S嬢 はてな

2008-05-25

[][]RinRin王国に被リンクからこっち飛んでふむふむ

RinRin王国:2008/05/22更新分

上記に5月16日更新分リンクがありまして。この日のリンクを持っていったサイトはちょこちょこあったので、流れていったものだろうというかってとこなんだけど。

この余波としてどどんと出ているのは、左メニューの「あわせて読みたい」の表示。「適宜覚書はてな異本」がどかんと上位にいらっしゃるわけで。RinRin王国に並べてリンクがあったので、こっち読んであっち読んで、ってとこで、この「あわせて読みたい統計がこういう結果を現在呼んでいるということなんだと思うんだけど。

すごい、すごいです、すごいですわ、コチラ。学校裏サイトというものに対しての考察をどんどこどんと続けていらっしゃる。ちまちまとクリップしないでココをクリップ。続いていくんだろうと思うので。

学校裏サイト風説目次 /適宜覚書はてな異本

ここで出されていくエントリの中の「学校裏サイト風説#3」の調査群を読みながら、ぽかんと思ったことなんだけど。

こういうので出てくる小中学生の携帯所持層って、ネット接続の定額サービスに入ってるのかな、ってこと。ウチなんざそんなのむろん論外なわけで。なんでアンタが携帯でネットいじくるためにわざわざこっちがネット接続のための追加料金を払ってやらにゃならんのかいな、と。こっちはメールができる300円で充分だと思うわい。あとは無料通話分でなんとかしときなさい、そのレベルだろ、とも思うわけで。

で。ネット接続の定額サービスに入ってないならば。ちょこちょこちょこちょこ依存し始めたら、それは請求額でどんとくるだろな、と。そこでオマエ何やってんのかい?ってなことになるんではないかと。請求額が万になった、アンタちょっといらっしゃい、的な話は耳にしたりもするし、ウチでも一度やったし。ウチは、携帯でネットいじくるんだったらパソコンでやってくれ、と言った。そこで何をやってるかと言えば、彼は現在、YouTubeゲーム関連ビデオの閲覧になんかはまってるそうだ。検索でなんかアホなこともやってるみたいだけれど、検索自体がうまくなっていく過渡期という判断はしているなあとも思う。ちなみにダウンロードに関しての単独行動と単独判断は禁止しております。

だから道具自体の問題よりも、道具を持たせた後の家庭のあり方、ってことも関係してくるようにも思うんだけどな。

知らん人とどーのこーのってことに関しては。携帯だけじゃないよね、とも思う。所持率がたか〜い任天堂DSは、小学生が大好きポケモンソフトのダイヤモンドパールWi-Fi通信をすすめてたよね、なんてとこ。家庭にWi-Fi環境があったなら、そんなとこから始まっているよなあとも思う。知らん人とどーのこーの、ってこと自体をどーのこーのって言うよりは。今現在、自分ちの子どものコミュニケーション能力がどうなのか、ってとこなんではないかとも思うし。

今は携帯使った裏サイトがどうの、ってことになってるから、携帯を取り上げろなんてことが出てくるんだろうけれど。長崎で子どもが子どもを殺したときに、その背景にあったのはパソコン使ったネットだったよね、と。

だからまあ、携帯一個になんのかんの言ったって、という感じもするなあとも思う。大事なのは、今現在、自分ちの子どもがどんな状態でどんなことをやってるのか、とか。そういうとこにゆるやかに目が届いてることなんだろうな、と思う。それは本当は、携帯がどうのとかどの媒体がどうのとかってことだけじゃなくて、未成年の間は基本的に必要なことなんじゃないかとも思う。その、基本的に必要なとこが乱れることが、まあいろんなことを生んで、そこに利用する機器として携帯があるだけなんじゃないかとも思う。

2008-05-18

[][]わ〜い誠天調書にリンクだ〜

誠天調書 2008年05月18日

誠さん、おっす〜。お久しぶりぶり。

と、ご挨拶しつつ、被リンクのこと。

この順番でリンク並べたことに、そうよねええ、って思った。そうそう、教室出たって社会に出てからだって起こりうるんだよね、そういう相手との遭遇ってのは。社会に出て、相手の方がそれなりに位置や立場をもっているときは「センセー、あの子がねえ」なんてことは通用しない場合だって多いんだよね。通用する場合は、被害よほどのことになっていなきゃ、ってことになってるというところもある。

だから。どういう風に対処するかってときに、必要な耐性が現在本人にあるかどうか、ってとこをわたしはまず見たい、と思う。そしてその必要な耐性がまだまだ育ってないとしたら、そこをどう育てていくか、ってとこもあると思う。対処や仕返しは一回こっきりかもしれないけれど、自分の個性とそのやっていき方というものを知ることの方が、その後の人生に収穫があるんじゃないかと思う。

親が子どもの社会にまだちょびっと程度、手が出せる時期は。相手のとこ行って、こんにゃろこんにゃろ、って。ほらおかあさんどうだ、って。それじゃ子どものスキルは育たんだろ、ってのもある。まだちょびっと程度手が出せる時期だからこそ、背後でその肩を支えてやりながらできることってあるはずだと思う。

かーちゃん出ていって相手の手段に対して、こんにゃろこんにゃろ、ってのが出来たとしても。相手の気持ちに対してのソレはできないんだし。毒をもつ気持ちが相手にあれば、ひとつの出口をふさいでも、毒の出し方の手段や出現の仕方を変えるだけだろうなとも思うしね。

他者から渡されてしまう毒ってものに対してのスキル。コレ、難しいと思うのよね。わたし自身だって、坊やにエラそうに「かーちゃんはな」なんて言えないよ、そんなにたいしたモンとも思えない。人間が多種多様に存在する世の中なんてものは、人間関係の毒の行き来ってのがそりゃよくあるものよ、ってのが現実的なとこなんじゃないかと思う。

でも。かーちゃんはかーちゃんだからな、オマエよりよっぽど長く生きてる分、そういうスキルを身につけようとやってきた年数も長いんだよ、エヘンと。そうやって空威張りしながらも、わたしは坊やにそうしたスキルを身につけて欲しいとは思うよね。出会う相手のコントロールはできないけれど、自分に内在する力を自分で育成していこうとすることは出来るはずだと思うからさ。いつか手を放すんだし、順番で言えばわたしの方が先に死ぬんだからさ。

でもって、誠天調書のリンク。「情報リンク元は nni’s blog 様より」と記載アリ。nni様、いつもご紹介ありがとです。

2008-04-24

[][][]appuappuさんからトラックバック受信でもういっちょ

職業能力って?の続き/とほほな毎日

まず「ヨイショ」は軽くスルーしながら「出会った当初は専門学校を出たばかりの21歳のお嬢さん」だった保育士さんのこと。ああすんません、ちゃんと計算したら「22歳のお嬢さん」だったかも。

この彼女、ええいジュンちゃんね。ジュンちゃんは3月に学校を卒業できませんでした。6月卒業だったので、卒業後すぐに正規の就職ができませんでした。それで卒業後の秋からだったかな、公立の保育園の臨職として働いていました。

その同じ頃、わたしは次年度の4月から娘を公立の保育園に入れたいと、あちこち見学に行ったり、お話を聞いたりしていたのでした。公立の保育園に入れたかったのは、地元の療育機関が2歳半から「週4日、午前から午後までの通園、母子分離」のクラスに変わることになっていたこと。それを機に、その療育機関ではなく公立の保育園に場所を移したかったこと(理由は山ほどあるので割愛)。

近いとこ、ちょっと遠いとこ、遠いとこ等、まあいろいろ行ったけれど。そしてどこでも歓迎的なことを言ってもらえたんだけど。一番近いところの園長さんが一番親身になってくださったので、一番近いとこに入園させることにした。

そして。この園長さんと当時の主任さんが考えた。障害児ということで一人臨職の加配を手配する必要がある。この人選をどうしようか。あの子が適役なのではないか。ほら、実習に来ていたあの子。実習中に園児からの感染でみずぼうそうになってしまったあの子。あの子は非常に有能だった。確かみずぼうそうがかなり悪化してしまって出席日数が足らなくなり、3月に学校を卒業できなかったはず。正規の就職はできていないタイミングでの卒業だから、きっとどこかの園で臨職で働いているだろう。それをその子を引っ張ってこよう。

まあちょうどいいことに、ジュンちゃんは娘の入園の寸前の年度も、公務員採用試験を落っことしてたんですね。で、出会うことになった。ジュンちゃんは、障害のある幼児に対して適切だったというよりは、要するに保育士として有能であると実習中から見込まれてた人材だったわけです。

娘の入園の初年度、わたしも園長も緊張してましたよ。だってジュンちゃん、ホントに有能だったんですから。だからこその緊張。だってさ、彼女の人生っちゅ〜かを考えると、いつまでも臨職としておいてちゃマズいでしょ。だから初年度のみでしょ、この有能な人材を娘のための加配の臨職として配置できるのは。なんとかこの、ジュンちゃんの保育姿勢ってのを、その後の加配の臨職に引き継げるための記録とかとっておかなきゃいけないんじゃないかと。

ジュンちゃんな、ちゃんとお勉強しないで、お仕事以外は遊んでばっかいるもんだからさ、その翌年も公務員試験を落っことしまして。「あらもう一年よろしくね」なんて、まあ園長もわたしも喜んでいいんだかどうなんだか、まあ、まったくよ、と。結局娘の卒園まで、臨職としてこの園に勤務されていましたとさ。

ジュンちゃんは「障害児のいるクラスの加配としての臨時職員」ではありましたが。該当の障害児だけではなく、クラスの子どもたちにも適切に目を配り、わたしは娘のクラスの保護者の方々から感謝されておりました。「ちぃちゃんがいるから、あの保育士さんがずっとうちのクラスにいてくれる」。他の園児のクラスの保護者の方々からは、「あのクラスばっかり、ずっと有能な保育士がついてる」。

まあ要するに、ジュンちゃんは障害がうんぬんとか療育がうんぬんとか以前に、保育士として有能だったわけです。うちの娘がどうたらこうたらってことではなく、障害がどうたらってことではなく。ジュンちゃんは「子どもを育てる視点」で、娘をずっと育てていた。まあそういうことなんだろうと思いますね。そこで重要だったのは「障害には配慮するが、障害に遠慮しなかった」ってことだったんではないかと。

子どもが「ダウン症です」と告知を受けるときに。「普通に育ててください」と言われることはよくあるんですが。「発達の遅れに配慮はするが、子どもとして普通に育ててください」ってことなんだけど。

でもね、わたしのパターンのようにそれが第一子の場合は、この「普通に育てる」ってことがよくわからんのですよ、自分の子どもを手にするのが初めてだから。

その「普通に育てる」って要所要所を、まあジュンちゃんが補ってくれたと。そういうことなんじゃないかな、と思う。ジュンちゃんのみずぼうそうの感染っていう、わたしが彼女に出会う前の事件から、まあ流れはこちらにラッキーに動いていたのだろうな、と。ジュンちゃんに感謝するだけでなく、その偶然をたくさん用意した巡り合わせにも、やっぱり感謝していますね。

2008-04-21

[][][]とりとめもなくいろいろと

appuappuさんからトラックバック受信。

職業能力って…? - とほほな毎日

いろいろふむふむと興味深かった。実際のメイトさんにはメイトさんの個性があり、また現場の方には現場の方が考えられることはたくさんあるのだろうと。

その上で、わたしはわたしでこの文章を読んでなんだかんだ思ったことを、これまたなんだかんだずらずらと入れよっかな〜と思った。

娘が保育園時代に育てられた要素

娘は2歳半から保育園に通園。障害児ということで娘のクラスには一名補助の職員が加配される。まあ手がある状態での保育園通園ということだったんですが。

ある日の午睡後の午後の間食シーンを見学。娘の前にごろんと、茹でたトウモロコシを輪切りにしたものが置かれていた。あら〜。娘は一歳半の時点で知的レベルの判定は「中度」。一般的にこの時期のダウン症児はまだまだ「軽度」の子はけっこういるわけで。それなりに重い判定のスタートというところはわたしの中にはあった。まあそんなとこもあって、わたしはこの当時の娘には、トウモロコシは一粒ずつはずして食べさせていたわけで。でも娘の前には輪切りがごろん。

え〜〜、と戸惑う新米かーちゃんに向かって、主として娘を見るためにそばにいた保育士さんが一言。「このまま出します」「ここでどうするかはちぃちゃんが決めます」。

なんかすっごい(そうか…)と思いましたね。食いたきゃ周囲と同じようにかぶりつくだろ、戸惑うのならそばにいる人間に頼んでみ。ということなわけで。手を回し過ぎるのではなく、どうしたいかはまず本人が決めてみろよと。困ったら始めて手伝ってあげるよ、と。でも困ったのなら困ったと、自分でその意志を出していかなきゃいけないよ、と。

この保育士さんの姿勢はいろんな場面で一貫してましたね。娘との根比べのような感じで、よく戦ってた。その上で。娘の発達の小さな芽に対しての発見は早く。いや早いってよりそりゃあまりにも親バカだろ的なレベルの発見ではあったんだけど。でも見事に彼女の発見通りに、その発達は芽から事実へと発展していった。だからこそ、娘と彼女との信頼関係は強固に成立していましたね。

彼女はすごいと思う。出会ったときはまだ保育士の専門学校を出たばかりの21歳のお嬢さんだった。そこから娘が6歳になるまで彼女は娘を育て続けた。わたしは娘を一人で育てたんじゃない。彼女の存在はものすごく大きかったと思う。

「まず、ちゃんと見ていてね。ちゃんと見ていられたらその次にはやらせてあげるからね」という場面で、うちの娘はすっと後ろに腕を組む。これも彼女が娘に残したもの。そして娘がきちんと後ろに腕を組んだとき、その後教えてやることには能動的にくらいついてきます。これは今でも同じ。

以前、娘を連れてリエんちに遊びに行ったときに。リエんちの愛息子はいわゆる「医療ケアが日常的に必要な子ども」。気管切開をしているため、日常的な吸引処置が必要なわけで。

リエちゃんが愛息子に吸引を始めたとき、娘はリエちゃんの側ですっと後ろに腕を組んでその様子を見ていた。そんな仕草でその様子を見ていたって、もちろんやらせてやることじゃない。そうしたらリエちゃんの目の前で、自分がその操作を全部覚えたことを、手の仕草で全て再現して見せた。かなり詳細に。リエちゃんビックリ。育てられたことが生き続けている要素でもあると思う。

見通しが立てにくい指示には関心を示さない

やって見せるときや、何かを教えるとき、指示するとき。本人に行程が見えにくい、見通しが立てにくいものには関心を示さないです。こうなってこうなって、そしてこうなって完成となる。これがわかりやすく提示されているか否か。娘の場合はここがかなり貴重。何がわからないか、どこを手伝って欲しいか。これを意思表示するのにも、この要素はかなり影響します。

以前学校での作業の場面で。牛乳パックを使った紙漉で、和紙を作っていた。そこで娘は漉いた紙にアイロンをかける作業を担当していたのですが。

この紙、紙の状態によってアイロンをかける回数が違ってしまうんですね。「はい、アイロンをかけて」「はい、これはもう一回」「はい、これはもういいよ」と。まあそんな感じだったんだけれど。指導していた先生は隣の子も見ていて。ちょっとそっちを見ている間に娘はとっとと目の前の紙を外に干しに行ったわけで。要するに次の行程に自主的に進んだ、と。

そうしたら先生が外に走っていって、それをぱぱっとはずしながら「これはまだダメ。勝手に干したらダメだから」と。

その後、娘は能動的な関心を全て捨てました。やらされることに対して無関心な表情で、やらされることのみ渋々という感じに変化しました。

この作業後の面談で「気分にムラがある」と言われたのですが。

「いや、アレは見通しが立てにくいでしょう。紙の状態によっても違うとも思うけれど、規定の回数は何回で、その後はアレンジなんだということを教えるためには、まず規定の回数に関してのわかりやすい指示は必要だと思う。また『これは完了』という合図のような指摘も曖昧だった。紙の状態が曖昧でも、本人に指示するにはきっぱりと『これは完了』と示さなければアレでは作業の区切りが理解しにくい。」

「ぱぱっとはずしちゃったとこはわたしも見ていましたが。干したものをはずすときにまずさわらせてみるとか、その手のことはありませんでしたね。自主的に動いた結果を『勝手にやるな』とまず否定された。これをどこまで、ってことが見えにくい。自主的に動けば否定される。何をどう否定されたのかもわかりにくい。申し訳ないですが、わたしは見ていて、娘の態度の変貌に対して(これはアリだよなあ)とは思いましたよ」。

さあて、わたしは娘をかばいすぎる親でしょうかなあ。まあ他の子が対象であったとしても、多分同じ感想は持ったと思うなあ。

2007-12-21

[][]お返事というか雑感というか

国語教育と日本語教育 その2 - b#

 日本語の世界にいたときからもう16年も経ってますから、現在の状況はわかりません。でもyumizouさんのおっしゃる問題点は当時からあったと思うし、いやもっとひどくなってるのか?と思った。

先日の研究発表を聞いている中で,前提として


多少の誤りが入っていても,全体としてわかりやすく説明できるようにしたい

という趣旨の発言があった。日本語教育というのは単なる研究ではない。研究の目的は,実践に役立たせることだ。なので,よりよい実践のためならば,多少の誤謬に目をつぶる,誤りを内包していてもそこについてはぼかして進めていくといった,手法をとりたいというのは理解できなくもない。

ただし,それには条件がある。それは「教えている側が含まれている誤りをちゃんと理解できている」ことだ。ところがこの条件がなかなか難しい。日本語教育の現場を見たことがあるわけではないので何とも言いがたいのだけれど,日本語教師,ないし,日本語教師を目指す人向けのサイトの掲示板への書き込みを見ていると,日本語に関する基本的な知識が足りないように思えてならない。

国語教育と日本語教育 その2 - b#

 わたしは日本語教育能力検定の第三回目に受験、合格。合格率は18%でした。18%って低くないですか? 試験範囲は広いけれど、でもってわたし自身は受験準備にとても時間を使ったけれど。それでもそれでも本当はもっと合格率が高くていいのではないか、と思ってました。そこが日本語教育の現場の問題だと思ってた。日本語教育能力検定は単なるスタート地点であって、この試験準備からそして合格から得られるものは「証書」ではなく、研究の姿勢だと思いました。「本当はもっと合格率が高くていいのではないか」。要するに研究姿勢が足らない人がとても多い、というのが印象でした。ぶっちゃけ言えば、学習者に勉強せいってとこで仕事してるんだからテメーももっと勉強しろよ、とは思ってたなあ。

例えば「( )練習しなければ、上手になりません。」という穴埋め問題がある。答えは「もっと」だという。ところが学習者の解答は「とても」だった。「どちらも動詞を修飾しているのになぜ『とても』ではいけないのか?」と聞かれ説明できなかった,という書き込みがあった。

これを読んでいる方は何を入れたでしょう?一般的な日本語話者であれば「とても」はちょっと不自然かな?というのは感覚的にはありそうなところで,でも「説明しろ」と言われると難しいだろうと思う。でも日本語教師は一般的な日本語話者ではないので,この辺で悩まれちゃうのはちょっと困るなと思う。

国語教育と日本語教育 その2 - b#

 穴埋め問題を作るには、その穴埋めに必要な前文を用意することは必須。これはyumizouさんも上記引用部の後におっしゃっているように文脈の存在というものがあるから。ここだけもってきて「説明できなかった」という時点で文脈の必要性を理解していない。

  • 試合で負けてしまいました。( )練習しなければ、上手になりません。
  • 「いつまでたっても上手にならない」「( )練習しなければ、上手になりません。」

 また日本語学習者に対しての「説明」は、短時間に多くの例文を提示することが必要。説明するための言葉を多用しての説明は、講師の自己満足に陥る危険性もアリ。

  • 「もっと」や「とても」は、程度を表す。
  • 「もっと」は程度が増していく表現。「とても」は程度が甚だしいという表現。 
    • この袋はとても小さいです。もっと大きな袋をください。
    • その説明ではわかりません。もっとわかりやすく説明してください。
    • その説明でとてもよくわかりました。もっと例文を出してください。

 それともうひとつ。

大体「動詞を修飾しているのに」というところで説得されてしまうところが困る。それは( )内に副詞が入りそうということしか理解できていないことになる。「とても」が不適切な理由としては「とても」は状態を表す語にかかるということがある。形容詞(日本語教育では,形容動詞もナ形容詞という名称で形容詞扱いされる)だけでなく,動詞にかかることもあるが,「とても困っています」のように,その動詞は状態を表すものになる。「練習する」という動作にかかるのは不適切という説明をしたらいいのではないか。

国語教育と日本語教育 その2 - b#

 ここなんですけどね。学習者に余裕がある場合はこっちもいっときます。

  • 5時に集合と聞きました。その時間にはわたしはとても行けません。
  • こんなに多くては全部はとても食べられません。

*角川類語新辞典

195大変 程度が甚だしいこと

27【迚も】(とても) 彼は-いい人だ。これは-おもしろ小説だ。○たいへん。非常に。強めて「とっても」とも。

(注)「とても」は本来打ち消し語を伴うものであった(とても見込みがない)が、程度が高いことをほめる意味でも使うようになった。

 なんてとこで。以下、yumizouさんが書かれていることは全部もっともだと思う。まあその上で、日本語教育という仕事を選ぶのはそれが職業だと思うにはきつい面があるよな、とも思います。語学というところで英語教師に比べてギャラは安い。参考書にやたら金かかるし、参考書をいくら買っても勉強に足りるということにはなかなかならない。研究趣味でもないと続かない仕事のようにも思うとこはありました。

 わたしが仕事をしているときは国立国語研究所で年一回研修があったんですが。参加者のレベルにはすさまじい差があったように記憶しています。

 ま、こっから「自分語り」なんだがな。妊娠9ヶ月んときに国研の研修に参加したさ。参加者集団の中で同じく妊娠9ヶ月の人がいて。言語発達を一からひとつの具体例として知ることができるのは興味深いねえ、とか言ってたさ。このときに「胎動を文字表現」なんてことを遊んでたときに(なんかヤバいのか…)ってのをかすかに思ったさ。途中でわたしの口は鈍り出した。微妙に感覚の差があったから。今になればそれがどういうことだったのか、わかる。

 言語発達を一からひとつの具体例として知る。このときにお腹の子をさして言ってたその子はダウン症だったわけで。そしてその言語能力はダウン症の中でも低い方に位置する子だったわけで。ま〜、運命ってのはそういう風なことが出てくるわけですな。

 でもね、日本語教育という場において日本語をそして言語を学んでいたことは、結局知的障害児の子育てにも役に立ちました。これだって貴重なひとつの具体例でもあった。そして支援のヒントは日本語教育の現場にいたときの「お勉強」の中にもちゃんとあった。無駄なことってのはそんなには無いもんだね、ってのが感想。

2007-08-31

[][][]大仰なことと単純なことと

大切なのはいつも、ナルシズムを捨てて注意深く他者の声にならない声に耳を傾けること/かへる日記 (FRGFRG304)

 上記エントリでリンク引用されているニュース。ngmkzさんは「違和感」としているのだけれど、わたしは「違和感」というより「よくわからん」の方が近いと思う。

 「どんな環境でも調和が保たれる作品」と佐藤夫妻の長女で、東京のアトリエ・エレマン・プレザン代表である佐藤よし子さん(29)。独特の感性で世界をとらえ、アートに表現する彼らは、生まれながらにして平和的な特性を持つという。「見る人の心に安心感を与える。彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/m20070827027.html

 安心感かあ、と思う。舛次崇氏の絵は、わたしは「安心感」というよりいい意味でドキドキするんだけど。あと、名前忘れちまったので検索できないんだけど、中国のダウン症の方でなんだかの高い評価とかという人の絵を見たことがあるんだけど、色彩がぎらぎらして迫力があった。ドキドキだったんだけどな。

 個人差はあるとは思うけれど、ダウン症児者の「平和的な特性」というのはわかるようにも思う。ただそれが、個人的精神世界の展開の結果にどう関わっていくのか、どう定義づけていけるのか、ということになると、わたしにはよくわからない。

 「彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」。娘が幼児期にエイブル・アート・ジャパンで活躍されるサイモン順子氏の講演を聞いたことがあるんですが。氏の半生と、そして「彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」みたいな話。ngmkzさんと同じようなことおっしゃってたような記憶があるなあ、と。以下の部分の非常にシンプルな部分にサイモン氏自身が助けられたというお話だったような。

「ぼくは/わたしは、これをかきたい/つくりたいんだ」という部分で何かが生まれて、そして誰かを感動させれば、それはアート足りうるんじゃないか?

大切なのはいつも、ナルシズムを捨てて注意深く他者の声にならない声に耳を傾けること/かへる日記 (FRGFRG304)

 このサイモン氏の講演を聞きに行った頃。ちょっと(ううむ…)と思っていたことがあって。そのことを質疑応答の時間にお聞きする。幼児の娘が毎日白い紙に絵を描く。ここのところよくあること、気になること。絵を描いていて、それなりに描き上がっていったその絵を、急に黒か紫でがんがん塗りつぶしていく。そうしたとき、とてもいらだっていて地団駄を踏んだりもしている。描くこと、塗りつぶし始めること、いらだつこと。それを全てたった一人で展開させていく。わたしはどうしたらいいいのだろうか、と。

 アート・カウンセラーという肩書きをもつサイモン氏は「見ていてください」と。「見守っていてあげてください」と。「ダウン症の人に時々見られます」と。「何か自分自身を揺らされることが生活の中に起きていることと関連していることがあります」と。「本人が本人で向かい合っていることです」「何もしなくていい。ただ見守っていてください。その行動を今出していることを知っていてあげてください」と。

 ふふんふんふんと幼児がお絵かきをしていて、わ〜っていらだっていく様は見ていてざわざわするし、どうしていいかわからなかった。ただこのサイモン氏の「見守っていてあげてください」を信頼するしかなかった。しばらくして(ああこのことだったのかあ)と思うようなことの報告が、保育園からくるんですけどね。集団の中で自信が揺らぐようなこと。やんわりと解決に園が尽力してくださって、そしてまもなくこのいらだちは消えていった。そうかあと思った。

 本人が選んで向かう集中。こうした行動には本人が本人に向かって出していく声があるんじゃないか、と思うようになった。その声や意志や意図はなかなかそう簡単にわかるもんでもないと思うし、簡単にわかると思われちゃ困りますよね、と言われているようにも思うんだな。わたし自身だって、自分の思うこと感じることを自分でうまく他者に伝えられないだろうと思うことや、また他者に伝えたいとも思ってないことを、勝手に代弁して解明されようとしても困っちゃうだろうなあと思うんだよね。

 娘の現在。ここ数年は白い紙にお絵かきより、好むのは塗り絵が中心。スーパーや書店、それから百均に行くと、初めて行く場所でもたたーっとめざとく売り場を発見して必ず二冊選び出す。創作系ってより幼児っぽいけど、それが好きならいいんじゃない?という感覚。塗って、そしてその上にまたなんか描いていったり。塗り絵の線に忠実だったり堂々と線を飛び越えたり。

 白い紙に絵を描いて、その上にどんどん書き足していって最後はよくわからんものになっていくのも、本人にとってはこの塗り絵の作業と同じようなものなのかもしれない。それが好きならいいんじゃない?という感覚。ただ、描いていらだって黒か紫でがしがしと塗りつぶしていく見ていて不安になる行動は、あの幼児期以降、一度も見ていない。

2007-07-05

[][][]トラックバック受信とアレコレ

夫婦の会話 - S嬢 はてな/明日は明日の風が吹く

 そうなんだよね、と思う。関係性の歴史の中でだんだんと線ができていくんだよね、と思う。いっしょに暮らしていく年数も自分たちの状況の時代も関係していくと思う。そして相互の個性と。

 あと、このトラックバック受信で思い出したこと。っていうか、時々ふと思い出すことではあるんだけど。

過程と結果のどちらに価値を求めるか/ロリータハッピーウィングな日々

 結婚前に夫は一級建築士の資格を取った。そして彼の仕事はどんどんハードになっていった。常に終電利用。そしてそういう時代だった。仕事はあふれ、引き抜きの話もたくさんあった。

 その頃、あるひとつのニュースが報道される。夫の帰宅が遅く、会話も無く、相手にされないと、淋しくて死んでしまった妻。踏切に飛び込んだ。住所はけっこう近所。この「夫」はわたしの夫と同い年。そして同様の職種だった。つらかっただろうなあと思ったなあ、逝ってしまった方も残された方も。

 わたしは、といえば。この頃自分が取りたい資格試験のためにお勉強をしていたので、彼の帰宅が遅いということによる残されるつらさはそんなにはなかったのだけれど。それと自分も仕事をしていたので、人との会話を疲労して帰宅してばたばたと眠る準備をする夫に要求しなくてもいい余裕はあったと思う。それよりも眠る時間を確保してあげたかった。

 そして妊娠・出産・育児期がくる。産休に入ったときに、自分にできた仕事以外の時間に呆然とした。そして日常的に人と話す時間も激減した。出産、生まれた赤ん坊の闘病、退院により始まった障害児の育児とその仲間関係。それから次の妊娠と出産。乳児だの幼児だのとのばたばたの生活。

 この時期、夫はテレホンカードを大量に購入したと思う。携帯がまだ一般的ではなかった時代。毎日毎日夕刻6時になると夫から電話が入る。用事は無い。ただ、わたしの、どうでもいい、ただの意味の無いおしゃべりを聞くため。

 これが五年くらいの間、毎日毎日毎日毎日続いた。わたしたちはこの時刻に、恋人同士のやりとりのように10分とかそこらの時間を楽しんでた。わたしたちではなく、わたしだけかもしれないけれど。

 この定期便の電話は、わたしが頼んだわけではなく、ある日突然始まった。そして「もうわたしはだいじょうぶ、ありがとう」と言って、この習慣は終わった。「うん、わかった」と、ちょっと淋しそうに彼が言って、翌日から電話は来なくなった。

 この定期便は、本当に感謝してると思う。過ぎたからこそわかる、本当に貴重な時間だったと思う。その当時よりも過ぎたからこそ価値がわかる。わたしには、わたしが元気でいるためには必要だったんだと思う。なかなかできることではないと思う。いや、わたしが彼の立場だったら、きっとできなかったな。

2007-06-25

[][][]fujiponさんからトラックバック

あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて/琥珀色の戯言

 いやこれはトラックバック受信というよりは、完全に「反応おねだりエントリ」を自分があげたということかと。お時間が無いという中で反応いただいて、非常にありがたかったです。

 文中リンクの「『僕がパニックに陥ってしまった理由』という記事」に関しては、自分のエントリのアップ後に結局探し出してブクマしてました。最初「当直日誌」を探し回ってたんですよね。あ、これは「Doctor's Ink」だ…、と思いついたら即発見、という流れでした。

 おねだりトラックバックで時間使わせて申し訳なかったのですが、しみじみと送ってよかったおねだりしてよかった、と思った。わたしはあの文章に書かれたことを、今、どう思われているのかが実は非常に興味があったのだと思う。

 この文章は書かれた年度等書かれていないのだけれど、古いものだと思う。わたしがfujiponさんのところを知ったのは、2005年の秋。トラックバックを受信したのがきっかけだった。うわうわうわ、ここおもしろいわおもしろいわ言ってるときに、どこだったかのコメント欄で「斬の人」が、「ああ『いやしのつえ』で、ブログ以前のテキスト時代から有名な人だ」と教えてくれたわけです。え?なに?なに?とか言いつつ飛んで、ばばば〜っと文章群を読んだ。そして記憶の中にすとんすとんと入っていくものがあったうちのその一つ。その2005年の秋の時点でも、けっこう前の方の文章だったと思う。あの文章を書かれて、少なくとも2年以上は軽くたっているのだろうな、と。

 そしてその2005年の秋からさらに年数を経ての今回の文章。期待通り「今」が出てくる。そして書く媒体の違いなのか書き方にも変化が加わっているわけで。そう、ひとつの体験を同じ人間がまた別の表現で出すというものを閲覧できるのは、ものすごくぜいたくなことかもしれないと思う。

当時の僕は、「この程度のことも乗り越えられないようじゃ、この先とてもやっていけないはず……」と悩んでいたのですが、実は30余年の僕の人生においては、「この程度のこと」じゃなかったわけです。人生はRPGじゃないので、最初に遭うのはスライムばっかりで、後からどんどん強いボスが登場するわけじゃないんですよね。にもかかわらず、「レベル1でドラゴンに遭ってしまっているのに、勝てないことに悩んでいる」っていうことは、けっして少なくない。もちろん、戦ってみるのも「経験」かもしれませんが、どうしても難しそうなら、そこで同じことを繰り返して煮詰まるより、「にげる」を選んだほうがいいんじゃないかと思うのです。

あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて/琥珀色の戯言

 この文章を書かれてから数年たった今でも、「あのときはあのときだったけれど、結局今思えばたいしたこともなかった」ということにはなっていなかったのだな、ということ。それがまた、別の書き方で書かれているということ。そしてその中でもこれはかなり名文ではないか、と、わたしは勝手に思うわけです。

「レベル1でドラゴンに遭ってしまっているのに、勝てないことに悩んでいる」

 だ〜。だよな〜、と、思った。そしてこの表現がすとんと自分に理解できるという意味で、ドラクエやっててよかったぞ〜〜、と思うわけです。やってなかったらわかんないと思うもの。ああ理解できる喜びだわ。

 しかし「『僕がパニックに陥ってしまった理由』という記事」がおいてある「Doctor's Ink」は非常におもしろい。誰かがプリントアウトしてきれいに製本してくれるとしたら、そうねわたしは2000円以下だったら買いますね。理由は製本された形で全部いっぺんに手にしたいという感じ。わたしにとって再読したいものの宝庫だから。

 fujiponさんは医師ということなのだけれども。わたしは20年くらい前、医師の方が執筆されるものを読むことに、けっこう凝っていた時期があった。図書館利用でいろいろなものを読んだけれど、蔵書として愛読書として長年の間ふと取り出して読み続けている一冊があります。本の後ろを見ると’91年に初版となっているので、この本を購入して早16年になりますね。古い本なので単行本ではもう手に入らないようですが、文庫が出ているので興味がある方にはオススメです。

医者が癌にかかったとき

 タイトルの「医者が癌にかかったとき」、これは第一章。これもおもしろいのですが、第二章死に方の知恵、第三章患者に学ぶ、第四章いのちを見つめて、と進む。こ〜れ〜がなんだかんだと(そうか〜)と考察の旅に出たくなるものの宝庫なんだな。

 なんて紹介のために引っ張り出してきたことをきっかけに、またこの本再読モードに入ってます。

2007-06-12

[][]fuuuuuuunさんからトラックバック

satomiesさんよりTB/fuuuuuuunの日記

 ここで出てくる過去エントリの引用部から。

だから、問題行動をした子には「それはしてはいけない」と同時に「代替行動」を示してやる必要があると思う。

 このあたりが具体的でとてもわかりやすいのがビッグママんとこのコレだと思う。

「手はここに」/妖精が見える子供

 ひとつのルールを容認した。そのルール性から得られる本人に対してのメリットも理解していた。でも。

 そのルールを取り上げなければならなくなった。そのルールのままでは危険が発生することがわかったから。そしてルールのチェンジ「手はここに」。行動の否定ではなく、ルールがチェンジされたのだ、と。これを理解して欲しい、届けと思う心。

 コメント欄に出てくるこの一行は大きいと思う。

でも今日ジューは「手はここに。」と自分で言ってべそかきながら行きました。

 ルールのチェンジにべそをかいていても、ルールがチェンジされたのだと飲み込もうとしていること。ルールというもの自体を否定していないこと。

 ここがなんかキーになっていくような気がするんですよね。取り上げるからには渡さなければならないものがある。それを親がつかんでいることが、親が子どもに手渡せる「肯定」なんだろうな、と。

 付け加えて、ダウン症。人の感情の動きを読む力が大きい。でも論理性が弱いから、叱られるときに叱られること自体がすぐにわかることでなければ感情だけを受け取ってしまう。その子の知的能力によっても差があるけれど、時間が経過していたり目に見えにくいことだったりすると何を注意されているのかわかりにくくなる。叱責という感情の揺れだけを受け取ってしまい、自己否定だけを受け取ってしまう要素の大きさ。また相手へのサービス精神で自己をすり減らすことも。タイミングというものが大きいかも。

2007-06-07

[][]昨日あげたエントリに関して

 本日のわたしの流れですが。早朝、昨夜の夜中に書かれたコメントを携帯にて確認。7時半に家を出ました。出先にてマルコさんからトラックバックが入ったことを携帯にて確認。しかし携帯からは本文は読めませんでした。その後9時頃にマルコさんから入ったコメントを確認。トラックバックに関して読むことができたのが早朝からほぼ12時間経過したくらいの時刻。そして入ったコメントは削除されていました。

でも知らん奴に、挨拶も無しに、いきなり下品なタイトルのブログで母を妄想のオモチャにされて、そういう下劣な行為を「親」を名乗るブロガーに推奨されたら、腹立つ。腹立つのも当然でしょ?腹立てないほうがおかしい。母を愛し尊敬していればね。

怒りの記録/マ儿コの日記

 以下、わたしが興味深く感じた場の興味深く感じた部分の引用です。

  • こういった言葉がいま美醜(美醜でなくともいいけど)に悩む人間の前に現れたとき、どのように働くのだろうかと考えた。それはある価値観に対抗してもう一つの価値観にしがみつかせることになるのではないかと。
  • 「美と賢さは完全に次元の違うものだと思う」を見て、ここでマ儿コは(←主語など補足した)自意識を考察から捨てているのだな、と気づいた。この姿勢は確かに賢さである。これを極めることは、達観とは違った道による、人間の一つの到達点だろう。しかし次元が違うとの理解に到らない人にとって、単に賢くあろうとすること(それは賢くはないんだけど)は毒になるのではないかと思っているので、ぶくまとかでちょっと書いてしまったというわけ。

「知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - 賢い女性」につけたはてぶ※の補足/アンゴル=モアエロ画像STABO索具

 ここが主眼となっているとわたしが感じた文章に「許さない」と出てきたのでびっくりしちゃったんですよね。びっくりして自分がブックマークしたい文章がブックマークできなかった。その自分がなんかすごく卑怯に感じたんだな。でもびっくりを引きずったその後の行動もやっぱり卑怯だったんだろうな。と、思うのが結論です。ごめんなさい。

 で、↑の引用部にそうかあと思いつつ。その結論を引き出される中で。誰かを否定したり冒涜したりということではなく、わたしはきれいって好きだよなあと思ったということ。わたしはきれいな人、好きだもの。それは品評会のようなものではなく、自分を大事にすることの表現のひとつでその演出の結果だと思っているから。と、いうことだったのでした。

2007-05-21

[][][][]ここのところ思うこと

 娘が中学を卒業した。特別支援学校の高等部生になった。入学、連休明け、そして5月ももうすぐ終わる。高等部の印象は、入った途端、進路進路進路進路、という感があること。

 進路先を決めていくことが厳しい事情と現実というものはわかる。考える必要がある重要だということを、誰かまかせではすまないんだということもわかる。でも学校生活もあと3年で終わることを考えると、進路進路進路進路という思考中心の話ばかりでは、なんか淋しくもなる。

 来週には、具体的な希望先を書く欄がある書類の提出がある。現在入れる状況にあるかどうかは関わらず、既存の施設を片っ端から見学しておくようにも言われる。立地、施設の法的位置づけの種類、日々の内容、子どもの個性に合っているかどうかetc…、etc…、etc…。それはすぐに必要な情報というよりは。進路をきちんと前向きに考えるために、高等部入学したてから「親の意識を起こす」目的もあるのだと思う。

 まあそれなりに、第三志望まで書こうと思うとこはあるんだけどさ。卒業時に募集あるかどうか保証は無いけど。実習は受け入れがあるかもしれないけど。

 どこに入るかどこに入れたいかって、本当はさ、どこってよりも、心配なのは5年後くらいなんだよね。学校ってのは、毎年毎年なんらかの環境に変化があるわけで。でも卒業後はそんな変化なんてものはほいほいやってはこない。学校みたく、入れ替わり立ち替わりいろんな人が次から次へと目の前に現れてくるわけでもない。1対いくつの人員の配置も大幅に減少する。そんな中で、それはそれで環境として受け入れて、こつこつこつこつと、日々を重ねていくんだろう。でも本人が呆然とそのこつこつを途方もなく感じたときに、わたしはいったいどうするんだろう、みたいなこと。ここんとこ頭ぐるぐる。まあそれでも進むけどね。差し込む光の筋を見つけていくのはお手のモンさと。なんてちょいと強がってもみるのは、つなごうとするたくさんの手の存在か。

 なんてことを考えているときに、ngmkzさんからトラックバックが入る。おおかえるにーちゃん、今度はgooに向かって送信か。

手紙/かへる日記 (FRGFRG304)

 出す言葉、その字面だけじゃなくてさ、言葉出していくときにひろげていくような手のひらの中身。その中身に視線がいくってことはあるわけで。字面の解釈だけではない何か。その中身が本当には正確に共有できるものではなくても、そのひろげていこうとする手のひらが見えるような感じがする人ってのが、わたしはいいなと思うわけで。上記リンクを読めば、わたしはngmkzさんのこっちのエントリに即飛びするわけで。紫色のラインマーカーで書かれたへったくそな、おっといけない味わいのある文字群の中の最後の一行を味わいに行くんだよ。

 ああまったくねえ。なんでかえるにーちゃんとこの職場は遠方なんでしょ。近場だったらとっとと進路希望欄に書くのにね。いやどこに入れたって、数年もすりゃなんだかんだなんだかんだと、どうしよってことは生まれてくるだろと思う。そういうときに、そのことだけ以外にも話ができそうな人、そういうビビビがある人がいてくれるとこにできたら入れたいよなあと思う。まあ仕方ないけど。まあそういう人間関係が見つけられるようがんばるけど。

2007-05-20

[][][]夜のぶつぶつの反応に反応

 夜のちょっとしたぶつくさエントリに反応ばばば。わお。コメント欄にレス、そして霞先生のトラックバックに反応。

宴会は酒を楽しむ場に非ず/特別支援学校って…へぇ、そうなんだ

酌をする・酌をされるということは、そこには必ず相手がいるということ。つまり、宴会の目的は相手と話をすることであって、お酒を味わうことは二の次だと。宴会の酒はコミュニケーションを円滑にするためのツールの一つに過ぎないと考えているからです。

 そうなんですよね、そういうことなんだ。わかっちゃいるんだけどね。でもかーちゃんやってる立場になると、そんなに外で飲む機会もそうそうもてなくなるわけで。二次会まで時間取れない場合もあるしね。それとかーちゃんといっしょだと、二次会っつっても「コーヒー飲んで行こうよ」的なことにもなるし。なんてことも出てくるわけで。まあ機会ビンボーってとこの余裕の無い愚痴ってとこもあったと思う。この日も会合後、コーヒー飲んでしゃべくって。そして帰宅後飲んじゃいましたははは。

 霞先生んとこで「先生の会合」って話が出てきたんだけど。まあはっきり出しちゃえば、昨日の会合は市Pの障害児教育関連校の部会の歓送迎会。校長や副校長と、そこのPのボス連の集会。企画実施は昨年度の部会長校だったウチ。例年に沿っていつもの店。わたし受付やってまして。乾杯が終わってから入る。駆けつけ一杯。これはうまかった。うまいビール。そしてとりあえず最初の仕事の一段落のビール。

 お酌コミュニケーション。長いこと障害児の就学の教育相談をやっていらっしゃった方が、知的障害養護、じゃなかった特別支援学校の校長に就任。この方がうちのテーブルにお酌にいらっしゃった。うちの昨年度のボス、今年度のボスは、この方と何度も面識があるそうで知人としてのコミュニケーションをされていて、わたしはにこにことその様子をただ聞いていたわけで。

 いや実は。うちの娘の小学校の就学時の教育相談の担当もこの方だった。娘がまだ年長児の時に、前住地から高速乗って夫婦で相談に行った。とても親身に、就学前の保護者の心理に沿って、そしてわかりやすく、また現状の学区の小学校の具体的な情報もいただきながら。「就学相談」「教育相談」とは名ばかりで内容は「就学先指導」「就学先指示」が多いと聞くことは多かった中で「相談」という言葉にふさわしい時間だった。もう10年も前のこと。それもたった一度。

 それがですね。この方、うちのボスと話しながら、ふとわたしを見てにっこりと笑みを浮かべおっしゃるんですよ、10年も前の、それもたった一度のうちの教育相談のことを。わたしは何も言ってないんですよ、先方に伝わってるわたしの情報には居住区も何もなく、記憶でしかわからないはずなのに。本当はこちらから、相手の記憶が無いことを承知でお礼を言わなきゃいけない立場だった。大物の方なので、わざわざわたしごときがしゃしゃり出てこの方のお時間取っちゃいかんだろうなと思っていたとこに、先方から笑顔でふっていただいてしまった。

 もうびっくり。本当にびっくりした。すごいと思った。10年も前のことをあえてわざわざする機会も無いわけで、お酌コミュニケーションがなきゃわからないことだったなと思う。万感の思いとたくさんの感謝を、小さなコップ一杯の紹興酒のお酌にこめさせていただきました。教育というものに向かい合う最初の方がこの方で本当に良かったと思った。この方についでいただいたビールは、つぎたしがどうのとかなんとかかんとかとか全く関係無い別次元のうまさで、それはずっと続く美味なんだろうと思う。ここでは酒は単なる媒体に過ぎず。

 本当はあれからの10年をお話ししたい思いもあるんだけれど、お時間取らせてしまうのは申し訳なかったし。そのうち改めてお礼のお手紙でも書こうかな。

2007-05-17

[][][]キスやらヒゲやら記憶やら

キスする前の言葉はもっと素直な気持ちをシンプルに織り込んで後は自分の内で反芻して/かへる日記 (FRGFRG304)

キスする前の言葉はもっと素直な気持ちをシンプルに織り込んで後は自分の内で反芻しておきたいなぁ。

 わ〜いわ〜いわ〜い。わたしはこういう、こぼれてくるような話が大好き。ちょっと本題から離れてまず「ヒゲ」の話。

レッド・サン ニューマスター版 レッド・サンという映画がありまして。小学生の頃、何度も何度もテレビでやっていた記憶がありまして。三船とアラン・ドロンとブロンソンというそろい踏み映画。悪役ドロンと、三船とブロンソンの友情物語でありまして。

 この映画がきっかけで、わたしはブロンソンラブな時期があり、う〜んマンダムな男性に憧れた時期があったわけだ。男はヒゲ生えてなきゃ、みたいな。

 で、そんな小学生が成長して、実際ヒゲ男さんとラブなことになったときに。やっぱ痛かったですね。ヒゲを生やしてたわけではなかったんだけど、朝剃っても夜にはブツブツ出てきてる系の方。彼とラブな日に、どうも寝るとき化粧水がぴりぴりとしみるんだな。で、わたしは根がすっとこどっこいなもんで、しみるなあくらいにしか思ってなかったわけだ。

 気づいたのは彼。わたしの頬をなでながら、赤くなっている、と。これはもしかしてボクが悪いのか、ボクが傷つけたのか、とぎゅー。わ〜、きゃ〜、わ〜。そうかあ、なんかぴりぴり痛くなるのは人間タワシか。でもこんなせつなそうな顔でぎゅーされるんだったら、人間タワシで顔引っ掻くくらいなんでもないさ、とか思ったなあ、と。

 で、まあngmkzさんは「剃って」と言われてしまったと。本題からそれるが、ゴメン、笑ってしまった。恋する男の子の驚愕がかわいいやらなんやらと。

 いや、ヒゲ男さんのヒゲを、人間タワシと認識する女性肌もあるんだよ、と。ただその伝え方ってのがあるんだけど。でも、ngmkzさんに「剃って」と言っちゃう女の子のかわいさなんてのも思ってしまったわけで。そんなアンタそりゃ勝手じゃないか、みたいな、いわゆる一般的な理屈じゃ通らん言動ってのは、甘くしてくれる相手だからこそ出てくるもんなんじゃないか、みたいな。それでもって「剃って」と言われちゃって、だってそんなそもそもあのさ、と思いつつも、そんな言葉を全部飲み込んでしまったんじゃないかみたいな。

 と、かなり満喫してしまった。これ読めただけでも、自分とこ書いた甲斐があったとさえ思った、わ〜い。

 ちなみに上記引用部は、わたし個人にはすごい味わい名言。何度も読んで、しみじみ。

 で。こっちのリンクに続きますが。被リンクで気づいたこの方のこの文章のこの部分。

結局「憶えているのは自分だけ」だとしたら、やはりブログは「自分向け」なのだろうか/CONCORDE

自分の書いたことは結局自分しか憶え得ないのだとしたら、やはりブログは「自分に向けて書くものです」としか言い得ないのかもしれない。

 「誰が覚えているんだろうってくらい、ネット上で流れる時間は早い」ですが。人がわたしのものを覚えていてくれるのかどうかはわからんが。でもわたしは記憶する文章は多いですよ。あの人のアレ、って感じで記憶する。たまにその人んとこ行って、ブログ内検索窓で出して再読なんてこともしますよ。ただ内容で覚えていて、ぴたっと使用ワードを思い出せないこともあるので、最近はブックマークを利用して栞はさんどくことが多くなりましたが。

 わたし個人の好みに限って言えば。こうした記憶に強く残るものは。書いたその人にとって自分が再読をしたくなるような、その人にとって充実感があっただろうものという部類のものだとも思う。

2007-05-14

[][][]フリじゃね〜のよ、アレってば

年齢の事、ブログに書くという事……といった辺りの話題(最初のはフリというだけかもしれないが(笑))。

■[ネット]いろいろ思った - S嬢 はてな/ 明日は明日の風が吹く

 フリじゃね〜。あの引用はわたしにとってとても大事。あの部分が無かったら、あの文章をとりたててリンクさせることは無かったと思う。そのくらいアレはわたしにとっては大事な部分だった。

 このあたり。象徴するようなワードとして、以前わたしは「色鉛筆」という言葉を使っていて。長文になるが自分とこだ、まんま引用。

 「取り返せない何か、戻れないどこか」。そうだよそういうことなんだよ。人ってのはさ、たとえば20色の色鉛筆のようなものだったら、時の経過の中で、少しずつその色を失ってしまう場合があるんだよ。で、本人がいつまでも20色もってるような気になっていて、実は減ってしまっていることに気づかない。

 わたしはこれがこのことが怖いんだろうと思う。だから「箱」の中って時代にもてる色鉛筆ってのをすごく感じるきをふしの世界ってのが、すごくすごく好きだったんだと思う。

 じゃあ時の流れと共に、人ってのはただその色を失ってしまうだけなのか。いやそんなこたない、そんなはずはない、冗談じゃない、そんなの許さない、なんて感覚が自分の中にはあるんだわたしは。少なくともかすかにくらいは遠い昔にもっていた色は忘れない、忘れるもんか。そして減ったら次の色ってのを絶対に獲得したい、してやるとも思っている自分ってのがあるんだなと思う。

 知恵もつく、利口にもなる、それは必要なことでそれがなかったらバカみたいに年齢欄の数字が増えるだけなんだけれど、でもそれでもそこに加わる分別臭いもの以外の色ってのも、もっていたいんだわたしは。もてるだろうかという怖れなんてのも現実持っていながらも。

2007-01-03 くっそ〜、油断してたぜ

 自分が失っていってもわからないだろうこと。そういう鈍感さが自分を少しずつむしばんでいくということ。その漠然とした恐怖のようなものがある。そういうこと。でもそれにがむしゃらに抵抗するのではなく、自分が今日を書き留めることで見えてくる自分の色鉛筆の色たち。そのことがとても大事になっていくわけで。

 20代のとき、とてもイヤだったこと。自分より年長の人間が「こんなこと知らないよね」とか、わたしの世代として当然知らないことをわざわざ言ってくること。自分たちのノスタルジーにわざわざつきあわされること。知らね〜よ、決まってんだろ、知らね〜よ、と。

 ただ、言いたくもなる気持ちもわかってきた。過ぎ去っていくもの過ぎ去っていったものがどこか何かに無視されていくような感覚。忘れようと過ぎ去ろうとしていくものを無理矢理呼び出してみたくなる感覚。

 それは少しずつ少しずつ、自分の中から奪われていくものがわかっていくからだと思う。奪われていくものを笑ってみていられた時期、認識していく時期。それと。遠い昔聞かされた話が自分の中で現実になっていくこと。

 人の名前がホント出てこなくなった。ほらほらあの人なんだっけあの人名前なんだっけ、という会話が同世代の人間との会話の中で、あんまり珍しくなくなった。昨日観た映画の話を夫にするのに、数時間もの間「竹中直人」という名前が出てこなかった。出てくるのはひたすら「竹脇無我」、でも「竹」まで来ても、わたしのシナプスは動いてくれない。

 なさけね〜よ、これが手にする現実だ。それをため息と共に捨て去ってもなんもおもしろくない。つまらない、そしてそうやってきっと失っていく「色鉛筆」。でもね。無理矢理働かせる自分の脳の中を、竹中直人がいろんな顔で暴れ回る。このいろんな顔で暴れ回る竹中直人を文字にしていこうとしたら、それはらんららんらんらんらんらんな感じを呼んでいくことを、わたしはもう知っている。

 この出てこない名前。映画の公式サイトや検索なんかでちょちょいと調べて「あ〜〜〜〜、そうそうそうだった」なんてことは簡単なことなんだけれど。でもシナプスは使った方がいいのだそうだ。シナプスは使わないと減っていく。だからとにかく思い出すことに努力する。がんばれわたしのシナプス! なんてことをハチマキしめたようなわたしのシナプスちゃんたちががんばってるぞ〜的イメージで文字にしたてあげたなら。それはらんららんらんらんらんらんな感じを自分に巻き起こしていくことを、わたしはもう知っている。

 やたらに伸びた髪の毛は、その長さに細かく段が入ったカットになっていて。その微妙に不揃いな毛先を見れば一番長い部分でケツのちょい上にまで到達してきた。少しずつ黒い毛に混じって白い毛が増える。髪の毛の総数の中でパーセンテージを徐々に上げ侵食していく白髪。染色はヘナ使用なので、よく見れば染色された白髪はわかる、赤茶の毛の束。あ〜あ、白髪増えたなと思うだけなら単なる婆の愚痴。でも「すごいぜ、白髪の長さコンテストじゃいいとこいくぜ、ケツのちょい上まで伸ばしてもらってる白髪ってのもそう無いぜ。」などと言いながら、ヘナの効用でも述べていけば、そりゃらんららんらんらんらんらんな気分にもなっていくわけだ。それをわたしはもう知っている。

 これは今日を書き留めていくことのひとつの魔法だと思う。それがfinalventさんとこで書かれた「うまく言えないけど」で述べられていったものと共通しているのかどうか、それはわたしにはわからない。でもわたしのこんならんららんらんらんらんらんな感覚をまちがいなく呼び起こす文章だったと思う。

 リンクしたfinalventさんとこ文章の発端は、kmizusawaさんの更新停止だったけれど。非常に申し訳ないが、わたしはkmizusawaさんとこの更新停止には、ひとつの感想しか無い。それは「2年の壁を越えられなかった」ということ。理由はその人によって固有なものがみなそれぞれあるけれど、ブログ以前の個人サイトの時代から、わたしは「2年の壁」というものをよく感じていた。2年にさしかかる頃、2年を過ぎる頃、いろいろな理由で個人の場が終わることをたくさん見てきたと思う。同じような状況、同じような理由があっても2年の壁を越える人もいれば越えない人もいる。それはいいとか悪いとかそういうことではなく、ネット上で起きることのひとつなんだと思う。わかっていることは、更新を停止しようがしまいが、自分が関わったその人の記憶は自分の中に残したいと思うということ。IDも名前だ、そのうちすぐに出てこなくなるんだろうか。がんばれわたしのシナプス!

2007-05-11

[][]今日のはてなブックマーク:その2

母について/fuuuuuuunの日記

しかし母が渡したと思ったものと私が渡されたと思ったもののギャップが大きかろうと、母が寄越し損ね私が受け取り損ねたもののほうが大きかろうと、その滑稽さやせつなさのようなものを含めて「そういうもの」だと徐々に私も思いつつある。

 う〜ん、いいなあと思う。文中の「でも母は待っていたのだろう。」ってのもいいなあと思う。親という存在は、自分にとって生み育ててくれる立場の存在と、そしてもうひとつ、間近で人生を見せる存在というものでもあるとわたしは思う。その間近で人生を見るということが見えてくるとき、渡されるものがまた生まれていくんではないかとも思う。道徳の教科書みたいな「母の愛」より、そういう方が現実的で、そしてわたしはそういうことを興味深いと思ったりするんだろうなとも思う。

 単純な「母的なもの」ってけっこう他者から学べたりもするんですよね。わたしゃきれいな洋服のたたみ方ってのは、実は19のときに友人♂の一人暮らしのタンスの引き出しの中身を見て学んだのですよ、わあお店屋さんみたいだとか言いながら。あはははは。うちのかーちゃんは、もっとぱぱっと雑。この友人のお母上はきちんとした方で、オヨソの女の子も間接的に教育したことになる。この教育は生きていて、わたしは子どもにまたそれを渡しています。

 そういやコレ。

身の回りのことが苦手/うどんこ天気

この人のお母さんは、雨の日は濡れて帰ってくるだろう子供を待ってお風呂を沸かしてくれたりしたんだろうか、と思った。

 これ読んだ数日後に、息子がずぶ濡れで帰ってきましたよ。この日はてっきり折り畳みを持っていったと思っていたが、実は忘れていたそうで。で、ずぶ濡れ。

 「今お風呂入れるから入りなさい、風邪引くよ」などと玄関から大騒ぎしました。真相を言えば本当の大騒ぎではなく、にちのさんとこ読んで学習した「母という存在の演出」だと思う、へへへへへ。息子がこの日、わたしに「母なるもの」を感じたりして記憶に残したりしたとしたら。その母的なものを間接的に渡したのは、実はにちのさんだ。そしてそれを渡したのはにちのさんがつきあっていた彼氏であり、そしてそのおかあさまだ。母なるものの連鎖。