S嬢 はてな

2008-07-16

[]ちょいともろもろ

7月14日更新分

誠天調書nni’s blogで被リンク

誠天調書のコメントはおもしろかった。でもってnniさんとこのコメントがおもしろかったので引用。

nni’s blog

just info. 拾い方が難しいんだけど、三者(↑2人+fuku33さん)三様の見方で面白いなーと思ってpickup

誰も間違ってないと思うけど、私からすると「世間一般の基準」(って何だとかまぁそういう堅い話はおいといて私の感覚論)から一番離れてるのはS嬢さんかな、と思う。あ、否定してるわけでも、けなしてるわけでも、悪いといってるわけでもないです。

もし可能ならば、お二方のいう「うまくいっている(ように見える)ケース」のところにfuku33さんがヒアリングしてもらったりするといいなぁとか。ユーザor雇用者視点と、経営者視点のギャップみたいなものがあるのかどうかが興味あったり。

で、このあたりはyumizouさんのブックマークコメントと共通性があると思う。

はてなブックマーク > いろいろ紹介 - S嬢 はてな

yumizou 「障害者ブランドのパンやお菓子」は「美味いよ」ってのがもう当然の認識なのかと思ってた。だって美味いもん。」私にとって当然の認識ではないな。どこにお店があるのかも知らない。イメージとしてはおいしそう。

わたしの周囲では、「あそこが美味い」ってのは、だいたい地元では浸透しているというところはあると思う。その地元の人が自分の地元の「店」で「美味い」を実感して、二軒目との接点があったときに「あそこも美味かったからなあ」というのにつながっていると思う。

つまり、一店目が二店目のイメージを作っているところはあると思う。そこで二店目で失敗したらかなりヤバヤバなところはあると思う。二店目がこの先、まだ遭遇しない「障害系の店」のイメージを背負い、一店目がどんなにうまくても「個別の例外」として存在してしまう。これが障害系の店の持っている要素だと思う。一店の失敗は非常に痛い。それはマズいもん作って売ってるとこには考えて欲しいことだとも思う。自分とこの失敗だけという次元では済まなくなる、という要素。

また、「知らない」という場合、それとわたしの出したエントリに対して「ちょっとズレてないか?」という場合は、それはその方の地元のこうした施設が商品力またはマーケティングに失敗しているということなんではないか、とも思う。

わたしの知っている限りという狭い範囲の感覚で言えば。「美味い」評判の立つ地元のパンだのお菓子だのの店という場になっているところは、たいがい子持ちが出入りしやすくなっているところがある。つまり家庭というバックを背負った人間がすっと入りやすいところの立地というか。パンとかお菓子とかじゃないんだけど、天竺堂さんとこのカフェもこの層が入り込んだという記述をそういえば見たなあとも思う。この層はうまけりゃ必ず口コミる、そしてそれは地元に流れていくというところがあるようにも思う。

あとfuku33さんの使う「正義商品」という言葉。

行き詰まっている障害者ブランド/福耳コラム

「障害者がつくった」ということにこそ意味がある、記号商品、その一種の正義商品

わたしはこの「正義商品」という意味合いをもって商品を売ったことがある。

ウチの家を建てるときにお世話になった地元の工務店がある。その工務店は夏と冬に季節の挨拶に来る。そのときに冬はカレンダーをもって、そして夏は「ちょっとした小物」を持って来る。

ウチの家を建てたときの社長は亡くなり、新社長は二代目の30代の男性。この方には営業のときからお世話になった経緯があり、季節の挨拶のときにはちょこちょこと玄関先で話をする。

ある夏の日、渡された小物をじっと見ながら社長に聞く、「ゴメン、ぶっちゃけコレいくら?」と。そして「ちょっと待ってて」と言って家の中からごそごそとある作業所製品を持ってきた。

「コレも同じ値段で入手できるんだけど、次、コレ使ってみる気、無い?」

提案した理由として、わたしはこの商品とこの商品とが堂々競争に並べると思ったから。商品の完成度としては渡された商品の方が上ではあったけれど、家庭で使う小物という意味合いでの競争として、わたしが出した作業所製品の方が上ではないかと思ったから。ちなみにその作業所製品を作成販売している作業所にはつきあいはあるけれど押し売りしなきゃいけないほどの義理は無い。

社長は商品を見た途端に「連絡先をプリーズ」とわたしに言い、その後その社長とその作業所の代表との商談は成立。次の夏のご挨拶にはその製品をもって社長は挨拶に来られた。

商品として認める、そして。それを「会社の季節の挨拶に使う」ことは、会社のイメージアップにつながると、それは考えたと思う。だからこの場合は「正義商品」としての意味がそこにはあると思う。でも、商品力あってこそのものだとも思う。会社のイメージアップにつなげるためには「変な商品」ではあってはならないのは前提。これは実際社長も言ってらしたし。

後日談としては。この会社のお客さんの中に美容院の経営の方がいらして。「ウチもお客様へのプレゼントに使いたいから紹介してくれ」と言われて、次の商談も無事成立したとのこと。当然ここにも正義商品としての意味合いは動いたと思う。でもそれは商品力あってこそのものだと思う。

商品は商品、お金が動くもので。「正義商品」というものはその付加価値として利用されることはあっても、「付加価値」というところを越えてはならないのだと思う。価値も無いのに付加価値をふりかざしたって、誰も財布は開かない。そう考えるのが当然の現実だと思う。

2008-05-18

[][]わ〜い誠天調書にリンクだ〜

誠天調書 2008年05月18日

誠さん、おっす〜。お久しぶりぶり。

と、ご挨拶しつつ、被リンクのこと。

この順番でリンク並べたことに、そうよねええ、って思った。そうそう、教室出たって社会に出てからだって起こりうるんだよね、そういう相手との遭遇ってのは。社会に出て、相手の方がそれなりに位置や立場をもっているときは「センセー、あの子がねえ」なんてことは通用しない場合だって多いんだよね。通用する場合は、被害よほどのことになっていなきゃ、ってことになってるというところもある。

だから。どういう風に対処するかってときに、必要な耐性が現在本人にあるかどうか、ってとこをわたしはまず見たい、と思う。そしてその必要な耐性がまだまだ育ってないとしたら、そこをどう育てていくか、ってとこもあると思う。対処や仕返しは一回こっきりかもしれないけれど、自分の個性とそのやっていき方というものを知ることの方が、その後の人生に収穫があるんじゃないかと思う。

親が子どもの社会にまだちょびっと程度、手が出せる時期は。相手のとこ行って、こんにゃろこんにゃろ、って。ほらおかあさんどうだ、って。それじゃ子どものスキルは育たんだろ、ってのもある。まだちょびっと程度手が出せる時期だからこそ、背後でその肩を支えてやりながらできることってあるはずだと思う。

かーちゃん出ていって相手の手段に対して、こんにゃろこんにゃろ、ってのが出来たとしても。相手の気持ちに対してのソレはできないんだし。毒をもつ気持ちが相手にあれば、ひとつの出口をふさいでも、毒の出し方の手段や出現の仕方を変えるだけだろうなとも思うしね。

他者から渡されてしまう毒ってものに対してのスキル。コレ、難しいと思うのよね。わたし自身だって、坊やにエラそうに「かーちゃんはな」なんて言えないよ、そんなにたいしたモンとも思えない。人間が多種多様に存在する世の中なんてものは、人間関係の毒の行き来ってのがそりゃよくあるものよ、ってのが現実的なとこなんじゃないかと思う。

でも。かーちゃんはかーちゃんだからな、オマエよりよっぽど長く生きてる分、そういうスキルを身につけようとやってきた年数も長いんだよ、エヘンと。そうやって空威張りしながらも、わたしは坊やにそうしたスキルを身につけて欲しいとは思うよね。出会う相手のコントロールはできないけれど、自分に内在する力を自分で育成していこうとすることは出来るはずだと思うからさ。いつか手を放すんだし、順番で言えばわたしの方が先に死ぬんだからさ。

でもって、誠天調書のリンク。「情報リンク元は nni’s blog 様より」と記載アリ。nni様、いつもご紹介ありがとです。

2006-05-25

[]祝!ランキング入り

 前回の15位から急上昇、現在7位です。わ〜〜〜い。

 らんらんらん、7位*1だもんね、らんらんらん。 

 これは、はてブさま呼び寄せアクセス波押し寄せ記事のリンク部、ってのが要因でしょう。多分、明日あさってには急降下で消えていくもよう。束の間のベストテン入りの景色を、ちょっと楽しんでおこう…。

*1誠天調書アクセスランキング。つまりコッチからアッチへ飛んだ数

2006-05-24

[]web上で見える人格

 無責任なことは言えないけど、でも、Web上で見える人格というものはあると思う。それを攻撃の対象にするかどうかってことはまあ品性の問題にもなるかな、とも思う。でも、Web上に言葉を記していく結果として(こういう人なんだな)って印象を相手に与えていくことは、事実だと思う。

 「給湯室より/あんたジャージでどこ行くの」 に、コメントを残す。Lsty氏はこんな風に返してくるだろうな、なんて思いながら入れた。ここで出てきたようなリアクションがあるだろうな、なんて推測はあって、その反応を待つのはちょっと楽しかった。

 文意に同意せず、ってものをイコールでネガティブコメントとするかどうかってのは、人によって感覚が違う。というか、閲覧者によっていろいろに解釈できるものをわたしが投げているということなんだけれど。その上でわたしにとってWeb上から見えるハンドルネームLstyという人物は、こういうマイナス的反応を楽しむタイプとして位置づけられているところはあると思う。それは彼が以前書いている「何をしたって誰かには嫌われるのだ」という前提が、言行一致であるということ。と、Web上でわたしには見える人格として、根づいているからだと思う。

 ブログというものは、その場その場で閲覧され、そんな解釈をしているなんてことは、初見の人には全く見えないもので。(なんだコイツは、人の話をそのまま聞けないヤツだな)と思われるかもしれないわけで。Web上に言葉を出していくということは、いつもそういうリスクを抱えているということなんだと思う。だからこそWeb上で明かな失言をした場合は、Web上で初見の人が見たときの感覚というものを、自分の中におきながら対応しなければならないと思う。

 誠天調書に遊びに行って、「藪本雅子ブログ」の一連の炎上を閲覧。「返信」というエントリを読んで、あ〜あ、と思う。自分の側で思うことの記述に大半を割いていて、本当に必要だ、と、わたしが思うことに対しての記述は、後半にちょこっとだった。自分の発言の動機、背景は「自分をわかってもらいたい」という欲なのかもしれないけれど、本当に必要なのは、失言によって得る「視点」なんではないかと思う。自分の発言によって、自分が起こした行動によって明確に知る「セカンドレイプ」なんてことを焦点に持ってきて欲しかったし、自らの中にもある同業者びいきが発言の中に影響してしまう要素、なんてのを自省と共に考察して欲しかったかな、と思う。それは多分、閲覧によってもったわたしの「欲」なんだろうと思う。ただ、この方の行動によって露見したWeb上の人格というものは、この方が作ってしまったものと言わざるを得ないと思った。

 この人がWeb上で作ってしまった人格として、主語の変化に対しても、わたしには相容れないものがあったな、と思う。盗撮という犯罪行為には被害者にも責任がある、という意見表明をしたときには「おばさんは」という一般的なイメージを引き出しやすい属性を使ったこと。そして弁明のときには自分の私的事情を中心にしたこと。

 失言と、その後の展開、ということで言えば、別にこの人だけを責めることはできないと思う。立場や内容としてこの人が目立ってしまってはいるけれど、同様の「人称に対してのご都合的変化」や「自分をわかってもらいたい」という欲が先行していくのは、あちこちに見られることだと思う。

 じゃ、オマエはどうだ、と言われれば、失言というものはけっこうやったな、と思う。人間は失敗をするわけで。大事なことは失敗のその先なんだろうと思う。痛みをもったとしてもそこで新たに発見を見出していくことは、その場の自分修復のための自己防衛的思考より、ずっと価値が大きいとわたしは思う。

 自戒をこめてこんな文章を残すことで、ちょっと自分を追い込んでおこうかな、なんて思う。Web上になんらかの「考察・意見」なんてのを出していく上で、必要な視点なんだろうと思うので。必要なのは「口」だけではない、聞くことのできる「耳」と、公開された場に出していくことでつかむことのできるものを見つける「目」なんだと思う。

2006-05-05

[]ニュースサイトに感謝

 特に被リンク狙って入れるわけではないけれど、ひとつから流れたときに次々と被リンクされる率が高いのが個人ニュースサイトネタだと思う。でも今回わかったことは、ニュースサイトネタってのは、当然のことながら、ニュースサイトを運営している人の関心が高いもので、ニュースサイトを運営していない人にはたいして関心が無いものなんじゃないかということ。特徴的だったのが、かーずSP。つい先日の被リンク金融業者ネタ ではたった一日で3千近いアクセスがあったのが、今回は同じアクセス元から来た数字はその一割に満たなかったこと。ニュースサイト閲覧者は自分の興味のある話題を選ぶということがわかる特徴的な数字なんではないかと思った。

 ああ、そうか、と思ったのは、ニュースサイトネタってのは、被リンクということ自体がニュースサイトからのある種の「返事」なんだなということ。要は、goo含めいろんな文章で、「ニュースサイトの管理人って『個人』でしょ」って言い続けていることに対して、被リンクで「個人だよ」と答えられているようなもんかもしれないと思った。

 もうどこにいくつ被リンクがあったか忘れちゃったんだけどgooに入れたコレも、膨大なアクセスを稼ぎ出した、ニュースサイトを回りまくった記事だったけど、再読してもわたし自身はあんまりおもしろいとは思えない。コレはまなめ氏に投げた、というより「投げつけたボール」であり、それを投げるインパクトとイタズラがおもしろかったわけであり、わたしにとってはそれ以上でもそれ以下でも無かったというか。だから特に再読しておもしろいもんでもなんでもない。でもコレが回ったこと自体、ここに入れた「『個人ニュースサイト』が『個人ニュースサイト』であることがよくわかった。。。」ってことに対しての、ニュースサイトからの「返事」だったのかもしれないな、と今回勝手に思った。

 そうした「返事」をキャッチしました、ってことで、わたしが把握した被リンクを並べて、ちゃんと自分で記憶しておこう、なんて思ったのが今回の被リンクの感想。

@-Nighthead†JAM 2006年05月04日のニュース

◇ニュースサイトをリンクする (かーずSP)

同じ紹介記事を違うサイトで見つけた場合どっちをはって良いか困る場合があります・・・・・・orz

 このコメント、笑わせていただきました。いや、コレ、前に素朴な疑問としてあったのよね。複数で流れるものってのはよくあるよなあ、と。同じものがいろいろなところでいろいろな「情報元」として出現しているのを見るとき、こういう場合どうするんだろ、なんてことを思った。そうかやっぱり迷うのか、と思っておかしかった。こういうの見ても(やっぱりニュースサイトの管理人って「個人」なんだよな)と思う。

Escapism 060504

ニュースサイトをリンクする

ref. まなめはうす

こういう文章好きだな。決して押し付けがましくない書き方が素敵。

 わ〜い、わ〜い、わ〜い。

マンガ☆ライフ

[話題]■ニュースサイトをリンクする[まなめはうす]

お礼を書かれるとやはり嬉しいです。

その辺は普通の管理人と同じですよ。

 ここ、2006-04-21更新分■私はこうしてニュースサイトをやめましたに対してのコメントがとてもいいな、と思った。→「なんだかんだで続けてる。ニュース紹介が面白いから。」 その「面白い」という羅列に並べていただいたことに感謝。

痕跡症候群 痕跡メモ 51

★ニュースサイトをリンクする★ 〔情:マンガ☆ライフ〕

ちょっとした紹介だけでも私はうれしいですね。知らないサイトさんから情報元として使われると即ブクマに挿入する私がいます。

 「ちょっとした紹介」になるかどうかわからんのだけれど、このネーミングがすごいな、と思った。「痕跡症候群」「痕跡メモ」。クリップの時点でどこまで記憶に残り続けるものかわからないけれど、自分に引っかかった痕跡、その痕跡を追い続ける症候群、クリップを「痕跡メモ」と理解。自分が持つ感覚をどんな言葉にのせていくか。そういうことってのも、ひとつのセンスなんだろうと思った。

誠天調書 2006年05月04日

ニュースサイトをリンクする

( 以上 情報リンク元は S:今日の一言 様 より )

 わ〜い、わ〜い、いわゆる「逆ナン」かけて、情報元の地位を確保した例。いや、わたしんとこなんてそうそう被リンクネタは転がってないので、この地位はいつ失墜させてもかまわないですよ。うれしかったけどね。

2006-04-23

[]被リンク雑感

 続いてますねえ、ニュースサイト被リンク。つか意図はなかったんだけど、「自分が作った被リンク」もあったみたい。

 リファラで誠天調書のアドレス見ながら、まなめはうすから流れた被リンクのアクセスが続いてるだけだと思ってたら、違った。「わ〜い」を持って行かれてました、あはは、ちょっと恥ずかしい。きゃ〜だのコメントに拍手してスキップしてたのがバレるみたい。

 ニュースサイトの管理者って、リンクの城壁の中に「いる」ような感じがするんですよね。だから「声」が届くってのが、単純に「きゃ〜」になる。以前まなめ氏に初コメもらったときに「うわっ、降りてきた」って思ったし。最近RinRin王国の輪王さんがえっけん氏のとこにコメント入れてた見て、やっぱり「お、降りてきた」なんてことを思ったなあと。

 誠天調書の「中の人」のコメントは、本当に拍手してテンションにっこにこになってしまって。いや、リンクの城壁の上に、冒頭の一文の「ここでも」にもう一つ城壁があるようなものだから、それ超えて降りてきてくれた、ってことに「きゃ〜」。この「きゃ〜」にハートマークもプラスされる感じ。あ、アレだ、少女漫画かなんかで、「憧れの先輩のサッカーの試合を見ていたら、試合の後で自分にだけ声をかけてくれた」心境みたい。いや、女子校育ちでそんなシチュエーション、フィクションでしか知らないんだが。ちなみにわたしは男性というものに対する基本的な好みってのは、コミュニケートが下手くそそうな人なんですわ。その辺かなり影響してると思う。だって、コミュニケーションがスムーズに進まないって人の持つ「間」って、色気あるなあと思うんだもの。いや、こういう「好みの趣向」ってのは、あんまり一般的ではないみたいだけど。

 まなめはうすで「★私はこうしてニュースサイトをやめました」のリンクとまなめ氏のコメントを読む。ふうむ、と思う。リンク先のリンク先なんぞ読みながら思うことは、アクセス数という形って、いろいろな心理に影響していくんだな、と。アクセス数は事実としての「形」だし、わかりやすいとこもあるけれど、他の心情を波立たせていくものなのだなあ、と。いわゆる著作権クリアなら、「海」に流したものの流れ方は、わたしは自由なものだと思うんですけどね。プライドって、もっと大きく持ちたいよな、なんてことをぼそっと思った。

 リファラでは、まず駄文にゅうすからのアクセスがどっとあって、そこにそこから流れたかーずSPからのアクセスがどわどわどわ〜〜っとあって。その後にもろもろと流れが続いている間にまなめはうすの被リンクとその流れ。当初の駄文にゅうすからのアクセスがさーっと引いていたと思ったら、またぐぐっと伸びてきていて。ふうん、って思ってたら新しいの持っていってた、駄文にゅうすの4月23日更新分に「なんだこりゃ」が被リンク。駄文にゅうすって更新日付の前日に更新されるんだなあという発見。

 特定の企業に対して中傷はしたくないけれど、恥ずかしいよね、って共感をFrom Eさんに持ってもらえたのはうれしかった。わたしのところでリンクしたブログに飛ばなきゃわからない構成になっているから、この駄文にゅうすの被リンクから飛ばれた方は、このリンク先のブログにも飛ばれるんでしょう。あのコメントが変だよってのもあるけど、あの変な宣伝コメント入れられた文章自体、わたしはけっこう好きなので、それを読んでくれる人が増えるといいなあと思った。

2006-04-22

[]わ〜い、誠天調書だ

 以前何かの記事を被リンクって経験があって、訪問歴がある誠天調書

 ここ、わたしはその情報量にクラクラしてくるので、被リンク時にしか訪問歴がないんだけど。いや、何が何回被リンクがあったのかも忘れてしまった。一度かもしれない。わからない、忘れてしまった。わたしが忘れているんだからここの管理者の方は当然のことのように、わたしのことなんぞ覚えてないと思う。流れを拾うってケースの被リンクだしね。

 でも、好きなんですわたしは、この誠天調書。今回、まなめはうすからの流れで被リンクという次第になったようで。久々の対面に思わず「わ〜い」。

 ニュースサイトが「好き」って言えば、その情報の趣向や情報量ってのが普通なんだろうけど、そしてそれがアクセスに結びついていくのだろうけど、わたしが誠天調書が好きってのは、そのどちらでもなく、それは申し訳ない気持ちにもなる。

 でも、好き。好きなのは、冒頭の一文。

ここでもコミュニケーションが下手な人間だから、新聞の切抜き収集と同じことしてるだけ。

 一見なんの変哲もない一文かもしれない。でも「ここでも」って、なんだかすごく味わいのある前置きじゃないか、と思う。ここにわたしはいろんなことを味わったりするのですよ。そしてこの前置きをした人、というものに、瞬間思いを馳せたりする。その感覚は褪せないんだな、わたしには。久々の再会でも、わたしはこの一文を眺め、再び味わうのですよね。

 やっぱりわたしは「個人ニュースサイトは個人の場」って位置づけなんだろうな。