『天安門、恋人たち』―非・自由に背を向けて

中国では、80年代には訒小平の改革開放政策により、農業・工業の構造転換が図られるように、それは文革以来とも言える失業率のセーヴをもたらしましたが、物価高騰や一部の冨を牛耳る富裕層が現れるなど、不満要素も散見されるようになります。

1988年になり、経済改革にはまずは「政治的な安定」を優先すべきだという意見が起こり、権力を中央集中型にせしめ、経済力の更なる発展を求めようとしたが、民主化が先決だというインテリゲンツァがそれに反撥をしました。改革派の知識人は、1979年の民主化運動の際に投獄された魏京生の釈放を求める署名活動と並行し、北京の一部大学生の中で、民主化運動に対してのグループが生まれだし、改革派指導者の胡耀邦の死去に伴う政府の圧力と改革派の軋轢が極まる中、1989年4月末から100万人デモが行われます。その5月に、訪中したゴルバチョフ共産党書記長との趙紫陽との対談の中で、訒小平の独裁体制と権力該当局の在り方がディスクローズされます。

それらへの批判として、人民解放軍が市街地、天安門広場を包囲して、共産党との衝突―。「民主化」を求めた知識人や文化人、芸術家、学生たちも亡命を余儀なくされたという要旨は、周知の通りでしょう。

自由を求める人たちと、元々のシステムを堅守しようとするエスタブリッシュメント側の間の摩擦。

1987年に東北地方から北京の大学へと入学したユー・ホン。
そして、チョウ・ウェイという青年との出会い。彼らはあっという間に魅かれ合い、夜な夜な語り合い、愛し合い、自由民主化の機運が高まっていた周囲の間で、二人は「閉じて」ゆきます。学生たちの抵抗活動が激しくなる中、ユー・ホンは、故郷の恋人と大学を去ります。

一方、チョウは天安門事件の後、軍事訓練に入ることになり、そして、チョウは友達と「自由」を求めて、ベルリンへ飛びます。

そこから10年の歳月の中、ユー・ホンは中国各地を転々としながら、色んな男と出会ったり、時折、恋に落ちたりしながらも、つまり、当たり前の生活をおくりながら、あの「天安門の、季節」が忘れられないでもいます。チョウもベルリンでの暮らしに、何となく求めていた自由は違うのではないか、10年前の出来事にまだ贖いを持て余し、結果的に帰国します。

天安門事件の後ろで、その人生が翻弄されたか弱き、よくある、とある恋人の話。

彼らが夜を明かすこと。
その背景で周囲の大学生たちが自由民主化について議論をすること。

その捩れは同層の中に収まります。革命と、個的な愛は切っても離れずに、抽象的な欲動は本能的な欲望と同じポケット内で、攪拌されます。そして、攪拌されて人間は(社会的)生物のまま、投げ出されます。もしも、「天安門事件で何かが変わっていたら」、そんな「たら」に意味はなく、革命「後」、破局「後」の世界を思い浮かべるくらい徒労もないものです。

相変わらず、世界は続いていきますし、人間はふと恋に落ちるのでしょう。

だから、とても刹那い映画だと想います。

結局、誰も何も変わらず、「歳月」だけが過ぎてしまって、みんなが事件が、「老けてしまった」ことだけを示すような、描写(”若さ”が強調される分だけ、その後の風景が残酷に帰納されるからです。)と、でも、「あの頃」だけを担保に生きていかざるを得なかった人たちを巡るユースフルな悲劇。しかし、その悲劇の渦中を生きた人たちにとってはそれが日常だったとしたら、誰もそれを名称化は出来ないのは今も道理です。

天安門、恋人たち [DVD]

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