S嬢 はてな

2007-05-21

[][][][]ここのところ思うこと

 娘が中学を卒業した。特別支援学校の高等部生になった。入学、連休明け、そして5月ももうすぐ終わる。高等部の印象は、入った途端、進路進路進路進路、という感があること。

 進路先を決めていくことが厳しい事情と現実というものはわかる。考える必要がある重要だということを、誰かまかせではすまないんだということもわかる。でも学校生活もあと3年で終わることを考えると、進路進路進路進路という思考中心の話ばかりでは、なんか淋しくもなる。

 来週には、具体的な希望先を書く欄がある書類の提出がある。現在入れる状況にあるかどうかは関わらず、既存の施設を片っ端から見学しておくようにも言われる。立地、施設の法的位置づけの種類、日々の内容、子どもの個性に合っているかどうかetc…、etc…、etc…。それはすぐに必要な情報というよりは。進路をきちんと前向きに考えるために、高等部入学したてから「親の意識を起こす」目的もあるのだと思う。

 まあそれなりに、第三志望まで書こうと思うとこはあるんだけどさ。卒業時に募集あるかどうか保証は無いけど。実習は受け入れがあるかもしれないけど。

 どこに入るかどこに入れたいかって、本当はさ、どこってよりも、心配なのは5年後くらいなんだよね。学校ってのは、毎年毎年なんらかの環境に変化があるわけで。でも卒業後はそんな変化なんてものはほいほいやってはこない。学校みたく、入れ替わり立ち替わりいろんな人が次から次へと目の前に現れてくるわけでもない。1対いくつの人員の配置も大幅に減少する。そんな中で、それはそれで環境として受け入れて、こつこつこつこつと、日々を重ねていくんだろう。でも本人が呆然とそのこつこつを途方もなく感じたときに、わたしはいったいどうするんだろう、みたいなこと。ここんとこ頭ぐるぐる。まあそれでも進むけどね。差し込む光の筋を見つけていくのはお手のモンさと。なんてちょいと強がってもみるのは、つなごうとするたくさんの手の存在か。

 なんてことを考えているときに、ngmkzさんからトラックバックが入る。おおかえるにーちゃん、今度はgooに向かって送信か。

手紙/かへる日記 (FRGFRG304)

 出す言葉、その字面だけじゃなくてさ、言葉出していくときにひろげていくような手のひらの中身。その中身に視線がいくってことはあるわけで。字面の解釈だけではない何か。その中身が本当には正確に共有できるものではなくても、そのひろげていこうとする手のひらが見えるような感じがする人ってのが、わたしはいいなと思うわけで。上記リンクを読めば、わたしはngmkzさんのこっちのエントリに即飛びするわけで。紫色のラインマーカーで書かれたへったくそな、おっといけない味わいのある文字群の中の最後の一行を味わいに行くんだよ。

 ああまったくねえ。なんでかえるにーちゃんとこの職場は遠方なんでしょ。近場だったらとっとと進路希望欄に書くのにね。いやどこに入れたって、数年もすりゃなんだかんだなんだかんだと、どうしよってことは生まれてくるだろと思う。そういうときに、そのことだけ以外にも話ができそうな人、そういうビビビがある人がいてくれるとこにできたら入れたいよなあと思う。まあ仕方ないけど。まあそういう人間関係が見つけられるようがんばるけど。

2007-04-02

[]カイパパ本、5個目アップ 

見えてくる人の姿:その2

 ボリュームのあるインタビューで、実際の現場を想像する。ナマでこの対話を経験したカイパパさんは、経験としてすごく大きなものになっているのだろうなと思う。

 人と人が出会っていくこと、渡していくこと渡されていくこと。そしてそれがまた熟成していくこと。そんなことを考えるととても楽しい。

2007-03-31

[][]わ〜お、駄文にゅうすだ

 駄文にゅうすリンクだ。すごいうれしい、From Eさんありがとう。

駄文にゅうす 3月30日更新分

【ネット関連】

発達障害者支援法成立までに動いたブログの力その2 【S嬢のPC日記】

 この「ぼくらの発達障害者支援法」って書籍の存在と生まれた経緯に関して、この動きに関わった人や発達障害者周辺の人だけ知ってることになってるのはもったいないってこと。わたしはそれが言いたかった。な〜にがうれしいってね、そのことをFrom Eさんがキャッチしてくれたってこと。うれしい、拍手してうれしい、ありがとう。

 でもって、駄文にゅうすが生み出していくアクセスってのが、ふーんそうかあ的にこの書籍の存在を薄くでもいいからキャッチしてくれる人を生み出すかもってことかな、と思う。ネットの動きってとこで、そんなことがあったのかあ、って。その可能性をぽこんとくれるFrom Eさんのプレゼントだどん、と思ってわ〜いわ〜い。

 ここで大事にはてブにとってあるヤツもってくる。

『駄文にゅうす』From Eさんインタビュー

Parallels2(10:00):紹介すること相手方への結構な影響とかありますよね。

From E:晒しの場合を除いては、個人ニュースサイトに取り上げられることによって必ずしもプラス方向とは限らない色々と弊害も有るけど、少なくとも『最初にその記事を読んで面白いと思ってくれた誰かが居る』は実感できるかと。

 うんうんうんうん、はいはいはいはい、実感できてうれしかった。

 それと。わたしのところが駄文にゅうすの巡回先になっていること。この大元の発端はekken氏まなめはうすでリンクをたくさんもっていってくれたまなめ氏や、黒板ぽでせっせとリンクもっていってくれたきをふしさまアンド今は閉じてしまった一軒家のtetotanさんの高校生ニュースサイター(当時)によるものが大きいと思う。そのこともついでにあらためてありがとう。

[]カイパパ本4個目アップ

 草稿に入れてたヤツを昨日アップ。

見えてくる人の姿:その1

 文中リンク「祝杯にはまだ早い:発達障害者支援法の出発点を確認する」 (カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル2004年11月21日)コメント欄はものすごい数になっていて。全貌を通して見るには書籍の抜粋版は非常に読みやすい。

 ただ、このコメント欄がいまだに表示されていること、その利点もあると思う。保護者の声もさることながら、やはり注目に値するのは当事者の声だと思う。解決されないことの中で生きていること、確固とした支援の存在が無いままに生きていること。そうした姿というものは事実として重いものだと思う。この分野、全て、これから。まだまだ発展途上。

 ちなみに「その2」は、カイパパによる議員さんと厚生労働省の障害福祉専門官という方に対してのインタビューを取り上げる予定。

2007-03-28

[]カイパパ本、三つ目アップ

ブログの力:その2

 この書籍で「うお!」と思うものを出すには、まだまだあります。まだ続くよ。

 この先はね、今度はブログからではなくこの書籍から見えてくる「人間」、かな。

 発達障害者支援法に関連のある人には、参考書としての機能もプラスされているのだけれど、これにふれるかどうかは未定。

 しかし重版されてるのに、アマゾンでみると、もう新品での入手がそろそろ難しくなってきてるのね。うちのお嬢の養護学校のPTA貸出図書購入リストに推薦するには、この推薦の募集が多分夏から秋頃だからタイミング遅いかなあ。

 このPTA貸出図書、18年度は選定に関わったのですが。障害系で買ったのは自立支援法がらみと就労がらみ、思春期関連、そして自閉症の子の本。あと「ぼくはうみがみたくなりました」はわたしが推薦出して購入。

 会員に希望アンケートをとったんだけど、この回答に「ぼくらの」が入ってこなかったのは、インターネットの利用率ってのは関係あるのかな、と、ちょっと思った。それといわゆる「もっと障害のレベルが軽い人のための本でしょ」感覚があるのかもしれない、とも思った。関心はやはり自立支援法まっしぐらだしね。

2007-03-27

[]カイパパ本、二個目エントリ

ブログの力:その1

 書籍紹介に手をつけた途端にカイパパトラックバックにカイパパコメントじゃ、やらせみたいじゃね〜かよ。いや、潔白だから。

 まあ「その1」なんてもったいぶっちゃっていや〜ねえ。だって「その2」があるからこその「その1」だから。

 テメーがちゃんとタイトルつけないくせして、エントリタイトルのいいブログっちゃいいなあと思う。これはいいねえ、タイトルが。

「すべての涙が乾くとき〜発達障害者支援法成立」 / カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

 このエントリの本文全部、書籍にもあるんだけど。こ〜れはねえ、この本で読んだ方がいいね、と思う。リアルタイム追いかけじゃない場合、もうブログじゃ膨大過ぎるもの。

 そしてこの本文のコレ、この文中の「シートベルト」ってとこのコレ。

「うっかり死んだりしない」と、ゆびきりゲンマン♪

「続き」を一緒に見ていこう。

 この言葉の意味が、よ〜くわかるよね、この本は。

 つ〜か、カイパパ! 左メニューの文字色のオレンジ、読みにくいんだけど…。それとブログ内記事検索窓希望!

2007-03-26

[]「ぼくらの発達障害者支援法」カテゴリ開始

はじめに

ぼくらの発達障害者支援法カテゴリ

 2005年秋出版の書籍に対して今さら感はあるけれど。でもさあ、コレ、いわゆるお仲間だけの本になるのはもったいないって。

 そうは言っても、たくさんの支持者をかかえるブログや書籍の話を出していくってのは、けっこうな緊張。初めてだよ、草稿二個作ってからやっと一個上げるのって。二個目は明日上げます。多分。明日、明日の目で草稿を再読してからね。いや三個目作ってからかもしれないけど。

 っつ〜ことで、とりあえず一個目アップ。

 って書いてるそばから、gooにカイパパからトラックバック受信。く〜〜、ライブドアが重くてリンクが開けね〜。明日の早朝にでも読もうっと。チャレンジドの話が出てくるから天竺堂さんとこにも過去記事掘りに行かなくちゃ。

[][]カイパパトラックバックに反応

 まあ結論の出ないことが多いので、はてなからぶつぶつに逃避しよっかな〜と思いつつ、資料集めていてまとめてgooにぶちこむ。

用語もろもろリンク集

 今日、ちょこっと時間あいてたので、はてブまくり。それでも後で「アレどこだっけ」ってのは出てくるんだよね。ホント、整理下手。

 ってこともあり、今日のgooエントリ、かなりの要素で「自分のため」。

 しかし、というか、まあしかしってことでもないんだけど。自分ちの子どもが小さいときは、とにかく関心があったのは「国際障害者年以前に生まれた障害のある子の親の話」。そのくらい全然違うんだもの、環境が。

 でもって、自分が体験した15年ってのは、いろんなことが変わっていく変わっていったって感覚はあるなあと思う。「国際障害者の10年」ってのはホントに10年が必要だったんだろうし、それが実質的なものになっていくのにさらに10年くらい必要だったんだろうな、とも思う。

 また現在からは「障害者自立支援法成立以後」って時代が始まっていくんだろうし、そのあたりも関心アリ。先日卒業した高三の保護者の方からは、なんだかんだ話聞きまくり。応能負担から応益負担に変わったことから、今後のキーは「世帯分離」になりそう。

2007-03-23

[]過去記事再読

 久々にgooブログの更新をして。そのついでに過去記事なんぞつらつらと再読。おもしろいぜコレ、と思った。のでこちらでピックアップ。

「障害を知る」書籍紹介/S嬢のPC日記

 書籍紹介が目的のエントリではあるのだけれど、主張がいくつか。そしてこの主張ってのは自分の中でずっと変わっていない。障害を知るためには、障害種別を越えなければならないってこと。

 そして、そのことを自分が認識していく中で、原点になるような書籍の一覧。この一覧は、今見ても、そのチョイスに異論は無いなあと思う。

 コメント欄は「健常」という言葉に関してもろもろ出てきていて。これは本文中の「はっきり言って日常的に使うのは、その語彙、変よ。」ってのに反応が出たもの。いや真面目に変だと思う。そしてこの「健常」って言葉を連呼するのは、障害児の親って傾向はあるんじゃないかと思う。

 地域の子どもを知る、知り合う。このときに、親は「健常の子」ばかり追いかける傾向がある場合も出てくると思う。でもさ、地域の就学先が違う障害児同士が知り合うことって、けっこう大事だとも思うのよね。親も子も。

 それでもってさらにコメント欄に出てくること、娘の養護学校にいらした、ろう学校出身の聴覚障害をもつ副校長の話。

 わたしは好きでしたねえ、この副校長。正面から顔見て口見せて話す。ストレートにコミュニケートする、って実感があるのが、なんか好きだったなあと思う。

 この方、去年定年退職されて。そして先日の娘の卒業式で来賓でいらしていたところに再会。式が終わった後、廊下にいらして校長や他の管理職の方と話していらして。そこでわたしはいわゆる順番待ちのように待っていたわけだ。いやなに、用事があるわけじゃない、ただ「お久しぶりです」って言いたかったから。

 待ってるわたしを見つけて、この方の顔がぱあっと笑顔でこぼれる。わ〜いって思った、片思いじゃないんだぞ、って。再会を喜ぶ、んじゃなくて、喜び合うってやれるんだ、って。なんかとってもうれしかった。

 しっぽ振って犬がなつくように、寄っていって、顔突き出して「お久しぶりです!」って。「おめでとう、元気だったかな」って。会話はただそれだけ。でもすごくうれしかった。

2007-03-22

[]今年初の更新

 ほったらかしてたgooブログですが、いよいよ今年初の更新。ngmkzさんのこのエントリに反応するのに、こっちからだなあと思ったから。

 ngmkzさんが「ぼくのお姉さん」使ってエントリ上げしてくれて、うれしいぞ。そこ持ってきたか、とも思った。ngmkzさんがもってきた「ワシントンポスト・マーチ」に関しては、わたしはまた別の感想アリでありまして。これはまたエントリ上げる予定です。多分はてなから。

2006-12-27

[] 「赤ちゃんポスト」と報道

 天竺堂さんとこ読んでから、ど〜しよっかな〜〜、と思ってたんだけど、結局書く。

 この「赤ちゃんポスト」の件、報道を見たときに、最初に思ったこと、(先天性障害児の捨て場にならなきゃいいんだけど…)。

 まあこれは、衝撃→育てられない という心境の変化が起きているときに、「どこかにやってしまいたい」という叫びのようなものを聞いた経験ってのがあるからで。しかし実際のとこ、そうした叫びは通過点のように、数年後には何かあったっけ、という生活をしていることも少なくない。これは支援というものの存在を知らなかった時期、知った時期、という違いも大きいと思う。

 とりあえず預かってもらって、ってこと。結局はそれだけで済むかもしれないこと。それがそのときにはどうしても思えないこと。こういう時にも、この病院が選択したやり方ってのは生きるかもしれないとも思う。

 わたしは最初、この報道を見たときに、この「一時的緊急避難」って要素をももたせようとしているんだ、っていう、病院側の願いのようなものがわからなかった。あ〜あ、そこに入れちゃったら終わっちゃうのに、なんてことも思った。

 でも、gooにあげたエントリリンクに入れた報道を見て、そうじゃないんだな、と思った。これはさ、報道でその内容で、うっかり誤解しそうになった、ってことなんだな、と思う。

 抱える困難、ってのを考えるときに、あの書籍が消えたのは惜しい、と思う本ってのがあって。その名も「東京おんなおたすけ本」というもの。

 この書籍、わたしが人に聞いて図書館から借りて読んだ時点ですでに絶版。わたしはこの書籍で、経済的に出産が困難な場合の制度や、DVのシェルターの存在と概要、母子家庭に関してのあらゆる制度と母子寮での生活の様子を知る。自分にとって必要のある情報ではなかったけれど、困難がある場合、望めば開く扉というものがこんなにあるものか、という感覚を養うには充分過ぎる本だったと思う。

 困難ってのを抱えたときに、その本人が「開く扉というのはあるはず」と思えるかどうか。またその人間の身近な人に、こういう思考を渡してあげられる人がいるかどうか。このあたりも大きいんじゃないかと思う。

 困難を抱える人の周辺に、そういう人が誰もいなくて。そして産後の精神的にも安定していないときに大きな困難を抱えてしまった場合。それでも泣き叫ぶ赤ん坊を抱いていなくてはならないとき。

 そういうときに、一度ここにおいてもいいんだよ、という場所があるか無いか。それはその場を利用するかどうかってことだけでなく、存在は大きいかもしれない、なんてことを思うんだよね。捨て場ではなく、究極全面的に面倒みてあげるから、って、そういう覚悟を持った場なんだってこと。このことの信頼ってものが、逆に一時的な保護で終わる場合を生んでいくのかもしれない、とも思う。

2006-12-22

[] 「僕の歩く道」最終回

 最初はぶつぶつとはてなで書きながら、結局gooに持っていってアップ → *1 「僕の歩く道」最終回

 ああそういう風にもっていく構成ね、と、けっこう醒めた目で見ていた最終回。今回の脚本は、ひとつのキーワードに対しての表裏等、構成の巧みさなんてものも高評価だったので、すぐに構成が見えてしまったってことが、ちょっと自分にとっては、ってとこがあったのだと思う。でも、閉め方としてはよくできていたと思う。

 ひとつの作品として、読解や理解というものは、作り手と受け手との戦いみたいなものはあると思う。簡単な戦いではわかりやすいかもしれないが、本当にわかるものは薄くなる、ってとこ、これはわたし個人の好みってとこが関係するかもしれない。

 海外ドラマ、そんなに見ているわけではないのだけれど。その中で、アリーMy Loveはおもしろかった。脚本家との戦い、みたいな要素がわたしはとてもおもしろかった。今回の「僕の歩く道」は、同様のおもしろさを与えてくれたと思う。

 と、いうことで、ドラマ開始早々に、ああ、と、わたしは思ってしまったのだけれど。それでもセリフ以外に出す展開から見えてくる要素で、ふむふむすごいな、と思ったところは何点かあって。

 この最大級ってのは、「もう自分は手を引いてやれない」と言った兄が、主人公のロードレースの練習中のワンシーン。ロードバイクで走る弟の後ろから、ママチャリを必死にこいで、それでも追いつけない様。いっしょに見ていた息子とこの兄を指さして体ぶつけあって、もう大笑い。いや嘲笑ではなく、楽しい笑い。脚本にあったのか演出なのか、数秒のワンシーン、これは状況・情景を描くのにかなり高ポイントなシーン。大拍手。

 周囲の人間を描くことに大きく要素をもったこのドラマ。自閉症の行動の、特に行動障害になる要素が高いところは大きく希釈されたものだったと思う。このことに何らかの不満をもつ関係諸氏という方々もいらっしゃると思う。

 ただ、このドラマは自閉症図鑑ではなく、受け入れやすい状態に希釈することで、一回一回の放映にこめたテーマが手渡されやすくなったということはあり、わたしには不満は特に無かった。見え透いた「感動の仕込み」も無かったと思う。ダウン症図鑑的要素とわかりやすい感動の仕込みをフル装備した「たったひとつのたからもの」とは、ちょっと対照的な構図。ちなみにわたしの好みは前者です。

*1:ドラマタイトルで検索で訪問される方のために今回はあえてリンクを本文中につけました

2006-12-13

[] 「僕の歩く道」に見るきょうだい児の心理

 最初はてなにぶつぶつと書いて、結局gooにもっていったもの。いや何が言いたいってことでもないんだけど、昨夜の感情の揺れの余韻が自分に残っている間に書いておきたかった。

 子どもを育てるってことは、人間のこころを育てるってことで。それは自分にとってきついところに向かい合わなきゃならないとこでもあるわけで。うん、まあ、そういうことなんだろうな。

2006-12-12

[][] 「レインマン」と「ギルバート・グレイプ」

 娘が9時半に「おやすみ〜」と自室に消え、レインマンのDVDを見始めていて。

 そこに風呂から上がった息子登場、「何観てるの?」

 レインマンっていう映画、自閉症の人が出てくる映画だよ。

 そう答えて、始まったばかりの映画の簡単な説明をする。父親が死んだ、遺産の相続がらみで、弟は自閉症の兄がいたことを知る。弟はなんで怒ってんの? おにいちゃんにおとうさんが残したお金が多いからだよ。

 この説明に、ばばっと息子が反応する。それを見て思う。あ〜〜〜、そうか、これはきょうだい児の映画だ、と。

 元々知ってた映画だからね、レインマン。ダスティン・ホフマン好きとしては見逃せないぞ、って感じで観た映画だった。知ってる映画ってことで自分の中でのイメージは定着していたのだけれど、ストーリー以上には障害児のきょうだいの葛藤、なんて目で、この映画観てなかったな、と思った。自分にとっての新しい視点は、息子がくれたもの。

 自分がすでに知ってる映画ってことで、なんというか、まあ安心していたけれど、いやんヤバいじゃんって思った、ちょっと慌てた。慌てたのは、トム・クルーズのベッドシーン。弟とその恋人がなさっているときに、自閉症の兄がその部屋に入り、ベッドのそばでテレビを観るというシーン。もうすぐ中学生って息子と一緒に観たいシーンじゃね〜よ。

 まあしかし、慌てるのもなんだなと思って、そのまま観る、二人で観る、トム・クルーズのベッドシーン。布団かぶった正常位で助かりました。ターミネーターのカイルとサラ・コナーのベッドシーンは実はわたしはすごく好きなんですが、アレは息子とは観たくないね。ちなみに息子とはターミネーター2は、以前一緒に観てます。1も観たいとは言われているんですが、今度ねなどと言って逃げております。いずれ勝手に観てくれ、うちにDVDがあるんだから。

 で、問題のレインマンのそのシーンに関しては、わたしと息子二人で観ながら両者共に何も言わず、変なテレもせず、まあ淡々と。声はでかいけど画面はたいしたこともないわけだしね。ただし息子が何考えてたか、わたしゃ知らん。

 ちなみにギルバート・グレイプは観せていません。主人公の不倫シーンの、食料品屋のにーちゃんが配達にやってきて、そこんちの人妻と台所でやっちゃうぞ未遂のシーンは、ちょっと息子と一緒にリビングでは観たくないよ。まあでも彼にはいつか勝手に観てみて欲しい、ギルバート・グレイプ。DVD、買う、かな〜。

2006-12-11

[]獄窓記

 書籍紹介カテゴリで、「獄窓記」の紹介。

 資料として使用したインタビュー記事は、はてなブックマークに入れておいたもの。書こうと思っていたこと。

 この書籍で印象に残っている文章。 

思ったり言ったりするのは、簡単なことだが、真実は行動のみだ。(獄窓記:P191から引用)

 書籍のリンクにブクログを使ってみたのは、gooのアドバンスをいずれ解約しようかな、と思っているから。アドバンスを解約したら、アマゾンのアフィリは使えないってことで。

 ただ時々、アドバンスにしか付いていないアクセス解析のサービスの中に、おおというリファラを見つけることがある。これが悩みつつ、結局解約に至っていない現在の理由。

 しかしgooブログ、スパムトラックバックがひどい。英文のトラックバックが頻繁に入る。公開保留の設定をしておかないと、メニューの新着トラックバック欄はあっという間に英文でいっぱいになるはず。

 更新していなくても定期的にスパムトラックバックを削除しないといけないgooブログってのは、なんなんだ、とも思う。

 リファラに変な英文サイトがちょこちょこと紛れ込んでいて、うっかり開けない状態ってのも頭が痛い。

2006-11-26

[]イケイケ、パニッカー

 昨日迷いなんてものを書いて。んで二人の頼もしい友人に背中を押されて今日gooに更新。

 躊躇したのは、この本の感想というものを検索でさがしていて、シリアスな吐露の部分に気持ちがわかりすぎてきつい、っていう自閉症児の親の感想があったこと。

 そうか、そうなのか、とは思うのだけれど、当事者に痛い部分を取ってしまったものというものは、当事者以外の人に伝わらないことってのもわたしはあると思う。ダウン症の本で言えば、わたしにはそう思える、だからあまり好きではない、でもダウン症児の親には人気がある、って本はある。

 それともうひとつ、この本で気になるところはある。あるけれど、でもそれは本の直接の感想ではないので、gooには載せなかった。それはきょうだい児のこと。

 自閉症児を育てていく。それは母親が経験を踏みながら進んでいったということが、この本からはよくわかる。ただ、きょうだい児に関してふれた記載が、わたしはもう少し欲しかったと思う。

 こういう子育てをしている人たちがいることを、もっとたくさんの人に知って欲しい、と、わたしは思う。自閉症児は行動にその障害の傾向が現れるというケースがままあること。そのときに、「親のしつけが悪いからだ」という一方的な視線を受けるケースもまたままあること。

 そのことから少しだけでも解放されるためには、人に知ってもらわなければならないことってのがあるのが現実だと思う。これは障害児のきょうだい児にもメリットがあることなんじゃないか、とも思う。

2006-11-15

[]ひっさびさの更新

 死んでないよ、生きてるよ生きてるよ、gooの方だって。

 な〜んて、誰に言ってんだか。はてなアンテナの登録数が、とうとうはてなの方が越えちまったぜ、ってのは更新の動機にちょびっとアリかも。