S嬢 はてな

2007-05-30

[]意味なんてねーよ、日記だ日記。

5月29日 真っ赤な空を見ただろうか/OUTER HEAVEN

 自分音源持ってるのに、YouTube開いて検索。

YouTube - 真っ赤な空を見ただろうか

 ばかfox。泣きそうになった。つか、ちょっと涙ぐんだ。

 大学一年の秋、横並びで友人たちと日記の書きっこやってて。一人また一人と壁にあたっていくような中で、器用にマイペースに大学生やってた。器用さに運も味方していくような感じで、たいして準備もせずに最初に受けた公務員試験がとりあえずいい感じで。なんかこのままたいして苦労もせずにやっていくような感じをもった人って少なくないんじゃないかと思う。

 つ〜か、あの最初の試験のときに、ここまでアンタが苦労していくと予想した人間は、アンタの周囲でどれだけいただろうと思う。

 まあ自分で望んだ公務員試験浪人?ってヤツだったけど。それで苦労なんて言ったら叱られちゃうのかもしれないけど。でもいっぱいいっぱい壁にあたって、そして自分自身をみつめなきゃいけないことも次々と起きていったと思う。

 YouTubeに表示される言葉見ながらさ、聞きながらさ、ドラマの回想シーンみたい、わたしがわたしなりに思ってたアンタのこの何年かのこと。

 第三者は第三者、他者は他者、なんだけどさ。でもそうしたこと、回想シーンのように思い出す自分にとっての記憶。これはわたしのもの。それが人と出会っていくってことかもしれない。

 自分は人を好きになれないんじゃないか、なんて言ってたこともあったよね。壁にあたるときには、好きいっぱい感じられる相手と出会ってたしあわせ、ってのもあるんだと思う。挫折に間に合った恋ってことか。

 コメント入れようかと思ったけど、なんて入れていいかわからなかった。おおトラックバックだ、と思ったけど、アンタ、トラックバック機能切ったのね。まあいいや。書いときゃ見るだろ。

2007-05-29

[]匿名・実名

 匿名・実名・ハンドルなどなど。そんな話題をちらっと読んで。ふむふむふむふむなんて思いながら、こういう話題をばばっといっぱい網羅してみるにはどこへ行けばいいかってとこで、えっけんはてブの「匿名タグブックマーク

はてなブックマーク > ekkenの食卓 > 匿名

 でもって自分。

 わたしが実名を使わない理由ですが。それはね、娘の障害について語ることに対して娘本人に許可もらってないから。聞いてないし、聞いても彼女にはわからないし。でも娘本人に娘の障害のことについて語っていいかどうか許可もらってない。だからわたしは娘の母親として、実名を使ってはいけないのだと思う。

 でもネット上でわたしが出会う人にとって、わたしの実名って、そんなに意味を持たないようにも思うんだけど。このことに関しては、上記えっけんはてブから飛んだココがおもしろかった。

少なくともお前が誰だかわかりません/こねり〜横道草

 実名が意味をもつ場合ってのは。批判の正当性とかじゃなくて、関係性が進んだ場合だよね、と思う。電話だの郵送だのどこで会おうねだのというやりとりに発展したときに、社会的な連絡先の記号としての実名は当然必要になる。名前ってのはもともと個人を特定するための記号の役割があって、ネット上の名前が生きた関係の場合は実名が記号としてしか機能しない場合があるのがおもしろいとこ。

 あとさ。実名とちょっと飛ぶけど、性的なお話ってヤツ。

 思考の中で避けて通れないときが何度かあって。まあ、ちょこっと。ちょこっとね、書いたときはあったけれど。

 これもね〜。自分が性的なことを書くってことは、パートナーのプライバシーの露出にもかかってくることであって。聞いてないし、許可もらってないし、ま、ヤバいわな。ただ彼はわたしの行動に関してほぼ全面的に許容態勢なので、本質的にはそこに甘えてるけど。

 実名かどうかはおいといて。おくさんおくさんなぼっちゃんぼっちゃんに関しては。バレてないバラしてない。いつかあやまろう。わたしの息子として生まれてきた時点で、悪いがあきらめてくれ。

2007-05-27

[]大学生の麻疹流行

 ある一時期、家の中に乳幼児がいた家庭の何割かは(ああ…)と思ってると思う、大学生の麻疹流行。

 ’91年の秋に生まれた娘は’92年の5月過ぎまで病院を出られなかった。退院時に「予防接種を受けることに問題は無い状態なので、これから順に受けてください」と言われる。接種時に証明となる「この子は現在予防接種に問題がありません」という書類をもらい、母子手帳に貼り付けておくように言われる。貼り付けておかないと、接種の度に証明として取られてしまい、その度に同じ書類が必要になってくるかもしれないからと、主治医が言う。

 最初に受けたのがツベルクリン。’92年の夏頃。小難しい顔で娘を見る集団接種の会場の医師に、主治医に言われたように母子手帳に貼り付けた書類を見せる、そして接種。

 次々に、予防接種の案内と集団接種のスケジュールのお知らせが郵送で来る。どうしよう…、と思う。どうしよう、どうしたらいいんだろう、受けさせるべきかやめるべきか。でも主治医が弱い子だからこそ、予防接種は積極的にと言っていたなあと。でもこの予防接種は怖い、できたら受けたくはない、どうしよう…。

 ああよかったと思ったのは’93年の春。受けなくてよくなったこの不安を抱える予防接種。その予防接種の名前は「新三種混合(MMR)」。おたふく風邪と風疹と麻疹の混合が、麻疹単独ワクチンになった。晴れて受けなくてよくなったことにほっとした。麻疹単独ワクチンを接種。

 予防接種が義務ではなく、任意になる。その説明の冊子が役所から送られてくる。接種のスケジュールが本格的になる頃、そんな状況になった。

 でも…。うちの娘の少し上の世代は、可能性はそんなに高くはないとはいえ、予防接種ロシアンルーレットと認識した人は存在するというイメージがある。MMRが消え、予防接種が任意になった頃、小児科には「はしかは死に至ることがある病気」「はしか単独ワクチン予防接種を受けましょう」というポスターがあったことをよく覚えているなあと思う。

 「これまでかかった病気の中で、一番辛かった」と、東京都葛飾区の大学2年、蒔田直哉さん(19)は振り返る。4月28日夜から頭が痛くなり、翌朝の熱は39.2度。受診すると「風邪」と診断された。2日ほどで熱が下がったが今月2日、再び熱が39.5度に。全身に発疹が現れ、せき、のどの痛みなどの症状が出た。発熱は1週間続いた。典型的なはしかの症状だが、予防接種は受けていなかった

(はしか:若者に感染拡大 予防接種敬遠の世代)

 「予防接種は受けていなかった。」という一文。なんで?って簡単には言われたくないなあと思う。予防接種後の後遺症の可能性を怖がった人が存在する世代だからだよ、と思う。死亡例がある予防接種を怖がる人がいることは責められない。義務接種の中でMMRを拒否した人で、麻疹単独になったときに改めて接種に行かなかった人もいるんではないかとも思う。

 この予防接種を怖がった、その親の世代。この親は「筋短縮症」を知っている人がいる可能性がある世代だと思う。

筋短縮症とは

 注射のさいの物理的刺激と薬剤による筋肉組織の破壊によって外形の変化や運動機能に障害がもたらされる医療被害。1973年に山梨県での集団発生で問題化した。

 注射された場所によって、大腿四頭筋短縮(拘縮)症(太もも)、三角筋短縮症(肩)、上腕三頭筋短縮症(腕)、殿筋短縮症(尻)などの種類がある。

 風邪などで来院した子どもに効果あるいは必要のない抗生物質や解熱剤を頻繁に注射したことが原因であり、製薬企業と医師の人権を無視した姿勢が底流にある。

 1973年に福島県で最初の提訴、以後東京地裁、名古屋地裁などで提訴が続く。

筋短縮症事件/薬害資料館

 風邪を引くとさ、小児科に行くと注射だった。後ろ向きに寝かされて太ももや尻に注射を打たれる。熱が出ると注射だ…って感じだったなあと思う。いつ頃からだっただろう、風邪を引いて熱が出ても注射を打たれなくなったのは。

 小学校のときに筋短縮症の同級生がいた。走るときにかたんかたんと足がうまく曲がらない。小学生の間に何度も何度も手術を受けていた記憶がある。両足の膝から腿の部分に大きな手術痕があった。成長に沿ってしなければならない手術があるのだと、子どもなりにわからないなりに聞いた記憶がある。

 ちょっと上の世代には、サリドマイドの被害児がいる。サリドマイドを含む薬剤を、つわり防止のために処方された妊婦たち。そして生まれた障害のある子どもたち。こうしたニュースを日常的に報道で見ていた世代。報道で見ていたといえば、森永ヒ素ミルクの事件もあった。

 子どものためによかれとすること、それをむやみに鵜呑みにしては危ない、という刷り込みが、気持ちのどこかに巣くっているような感じがする。それは。被害にあった方々のくやしさを感じていたいということなのかもしれない。自分とは関係ないとして、存在しないもののようにしてしまうことに対しての、せめてもの抵抗なのかもしれない。自分だって、たまたま気づかずにすり抜けた危険があったんではないか、とも思う。

S:BOOKMARK / 2007年05月27日

2008.2/24 追記

このエントリに「筋短縮症」と検索されてのアクセスが続いているようです。

当事者でいらっしゃる如月はじめさんから以下のコメントをいただきました。エントリ部でもご紹介しておきます。

ブログかHPの開設はしばらく見合わせる予定です。

もちろん開設すればすぐにお知らせしますがそれまでの間、satomiesさんのこのブログには検索で訪れる方が多いようですので私のメールフォームを貼らせて頂きます。必要であればお使いください。

筋短縮症を患ってらっしゃりお悩みなどを抱えられてる方も日本国中には多くいらっしゃると思います。私もまだまだしらないことばかりでお悩みを一手に引き受けることはできませんが、お話を聞いたりすることはできますし何か良い解決策など共に考えられるかもしれないので良かったらメールフォームをお使いください。

http://form1.fc2.com/form/?id=266984

如月はじめさんのコメントから引用させていただきました。コメント全文や、如月さんのこれ以外のコメントに関しましては、下記コメント欄にてご確認ください)。

2007-05-26

[]過去記事閲覧

 自分とこに出てくるアクセス数という数字。それが何を意味するのか。いや、その日動いた数字ということで、それが他者の記憶に残っていくかどうかそれはわからん。

 自分は覚えているのか。覚えているものもある。でも忘れているものもあって、ああそんなことを書いたのかと思うものもあるよなあと思った。

 ばたばたと忙しくて数日空いた。ペットのニャンコはなんだかんだと動く数値を記録していて、こんな風に数字は動いてましたぜ、と、かわいい面して実は忠実な部下のように報告してくる。動かしてないもんだからリンク元アドレスアンテナだのRSSリーダーだのというものは影を潜め、そのかわりにこんな風に数字は動いてましたぜって感じで出てくるのが「ページ別アクセス」で出てくる月アドレスカテゴリアドレス。新着無いから古いのでも繰ってみるかってなとこなんだろ。

 ふーんへーとか思いながら、そこに出てくるURLに自分も飛んでみる。なんでもかんでも放り込んでる「雑記」カテゴリ

 だだだだ〜っといくつも一度に表示されてる文章群をつらつら眺めながら、お?と一個の文章に目が止まる。

 …、こんなの書いたんだった…。

 はてなブックマークの数値が10を越えてる。まあ一時的な数値を呼ぶものではあるんだろ。でもこの人たちの誰にこの文章の記憶があるかっていうと。いや、かなりアヤシイんではないかと思うな。

 だって、つまんないもの、コレ。再読しても。な〜にがおもしろいんだか、ってとこのようなものだと思う。

 ただ、わたしにだけは、ああああああそうそう、とおもしろい。これは。実はこれは日記なんだよね。

個人ブログの閲覧に関するメモ

 ネット上の非生産的な論議、要するに揉め事という部類に発展していたものを眺めながら。ふ〜んと思いながら、じゃ個人ブログってなんだよと思って整理してみたものだった。そういう意味で日記。コメント欄にきをふしがいて。このきをふしがまた、日記になっているとこがおかしくて。ブクマコメントのLsty氏のコメントにもあるんだけれど。この日、きをふしが酔っぱらって方々になんだかコメントを残しまくっていた日であって。本人すでに覚えてない日記かもしれないとこがおかしいなと思った。

 揉め事の中身は。その揉め事の場になった個人ブログコメント欄になんだかんだなんだかんだとやたらになんだか展開していた内容は、もうすでにさっぱりと覚えてない。しつこさ以外にはたいして何も感じなかったし、端で見ていて得るものは無い、要するに揉め事だったんだろうと思う。

 それでもこうしてこの文章は残っているんだなあと思った。なんだかわけわからんエントリだけれど、日記として自分にとってはおもしろいなと思った。

2007-05-23

[]チームティーチングの落とし穴

 fuuuuuuunさんのブクマにあったココ、タイトルだけ見て完全に誤解してましたよ、わたしは。

養護教諭の過労自殺裁判 /精神科医天ちゃんの研究室

 養護教諭、つまり保健室の先生が過労で亡くなられた話なのかと思った。そうしたらこのお話、養護学校教諭、そして障害児学級担当教諭のお話でした。

 新聞報道リンクが二件。一個目は「養護学校教諭」となっていて、これはこのとおりなわけで。養護教諭は保健室の先生で普通の学校にだっているわけで、養護学校教諭は養護学校に勤務される先生で。勝手に省略しちゃうと意味変わっちゃうよ。

 で二個目のリンク新聞報道。ここでは報道でも「養護教諭」。そしてこの教諭は「養護学級を担当していた」ことになっている。文脈上、普通学校の障害児学級担任ということと解釈するのが妥当なんではないかと思う。

 「養護学級」というのは単なる名称。この名称を使ってない自治体も多く、養護学級と聞いて意味がわからん保護者もいるんではないかと思う。その養護学級担任というところで「養護教諭」と報道がもってきちゃいかんのではないかと思う。

特別支援学級は、学校によって、養護学級、育成学級、心障学級、障害児学級、実務学級、学習室、総合学級、個別支援学級、なかよし学級、あすなろ学級、ひまわり学級など、さまざまな呼び方がある。

ウィキペディア:特別支援学級

 ちなみに横浜市は、数年前に「個別支援学級」と名称を変えた。まあかっこいい。保護者の略称は「個別」。子どもの年齢が下がるほど「個別」という略称を使い、現在の高校生またそれ以上の保護者は「特殊」という名称の方が通りがいい。

 横浜に来る前は都内在住で。このときに保護者の間で一番とおりのいい略称は「心障級」だった。これは心身障害児学級の略だったように記憶している。

 っつ〜ことで、わたしは単純に「障害児学級」ということが多いです。どの自治体の人にも一番ぴたっと意味が通じると思うので。

 なんてのが名称の話。リンク記事「養護教諭自殺」に関しての話の前段階みたいなもんで。

 で、言いたいのは、このリンク記事の内容に推測される「チームティーチングの落とし穴」だと思う。障害児の教育に関しては、たいがいチームで行われる。このときに、教員同士のパワーゲームが起きる可能性があるんだろうということ。知的障害のある子どもは親に報告できないことが多いし、そして報告できないだろうレベルの障害の子どもの教育の場で、教員同士のパワーゲームは起きやすいんではないかとも思う。誰とは言わないけど、つらそうだったしね、あの頃。

 目の前での教員同士の会話の意味。それがわからなくても、感情のキャッチボールに敏感な子は、知的障害をもつ子にはけっこういるしね。そのことをわかっている人は、パワーゲーム弱者側に立たされたらつらいだろうなあと思う。耐えてためてためて、いくんだろうなあと思う。

 リンク記事の「絵カードを投げつけられた」というメモ。誰が誰にとは書かれていないものの。でも子どもに投げつけられたなら、わざわざつらいメモには書かれないのではないかとも思う。そんなことってままあるじゃない?障害児教育の現場ってのには。わざわざメモで書かれるってのは…。要するにそういうことでしょ?とか思う。

 でもって、リンク記事の二個目の新聞報道の。「障害児教育のつらさを考慮していない」。なんでもかんでもここにもっていって欲しくないとも思うのよね。どうしてつらいのか。そりゃ追い込まれてるからでしょ? 職場・現場という場所で追い込んだのは誰? そういうことなんじゃないの、と思う。だから裁判なんだろうな、と思うんだよね。

2007-05-21

[][][][]ここのところ思うこと

 娘が中学を卒業した。特別支援学校の高等部生になった。入学、連休明け、そして5月ももうすぐ終わる。高等部の印象は、入った途端、進路進路進路進路、という感があること。

 進路先を決めていくことが厳しい事情と現実というものはわかる。考える必要がある重要だということを、誰かまかせではすまないんだということもわかる。でも学校生活もあと3年で終わることを考えると、進路進路進路進路という思考中心の話ばかりでは、なんか淋しくもなる。

 来週には、具体的な希望先を書く欄がある書類の提出がある。現在入れる状況にあるかどうかは関わらず、既存の施設を片っ端から見学しておくようにも言われる。立地、施設の法的位置づけの種類、日々の内容、子どもの個性に合っているかどうかetc…、etc…、etc…。それはすぐに必要な情報というよりは。進路をきちんと前向きに考えるために、高等部入学したてから「親の意識を起こす」目的もあるのだと思う。

 まあそれなりに、第三志望まで書こうと思うとこはあるんだけどさ。卒業時に募集あるかどうか保証は無いけど。実習は受け入れがあるかもしれないけど。

 どこに入るかどこに入れたいかって、本当はさ、どこってよりも、心配なのは5年後くらいなんだよね。学校ってのは、毎年毎年なんらかの環境に変化があるわけで。でも卒業後はそんな変化なんてものはほいほいやってはこない。学校みたく、入れ替わり立ち替わりいろんな人が次から次へと目の前に現れてくるわけでもない。1対いくつの人員の配置も大幅に減少する。そんな中で、それはそれで環境として受け入れて、こつこつこつこつと、日々を重ねていくんだろう。でも本人が呆然とそのこつこつを途方もなく感じたときに、わたしはいったいどうするんだろう、みたいなこと。ここんとこ頭ぐるぐる。まあそれでも進むけどね。差し込む光の筋を見つけていくのはお手のモンさと。なんてちょいと強がってもみるのは、つなごうとするたくさんの手の存在か。

 なんてことを考えているときに、ngmkzさんからトラックバックが入る。おおかえるにーちゃん、今度はgooに向かって送信か。

手紙/かへる日記 (FRGFRG304)

 出す言葉、その字面だけじゃなくてさ、言葉出していくときにひろげていくような手のひらの中身。その中身に視線がいくってことはあるわけで。字面の解釈だけではない何か。その中身が本当には正確に共有できるものではなくても、そのひろげていこうとする手のひらが見えるような感じがする人ってのが、わたしはいいなと思うわけで。上記リンクを読めば、わたしはngmkzさんのこっちのエントリに即飛びするわけで。紫色のラインマーカーで書かれたへったくそな、おっといけない味わいのある文字群の中の最後の一行を味わいに行くんだよ。

 ああまったくねえ。なんでかえるにーちゃんとこの職場は遠方なんでしょ。近場だったらとっとと進路希望欄に書くのにね。いやどこに入れたって、数年もすりゃなんだかんだなんだかんだと、どうしよってことは生まれてくるだろと思う。そういうときに、そのことだけ以外にも話ができそうな人、そういうビビビがある人がいてくれるとこにできたら入れたいよなあと思う。まあ仕方ないけど。まあそういう人間関係が見つけられるようがんばるけど。

2007-05-20

[][][]夜のぶつぶつの反応に反応

 夜のちょっとしたぶつくさエントリに反応ばばば。わお。コメント欄にレス、そして霞先生のトラックバックに反応。

宴会は酒を楽しむ場に非ず/特別支援学校って…へぇ、そうなんだ

酌をする・酌をされるということは、そこには必ず相手がいるということ。つまり、宴会の目的は相手と話をすることであって、お酒を味わうことは二の次だと。宴会の酒はコミュニケーションを円滑にするためのツールの一つに過ぎないと考えているからです。

 そうなんですよね、そういうことなんだ。わかっちゃいるんだけどね。でもかーちゃんやってる立場になると、そんなに外で飲む機会もそうそうもてなくなるわけで。二次会まで時間取れない場合もあるしね。それとかーちゃんといっしょだと、二次会っつっても「コーヒー飲んで行こうよ」的なことにもなるし。なんてことも出てくるわけで。まあ機会ビンボーってとこの余裕の無い愚痴ってとこもあったと思う。この日も会合後、コーヒー飲んでしゃべくって。そして帰宅後飲んじゃいましたははは。

 霞先生んとこで「先生の会合」って話が出てきたんだけど。まあはっきり出しちゃえば、昨日の会合は市Pの障害児教育関連校の部会の歓送迎会。校長や副校長と、そこのPのボス連の集会。企画実施は昨年度の部会長校だったウチ。例年に沿っていつもの店。わたし受付やってまして。乾杯が終わってから入る。駆けつけ一杯。これはうまかった。うまいビール。そしてとりあえず最初の仕事の一段落のビール。

 お酌コミュニケーション。長いこと障害児の就学の教育相談をやっていらっしゃった方が、知的障害養護、じゃなかった特別支援学校の校長に就任。この方がうちのテーブルにお酌にいらっしゃった。うちの昨年度のボス、今年度のボスは、この方と何度も面識があるそうで知人としてのコミュニケーションをされていて、わたしはにこにことその様子をただ聞いていたわけで。

 いや実は。うちの娘の小学校の就学時の教育相談の担当もこの方だった。娘がまだ年長児の時に、前住地から高速乗って夫婦で相談に行った。とても親身に、就学前の保護者の心理に沿って、そしてわかりやすく、また現状の学区の小学校の具体的な情報もいただきながら。「就学相談」「教育相談」とは名ばかりで内容は「就学先指導」「就学先指示」が多いと聞くことは多かった中で「相談」という言葉にふさわしい時間だった。もう10年も前のこと。それもたった一度。

 それがですね。この方、うちのボスと話しながら、ふとわたしを見てにっこりと笑みを浮かべおっしゃるんですよ、10年も前の、それもたった一度のうちの教育相談のことを。わたしは何も言ってないんですよ、先方に伝わってるわたしの情報には居住区も何もなく、記憶でしかわからないはずなのに。本当はこちらから、相手の記憶が無いことを承知でお礼を言わなきゃいけない立場だった。大物の方なので、わざわざわたしごときがしゃしゃり出てこの方のお時間取っちゃいかんだろうなと思っていたとこに、先方から笑顔でふっていただいてしまった。

 もうびっくり。本当にびっくりした。すごいと思った。10年も前のことをあえてわざわざする機会も無いわけで、お酌コミュニケーションがなきゃわからないことだったなと思う。万感の思いとたくさんの感謝を、小さなコップ一杯の紹興酒のお酌にこめさせていただきました。教育というものに向かい合う最初の方がこの方で本当に良かったと思った。この方についでいただいたビールは、つぎたしがどうのとかなんとかかんとかとか全く関係無い別次元のうまさで、それはずっと続く美味なんだろうと思う。ここでは酒は単なる媒体に過ぎず。

 本当はあれからの10年をお話ししたい思いもあるんだけれど、お時間取らせてしまうのは申し訳なかったし。そのうち改めてお礼のお手紙でも書こうかな。

2007-05-19

[]慣習とはいえど…

 中華街にて会合出席。だったんだけど。

 慣習とはいえど、わたしは「お酌」が嫌い。女性がお酌をするのがなんだとかかんだとかそういうことではない。わたしは「お酌」が嫌いだ。

 理由はただひとつ。ビールがまずくなる。宴会の席でセッティングされるような小ぶりのビヤグラスに入れたビールはくくっと飲んでこそうまい。そのくくっと飲んで、って減り具合になったら、それをお酌のタイミングと思う人が多いのが本音を言うとイヤ。中途半端に残ってるグラスにつぎ足されるビールって、おいしくないよね。だんだん二センチほどの減ったり増えたりを繰り返していく。ビールってそんな飲み方はうまくないよね。

 まずくなるのがわかってるから。だからわたしはお酌をするのもあまり気が進まない。だってまずくするじゃない、と思う。でも、しない方がマズいと思う人はどうやら多そうなので慣習には従うけど。

 あとさ。下手なつぎ方されてもうまくないんだよね、ビールって。だから自分で入れようとするとそれもウマくないわけで。手酌で、ってことになる。

 要するに。お酌という慣習が介入する場でうまいビールを飲もうとする方が無理なんだと。そうあきらめるしかないんだろうな。

 発泡酒じゃなくてビールだ、キリンクラシックだ、なんて感じでああうまいって味わえたのは、最初の二杯だけだったな。

2007-05-18

[]おやおやおよよと、幼稚園保育園

 rimaさんとこの更新をふふんふんふんと読んでいたら、ほえ?とびっくり。三歳児検診の発達相談で”ベテラン保育士”に「自閉症傾向アリ」のようなことを言われたとかなんとかだとか。

さて誰の言葉を信じましょうかしら/塀までひとっとび!

 はあ〜ん、なんともねえ、と思う。こういう診断じみたことを言ってのアドバイスって、一人の保育士の初見で言っていいもんかねえと思う。日常みてる保育士のメモと、そのメモを読んだベテラン保育士の初見。なんとも言えませんねえ、と思う。つ〜か、感想がいつのまにか診断になっちゃっているようにも解釈できそうなとこが怖いよなあと思った。その怖さっての、子どもの母親に簡単に与えることに対してなにがしかちゃんと思ってるのかいこの人たちは、とは思った。ダウン症のように採血でわかる障害は明らかに結果が出るけれど、行動傾向から診断する類のものは難しいとこがあるとも思う。

 障害を早期に発見することは大切なことだし、実際明らかにわかる障害を母親が強固に認めずに、必要な支援が遅れる場合があることはある。でも障害をもつ子の大半は、母親の「何かがおかしいと思っていた」ということの納得が診断だったというケースは多いんじゃないかとも思う。

 で。保育園幼稚園と。入れたいとこに入れりゃーいいんじゃないかと思う。幼稚園だって年少クラスにはぐっちゃぐっちゃとスムーズにいかない子どもはいっぱいいる。それがたいがいは年長クラスでは妙におにいさんおねえさんになっていて、しっかりしちゃったりしていくもんだから不思議なもんだと思う。

 わたしは娘を保育園、息子を幼稚園で育てておりまして。個々のケースでそれぞれなのかもしれないが、わたしなりに保育園幼稚園との違いを認識したなあと思う。どちらを選ぶかはその家庭なりの判断重視ということで。だいたい幼稚園保育園か、ってことよりも、自宅からの圏内でどこを選ぶかどこに入れたいか、ってとこで選択は出てくるんだと思う。

 その上で。障害をもつ子は保育園の方が合っていると思う。その理由は、保育園は乳児からみている場なので、保育士が子どもの発達を乳児期から幼児期を通して全体像で知っているという感がある。また保育士自体が働く母親であることも多い。対して幼稚園は学校卒業後数年幼稚園の先生やってます的な職員が多く、そして経験として乳児を知らない職員が少なくないと思う。3歳時の時点である一定の状態になっている子をよしとするようなとこはあるとも思う。そういう意味で、遅れのある子は保育園に託す方が安心だと思う。

 また、保育園は日常的にお散歩に出る。外をよく歩く。生活圏を徒歩で知るということを日常的に積み重ねることは障害をもつ子には経験として大きい。幼稚園は行事以外は「柵の中」の世界であるということとは対照的な要素だと思う。

 保育園は保育の場であり、教育を含めた生活の場。幼稚園教育の場であると言えると思う。だから幼稚園というところは、要はどんな教育特色をもっているか、ということだと思う。宗教をもって豊かにというもの、シュタイナー教育をうたうもの、体育重視をうたうもの、自由保育等、実に様々だと思う。

 ちなみにうちの坊やの通った幼稚園は「体育」と「畑」でした。スポーツクラブの指導員が定期的に入り、また年がら年中園所有の畑に出かけていって、大根掘ったり芋掘ったりタケノコ掘ったりイチゴ摘んだり、お土産はけっこうな量になった。かーちゃんたちは「現物支給の保育料バック」とか言ってました。

 通った幼稚園には申し訳ないが、「体育と畑」の特色で選んだのではなく、完全に立地。自宅と娘の通う小学校とのちょうど中間地点。就学と就園が同時だったので、送迎を必要とする娘の弟としては、母親の行動に関して大きく左右する立地というものが重要なポイントだった。

 好みで言ったならば。わたしは保育園の方が好きだと思う。日中の時間の中で何かあった場合に、生活の場である保育園はその報告とそして今後の園での対応等が出てくる。生活の場であるからこそ、解決は現場の中でという姿勢がよく見えるというか。その環境で慣れていたものだから、息子を幼稚園に入れたときに「○○だからおうちでなんとかしてください」とただ突き返される感じにちょっとびっくりして、ああこういう違いなんだなあと思った。

 それと。幼稚園はなんだかんだなんだかんだと早く帰ってくる。午後は長い。自ずとお友達同士の家を行き来するけれど、子どもが遊びたい子と親同士が気が合う子というのは必ずしも一致するわけではなく、変に気を遣う関係も出てくる。家庭によっては午後、だらだらだらだだらと大皿に盛ったお菓子を与え続ける家もあり、他の家庭との方針の違いも露見してくることがある。子ども同士のトラブルも、第三者が入りにくい。なんでもかんでもやっといてくれる保育園とはちがうのよねえとも思った。

 幼稚園はかわいらしい制服を着せ、それを選びたい親というものもいて。対して保育園の子が貧乏臭くこ汚く見える類の親もいるとも思う。保育園はとにかく着替えが必要で、どろどろぐっちゃぐちゃになるまで遊ばせる遊べるところという感想があり、やたらに着替えがいるもんだからこぎれいでなくたって着回したらい回しの中古で充分という気分になる。まあ自ずと貧乏くさい感じが出てきてしまうところもあるかもしれない。でもあのぐっちゃぐちゃになるまで遊ばせてもらえる経験というものも、けっこう貴重なものなんではないかというのが娘の4年間に対しての感想だと思う。

 あと保育園でおもしろいなあと思ったこと。同じクラス園児たちの中に「同じ釜の飯を食う仲間」感覚が育っている感じがすることが何度もあったこと。朝来て活動して飯食って、そして着替えて寝て、それからまた着替えてオヤツ食って、そして遊んでという流れの中で「日常的に同じ部屋の中で布団敷いて寝てる」のが大きいんじゃないかと思った。まさにいっしょに暮らしている感覚があるんだろうな、と。園児たちは障害のある娘に対して実に柔軟で、その後の娘と他の子との関わりをみても、保育園育ちの子は娘の障害に対して柔軟な子が多いなあと漠然とした感想がある。障害が無くても、普段素直な子がぐずたらぐずたらなんだかんだややこしいときに、母親が納期や決算期でばたばたしている時期だったりして。まあ母親の多忙のストレスが子どもに出ちゃう場合があるということなんだけれど、そうした子どもの混乱に対して仲間同士が日常的に受容していくというか受容の流れが育ちの中で生まれていっているという具体的なケースを何度も見た。そんな経験からそういうことが子どもの柔軟さに影響しているんではないか、とか思った。もちろん個人差は大きいのだろうけれど。

 などと、娘の保育園時代は比較的早い時間にお迎えに行っていたこともあって、園の風景をよく見ていることがあったために、子どもというものに対してへーとかほーとか思って興味深い思い出は多いんだけれど。息子の幼稚園時代というものの思い出は行事関連が主で、こうしたへーとかほーとか子どもというもの自体に思うということは少なかったな、とも思う。

 ちなみにわたしは息子の通った幼稚園の先生の幼稚園の先生言葉には、最後まで慣れなかった。「おカバン」とか言うアレ。子どもに向かって変に高い声とか。娘の通った保育園は、言葉自体も言葉の調子も普通だった。

2007-05-17

[][][]キスやらヒゲやら記憶やら

キスする前の言葉はもっと素直な気持ちをシンプルに織り込んで後は自分の内で反芻して/かへる日記 (FRGFRG304)

キスする前の言葉はもっと素直な気持ちをシンプルに織り込んで後は自分の内で反芻しておきたいなぁ。

 わ〜いわ〜いわ〜い。わたしはこういう、こぼれてくるような話が大好き。ちょっと本題から離れてまず「ヒゲ」の話。

レッド・サン ニューマスター版 レッド・サンという映画がありまして。小学生の頃、何度も何度もテレビでやっていた記憶がありまして。三船とアラン・ドロンブロンソンというそろい踏み映画。悪役ドロンと、三船とブロンソンの友情物語でありまして。

 この映画がきっかけで、わたしはブロンソンラブな時期があり、う〜んマンダムな男性に憧れた時期があったわけだ。男はヒゲ生えてなきゃ、みたいな。

 で、そんな小学生が成長して、実際ヒゲ男さんとラブなことになったときに。やっぱ痛かったですね。ヒゲを生やしてたわけではなかったんだけど、朝剃っても夜にはブツブツ出てきてる系の方。彼とラブな日に、どうも寝るとき化粧水がぴりぴりとしみるんだな。で、わたしは根がすっとこどっこいなもんで、しみるなあくらいにしか思ってなかったわけだ。

 気づいたのは彼。わたしの頬をなでながら、赤くなっている、と。これはもしかしてボクが悪いのか、ボクが傷つけたのか、とぎゅー。わ〜、きゃ〜、わ〜。そうかあ、なんかぴりぴり痛くなるのは人間タワシか。でもこんなせつなそうな顔でぎゅーされるんだったら、人間タワシで顔引っ掻くくらいなんでもないさ、とか思ったなあ、と。

 で、まあngmkzさんは「剃って」と言われてしまったと。本題からそれるが、ゴメン、笑ってしまった。恋する男の子の驚愕がかわいいやらなんやらと。

 いや、ヒゲ男さんのヒゲを、人間タワシと認識する女性肌もあるんだよ、と。ただその伝え方ってのがあるんだけど。でも、ngmkzさんに「剃って」と言っちゃう女の子のかわいさなんてのも思ってしまったわけで。そんなアンタそりゃ勝手じゃないか、みたいな、いわゆる一般的な理屈じゃ通らん言動ってのは、甘くしてくれる相手だからこそ出てくるもんなんじゃないか、みたいな。それでもって「剃って」と言われちゃって、だってそんなそもそもあのさ、と思いつつも、そんな言葉を全部飲み込んでしまったんじゃないかみたいな。

 と、かなり満喫してしまった。これ読めただけでも、自分とこ書いた甲斐があったとさえ思った、わ〜い。

 ちなみに上記引用部は、わたし個人にはすごい味わい名言。何度も読んで、しみじみ。

 で。こっちのリンクに続きますが。被リンクで気づいたこの方のこの文章のこの部分。

結局「憶えているのは自分だけ」だとしたら、やはりブログは「自分向け」なのだろうか/CONCORDE

自分の書いたことは結局自分しか憶え得ないのだとしたら、やはりブログは「自分に向けて書くものです」としか言い得ないのかもしれない。

 「誰が覚えているんだろうってくらい、ネット上で流れる時間は早い」ですが。人がわたしのものを覚えていてくれるのかどうかはわからんが。でもわたしは記憶する文章は多いですよ。あの人のアレ、って感じで記憶する。たまにその人んとこ行って、ブログ内検索窓で出して再読なんてこともしますよ。ただ内容で覚えていて、ぴたっと使用ワードを思い出せないこともあるので、最近はブックマークを利用して栞はさんどくことが多くなりましたが。

 わたし個人の好みに限って言えば。こうした記憶に強く残るものは。書いたその人にとって自分が再読をしたくなるような、その人にとって充実感があっただろうものという部類のものだとも思う。

2007-05-16

[]ちょっとふむふむ

 先日所用で数人で市場に買い出しに。帰りにランチしようねってことだったんだけど。行く場所の近くにデで始まるファミレスがあるから、って話にすかさず「やだ」と言ったわたし。とりあえず車停められるとこで飯、ってならいいけど正直言ってわざわざ行きたくない。そのときははははワガママなヤツだで終わっていて。

 いざ買い出しの日。ファミレスD店に「イヤ」と言ったわたしのために、「ちょっと足を伸ばせばすぐだから」と、横浜ベイサイドマリーナに行くことに。もうわたし、手をたたいて大喜び。うれしいなあうれしいなあ。

 で、ランランランチ。わたしはいわゆる奥様ランチ族ではないんだけど、ランランランチはやっぱり楽しいしうれしい。らんらんらんな気分で同行の方と向かい合って、あら、と思う。

 「今日のお化粧、きれい。」

 お洋服の色とコーディネートしたアイシャドーの色がきれいに映えて、とてもきれいだった。

 ここでわたしのお隣にいらした方が言う、正確な言い回しは思い出せないんだけど、要するに今日気合い入ってんじゃないのとかなんとか系のこと。ううん…と思う。そういうことってあんまり言われたくないことなんじゃないのかな、と。人によって違うかもしれないけど、わたしはこういうこと言われるとあわわと思う。すごい恥ずかしくなるというか。ちょっと気合い入れてそれがきれいなら、その結果だけでいいじゃんとか思う。そこでちょっと自分がもたされてしまった気持ちから脱却したい勢いをつけて、さらに言う。

 「すごく似合ってる、とてもステキ」。

 なんてことがあったんだけど。つまらんそんなことなんだけど、ngmkzさんのこのエントリにちょっとビビビ。つまらんことでもってきてゴメンね。

喰われる、と感じているとき/かへる日記 (FRGFRG304)

そう言うのって、(相手が)何らかの意図をもってしていたら、それが態度としての批判だったり評価になりえるけど、それが集団というものを利用し始めたらいじめの構造になりうる、って言うことまで意識している人は少ないだろうなぁ。

 ちょっとしたお化粧にね、がんばってんじゃないのなんてとこをすっと言われて、そこでさらに別の人間が気合い入ってんじゃないのクスクスなんて手合いを入れていったなら。それは相手にそれなりのダメージを渡されてしまうことだろうと思う。きれいなお化粧と華やいだ気持ちはすーっと冷えるよね、と思う。冷えない人もいるかもしれないけど。

 でも一発目のこういう言葉って、そんなには悪気は無いことも多いんじゃないかとも思う。小さなささいな毒はちょこっと含まれるのかもしれないけれど。どう発展するかのキーは、その言葉に対しての一発目の反応が握っているようにも思う。

 その小さなささいな毒にやられやすいときとやられにくいときってのもあるんじゃないかと思う。この小さなささいな毒をもらってしまうとき。これはこの「喰われる」って表現をもっていけるのかもしれないとも思った。

 さて別の場で。このきれいなお化粧の人がそこにいないときに、がんばってんじゃないの的発言をした方がこの方のこの日のお化粧の話を出した。とてもきれいだったよ、と。含みも何もなく、きれいだったと。そしてわたしに同意を求めてきた「ねえ」って。もうわたしはとてもうれしくなってしまって、「うんうんうん、きれいだった」と首ぶんぶん縦振り。

 そして、ああそうか、と思った。あのきれいなお化粧って、わたしが「D店ヤだ」って言ったところからきっと始まったんだな、と。そうかSはちょっと遠出の際につまらん店はイヤなのか、だったらベイサイドマリーナ連れてくか、と。そうやってきれいなとこに連れていってやろう、きれいなとこに行こう、らんららんらん、的な流れであのきれいなお化粧があったんだなと。そうか、わたしを喜ばせてやりたいってとこから始まったんだな、と。そう気づいてとてもうれしくなった。

 やっとここに気づくことに到達できたってのは、わたし自身もあの「がんばってる」みたいな言葉が自分の中に小さなトゲとして刺さってしまったんだろうな、と思った。そうか「喰われた」のか、ささいな一言に。と、思った。抜けてよかった、この小さなトゲ。

2007-05-14

[][][]フリじゃね〜のよ、アレってば

年齢の事、ブログに書くという事……といった辺りの話題(最初のはフリというだけかもしれないが(笑))。

■[ネット]いろいろ思った - S嬢 はてな/ 明日は明日の風が吹く

 フリじゃね〜。あの引用はわたしにとってとても大事。あの部分が無かったら、あの文章をとりたててリンクさせることは無かったと思う。そのくらいアレはわたしにとっては大事な部分だった。

 このあたり。象徴するようなワードとして、以前わたしは「色鉛筆」という言葉を使っていて。長文になるが自分とこだ、まんま引用

 「取り返せない何か、戻れないどこか」。そうだよそういうことなんだよ。人ってのはさ、たとえば20色の色鉛筆のようなものだったら、時の経過の中で、少しずつその色を失ってしまう場合があるんだよ。で、本人がいつまでも20色もってるような気になっていて、実は減ってしまっていることに気づかない。

 わたしはこれがこのことが怖いんだろうと思う。だから「箱」の中って時代にもてる色鉛筆ってのをすごく感じるきをふしの世界ってのが、すごくすごく好きだったんだと思う。

 じゃあ時の流れと共に、人ってのはただその色を失ってしまうだけなのか。いやそんなこたない、そんなはずはない、冗談じゃない、そんなの許さない、なんて感覚が自分の中にはあるんだわたしは。少なくともかすかにくらいは遠い昔にもっていた色は忘れない、忘れるもんか。そして減ったら次の色ってのを絶対に獲得したい、してやるとも思っている自分ってのがあるんだなと思う。

 知恵もつく、利口にもなる、それは必要なことでそれがなかったらバカみたいに年齢欄の数字が増えるだけなんだけれど、でもそれでもそこに加わる分別臭いもの以外の色ってのも、もっていたいんだわたしは。もてるだろうかという怖れなんてのも現実持っていながらも。

2007-01-03 くっそ〜、油断してたぜ

 自分が失っていってもわからないだろうこと。そういう鈍感さが自分を少しずつむしばんでいくということ。その漠然とした恐怖のようなものがある。そういうこと。でもそれにがむしゃらに抵抗するのではなく、自分が今日を書き留めることで見えてくる自分の色鉛筆の色たち。そのことがとても大事になっていくわけで。

 20代のとき、とてもイヤだったこと。自分より年長の人間が「こんなこと知らないよね」とか、わたしの世代として当然知らないことをわざわざ言ってくること。自分たちのノスタルジーにわざわざつきあわされること。知らね〜よ、決まってんだろ、知らね〜よ、と。

 ただ、言いたくもなる気持ちもわかってきた。過ぎ去っていくもの過ぎ去っていったものがどこか何かに無視されていくような感覚。忘れようと過ぎ去ろうとしていくものを無理矢理呼び出してみたくなる感覚。

 それは少しずつ少しずつ、自分の中から奪われていくものがわかっていくからだと思う。奪われていくものを笑ってみていられた時期、認識していく時期。それと。遠い昔聞かされた話が自分の中で現実になっていくこと。

 人の名前がホント出てこなくなった。ほらほらあの人なんだっけあの人名前なんだっけ、という会話が同世代の人間との会話の中で、あんまり珍しくなくなった。昨日観た映画の話を夫にするのに、数時間もの間「竹中直人」という名前が出てこなかった。出てくるのはひたすら「竹脇無我」、でも「竹」まで来ても、わたしのシナプスは動いてくれない。

 なさけね〜よ、これが手にする現実だ。それをため息と共に捨て去ってもなんもおもしろくない。つまらない、そしてそうやってきっと失っていく「色鉛筆」。でもね。無理矢理働かせる自分の脳の中を、竹中直人がいろんな顔で暴れ回る。このいろんな顔で暴れ回る竹中直人を文字にしていこうとしたら、それはらんららんらんらんらんらんな感じを呼んでいくことを、わたしはもう知っている。

 この出てこない名前。映画の公式サイトや検索なんかでちょちょいと調べて「あ〜〜〜〜、そうそうそうだった」なんてことは簡単なことなんだけれど。でもシナプスは使った方がいいのだそうだ。シナプスは使わないと減っていく。だからとにかく思い出すことに努力する。がんばれわたしのシナプス! なんてことをハチマキしめたようなわたしのシナプスちゃんたちががんばってるぞ〜的イメージで文字にしたてあげたなら。それはらんららんらんらんらんらんな感じを自分に巻き起こしていくことを、わたしはもう知っている。

 やたらに伸びた髪の毛は、その長さに細かく段が入ったカットになっていて。その微妙に不揃いな毛先を見れば一番長い部分でケツのちょい上にまで到達してきた。少しずつ黒い毛に混じって白い毛が増える。髪の毛の総数の中でパーセンテージを徐々に上げ侵食していく白髪。染色はヘナ使用なので、よく見れば染色された白髪はわかる、赤茶の毛の束。あ〜あ、白髪増えたなと思うだけなら単なる婆の愚痴。でも「すごいぜ、白髪の長さコンテストじゃいいとこいくぜ、ケツのちょい上まで伸ばしてもらってる白髪ってのもそう無いぜ。」などと言いながら、ヘナの効用でも述べていけば、そりゃらんららんらんらんらんらんな気分にもなっていくわけだ。それをわたしはもう知っている。

 これは今日を書き留めていくことのひとつの魔法だと思う。それがfinalventさんとこで書かれた「うまく言えないけど」で述べられていったものと共通しているのかどうか、それはわたしにはわからない。でもわたしのこんならんららんらんらんらんらんな感覚をまちがいなく呼び起こす文章だったと思う。

 リンクしたfinalventさんとこ文章の発端は、kmizusawaさんの更新停止だったけれど。非常に申し訳ないが、わたしはkmizusawaさんとこの更新停止には、ひとつの感想しか無い。それは「2年の壁を越えられなかった」ということ。理由はその人によって固有なものがみなそれぞれあるけれど、ブログ以前の個人サイトの時代から、わたしは「2年の壁」というものをよく感じていた。2年にさしかかる頃、2年を過ぎる頃、いろいろな理由で個人の場が終わることをたくさん見てきたと思う。同じような状況、同じような理由があっても2年の壁を越える人もいれば越えない人もいる。それはいいとか悪いとかそういうことではなく、ネット上で起きることのひとつなんだと思う。わかっていることは、更新を停止しようがしまいが、自分が関わったその人の記憶は自分の中に残したいと思うということ。IDも名前だ、そのうちすぐに出てこなくなるんだろうか。がんばれわたしのシナプス

[]わお、録画しなくちゃ

ベルリン・天使の詩/takoponsの意味

 月曜の9時はばったばたの時刻が常。録画しなくちゃ。

 「ベルリン天使の詩」。もさいオッサンが実は天使で人間には姿は見えない。もさいオッサン天使は、なんだか貧相だったり苦しそうだったり情けない心境そうだったりする人間の肩にそっと手を置き、その人の力を自然に元気にさせる。与えられた大事なお仕事なのに、もさいオッサン天使にはなんか活力が無いわけで。

 それが…。そのもさいオッサン天使は、一人の人間との出会いで世界が変わる、人間に恋をする。人間に恋をして世界が変わることを天使が知ることは、天使が死ぬことを意味すること。天使は死ぬ。そして、なんだかうははなオッサンに生まれ変わるんだ。うははなオッサンはもう天使じゃない、うははなオッサンである人間になる。

 この、なんだかうははなオッサンを見て親しげに指南をくれるオッサンがいる。このオッサンはこの経験の先輩。刑事コロンボのピーター・フォークピーター・フォーク 役で出演しているのが、この「教えるオッサン」。

 人間になったうははなオッサンは、文字通りうははなオッサンになる、天使ではなく。世界のひとつひとつを楽しむ、喜ぶ、そして恋。

 白黒部分とカラー部分。白黒部分は展開としてちょっともったり、まあこの手の映画にはよくある前半の忍耐か。でもそれは後半花咲くオッサンのために必要な展開。花咲くオッサンはとてもステキ。

 と、いう、実にすっとこどっこいなレビューで見てみたい人はどうぞ。わたしは見るぜ。

2007-05-13

[][]ゲゲゲの鬼太郎

 今日、日曜日。夫と息子とそれぞれ午後から夕刻まで用事があると。ふ〜ん、ちぃちゃんお出かけしようか。「スーパー銭湯行くの?」娘とわたしとよく行ってるくせに今日の返答は別。イヤよそんなババくさいとこ。ちぃちゃんオシャレしてお出かけしようよお出かけ。

 高校生になったからね、最近お出かけのときお化粧してあげんの。ナチュラルメイクってヤツだけど。少しラメが入った薄いオレンジのクリーム状のシャドーをまぶたにぼかして入れる。明るめのオレンジ系の口紅を引く。これがかわいいんだ。肌若くて化粧がきれいにのる。いいなあ。お化粧して風呂入りに行ってもつまらんしね。

 ちぃちゃん映画見に行こうよ、チネチッタ行こうよ、と、ネットで上映スケジュールを検索。ふむ、しんちゃんでも観に行くか。ちぃちゃんちぃちゃん、しんちゃん見に行こうか?「やった〜!」。「いいなあああ」とすかさず息子。夫とわたしで同時にツッコミ。アンタもう映画館でしんちゃん観るような年じゃないでしょ。

 13:50にチネチッタに到着。14:20上映のしんちゃんはすでに完売。げ。そうなの? スパイダーマンの吹き替え版までは時間ありすぎ。それ以外は娘に二時間見せるのはキビシーだろうなあと思う。ってことで、14:05上映で席に余裕がある「ゲゲゲの鬼太郎」に決定。障害者手帳を出して割り引きでチケット購入。本人千円同伴者千円。

 うっはっはっは。おもしろかった。キャスティングが豪華で、セリフの随所に遊び満載。一反木綿の退場シーンで声をやってる柳沢慎吾が「あばよ」と言うなど、反則ワザのくすぐりだって。

 鬼太郎の淡い恋がかわいかった。出会いのときの表情、物憂げに恋の始まりを見せるシーンとか。一反木綿に乗るときに、少女に手を差し出す。そこだけはアラジン。手を差し出すが乗るのを躊躇する少女に「僕を信じろ」と言って欲しくなった、もちろん二度言うのがお約束。手を差し出すとこはそっくりでも、でも「僕を信じろ」はもちろんナシ。相手ディズニーだからね、それはヤバいんでしょう。

 人間に恋をしてはダメだ、と目玉のオヤジ。その理由は「人間は死ぬから」。別れがくる恋愛はダメってことか。

 「彼氏いるの?」という質問に「好きな人はいるけど」と答える少女。このシーンはダメダメ。だってこの「好きな人はいるけど」って答にそれが自分のことってすぐにわかってしまう。そんなのダメダメじゃんと思う。こういう会話ってのは、男の子が鈍感な方がいいのに、観てる方はその方がドキドキするのにスムーズ過ぎてがっくり。元々こういう会話ってのは変にもたつく間がぼこぼこあってドキドキするのに、このシーンの会話、スムーズ過ぎ。

 妖怪物忘れによって、彼女の記憶から鬼太郎のことは消える。二人で撮った写真から鬼太郎の姿だけがすっと消えるシーン。お遊びエンターティメントコメディなんだけど、このシーンはせつなかった。

 大泉洋のネズミ男は◎。これは誰もが思うだろうと思うんだけれど。でもわたしの大喜びは実は別。かんべさんが、かんべさんが、かんべさんが出てきた〜〜〜。わあ、久しぶりにこの人観た、うれしい。

 神戸浩/ウィキペディア

 足りない!情報が足りない! かんべさんはね、かんべさんはね、北村想さんとこの劇団のものすごい個性派俳優だったんだから。場がかんべさんに飲まれるような不思議時間ってのがあった。何度もその不思議時間に立ち会えたことのしあわせ。名古屋の劇団だったから、そうそう何度も観られなかったんだけどね。

モンキーロード Profile 北村想

 うちの坊やがまだ1歳児くらいの頃、松竹撮影所の近くのレストランにいたときに偶然出くわしたことがあって。感激いっぱいで「かんべさん!」と叫んでいまして。「北村さんとこにいらしたときに、何度も観ました!」って。

 「うれしいなあホントですか?うれしいなあうれしいなあ。ボクが北村さんとこにいたこと、もう知らない人ばっかしなんですよ」って、ものすごく喜んでくれて。わたしはかんべさんが話してる、わたしにかんべさんが話してる、と、夢見心地。わたしが「じゃあ」って言うまで、ずっと話していてくれて感激だった。子どもを友人に預けてトイレに立ったタイミングじゃなかったらもう少し話していたかったなととても後悔。

 妖怪映画で衣裳やメイクに凝らなくてもキャラが立ってたかんべさんはこすい悪役でした、うふふ。

 あとホント、どうでもいいことなんだけど。真っ赤なミニスカートの猫娘。その真っ赤な短いスカートの裾から毛がちらちらと見えてるわけで。スカートの裾の飾りか、って感じなんだけど、スカートの裾から黒い毛がもそもそと見えてるのって、なんとも不思議エロだった。エンディングでこの黒い毛のからくりをどばんと見せてもらえるんだけどね。

 で、うちのお嬢さん。残席わずか状態で入ったので前の方のふんぞり返ってみるような座席だったのだけれど。それでも身を乗り出して観てました。飽きさせない豪華キャストにコスプレ揃い。特撮はレベルが低いという評価があるようだけれど、娘にはそんなレベルはおかまいなしで、充分楽しめたようです。ポケモン映画でもセリフ中心のシーンになると、ちょっと集中がつらくなるうちのお嬢だけれど、今回はそんなこともなく、という感じだった。画面の見た目の派手さってのは、やっぱりわかりやすいみたいだ。

 細かいシーンでわたしがくすくすっと笑うと「おかしいねえ、おかしいねえ」とあいづちを求めてきました。おもしろかったね。また映画行こうね。

2007-05-12

[]いろいろ思った

 うまく言えないけど、自分は爺とか言われるし、自分でもそう嘘ぶくけど、最近、なんか、若いときの胸きゅんてきな切なさみたいな感情とか生き返ってくる面もあるし、それは多少、ブログとか日記とかにも関係しているような気がする。10代、20代のときの、もう返ってこないはずの切ないような心情が、ふっと蘇ることがある。(あと足がすこし軽くなった感じで、ふと歩きながら踊り出したい気持ちもするし、水のなかの感覚から大気中を飛んでいるように風を感じることがある。)

ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか/finalventの日記

 ぱちぱちぱちと拍手してスキップらんららん。わかる。

 しかし昭和32年生まれで「爺」かあ…。まいったなあ。この方が小学校の6年生のときに低学年やってた自分は「嬢」と出してるわけで。いや言ったモン勝ちだから。

 日々、ブログという媒体に何か書く、書き留める。それはなんぞや。このなんぞやをぱしっと言ってみたらこうなるか、と思ったきをふしのこの表現が好き「僕もいっぱしの日記書き」。

 僕もいっぱしの日記書きなわけで、ちょっとした表現なんかに気を遣うこともけっこうある。隠れた価値の価値はその点でよく理解している。その視点でいいのだ。僕は書くときに焦ることはない。

ひと・本/故詠みのベル

 書き留めていくのは楽しい。余計なことまで書いたなあと、過去のものを再読して思うこともある。でもそこにいるのはその日の自分。それでいいんじゃないかと思ってるのがわたしのスタンス。

 わたしはここにいる。昨日のわたしがそこにいる。その軌跡、そしてまた明日があって連続した線。それが残っていく記録。

 ネット上に公開した場をもつと。実生活上はつっこまれないことをつっこまれたりすることもある。そうかと思うこともあるけれど、そうそう出した文章だけで出てくることに、どこまでもつきあってもいられないし。自分にはぴたっと理解できる表現を選んでるつもりでも、よく知らん人には自分と同じようには理解されないだろうし、また「なんだよオマエ」と思われても、そのことにどこまでもつきあうわけにもいかないし。いい加減には処理しないけれど、いい加減のとこで片づけたいときもあるし。まあそもそも人間関係ってそんなこといっぱいあるからなあ、とも思う。

 アクセス波がばばっと来たりしても、一年たったときにそのことを誰が覚えてるんだろうってくらい、ネット上で流れる時間は早い。でも一年たっても二年たっても、自分が書き留めたものの中にいる自分が自分にはわかる。わたしはそれでいいやと思う。

2007-05-11

[]今日のはてなブックマーク:その1

朝トレのランニング〜依存の強い生徒さんのケース/特別支援学校って…へぇ、そうなんだ

 霞先生、うまい! 具体的な態勢として形から入ることが効果を見せることはあると思う。

 何を思って始めたのか忘れたけれど。娘が幼児期の頃連れ歩くときに、横断箇所でやっていたこと。横断歩道でも信号のある交差点でも。

 手をつないで歩いていて、横断箇所に来たら手を離して後方に回り込み、後ろから両肩に手を添える。横断のタイミングが本人に判断できようができまいが、判断の主体は本人という位置関係。右見て左見て等後ろから指示を与え、でも本人の視界にはわたしはいず、自分主体で交差点を見ることになる位置関係。横断のタイミングで後ろからゴーサインを出し、本人が一歩前に踏み出すとき。それは手を引かれて始まる一歩ではなく、自分で歩み出す一歩。渡り始めたらまた手をつないでも、横断は本人が踏み出す一歩からという位置関係。そのうち本人が判断をし始め、それでいいのかと振り返る。OKを出す。その地道な繰り返しと積み重ね。そんなことを思い出す。これも具体的な態勢として形から入った例だよね。

 それと。「少しでも走ってもらいたいと思っていました」ということ。その目標に対して本人に近づかせようと追い立てるのではなく、本人がその目標に向かおうとする態勢になることを工夫すること。こういうことよね、と思う。こういうことが、「知的障害児の教育で問われているのはこちらの知的能力」ということなんだと思う。

 すぐに目に見えることがあることばかりではないけれど。それでもこうした工夫の積み重ねからいずれ見えていくことがあるようにも思う、いろいろな形で。

[][]今日のはてなブックマーク:その2

母について/fuuuuuuunの日記

しかし母が渡したと思ったものと私が渡されたと思ったもののギャップが大きかろうと、母が寄越し損ね私が受け取り損ねたもののほうが大きかろうと、その滑稽さやせつなさのようなものを含めて「そういうもの」だと徐々に私も思いつつある。

 う〜ん、いいなあと思う。文中の「でも母は待っていたのだろう。」ってのもいいなあと思う。親という存在は、自分にとって生み育ててくれる立場の存在と、そしてもうひとつ、間近で人生を見せる存在というものでもあるとわたしは思う。その間近で人生を見るということが見えてくるとき、渡されるものがまた生まれていくんではないかとも思う。道徳の教科書みたいな「母の愛」より、そういう方が現実的で、そしてわたしはそういうことを興味深いと思ったりするんだろうなとも思う。

 単純な「母的なもの」ってけっこう他者から学べたりもするんですよね。わたしゃきれいな洋服のたたみ方ってのは、実は19のときに友人♂の一人暮らしのタンスの引き出しの中身を見て学んだのですよ、わあお店屋さんみたいだとか言いながら。あはははは。うちのかーちゃんは、もっとぱぱっと雑。この友人のお母上はきちんとした方で、オヨソの女の子も間接的に教育したことになる。この教育は生きていて、わたしは子どもにまたそれを渡しています。

 そういやコレ。

身の回りのことが苦手/うどんこ天気

この人のお母さんは、雨の日は濡れて帰ってくるだろう子供を待ってお風呂を沸かしてくれたりしたんだろうか、と思った。

 これ読んだ数日後に、息子がずぶ濡れで帰ってきましたよ。この日はてっきり折り畳みを持っていったと思っていたが、実は忘れていたそうで。で、ずぶ濡れ。

 「今お風呂入れるから入りなさい、風邪引くよ」などと玄関から大騒ぎしました。真相を言えば本当の大騒ぎではなく、にちのさんとこ読んで学習した「母という存在の演出」だと思う、へへへへへ。息子がこの日、わたしに「母なるもの」を感じたりして記憶に残したりしたとしたら。その母的なものを間接的に渡したのは、実はにちのさんだ。そしてそれを渡したのはにちのさんがつきあっていた彼氏であり、そしてそのおかあさまだ。母なるものの連鎖。

[]今日のはてなブックマーク:その3

いま・いい・わるい /故詠みのベル

いまはいましかないいまをみるしかないいましかないいま。「いま」はいつ?

 き、を、ふ、し〜〜〜。いや意味の無い要するにファンの叫び。

 いまはいましかないけれどそこにあるのはずっと続いているいまの連続で。どのいまでみているかでいまみているいまはかわる。それをみられるいまはいましかない。いまを得られるいまもいま。

 「いい」も「わるい」もそんなことは知らない。わかっていることは、いまを感じる自分を選ぶか選ばないかということ。それだけ。

2007-05-10

[]完治

 胃腸風邪だったのか、4月の多忙の疲れが出たのか、はたまたGWに暴飲暴食し過ぎた後遺症か、不調の原因は不明。まあとにかく体調の崩れは完治。

 ろくに飯食ってない状態から、少し食うってとこを越えて、初めてまともに食いますってとき、ちょっと勇気要らない? いい気になってこの後胸焼けすんのかな、とか、ピーいくかなとか。

 なんてとこなんだけど、そんな感じで今回初めての復活食事ってのは洋麺屋五右衛門のスパゲティでした。所要で数人で出かけてのお昼。五右衛門いこいこの流れにちょいと(うっ…、油っこくねーか?)とか思ったが、いーやいーやで何も言わず、食ったらあなたうまかった、たらこカルボナーラ。

 その勢いで、夕食は野菜たっぷり使用の和風パスタになりましたとさ。うまかったわ。

[]何がおもしろいか

 読みふけっちゃったブログ。ページめくりまくり。さんざんページ繰った挙げ句、サイトの紹介文を読む。

 このブログは、80年代後半〜90年代前半のモノや出来事を普通に紹介するブログではありません。

 当時心を奪われたものを、今の自分の目線のフィルタを通して皮肉ぎみに振り返るブログです。

このサイトについて /80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

 え〜、なんつ〜か。コレでしょ、やっぱり、と思う。個人のブログってのはどこかおもしろいかっていうと、何をどんな目で見てるかってことなんだと思う。この「何を」ってのはいろいろな題材があるけれど、「どんな目で」ってとこは少なくともわたしにとっては、おもしろさを決める重大な視点になっていると思う。

 何をどう見るのか、自分はどうなのか、明日の自分への影響は、とか。それがいっぱいつまってるこの文章にぐりぐりと二重丸つけるようにブックマーク

さんまに学ぶ切り替え力/80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

2007-05-08

[][][]反応に反応

2007-05-06 母親像

 はてなブックマーク人生やら生き方やらというタグがぽんぽんとつきましたが。母という関係の女性のほんの一部の切り取りです。鬱屈した表情に気づいてはいましたが、厳密に言えばそれは結婚生活の前半ですね。この時期はとても大きいものだったと思うけれど。しかし後半から現在まで大きく変貌を遂げる。

 きっかけのひとつは、元々相性の良かった次女が成長してきたこと。中学くらいからだったか高校くらいからだったか、人生生き方、思考等、ひたすら対話をするようになります。わたしにとって、長期において会話できる親友という位置があります。母子という関係では出現しないような単語が、相互の口からぽんぽんと飛び出すような会話は多かったと思う。同じ小説を読んで合評なんてこともありました。

 そして。学ぶ姿勢を常に停止しなかった。どんな媒体からも学ぶことをやめなかった。かなりのものに自分の許される範囲で手をつけますが、大きく転機になったことがある。400字詰めの原稿用紙に10枚自己形成史を書き、けっこう倍率の高い審査にパスして2年間の研修を受け、その後20年以上あるボランティアを続けます。

 この2年間の研修は、徹底して自己のウィークポイントを掘り下げるようなものがけっこうあり、かなりきついものだった記憶があります。このボランティアいのちの電話相談員です。誰かに何かをしてあげたかったという高尚な理由ではなく、徹底して自己に向かい合うためというのが動機だったようです。その自己に向かい合う作業にも、わたしは友人としてつき合いました。

 そもそもは頭ほっかほかのとんちんかん女です。生粋のお嬢さん育ちのなせるところということもあると思う。マヌケで鈍くさいが、美人で頭がいい。チビだがスタイルはいい。そして顔のいい女が許される言動、ってのを知ってますね。しかしイヤミにならないキャラだと思う。70代になった現在も、オシャレで非常にキュートだと思う。

 頭ほっかほかだから、自分の友人としてのわたしが娘であることを時々忘れるようで。ほらあのときあんなことがあったじゃないと言われても、2歳3歳じゃ覚えてないって。なんてことを平気で口に出したりする。

 人をいわゆる色眼鏡で見ない。ヤクザもんになってしまったわたしの友人が出所をしてきてすぐの頃に道で出くわして「今度うちにご飯食べにおいでね〜」と誘ったと、その友人はあっけにとられたと後でこの男の子から聞きました。まあ常識から飛ぶようなエピソードは多いと思う。

 どんなことでも笑いに転化してしまうツボという感覚も共有できる。母とはよく酒を飲んだ。ただ父はそれを嫌う。わたしたちはダイニングに父がリビングに、という位置関係のとき。わたしたちは酒を飲みたかった。でもモラルハラッサーの常で、必ず監視下におかれているわけです。んじゃ、という感じで、急須にビールを入れて湯飲みに注ぎながら飲む、という、わけわからんことをわたしが言いだし、母がそれにのり、ということが時々あって。真面目な顔して急須からビールを湯飲みに、茶を注ぐような動きで入れる。おかしくて手が震えそうになるんだけれど、真面目に真面目に急須から湯飲みにビールを注ぐ。「そんなにごくごく飲んだら喉が熱いでしょう?」なんてもっともらしく言ったりするもんだから、笑ったら負けよみたいなゲームでそりゃあおかしかった。そんなことは関係の中にいくらでもあった。

 信頼できる友人ではあったけれど。わたしは子どもが小さいときは、よほどのことが無い限り、自分がいないところで母に子どもたちを預けたことはありません。だってよ〜、危なっかしくてよ〜。娘が小さい頃に孫かわいさに「この子が風邪を引いたのは薄着をさせたアンタのせいだ」と言ってきたことがありまして、たかが風邪ごときで。このときばっかりはわたしゃマジギレしました。オメー、そういうこた言えない母親だろ、と。しかしけろっとこういうことを言っちゃったりするのがうちのかーちゃんだった、とは思ったが。

 それと、友人としては仲がいいけれど、母親に対しての甘えや依存というものをほとんどわたしは持っていないので、淋しがらせたこともあったようで。でも申し訳ないが、そりゃ無理だって。結婚後、家に帰るときに娘の好きな食べ物を用意しようと思ってはたと気づいたと。偏食のひどい父と長女とという家庭の中で、偏食が全く無い次女の好きな食べ物というものをひとつも思いつかなかった、と。これだ、と思うのは全部次女ではなく自分の好きな食べ物なんじゃないか、と。おい少しは気づいてくれよなんて思うが、実はそんなにそうも思ってもいないわけで、ただ笑ってしまってコレとコレだよと口で教える。それ以上はわからないらしい。そんな状態で甘えない依存しないと淋しがられてもちょっと困る。でもまあそんなこた、たいしたことでもないわけで。

 離婚しない理由ってのは、腐るほど聞いた。そのときによってその理由が出てくるポイントが違う。しかし全て、いろんな意味で納得したなあと思う。自己卑下するものもあったし、生活という面でのこともあった。そうして、結局やっていたのは自己と向かい合う作業だったようにも思う。

 多分これが離婚の最後のチャンスになるだろうというとき。自分の意志で夫の元に帰った。父はモラルハラッサーではあるけれど、母はもう被害者という位置の人間ではないのだと思う。自分の意志で共生を選んだ人間なんだと思う。

 ということで、非常に興味深く、またわたしに影響を与えた人物であると。この女性が母であることは、わたしにとってプライドのひとつかもしれない。

 それからトラックバック二件。

ウィーンの母達の母乳/明日また生きるぞ

 自分が生まれた1975年のオーストリア、ウィーンでは、行政による無料サービスとして母乳が配給されていたらしい。

 「もらい乳」という言葉があり。これはいつ頃までの文化だったのか、村の中で母乳が母親から母親に提供されていたことがあるようです。

 そして。日本は戦後の荒廃から経済成長の時代に行こうとしていたとき、女性に対して家や農家の労働ではなく産業としての労働力が期待され、人工乳がせっせと宣伝される時代が来る。早く大きくなる人工乳、頭がよくなる成分を添加してある人工乳、などという宣伝文句と共に人工乳が売れた。材料の牛乳は足りなくなり、古い牛乳を使うことになる、古い牛乳がお湯に溶けにくいので第二リン酸ソーダをミルクに混ぜた。そこで起きたのが1955年森永ヒ素ミルク中毒事件。→ウィキペディア「森永ヒ素ミルク中毒事件」

 こうした日本の事情があるその20年も後に、ウィーンでは堂々と「もらい乳」をやっていたんだなあというのが感想。

『千と千尋の神隠し』「冷たい?母親」の設定/yokores

 わたしは「千と千尋」は観てないのでシーンの解釈はなんとも…というところアリ。

 ただし。日常において、全てではないにしろ、子どものペースに合わせない行動ってのはあるだろ、と。そんなことは子どもをもった親ならあるだろ、と。人に見られて誤解されかねないとこがあるのがまた、日常ってものなんじゃないかとも思う。

 子どもに対しての商売が盛んになり、なんでもかんでもお子さま状態のことはよくあるようにも思う。またそうした光景を自ずと期待されることが増えたようにもちょっと思う。ただ、一面の切り取りだけではなんとも言えないのが親子であり、家族であり、ってことなんじゃないかとも思う。

[]っちゅ〜ことで

 宿題終えたんだけど。頭いってーよー。喉はいてーし。要するに胃腸に来る風邪?ってこと?って感じ。下向いたりかがんだりすると頭がんがんくる。

 んで昨夜の光景。

 夫帰宅、「ただいま」おっかえり〜〜〜(ぴょんぴょん跳ねながら)。夫それ見ながら「ああ観てきたんだ」そおおおおおおおなのおおおおおおお(ぴょんぴょん)。川崎行ったんだよチネチッタ。「川崎の駅のどっち側だった?」知らないそんなこと覚えてない、行くまで体調悪くてぼろぼろだったもの、帰りはコーフンしてたし(ぴょんぴょん)。

 「熱は?」(と、わたしのオデコに手をやる)「ああちょっとあるね」そおなのぉぉぉぉ(ぴょんぴょん)。「全然熱ある人に見えないんだけど…」え?頭痛いぜ、ガンガンくるぜ?(ぴょんぴょん)。

 「少し落ち着けばああ?」と息子。「いや無理だと思うよ今日は」と答える父親。娘は台所のCDプレイヤーで流れ続けるロッキーのテーマに変にノリノリ。

2007-05-07

[][]昨日のエントリと今日の半日

 昨日あげたエントリ母親像」、アクセスと反応にびっくり。コメントやTB等思うところあるのですが、ちょっと申し訳ないが少し反応は延期。

 あのさ、体調悪い。胃腸の調子がきつい。微熱もアリ。今日はなんとか朝の弁当を作ってガキ共送り出して、ダウン。

 しかし。10時にむっくりと起きあがる。行かねば。今月のスケジュール上、今日を逃すともう無理。あちらさんのスケジュールももうそろそろ終わりに近づいているはず。わたしにはひとりで行かなければならないところがあって。4月の後半からずっと行きたかったのだけれど、行けなかった。一人で行かなきゃいけないの、没頭するために。

 朝飯抜き、昼飯抜き、現在コーヒーとお茶くらいしか飲んでない状態。でも行ってよかった〜〜〜。わ〜〜〜〜。

 いいとか悪いとか言われたくないの、ただひたすら没頭したい。そして希望通りただひたすら没頭。ハンカチは涙拭いたり咬んだりと、大忙し。

D

 いい上映館じゃなきゃヤだったので、川崎まで行く。平日11:55スタート上映、映画館の中はもちろん混雑ではなくまばら。そして一人客が多い。男の子が多い。

 その中で。ひとつおいて右に座った多分同世代の一人客女性。わたしはあなたを同士と呼びたい。上映中あなたが小さく手をたたいた音をわたしは聞き逃しませんでしたぜ。

 バカだと自分でも思いながらグッズ購入。現在のわたしの右手にはでっかく「R」と刺繍されたリストバンド。ホント、バカだね、でもしあわせ。右手に力も入るぜ。

 体調悪いけど、今日の後半頑張る。そして明日からの日々も頑張るぜ。

2007-05-06

[]母親像 

そこまで努力しても/kmizusawaの日記

30年以上昔の一家庭の光景ではあるが、教育再生会議の人なら褒めてくれるんじゃないだろうか。

しかしそこまで親が頑張っても、その子は親をうっとおしいと思うだけだったし、成長してからは、結婚もせずふぇみにずむや左巻き思想にシンパシーを感じて政府の批判ばかりする、いい加減で無神経なダメ人間になったそうだ。

 この話、わたしの母が読んだなら、と思った。多分後半のその「しかし」は頭には入らず、前半分でへこむんじゃないかと思う。

 長時間テレビを見せないようにする、というより、自分がだらだらとテレビがついていることを嫌うために「イヤだ」と言ってテレビを消した。俗悪番組の類は「脳味噌が腐る」なんぞと言ってはいたが、見たがるものを斜めに見ていただけで、たいして禁止はしなかった。そのかわり本人が好むNHKの番組をなんとなく子どもが眺める環境ではあったので、教養番組でのダビンチやミケランジェロの生涯や、古典文学研究番組の内容はなんとなく記憶には残っている。

 夫婦仲が悪く、暗い顔をすることが多かったけれど、そのかわり自分が好きな映画で自分の鬱屈した感情を発散していたのだろうと思う。自分が観たい映画を観るために子どもを映画館に連れて行った。わけわからんままに「2001年宇宙の旅」をロードショー公開で観たのは幼児期が終わるときだった。自分のために連れ回す後ろ暗さか、時々は子どものため選択もしなくちゃという感覚もあったのか、ディズニーの実写版は全て観たと思う。父親が時々わけわからん大騒ぎを爆発するのだけれど、渋谷の駅の雑踏の中でぎゃんぎゃんと爆発して母に怒鳴り、それを見ながら通り過ぎていく人々という記憶は、やはり映画を観に行ったときだ。あれはオードリーの「暗くなるまで待って」だった。こういうことになるから映画は母子だけか、叔父と一緒に行っていたのだけれど。でもごく普通に家族でというものもやりたかったのだと思う。惨めな失敗には終わったけれど。そして全く子どもの年齢を考えちゃいない選択だよな、とも思う。今から思えばよく字幕を読めたもんだと思うけれど、ストーリーはしっかりと理解し、この映画は面白かった。

 姉が6年になってから私学の中学に行きたいと言い、出だしの遅さから苦労したために、次女には早くから塾通いの体制を敷いた。でもちっとも勉強せず怠けてばかりいて、進路指導模試で出てくる数値の学校よりも低い学校を安穏と選んでも、それでも何も言わなかった。塾だの模試だの、けっこう苦労も金もかけただろうのにと、今となっては不思議にさえ思う。

 母親としてしなければならないこと、ということが頭にはあったと思う。それでもそれを実現できるほどには、母本人自身の心理を守れる生活ではなかった。夫は夫としてはっきりとおかしい家庭だったと思う。知識と教養は高い方だったと思う。必要なことを察知して子どもに与える目もあったと思う。なんだかんだとぶつくさと思考するわたしに、早くから児童書として哲学書を与える母だった。ちくま少年文庫哲学シリーズというものを全巻でそろえたことをよく覚えている。ただ小学生のときに中学生レベルというとんちんかんさではあったけれど。それは早くから先のものをというエリート思考ではなく、これこの子に買っとけばという感じで、時期なんてものはそのうち追いつくんじゃないかなんていう、けっこう勝手なものだったと思う。変な本がいっぱいあるなあという印象がありすぐには読まず、そのうち読み始めたけれど、最初から無関心で読んだかとも聞かず、まったくもってほったらかしだった。

 環境として与えることはしても、こうしろとはひとつも言わなかった。他の人がこうだからとか世間がこうだからとかなんとかという類を、不思議なくらいひとつも言わなかった。成人してからそれは何故だと聞くと、わからない、と。でも自分の母親が管理主義者でそれがイヤでイヤでたまらなかったからだと思う、と答えた。大きな商家という裕福な家庭のお嬢さんとして育ち両親と祖母に溺愛され、あまり考えることはなく敷かれたレールを歩き、イヤだと思うことはあっても反抗というものをしたことが無かったと。生まれて初めての親への反抗が結婚で、その結婚が自分にとって不幸なものだったと。大きな病院の院長との結婚が決まっていてその縁談を母自らが壊し、父親に「あの男ではダメだ」と泣かれたその男の元に走った母。そしてすぐにわかる自分の選択の失敗。母の結婚後の人生はそれだけでいっぱいいっぱいだったんじゃないかとも思う。実際母が鬱屈した思いに悩む時間というものは生活の中の随所にあり、そういうときにできる隙のような時間の中で、時々子どもは大きなケガをした。今は薄くはなったけれど、わたしの体にはかなり長いこと派手についていた火傷でできたケロイドがあった。

 母の不幸な結婚生活。なんだかんだともろもろとはあったけれど、小さいときから次女がくるくると解決に動くことを気づいていたと。本当は子どもにこんな役割を負わせてはいけないのだと、それは気づいていたと。でも自分には力も意志もなく、それが楽なままにその流れに任せてしまったと。自分は母親として失格だと言う。

 姉は母を、母親としてあまりよくは思っていない。母親として、というところで欠いたものは確かにけっこうあるとも思う。でもこの人を母として生きてきて、けっこうおもしろかったな、と思う。母親に言っているのに、母親という立場からではない言葉が返ってきて、そのことに発見をしたということも少なくなく、でもそのわたしに影響を与えた発言自体をちっとも覚えてなかったりする無責任さというものも多く、おもしろいなあと思うことも多い。

 ただ。立派な母親の話を聞くといつもへこむ。自分はちゃんと母親というものができなかったとため息をつく。母が参観する授業の発表というもので、下記の歌を聞いたときに、なんか心底へこんでいた姿を思い出す。

「おかあさん」江間章子作詞・中田喜直作曲

 kmizusawaさんのところにリンクされてた下記のもの。母がこれを読んだら、多分まちがいなくへこむ。批判よりもへこむんだろうと思う。

教育再生会議による「親向け御触書」/覚え書き

 「母乳育児」。この言葉で母乳が出ない出にくい人は痛みをもつと思う。でも母は全く別種の痛みをもつと思う。平和は無くても金だけはあった家庭。わたしの出生後、家にはお手伝いさんが住み込みで雇われていた。この方が自分が子どもが欲しかったということがあったらしく、自分の仕事という大義名分をもって母から赤ん坊を取り上げて自分が溺愛した。そこで母乳育児は邪魔だった。わたしは母親以外の人間に乳児期に溺愛されたために、母乳育児をされる経験を失った。様々な理由から、母はその流れに抗えなかった。その様々な理由は、出してしまえば他者の批判にさらされるのかもしれない。でもその人固有の理由というものが、その人間に与えてしまうものは大きいのだとわたしは思う。それでもその流れにあらがえなかった自分を、母は思い出すのだと思う。そしてその自責の感情から、その後のものももう読めなくなるんじゃないかと思う。

 正しいも正しくないもない。人間の人生というものはそういうものなんじゃないかと思う。それでいいんじゃないかとわたしは思う。そしてけして教科書的なものでなくても、わたしが母から手渡され、受け取り、生きていっているものは多いと思う。そして気づくと、そうして受け取ったものを、わたしはまた我が子に渡そうとしているようにも思う。

2007-05-05

[]わ〜い、さすが霞先生

名は体を表すのに…/特別支援学校って…へぇ、そうなんだ

で、ちょっと気になったので、全国的にはどうなんだろうと調べてみました。

 今までの霞先生のブログの中で、こうやって全国的なデータをネット上から洗い出したものは他にもあった。そんなことを思い出しながらふむふむふむと読む。わ〜い、さすが霞先生、はてダ復活を改めて喜ぶ。

 今年度、わたしは娘が通う特別支援学校で、新入学の方のこんな保険の新規申し込みをまとめるお仕事をしたりしていまして。

養護学校補償制度のご案内/全国知的障害養護学校PTA連合会

 これ申込書の学校名のところに「  養護学校」とあらかじめ明記されてるんですよね。しかし娘が通う学校は、養護学校ではないわけで、校名んとこをそのままでは使えない。それで「  養護学校」とプリントされてるとこにいちいち二重線引いて「  特別支援学校」と書き直していただいたわけです新規申込者の方に。

 もう養護学校ではなく特別支援学校なんだからさ〜、と思いながら、今年度はその処理が間に合わなかったんだなと思ってた。でも霞先生の調査を見る限り、次年度もこの申込書は「  養護学校」で来るのかもな、と思った。自分とこ中心に思考したら違うってことの代表的なとこかもしれないな、と思った。そんな視点をもらえたこと、ありがとう。

[]最近の学習

少し。/fuuuuuuunの日記

もし私がその場にいたら、satomiesさんの「女だね〜」に対し「そうだね」と相槌を打ちながら、心から頷けない自分を感じるだろうと思うんですね。

今はエントリを読む事でこのあたりのことを知ることができる。

すると、つかみどころのないように感じた「髪を伸ばしている彼女」が、とたんに実感をともなって近くに降りてくるように感じる。

そして、心から頷くことが出来る。共感は難しいとしても。

 最近ふと思うんですよね。自分は人とのコミュニケートで相手に取り残し感を与えてきたところがあるんじゃなかろか、と。

 「空気を読む」なる言葉ってのがあるんだけど。わたしはコミュニケーションという場で、相手の細かい心理の変化を察知するとこがある。そうした敏感さが自分でもめんどくさくなるので、逆に変に大胆に出てしまったりすることもあるのだけれど。

 ただその大胆さというのは、その場にいる人間に対して取り残し感や暴走感を与えたりすることがあるんだろうな、と、改めて思ったり。これは最近fuuuuuuunさんの思考をよく聞くようになったことの収穫だな、と思ったり。

[]表示の文字サイズ

ブログの文字サイズとブラウザの文字表示設定/ekken

サイトを運営する、多くの若い人にとっての「読みやすい文字の大きさ」がこのサイズなんだろうか?

 若かね〜んだけど、わたしは表示は「小」なんですよね、そしてこの文字大きさが読みやすいと思う。それは表示される画面で行をいっぱい表示させたいからかもしれない。いわゆる「行読み」ではなく「面読み」してるってことかもしれないと思った。「面読み」して素通りするとこはそのまま。「面読み」して(お…)と思うとこは再度しっかり読み。場合によっては表示文字サイズを変えたりメガネ持ってきたりする。

 文字サイズを「中」にすると、なんだろ、なんかマヌケっぽい感じがするのはなんでだろ。

 さて自分とこのはてダ。表示の文字サイズを「小」から「中」にすると、文字の大きさが変わらず、文字と文字の空間がちょっと広がるのみ。本当はid:faintmemoryさんとこの文字大きさが一番自分としては読みやすいのだけど、設定がよくわからんちんなので、結局今のままになっているヘタレ野郎な自分。

[]なつかしいなあ、と思った。

「自分の足で、一人で立って居られる人になりなさい。そうでなければ、幸せにはなれないよ。同じことを、繰り返すよ。」

 私が依存しようしようと仕掛けた人は、「幸せになれるのでしょうか」というメロドラマヒロインなりきりの私の問いに、きっぱりと言い切った。

離婚記念日によせて/モラルハラスメント・ブログ

 こうやって読むとなんかすっげ〜偉そうなんだけど。でも、相手の首のすげ替えだけじゃダメだと思ったんだよね。

 生きていく中でぶちあたる壁というものは、他者からヒントはもらえたりするけれど、壁を越えていくのはやっぱり自分でしかできないことで。手を貸してもらうことはあっても、手を引いてもらおうとしたらやっぱりまずいんじゃないかと思ったんだよね。「貸す」と「引く」は全然違うことなんじゃないかと思うんだよね。

2007-05-03

[]ほめられたい

 ↓、5月2日更新分からの発展。

 まず一個エピソード。わたしの母校である私学一貫教育女子校は短大女子大があって、まあそこに行く子は多いのだけれど、わたしは外に出た、と。そして新しい学校という場の仲間たち総勢50人弱と夏休みに学校の施設があった八ヶ岳に旅行に行くわけで。

 風呂にね、入ったのよ。人数多いからぞろぞろと。で、浴槽に入っていたわけだ。そうしたら隣にいた女の子の胸がふと目に入った。

 わたしは思わず目を奪われたわけだ。なんと美しい、と。これは神様の作品だ、と思った。

 北国出身だからなのか、抜けるように白い肌。その美しい肌と胸の隆起。その先っちょにつんとあるヤツのその脇、腕の側から見える胸の隆起のカーブのあたりに、真っ黒なほくろがあった。胸の先っちょのつんとあるヤツより少し小さめくらいの、ほくろとしてはでかめのほくろ。ほくろのある位置と、そして白く美しい肌とこの真っ黒なほくろのコントラストはドキッとするほど美しかった。

 わたしはきゃーきゃーと歓声をあげ、手をたたいた。すごい、ステキ、美しい。美しいものに対して、とても素直に賞賛を惜しまなかった。きゃーきゃーきゃー、なんてステキ、なんて美しい、と。

 そうしたら。そのすぐ横にいた女の子が、アタシはアタシはアタシもこんなとこにほくろがあると、わたしの目の前にどどんとケツを突き出した。

 今のわたしだったら、そりゃ手をたたくかもしれない。若く美しいケツだからね。でも自分だって若かったわけだから、そんなあなた普通のケツの普通のほくろで、しかもケツを目の前に突き出されて、なんかどうしていいかわからず、ここは手をたたかなきゃこのケツは目の前から消えないぞと思って力無く手をたたいた。

 いやこのケツ女がイタイってことではなくて。女の子ってのは元々そんなものかもしれないと思う。こういう素直さで即座に表出できるかできないかではなく。

 ただ、素直に即座に表出できない場合、そのほくろはどうだこうだ(論理批評的)なんてことをやったり、ケツ突き出したり、スルーで流したり、ってことになるのかもしれない。実際このときも、わたしの感動を共有しようとする女の子はこの場にいなかったしね。あのほくろすごかったのに、美しかったのに。わたしはこういう感動をしたい方の欲が多分強いんだろうと思う。

 それでもって、このめんどくさいような心のやり場ってのは、自分を好きと言ってくれる男性に投入される場合があるのかもしれないとも思う。わはは、わたしはそうですポリポリ。

 さてうちのぼっちゃんぼっちゃん。彼は男だ。とりあえず同性愛思考はないようで、初恋に大量のエネルギーを注ぎ込んだヤツなので、母は教育する女ってヤツを。ねえおかあさんアレがどうでこれがどうで、ふむふむ、なんてあいづちの合間にナニゲに投入する、ねえ愛してる?

 ぼっちゃんぼっちゃん、すでに軽くスルーの域に入っております、なんなんだ?とさえ言わない。チョコが好きといえば、ねえわたしとどっちが好き?という質問をぶん投げる。幼児期は「おかあさんはおかあさんでチョコはチョコで、おかあさんと食べ物は比べられないでしょう?」などと一人前に説得にかかってきたが、そのうち軽く「おかあさん」と答えるようになり、そして堂々と「チョコ!」と答えるようになってきました。この経緯をコースでやってればまあたいがいの場合は応用が利くだろう。女なんてものはこのくらいめんどくさいものだと知ってればよろしという母の教育

2007-05-02

[][]およよ、そうきたか

クリリン発動しまくり/kmizusawaの日記

 およよ。

 いや、女ばっかのなま暖かい場に育った自分の影響なんてことの話だったんだけどそうなったか、と思った。

 特に、というか。わたしが通った私学の中高というのは、まあ中学高校6年間が完全一教育というヤツで、高校で外部からの入学は無し。つまり学年全員が6年間純粋培養だったわけで、ごきげんよう。ん?なんでここでごきげんよう? あのね、起立、礼、「ごきげんよう」なの。朝も昼も帰りも全て「ごきげんよう」。この「ごきげんよう」の挨拶というのは、都内私学女子校には多いみたいで。朝も昼も時を問わず、出会いも別れも使える美しい言葉「ごきげんよう」ということで。

 で、その中にあった世界はいいも悪いもなま暖かい場という感じ。だからこの世界を出たときに単純に「ほえ?」と思うときがある、と。

 同じ場で育った人間の中でもその個性はいろいろなのかもしれないが、わたしは同性を、というか女性をほめるのはけっこう好きな方だと思う。ほめたことでなんか見返りが欲しいからほめるのではけしてなく、ほめたいとこが目に入った場合にそれを口に出すのにあまり躊躇はしないという感じ。いいな、と思ったときも、割と躊躇無く口に出す。

 女性は、と言ったけれど。男性は、というとコレは実はわからない。なんでかってーと、わたしは女性でわたしがほめる場合は「異性にほめられる」になるので、前提条件が変わってくるというか。

 で、その「ほめる」とか「いいな」とかに横槍が入ると、なんかもう単純にびっくりする。不快というより場の処理に困る。わたしごときのほめ言葉に、公平性なんて求めないで欲しいとかも思う。でも誰かがほめられるのを見たときに、ざわざわって心が動くときに、その表出の仕方は人によっていろいろってことなのかもしれない。ざわざわって心が動くことはそれは心の動きってものなんだろうと思う。心が動くってこと自体はいいも悪いもない。

 「髪の毛長くないと女じゃないの?」と、なんか論理性っぽく言われるとすごく困ってしまうのだけれど。アタシの短い髪の毛だってかわいいし似合ってるでしょ、って言われれば、うふんごめんかわいいかわいいなんてことを言う場合はあるけど、そんなこた誰でもべらべらと言えるもんじゃないと思うし、こういうのべらべらと言えるタイプはこんな風に、なんだか変にもってまわった論理っぽいことは言わないんだろうなあと思ったり。

 でもってkmizusawaさんとこのコレ。

 私は別に計算して行動してるわけじゃないんだけど(と思ってるけど)、だからこそ自分のやってることに気づけないところもあるだろうし、なんかなそこらじゅうで知らない間に人を不快にさせてんだろうなとか思ってしまうんだよな。

 そんなのみんなそうだろうと思う。だからなんとなく、自分の快・不快と似たようなとこの場をさがしていくってとこもあるんじゃないかと思う。自分がなるべく他者から与えられる不快感を感じないとこ、自分がなるべく他者に対して不快感を渡してしまわないとこ。人間関係の層みたいなとこ。ネット上は別の層が時々鉢合わせをしてしまうけれど。

 さて「クリリン発動しまくり」なんていう刺激的なタイトルつけてきたkmizusawaさんだけれど。わたしはこの方のエントリから関連する話題一日二本立てなんてことをやったことがあるわけで。

 ね?すごくない?ね?すごくない? kmizusawaさんが迷いの中で書いた文章からふたつもばりばりで書いちゃったよわたし。いろんな色で他者にモチベーション与えたkmizusawaさんってステキじゃない?

 でもさ、ネガティブにクリリンってもってく方ってのは、たとえばこういうヤツ、こういう関連話題でいいなって感じのこと話題にもっていったとしても、それってアタシアタシアタシのこと?なんて風にはならないんだよね、多分。だからそれはカウントにならない。だからカウントとしてはいいもんは自分のカウントの中には含まれていかない。そういうこと、ねえねえ、ってちょっと渡しておきたくて、書いとく。ではごきげんよう

2007-05-01

[]ふむふむふふふんふん

 自分とこのはてブ開いて、お気に入りを閲覧して。つ〜かここんとこfuuuuuuunさんの追っかけだねわたしは。ちょこちょこちょこちょこブクマしていったものをどう出すか、ってのがけっこうおもしろい。

 で、こう来たか、と思ったもの。

うーん/fuuuuuuunの日記

女全般についての批判を読んだりしても、なんとも感想が持てない。

女に対する帰属意識がごく弱いか、ないんだと思う。

 ふ〜〜〜〜〜〜〜〜ん、そう来たかあ、と思った。

 わたしは中学高校と女ばっかの場にいたので、男を通しての女だとかなんだとかはあんまり無かった。そこにいるのは女だとかなんだとかではなく同級生だったから。中高出てから「ええ???」と思ったのは女の人の陰口。特に男性に女の子を悪くいうことを吹き込むようなもの。男って性差をもってるだけで裁判官かい?みたいな。男からの目ってのが影響力大きいのか、とも思った。

 あとびっくりした記憶。髪の毛を伸ばしてるの〜と言った女性が母親仲間にいて。短い髪の毛がまとめにくい状態の中途半端な長さの髪の毛。で、髪の毛伸ばしてるの〜、と。今はまとめにくいだろう長さは、その後に自分の長い髪の毛がビジョンにあるからなのみたいな表情がなんかとても「いいな」と思った。彼女の時代がかーちゃんやって髪振り乱してが当たり前生活で、その中で「伸ばしてるの〜」ってのは「いいな」と思った。「いいな」と思ったので、まあちょっと乱暴な言い方ではあったけど「女だね〜」と言った。そうしたら。

 「髪の毛長くないと女じゃないの?」と噛みついてきた女性がいたわけで。知らんよそんなの。なんでこう誰かをいいなと思ってなんかかんか言ったときに、それを相対評価としてだからどうだと出てくるヤツがいるんだよ、って感じ。はあすみませんショートでもなんでも女性は女性ですすみませんと言わなきゃならんかねえと思う。頭から生えてる毛の長短の話ではなかったんだけどね、「いいな」と思ったのは。んでこういうのも、自分が思春期いた女ばっかの場では「ね〜」とかで終わったなあと思った。女であることを誰かの前で競争しなくてもよかったからかもしれない。

 こういう女ばっかの場で育ったヤツが根底にもっている意識みたいなものは、共学で育った人間とは、女に対する帰属意識ってのがちょっと違うんだろうかとも思った。どうでもいいけど、自分の世代の人間に限って言えば、中学から私学女子校育ちって人はなんとなくわかる。どこがどうってことではなく、なんとなくわかる。これは自分が育った場の女に対する帰属意識がどこかちょっと似てるってことなのかもしれない。

 小学生の匂いをどこか引きずりながら中学に入ったとき。わたしの環境はそこには高校生もいた。クラブも高校生がいっしょに活動してた。イメージとしては中二中三は自分たちとたいしてかわらずまだガキだった、高校生はしっとりととても女性だった。高一高二になったらあんな風になれるのだと、ガキ同士がうっとりと会話なんぞしてた。その数年後、こんなはずじゃなかったねえ、もっときれいになってるはずだったねえ、などと仲間内で笑い合うのだけれど、それでも中一にとってはやっぱり女性に見えていたんじゃないかと今は思う。

 そんな育つ経緯を引きずってるのか、今も自分より年長の女性でいいなと思う人がいるとうっとりする。あの年齢になったら、自分もあんな風なあの年齢をやっていたいなとか。そういうときに男は見てないねわたしは。そんな風に思うときにその年齢の男は思考の範疇には入ってないし、それが男から見たらどうかなんてとこも全く範疇に入ってない。単純に女性性をもつ人間としての美意識のようなものかもしれない。こういうのも自分が女ってことを帰属意識にもってるってことのひとつなのかな、とか思った。あのなま暖かい空間ではないところで育ってみたかった気持ちというものもけっこうあるのだけれど、でも自分が育った場が自分の中に育んだ感覚というものもきっとあるんだろうと思う。

 オマケとしての話。教室の中で特に接点をもつ機会は無かった同級生の思い出というものがあって。何の時間の何の発表の場だったかすっかり忘れた。ある同級生が「柳は緑、花は紅」という言葉について感じた自分の考えを発表した。その同級生の名前も忘れた。目立たないタイプの人だったと思う。このときの印象も、小さな声で、という記憶で残っている。でもこのとき、わたしはすうっと、その彼女の思考の世界に入っていくような感じがして、それがとても心地良かった。fuuuuuuunさんとこを見つけてfuuuuuuunさんのつぶやくような話を聞いていると、あのときの彼女を思い出すんだな。手のひらをそっと開いて何かを見せていくような感じ。見せているわけではなく、見せていくというような。ああ言葉で表現するのは難しい。