知らなかった、そのことを知った時の、気の毒だ、という感じ──ふつうには同情といわれるような気持ちでしょうが、そういう言葉には言い換えられない、一種痛切な感じ──を、この人の言葉からなら、そのまま受けとれるという、奇妙な安堵感」を受けた、と。


 ふたつの言葉に注目したい。ひとつは「気の毒だ」という言葉、もうひとつは「この人の言葉からなら」という用語。

 ふだんのぼくなら、「気の毒だ」という言葉を目にしたり耳にすると、はげしく拒否反応をおこすところだが、この加藤の文章はすんなりと受け入れることができた。このようなことはめったにあることではない。「気の毒だ」を、ぼくは、この言葉の沖縄方言にあたる「チムグリサン(肝・苦しい)」とか「チムイチャサン(肝・痛い)」に置きかえて読んでいたのだった。


 「チムグリサン」「チムイチャサン」という沖縄方言は、ぼくの理解では、身体に根ざし、身体性を保存した言葉である。べつの言い方をすれば、身体の痛みと心の痛みが同一であるようなあるいは相互浸透しているような、生存感覚に根ざした言葉である。加藤の文脈での「気の毒だ」が「チムグリサン」「チムイチャサン」に置き換え可能な内実のものであるとすると、加藤はこの言葉を、本来の、もっともプリミチブな姿で表出したということになる。「同情」というとりすました高見からの言葉に置換不能なのはそのせいである。


 それゆえに、加藤がつづけて述べていることが、一見するとナイーブかつ浮き世離れしているようでいて、核心を衝いた言葉として、すっきりと胸に落ちたのだった。

 加藤はこう述べている。「気の毒だ」という気持ちは、「いまさまざまにある世界心情のうちの枢要な一つです。世界心情とはこの世界に住むどんな人にも通じる(はず──とそう思える──)共通分母をなす感情のことです」「これはある一つの社会の内部に生きる人々への共感に裏打ちされた感情で」、このような裏打ちがなければ、世界へのいかなる関与も無効である、と。


 ここから、加藤の年来の主張である「関係性の思考」へと論は展開する。「気の毒だ」という感情は内側のもので、それ自体では「だいたいは誤る」。テロリストの思想や心情の背後には世界の矛盾が控えていることは明らかだが、同時に「アメリカがこれらの問題に向き合うことなしに、もう世界は動かないというところまできている」。現状から出発して、世界を動かすためには、内側の目と外側の目を合わせもつことが、必須の条件である。加藤はそう述べている。


 「この人の言葉からなら」というのも味わい深い言葉だ。なぜ「この人の言葉」に素直になれて、「奇妙な安堵感」を覚えたのか。9・11テロに触れて書かれた文章に流れている「『反米』の口調、昔ながらの『左翼』的な世界観」に加藤が、違和感を覚えたからである。そして「この人」、すなわちマフマルバフの言葉は、加藤のいう「世界心情」を手放すことのない場所から発された、今では稀有としかいいようのない言葉であった。


 この世界は、分割的で、客観主義的な言葉でみちみちているが、「世界心情」とは、そのような作用がはたらく以前の、まるごとの心性である。加藤の言葉でいえば、「この世界に住むどんな人にも通じる(はず──とそう思える──)共通分母をなす感情」である。マフマルバフの、アフガニスタンで目撃した民衆にたいする反応も、そのようなまるごとの反応である。マフマルバフの思想が、世界分割のそのどちらにも属さないものであるがゆえに、加藤は「この人の言葉」を素直に受け入れたのである。

i-otodokei-otodoke 2010/07/06 15:21 新パソコン、おめでとう。悲壮な悲鳴がうれしい悲鳴への転換、うれしい限りです。期待してのぞきにきます。心優しいみなさんへよろしく。

sateusasateusa 2010/07/06 16:42 コメントありがとうございます。
新しい機種は無線ランです。
今朝のタイムス読みました。
それから今日のアサヒ・コムにこんな記事が。
http://www.asahi.com/politics/update/0705/TKY201007050481.html

i-otodokei-otodoke 2010/07/06 18:06 今、病院から帰ったばっかりです。記事は午前見ました。沖縄の場合は国交省の認可団体ではなく、県の認可団体なんです。国になると九州に組み込まれ、最もお金のあるものが損するからではないでしょうか。すでに、沖縄は独立しているのです。

2010-06-28

[] 小さな差異に見出す「幸せ」 11:42


 ご多分にもれず、子どものころの主食はイモ(芋)であった。学校に持っていく弁当もイモであった。そのことに格別の不満はなかった。

 イモにもいろいろな品種があった。記憶にある品種名をぼくの郷里の方言名であげると、「イナヨー」、「スーヤムン(白いも)」、「ヒャクゴウ(百号)」、「タイワンウム(台湾芋)」、「ファナウチ」などがある。

 収穫量や色や形はもちろんだが、味にもそれぞれ違いがあった。また、イモは何日か陰干ししておくと、萎えて甘みを増すが、どの品種が甘みをますかということを誰もがしっかりと知っていた。


 料理としては、煮たイモを練りつぶしたウムニーと、サイコロ状に切ったイモを米のご飯に混ぜ合わせた炊き込みご飯しかおぼえていない。もっともこの炊き込みご飯が食べられるようになったのは、戦後もかなり経ってからのような気がする。

 当時は毎日の食事の献立に悩むということはなかったといってよい。なにしろ材料は限られており、選択肢などというのはないも同然であったのだから。

 

もうひとつ強調しておきたいことは、今ではイモといえば一律の「イモの味」しか想定できないが、当時の人々は、品種ごとの味の微細な違いを、まちがいなく見分けていた。

 イモと他の、たとえば米のご飯との比較をすることはもちろんあったが、よほどのことがない限り毎日がイモ食であったから、品種による味の違いに敏感にならざるをえず、そこに小さな「幸せ」を見出していた。

(「WA}44号)

2010-06-21

[] ある碁キチのこと 11:54


 近所のわりと親しくしている人が、家の外に椅子をもち出して往来をながめていた。息子さんが隣に立っていたから、彼に身体を支えられて出てきたのであろう。

 その人は無類の碁好きで、何度も対局したことがある。お互い誘い合わせて囲碁の大会に出たこともある。

 ぼくは挨拶をするつもりで道を渡って行って、声をかけた。しかしその人はぼくのことを思い出せない様子である。しげしげとぼくの顔をのぞきこむのだがなかなか思い出せない。しまいには申し訳なさそうに頭さげている。

 息子さんが助け船を出して、「ほら、そこの角の○○さんですよ」と教えるのだが、曖昧な表情を浮かべるだけある。

「ときどきこうなるんです」と息子さんが言った。

「長いんですか」

「半年くらい前から、急にです」

 そんな会話を交わしていると、その人がいきなりぼくのズボンを2、3度ひっぱった。顔を向けると、人指し指と中指を立てて、ピョコピョコと上下させている。碁を打つ仕草である。

 驚いたというか感動したというか。

 名前すら思い出せない相手が、碁を打つということだけは覚えていたのである。

(「WA」46号)

2010-06-16

[] 胡瓜のこと 11:36


 NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」を観ていたら、ハウスの中で、笑福亭鶴瓶が胡瓜をもぎとり、上着の裾で棘のある表面を拭きとってから、ガブリと旨そうに囓るシーンがあった。

この場面を観ていて、遠い記憶がよみがえってきた。

 いつごろまでそうであったかは不明だが、ぼくが子どものころは、胡瓜をそのまま囓るということは、めったにないことであった。その頃の胡瓜は、渋みというか苦味がきつすぎて、そのままでは食べられなかったのである。それでどうしたかというと、胡瓜の両端を1〜2センチほど切り取って、その切り取った部分を本体の切り口に当ててこすり合わせると、水分というか液状のものがにじみ出てくる。その液状のものにまじった渋みを抜きとるという手間をかけてから、胡瓜を食べたのである。ほとんどの食卓でそうであったと思う。

 海に泳ぎに行くときはたびたび、悪童仲間と、露地栽培の胡瓜を失敬した。そして、海の中で、切り口をこすって、渋みを抜きとってから囓ったのであった。

(「WA」49号)

2010-06-14

[]散歩中のこと 16:42


散歩中のこと。

ぼくの家は、勾配がかなり急な坂道の近くにある。昨日の日曜日、その坂道を下りていると、50歳代の男性とすれちがった。

すれちがうとき、その男性が「きー ちきてぃ うりみそーりよ(気をつけてお下りなさいよ)」と声をかけて通り過ぎて行った。

坂を下りるとバスの通る道路に出る。

その道路を左に曲がったマンション入り口の階段に、顔見知りのお婆さんが一人、足を投げ出して休んでいた。

このあたりに住んでいる人とは知っているが、どの家だかは知らない。顔を合わせるのは1年ぶりくらいである。

頭を下げて挨拶をすると、お婆さんはぼくがついている杖を指して言った。「うんじゅん うんねーるむん むちゅるぐとぅ なたさやー(あなたも、そんなものを持つようになったのですね)」。

ぼくも応えて言った。「うんじゅん ゆぬむん やみせーさやー(おたくも、同じなんですねー)」

地上すれすれのところ交わされた、ビジネスのでも教育のでも政治のでもない言葉のやりとり。

帰るべきところに帰ってきたという感じであった。

加齢によってしか出会えない体験ではあるが。

2010-05-27

[]芹沢俊介沖縄講演会(2日連続) 10:10



芹沢俊介沖縄講演会(2日連続)


■1日目

日時 6月5日(土) 午後2時〜

会場 てぃるる(沖縄県男女共同参画センター)

   TEL 098-866-9090(代)

  那覇市西3丁目(運転免許試験場近く)

講師 芹沢俊介

演題 暴力のない社会をめざして 

   −子どもと大人の関係について考える

会費 1000円

主催 おきなわ子ども人権を考える会

■2日目

日時 6月6日(日) 午前10時〜

会場 フェストーネ 研修室

   TEL:098-898-1212  

   宜野湾市真志喜喜3丁目28番1号

   (コンベンションセンター斜め向かい)

講師 芹沢俊介

演題 親殺しを考える

−2500年の昔、アジャセはなぜ父を殺したのか

会費 無料

主催 東本願寺 沖縄別院

後援 ボーダーインク

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