S嬢 はてな

2018-03-19

[]セイちゃんのこと

小学生の時のこと。不可解な思い出。謎。あの日のあの時のあのことの意味、を、わたしは知りたかった。

あれは5年生か6年生の時だったと思う。5年生の二学期あたりでスズキくんが転校した。この思い出の中にスズキくんがいないから、たぶんそのあとなんだと思う。それはある日突然始まって、毎日毎日続いた。最初は黙って我慢した。黙って我慢してから、やめて欲しいと懇願した。それからあとは、毎日毎日毎日毎日大声でキレてた。キレて叫んで抗議して、それから思いっきり力を込めて、ヒステリックに仕返しをした。それでも毎日毎日毎日毎日、同じことが続いた。疲れ切ったころ、ある日突然終わった。なぜ終わったんだろうと思ったら、ターゲットが別の女の子に変わってた。そういう出来事。

セイちゃん。男の子。ちょっと変わった子。成績はすごくいいんだそうだ。ただ周囲の男の子と話したり遊んだりしているシーンの記憶が全く無い。集団の風景の写真の中に、なんとなくいない子。みたいな男の子。家も遠くて、高学年でクラスが一緒になるまで接点は全く無かった。よく知らない。特になにかを誰かから聞いたということも無い。まっさらな状態で新しいクラスメート。

セイちゃんが近寄ってくる。わたしのそばを通り過ぎる。そのときに、思いっきり足を踏む。足の裏全体で足の甲を思いっきり踏みつけて、ぐりっと踏みにじるように足を動かす。ものすごく痛い。涙ぐみそうになるほど痛い。驚いて顔を見ると、笑ってる。にたにたと、笑う。そして後は無視される。やめて欲しいと懇願しても終わらない。突然近づいてきてぎゅうっと踏む、踏みしめてくる。にたにたと笑いながら。

担任は評判の悪いおばさん。もともと頼りにもならない大人。にやにやしながら言う。「セイちゃんはあなたのことが好きなんだからしょうがないわよ」。しょうがなくない。痛い、泣きたい。「セイちゃんはあなたのことが好きなんだからしょうがないわよ」と大人が言うと、子どもは「好きなんだから」とみんな言う。知らないそんなの。わたしは足が痛い。味方なんて誰もいない。

「やめてよ!なにすんのよ!ふざけんな!」とか、もう歯止めがきかないくらい怒鳴ってた。怒鳴って怒鳴って、セイちゃんの足をがんがんがんがん踏みつけて踏みしめて。セイちゃんはちらっとわたしを見て、なんでもない顔をしてた。そして彼はやめなかった。隙さえあれば、彼はわたしに近づいてきた。ぎゅうって足を踏むために。そして笑う。にたにたと笑う。

ヤマダさんにターゲットが移ったとき、わたしは心底ほっとした。そして少ししたら毎日毎日ヤマダさんの叫び声が響くようになった。「やめてよ!なにすんのよ!」。そしてヤマダさんもわたしと同じように、思いっきり彼の足を踏みまくってた。そして先生は「セイちゃんはあなたのことが好きなんだからしょうがないわよ」とにやにやしながら言った。わたしはヤマダさんがどんなにつらいかよくわかってた。でもじっとしてた。助けなかった。もう一度ターゲットにされるのが耐えられなかったから。

さて。わたしが知りたいこと。あの男の子のあの行動は、あの人が成長していく中でもつ「性癖」に関係しているのではないだろうかと思うようになった。彼はどんな風な立派な変態になったのだろうかという興味がむくむく湧くようになった。彼がターゲットにしたわたしとヤマダさんの共通点は「学級委員になるような女の子で、気の強い子」。ぎゃんぎゃんと叫んで怒りをこめてがんがん踏み返して仕返しをした。ということは、Mなのか?でもあのハードな踏みしめ方はなんなんだ?どういうことなんだろう。

昨日、小学校の同級生同窓会があった。ねえ聞いて?どう思う?彼はどんな風な変態になったのかな。当時の教室にいた元男の子たちに聞いた。わたしは私学の中学に行った。彼のその後は全く知らない。男の子たちはちょっと顔を見合わせて、言っちゃっていいのかなと相談した。そしてわたしに言った。「あいつね、40代くらいの時にね」。自死だそうだ。それから言った。「好きだったんだと思うよ」って。

違うの、そうじゃないの。あの行動の意味が知りたいの、わたしは。なんでああいう行動になったんだろう。なんでにたにたしてたんだろう。「気を惹きたかったんじゃないかな」。違う違う違う。なんでそれがああいう行動になるのか。その「普通じゃないこと」の根源がわたしは知りたかったんだ。男子たちとほとんど接点がなかったから、あいつのことはよくわからないって。小学校も中学も、誰かと関わるとか無かったと思うって。

ヤマダさんに聞いた、覚えてる?って。「なんかすごい不快なほど、なんかされたような記憶はあるけど、よく覚えてない」。にたにたにたにた、うれしそうだったんだよ、セイちゃん。にたにたしてた。うれしかったのかな。なんだったんだろう。死んじゃったんだって。くっそー。わたしは忘れないみたいだ、たぶん。合掌。

2017-10-19

[]選挙ハウツー

過去のエントリにコメントが入りました。

知的障害者と選挙

さて。この過去エントリから7年が経過しています。この時19歳だった娘は先日26歳になりました。結論から言いますと、娘は選挙権を手にしてから今日まで一度も棄権をしていません。果たしてそれが正解かどうかは、人によってまた親によってかなり考えに違いがあると思います。わたしは、憲法で保障されている国民の権利としての選挙権を娘から奪わないという選択をしただけです。このことについて誰かと議論する気は全くありません。わたしわたし選択をしただけです。

娘の投票行為には準備が必要です。本人への支援の準備の部分はカット。これはそれぞれの判断をされた方々の個々のことだと思いますし、わたしわたし判断選択について誰かとディスカッションする気もジャッジされる気も無いので。

今回は「投票当日のハウツー」だけ、アップしておきます。

1.投票支援カードを作成

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用紙はL版写真用紙。候補者の写真と候補者の氏名をひらがなで記したカードをワードで作成。候補者の写真は公平を保つために同じサイトから抽出。2017年衆議院選挙の今回は読売新聞のサイトから。また、比例区投票のために各政党の略称をひらがなで記したカードを作成。公示後に作り、投票日の数日前に本人には渡しておく。

2.投票当日

受付で名前を呼ばれて、「はい」と答えて投票用紙をもらう。このタイミングで母が「支援お願いします」と言う。ここで毎度なんとなく手持無沙汰な感じでそこらに待機している選挙管理委員会の人が、そそくさとすっ飛んでくる。二名立ち会うという形になる。

ここでお世話になる方に、持参した投票カードを見せる。投票カードは全部持っていくので、けっこう枚数は多い。「このカードを見ながら一枚を本人が選んでひらがなで投票を行いますので、支援お願いします」と伝える。

「本人が書きますか?」と聞かれる場合があるので「書きますが、支援が必要な場合は支援をお願いします」と言う。本人が書かないで、指示した候補者を選管の人が書くという方法もできるらしい。以前は「本人が書きます」とだけ言っていたけれど、娘が書いた文字のひとつが読み難いものだったとのことで、「このたった一文字で無効票になるのは良くないので、こちらでその文字を書く支援をさせていただきたい」と言われたことがあった。そんなことも起きうるかと、「支援が必要な場合はお願いします」と言うことにしている。

まあ最近は、そんなことを言っている間に娘がそそくさと投票コーナーに行ってしまう。もう慣れたものだ。ばたばたと二人の方がそれを追う。そこから先は、わたしノータッチ。娘は支援されながら投票を終える。わたしは選管の方にすっかりゆだねてしまうので、娘が誰にどの政党に投票したかはわたしにはわからない。

2017-10-10

[]髪の毛とかヘナとか

「50代 ロングヘア」で検索すると、いろいろひどいことになる。「ありか?」とか「痛い」とかの言葉が飛び交う。思わず笑ってしまうのは「節約型」という言葉。女としての投資金額を捨てた上での「美容院に行かない成れの果て」の上でのロングヘアという意味らしい。

わたしの髪の毛は長い。とても長い。ありか無しかは知らん。長い髪に対して「痛い」と言われるような扱い方はたぶんしてない。そして堂々とこれだと思うが、「節約型」としてのロングだと思う。節約するというか、美容院に行かなくなって長いこと経つのであそこに払う紙幣がいまやもう惜しくて仕方がない。前髪を時々切り、くるくるとまとめて裾を時々切る。定期的にヘナをかける。あんず油を毛先につける。日常的には髪はまとめている。

ヘナはとてもいいと思う。わたしはとてもいいと思うが、周囲には誰も定着しない。染める時間が長いことや、白髪が多くなると赤くなり過ぎることとかが嫌われる理由らしい。ヘナを練って手袋をはめた手でべたべたと髪に塗る。キャップをかぶって二時間放置する。よくすすぐ。それだけだ。おでこだの生え際だのヘナがついた皮膚はオレンジになるが、すぐ洗えば落ちる。植物染めなのでついても特になんてこともない。最近はおばはんの生え際がうっすらオレンジなんぞ、どこの誰が気にするものかという気にもなってる。一生懸命ガードすれば生え際がオレンジになることもないが、オレンジにしてしまっても風呂に入ってる生活してればそのうち落ちる。べたべたと髪に塗って、長い髪をぐるぐると巻くとべたっと頭にはりついてくる。ロングヘアで不便が無い、というより長いほうが扱いやすい。

ヘナはヤバい。パーマがかからなくなる。ヘナのトリートメント効果で髪の毛がばんばん丈夫になるらしく、髪の毛にパーマ液が浸透しないということらしい。家族が行きつけの美容院が以前けっこうがんばってくれた。やり方次第でいけるというチャレンジを続けてくれた。結論はかからないこともなかったが、なんか割が合わない感じがしてやめた。さんざんヘナ使用を続けてきたわたしの髪の毛にパーマがかかったという到達点は「ハードな液を使って一度かけて数日後にまたかける」というやり方で、そして手に入れた髪の毛は「力の無いゆるふわパーマ」だった。パーマとヘナとどっちを取るかという選択肢になるんだと思う。わたしはヘナを取って人生からパーマを捨てた。

ヘナはヤバい。白髪のみが染まる。ヘナをかけた人の髪を見ればその人の白髪分布がわかる。最近若い子から「きれいな茶髪」と褒められることが増えた。最初は「これは白髪だ、これはヘナだ」といちいち言っていたが、若い子には関係の無い興味も無い話だということがよくわかった。ので最近は「うふふ」とだけ返す。笑えたのは娘を連れて行った美容院で若い美容師に「わあずいぶん髪色明るくしたんですね、イメチェンですか?」と言われたこと。この若い美容師がヘナに気づいていないのか知らないのか、わたしのヘナ歴をよく知っている店長が後ろでアワアワしていて本気で笑えた。(ちょっと見ない間にすげー白髪増えたなオメー)という声が素直に上がるほど、わたしの髪の白髪の割合はどんどん大きくなってきている。ただ、どうもわたしの髪は白髪が真っ赤には染まらないらしい。赤やオレンジというより赤銅色っぽい。これでなんとか真っ白になってもいけるかもしれないと思う。真っ赤になるからいやだという人も多いので、ちょっとほっとしてる。インディゴを重ねるのもめんどくさいし、ずっと純粋ヘナを使い続けてきたので混ぜ物ヘナは今更使いたくない。

最近のネットは便利だ。髪の毛のまとめ方の動画がたくさんある。なかなか飽きない。こっちにまとめたりあっちにまとめたり、楽しい。ただし要注意ポイントがある。お若い方の「ゆるふわ」に騙されてはいけない。お若い方のまとめ髪のゆるふわは、50代ではただの「やつれ髪」だ。おくれ毛なんてもってのほかだと思う。

ヘナは最初は生協から買った。ドラッグストアで買ったこともある。結局マハラニヘナで落ち着いた。年度の古いのをキロ買いして一回300円程度で染められた時期が長かったが、そうしたセール品が無くなってしまって残念。

アートビーング オンラインショップ マハラニヘナ

2017-09-26

[]昨日見た夢

夢というものは、朝起きたときにかなりはっきりとした記憶があっても、数時間たつとたいがい忘れてしまう。起きたときはなんだか鮮明な記憶にいろいろ考えたりしているのだが、たった数時間でそれがなんだったか忘れてしまう。そんなことばっかりなんだけど。

昨日見た夢の記憶ははっきりしている。半日たってもはっきりしている。なんてこともない夢なんだけれど、パソコン開いたついでに記録しておこうかなと思う。日記だし。

誰かの葬式があった。気持ちを強く動かされるとかそういうことではなく、なんか町内の役員だか元役員だかのじいさんが亡くなったかとかいう、そういう感じのやつだった。横浜の中の田舎と都会の中間みたいな中途半端なうちあたりでも、最近は家族葬が増えた。葬式というものは元々、知ってる人が亡くなったらお別れに行く的な参列があったものだと思うのだが、どこまで知っている人かうんぬん的なラインも昔より上がったような気がする。そんな感じで、そうかという感じの、わたし自身が喪服を引っ張り出すわけでもないような、そんな葬式だった。

あ、そうだ。と思った。うちに処分したい植木鋏があったんだった、と思った。ガーデニングとか華道とかで使うような小さいやつ。ここからがまさに「夢」という勝手なフィクションの世界なんだけれど、この夢の世界では「誰かの葬儀のときに、使わなくなった植木鋏を奉納とかいう形で回収するコーナー」が存在する。このフィクションの世界の住人であるわたしは、葬儀があるのを横目で見て、さも常識であるかのように思い出し、鋏をもって会場に行った。

よく催し物で外に出ているような、長い机があった。そこに鋏が上下をそろえていくつも並べてあった。そこにわたしは鋏を置くと、うちと親しくしている(というか舅姑の代から親しくしている)近所のおじさんが、神妙な顔をして傍らの用紙を指した。そのおじさんは町内会の役員をしていて、近所のじいさんの葬儀によく手伝いで出ている。この日もそんな感じで、目線わたしにその用紙に何やら書けと目線で指示をした。

たいしたことない紙質の適当な大きさの紙が、ばらっとその机の上に載っていて、そばに鉛筆が何本かあった。名前を書くとかそういうことだったような気がするが、その辺の詳しいことは覚えていない。名前となにか数行だったような気がする。たいしたことない紙質で、たいしたこともない内容のことをざらっと鉛筆で書く。その程度のもので、ぐちゃぐちゃと適当に書いた。

ふと気づくと、周囲には大人の男の人が何人かいた。自分だっていい加減いい年齢なんだけれど、「大人の男の人」と言いたくなるような人が周囲に何人かいた。その何人かは長い机に鋏を置き、さらさらと鉛筆で書いてそこに置いていった。「大人の男の人」たちは、みな美しい文字を書いていた。ぎょっとして自分の手の中の紙を見たら、情けないほどぐちゃぐちゃの適当な文字列があって情けなかった。

ちゃんとしてなきゃ。いつもちゃんとしてなきゃ。こういうときに「お育ち」みたいなものが出るんだ。こんなの出せないじゃないか。すごくそう思った。文字はいつも丁寧に書かなきゃ。いつだってそう思ってたのになんでこんなことになるんだろう、と、すごく自己嫌悪だった。

わたしは「書く文字」というものに、昔からものすごくムラがあります。丁寧にそこそこ大人の女の人の文字も書ける。しかし気を抜いた文字は、クソひどい。アベレージがちょー高い美しい文字を常に書ける人っているじゃない。そういう人にすごくコンプレックスがあるような気がする。しかしなぜ、今更、こんなに大人の年齢になって。もうおばさんじゃなくてばあさんが近づいているような年齢になって、いまさら文字がどうのという夢を見るんだと。人間の頭の中というのはすごく不思議なものだと思う。変な夢。

2017-09-15

[]ばあさんIT

母が友達からタブレット端末が欲しいと相談を受けたそうだ。母がiPadを使っているのを知っているという前提で。「あなたみたいのが欲しい」「でもあなたが持っているのはどうやら高いらしいというのはわかる。5〜6万するんでしょう?」「でも似たようなので一万五千円くらいなのもあるんでしょう?そういうのが欲しい」。

まあ、要はこんなことのようだ。(あなたのそれをあなたが使えるようにしているあなたの娘に、わたしが欲しい機械もなんとかしてほしい)。母はそれに対して、あなたはあなたの息子さんや娘さんに頼んでみたら?と言ってみたそうだ。その返答は忙しくて相手にしてもらえない、ということだそうだ。

「これより小さいのがあるの?それはもっと安いの?」と、母がわたしに聞く。ううん、たぶん、先方の言っているのはアップル製品ではない。アンドロイド端末のことだと思う。それよりあなたたちは。あなたたちは通信費のことを理解しているのか?

母はiPadの初代機をSoftbankで契約し、Softbank機種変をして毎月Softbankにいくらだったか6千円だかそこらを支払い続けてきた。いろいろな会社がSIMカードを発売したのを機に、Softbankを解約した。わたしアップルオンラインから機器を買い、わたしイオンモバイルと契約し、すべてセットアップして母に渡した。母の銀行口座からSoftbankにお金が支払われなくなった時点で、母は通信費がかかるということをころっと忘れてしまったらしい。いろいろ元気だし、いろいろ聡明だが、まあこういうところやはり80代だなあと思う。自分の興味関心が動かないことに関しては、一度は理解したはずの情報がどんどん抜け落ちていく。「毎月お金かかるの?」。

そのお友達が欲しいというなら、そのお友達のためにわたしが動くのはわたしはちっともかまわない。機器を買って終わりではなく、機器を買ったらその機器が動いて用をなすためになんらかの会社と契約をすることになる。そして毎月いくばくかのお金を払い続けることになる。その理解が難しい人に他人が関わるのはかなり危ない話だと思うよ。

母はそのお友達に聞いたそうだ。「買ってその機械で何がしたいの?」。よくわからないけど、なんか最近そういうのがあったほうがいいような話を聞くから、だから欲しい。ということだそうだ。電化製品をひとつ増やしたいくらいの話なんだろう。そういう人はなんとなく増えているのかなと思う。

母がiPadを使いこなしているのは。あの人は昔から、そして今でもたくさんの「文化に対する欲」がある。絵が見たい、音楽が聴きたい。そこそこ高尚で幅広い。母のiPadからは美術館、劇場、コンサートホールなどの検索履歴がざくざくある。そしてもともとお手紙屋さんで、お手紙を書くのが大好きな人なのでメールもかなり使いこなす。年若い友達が多く、交友関係が広いのでアドレス帳もたくさん埋まる。海外に住む姉とのSkypeは日常的だ。要するに必要な機械なんだよね。この用途というのも大きいんだと思う。

メルマガもとっている。楽しみに読んでいるらしい。先日母と親戚の家に行って、そんな話が出たときに「あのね、ツケメンのファンなの」と母が言った。周囲は目を白黒だ。ラーメン屋とはおよそ似合わない感じのこじゃれたばあさんが、ラーメン屋巡りでも趣味になったのか。いやいや違う。お若い人にはこう付け加える。「あとでアルファベット表記で『THUKEMEN』って検索してみて」。まあそういうことだ。大好きなんだそうだ。

このご友人に関しては「いろいろ関わると難しそうだから、『84歳だからわからない』でかわせ」と母に言った。この友人も母より若いんだそうだ。お金が関わることはやっぱり難しいよね。欲しい用途がもっとはっきりしていたら、いくらでも力になるんだけどな。

2017-09-13

[]大きい子の親

ダウン症がある赤ちゃんが自分の子どもとしてやってきて、たいがいにおいて仲間と手をつなぎ始める。最近では、インターネットの中に情報と仲間をさがす。親たちはだいたい「赤ちゃんのパパママ」「小さい子のおとうさんおかあさん」「大きい子の親」みたいな感じでカテゴリー化されていく。

だいたいというか、一般的にというか、わたし個人の印象というか、もりもりと元気で活動的なのは「小さい子のおかあさん」たちだと思う。赤ちゃんのママを助け、導き、明日を考えて行動する人が多く、そういう時代なのではないかと思う。ネット上でも圧倒的に元気なのは「小さい子のおとうさんおかあさん」だと思う。見えてきにくいのが「大きい子の親」だ。

わたしは「大きい子の親」になり「大人の人の親」になった。「小さい子のおかあさん」だった時にこの層が存在感が薄く見えにくかった理由がわかる気がするようになってきた。障害告知を経て、育つ子どもの姿を見てその子どもの姿に励まされ、しあわせを教えられ、親たちは育っていく。幼児から小学生へ進む時代に子どもがすくすくと目に見えて育っていく期間に、親たちもたくさんの経験を手に大きく成長していく。その時代の意味がよくわかるからこそ、その上の親の存在感は薄いくらいでちょうどいいんではないかと思う。

啓蒙、啓発、キャンペーン的なものに対して、あんまり関心が無くなった。なんつーか、人にもよると思うが、障害というものに対して完全に肩の力が抜けているような気がする。障害自体が軽くなるとかではない。障害自体については、年齢があがってくると非常に現実的な側面が現れ、個人差も大きい。それが自分ちに起きているということが当たり前の生活になっているというか、そういう感じだと思う。

娘は10月に26歳になる。学校を出て今の事業所の「8年生」だ。今までの同じところに通う最長6年という長さを去年超えた。平日は軽作業をこなし、土日はゆっくり過ごし、一年の流れを意識して過ごす。「新幹線 旅行 おばあちゃん」がキーワードとなり、何度となくこのこと話しながら楽しみにしていたお盆が終わり、これまた非常に楽しみにしていた事業所の旅行が先日終わった。今週の週末にはボウリングに行き、連休中におばあちゃんのところに行く。来月は誕生日があり、11月には事業所が出店する地域の大型イベントがある。12月はクリスマス会だ。1月には事業所のおまつりがある。そうやって日々が過ぎる。

今月末にはダウン症専門外来での健診がある。甲状腺採血をすることになっている。採血は本人は大嫌いだ。でも、採血する人には気を使って平気なふりをする。「病院にいく」というと必ず「注射?」と聞き、「いやだ」と言い張るこの人に、たぶん「お願い」をしまくって連れていくことになるんだろう。

採血は、昔は平気だった。平然と手を出し、処置をした。予防接種もすべてそうだった。ケガの類もこの人は豪傑だった。小さいときは転んでも泣きもしなかった。今の事業所に入り毎年の健診で採血があり、それも全然平気だった。それが4年ほど前から採血をとても怖がるようになった。前よりちゃんと自分の気持ちを出すようになったんではないか、という解釈もある。わからない。

ただ嘘も誤魔化しもできないと思う。知的障害という垣根を通して、わたしたちはできる限りのコミュニケーションを築いてきた。曖昧な誤魔化しは信頼に関わるよね。うん、誠意を込めてがんばります。

2017-09-11

[]プロフ編集

プロフの文章を編集した。

「子どもに関して」を「家族に関して」にかえた。子どもがどうのという年齢ではなくなった。わたしも、子どもたちも。息子は社会人になった。娘の認定区分がまた変化した。

娘について「ダウン症者」から「ダウン症のある成人女性」にかえた。ダウン症についての言い方だが、「ダウン症児/ダウン症者」から「ダウン症のある赤ちゃん/子ども/人」という呼び方に変化していこうとしている。わたしはそれに沿う形に変更した。

障害について「しょうがい」「障がい」「障碍」など、いくつかの表記で論争があった。わたしは「障害」に違和感がない立場なので、普通に「障害」と表記する。横浜市は「障害」を使用。これについては当事者や関係団体学識経験者による「横浜市障害施策推進協議会」で話し合われて決定したもの。横浜市で他の表記が採択されたら自分はどうしただろうかと思う。横浜市に関しては、当事者団体がけっこう強い印象があり、そこで採択される方向に従うかもなとも思う。今回は一致したということに。

ダウン症のある」については、日本ダウン症協会がこの表記を選択し、表現を統一した。わたし日本ダウン症協会が歩いてきた軌跡に敬意をもち、日本ダウン症協会に沿う形にした。個人的にはなんとなく変な感じはするが、そのうち慣れるだろう。

ダウン症の言い方について、今回いろいろ検索してみたが。「ダウンちゃん」という呼び方のアンチが昔より増えているようで、こっそりうれしい。

2017-09-10

[]わたしのなまえ

昨日久々に投稿し、ついでに過去エントリーをいくつか読む。ははは、そうか。ふむふむ。自分のセンスで好きなように遊んでいるのだから、過去エントリーも自分勝手にただおもしろい。

6月に、まるでそこらにいるかのようなネット上の名前を作って使うお遊びの話を入れている。これがだな、へーということになっている。

お遊びで作った名前の三文判が欲しい。これが前提なので、そんなに珍しい苗字にはしなかった。名前の方は、どちらかというとダサい。ダサいからどうでもよく、なんかおもしろい。そんなお遊びだった。ホント、てきとーにちょちょいのちょいのお遊びだった。

しかしこの名前、当たりだった。フルネームでアドレスががんがん取れる。Tポイントヤフーアドレスと連携しろというヤツを、なんかやだなと思って放置していたのだが、そうだと思ってこの名前でヤフーアドレス取った。数字を混ぜたりしなくても一発で取れた。調子に乗ってGoogleアドも取った。取れた。この名前、生き始めた。

この名前、まあなんだ、みーちゃんとしよう。みーちゃんamazonでコツコツとレビューを書いている。レビューをもっと長く語るブログでもやってやろうかと調子にのりそうだけど、やらない。satomiesのエネルギーみーちゃんにのっとられるのはイヤだ。

みーちゃんのフルネームをGoogleで検索すると、みーちゃんamazonレビューがずらずらと並ぶ。それ以外は姓名判断サイトくらいだ。みーちゃんの名前は、もう絶対トップシークレットだなと思う。

ちなみに昨日の投稿は、しーちゃんから入れた。今日は凹太から入れる。これはOCNモバイルSIMを入れているiPhone5s。去年の春にヤフオクで買った。凹太は底辺部にボコボコの傷がある。中古で流れたものではなく、オーナーが出品。ボコボコがあるが使用歴少なくバッテリーの状態はいいはずだとあった。しかしボコボコは嫌がられ、入札は無く、さらに値を下げて出品したらしい。まあボコが派手につく落とし方してるから事故車かい?とも思うだろう。でもわたしは欲しくなった。これは縁だ。ライバルは出現せず、わたし一人の入札で凹太はわたしの元にやってきた。

凹太は素晴らしいよ。がちっと覆うケースに入れてるから、凹太の凹など全く支障はない。オーナーさんが言うとおり、バッテリーはバリバリいい感じだった。がっちり64あり、わたし生活をしっかり支援する。もうすぐAppleで新製品の発表がある。それがなんだ、わたしはまだまだ凹太と生きる。

2017-09-09

[]いまさら4s

結論からいうと、いまさらiPhone4sを買った。ヤフオクで。

ドライブレコーダーが欲しくなった。欲しくなっただけで、買おうとかまでは思っていなかった。欲しいなと思いながら、眺めていただけ。値段にピンキリあるんだなあとか、そのうち標準装備になるんだろうかとか、そんな程度。

そんなある日、スマートフォンアプリドライブレコーダーがあることを知った。Googleブラウザで、オマエの興味があるのはこれだろうとか出てくる情報の中にそれがあった。これこれ、こういう風にやるんだよ。使わないiPhoneがあったらやってごらんと書いてあった。

残念ながら、うちには空いてるiPhoneなど無い。それぞれの役目をもち、それぞれが現役だ。

ふと思った。今、4sの中古って、いくらなんだろう。5千円くらいかなあ。ヤフオク開いたら、もっと安かった。

4sは大好きだ。うちでは働き者だ。ケーブルテレビのモニターになり、録画した番組も見られる。ストリーミングの音楽やら、YouTubeやら、重要な家事のパートナーだ。iOS9で使うためにいろんな設定で動作が重くならないようにしてある。サイズの可愛さだけが引き立つ使い方でバリバリ現役。時代はデカいディスプレイを求めているらしいが、わたしはこのサイズが好きだ。

ヤフオク見たら、安かった。買おうと思った。状態のいいものなんて、たぶんもはや存在しない。運任せで入札を続けた。

わたしの予算は送料含めて4千円以下。締切時刻1時間以下のタイミングで最高額をもっていかれ、予算から百円くらいの超過で数回見送った。熱くなるな、機械の状態は運だ。たぶんこの機械には縁が無い。

結局、自分が決めた予算よりはるかに安く、その4sはわたしのところにやってきた。しかも純正の充電器もついてきた。

明日、手元にやってくるというその前夜、うれしくてドキドキした。あはは、変ね。世間の人にとっちゃ6年も前のガラクタなのにね。

手元にやってきたその子は、とてもきれいな状態だったので、クリアなケースをamazonで注文して着せた。ガラスフィルムも着せた。音楽系とドライブレコーダーアプリしか入れず、重くならないための設定もした。バッテリーの状態はもちろん良くは無いが嘆くほど悪くもない。

車に乗せて、ドライブレコーダーアプリも動かしてみた。ふむふむ。

要するにね、新しい子がかわいくて仕方がない。たかが4sだけれど、すごくかわいい。名前はしーちゃん。もう1台の現役4s(息子のお古)はくーちゃん。まあ白黒だね。ちなみにこの投稿はしーちゃんから。

2017-07-10

[]新しいおもちゃ

amazonDash Buttonという商品が発売されたというニュースはいつだったか。欲しくて欲しくてひとつ買った。夫が笑った。

Dash Button システマ

小さなボタンをAmazonアプリで設定をして、ボタンを押すとあらかじめ設定した商品が発注される。たいしたもんでもない。歯磨き粉を買いにいけないほど生活に不便はしてない。しかもドラッグストアより少し高い。でも、このおもちゃが欲しかったんだ。きゃーきゃー言いながら設定をして、きゃーきゃー言いながら発注する。よそ様は知らんが、うちではそこそこ馬鹿みたいだ。宅配業者さんに迷惑をかけているような気もする。だから、他に注文したいものとタイミングを合わせたりする。要するにそんなによいものともすごい便利とも思わない。買い物にいちいちガソリン代がかかる国で作ったシステムだろうと思う。

まあ要するにそういうもんだ。そしてわたしはそういうもんが好きなんだ。おもちゃなんだ、要するに。おもちゃだといえば、安いおもちゃだ。というところで、わたしが欲しくて欲しくて身をよじり、注文し、設定をして、うきうきしながら歯磨き粉を買う。夫は笑ってそれを見ていた。二個セットでくるからそんなに「ボタンを押す」セレモニーはしょっちゅうこない。ボタンを押すのがうれしくて仕方がない。おもちゃだから。遊ぶタイミングが限られたおもちゃだから。

この週末、AmazonDash Buttonのセールがあった。通常ひとつ500円。設定した商品を注文するときにこの500円が差し引かれるので注文さえすればこの小さなボタンの価格は無料だ。その前提で、今回のセールはひとつ100円。そして設定した商品を注文すると通常どおり500円が差し引かれる。つまり商品を価格から400円安く買えるということになる。

もともと欲しいおもちゃだ。さあ買っていいよ、お得だお得だと言われるとムズムズする。どれにしよっかなー。どれにしよっかなー。やたらに選んで3つ決めた。届いた、うれしい。絵柄のついたクリアファイルにくっつけて家具に固定した。うれしい。いちいち眺めてる、うれしい。ああうれしい。

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2017-07-07

[]七夕

2012年七夕に、初めてBUMPのライブに行きました。感激した。ああBUMP OF CHICKENてホントに実在したんだと思った。それから毎夏BUMPのライブにずっと行ってました。CDについてる応募IDで、とにかく一発で当たる。しかも毎度そこそこいい席だ。東京ドームはべらぼうにいい席だった。

今夏も幕張でライブがあります。行けないです。応募IDは存在しない。一番最初の抽選と二度目の抽選は応募しました。当たらなかった。2013年からは娘といっしょに行っていて、娘と一緒に行くようになったら急に席がよくなった。今回はオールスタンディングなので「一枚」で応募した。娘にオールスタンディングのライブはきついと思った。当たらなかった。神様は娘といっしょに行くときだけ微笑むらしい。まだ抽選は続いているけど、あいわかったともう応募をしていない。そもそも自分だって若い子にまみれたオールスタンディングに自信もなかったしね。

しかしな、と思う。Twitterだったりいろいろな媒体だったりで、アーティストの生の声や気持ちを垣間見たりすることができる。サカナクションの山口さんが好きだ。アジカンゴッチが好きだ。オールナイトニッポンをおりるときに「いい音楽を創りたいから」ときっぱり言ったバクナンの清水依与吏が好きだ。自分の成長期思春期には、こうしたなんかこうなんかを強く意思表示するタイプのアーティストが好きだった。

ううむ、BUMP。好きは好きなんだが。商戦があざとい、グッズが高価で質が悪い、本人の意見とは思えないようなビジネス路線のコメントが増えてる感があるとか、いつごろからかなんかなあと思うことは増えた。なんというか、大人ではなくアイドルとしての「口」のように思うことが増えた。アイドルのそれのようなメンバーによるTwitterにもなんの興味もない。ピコピコ音楽もどうも鼻につく。変化していくさまに泣き言のような情に訴え路線のようなクローズアップもあったが、それに情は動きもするが、結果として言えばいやもうなんというかという気がしないでもない。音楽選んだ大人なのに、それ言ってどうするみたいな。

でも彼らが創って渡してくるものを、わたしは大切に受け取っている。胸キュンボタンを取り上げられてるのだから、それはもうしょうがない。最近コマーシャルで流れることが多い。次々に新曲が流れ、配信が開始されるが、わたしは今じいっとしてる。一曲一曲いちいち受け取ってると、アルバムがなんかツギハギだらけの一枚になる感じがして、ここのところ。いや、自分自身の感覚では、なのだけど。次のアルバムは全曲新鮮に聞くチャレンジのために、今ひっそりと自分BUMP断ち。どうせ今年はライブに行けないのだしね。

 

2017-06-22

[]やってみたかったこと

インターネット上で長年やってみたかったことがあった。やってみたかったけど、特にやる機会もなく、ただの願望のままだったことだった。うふふ、やった。ついにやった。何を?名前だよ名前。

ネット上の「名前」は、なんかいろいろだ。やってみたかったのは「鈴木花子」みたいな、いやもっと「井上知子」みたいな、なんか普通にそこらにいそうな名前を使ってみたかったということ。なんか普通にそこらにいそうだけど、本名となんのからみもないそういう名前でネット上に出現すること。

ちょっと欲しかったものがありましてね、Amazonで買ったんですよ。で、今まで出したことがない「レビュー」というヤツを出したくなったわけです。そこでね、名前が必要なわけですよ、名前が。(やった!)と思いましたわ、やってみたかったことをやる機会ができた。

苗字から考えるわけですよ、苗字から。感覚でぱっと出た名前を、とりあえず姓名判断かけてみたりするところがなんつーか、小市民ですわな。最初に考えた名前が「涼子」ですわな。なんかこう、「涼子」っぽい女が憧れだったりするわけだ、自分ぜんぜん「涼子」っぽくないから。なんかこう、顔がすっと縦長みたいな感じしません?「涼子」。☆少ないレビューの向こうに眉をひそめて「これね」とかやってそうな、なんか鼻筋通った美人みたいな感じの。「涼子」には何をつける?えっと、そうだ「田之倉」だ。「田之倉涼子」って、なんかこう美しくね? 姓名判断もなかなかよかった、わーすてき。

やめました。なんで?「田之倉」って三文判が無さそうだから。せっかく勝手な名前使ってみるなら、百均でハンコ買ってうふふとか眺めたいと、唐突に思った。

ものすごく田舎っぽい名前がふっと頭から出てきた。これでいこう。ということで、Amazonで一人の「新しい名前をもつどっかのおばはん」が現れました。なんて名前? それはトップシークレット。いや、なんてこともなく、たいしたもんでもない、ただのお遊び。

2017-06-20

[]新しいパソコン

すっかりパソコンを開かなくなってけっこう経つ。理由はいろいろある。生活の変化からエクセルワードを使う頻度が極端に低くなった。タブレットでのweb閲覧が普通になった。タブレットスマートフォンでの入力に慣れた。地元ケーブル会社の都合で今まで使っていたプロバイダのメアドが使えなくなり、新しいメールアドレスになった。いろいろ面倒でGmail中心の生活になった。

それでも使うこともあるんだけど。いろいろあるんだけど。でも、気づけば年数がずいぶん経っていて、この子も昔は新車だったはずなのに…という古い子になった。しかもvistaだ。やーい使えない子だー、のvistaだ。いいよいいよネット使わないで作業機として使うからいいよと思っていたが、なんだか重くて重くてホンキでヤバい。

とか言いながらいろいろ考えて、安いノートを買った。型落ちで7万円後半。赤い、かわいい。vista機はデスクトップでそのまま置いてある。Vistaにつないでいる外付けハードディスクの中身とか、ゆっくり整理するのに使うつもり。

と、新しいパソコンから入力。新しいと言っても、購入は4月4日。しかしここから投稿は初。

2017-05-16

[]母と機器

ちょっと前に母のiPadを買い替えました。買い替え。機種変更ではなく買い替え。

母が最初に購入したのは初代機です。老夫婦二人の実家にはインターネット環境はなかったのでこれが初めてのインターネット環境でした。そのころはといえばソフトバンクしかiPadを扱っておらず、ソフトバンクの契約。

初代機が二年経過するころ、このころはほぼプラス料金無しに機械を新しくできるシステムでした。つまり新規契約をして分割払いが終わる二年経過後に古い機械を使い続ける方が損だという時代。二年ちょっとしてからiPad 3rdに機種変

iPad 3rdから4年くらい経った。機種変更で機器代がなんぼかプラスされる時代になった。上に「めんどくさい」と機種変を拒み続けていたのですが。いやー、おかあさん。もうソフトバンクをやめようよ。

アップルオンラインストアからiPad Air 2を購入。オンラインからの購入で刻印サービスがあり、母の名前と購入日が入りました。そしてソフトバンクは解約。イオンモバイルを契約。1ギガ480円2ギガ780円4ギガ980円。通常は1ギガ契約で、姉や姉家族が滞在しているときは4ギガに契約を変更。デザリングできるからね。非常に快適に使えています。機器代金を24回分割で計算しても全然こっちのほうが安くなった。また、SIMカードの契約をわたしわたしの名前でしているのだけれど、使用料のチェックや契約の変更等、すべてこちらで行える。母は快適に使うだけ。快適。

さて。母の以前の愛機たちですが。iPad初代機は、うちで「時計」になっています。メールはとれるがインターネット閲覧は遅く、また、すぐ落ちる。など使い物にならない機械になっていた上に、とうとうホームボタンが動かなくなりました。ホームボタンが動かないことに関してはAssistiveTouchを利用。あとは充電台に設置したまま時計アプリを常時表示させています。iPad 3rdは使ってるよ、使えるし。しかし重たいですよ、あれは。母のところにいってairを手に取るたびに感動するね「軽い!」って。

母がiPadを使い始めたのは2010年の秋、77歳から始めたiPadのある生活ですな。今月84歳になりました。使い始めた当初は周囲にそんなババアは少なかったのですが、最近では仲間内にスマホババアが増えたそうで。まだガラケー?などと言われたりしているらしい。母は検索やら自分からの発信やらには熟達しているのだが、自分のペースじゃないときに「呼ばれる」とか「答えなきゃいけない」だのにとんと関心が無い。無いばかりかいつまでたってもそれらに対応しないし、したくもないらしい。なので「いつでも持ち歩ける小さいアレ」についてはどうでもいいらしい。

自分のペースじゃないときに「呼ばれる」とか「答えなきゃいけない」だのにとんと関心が無いということについては、ガラケー持たせてもほぼ同じ。待ち合わせは待ち合わせであって持って歩く電話で調整なんてやる必要がないことと思っているし、呼ばれったって着信音なんて聞こえやしないときだってもうあったりまえによくあることで。

それでも母が呼ぼうと思えばすぐに娘が呼べるのだという携帯電話機を母が持っていてくれることは、わたしにとって必要なことだ。ガラケーという名前にふさわしいようなガラパゴス的進化機能もいらず、電話が持ち歩ける電話として使えればそれでいい。以前もっていた携帯電話機を見る顔の、機器に向けられる視線のあまりの愛情のなさから「デザインがかわいい電話機」を持たせることにした。わたしが「それならこれ!」と思うものはもう一種類しかない。生産も販売も修理さえもとっくに終わった機種ではあるが、まだまだインターネット上には新品同様の中古も美品中古も存在する。いい出物をヤフオクで落として母に渡した。ほぼ未使用で電池性能もばっちりだった。機器持ちこみで934円のホワイトプランのみの契約。思った通り、以前の機器よりまだ「使う」。しめしめ。

816sh ビビッドピンク

2017-03-08

[]お詐欺なおとしごろ

近所を歩いておりました。まっすぐな広い道でありました。そのまっすぐな道は車が行き交う道とのT字路に突き当たる道でした。そのT字路の向こうには、去年できたばかりの高齢者施設がありました。その施設の概要はわかりません。2階建てで個室が並んでいるのが表からわかる。少し大きめのコーポ、ちいさめのマンション、でも入り口が大きな集合住宅みたいな、そんな感じの建物でした。

わたしはT字路に向かってまっすぐに歩いていました。T字路のところに横断歩道がありました。そこで向こう側に渡っていこうと思っていました。それでわたしはまっすぐに歩いていました。

まっすぐの向こうに、誰かの視線を感じました。T字路の向こうに部屋が見えました。部屋のカーテンが少しだけあいていて、帽子をかぶったおじいさんが立っていました。ニットの帽子です。おじいさんがかぶっているので、要するに三角の毛糸の帽子です、ラクダ色みたいな、そうそんなヤツです。

帽子を被ったおじいさんは、立ってこちらをずっと眺めていました。おじいさんは窓からずっとまっすぐ前を眺めている。わたしはそのおじいさんの方向にまっすぐ歩いていました。おじいさんとわたしの間にはそこそこ距離があったので相互に「単なる景色」と流すのは、それはできたと思います。でも。

でも、なんとなく、いまさら視線をはずすのもなんじゃないか?とわたしは思いました。それでわたしは、ちょっと遠くのその帽子をかぶったおじいさんに笑顔を向けて軽く会釈をしました。わたしからは帽子をかぶったおじいさんの表情は全くわかりませんでした。そんな距離、そんな明るさでした。

わたしが笑顔でちょっと小さく会釈をしたら、帽子をかぶったおじいさんは片手をひらひらさせました。会釈をしたわたしに手を振ってくれたのです。わたしはうれしくなりました。うれしくなったので、わたしは両手を大きくひらひらさせました。

ピシャ! すぐ近くではないですし、音が聞こえる距離でもありません。でも、そんな音が聞こえたような気がしました。そんな音が聞こえるような素早さとスピードで、カーテンが閉められました。そこにはカーテンがきっちりしめられた窓があるだけでした。

悲しかったです。女性性として男性性に気をつけなければならない時代を超えて、もうすっかりおばちゃんです。何も怖がらずに素直に両手を広げてひらひらさせられる年齢になったという自由謳歌していました。でも。

気がついてみればというか、そうかと思いました。そうした施設の窓の向こうにいる方にとって、わたしはどんぴしゃでお詐欺なお年ごろなのではないかと。優しく近づいて墓だの印鑑だのの契約を誘う女の人、そんな人がニュースだのワイドショーだの週刊誌だのに出てくるのを見たことがありますが。たぶんそういう危険人物に近いような年代、犯人像に、わたしは近くなったのではないか、と思いました。

まあ実際、なんであのおじいさんがあんなに傷つくタイミングでカーテンを閉めたのかはわかりません。同じような時間に同じ場所を歩くことはよくありますが。そのカーテンが開いていることを見たことはありませんし、帽子をかぶったおじいさんを見たこともありません。わたしは、わたしは。手を振ってくれたのがうれしかったんだけどな。