S嬢 はてな

2007-03-29

[]昨日のはてな 

コミュニケーションの支援

 これ、ずっと考えてて。う〜んとか思ってて。

 と、思ってたら、この話、ケヤさんがもってった。

Backlash to 1984 2007-03-28

 私信ってことで、タイトルがないや、まあいいや。

 着こなしってことで、TPOってのがあるんだと思う。でもこのTPOってのをチョイスするのに文脈理解ってのがあるわけで。その文脈理解ってのに困難がある場合は?と、ちょっと無限ループになるわけです、わたしの頭ん中が。失敗経験を積み重ねてしまうと、一着着回し安全策ってとこにやっぱりなるよな、とか。

 大元のfuuuuuuunさんのヤツ。もしわたしがfuuuuuuunさんだったら、と無理矢理想像するに、新聞屋さんの話は説教されるよりも具体的に解説して欲しい。だってわからないから起きることなんだから、わからないことを教えて欲しいよ。

 で、自分の経験の中で無理矢理近いと思うことを引っ張り出す。

 わたしが以前、関わっていた日本語コミュニケーションスキルってヤツなんですが。わたしの学生と、その学生が教えを請わなきゃいけない相手という関係の二人がいて。そこにわたしがたまたま同席していたというシチュエーション。ここでは仮に「上司」とします。

上司:これはこうでこれはこういうことだ(教える)

学生:(尊敬のまなざしで相手を見る)

学生:…。感心しました。

上司:(むっとして学生を睨みつける)

学生:(相手の態度の急変についていけない)

 さあて、これ、どう思います? わたしは同席していたので、割って入りました。「申し訳ありません『感心』という言葉の誤用です、指導します」。

 で、即、学生にどんどん例文を渡していく。

  • わたしは車についてよく知らない。友達が車についてたくさん知っている。すごいと思う。感心した。
  • 学生が日本語について熱心に勉強する。先生は学生のことをすごいと思う。先生が学生に「感心だね」と言う。
  • 先生が学生に研究について教える。学生は先生のことをすごいと思う。学生は先生に「尊敬します」と言う。

 っていうことなんだと思うんですよね。わからないことを精神論でもってこられても困るわけで。(ちなみに「先生」という言葉は、教える教えられるという関係性が学生にはわかりやすく、立場を指定する例文によく使われていました)。

 文脈理解ってことをしようとしたときに、ニュアンス等の情報の収集が困難な場合に、ニュアンスで否定されても困るんじゃないかと思う。じゃ何を材料にするかってことになるんだけど。

 日本語教育って場合で言うと。日本語には場面の情緒変化が出てくる文字サインなんてのがあって。まあ一番象徴的なのは語尾の「ね」と「よ」などがあるわけです。だからコミュニケートに関しての文脈理解として危ういなんて自分で思う場合。相手の「ね」と「よ」の聞き分けなんてのが材料になるわけです。そして自分からの発語で危ういと思った場合は、相手の復唱をもってきて「○○ですか」「○○ですね」と確認を取っていくことで間を稼ぐというテクニックもある。この間を稼ぐ質問の中で、相手の語尾が「そうだね」とか「○○だね」と来たら、コミュニケーションは○かまたはまだ余裕アリで、「そうだよ」とか「○○だよ」、しかも「よ」の語調が強くなった場合はヤバ目引き時、とかってことがあるわけで。

 そういう具体的な支援と解明ってのが必要なんじゃないかと思う。これからの発達障害者支援策ってのには。と、思うんですよね。発達障害児の特別支援教育に国が手をつけていこうとするならば。わたしはこの手の専門家の出現ってのに期待するなあ。発達障害児の教育にとって一番重要なのは、自己評価が下がることを防ぐことだと思うのでね。

keya1984keya1984 2007/03/30 08:09 >私信ってことで、タイトルがないや、まあいいや。

あっ、ほんとだ。忘れてた!

satomiessatomies 2007/03/30 09:13 げ。うっかり、だったんだ。
うひゃひゃ。

あのね、ついでにちょいと腕引っ張る。
ADHDの診断受けてた子がね、淡々と、というか、表情無く、というか、そんな感じで「僕はもうどうなってもいいんだ」と。
そう言ってた光景ってのが、どうにもずっと忘れられないんだな。
小学生がここまで絶望するところに追い込まれたのか、というショックだった。
んで、コレ。
http://d.hatena.ne.jp/keya1984/20070322/1174671156
>自分を騙し騙しやってきたんだなぁ、と思いました。

これはそうやって、自己評価を守ろうとしていたのかなあ、と思ったんだよね。

「僕はもう…」って言った子は、まあどハデ系の子で、いわゆる攻撃的な要素もあった。この攻撃的な要素ってのがばば〜っとうちの娘に向けられた時期ってのがあったんだけど、うちのお嬢ってのが誰よりも、その態度の中身ってものに気づいてたのよね。かなりの身長差がある相手から突き飛ばされたり嫌がらせされたりしながら、ちっこい体で堂々と仁王立ちで「だから何?」って感じで、少しも怖れずに自信持って友好的な関係のアプローチをしてた。そしてこの子はこのアプローチを受け入れていくわけで。
知的障害ってなんなんだろ、って思った記憶のひとつではあります。

keya1984keya1984 2007/03/31 01:14 印象的なエピソードですね…。確かに、そういう点で「知的障害ってなんなんだろ」って私も思う。障害(バリア)がなかったってことだもんなぁ。

>これはそうやって、自己評価を守ろうとしていたのかなあ、と思ったんだよね。

うーん、自己評価は極度に低かったですね。でも裏返しの自尊心は肥大している。セルフエスティームのいい訳語が思いつかないんだけど、もしこれを「自己の充足感」という意味で「自足感」と訳すなら、自足感はほとんどなかったといっていいと思う。自足感が得られるようになったのは、何年か前くらいから「徐々に」「ふと気付くと」といった感じでしょうか。

satomiessatomies 2007/03/31 11:42 日本語ってのは、自己を大事にするという正当な言葉が無くて、本当にイヤんなっちゃう状態。
そして、コミュニケーション上でマジョリティに日々スポイルされているマイノリティがいるんだってこと。この事実ってのがあるんだってことなんだと思う。
特別視せずに本人の自己評価を守ること。これが特別支援教育ってものに対しての悲願ってヤツなんじゃないかと思う、わたしは。

それと。
「徐々に」「ふと気づく」ってののきっかけとは何なのか。どういう経緯でそこにたどりついていくのか。
これは現在進行形で育児に関わっている親が知りたいことなんだろうなと思うな。

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