消費資本主義社会はつらいよ(その2)



● 「あと戻り」できない
 こんなことを書いたからといって、べつにノスタルジックになっているのではない。現在を呼吸しているぼくたちは、何ものとも知れぬものにせき立てられ、ゆとりを失い、いわば強迫神経症的な生を生きるほかなくなっている。けれども「あと戻り」できないことも事実である。マチヤの時代に回帰することもマチヤの時代を復活させることも不可能である。
 効率化、合理化、大型化は、経済原則としては仕方のないものであり、人為の力ではいかんともしがたい。消費資本主義社会のシステムに組み込まれたぼくたちは、身体性や関係性が減衰することを知りながら、否応なくこの軌道を走らざるをえない。
 那覇市場や農連市場にいくといまでも相対売りをしていて、スーパーでは味わうことのできない身体感覚を得ることができるが、もはやそれは局所的なあるいは部分的なケースというほかない。
  このことは善悪の問題とは関係ないことである。「ゆとりある心が失われた」とか「むかしの人間関係はおだやかだった」といって、道徳主義的・復古主義的に世の風潮を慨嘆する人をよく見かけるが、時代の必然性・不可逆性を無視した議論というほかない。
 ぼくは見果てぬ夢やノスタルジーにひたることは嫌いではないが、それが個人の好みであることをやめて、普遍的なもの・積極的な正しさのように主張する人を見ると「死んでくれ」としか思わない。道徳主義と同じく、エコロチズムに荷担する気になれないのはそのせいである。
  焦燥とせわしなさに身を噛まれ、掴みどころのない生活実感しか持てなくても、消費資本主義の現在を必然の相で認知するのでないかぎり、つまり時代の必然を必然の相で認知するのでないかぎり、とんでもない短絡や喜劇を演じることになる。マチヤを反消費の象徴として理念の言葉で語り、那覇新都心を消費の魔都であるかのように呪詛のことばを投げつけている知識人がいるが、倫理反動というべきである(たとえば「すばる」2007年2月号の特集「オキナワの『心熱』」などを見よ)。


● 必然性の認知と違和の同居
 しかしまた、言っておかなければならないことは、時代の趨勢を必然的なものとして認知することと、その必然的な動勢に違和をいだくこととは、一個の人間の内部で同居しうるということだ。
 産業経済の進展にともなう近代化、都市化の激流は否も応もなくアジアの端っこのこの島嶼をも巻き込み、ローカルな生活感情や諸価値に深刻な打撃をあたえた。その結果、ぼくたちは、具象性や自然規定性を欠いた均質で抽象的な時空間を生きることを余儀なくされている。
 あれら一部知識人がいうように、たしかに、マチヤはローカルな価値表象の一つであるといえなくもない。そういう意味で、ぼくも、マチヤの衰退・消滅を哀惜する点で人後におちないつもりだ。
 しかし同時に指摘しておかなければならないことは、マチヤは、近代化、都市化した成熟社会の中で「見出された」価値表象だということだ。現在の寄る辺なさ、生きがたさ、閉塞感が招きよせた価値表象なのである。したがって、マチヤに理念的な意味づけをして那覇新都心にネガティブな眼差しをむけている知識人は、何度でもいうが倫理反動でしかない。
 忘れてほしくないのは、マチヤが雨後の筍のように沖縄各地に出現したのはたかだか戦後のことある。そして、ぼくたちの生活環境・消費環境から退場するようになったのは、ここ数十年を出ない。
 1975年の沖映通りへのダイナハの出店を嚆矢として、スーパーが、続いてコンビニが進出し、沖縄全域に燎原の火のように拡大した。スーパーやコンビニの出現は、好むと好まざるにかかわらず近代化、都市化に適合しないマチヤのような流通形態を駆逐し、その結果、ぼくたちの消費環境は一変した。それにともなって人々の感性や価値観はいちじるしく変容した。
 以後、沖縄の人々はマブイ(強いていえばベンヤミンの「アウラ」だって「マブイ」のようなものだ)を落としたまま生きることを余儀なくされている。くりかえすが、ここで肝要なことは、マブイ(たとえばマチヤ)の消滅を哀惜することと、マブイの消滅を必然化する時代の力を受け容れることとは、無矛盾的に同居しうるということだ。