S嬢 はてな

2005-10-30

[]今後のネタ

■「文章を書く」と「文章に書く」とでは、だいぶ違った意味に感じられる。さいきんは「文章に書く」ことを意識している。/ 代替怠惰

 コレ、最初に読んだときに、とても印象に残った。「違った意味」に思い切り「そうそう」と思った。そしてそのまま、なんとなく、頭の隅にあるともなく、忘れることもなく、残っていたもの。

 で、「おい」という展開。

■体験を体験のままに閉じ込めておくこと / 代替怠惰

S嬢さんも気に入った「文章に書く/文章を書く」という枠組みを用いてそのうち書いてみたいですね。書かないけれど。

 視線だけ飛ばしまくって、口説いてくれない男みたいだコイツ…。口説いてくれなきゃ行動するか、のノリで、ネタにするかなあ、このテーマ。

 と、言ってるだけで、そのままにしておくかも。

2005-10-29

[]ブログ人口:大胆過ぎる仮説

Google「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」で検索した結果

この、ある動物園のひとつの試みは、参加者が約1300人。一家族の平均人数を仮に4人と設定して、325家庭。

325家庭の中で、1人か、ブログ持ちは。

ちなみに障害児同居世帯は、通常よりもパソコン普及率は高いと思う、情報収集のために。

[]子どもを大人にするということ

・「障害をもった子ども」を「大人」にするということ

・障害をもつ赤ん坊と「祖母」

 根底のテーマは共通ですね。

 あまり公言できないお話ですが。生後まもなくの長期の入院をした娘が、「やっと自宅で暮らせるようになった日々」の中で。娘の障害を思いながら、この子の持つ障害ゆえに、わたしはこの子を手放さなくていいのだという「喜び」を思った瞬間がありました。障害を持たずに生まれた息子に対して「どうせこの子は大人になればどこかに行ってしまう子さ」と思った瞬間がありました。

「愛情」というものの裏に潜む可能性のある醜さですわね。

 障害をものともせず「巣立ちを目指す個性」を持った娘によって、この醜さは自認と共に崩壊。そういや「巣立ちを目指す個性」を持っていたのは自分もそうであったと改めて認識。着々と、親から離れていこうとする娘の個性が、今はとても頼もしい。

「子離れを認めない母親の醜さ」について書かれた作品として、下記は名著。

遠ざかる足音 (文春文庫 そ 1-11)

遠ざかる足音 (文春文庫 そ 1-11)

2005-10-28

[]はてブコメントにレス

はてなブックマーク > S:今日の一言 - 「商品」としての文章

2005年10月28日 riechang55 『[blog]いろんなことに配慮してレスしてるのに本人に一番伝わっていない>掲示板

2005年10月28日 lsty 『[blog]辛口だ。でも、ただでも読みたくないようなドアホウな本はたくさんあるよ。コンビニ売りの新書とかさ。』

>riechang55さま

 これはよく出てくる「馴れ合いの同意」というよりは、「友人の共感」と呼びたい。行間をよく読みとってくれていることに感謝。

 自著を「売る」という行為以前に、障害系の良書はたくさん存在していて、それを「読む」ことにも熱意注いで欲しいと思うのだけれどね。その良書が一般的には簡単に目にふれないところにあるということを認めるならば、自著も本人の思惑通りに「認められる」ことは難しいということも、まあわかっているべきだと思うのだけれどね。でもなあ、「障害感想文」なんだよなあ、あの文章は。

 障害系の良書は一般的には簡単には目にふれないところにあるけれど、でもそれは、一般的な書籍の棚と比べれば、という話で、自著を売るための宣伝行為の書き込みができる掲示板を検索でさがしまわるのなら、障害系の個人HPに書籍紹介のコンテンツを持っているサイトは多いってことにも気づいて欲しいなあとも思うんだけどね。

 ちなみに、atelier F.F.にコメント入れようと思いつつ、時期を逸したもの。該当記事は映画『わたしの季節』映画と直接関係無かったのも、躊躇して入れなかったことのひとつ。実は入れようと思った内容は、以下の書籍に関してのこと。

はだかのいのち―障害児のこころ、人間のこころ

はだかのいのち―障害児のこころ、人間のこころ

びわこ学園の園長だった方の著書。良書だよ、良書。図書館で借りて読んで、転居して最寄りの図書館に蔵書確認して再度借りてきて読んで、そして結局購入した。まあ、重心の子になんぞ興味もへったくれもないという場合は、ただの「本」かもしれないが、「命」というものを考える良書だとわたしは思う。

>lstyさま

ふむ、辛口ですな。

でも、この会社の立ち読みページ、ウェブ上で個人サイトに書かれた力作として読むと、けっこうおもしろいものもあるんですよね、買うかどうかってことは別として。

「商品」ではない「非売品」のおもしろさってのもあると思うんだけどな。

それがどこかすましたような感じで「売り物ですから」って線を引かれることには、それなりの査定をされてしまうことも受け取っていかなきゃいけない覚悟はいると思う、「商品」にするってことは。

ちなみにわたしは書籍は図書館、CDはレンタル、リサイクルショップは常連の「貧乏人」なので、こだわるところがあるかもしれない。千円を超える本を買うときは、気持ちはかなり「がんばって」買います。

アマゾンアフィリエイトの報告で、わたしがブログ上で出した本を買っていただいた方で、マーケットプレイスから「90円」で買った人がいた。わたしが良書と出した「あの本」を、90円で買った方に、「おっ、やるなあ」と思いました。

2005-10-27

[]「商品」としての文章

 共同出版/協力出版というものを出版する会社のサイトの中で、出版した本の一部がウェブ上で読める「立ち読みページ」というコンテンツがある。ざざっと読みつつ思うことは、なぜこの人たちはブログなりHPなりだけでは満足できないんだろうということ。他者の財布から千円以上の金額を出費させられると思う自信の根拠って何だろうと真面目に思う。

☆お好きなジャンルを選んでどうぞ

http://www.meisou.com/bunyabetu.html

2005-10-25

[]ここの更新、三日も空いたのか

 秋の花粉症らしく、鼻、むずむず。

 くしゃみというのは「表出スタイル」に個人差があり、クシュンと小さく出るくしゃみはかわいい。わたしは盛大にくしゃみが出るタイプなので、とても恥ずかしい「ハークション!」。「ハー」も長いが、「クション」は爆発的。電話をしているときにくしゃみが出ると相手は驚く。遺伝なのかなんなのか、父は「ハッケン!」と聞こえるくしゃみで、母は「ハーヒェー!」と聞こえるくしゃみ、2人ともけして小さいくしゃみとは言えないと思う、姉は普通。

 ちなみにわたしはシャックリも音がでかい。コントやギャグでやる「酔っぱらいのシャックリ」に酷似。笑いすぎると出る。シャックリだけでウケが取れるので、中高生時代は授業をつぶそうともくろむ輩によく授業中に笑わせられて、教師が非常に迷惑した。シャックリが出るたびに教室中爆笑に包まれて、怒った教師に保健室に追放された経歴アリ。ごめんなさい、出るものは出るんです。酒飲んでいるときに笑いすぎてこのシャックリが出てしまったときには、「酔っぱらいです」と大声で叫んでいるような状態になる。「酔ってない酔ってない、ヒック、だから酔ってないってば、ヒック」、その繰り返しがいかにもお笑い的で、自分でもウケてしまうので、余計にエンドレス状態に拍車かかる。くり返しますが「笑いすぎると出る」ので、酒気帯びかそうでないかはこのシャックリの発生に関係はありません、本当です。

[]駄文にゅうす

 リンクミスということで、カテゴリアドレスから記事アドレスに修正。このことを知らせた記事が10月24日更新分で被リンクリンクタイトルにつけ加えられた「リンクミスの意外な効能」がいいなと思った。数日で流れていく津波アクセスより、相手の「個人」が見えた瞬間というものが、わたしには貴重。

[]「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」参加レポ

 レポートという名の「記憶のアルバム」。いつかこの日の内容を知りたいと思った人が検索で見つけてくれればそれで良し。

2005-10-22

[]はてブコメントにレス

はてなブックマーク > S:今日の一言 - 単なるミス?それとも意図?

2005年10月22日 kanimaster 『[NS] 十分過ぎるくらいアプローチかけまくりだと思います。』

 被リンクという形でアプローチをかけてくるのはニュースサイトの方が先。そして起きる津波アクセス。言い方は悪いが「やられっぱなし」ではつまらない。そしてかけるアプローチにのってくださると相手の「個人」が見えて、わたしはとても楽しい。

 ただし、こちらがかけるアプローチに図らずも乗ってくださる方が多いので、調子にのってるかも? 最初はこんなにのってくれるとは思ってなかったしね。

2005-10-21

[]単なるミス?それとも意図?

 駄文にゅうすで被リンク。ここから200近いアクセス。これは予想通り。

 しかし、予想に反したこと、わたしはこれを駄文にゅうすの記事上では見逃した。gooのアク解で発見。記載されている記事タイトルで飛べるアドレスは、記事アドレスではなくカテゴリアドレス。つまりここから動員された閲覧者は、記事にではなくカテゴリに飛び、スクロールすれば同カテゴリの他の記事を閲覧することができる。

 これは、以下の文章が成立しなくなる行為だよね。

ニュースサイトは、ブログから記事を切り取っている。

その記事のみが評価対象で、そのブログが評価対象ではない。

(ニュースサイトがブログを殺す/304 Not Modified)

 こういうことってアリ? 単なるミス?それとも意図? 駄文にゅうすにも、記事上で「お手紙」?

 でも、「ニュースサイターにアプローチかけまくるヤツ」になるのは恥ずかしいし、単なるミスだったら、もっと赤っ恥だ。うううう、ちょっと悩も。

 いや、多分、十中八九、まちがいなく「単なるミス」のはず。だって、しばらくこのカテゴリに新記事、入れられない。

[]続「共同出版/協力出版」というもの

 商品としての本を出したきゃ、自費出版をやってない出版社に原稿を持ち込むことだと思う。プロの編集者が商品として認めるかどうかが、当たり前の登竜門だとわたしは思う。そしてその登竜門をくぐってさえ、在庫を抱えて廃棄される本は山ほどある。

 「共同出版/協力出版」で、自分の本が商品として成立すると思うのなら、積んである本に書籍紹介のポップを出している近場の本屋に行って聞いてみればいい、この原稿は本にしたらお宅におきたいと思うものか否かと。たいがいにおいて、しっかりと現実が見え、自費出版を手がける出版社の「共同出版/協力出版」を誘う「薦め方」に、いかに営業トークが混じっているかはっきりと知るだろうと思う。認められるということに大金を積んで得る「近道」なんか無い、それが現実というものだとわたしは思う。自分の本の行き先をコツコツと自分で探し回らなきゃいけなくなるのなら、大金を積んで近道を得ようとするよりも、妥当な金額で自費出版を選ぶ覚悟の方が潔いとわたしは思う。

 公立図書館の「廃棄本さしあげます」という催しに何度か行ったことがある。山積みの真新しい書籍は自費出版なのか「共同出版/協力出版」本なのか、わたしにはよくわからなかった。ただ、チャンスを求めて公立図書館寄付されただろうその数種の真新しい本の数々は、一定期間の年数を経ても、ページを開かれたことがないような煤けた新品として投げ出されていた。末路が哀れで何冊か「拾って」帰ったが、残念ながら廃棄にせざるを得ないという域を出るものは何も無かった。得たものは、捨て猫を拾って再度捨て直すような後味の悪さだった。

 20代前半の頃、友人の中に、当時学生だった男の子がいた。彼は自分が書いた小説を何度も大手出版社に持ち込んでいた。彼の小説は認められなかった。でも彼の作品に注目した編集者がいたことが縁で、彼はその大手出版社バイトを始め、卒業後その会社に就職編集者として直木賞作家を生み出し、今では日本の出版文化の中で有名な編集者になっている。

*追記:自費出版という名の巨額の道楽について。/日々是自己主張トラックバック

[]ミスでもなんでもい〜や

ちゃんとお礼は言いましょう、儲けたことは事実です。お礼が無事伝わるように、記事から数回、駄文にゅうすに飛んでおこう。

2005-10-20

[]フォント

 昨日から立ち上げる度に、はてダフォントが変わる。CSS確認、更新しても反映されない。気づいてみたらヨソのはてダを閲覧しても同様。うちのPCが変なのかな。明朝はヤだ、ゴシック体がいい。gooは異常なし。

[]ニュースサイト

 駄文にゅうすでの10/20記事に被リンク発見、こりゃ、今日から津波アクセスが押し寄せてくるはず。どこのニュースサイトがどの記事を持っていくかで「ニュースサイトの個性」が見えるんだろうなあと思いながら、どこのニュースサイトがいつ何を持っていったか記録などとんと取ってないので忘れてしまった。今回の被リンク該当記事は、はてブは「1」の記事だなあと思いつつ、そういやまなめ氏の304で「ニュースサイトの巡回ブログになる」ってのがどーのとかいう記事があったような。ちょっと再読したいのでさがしてこよう。

[]304 Not Modifiedを、うろうろ

 304に行っても、「ニュースサイトの巡回ブログになる」ってのがどーのとかいう記事はわからなかった。どうも記憶にあるんだけど、これはまなめはうすのコメント上でだったんだろうか。コラム−目次を探し回る。

 ただし、発見が一個。「表現力」「疑問力」、こういう「○○力」ってフレーズをまなめ氏はよく使ってきたなあと思う。その流れの中での「文章力」だったんだと。「疑問力」って言葉の方がよほど「まなめ的使い方」だったと思うのだけど、閲覧者には「文章力」って言葉の存在の方が大きかったのかもしれないと、素朴な感想。

2005-10-19

[]新記事:自費/半自費出版本から 記事上げの動機

HPの掲示板に「書籍の宣伝のための投稿」を入れられて、立腹が動機。

ウェブ上で一部が読めるその書籍に対して、わたしは「商品としては評価ができない」と判断。

んじゃ、「商品として評価できる本」ってどんなのよ、と、自分にツッコミ

これだよ、これ。ということで記事上げ。

まあ、相手がどうのということでなく、自分が納得するための行動。

[]新記事:自費/半自費出版本から 記事上げのために調べたサイト

要するに、共同出版/協力出版と呼ばれるものの類は、執筆者は「自分の本を商品として購入してくれる見えないお客」を想定しているのに対し、出版社は執筆者が確実に「お客」という存在なんだということ。これを認識して出版する人とそうでない人が存在するんでしょう。

うがった見方をすれば、単なる自費出版ではお客にはなりにくい人に、書店に並ぶことをイメージさせること自体が「セールスポイント」であり、もしも売れなかったらリスクは執筆者が背負い、もしも売れたならば出版社に利が転がり込むという図式。

このことを認識している「大人」が利用すべきチャンスだと思う、共同出版/自費出版というものは。自己顕示欲というものがあり、またそれをビジネスとする欲があり、世の中、キツネとタヌキ、ということを認識していないと現金はあっという間に他者の利として消えていく。こうした共同出版/協力出版にもヒット作はある。それが自分も得られると思う安易さということ、そこで出た結果を背負うのはやはり本人であるべきだと思う。

以下の本は、わたしは出版社がどうのとか全く知らず、「書籍」として評価して書店で購入。再版され続編も出た「成功例」。

『 たっちゃん 』−普通学級に入った障害児の一年−

 (てっちゃん通信「お薦めの一冊」より)

2005-10-18

[]特別な人

医師が主宰の、ダウン症子どもを育てるメーリングリストに参加している。まあ、発言というものも入れる。時々、ここの参加者から個人宛てにメールも入る。

以前このメーリングリストでは「たったひとつのたからもの」放映時にブログアドレスを渡したことがある。その後、ブログに関しては「そんなものありますか?」のように知らん顔を続けているが、続けて閲覧している人間はいるらしい。でもまあ、障害関連拾い読みってとこなんではないかと勝手に解釈。

この参加者で、リアルで知っている人間がいる。彼女は他の参加者とも実際にリアルで交流があるようで、よく聞かれるらしい「あの人は実際はどんな人?」と。なんと答えているか特に聞いてないのだけど、いや、ちょっと怖くて聞けない。わかっていることはこのメーリングリストの参加者にとってわたしは「なんでも知っていて優しい」という「特別な人」で、彼女にとってのわたしは「等身大」だということ。

この彼女はわたしが参加しているダウン症の親の会のメンバーであるわけで、以前、家族レク行事で初めてここんちのダンナに会ったときのこと。(ここんちのダンナは「メーリングリストでのわたしを知っているが実際のわたしを知らない」人間の1人でもあった)

「イメージ、全然違う」

このダンナ、ブログにまで閲覧の手が入っているのかいないのか怖ろしくて直で聞いていない。しかしニョーボ経由でこのダンナから「渡して欲しいもの」がメール添付で来たときに、「『お嬢様にお渡しするように』と。ここ絶対だからと言われた」と。おお怖い。

ちなみに渡してもらったのは、よくあるアウトドアのテーブルにつけるでかいパラソルを持って「レースクィーンごっこ」をやった、要するに派手にバカ丸出しのお写真。ここのメンバーのママたちはそんなことにはもう慣れっこで、「はいはい」と相手にしてもらえなかったのを気の毒に思ったのか、このダンナだけが「かまって」くれたもの。彼の「イメージ全然違う」の根拠は、こんなバカ騒ぎをやるヤツとは思わなかったということらしい。

今日はこの彼女に会う、彼女はそうそうネットにはつないでないようだからまさかここまで閲覧の手は届いているまい、と、ふと不安。いや、恥ずかしいから。ネット上というのは「精神ストリップ」の要素があるのでリアルでもともと知っている人とからむのは恥ずかしいよね。

ブログで始まったご縁で会ったことがあるのはリエとπさん。2人とも「イメージ通り」と言ったので、ブログでは特に実態とかけ離れてはいないのかもしれぬ。特にπさんは力強く顔面に指をさしながら「イメージ通り」と叫んだ。

人に指さしちゃいけないのよ、ふ〜んだ、それに「イメージよりかわいい」って言うのがマナーだろ、マナー。でもまあ、「特別な人」になるよりは居心地はいいけどね。

2005-10-17

[]日曜は、町内会・自治会対抗運動会

年に一度のこの運動会は、うちの町内会が「燃える運動会」、18チーム参加で昨年は準優勝。同じ主催の夏の「子ども会対抗ドッジボール大会」にも「燃える人」は多い。

「燃える」のはいいんだけど、「雨」に対しての感覚がわたしはいつも違和感。

体育会系の人、サッカーや野球のチームに入れてる人、こういう方々は「雨の中で競技」というのが意識として慣れっこなんだと思う。でもわたしはイヤなんだよね。なんでレクリエーション行事で、ずぶ濡れの中子どもが競技しなきゃならないんだ、と思う。

昨日もそうだ、どんどん降ってくる雨に競技に出場した子どもたちは髪や肩や背中を濡らしてテントに飛びこんでくる。天気予報は「雨は朝方まで」、そして朝は雨は上がっていたからタオルだの傘だの合羽だのと持ってきていない子どもばかりだ、親が来てるのはほんの一握り。

町内会の役員に言う、「近くの100均にわたしが行ってくるから、タオル購入の予算を出してくれ」。

返ってきた答は「出場すればどうせ濡れるんだから同じこと」。

…、アンタね。アンタの感覚はそれでいいかもしれんが、わたしはイヤだ。

もうわたしは役員ではないとはいえ、役員が引率してきた子どもたちが濡れたままになってるのはど〜しても我慢ができない。

子ども会の現会長に「タオルを買ってくるから予算は出るか」と聞く。「出します、お願いします」と答える。会長経験者の言葉はちょこっとプレッシャーを与えているのか。かまわん、出さないと言われたら自費で出す意志はあったしね。

出場競技から帰ってくる子どもたちにタオルを渡す、髪や肩をふいてやる。何やってんだ、大会関係者は。こんな雨の中やりたかったら、プログラム変更をとっととやって、雨でもやりたい大人の対抗競技を先に持ってこいよ。なんで未就学児の「オヤツ競争」やら低学年対象の「親子競争」やらをこんな雨の中やるんだよ。

アナウンスでプログラム変更が伝えられる。高学年の「マラソン」の距離が半分になる。だからなんでこの雨の中、小学生にマラソンやらせるわけ?

「ちゃんとふきなさいよ、濡れたままにしていてはダメよ」

テントの中で大声をあげながら、子どもたちをふく。「出場すればどうせ濡れるんだから同じこと」と言った町内会の役員にはものすごいイヤミな行為だったと思う、かまうもんか。

開会式途中から降りだした雨、結局中止が決まったのは11時半過ぎ。「やってるうちに止むだろう」は結局「やまなかった」という展開。強引な施行の結果に体が冷えた子どもたち。

どうもわたしは「体育会系」にはなれそうもない。

[]新記事:「消化不良」を消化

↑の文章書いて、新記事:消化不良を消化。

そうか、わかったぞ。

本文中の「『自分たち』以外の人間関係を成立させることができない子ども。」

この子たち、家庭でしか育てられていない。

地域の子ども会という育成団体が無い地域、あっても活動参加率が悪い地域、野球やサッカー等の活動に参加していない、そういう子どもたちにこの手の子が多い。

親と担任の教師くらいしか、「自分たち」以外の人間関係を成立させる習慣・経験が無い。

なるほどね。

やっぱり、子どもっていうのは、親だけじゃ育てられない。

そのこと、大事なんだな、と思う。

障害がある子を持ったから、親だけで育てるのではなく地域で育てることを常に考えてきた。障害がある子にとって、地域の理解というものは育つ上でとても大きい。

でも、子どもが地域で育つってことの大切さは、障害のある無しだけじゃ語れないんだろうな、きっと。

ウチに遊びに来る子どもたち、来たときには必ずわたしが玄関のドアを開いてやり「いらっしゃい」と声をかける。帰るときには必ずわたしが玄関のドアを開いてやり、外に出て姿が見えなくなるまで見送ってやる。

「いらっしゃい」と声をかけないと、黙って入ってきて靴を脱いで上がっていく。声をかけると「こんにちは」だの「お邪魔します」だのが出てくる。帰るときに「気をつけて帰りなさいよ」と声をかけると、「『自分たち』以外の人間関係を成立させることができない子ども」も挨拶を返す。

そういうことって大事なんだな、と改めて。高学年になってきて「大きい子」になってきたけれど、まだまだちょっと関わってみようかな、と思う。

勝手な感想で言えば、見送ってやるときに一度ふり返ってくれる子はかわいいな、と思うな。

2005-10-15

[]空からチャンスが降ってくる

P-doco?miniの話を記事上げしたのが去年の11月。

その記事に、機器をくださるというコメントが。

続きを読む

[]「伝える力」を身につけたい反応集

まなめはうす 2005-10-14 (Fri) 09:21

またまたうまくまとめられちゃいました。あの記事を書いたときの自分は、伝えたいことをすべての人に変わらずに伝える力を文章力としてとらえていました。いろんな人の記事を見て、だいぶおもしろくなってきました。

以下、とてもとても勝手に言うけれど。

まなめさんの文章はいつもどこか「スキ」があると思う。その「スキ」ってものは、想像力で簡単に埋まるものだとわたしは思う。そういうとこが「スキ」。…ってベタだ。。。

でもこれは時々、ツッコミどころになると思う。読みようによっちゃ、読み手の個性によっちゃ、解釈いかようにもなるってとこがある、これも「触発」だよね。この辺が、えっけん氏の「触発」と対称的なところだとわたしは思う。そして、それで返ってくるものから拾えるものも大きいと思う。

両者とも、「触発」の結果をいつもちゃんと拾おうとしてることには好感。

観客席からの挨拶はどうするんだろう・・・/すずかどう

その可能性に賭けてみたい。

賭けてみましょう。

経験は、経験した場だけにとどまらない財産になる可能性がある。

経験を財産にしていくかどうかも、全て自分次第。

「伝える力」を身につけたい (S嬢のPC日記)/caprinのヲタ更正日記

読みにくいよりも読みやすい方がいいに決まっているのだけど、言葉尻や言い回しばかりに気を使いすぎると、「自分が何を伝えたいのか」がぼやけてしまうことがある。伝えたい情熱があれば、下手な文章でもその言の葉が伝わる場合もあるということ。

わたしは「作文のうまい小学生」でした、作文や読書感想文コンクールは常連でした。

でも、ふと気づきます、文章のうまい子どもの文章は、実はつまらない。お世辞を言い慣れた人の褒め言葉に似たものが見え隠れする例が、実はけっこうあるように思います。

小学生の男の子の、特に作文の苦手な子の作文は、かなり味わい深いものがあります。ドッジボールで速い球をどすんと取ったような衝撃を感じることがあります。作文が苦手、書きたくない、でも書かせられる、書きたくないからこそ、本当に感じたことしか書けない、それを構成もむちゃくちゃで、前後の脈絡もむちゃくちゃなまま、どんと出す。

そういうのを読むと、わたしは子ども時代において、何か走り抜けすぎて損をしたような気がします。

「どんと出す」ことを持っているかどうかが、実はカギなんだと思う。

はてなブックマーク > S嬢のPC日記:「伝える力」を身につけたい

2005年10月14日 kanimaster 『[blog][goo][writing] まだ何かが足りないと感じる。S嬢さんは、伝えたいことを書ききっていないのだと思う。』

2005年10月14日 AdYandW 『[ブログ・サイト]』

2005年10月14日 london98 『[ブログ]伝えたいことを伝える工夫。していきたいな。』

むっふっふっふ。ちょっと「中抜き」したことに気づかれた方が約一名。

いいんだよ、アレで。いいの、いいの。

理由は秘密。

[]おや、お呼びかな

はてなブックマーク > S : 今日の一言 - 「伝える力」を身につけたい反応集

2005年10月15日 kanimaster 『[言及されているぞ] 「中抜き」というか、後だしジャンケンが多いと思うんですよ。』

言葉でうまく伝えられるかわからないので、まず「お手柔らかに」と。

その上で、なんですが。

わたしはこの元のまなめさんの文章は、すっと読んだんですよ。

すっと読んだ。そう、すっと読んだんですよね、文意というものがすっと自分に入った。

その後、まなめはうすを見てびっくりした。それではてブを見に行った。

あれえ、とか思った。

コメント欄見に行った。また、あれえ、とか思った。

正直に言うと、なんでこうなっちゃうんだろうと思った。

それでコメント欄に「何かが引っかかる」と入れた。

その「引っかかる」ことをちゃんと整理しようと思った。

だからまなめさんが書いたことを実は超えてないですよ、それは「後だしジャンケン」という言い方で言えばそうかもしれない。

まなめ氏いわく「うまくまとめられちゃいました」の記事だし。

上手・下手を最初に持ってきたのは、まなめさんとこの反応に「下手なくせに」みたいな感触を持ったから。

彼の出した「文章力」という言葉が「上手・下手」って要素に流れていってるように思ったから、あえて上手・下手ってことを入れた。

彼が言いたかったのは、どんな人にも伝えられる力ってのを持つことを考えるってことで、それに沿った内容になったと思う。だからこれも「後だしジャンケン」っていう言い方で言えばそうかもしれない。

うまい下手とかそういうことではなくて、↑にも入れたように、わたしはまなめさんの文章の「スキ」ってけっこう好きですしね、アレ、最初に304に行ったときから感じた彼の個性だと思ってる。

彼んとこに最初に行って入れたコメントは「私が自分のサイトを持つ理由。」って記事のとこに入っているけど、これ、ラブレターみたいですね。(人に対してではなく記事に対してだけど)

このコメント中でまなめ氏が「まとまってない」って言ってるのに対して「そんなこと考えなかった」と言ってますが、「いいえまとまってますよ」なんてことは言ってない。

まなめさんが言おうとしたことを超えていない記事上げ、これは「他人のふんどしで相撲を取る」という解釈もあるかもしれない。

でもね、わたしが書いたのは、まなめ氏の上げたあの元の文章に対してのラブレターみたいなモンでしょう、多分ね。

あの文章はわたしにはちゃんと伝わった、だからちゃんと伝えたかった。

2005-10-14

[]新記事:「伝える力」を身につけたい

実はこっちに書き始めたものを持っていった。

こっちでの書き始めは「自分に生まれるリアクションがうまくまとまらない」。

で、はてな記法で箇条書きにしていったら、まとまった。

なんだ、そういうことだったのか、と、自分でも思った。

書かずに終えたことは、「日本語を壊す文章」に関して思うこと。

とりあげたまなめ氏のこの記事のはてブコメントの「がくんと上がる」という表現が気になって仕方がない。

話し言葉で多用される「全然だいじょうぶ」は、自分の中で抵抗が無くなったのだけれど、わたしはいまだに「ら抜き言葉」には敏感だと思う。

会話で出てくる分には容認姿勢は身についたけれど、楽曲の歌詞に出てくると、今でもとてもイヤ。

「全然だいじょうぶ」に代表される「全然+肯定」使用の類に関しては、本来の「全然+否定」の「全然」における「強調」が意味をもっていった例と認識できるのだけれど、「ら抜き」は「日本語の音の美しさが単なる省略によって失われた例」と認識している要素があるんだと思う。

耳に汚い、が、自分の中で中心となる感覚。

ら抜き言葉」を耳にするたびに、「言語は使用者の多数決で決まる」という原則を、自分に対して言い聞かせる。

2005-10-13

[]gooブログ個人情報を変更

いやなに、娘の年齢が変わっただけ。

誕生日がくると、しみじみと娘を眺めてしまう。

(ああ、この子、生きてる)って思う。

すごいなあ、すごいなあ。

生きてるってすごいなあ。

死が何度も隣にあったのに、乗り越えたってすごいなあ。

IQの数字をぶっ飛ばして、オノレの可能性を自分の意志で広げていくコイツ。

すごいなあ、すごいなあ。

生きてるってすごいなあ。

「果敢に進む」ってのが、いつもぴったり来るコイツ。

かっこいいから、大好き。

[]誕生日に熱唱

丸いケーキを前にして「たんたんたんたんたんじょうび」をわたしと息子と歌いまして、娘と夫が手拍子で。

歌い終わって、「おめでと〜〜!」と大騒ぎして、ロウソクの火を「フウ〜」。

これがまあ、誕生日のお祝いの恒例行事だったんですが。

何年前だったか、息子が「歌う」を拒否。

まあしょうがないね、幼児期が終わりゃ。

いいもん、1人で歌うもん。

と、母単独ハイテンションで熱唱の時間でした、去年まで。

今年は先日の息子の誕生日に、息子に懇願されました「お願い、アレ歌わないで、恥ずかしいから」。

…。

人の楽しみを奪いやがって…。

娘の「ケーキでお祝い」は、先日の連休中に実施。

ケーキを前にして、息子が、わたしをちらっとうかがう。

(…、わかったよ、歌わね〜よ、ったく、つまんね〜ヤローだよオマエは)

自分の誕生日には、絶対に熱唱してやる!

(下記の楽譜集に「【誕生会のうた】たんじょうび(たんたんたんたんたんじょうび)」として収録されている歌で、保育園幼稚園の誕生会によく使われる曲です。その歌詞『名曲』とわたしは勝手に大推薦の一曲。)

こどものうたピアノ伴奏集 ベスト100

こどものうたピアノ伴奏集 ベスト100

[]最新の受信トラックバックに、トラックバックでお返事

トラックバックを打つという行為は、やっぱり何らかの反応って欲しいよねと思う。

でも今回のトラックバック記事に、なんやら何かしらのコメント書いても、なんか言葉がすべっていくような気がした。

彼女の思いは彼女の思いのままに、というか。

あの文章の前で、自分の経験や自分の思うこととか変に語るのは陳腐な行為だと思う。

思考したことに立ちあわせていただけたというのが、やっぱり主要。

2005-10-12

[]定期健康診断

健康保険組合による「主婦検診」。

検尿・検便、身長・体重測定、視力検査、採血、心電図乳癌検診、子宮癌検診、胃と胸部レントゲン、問診。

乳癌検診は超音波検診で、胸にゼリー状の液体をどばっと塗られて検査するヤツでなでられまくる。乳首のところで行ったり来たりする感触は、何度受けても慣れない。

子宮癌検診は、集団検診のレントゲン車と同じような「子宮癌検診車」の中に内診台が用意されていて、内診による検査。

「女」やってくのも大変よ、全く。

息子に「どんな検査だった?」と聞かれたので、乳癌検診について話す。

「くすぐったくないの?変な感じ?」と聞くので、「そりゃ、ぁ、とか、ぅ、とかって感じはするけど頑張って知らん顔してるのよ」と答える。

「女の人が検査するの? 男の人が検査するの?」と聞くので、男の人のとこと女の人のとこがあったが、わたしは順番で男の人の検査に当たったと答える。

「えーーー」と言った後、妙に沈黙しているのでどうしたのかと思ったら、深刻な顔で「大人になったら男はチンチン検診ってあるの?」と聞く。

…。

なんだそら。

いや、ゼリー状の液体つけられて、同じようなことを男はチンチンにやられるのかと心配になったと。

しかも女性の検査技師がやるのかもしれないのかと。

爆笑。

[]一人っ子の一日

娘は今日から一泊二日の宿泊学習

息子は二期制による秋休み。

ってことで、午前中にとっとと健康診断を終え、息子連れて映画を観に行く。

チャーリーとチョコレートなんとか。

ファミリー」というのがキーになっていて、ぐっと来ました。

帰りにゲーセンで、エアホッケーで真剣勝負。

楽しい楽しい「障害児のきょうだい児」が「一人っ子」になった一日。

[]最新の受信トラックバック

コメント、難しい。

書かれているそのままに見守りたいという気持ち、大。

アウトプットしていく場の大切さというもの、改めて認識。

2005-10-11

[]「女のドラマ」と「女のロマン」の思考が生まれた背景

実はこれ、シェイクスピア四大悲劇の解釈で出てきたもの。

シェイクスピア四大悲劇で、なぜ男たちは悲劇に身を投じていくのか。

シェイクスピア四大悲劇で、なぜ女たちは自分の愛する男が展開する悲劇に身投げしていくのか。

ドラマを作る男性と、そのドラマに沿おうとする女性。

この解釈をひもとくうえで「実は以前友人と盛り上がったネタ」。

この先は、長くなるのでこの辺で。

[]はてブコメントにレス

はてなブックマーク > S嬢のPC日記:「女のドラマ」と「女のロマン」

2005年10月10日 webmugi 『[女性] 体内ドラマという視点で振り返ってみよう』

当の女でさえも忘れがちな「体内ドラマ」はたくさんあります。

わたしは気分的変動が体内リズムに影響しない方なんですが、かなりの変動をきたす人を見ると、(ドラマだなあ)とか思ったりします。

動物的リズムが情緒を支配していくというか。

出産のタイミングが満潮・干潮に関係するなどと聞くと、スケールのでかいものを感じたりしますね。

若いとき、青いときは、「男関係なく自分が立つ」なんてことを荒削りに考えていたりしましたが、年齢重ねて、自分が包容的な柔軟性を持ち始めてきたのがよくわかる。

挑戦的な牙のようなものがゆっくりと柔らかくなってきたような感じで、実は今の自分の方が好きだったりします。

自分の体内ドラマというものも、柔軟に見つめて、包容していきたい。

はてなブックマーク > S:今日の一言 - 新記事「女のドラマ」と「女のロマン」

2005年10月10日 konichan 『[つわり]うらやましい・・・とちとオモタ。つわりで果物しか受け付けなかった』

吐きそうにならないかと、マネッコで何度か吐くマネをしてみた、

なんつ〜のは、なんて暢気な不届きなヤツ、ですわね。

しかし、人間の体というものはすごいもので、自分で新しい細胞を作っておきながら、自分の体の中に生まれたものを異物かどうか全身で判断する時期のようで、この「胎児」ではなく「胎芽」時期。

だからつわりという症状だけでなく、この時期に風邪を引くと一気に悪化しやすいのだそうですわ。

なんというか全身で「胎芽」に向き合ってるので、その他の身体防衛能力が免疫的に「お留守」になりやすいのだそうで。

これは体験しました、一気に悪化、すごい熱が出た。

薬飲めないからと、ぐずぐずと医者に行かなかったら、職場の先輩に一喝されて「婦人科へ行け」と。

行ったら、こっちの体調もろくに見ずに、すぐに超音波で赤ん坊の状態の確認。

「赤ん坊のため」に、母体の健康キープという考え方も、この時初めて知りました。

つわりもそうですよね、「赤ん坊」が発信するものに、母体はただ従うだけだ。

2005-10-10

[]放置

ブログのトップ記事にあげてある「ピックアップ」をそろそろ見直したい。

入れたいものもあるし、下げたいものもあるし。

と、言いつつ、過去記事読むのがめんどくさい。

まるで引っ越し前の物の整理のように、時間がかかってしまう作業になるから。

[]再読

巡回先で「閉鎖のお知らせ」が出ていた。

「障害児の親」ということで訪問されたのがきっかけの方で、福祉職ということもあり、TB送受信もあった方。

「閉鎖」ということで、そこに記載されている自分のコメントをテキスト保存しながら、TB送信した自分の記事を再読。

いや、この、自分とこの記事、コメント欄がすごかった。

3種の人間関係とのやり取りが、同時進行で、しかも濃厚。

再読は興味深く、また、おもしろかった。

「でわでわ」というたこぽんのお決まりの閉め言葉に「ダメ、まだ行っちゃ」と引き止める自分にくすくす笑った。

たこぽんとこには、はてブに入れたい記事があるんだけど、自分が入れたコメントが人に見られるのが恥ずかしいので、多分ずっと収納場所は、自分の脳内ブックマーク

[]新記事「女のドラマ」と「女のロマン」

ひじょ〜に残念なことに、わたしはつわりの経験が無い。

全然、無い。

「つらい、つらい」という話を聞きながら、この「体内ドラマ」を経験できないのがクヤシくて、二人目の妊娠のときは、やたらにいろんな臭いを嗅いだ。

でも、全然…。なんにもない…。なんでもない…。

よく聞く「ご飯の炊ける臭いがダメ」ってのでイケるかと思って、飯が炊けるたびに炊飯器の蒸気が出るとこに鼻を近づけて、ヤケドしそうになったことが何度か。

あ〜、つまらん。

でも出産は二度とも難産系だったので、これでとんとん、かな。

2005-10-09

[]はてなブックマーク

お気に入りってとこに、初めてひとつ登録しちゃった。

いや、どんどんブックマークする人が多いから、お気に入りに誰かの入れてしまうと、なんというか「情報に追いまくられる」ようなことになるようで敬遠してたんですわ。

自分のお気に入りに入れなくても、公開されているところに閲覧に行けばいい話だし、と。

でも、Ad.Y&Wさんのはてブは、何をピックアップして、さらに何に対して文章作っていくかというのを「追いかけて」みるのって、おもしろそうだと思ったんだもの。

しかし、はてブ、ちょっと疑問が。

なんでわたしのはてブって、お気に入りに登録マークが無いの?

なんか設定が変なの?

でもって、それなのに、なんで登録できている人がいるの?

ヘルプあさっても、わからなくて放置状態。

[]コメント

「見える交流」にこだわらないんだ、

と、「交流」という記事を上げてから、偶然なのか、自分があげるものの傾向なのか、「お久しぶり〜」という人のコメントが続いているような。

その中でも「あをまる」さんには「おひさ〜」という感じが強かった。

久々に彼女のとこに飛び、更新されているトップの漫画に大笑い。

青丸長屋

よたばなし体験談コーナー、オススメです。

けぇきのお話モンブラン編には、涙出るほど笑った。

文字でできない「絵で伝える」が、完成されていることに拍手。

[]迷ったけど、やっぱ書いとこ

記事下げの件。

リスキー」という言葉に「助言」の要素を感じたこと、これが全て。

感じたことが「助言」ではなく「糾弾」ならば、わたしは引き下がらなかったと思う。

他者の反応に「気兼ねして」ということは無い。

他者の反応に「おずおずと警戒して」ということも無い。

「公開された場で」ということがひとつのキーになっているので、先方の方には「公開されていない場」で、ご挨拶、送りました。

これが「助言」に対しての、わたしのひとつの回答かもしれない。

先方の方からはお返事をいただき、時と場をかえて、また出会えると思っています。

「交流」という記事は、いろいろな人の疑問を生んだようだけれど、必要だと思うときは、わたしは「見える交流」に足を踏み出すことを厭わないわ。

踏み出す勇気と賭けのようなもの、持っていたいと思う、安売りはしないけどね。   

2005-10-08

[]つながる方法

「個人ニュースサイト」にお手紙 アップ時に再読したもの

傑作記事を書き上げてしまったブロガーの悩み/304 Not Modified

あと、どこというわけではないけれど、まなめ氏とてとさんの「アクセス解析」に関して思うことみたいなのも影響したなあと。アクセス解析で受け取るフィードバックというものの存在の意義ということに対してのこの二人の「言葉」、目にしたことがあるような記憶があるのよね。

↑のまなめ氏の記事を再読していたのは、このまなめ氏の記事に、もしかしたらひとつの答があるかも、と思っていたから。

多くの人に読んで欲しいと思う記事を今後わたしが書くことがもしあったとしたら、文末に自分が載せて欲しいと思うニュースサイトの名とそのニュースサイトの傾向の説明とURLリンクとを貼り、自分はこれこれこういう理由で多くの人に読んで欲しいと思う。つきましては貴ニュースサイトに掲載して欲しい、と書くかもしれない。

そんなやり方って、もしかしたら「ある」のかもしれない、なんて思った。

公開の場で「査定されよう」という試み、かな。

ニュースサイトの管理者のフィルターを通して、ニュースサイトの管理者が「アリ」だと思って掲載するとしたら、検索トラックバックよりもずっと「多くの人の目にふれる」可能性は大きいだろうなと思うし、ニュースサイトの管理者にしても、メールでお願いされるよりも、自分がピックアップするかしないか記事自体で決められる要素と、断る自由を持てる距離をしいておけるやり方かもしれない。

[]わ〜〜い

お手紙、無事届いたみたい。

嬉々として、記事に追記。

2005-10-07

[]記事下げ

Lstyさんにお返事。

迷うところではあったけれど、「助言」として素直にご鞭撻いただくことに。

「助言」という意志、ありがとう。

[]「助言」というものはありがたいよ

はてなブックマーク > S:今日の一言 趣味か労働か コメント欄

2005年10月07日 lsty 『[コメントした][危機管理][blog]公開された「別宅blog」で本心を吐露するのはリスキーな行為だと思う。』

リスキー」という言葉を使用されたことに反応。

リスキー」と助言されたと判断。

知ったこっちゃない」と発言されているLstyさんの「助言」は、値千金かも。

納得いかないことはなかなか引き下がらないけれど、基本的に「助言」にはわたしは素直です。

gooのこわいおじさんに、以前いただいた助言にも、素直に反応。

この時の「助言」を聞いてはてなRSSの「はてなフォルダ」は「非表示」に。

この「はてなフォルダ」って、たこぽんはてダと略様はてダも入ってるんだよね、道連れで非表示です。

でも、このときの「助言」の「はじ」って、実はいまだによくわかってない。

わかってないんだけど、よかれと思って言ってくれていることは「わかる」ってことなんだけどね。

2005-10-06

[]記事上げのための資料

ひとつの記事上げのために、わたしはいろいろな文章を「再読」することがあります。

それは直接的に材料・資料になるということではなくて、直接間接含めて、自分の中の思考を引き出すための付箋のようなものかもしれない。

ブックマークやお気に入りに記録してあるところに飛ぶのではなく、「記憶の中のブックマーク」から取り出します。

他者にわざわざ公表しない「参考リンク」とか「関係記事」ってことかな。

参考:「リンク通知のあるニュースサイト?」アップ時に再読したもの

ブックマーク派?RSSリーダー派?/他人の不幸は蜜の味

自分語り系ニュースサイト/304 Not Modified

[]過去記事

「記憶に残り続ける、再読に耐える、再読を喚起する」という文章は、月日が経過しても「過去記事」にはならない。

[]はてブコメントにレス

はてなブックマーク S嬢のPC日記:リンク通知のあるニュースサイト?

2005年10月06日 lsty 『[web][IT][blog]だからブックマーク中毒にならないのか!→次から次へと流れる情報には、そんなには関心が無い。』

だってどんどんブクマしたら、大事にブクマしてるものの価値が薄くなっちゃうもの。

はてブに入ってるLstyさんの記事は、その良さがコメント欄に出てきてないのがとても残念。

あの記事、「・あまりコメントはしない。ただ淡々と挙げる。」って言いながら、言外にたくさん語っている恋愛論になってるよね、とても好き。

2005-10-05

satomies2005-10-05

[]ママチャリは乗らない

結婚するときに買ったママチャリ

前と後ろにガキ乗せもやってましたし、何度もタイヤ交換もしました。

んで、去年、「もう、コレ卒業!」と決断、ワクワクで買った自転車

カゴは付けない、余計なモノはつけない。

背中にリュックしょって、耳に音楽でがセット。

買い物は車で行くからい〜んだ、これはそういうセカンドカー。

この自転車ネギとか見えてるの、絶対イヤ!

役所とか銀行とか、自転車乗りたいときとか。

どこ行くにも坂が多いから車の方が楽なんだけど、ガソリン高騰で最近出番が急に増加。

授業参観だの懇談会だのってので小学校に行くときに使うと、自転車置き場で目立ちまくって、なんかすごく恥ずかしい。

[]昨日のアクセス数

goo編集画面開くと、ipで765。

んぎゃ! なんだなんだ? 誰が何持ってったんだ?

RinRin王国でした。

220くらいここから来てて、ざざっと眺めても、何持ってったんだかわからん。

あった、あった。

最近、巧妙な言い方で個人情報を聞き出そうとする電話が子ども絡みで増えていている(S嬢のPC日記)

 昔から有る様な気もする。

 RinRin王国10月3日

ご注意、ご注意に454pv。

そ、そ、そんなに大騒ぎでみんなで見る記事でもないよ、コレ。

[]クヤシいこと

見ていたはずなのに、見落としたぜ。

昨日だか、おとといだか気づいて、ツッコミ入れる機を逃したようで、えっれ〜〜、クヤシい。

でも、このまま流すのもクヤシい。

あとリンク見出しに「カギ括弧」をつけることをS嬢メソッドとよんでいます。

黒板ぽ 9月27日

うはははは。

↑、意識して「」はずしたトコがあったりして。

そう簡単に法則にはさせないもんね〜〜。

つ〜か、まなめ氏もきをふしクンも、いわゆる影響力のあるニュースサイターだと思うのだが、やんちゃさんなのがかわいくて楽しくて、ニコニコしてしまう。

って自分、「女の子のブログ」見て喜んでるオヤジといっしょかい?

違うよっ!

(いや、ちょっとそうなのか?)

2005-10-04

[]必然性があれば脱ぎます

この「必然性があれば脱ぎます」っていうフレーズ、どの世代まで通用するもの?

確か、'80年代に誰かが言った言葉で、それがひとつのフレーズとなったものという記憶があるのだけど。

語源をしっかり知りたくて検索かけてたら、おもしろいサイトがごろごろ出てきた。

ゆっくり全文読破してみたい。

1999年10月8日 ヌードの必然性 /高樹 洸 webColumn

私、必然性があれば脱ぎます/たらんりんろん

[]脱ぐ必然性があったのか

なんか、こう、くっそーと思う。

「交流」という記事に関して、なんでわたしは異論に対しての反応みたいな言動をしたんだろう。

必然性も無いのに脱いだ気分だ。

なんか、大事なものを字面に出して、陳腐にしてしまったような後悔。

[]10月15日の予定

午前中はちょっと用事あるのですが、午後なら空いてます。

東京都千代田区の日経BP社内会議室に、行きたいな、と思っています。

と、いうことで、

エプソンダイレクトの「Endeavor NT340」欲しい!

ノートPCのモニター募集/takoponsの意味

ありがとうね、わたしのために記事上げしてくれて。

この日に現地に行けないあなたに代わって、わたしが当選しておきましょう。

モニターになった暁には、トラックバック入れるわ。

エプソンダイレクトの「Endeavor NT340」欲しい!

2005-10-03

[]やれやれ(クレヨンしんちゃん風に)

key.blogdns.netトラックバック自動送信機能をやめたらしい。*1

心底、やれやれ。

表示されるブログに自動で送られるトラックバック。この機能に関して、対象となる検索ワードが「単語」というもので、突然トラックバックが送られてくる迷惑を語られている人をネット上で眺めながら思っていたのは「わたしがこのサイトから送られるトラックバックで実際経験したものは、以下のものだけ」なのだということ、それも複数回に渡って。

  • 「えっけん」
  • 「むだづかいにっき」
  • 「ekken」
  • 「S嬢のPC日記」

「えっけん」「むだづかいにっき」対象の最初のトラックバック送信はご自身の検索行為で起きてしまったことと明言されていますが。*2

でも、その後もあったよね。「ekken」ってのもプラスされた。

そして「S嬢のPC日記」は都合二回、ですかね。

いや〜、この一覧(多分最近の上位から10件)にははてなブログがたくさん出てくるので助かりましたが、そうじゃなかったら、ちょっとねえ。

表示されるところに迷惑をかけるのは、イヤだったなあ。gooは早々に、ここから送られてくるトラックバックの受信を切ったようで、ありがたかったです。

騒ぐことが宣伝になるって要素はありますが、自分とこのブログ名が検索対象になって自動トラックバックが行われたってことになると、なんというか、言わなきゃ対処がどうもってとこがある。

こうやって、わたしも「宣伝の一派」に使われた要素があるのかと思うと、ちょっとクヤシい。

[]最新記事「交流」

ひょえ〜〜、なんかはてブコメントが怖いよ〜〜。

公開してる場に出してるんだけど、なんか、審査されてるみたいで怖いよ〜〜。

こ、こ、これが公開してる場に立つってことですね、と改めて。

一番最近、はてブにいれたヤツが黒板ほ゜ > 2005年09月23日

これ記憶にインパクトが強くて、はてブもせず、記憶の中だけのブックマークだったのだけれど、忘れないうちにとはてブ

すごく好きなのは、

「ここは、ここは、ぼぼぼぼぼぼ僕の居場所なんだ!」ってとこ。

これなんか、なんというか字面で声が聞こえてくるというか、

聞こえた声を、わたしは「聞く」。

それって「交流」じゃないのかな。

わたしには「出されたものと交わしている『交流』」だったんだけどな。

まちがいって言われても、なんというか、困ってしまうな。

で、この「声が聞こえるような感じがした」なんてこと、なんか恥ずかしくて言えないし。

相手の世界に変なテンションで介入するようで言えないし。

だから、そのままにしておきたいんだけど、はてブに入れた時点で「交流」が成立するってことなのかな。

コメントを交わしたことのある相手、アクセス解析がついているサイト、RSSに登録。そういうことで「うすうす見える相手」になっていれば「交流」になるのかな。

同じことを感じても、こういうことが成立していなければ「交流」にならないのかな。

でも、わたしにははてブに入れようが入れまいが、「出されたものと交わしている『交流』」だったんだけどな。

トラックバック記事はおもしろかったです。

2005-10-02

[]ゴメンね、ママ

ママ、ママ、ゴメンね、ママ。

全く関係の無い場面で自分の行動の弁解に「サバイバー」という言葉を安易に使ったあなたの言動に、がんがん怒ってたけど。

怒っていたものは、もう水に流しましょう。

生まれたひとつの交流を、わたしは支援する側に回りましょう。

Unknown (鉄人ママ)

2005-09-30 19:52:23

とても関連性のある記事だと思うのでよろしくお願いします。記事はもう書いてしまったのでトラックバック返していただけたら、私の方の読者の方も喜ばれると思います。

DVの記事ばかりを書いてるわけではありませんが、そういう経験を伝えていく責任を果たしていこうと思っています。

今後ともよろしくお願いします。

「彼」は気の毒か?/モラルハラスメント・ブログ

*発展記事 「なぜ、逃げないのか。」/モラルハラスメント・ブログ

[]モラルハラスメント

ここのコメントのushizoさんへのレス。

モラルハラスメント」の解説となる自記事

わたしと「モラルハラスメント」(2005年03月29日)

「ブログを使った新しい情報コミュニケーション」の一例(2005年03月27日)

電車の中の「社会」(後半部分)(2005年03月31日)

まっち〜とのコラボ

夕鶴{モラ版}

モラに対しての対応と、普通の人の夫婦関係で出てくるトラブルとは、もう基本的なとこが決定的に違う。

モラはモラを知らなきゃ、本当に想像もつかないようなとこがあって、モラの被害者が「普通の夫婦関係に対してのアドバイス」を受けても救われないのは、ここに秘密があるというか。

だから配偶者としてのサバイバーには、サバイバーにしかわからんものがあるでしょうね。

ちなみにDVとモラは、微妙にからんでいます。

ちょっとどうでもいいことなんだが。

「ブログを使った新しい情報コミュニケーション」の一例(2005年03月27日)でまっち〜のコメントに対して、公開の場ってことで、他の閲覧者を「置いていかない」ようにレスをしたので、彼女の歩んだ厳しい時期の一部が推測できると思うのだけれど。

いや〜、先月だったかに彼女からもらったメール、返信していないものがあって。

彼女が厳しい時期は彼女からのメールは常に携帯に転送して、どこからでもレス打ってたんだけど、すでに落ち着いていますからそれもいらんだろうし、これだけ状態が変化しても彼女が「あなたがいたから」をくり返すのは、あまりいいことではないかな、とあえて放置してしまった。

「無視」ではなく、彼女のことを考えた「放置」なんだけど、こういうのって伝わるの難しいでしょうね。

ま、わたしの「支援の姿勢」は変わらんのですけどね。

2005-10-01

[]エゴグラムや分析テスト

遊びでやるにはおもしろいし、潜在的な要素を知るのは自分のも他者のもおもしろい。

でも、結果の丸飲みではなく、自己分析としてその分析の責任は自分でってのがまあ、大人のネット上の「診断テスト」関連の使い方かなと思う。

エゴグラムによる性格診断の診断結果の文章は、こんな表現で解説する人がいるって、まあ、その程度でいいんじゃないかというのが個人的感覚。

だって、変だモン、あれ。

わたしの結果に出てくる「どこかに問題のあるうんぬん」ってのを真面目に取る人がいたら、なんというか、どこか偽善者クサイよねえ。

Lstyさんとこで拾った、記載されていた結果の中で、わははと思ったのがコレの「恋愛結婚」部分。

「アンタの魅力自体で相手の対応は変わるんだから、その辺自覚しろよ」ってとこが、見事に容姿のみを感じさせるストレートな表眼なのが、かなり笑える。

NPは高い結果だし、このタイプは女性に多いってとこを見越した判断結果の文章なのかな。

松田聖子と河合奈保子がこの方のお気に入りか。

河合奈保子が出てくる時点で、この文章が書かれた時期が推測できるけれど、この時期、常に比較対象だった中森明菜が出てないことなど味わうのもまた一興。

[]ブログでの距離感

persempreさんとのおつきあいの中で、お話を聞いていたご子息が突然逝去されてもう5ヶ月。

この大きな悲しみの出来事を「知っている」という人との適度な距離感というものは、persempreさんにとってどんなものだったのか、時々考える。

べたつかない適度な距離感で、彼女に起きたことを「知っている」人たちの存在は、この5ヶ月の間、彼女を支えてきた小さな一つなんではないかと思いたい。

[]ご子息とお嬢さん

30超えたある日、母といっしょの時に。

母がぷりぷりぷりぷりと怒っていて。

な〜にを怒ってるのかと思ったら、さっき会った母の知人が使った言葉だった。

「さっきの人がアンタのことを『娘さん』と言った」と。

「は?」と、わたし、言っている意味がわからず。

「だって、『娘さん』って言ったのよ、『娘さん』って。失礼しちゃうわ。」と。

「は?」と、わたし、言っている意味がわからず。

『お嬢さん』と言わなきゃ失礼なんだそうだ、相手の「娘」に関しては。

はあ〜〜、と、ガキ二人連れた30も半ばにさしかかる「娘」は、「そういうもんかねえ」と。

以来、相手の「娘」に関しては『お嬢さん』、「息子」に関しては『ご子息』を徹底。

それで誰かがむっとする可能性を防げるんなら、それがいいかな、と。

[]「key.blogdns.net」って、なんなんだよ

だからダ〜メだってば、key.blogdns.netってとこに「えっけん」とか「むだづかいにっき」とか入れちゃ。

入れちゃったらぼこぼこ来ちゃうんだから、TB。

ほら、「ファンサイト」だから。

(お願い、続けて「S嬢のPC日記」とか、入れないでね)

[]大変だ、大変だ

key.blogdns.netを作った人、早くなんとかしないと、グーで殴られる。

Keywordの中の人 /takoponsの意味

しかし不思議なのは、このサイトを作った人の目的。

現在の表示状態では誰が作ったのか不明で、目的がわからない。

要するに、このシステムが「便利」だと、本気で思っているってことだろうか。

それは要するに、共通ワードのみの検索トラックバック大量送信を「スパム」と解釈している層というものに関して、全く無知であるということなんだろうか。

ここでキーワード検索を行うと、自分の意志と無関係に、その行動をきっかけに「何の断りもなく」トラックバックをばらまかれていく。

そこに羅列されているブログにどんどんトラックバックが行われるということを不本意と思う人に対して、説明する記載がどこにも無い。

つまり、このシステムを使用する人の「意志」を無視するほどに、このシステムに自信があるのか、その自信の根拠は何なのか。

実験サイト」と表示されているけれど、その「実験」に関わる、関わってしまう人の「意志」を無視した状態になっていることに関して、説明の義務はあるんじゃないかと思う。

また「実験」に対してのフィードバックはどうやって行うつもりなんだろうか。

「顔の無いサイト」はつくづく不気味だ。