26th birthdayを迎えて

改めて、よい機会なので文章を少しずつかいて見ようかと思っています。

特に誰かが目を通してくれたりとかはそんなに気にせず、
これはもうずっと前から言われていたことだったけど、自分はアウトプットをする機会が圧倒的に少なくて、「もっと発信すれば良いのに!」みたいなことを色んな場所で言われてきました。

アウトプットすることで整理される思考もあれば、アウトプットを通して世の中のアウトプットにもっと意識的になれる。
アウトプットから生まれるつながり等の偶然もあるかもしれない。

そんなきっかけの1年になれば良いなと思っとります。

2012年をふりかえる。

さて、気がつけば今年も、終わってしまいます





晦日は、家族で鍋をつついて、片方では紅白、片方ではガキの使いが流れてる。



いつもの年末。





ぜんぜん特別じゃないけど、まいとし、家族とこうして過ごす時間がますます好きになっていくような気がする。









もうすぐ2012年も終わってしまうので、年が変わらないうちに、1年間のしめくくりをしておこうかと思います。








2012年は、変化の多い年だったな、と思って。


ここ数年間は、なんだかんだいろいろ変化が多かったので、特別変化が多かったっていう感じはしないけど、


もしかしたら、振り返ってみると、やっぱりすごく大きな変化だった、って言ってるかもしれないから。






いろんなところにいって、いろんな人とまた出会って。




いろんな人、場所、もののお陰様で、しあわせに1年間を終えることができそうです。







なんとなく2012年始のエントリを読み返してみたり、




さらに2010年の振り返りも、読み返してみると、

ああ、あれからまだ2年しか経ってないのか、って思ったり。









今年1年間だけでも、たくさんのことがあった分、終わってみればあっという間でも、


なんだかずいぶん前のことのように感じる。












2012年始早々、あんまり家帰らないでいろいろ泊まり歩いていたり、


2月はgapyear.jpっていう団体のイベント、なんか学生っぽいことやっていたり、徳島に合宿に行ったり、


徳島ラーメンと上勝町を満喫、自転車で散歩、電車と足とヒッチハイクで旅、


人の縁ってやっぱりおもしろいな、って思ったり、


あっという間に4月1日を迎え、入社したり、


合宿を経て現場に配属されて、


ゴールデンウィークには、昨年同様、石巻市渡波の明神社にいって、こどもの日のお祭り手伝ったり、


会社ではぜんぶゼロから、おもしろいなって思いながらゆらゆらはたらいていると


「なにニヤニヤしてんの?」っていろんなひとにいわれたり(たぶん怒られてる)、


7月からは東京で、あたらしい人たちとあたらしい環境で住むことにしたり、


いよいよ、ちゃんと家を出ることになったり、


フジロック'12に参戦、出発時仕事バタバタしてて久しぶりにイラッとしたり、


長崎の風を浴びて、歴史を味わってわくわくしたり、


貸本屋さんにお邪魔して、心のゆとりを感じなおしたいなって思ったり、


鎌倉さんぽしたり、


デンマーク時代の恩師であるGarbaと2年ぶりくらいに日本で再会して、感激、変わってないなって思って、


世界を旅する生き方、デンマークのネタでワークショップイベントを企画したり、


そのあたりから、デンマークにかんする情報とか出会いとかが、またちょくちょく増えてきて、


素敵な誘いも頂いて、


いつ、場づくりに入り込んでこうかな、なんて思いながら、月末には予算追ってたり。


バランスの取り方を考えながら、一方でストイックな過去の自分が頭をもたげたり。








=====



「走りながら考えるのってやっぱりそんなに簡単じゃないな」って思いながら。


でも、4月から9ヶ月、一段落してこうしてふりかえっていると思うのが、




とくに、やっぱりよくも悪くも、ああ、1年目だったんだなって感じる。特に、こうしてまったりしていると特に。


まだまだ日も浅いし、たとえば日曜の夜は清盛を見てさっさと寝てしまいたい、って思うのが当然だったと思う。


学生だった時間もちょっと長かったわけだし、やっぱり「考える」ことが先行しすぎていたんだなって思う。







もうちょっと、走り続けることとのバランスを取っていかなきゃ。


たぶん、じつはいろいろ器用なほうだと思っていたけど、苦手なことなのかもしれないなって思った。






=====



そう、昨日、5年日記なるものを買ってしまいました。



全部書き終わった頃には、2017年の大晦日






そのこと自分は、29歳になっている。





2018年といえば、コンピューターが人間の脳を超えると言われている年。



今と同じような生き方は、していないだろうし、しているつもりもない。



20代のうちに「やりたい!」ってこと、よくばりな自分はどれだけやっているんだろうか。




書き終えるころには、今の自分の「5年後か...」って思っている姿を、どう思い返すんだろう。




=====





2013年の終わりには、何を考えて紅白を見ているのか、



2年後には、誰を相手にしごとをしているのか、



3年後にはどこに住んでいるのか、日本にいるんだろうか、



4年後はどんな未来を誰と語っているのか、



5年語、次なる5年間をどう描いているか









そんなこと考えると、わくわくしてほんとにしあわせになれるのです。


ほんと、日記が趣味だな、なんて思いながら。








ことし1年間、


ご迷惑をかけたり、イラッとさせてしまったり、「こいつ不遜だな」なんて思わせてしまったり、



至らなかった点も多かったと思いますが、本当にいろんなひとにおせわになりました。





たくさんの感謝を込めて、良い2013年をおいのりします。
















来年は、いろいろ決めの1年にしたいです。

曖昧って、大切と思う


気づけば秋は全く実感できないまま終わり、家に到来したこたつから出れない季節がやってきております。



あすの投票のために帰省しておりますけど、埼玉も寒いです。

先日かぜ引いて会社やすんでから、サプリメントのこととか考えてます。
















1年前はちょうどヴィパッサナーをしていた頃で


修行したくて卒論を一生懸命書く大学生ってどんなだよってツッコミいれられていたり。





あたまの中の情報が整理されたすごく良い時間でした。












今、ふだん情報をあつかう仕事をしていると、


ときどき、一旦言葉の定義とか、そもそも作りなおしてしまいたいなって感じることもあります。






なんでも、はっきり、わかりやすく、誰にでも理解できるように区別するってことを仕事でやっていると、







それこそ、まさにじぶんで定義しなおさない限り、

なにかと無理矢理決まってしまう感じもして、

stay以外のすべては、goになってしまうとか、そういうもんなんだって感じてくるんです。 何事も。







ほんと、言葉っておもしろいなって思います。


曖昧って大切だなって思います。











そう、ここ最近、デンマーク関係のねたが多いです。



きっかけは本当に些細なところがほとんどなんだけど、





昔のぼくの記事とか見てくださって、これからデンマーク行こうと思うんですけど、


なんか話聞かせてくださいって、れんらくもらったりとか、


これから行くって話聞いてうらやましかったりとか。


先日はたまたまあった機会なんだけど、越谷の高校にデンマークから交換留学に来ている女の子と、


デンマーク語はなす機会があったりとか、




きょうは本屋で目にした、TRANSITという雑誌、これまた北欧特集してると思ってぱらぱらのぞいていたら
なんと愛するクリスチャニアがでていたりして




思わず買ってしまった。


むかしたずねたDyskilldeっていうエコビジレッジの写真も載ってた。


フォルケホイスコーレについても、すこし触れられていました。




TRANSIT(トランジット)19号  美しき北欧の光射す方へ (講談社 Mook(J))

TRANSIT(トランジット)19号 美しき北欧の光射す方へ (講談社 Mook(J))












また少し思いを馳せる日が続きそうです。





人との出会いとか、小さな感動とか、積み重なっているのかわからないものとか、




そういうものを、大切に、感じとっていきれるようになりたいです。








人生はどうやらあっという間みたいだからね。







ED!Tの手帳、ことしは黒をつかってたんですけど、




2013年は赤でいくことにしました。

今をたのしむ、という話

寒くなってきましたね。








とても感銘を受けるものを見つけたので。

したの動画です。




とくにおもしろいなって思ったのは、
未来なんてのは、経験したことのある過去をてきとうにくっつけて作っているだけだ、って話。




存在するのは今しかない、って話

だから、今を楽しむ、って言う話。





















よく、「未来は変えられる!」って、いいますけど、



変わるのは今ですよね。




将来がかわっていくと、なんだかワクワクする気がするけど、



体験するのも今、感じるのも今。











「過去は変えられない」ともよくいいますけど、


ぼくは、じつは過去も変えられるんじゃないかと思ってるんですね。




たぶん、過去に起こった事実を消すことはできないけど、



過去を定義できるのは、今だけですよね。








今が、変わるだけなんですね。

『ワーク・シフト』読んだ。

ちょっと前にネットで話題になった『ワーク・シフト』を読んでみた。



ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉




ちきりんさんがネットで話題にしてSocial Book Readingとして課題図書に指定したことが大きかったとのことですが、
おもしろかった。


自分の中では、「いろんなひとをいろんなところで(主に仕事で)見てるけど、今後、みんなどうやってはたらくんだろうな...」とかって、
よく頭の中で考えていたことを、うまいこと文章にしているような感じの本で、
斬新なテーマと切り口ではないものの、いろんな研究と考察にもとづいて書かれた本とのことだけあり、
共感できるところが多かった。


2025年という、わりと近い未来に、自分たちはどんなことをしてるのかって話をもとに、これからのはたらき方とか生き方を
考えることができたおもしろい本でした。

それこそ「こんなの信じられない!」なんて感じるものは一つもなくって、
読むことでいろいろ整理された感じがしました。
結局、みんな自分が考えてることと同じようなことを、どこかでだれかに言ってもらいたいのかな、なんても思ったけど。





とくに気になったというか、おもしろいなあと思ったところがふたつあって、




ひとつが、今後のぼくらのはたらき方が、「単線型」ではなくて、小休止をはさみながら小刻みに、様々な方向に進んでは休み、進んでは
休み、を繰り返しながらはたらく
「カリヨン・ツリー型」のキャリアになっていくだろうってところ。



これは、すでにそうなりつつあるとすごく感じているし、もちろん全ての人がそうなるわけではないけども、
とても納得感があった。

本の中では、ひとりの例として、大学を卒業して就職し専門スキルを高め、30歳くらいで仕事をやめて、1年くらい旅行したりボランティアしたりして、仕事に復帰し、これまでと別のプロジェクトに携わり、また40くらいで仕事をはなれて学校に入学して、また新しい分野の専門性をつけて、しばらくしてまた辞めて...
といった例が紹介されている。


ぼくの住んでたデンマークという国ではこれがかなり実現できているように感じた。
小休止とまではいかないものの、「フレクシキュリティ」という、デンマークやオランダのモデルが最近有名なように、

仕事を転々としていくことでキャリアを積んでいく、手厚い福祉に支えられ、積極的に会社が人をクビにして、
人の流れを柔軟にすることで雇用と成長を守るというやつです。

実際、あの人たちと話してたりすると感じる、彼らの、あの仕事がクビになっても全く焦らなくて、
「ふう、さて、次はなにをしようか」といった、あの余裕のある感じ、

あんな感覚がどこかで養われたからできるんだろうなあ、って思う。


もちろん、手厚い福祉で有名なように、失業手当の充実だとか、そういった社会保障システムによっても実現しているんだろうけど、

マインドの部分ってすごく大事なんだと思う。




何がいいたいのかというと、これってぼくが実現したいフォルケホイスコーレのコンセプトそのものだということです。


きっと、これって日本の中だけで見ても、万人ができるようになることでは、もしかしたらないのかもしれないと思うけど、

ぼくが住んだ「フォルケホイスコーレ」は、生涯学習できる環境でありながら、自分の人生における「単線」を、「複線」に、

これまでの単線から降りて、すこし休憩をして、また違うラインに乗り出して、ってことを実現する

いわゆる「カリヨン・ツリー型」の生き方を実現できるような、まさにそんな場所だったし、そんな場所だと思っていて、

ぼくが強くその必要性を感じていたのも、まさにここだったんです。







もうひとつは、「自己再生のコミュニティ」として、顔の見える、信頼関係のおける、密なつながりのある小さなコミュニティとして、
「ポッセ」なるものがひつようだ、とかって書いているところ。


本にはなんだか専門的なこと書いているようだけど、要するに現在、そしてこれから、いろんな人と広くゆるく、それこそ地球の裏側の人とだって簡単につながれるようになったからこそ、


逆に隣近所に住んでる人というか、お互のやっていることををよくわかっていて、頼りにできる関係性をつくるのがだいじだって話だとぼくは思ったのですが、


これも、まあ考えればよくわかることで、
とくに、いろんな事情から在宅勤務が多くなったり、地球の裏側の人と一緒に仕事することが多くなったりしたら、
その一点だけでゆるくつながってたり、そもそも顔を会わせることなく関係性がつくられたりってことが、
もっともっと増えていくんだろうなって思う。


便利だし合理的だしいろいろ生産性は高いんだろうけど、それだけだとやっぱり人間は飽きると思うし、



ぼくも今すんでますけど、若者のシェアハウスがすごく流行していたりっていうのも、こういう流れに敏感な若者たちが反応して、
日本の中ではさっそく「つながりをつくり出せる住み方をする」という形で動きだした、ってとこなんだと思う。



この話も、まさにぼくが体験した学びの中で実現したことでした。




こういう、人と人との密なつながりを実現できる場所としても、ホイスコーレはとってもおもしろい場所だったなあと思っていて、


ぼくが今構想しているホイスコーレは、やっぱりそうやっていろんな人が集まり、関係性がつくれる環境にしたいと思ってます。


ひとりの人として生活を送る中できづく。ささいなことなんだけど、やっぱりなんか気づきがある。

っていうか、掃除とか朝のあいさつとかそういう些細なことの方が、かえって印象的だったり、

そういうことから気づけることがたくさんある。深く心に残ったりする。


別にすごい仕事したとかプレゼンがうまいとか、かっこいいビジネスとかじゃなくてね。



ああいう環境で共同生活って、やっぱり大変なことも多かったような気がしたけど、
でも終わってみれば、それこそ「ポッセ」が、できるんだなって思う。










そんな場所、やっぱりつくりたいなーって思いますのです。





なあんて。











明日はたのしみだなあ。

24歳になりまして

気がついたら、24歳になりまして、



すっかり更新を辞めていた、昔のこのブログに重ねるように、文章を書くことにしました。


そして今後も、ちょこちょこ書き続けていくことにしました。






気づいたら、ブログなんかでのアウトプットをやめて、もうずいぶん時間がたっていました。






「こんな23歳にしたい」







そんな想いを込めていたこともあり、久しぶりに読み返してみると、

ああ、自分はこんなことを思っていたなあ、とかって感じることが多く、


こうやって頭の外に、考えていることを出しておかないと、
気づいたらぜんぜん違うところにいた、なんてことになってくるんだと実感しました。



気づけばよっていった自分の思考を修正することもなく、


だんだん、今自分が感じていることが、まるで昔からずっと感じていたことのように思ってしまう。


というか、そう思いたいだけなのかもしれない。




ああ、こういう「自分の頭の中の履歴」を、ときどき見返さなきゃいけないなって、


そう感じました。








ぼくはめんどくさがり屋だから、すぐにアウトプットをさぼってしまう。



いろいろ理由をつけて。








でも、やっぱり細々と続けておこうと思う。



別に誰にやれって頼まれているわけでもなく、

それは自分のために。



====

実は先日、とっても素敵な出会いがありました。


それが実現したのは、ぼくのこのブログを見つけてくれ、わざわざコンタクトをとってくれたから


実現したことでした。


ちょろちょろと書いていた過去の記事を読み返してくれただけでもすごいことだと思うけど、


そういう機会を作ることにもつながるんだなあ、と実感しました。





おおげさな話、色々と考え直すとってもよい機会を提供してくれて。


自分の頭の中にあることは、外に出しておくことで、


それに反応してくれる人が一定数いるんだってことを、


身をもって実感できました。




そんなこんなもあり、それは結局は自分のために、やっぱり自分の時間を、lille Eventyrとして、

どこかに残しておきたいなーと、そう思いました。






====

24歳は、色んな意味での「土台」をつくる1年にしたいです。


今後自分が、どうやって生きていくか、とか、


どこで生きていくか、

だれと共に仕事するのか、

だれのためにはたらくのか、

どこではたらくのか、

なんか、そういうことです。



====



facebook、メール、電話、その他いろいろ、メッセージをくださった、多くのみなさん

ありがとうございました。


1日1日を、もっと感謝のこころを持って、

すごしたいとおもいます。


それでは、また

2012年元旦

2012年、あけましておめでとうございます。



2011年も本当におせわになりました。

おかげさまで、無事に1年間を終えることができました。



2012年も、どうぞよろしくおねがいします。







最近、どうやら自分は「終わり」がすきなのかもしれないなあ、などと感じています。


昨年2011年も、本当にいろいろあったなあと、紅白を小耳にはさみながら、

1年間書きためた日記をよみかえしたり、そして昨年始のブログなんかを見返したりして、そんなことを考えていました。


何かが終わっていくとき。


ちょっとさみしいんだけど、はじまりを思い返したり新たなはじまりに期待したり。



はじまりはおわり、
おわりははじまり。




お世話になった人たちや、見えないけど少し遠くから色んな形で支えてくれて応援してくれた

すべての人、環境たちに感謝して、今年1年もいっそうよい年にしたいと思います。





ぼく自身にとっては、思い返すと2011年も充電期間の延長だったように思います。

だからこそ、23歳はもっと行動する1年にしたいと思い、少しずつ実践してきたつもりです。

充電しすぎても電池こわれちゃうので。




そう、今年は、行動・体験・継続を通して、

長い目で見た中での現在の「小さな」変化を大切にするような。そんなことを忘れずにいようと思う。




今を大切に出来なきゃ未来もあったもんじゃないだろうし、

結局積み重ねがなきゃ革命なんて起こせやしない。



あたりまえですが、小さな進歩、小さな前身が、やがて思いもしないようなところへとたどり着くことにつながるんだろうなあ、と。




三木谷さんいわく、計算してみると1.01の 365乗は、37.7834343. すなわち、37倍以上になるようです。

1日1パーセントの進歩、1パーセントの成長は、1年間続くともとの37倍以上になるということ。


毎日、ちいさな発見を大切に、にこにこしてようかと思います。



今年からはたらきますしね。

今年もまた日常の大きな変化がやってきます。







くりかえしになりますが、昨年は本当にいろんなことがありました。

良いことだけでなく、悲しい出来事も数多くありました。

深く考えさせられる出来事もたくさんありました。



昨年は東日本大震災原発事故をはじめ、自然災害がものすごかったように思う。

2月のニュージーランド地震にはじまり、東日本、トルコ、紀伊半島、タイ洪水など。

ざっと思い返すだけでも、こんなにたくさん。




そして、


チュニジアに始まったアフリカ・中東での「アラブの春」。これこそ世界で2011年最大の変化でしょう。
そして、ニューヨークでも「99%」を叫ぶOccupy Wall Streetムーブメントがおきる。全世界にひろがったそうですね。
ロンドンでも大規模な暴動がおきたり。


これまでの世の中の在り方を根元からぶっこわすような動きが、全世界で。
ふつうの市民から。

日本でも、主に原発事故からデモやパレードなど「声をあげる」ことが、
多少なりとも浸透したのかな?



2011年の1年間で、世の中は「個」に向けて、ますます進んだなあと、ひしひし感じます。



いよいよ世の中の大転換のはじまりが誰にでもみえる形になってきた、
そんな気がしています。



けれど、昨年は多くの人にとって辛く悲しく、先が見えない1年だったかもしれません。

取り返しのつかないこともたくさん起きた。いや、年が変わっても過去形で語れることじゃないと思う。


ぼくにとっても、とても大きな衝撃の1年でした。

震災はすさまじかった。石巻の光景は忘れられないです。

また大切な友人を亡くし、9月に祖父も亡くしました。





でも同時に、地球規模でのこんな大きな変化を経験できる、なんともおもしろい時代に生まれたな、と。
そう考えると、わくわくします。







さて今年は、すくなくとも週に1度はなにか発信していきたいと思っていますので。

うれしいので、よかったらお付き合いください。



今年もどうぞよろしくおねがいします。

みなさんにとって、幸せな1年になりますよう。

2012年元旦