S嬢 はてな

2010-09-09

[]「甘やかすな」と言われたこと

娘が小学生の頃、娘の障害児学級のある担任に、何度となく言われたこと「下の子を甘やかすな」「下の子は『障害が無い普通の子』なんだから、甘やかすな」。

はあ…。非常に力のある先生だったんだけれど。研究された教材とか、すごいなと思うことはたくさんあった先生なんだけど。でも全てにイエスってわけにもいかないよ。だってアンタにはわからんよ…と思ってた。

まあ息子の周囲のかーちゃんたちにもそこそこ言われたわ〜ね〜、「甘い」って。知的障害のある子のことはよくわからんが、「普通の子」なら居場所は一緒。そういやこれは↑の担任にも言われた。この担任も「母親」で、わたしと年齢が同じで子どもたちもそれぞれ同じ年齢だった。「自分はそこまでやってはやらない、だからアンタは甘やかしてる」。なんかもう、下の子に関してはフィールドは同じなんだから、的なとこなんだろうと思う。

フィールドは同じ? 違うよ。発達上のハンディが無いという機能的なとこは同じかもしれないが、心理的な発達上で「障害児のきょうだい児」という立場がどう関係してくるかという面がある。

娘には知的障害がある。細やかな配慮が必要なことはたくさんある。でもさ、その「細やかな配慮」を目の前に見て育ったら、「それは自分ももらえるもの」って思わないか?ふつー。だってどっちの子から見たってわたしはかーちゃんなんだから。

「甘やかすな」「甘やかしてる」「ほら甘いから」。

はあ…。「きょうだい児がどうの」なんてことを、この「こっちの子は自分たちとフィールド一緒でしょ?」的強気面にどう対応すりゃいいんだよ…、とか思ってた。あのね、違うの。違うと思うし、わたしだってその「違う」ということにどうすりゃいいかよくわからんの。結局のとこ「アンタが大事」って息子自身がわかるようなアプローチしかわたしにはわからんの。それが周囲に「甘い」って言われても、もうわたしにはよくわからんの!

結局もう開き直り。周囲に対して「わたし甘いから」ってのを常に常に常に常に言うことにした。息子には直接ちゃんと言った。

「ちぃちゃんにはいろいろ配慮が必要だ。それを見て育っているアンタは『同じように』してもらえると当然思うと思う。わたしもそう思う。でもそれを周囲は『甘い』と言う」。「もう人にどう言われようがかまうもんか、とわたしは思う。ただアンタ自身も『ウチのかーちゃんは甘い』と思っててくれ。うちじゃ『普通のこと』でも、『ヨソんち』では甘いだろ?って思われる基準で動いてることがあることは自覚しておいてくれ。それでもってその『甘さ』がヤバいと思った時に、アンタがわたしに『甘さ』を断れ。人が決めることじゃない、わたしもアンタもそれぞれ自分で決めよう」。

これで晴れて、名実共にわたしは「甘いかーちゃん」になった。息子は「自分で考えて決めよう」と言われたことを胸に、いろんなシーンでいろいろ考えたみたいだ。「これはお願い」「これはいらない」と具体的に要望を出してくるようになった。それでいいんじゃないか、とか思う。それも成長、だよね。

一「きょうだい児」一「きょうだい児」 2010/09/10 02:46 はじめまして。突然のコメントを失礼いたします。この記事には偶然行き当たっただけなのですが、自分に関する謎が少し解けたような衝撃を受け、その気持ちをどこに持って行ってよいかわからないので、一言書き捨てていくことをお許し下さい。

> 結局のとこ「アンタが大事」って息子自身がわかるようなアプローチしかわたしにはわからんの。それが周囲に「甘い」って言われても、もうわたしにはよくわからんの!

この一言、本当に身に沁みました。
実は上の名乗りにも書きましたが、私も知的障害者を身内に持つ者です。ただし、私の場合はやや年の離れた二人兄弟で、私が長男なので、息子さんとは若干立場が異なるかもしれません。

私自身、自分について「妙に甘やかされていた」「妙に構ってもらえなかった」という二律背反をずっと感じてきていました。もう少し正確に述べますと、私がやりたいことについて物質的な支援はかなり惜しみなく与えられていたように思うのです。ただし、周囲と比べて両親との交渉はやや稀薄であるような気はしていました。いや、稀薄というよりも「進歩がない」と言った方がよいでしょうか。周囲の話によると、家族間の関係というものは子供の成長によってかなり変わってくるもののようです。ところが私の家族は常に弟を中心に動いており、年齢を重ねても本質的に余り変わらないのです。上手く表現できませんが。

そのため、小学校を出る前後ぐらいからは精神的には放置され、自分で育つに任せられていたように思うのです。そのためか、思春期の頃は「悩みのない優等生」を演じるのに苦労し、そして大学生の頃に遅れて反抗期がやってくるような、かなりいびつな生育過程をたどったように思います。
とはいえ、もちろん、自分が両親から「ネグレクト」されていたというようなことは思ったことはありません。弟は知的障害の他に持病もあったので、両親が私に構っている余裕がほとんどなかったことは子供の頃から多少なりともわかっていましたし、とにもかくにも道を踏み外さなかったことには感謝しています。ただ人から家族の話を聞かされると、「自分は普通とどこか違う」という違和感が心の中に引っかかるのを、三十近くなった今でも拭いきれないのです。自分の両親には何か理解できないものを子供の頃はずっと感じ続けていましたし、それはどちらかというと、自分のためにというよりは、自分が将来子供を持ったときのことを考えた不安の種でした。

ですが、上に引用した一文を読んで何かその不安が解ける鍵が得られた気がしました。私の両親も内心では「もうわたしにはよくわからんの!」と感じていたのでしょう。そうとわかれば、急に気が楽になりました。どう表現してよいかわかりませんが、「子供時代にした余分な苦労は決して無駄ではなかった」とわかったとでもいうのでしょうか、長年心の片隅に引っかかっていた小石がようやく動き出した感じです。

> 「もう人にどう言われようがかまうもんか、とわたしは思う。ただアンタ自身も『ウチのかーちゃんは甘い』と思っててくれ。うちじゃ『普通のこと』でも、『ヨソんち』では甘いだろ?って思われる基準で動いてることがあることは自覚しておいてくれ。それでもってその『甘さ』がヤバいと思った時に、アンタがわたしに『甘さ』を断れ。人が決めることじゃない、わたしもアンタもそれぞれ自分で決めよう」。

それを言ってもらえた息子さんは、絶対後になってS嬢様に感謝されることと思います。
私もこういうことを言葉にして言ってもらえればよかったのにと、息子さんが羨ましくなりました。
そのことを一言だけお伝えしたく、長々と書かせていただいた次第です。

急に現れて私事を申し訳ありませんでした。見苦しければどうぞお忘れ下さい。
末筆ながら、お子様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

※なお、2010/09/10 02:13のコメントは操作を誤って投稿されてしまったものなので、申し訳ありませんが削除していただけないでしょうか。

satomiessatomies 2010/09/10 14:38 一「きょうだい児」さま。

お話をありがとうございました。
恐縮されているような表現を随所に感じましたが、お気遣いされることは何もありません。
お話しいただけたことに感謝をしています。

ごきょうだいのお話を聞く中で、悲しいと思うことは「ハンディをもつ子ども+親 そしてきょうだい児」という構図をよく感じることです。
複数の子どもがいれば、親はどの子にとっても等しく「親」であるはずなのに、きょうだい児にとって「ペアand自分」のような構図になってしまうことがよくあると思う。
その構図をひっそりと抱え、思春期を経過し、大人になった時に自分を捜すかのようにまたこの構図の中の自分を振り返って見ていくような、そんな印象があります。
誰かが悪いわけではない。家庭の中である1人の子どものハンディの前で、みな、それぞれに懸命なんだと思います。

構図として似ているのは、下の子が生まれたばかりの家庭の「上の子」のようにも思います。
「上の子」は、家族の動きの中心になっている赤ん坊の前で、自分の立つ位置を見失う。

それは普通の子どもの場合はたった一時期であるのに、ハンディをもつ子どもの場合は長く続き、きょうだい児は自分の位置を探し続ける、というような情景に似ているようにも思います。

「きょうだい児」という層の子どもの心理研究も、昔に比べれば随分進んできたと聞いています。
それでもまだまだ、難しいところもあるように思います。
なんせ、きょうだい児の多くは自分の心理に対して口が重いというような、そんな印象もあります。
全ては目の前の親に対しての優しさかもしれません。

「親」という立場になってしまったとき、「親」でなければならないようなプレッシャーもあります。
そのプレッシャーが大きければ、弱みを子どもに見せられない、というようなところで、きょうだい児に見えにくいところも出てくるのではないか、とも思います。
このプレッシャーは、親と子ども以外の周囲にも、生み出す素因があるのではないかと、そんなことを思っている時に、ふと思いつき思い出してみたことを並べてみたのがこのエントリです。
些細な思い出話がわずかでもお役に立てたのなら何よりです。

「きょうだい児」については、なんだかんだなんだかんだとしつこくふれている話題です。
上部のブログ内検索をかけることのできる窓に「きょうだい」とほうりこめば、やたらにたくさん出てきます。
また、きょうだい児についての文章を、こつこつブックマークに入れたりしています。

http://b.hatena.ne.jp/satomies/%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%84%E5%85%90/
ご興味あったら、ご一読くださいませ。

MurphyMurphy 2010/09/23 12:22 はじめまして。
きょうだい児のブログ検索でこの記事を見つけました。
たいへん心に感じ入りましたのでコメントさせてください。

S嬢様の健常児の息子さんへの気持ち
それを言葉ではっきりと伝えていらしたことが
本当に嬉しく、また羨ましく思いました。

私は自身がきょうだい児です。
少し年の離れた弟が知的障害を伴う自閉症です。

上の一「きょうだい児」さんの
コメントに私も激しく共感を覚えています。

私の母がS嬢様のように

甘えさせてくれる存在であったら。

もし少しでも私のことを大事に思う気持ちがあったら。

それを言葉にしてはっきりと伝えてもらっていたら。

あんなに苦しい思いはしなかったのかも
しれないと思いました。

私も一「きょうだい児」さんと同様
この記事を読んで何かふっきれた感じがします。
本当にありがとうございました。

satomiessatomies 2010/09/23 23:34 Murphyさま、こんにちは。

今日ね、息子の部活の試合の日だったんです。バドミントンの秋の新人戦、今日はダブルスの個人戦。
会場の高校はとても設備がきれいなところで、会場になっている体育館もとてもきれいだった。
体育館の二階にフロアを見下ろせるギャラリーがあって、そして高校の体育館のくせに「サブアリーナ」とかもあって、フロアとそのサブアリーナでコートを9面張ってた。

わたしね、階上のギャラリーから、息子の先輩の試合をビデオで撮ってたんですよ。
ウチの坊やは初戦でとっとと負けちゃったの。いえホントの初戦は相手の棄権で不戦勝で、二回戦でその日の優勝候補と当たってしまって、まああっけなく。
あはは、ラブゲームは避けられてよかったね、とかなんとか。ええ、ストレート負けで2セットで一桁の点数しか取れなかったけど、でもよくがんばってた。
そんなこんなで息子の試合はあっという間に終わってしまったけど、先輩んとこは強い。それでその試合をビデオで撮ってたんです。
そうしたらね、お尻のポケットに入れてた携帯がぶーぶー振動したんです。ぱって出してみたら「はてな」って書いてあった。コメントのお知らせ設定。
左手で携帯をぴぴって押して、くいくいってコメントを読んでいって。喉の下みたいなとこがくわっと熱くなって、ぐっと押さえてました。

観戦終えて帰る時に、もう一度携帯を開いてコメントを再読。リンクのURLに飛んで、いくつか読んで。
ああやだ、こんな携帯なんかで読んじゃダメだわ、って思って。
で、帰宅してから完読しました。
全部読まなきゃ「読んだ」って言っちゃいけない気がしました。

それから。
自分が過去に書いた文章を再読してました。
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20070128/p1

古川。古川。 2010/09/24 20:24 はじめてコメントさせていただきます。
よろしくお願いします。
私は自閉症の男の子を持つ母親です。
障碍を持つ子は真ん中で、上にお姉ちゃん、下に弟がいます。
子どもが小さい頃は、よく先輩のお母さんたちに、「きょうだいの子達のこと、ほんとに気をつけてあげてね」と何度も言われていましたので、きょうだいの子とのふたりきりの時間、親と一対一でガチでかかわる時間を大切にしてきたつもりです。時々、こちらのブログ内で書かれているきょうだい児のこともすごく参考にさせていただきました。ありがとうございました。
今、上の姉は家を出て、職場の寮で暮らしています。
きょうだいということに縛られず自由に生きてほしいという気持ちとずっと仲のいいきょうだいとして気にかけていて欲しいという気持ちが両方あるというのが正直な気持ちです。

satomiessatomies 2010/09/25 10:12 古川。さま、こんにちは。

成人後のきょうだい関係というのは、基本線では普通の人と同じでいいんではないか、と、わたしは思います。
それぞれに自分の人生やら自分の新しい家族やらが中心になり、その上で機会があったりだったりとかで接点がある、と。
きょうだいたちの中には、その接点を増やしたいと相互に思う関係もあるだろうし、またその逆もあるだろうと。でもまあ、そんな話はどこにでもあるありふれたものなわけで。
基本はこうした「ごく普通の線」なんだろうなあと。

そしてこの「ごく普通の線」は、どんな仕事をしてどんな人と結婚をしてどんな家庭の中で生きていくのか、という状況に多分に左右されるので、まあどうとも言えないなとも。

この「きょうだい関係のごく普通の線」を成立させるための背景には、福祉制度等の「支援」の存在があると思います。こうした機能という意味でも、福祉的支援は実にありがたい。

その上で。
必要な支援のために必要なことがある。それが福祉制度全般の利用の管理ですね。
親が死んだ場合に、さてどうするか、という話が出てくる。

なんてことが次のステップなんだなあと、制度上、「児」が「者」になっていく過程にいる現在、ちょこちょこと思います。
書類をさらっと見せながら、こういう制度がこうあって、と、簡単に説明などし、「親が死んだら、これこういうのにハンコついてくれみたいなことがアンタにいく可能性は高い。制度としては他者にこうした管理を委ねる方法もある。まあおいおい、そのうち教えるから、『そんな風になってるんだ〜』程度の認識はしておいてくれ」と言っております。
「選択」を育てるのには「知識」も要ると思う。「知識」と「選択」が、彼本人のものとして動いてくれればいいなあと思っています。

あと、うまく言えなくて考え込んでしまったんですが。
わたしは、なんなんでしょう、えっと、この部分。

>きょうだいということに縛られず自由に生きてほしいという気持ちとずっと仲のいいきょうだいとして気にかけていて欲しいという気持ちが両方あるというのが正直な気持ちです。

この部分に(ぎゃっ)と思うんです。これは古川。さんがどうのということではなく、一般的に「親」が書いたもの言うことでこれが出てくると、なんというか(ぎゃっ)と思うんです。

わたしは、多分自分の個性として、自分が子どもだったらと考えるとすごく「イヤ」なんですよ、自分の気持ちに関わることについて「親」に「こんな風に思っていて欲しい」みたいな「思い」を持たれるのって。
いや持つのは別にいいけど、目の前にちらちらさせないで欲しいというか。いやうまく言えない。べたりという感じに(ぎゃっ)とするとしか言えないというか、いやホントにうまく言えない。でもイヤ。
気を悪くされたら本当にごめんなさい。こんなことをわざわざ言うことでもないとも思って、かなり葛藤しました。
でも、わたしにとっては、このあたり、多分基本線なんだろうなあと思います。

そんな自分が子どもにできることと言えば、いろんな材料を整理してカードとして見せて、選択していくことを見えやすくしておくといううか、そんな感じだなあと思います。
その上でわたしの2人の子どもたちが相互にどう思うかという「思い」の部分は、彼ら自身がいきたい方向にいくだろうと。まあそんな風に思ったりしています。

MurphyMurphy 2010/09/26 14:02 再度失礼いたします。
この記事をトラックバックさせて頂きました。
やり方が良く分からず、何度も送信してしまったような気がします。
ご迷惑かけていたら申し訳ありません。m(_ _)m

もうひとつの記事も読ませて頂きました。
リンク先のひとつが、残念なことにリンク切れになっていましたが
タイトルでググッたら内容そのものは見つからなかったんですが
レビューを書いてらした方がS嬢様の他にも何人かいらして
だいたいの内容の見当はつきました。

この記事を見つけられて、このブログに出会えて
本当によかった。

私の記事完読してくださったんですね。
拙い文章で恥ずかしいですが嬉しかったです。
私も時間がかかりそうですが
S嬢様の過去記事読みに来ます。

ありがとうございました。

satomiessatomies 2010/09/26 21:34 Murphyさん、こんにちは。

トラックバック送信記事、リンクアドレスが「コメントURL」になってます。一応、ご報告。

「漬物蔵」ねえ、削除されちゃったんですよね、とても残念です。
リンク先は切れてしまったのだけれど、あのリンク先の文章に触発されて自分がどかどかと書いたものを、今回ふと思い出したのでもってきました。
「甘やかすな」という周囲、「母性信仰」を刷り込んでくる周囲。
手を出してその手につかんでみて、その手を自分の方に向けてみてしげしげと眺めて、そして(これはなんだ)と。(これの正体はなんだ)と。

「漬物蔵」が検索かけてレビューが出てくるいきさつに関してですが。
下記のURL(南無さんとこの2007年の1月のアドレス)の下の方からのいくつかの文章で(そういうことか…)などわかると思います。
http://c-u.g.hatena.ne.jp/namgen/200701

「小説」という形式を取っていますが、作者ご本人の体験を書かれたものだそうで。
夕食時に実に理不尽な怒られ方を父に祖父に祖母にされた少年が母親に漬物蔵に閉じこめられた。そして彼は忘れられ、気が遠くなっていき、気づいたのが病院で点滴を打っていたと。
自分が気づいた時に母親が最初に言ったことは、周囲に聞こえるように、「あんなところにいたずらで入り込んで、全くこの子は…」みたいなことだったと。

作者の方の事後の文章がこちらです。
http://susukino.blog12.fc2.com/blog-entry-3896.html

で、あっちこっち振り回して申し訳ないのですが。
ここから飛べる「難病児のきょうだい児のストーリー」も、是非。
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20100617/p1

MurphyMurphy 2010/09/27 10:32 3度目の登場Murphyです。すいません。

ひゃぁ、↓のアドレスを貼らなきゃいけないのに
↑のアドレスをコピペしちゃったようです。
お恥ずかしい・・・。次回はちゃんとやります。
S嬢様のコメントやリンク先の記事を読んで
ちょっとハイパーテンションになってしまっていたようです。(恥)

今回もたくさんのリンクを教えて下さってありがとうございます。
語彙が貧弱で上手く言えないんですが、大変な思いをして
大人になった人達って世間で考えられてるよりずっと多いのかも
知れないって思いました。

私はあのブログを始めてから、結婚後すっかり忘れていた(意識して思い出さないようにしていた)辛かった事をたくさん思い出して
しんどくて、でも、なんて言うかそんな自分を悲劇のヒロインのようにしてしまっていたかなって。
ちょっと反省・・・。

難病児のきょうだい児も知的障害児のきょうだい児とはまた違った
大変さがありますね。今現在苦しんでいるきょうだい児の子達が
少しでも幸せになれるようにと、私は祈ることしかできないけど。
なんだかひとりごとのようになってしまいましたね。(汗)
いろいろ勉強になります。ありがとうございました。

satomiessatomies 2010/09/27 12:21 Murphyさま、こんにちは。

「反省」とんでもない。と、思います。
実にありありと、リアルに、引きずり込まれました。
フラッシュバックもけっこうあったのではないか、とも思いました。
こういう場合のいわゆる「悲劇のヒロイン」というのは、「生半可なとこで止めてしまって、反応が欲しくて振り返る」、みたいなとこではないかと勝手にイメージ。
なので、「違う」と思います。

まだまだ書かれていることは「道の途中」。わたしは上の弟さんの展開が気が気ではなく、更新を心待ちにする読者になっています。

古川。古川。 2010/09/28 00:05 >自分が子どもだったらと考えるとすごく「イヤ」なんですよ、自分の気持ちに関わることについて「親」に「こんな風に思っていて欲しい」みたいな「思い」を持たれるのって。

正直に書いてくださってありがとうございます。そう、・・そうなのかもしれません。どういう思いを持つのか、それは、本人達が決めていくしかないのですね。自分の思いを押しつけるつもりは無いのですが、ここで言葉にしてしまったことで、もしその部分を読んだきょうだいの方達がつらい思いをされていたらとしたら、申し訳なく思います。
すみませんでした。

satomiessatomies 2010/09/28 00:59 古川。さま。
ごめんなさい。

古川。さんとこのご子息は、ウチの娘と同じ年なんですね。
ブログを見に行って(ああ同じ年なんだ)って思って。そこから実習時期や卒業前後の頃のページを繰りまくりました。
そうかあ、そうかあとか思いながら、卒業前後のエントリにはじーんとしみじみしてました。
いい写真がたくさんあって、思わずティッシュの箱を引き寄せてました。

次の大きなイベントは成人式、ですね。まだまだ越える山は出てくるのかなあと思いながら、ビッグなイベントをたくさんたくさん喜びたいですね〜。

hirokototomi1hirokototomi1 2010/10/01 03:53 コメント欄も内容が濃くて、追って読んでしまうことが多いです。
Murphyさまのコメントに便乗してあやまりにきたのですが、
以前PC日記の方に何回も間違ってトラックバック送信してしまったことがあり、すみませんでした。
自分のテンションだけで打ち込んだ、かなり読みづらく解釈しづらい記事だったのですが
送りたかったので送ってしまいました。
と、記事の内容から外れたコメントで、重ねがさねすみません。

>「アンタが大事」って息子自身がわかるようなアプローチ
>息子には直接ちゃんと言った。
ああ大事だなあ、と、わたしもそうありたい、と思います。

satomiessatomies 2010/10/01 21:05 hirokototomi1 さま、こんにちは。

gooの方は更新をストップしてしているため、過去エントリに関してのトラックバックは原則として公開表示をしていません。
言及性の高いもの以外は今後も保留のままでおきたいと思います。
ご希望に添えなくてごめんなさい。

hirokototomi1hirokototomi1 2010/10/01 21:36 とんでもないです。すみません、こちらこそ。
PC日記も残されていて、読むことができるのがありがたいというか、嬉しいです。

MARUMARU 2010/10/15 17:50 ○○凸凹新聞のMARUと申します。
障害者のきょうだいです。

きょうだいのブログで、この記事が紹介されていたため、参りました。
親も、親という役割を引き受けざるを得ないだけの、
成長途上の一人の人間であること。
頭では分かっているつもりでしたが、改めて納得した次第です。
また、一「きょうだい児」さんのコメントに深く共感しました。

わたしのブログをブックマークしてくださっていたので、驚きました。

わたしの生家は機能不全に陥り、暴力の連鎖が起きてしまった家庭です。
家庭を取り巻く環境や、時代背景、障害を持つ子の障害種別、
きょうだいの生まれ順、支援体制、親自身の資質など、
さまざまな要因が影響していたと思われます。

障害を持つ兄には何の責任もない。
親たちも必死で子育てをしてきた。
それは重々承知しております。
ただ、わたし自身が前を向いて歩いていくために、
生家で起きたことを、わたしの視点から整理する必要がある。
そのために書き始めたブログです。
元被虐待児という視点で吐き出された思いが中心であり、
ドス黒い表現も多々ありますので、
親御さんの立場の方が見ると、非常に不快かも知れません。

satomiessatomies 2010/10/16 00:28 MARUさま、こんにちは。

最初のブックマークは、twitterで見かけて読んで栞。
それから過去を遡って、コレもコレも、と、栞。
二つ目のブックマークに関しては、そうそうと思うところもあって。
「そうそう」はこんなこととか。
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20070108/p1

あとそれから、難病児のきょうだい児支援のコミュニティに「病児の立場の人の発言が入って来る時がある困惑」ってのを聞いたこととか。

いやホントはもっと栞をはさんでおきたいとこはあったのですが、キリ無いので。
とりあえず二つに栞はさんどけば、また訪問したい時に迷子にはならんだろうと。

あのね、状況とか内容の背景とか、具体的なとこがどうのということに関して、いったんこっち置いといて。
非常に面白いんですよ、MARUさんのところの文章は。
「面白い」という言葉が適切かどうか危ういんですが。
こうね、話題にしようとしていることを手の上に乗せて、いったんそれを見ますわね。

そしてそれを語っていきながら、それはかなりその手の上のものを詳細に見ようとしているにも関わらず、さらにまた、がしっとその手の上のものの殻をこじあける、みたいな感じ。
めりめりめりと、がしっと、おお、そうかあ、みたいな感じってのが、次々とページを繰らせていくんですよね。
それは「○○凸凹日日新聞」のもつ、強烈な魅力だと思います。

MARUMARU 2010/10/16 08:44 お返事ありがとうございます。
面白いというご感想は、単純にうれしいです。

「袋叩き」のエントリ、拝見しました。

子どもが幼児期であれば、特に無理からぬことかとも思います。
親御さん自身、まだ子どもの障害の受容さえおぼつかない段階にある可能性も高く、
また、単純に子どもも可愛いし、それなりに成長もするし、
健常児と障害児のレベルの差もまださほど目立ちませんね。
目の前のことだけで精一杯で、仕方ないかもなぁ…と感じました。

そう思うようになるまでには、たいそうな時間がかかりましたが。

同様の現象を、大手新聞社の読者投稿欄で見たことがあります。
この投稿欄は、2ちゃんねるのごとく無法地帯になりがちな場であり、
あまり近づかないようにしていましたが、たまたま見つけまして。
ここでは袋叩きではなく、
現役子育て世代の親御さんVS大人になったきょうだい児という構図の
大バトルが繰り広げられました。
見ていて、とても消耗するバトルでしたが、目が離せませんでした。
わたし自身、ついつい参戦して激しい言葉を書き殴ってしまったり、
(ええ年こいて、お恥ずかしい話です)
あるいは親御さんの気持ちに寄り添いつつ、きょうだい児の立場への理解をお願いしたり。

一人目、自閉症。2人目を諦めます
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0730/254386.htm?g=05
「子どもが障害児、二人目を産みますか?」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1026/153473.htm?o=0&p=1

似た構図のものとして、最近あるSNSで
里親から虐待を受けた経験のある元里子VS現役里子育て中の里親
のバトルを目にしました。
里親志望のわたしは、ここでは親側の立場でことの推移を見ていました。
すると、別の角度から見えてくるものがあるわけです。

自分を守ろうと必死な者同士、冷静な議論ができるわけがありません。
傷ついた心を癒す作業と、権利擁護運動(障害児なり、きょうだい児なり、里子なりの)
とは明確に分ける必要があると、最近つくづく思います。
このことは、いずれ整理してブログに書くつもりです。

satomiessatomies 2010/10/16 23:56 MARUさま、はろーです。

小町の二つのURL、ありがとうです。
コレ、見ました見ました。
2007年の方は、わたしのブログを読んでいるという方からメールで知らせていただきました。
2009年の方は、どこ経由か誰経由だか忘れてしまったけど、見ました見ました。
そうかあ、参戦してましたかあ。わはは、やるなあ。

メールでこのトピを知らせてくださった方は、この件についてわたしがどう思うかという、そんなメールだったと思います。
随分前のことなのと、その送信メールをどこに入れてあるのか(前機種か前々機の時のメールなんで)わからないので、その時の自分の返信ままのご紹介はできないんだけれど。

トピに関しては「そもそも人に聞くことではないよね」と、まあ、身も蓋も無いとこです。
子どもを持ちたい、というのも、そもそも「欲」だし「エゴ」なんで。
その上で、きょうだい児があれだけ口を開いて声をあげているというのもいい機会なんではないか、とは思っていました。
ああいう形でもなければ口を開かないきょうだいはたくさんいると思うので。
口を開くこと、自分の中で揺れる思いに気づくこと。そういうことからの「出発」の人もいると思うし、それを見て読んでの「出発」の人もいると思う。
自身の当事者性に気づきにくい、というところがある場合がある、というのもきょうだい児の特性ではないか、と思うところもあるので。

で、子どもをもつ、ってことは、自分にはどうしようもできない個性や運命をもった命を「受け取る」ってことなんで、途中で「やっぱ止めます」ってのは出来ないわけで。
それが怖かったら子どもは持たない方がいいし、「欲しい」気持ちがうずうずうずうずし続けるのなら、まあ、いずれそうなるんだろうな、とか。
ただ、すでにいる人間のために新しい命をうんぬんってのは「生まれる前からの人権蹂躙」だし、それはきっちり指摘されるのはやむを得ないとこだろうなと思います。つか、それを口に出すことの恥ずかしさに気づかないのなら、指摘されなきゃならん、とも思うし。
自分がそうだったら、ってのを考えれば、「そりゃヤだじゃん」ってのはすぐにわかりそうなものだとは思うんだけどな。
生まれる前から自分に美談が課せられるのって、誰だってまっぴらだと思うんだけど、そうじゃない人もいるのかしらね。
生まれる前から子どもに美談を課す人ってのは、自分はそうされても平気ってことなのかしら。
わたしにはよくわからんです。わたしはイヤだ。

あとコレ。

>傷ついた心を癒す作業と、権利擁護運動(障害児なり、きょうだい児なり、里子なりの)
とは明確に分ける必要があると、最近つくづく思います。

コレはわたしは「基本中の基本」だと思います。
ある当事者側から見える世界で、その世界の当事者側からの「わかちあい・ひとりだち・ときはなち」(岡知史先生の著書「セルフヘルプグループ」から)を経験後に、対する当事者側が見えてくるというような流れのものではないかと。
そして、ある当事者側から見える世界の中の「登場人物」は、対立する構図というより、そもそも別の当事者なんだと。
そういう整理はとても必要だと思います。

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