リツエアクベバ

satomies’s diary

人権作文

息子の夏休みの宿題で、人権作文。中学に入ったときに「なんだそりゃ?」と思ったが、要は「全国中学生人権作文コンテスト」なるものがあり、全員に宿題として出すことがまあ校内予選になるってことらしい。ここから書けとテーマ例が書かれたリストを渡されて、そこからテーマを夏休み前に選んで提出しておくというもの。
中一、中二と「いじめ」を選択。周囲がソレを選んでいるからという簡単な理由。国語がめったくそ苦手な息子。しっかし書けねー。ありきたりの教科書的な文句しか浮かんでこないらしく、作文として成立しない。
「イジメは悪いことです」「見て見ぬフリをしてはいかん」、ああそうかい。んでは、「自分が人に悪意をもってしまう瞬間」とか「見て見ぬフリをしてしまうシチュエーション」ってのを想像してごらん。人間の行動なんてものはそうそう教科書通りにはいかんものだよ。とかなんとかで、まあやっとこ規定の枚数「原稿用紙2枚」を提出してきた。2枚って言ったって、まあかろうじて二枚目に入った程度の文章量。「〜だ」はやめて、「〜です」で文字数稼げ。長い行ではなく、短い行をたくさん書いて行数稼げ、とかなんとかってのがアドバイス。こういうのは上手に文章書く子がもっともらしい作文書いてコンテストの候補者になるってことなんだから、出しときゃいいよとなんともいい加減な母親。
さて、中三。夏休み前に「人権作文宿題です」と担任が言ったときに、「最低ノルマ原稿用紙5枚」と付け加えられたそうで。「ぎえー」と。「そんなの書けない」と堂々と抗議したそうだ。「いや書け」という担任の言葉に「書けない」とかなり食い下がったらしい。周りはどうしてたの?と聞くと、自分ほどの抗議はしなかったと。ふうん、5枚くらい書けるのかなみんな。それともノルマと言われても、2〜3枚出して「出しました」やるつもりなのかな。どうなんだろ。まあアンタは原稿用紙使用は過去最高で2枚程度だからねえ、5枚も書くのは人生初ってことになるからなあ、アハハきついよなあとかなんとか。
「こんな作文、書きたい人が書けばいい。先生が書かせたい人に書かせればいい」。うん、まあわたしも正直そう思うね。5枚も書かなきゃならんのか…。ほいさ、んじゃコレで書きますテーマ提出は「障害者差別」ってとこに○して出しちゃいな。もっともらしいこと書かなくたって、アンタが育ってきた道のりには、このあたりにふれていくとこ満載なんだから3枚くらい書けるんじゃない?
アンタは自分で差別ってものを持ってると思う? わたしはあるよ。持ってしまうシチュエーションを具体的に思い描くこともできる。無意識に持ってしまうことだってあると思う。自分の中の差別的意識を感じるってこと、差別的行動を取ることの問題。まあそんなとこだよね。ああそうだ、作文書くからってもっともらしい結論なんて出さなくていいよ。もっともらしい結論なんてそうそう出るわけないんだから。最後のまとめんとこは「難しい。わかりません」でいいから。
本人全く覚えていない、小さい時のことを話してやる。大人の知的障害の、かなり重い人の施設にね、おかあさんはボランティアで行ったことがあるんだよ。ボランティアって言ったって全然たいしたことじゃない。そこの日課に陶芸があって、そこの利用者さんといっしょの部屋で粘土こねて好きなもの作って、焼いてもらうっていうお気楽なもの。そこの施設の中の空間に「普通の人」を存在させるというもの。「普通の人を存在させる」ってことなんで、利用者さんにどうこうってこともなく、また「普通の人を存在させる」ってことで、子連れで来ていいよ。と。へえ、行こうかな、って思った友人が「一緒に行かない?」って誘ってきたもの。二人で二歳の男の子を連れていった。
連れて行ったらば。友人とこの男の子は施設の中の利用者さんの光景を見た途端、怖がってしまった。ヤバいなあってとこだったんだけど、ウチの息子はすたすたと入っていく。あり? んじゃ行って来るかと息子を連れて入ったわけで。利用者さんたちは息子を見て「あかちゃん、あかちゃん」と大喜び。ヨダレのお土産付きの乱暴な抱擁をされて泣き叫び、職員さんたちは大慌て。かえって迷惑かけたかなと恐縮してたら、その抱擁をした利用者さんがおいでおいでをしたら、すぐにすっ飛んでいってにこにこしてた。その後はにこにこと「あかちゃん」コールに応えてたり。怖がった子がとても発達のいいお子さんでウチの坊やはかなりのオクテだったので、「ウチの子アホかもしれない」なんぞと友人に言ってしまい、「そういうキャラなんだよ!」と厳しくフォローされた。
わたしは息子にその時の光景を非常に差別的な言葉を選んで説明した。ほらね、わたしは差別意識をもっている。でもあの時点のアンタは全く持っていなかった。それは知らなかったことが多かったからだと思う。
ちぃちゃんが特別支援学校に入って、アンタはしばらくあそこの生徒のことがものすごい苦手な存在になったよね。そうか、そういうことだったかと思ってアンタに聞いたよね、「アンタ、もしかして、障害ってのは大人になれば治ると思ってた?」。思ってたんだそうだ。そして認められなかったんだそうだ。ダウン症の大人を見て、「ちぃちゃんはああいう風にはならない」と思ってたことが崩れていくショックもあったそうだ。このあたりの葛藤の時期を自分が探れば、自分の中の差別ってのは簡単に思い当たるだろ。差別意識とか偏見とかってのは無知でも起きるけれど、知ってという段階でも起きるんだよ。
しかしアレだね、「たったひとつのたからもの」と「僕の歩く道」ってドラマは、アンタにとってとても大きなものになったね。節目節目でアンタにとってすごくいい時期に放送されたってのはラッキーだったと思うよ。「僕の歩く道」の後だよね、アンタの意識に変化が出始めたのって。その後、学校祭やらなんやらを手伝ってくれた時に、「ああこの子、変わったな」って思ってた。生徒たちのレクリエーションのボウリングを手伝ったときに、生徒の状況に合わせようとしたピンの並べ方をしたり、ボールを生徒に手渡したときの表情とか、へえって思った。そこまでやらなくてもいいよって思ってたことまでやってくれて、ありがたいなあって思ってたよ。
「僕が小さかったとき」「僕が幼稚園のとき」「小学校に入って」「僕が○年生のとき」。文字数は簡単に埋まっていき、問題の5枚目もクリア。最後のシメの文章は「とても難しいと思います。僕にはまだまだよくわかりません」。コンテストなんてどうでもいい。わたしはアンタの成長の姿に日々学ぶことは多いと思う。ってなことで、夏休みの宿題、一個終了。