学位記授与そして第3章の閉幕

本日、無事に学府長から博士(工学)の学位を授与されました。
12月ということもあり、卒業生が4名。開始時刻前に式が始まり、10分程度ですべての式典が終了しました(笑)
フォーマットも、学位記を収める額も、これまで(学士、修士)とまったく一緒でしたが、
やっぱり重みは違うなと感じました。小学校から数えて学生生活22年と8か月が終わりました。


博士課程に限って考えると3年と3か月。いろいろなことがあったなぁと思いました。
学士、修士も大変でしたが、博士は博士の大変さがありました。
自分のためにも、後輩のためにも記しておこうと思います。


一つは、精神的な大変さでした。


結果を出さないと卒業できないというプレッシャーを感じたり、
同年代が次々と社会の新たなステップを駆け上がっていく様を見て焦りを感じたり、
自分は本当に今後この道でやっていけるのか。本当に職につけるのか?と不安を感じたり。。。
自分自身で追い込んだり、周囲のちょっとした発言にナーバスになったり。
その人の性格にもよるのかもしれませんが、博士課程に進むことを志した人間は
必ず通る道なのかなと思います。


もう一つは、研究全体の方向性を見極め前に進める難しさです。


どうしても修士課程までだと、大きな流れの中での1部分に深く取り組みということになりますが、
博士研究はそれだけでなく、研究の全体像(時間軸でも、スケール軸でも)をしっかりと理解して、
見通しを立てないと、なかなか前に進めない(博士課程では、指導教員にある程度コントロールされていた)。
自分の中で、まだまだできていない部分なのですが、今後も経験を積み、引き続き鍛えないといけないなと感じます。
逆に言えば、それさえできれば、結果は自然についてくるなとも感じることができました。



先日の忘年会の場でも公言しましたが、この3年3か月は自分の中では、
覚悟をもって、研究に取り組み、100%のできる限りの力で取り組んだ自負はあります。
それでもやっぱり達成感としては80%。でも悔いはない。もう1回は二度とやりたくない(笑)


この学位は、そんなこれまで培ってきた糧をしっかり背負いなおして、
教育者、研究者として、さらに自ら成長しつつ、後輩にフィードバックしていく。
私が「なりたい!」と強く望んだ形の社会人としてのスタートなのだと、今改めて強く感じているところです。


最後になりましたが、これまで研究室に所属して足かけ6年8か月、
研究面でも人間的な教養の面でも、懇切丁寧にご指導ご支援を賜った
指導教員のH先生には、深く深く感謝しています。

そして、一人一人のことを列挙してお礼伝えすることができないのが大変恐縮なのですが、
様々な場面で助けてもらった研究室の仲間、学外でお世話になった方々、友人…書ききれないすべての人に深く感謝しています。

本当に、人っていいな。人とのつながりが人生の最大の財産だなと改めて最近感じています。


そして、やはり一番は、私のわがままで22年も費やした長き学生生活に対して、多大な支援をしてもらった両親、妹に感謝の気持ちでいっぱいです。
また、ちょくちょくブログ上にも登場してきました、相方にも精神的に非常に助けてもらいました。ありがとう。これからもよろしくね!(笑)


いろいろウダウダ書いてきましたが、結果よければすべてよし!
急なご報告になりますが、第3章これにて、めでたくお開きとさせていただきます。
また一区切り付いたら、第四章?再開していこうと思いますのでしばらく勝手ながらお休みとさせていただきます。
本記事(1345稿目)までご覧になっていただきありがとうございました。


それでは、最後に・・・・


(せーの)



とったどーーーーーーーーーーっ!!!!!!!(笑)


(これがずっと書きたかった(笑))


2013年12月24日    さとちゃん

論文

論文がまともに書けない。
文章が下手くそ過ぎて、添削してもらうのが非常に申し訳なくなる。
原因は、複数考えられる。

1.理解度不足
2.日本語(国語)の能力不足
3.英語の能力不足
4.配慮の欠如
5.論理的思考力不足
6.俯瞰的にとらえる力の不足
7.注意力不足

列挙していくと、基本がまったく身についていないことがわかる。
論文が書けないとか致命傷だなぁ。
この場を最大限生かして、頑張るしかない。

柔軟な姿勢


人間は気が付かぬうちに、確実に、自分の置かれた環境の色にどんどん染まっていく。
これは、ごく自然なことで、良いことだと思う。
大事なことは、人の意見に対して真摯に接し、考えは伝え、柔軟性な姿勢を失わないことなんだろうなと思った。


私が大学に入り、大きく影響を受けた組織は、今所属している研究室と
留学生センターの下部組織である留学生学生支援団体(通称105)。
今年で卒業生を輩出してから10年となるので、現役生とOBOGを交えての交流会を開催することにした。
直感的に、やったほうがいいと思ったので、手を挙げてオーガナイザーを請け負った。


交流会をより有意義なものにするために、現役学部生にヒアリングを行ったり、
社会で活躍されているOBOGに話を伺って、内容を詰めている最中だが、
意見をもらうと、自分の思考の偏りに気づかされる。
OBOGには文系が多く、私のように理系で、しかも大学教員を目指す人間が
珍しいからだろうが、想像以上に今の環境に影響を受けてることに気づく。


私に限らず、人間だれしも、どこかの組織に所属して、必ずその色に染まる。
それはごく自然なことで、私は悪いことではないと思う。
私のような人間は、社会的には少数派であり、
横断的に物事をとらえる必要に迫られる場面の多い今の世の中で、
違った角度から意見を言える、貴重な存在になりうると感じている。
特に最近、土木という文系と理系の中間的な分野に魅力を感じている。
気を付けなければいけないのは、自分と異なる意見を尊重し、
自分の考え方を伝え、よい考えには柔軟に対応する姿勢を失わないことだと思う。


国際性に関する諸問題(大学における留学生と日本人学生の関係の在り方、
業界内での国際競争における日本の在り方等)は専門分野と共に取り組んでみたい
(研究してみたい)問題だと思っている。

働き方

公聴会が終わったというのに、あまり働き方が変わっていない。
働き方を考えないといけない。


今週は、土日も大学に出勤。
公聴会までは、3年間は最大限の努力を惜しまないと自分に言い聞かせて、
それこそ休み返上で、研究に打ち込んできた。実際、ストレスも感じていなかったからよかった。



ただ、ふとこうして落ち着いて、我に返ってみると、このままこういう生活を
続けて良いものかと思った。別に、この生活が苦なわけではない。
ただ、週末を含めた働き方をしていないだろうかと思った。
働くことが悪いことだとは思わないが、心まで支配されてはいけないと思う。
働くことを中心とした生活は、結局は自分のため、家族のため、大切な人のためにならないのではないか。



それよりも、週末は働かないよう、平日でエンジニアリングジャッジで仕事を片付け、
休日は自分の何か別の糧となることに費やすほうが、結局公私にわたって充実した人生を送れるのではないだろうか。
この3年間がむしゃらにやってきて、留学中に感じたあの感覚を少し思い出してきた。


何をしたらよいかイマイチわからないが、もっと若いうち(?)に、
人間としての幅を広げてみよう。そう思った。

真っ当に生きる

今日は、懐かしい人と多く再会した一日だった。


・大学に、リクルーターとして研究室時代の先輩が来た。
・夜の飲み会で、久々に大学の同期にあった。
・駅で、懐かしい大学(サークル)の友人に出くわした。
・地元で、これまた懐かしい高校時代の友人に出くわした。


予定していたもの、不意だったもの含め
今日1日で、これだけ久々の出会いがあった。
普段なかなか連絡とれていない人たちばかり。
日々忙しいと自分に言い訳せず、もっと人との関わりを大切にしないとなと感じた。


同時に、疎遠になったと思っていた人でも、
実は案外近くで生活していたり、ニアミスしてることって多いのかなと思った。
つまり勝手に「疎遠になったと決めつけている」だけなのかもなと思った。
そういう意味では、いつ何時誰に見られているかわからないわけで、
日々を真っ当に生きないとなと改めて感じた一日だった。

魅力的な授業


毎週火曜日が最近楽しみになっている。
日本の鉄道構造物の維持管理を最前線で支えている実務者の方たちの超濃厚な話が
聞けるからだ。こんな幸せなことはない。


今日はT総研のUさん。高校の先輩でもあり、昔から気にかけてくれている、優しい方だ。
講演や委員会の場などで、ご一緒することはあったが、こうして講義を受けるのは初めての経験だった。


すごい人だなとは思っていたが、そのすごさが今日改めて良く分かった。
数行の箇条書きのスライドだけで、あそこまで魅力的に(だれも受講生を眠らせずに)
長時間話せる先生は大学にもそうはいないと思う。


前回の講師のKさんにも言えることだが、話が魅力的に感じられるのはおそらく、
自分のゆるぎない考え・信念・哲学があり、それらが、受け売りでない
すべて自分の実体験からくるからだと思った。


似たようなことは、指導教員からも伝え聞いているが、やはり現場で、
目の前で逼迫した状況で見て感じて、考えてきた人の話は迫力がある。
仮に私が、同じようなことを言ったとしても、
おそらく薄っぺらい、説得力にかける話になってしまうだろう。


とはいえ、人間一人でできる守備範囲は限られている。現場と一口に言っても、いろいろある。
大事なことは、やっぱり常にアンテナを立てて、自分が置かれた場で、考えて、感じること。
その繰り返しでしか、魅力的な話者にはなれないんだろうなと思った。

意志

「なんとかなるかな」で取り組んでいるようじゃダメ。
本気でやり遂げよう、達成しようという意志が何よりも大切。
意志を強く持ち続けることで、一歩ずつ確実に目標へと到達できる。
人生、何ごとにも真剣になれたら幸せなんだろうな。


今日は、土木学会の某委員会の成果報告会に行ってきた。
大学の先生が少なく、実務者の多い委員会。
本気で、いい構造物を造ろう。そのためには、何を今すべきなのかを
真剣に考えていることがよく伝わってきた。エレガントではないが素直にかっこいいと思った。


自分が博士研究でかかわり、後輩学生が引き継いでくれいている研究テーマもそう。
3年間悪戦苦闘したが、本気で取り組もうという強い意志のおかげで、いろいろとやってみたことが増えた。
このテーマは、全人類(今そして未来に生きる人)のためになると、今は迷わず思える。
さらに、大学という場は将来の人材も育てる場。こんな無限大に影響力の広がる職場はそうそうない。


この先、順風満帆とはいかないだろうが、それでも内に秘めた強い意志の灯だけは消さないように
ここにメモとして残しておこうと思う。