軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2018-02-19 金メダル獲得を祝す

金メダル獲得を祝す

平昌五輪の競技も佳境に入ってきた。日本選手の活躍ぶりは、連日TVで報じられているが、メダルを獲得した個々の選手らの「精進」には頭が下がる。

やはり『鉄は熱いうちに打て!』というのは名言だと思う。

そして努力した結果、その願い事をかなえるのだから素晴らしい。

安倍総理も19日、フィギュアスケート男子で羽生結弦、スピードスケート女子500メートルで小平奈緒がそれぞれ金メダルを獲得したことについて「羽生選手、小平選手、おめでとうございます。まさに興奮と感動の週末だった」と祝福したという(産経)。

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≪羽生選手と金メダル=インターネットから≫

私もそうだったが、観戦した国民のほとんどは、素直に感動し祝福したに違いない。

昨日の産経抄子はこう書いた。


≪【産経抄】陰陽道の「方違」に通ずる羽生「復活の舞」 2月18日

 陰陽道に「方違(かたたがえ)」という習わしがある。目的地が禁忌の方角にあるとき、別の場所で1泊し、向かう先を「吉」の方角に変える。迂遠(うえん)な手順を昔の人はいとわなかった。回り道も人生-という根気強さは、日本人に培われた気質であり美質である。

 ▼「絶対王者」と呼ばれ続けたその人は「たくさんの方々に支えられ、育てていただいた」と感慨深げに語った。右足首のケガという、方違にも似た曲折の末に到達した目的地である。圧勝よりも劇的な金メダルは、天の配剤であろう。平昌五輪の銀盤に神様はいた。

 ▼フィギュアスケート男子の五輪連覇は66年ぶりという。羽生結弦選手(23)である。練習中に転倒し、右足首を痛めたのは3カ月前だった。ぶっつけ本番の氷上で見せたのは、表現者としての繊細さであり競技者としての芯の強さである。退路を断っての演技だった。

 ▼高く跳んだ後の着氷に、テレビ桟敷で力んだ人は多いだろう。演技を終え、両手で右足首をいたわる羽生選手の姿があった。「右足ががんばってくれた。感謝の気持ち」と。宇野昌磨選手(20)は冒頭のジャンプで転倒し立て直しての銀だった。こちらも立派である。

 ▼羽生選手がフリーの演技で舞った曲『SEIMEI』は、映画『陰陽師』の楽曲から7曲を選んで編集し、自らつけた題という。平安期の陰陽師、安倍晴明に想を得たことは言うまでもないが、銀盤に刻まれた羽生選手の「生命」をその目に焼き付けた人もいよう。

 ▼美酒だけを味わって生きられる人が、幸せとはかぎらない。辛酸が、華奢(きゃしゃ)な若者を苦み走ったいい男に変えることもある。思えば美酒も辛酸も、汗と同じ成分なのではないか。勝者の目に光ったものも同じである。美しいものを、見せてもらった。≫


演技のバックに選んだ曲「安倍晴明」とそれを意識した衣装がまた素晴らしかった。

2度ほどバランスを崩した時、大事に至らなかったのは≪ご加護≫があったからかもしれない。


そして今朝の産経抄子は「羽生棋聖と藤井新六段が歩む、孤高の道」と題してこう書いた。

≪(前略)

▼(国民栄誉賞)授賞式後に行われた会見で、4日後に五輪2連覇を達成する羽生結弦選手についての質問も出た。「読み方は違うが、漢字は同じ。親近感を持っています。芸術的な滑りを見てみたい」。笑顔でエールを送っていた。

▼もっとも、フィギュアスケートの絶対王者の滑りを、ゆっくり観戦するわけにはいかなかった。羽生棋聖は、同じ日に行われた朝日杯オープン戦本戦準決勝で、最年少プロの藤井聡太五段に苦杯を喫する。藤井五段は決勝も制して、15歳6カ月での一般棋戦の優勝、六段昇段と、新たな最年少記録を作った。(中略)

▼棋士の素顔に迫る北野新太(あらた)さんの『等身の棋士』(ミシマ社)で、羽生棋聖の興味深いエピソードを見つけた。雪の日に酔っ払い、歩道で何度もころびそうになったことがある。それでも、いっしょにいた先輩棋士の手を借りようとはしなかった。

▼本人に理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。「自力でなんとかするのが、私の基本的な考え方なので」。藤井新六段もまた、同じ孤高の道を歩んでゆくのだろう。≫

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≪藤井新6段(15)と羽生竜王(47)=インターネットから≫


こちらの若手の進化も素晴らしい!


スピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手が36秒94の五輪新記録で金メダルに輝いたのも感動的だった。彼女の芯の強さには脱帽しかない。

互いによきライバルである2位の李相花(韓国)に0秒39の大差を付ける会心のレースだった。表彰式で互いにハグしあっていたのには、訳があったようだが、日韓間の政治状況はギクシャクしている時なので二人の抱擁は一際清々しかった。

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≪小平選手と李選手の友情=スポーツ日本から≫


スポーツの世界だとはいえ、何となく世代交代の波が押し寄せているようで、日本の未来は明るい!と感じさせられた。


しかし現実には厳しいものがある。それもわが国内の方に問題がある。

18日の産経新聞【新聞に喝!】欄に、作家でジャーナリストの門田隆将氏はこう書いている。


≪「平昌五輪を利用した北朝鮮による核ミサイル完成までの時間稼ぎ」

 各紙厳しい社説だが、朝日だけは違った。

 これほどの政治ショーは滅多に見られるものではない。国の生き残りを懸けた、まさに息を呑む駆け引きである。チキンレースの末に米軍の軍事作戦が現実味を帯びてきた年末以降、案の定、北朝鮮の最高指導者、金正恩氏は韓国を使ってアメリカの動きを封じる作戦に出た。

 「韓国との対話を続けている間は、米軍の攻撃はない」という確信の下での揺さぶりだ。

果たして平昌五輪に悠然と現れたのは、金正恩氏の妹で、実質ナンバー2の金与正氏だった。そして、彼女は兄の親書を文在寅大統領に手渡し、南北首脳会談を持ちかけたのだ。


 度重なる経済制裁で、北は悲鳴を上げている。しかし、あとわずかで悲願の核ミサイル開発が成就する。北が欲しいのは、四半世紀に及ぶ闘いの末の「完成までの少しの時間」なのだ。つまり南北対話という言葉は、そのまま「核ミサイルを完成させる」と同義語なのである。

 私は、日本の新聞がこれをどう書くのかに注目した。それは、最も大切な「国民の命」を、新聞がどう捉えているかを教えてくれるものでもあるからだ。


 〈南北の首脳会談を必要としているのは北朝鮮である。そこを見誤ると、核を温存したまま国際包囲網を突破しようとする北朝鮮に手を貸すことになってしまう〉(毎日11日付社説)

 〈看過できないのは、北朝鮮側に直接、核開発の放棄を求めなかったことだ。(略)米朝対話に委ねるのではなく、自らが非核化を迫らねばならないことを、文氏は認識すべきである〉(読売同社説)

 〈拙速に南北対話を進めるのは、国連から制裁を科されている正恩氏に救いの手を差し伸べるに等しい〉(産経同主張)


 各紙は厳しく対話路線を非難した。しかし、朝日は違った。

 〈北朝鮮のねらいがどうあれ、南北の指導者による直接の話しあいは本来、あるべき姿である。同じ民族同士が少しでも和解を進め、朝鮮半島の根本的な対立の構図を変えていく努力を重ねることは望ましい〉(同社説)

 この期に及んでも、朝日だけは対話の重要性を強調した。建前と綺麗事、そして偽善は、新聞の専売特許だ。しかし、ことは日本国民の「命」にかかわる大問題である。北の核ミサイル完成をあらゆる手段で防がなければならないときに、対話で朝鮮半島の非核化が生まれると本当に思っているのだろうか。

 そう信じているとしたら、これほどおめでたい話はないし、また、思ってもいないのにそんなことを書いているのだとしたら、これほど無責任で、読者をバカにした話もない。

 ネットの浸透と共に、部数が猛然と減り続ける新聞業界の中で、生き残るのは「現実」を見据えたものだけになるだろう。

平昌を舞台に繰り広げられる政治ショーは、私たちにとって新聞というものを見つめ直すまたとない機会ともなっている≫


門田氏は、朝日新聞が「日本国民の命にかかわる大問題」を軽視していることを疑問視しているが、この新聞社は自ら「日本の新聞」ではないことを証明しているのである。

其の昔、北京における「日中安保会議」の場で、シナの外交官が「お宅のチョーニチ新聞…」と発言したことを私は鮮明に覚えているが、彼らはその正体を知っていて利用していたのだ。


新聞だけではない。TVもそうである。

情報戦は熾烈になってきているのであり、この夏の“変化”に備えて、互いに必死に有利な位置を占めようとしているのが、国際情勢の常識であることを、庶民は別にして、為政者たちは忘れてほしくない。

五輪のメダル獲得数に浮かれてばかりいてはならないのである。

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≪軍事研究3月号≫

 

志方先輩が、巻頭言で「従来の延長線上にはない防衛力の整備に向けて=新しい戦略環境に備える5回目の防衛計画大綱見直し」について書いている。

北東アジア地域の戦略環境は厳しくなる一方であるため、速やかに「防衛計画の大綱」を見直す必要があると力説する。その見直しの主樽ものは「南西諸島防衛、統合ミサイル防衛、宇宙・サイバー戦等に対応可能な防衛力整備に切り替えるためのもの」だとする。続いて片岡晴彦元空幕長が、安全保障分野における≪宇宙空間≫について深刻なリスクと脅威が迫っている、と警告している。時宜を得た企画だが、すでに私は講談社から≪宇宙戦争〜≫について警告してある。ただ、タイトルが「UFO]とあるので、軍事研究者にはなじめないのだろうが…

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≪航空情報4月号≫              

愈々空自三沢基地に、F35Aが配備され始めた。時間がかかったが、今後の戦力発揮が楽しみである。シナは既にステルス戦闘機を配備したようなので、早くバランスを取ってほしいものだ。

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

2018-02-07 どうなる、半島危機

どうなる、半島危機

≪米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先がある沖縄県名護市の市長選で4日、移設工事を進める安倍政権が支援した新人が当選を決めたことで、与党内には「有権者が経済や暮らしを重視する訴えに耳を傾けた。秋の沖縄県知事選に弾みがつく」(自民党幹部)と歓迎する声が広がった。国政での足並みの乱れを乗り越え、移設反対の現職支援で共闘した野党は「力及ばなかった」(民進党の篠原孝選対委員長)と悔しさをにじませた・・・。(産経)≫

漸く沖縄県民も、駄々っ子が親におもちゃをねだるような沖縄県の“政権”に嫌気がさしたか、それとも反日メディアの正体を知ったからか、普天間基地の移転先である名護市市長に、推進派を選んだようだ。

落選した側の面々は、予想していたのかいなかったのかは知らないが、市民は結論を下した。

次は県知事選だ。政府側は、まだまだ≪勝って兜の緒を締めて≫ご用心あれ。

何でも反対の彼の陣営は、愈々辺野古に移設・・となった時点で「普天間基地移設反対!」「米海兵隊の撤退反対!」と騒ぐかもしれないから・・・。

20年以上も、現地を混乱させてきた一因には、当時の首相らの、住民を軽視した行動が作用していたのだから、これを機に大いに反省してほしいと思う。


さて、福井県地方の大雪の被害は、ますます拡大しているが、同じような事例が最近もあったはずだ。

どうして教訓が生かされないのだろう?

不要不急の車による移動は、差し控えてほしいと呼び掛けても、何が「不要不急」なのか区別できない市民は、雪の中に乗り出して、渋滞に拍車をかけているようだが、長距離運送関係者は命がけだろう。ライフラインの一端を担っているのだから、どうしても休めないから。

気の毒に犠牲者も出たようだ。

そして最後はやはり『自衛隊に災害派遣』を要請することになる。

陸上自衛官は、北では「雪だるま作り」に駆り出され、西では仲間が、ヘリの墜落で2名が犠牲になった上、事故調査で多忙だろう。

これほど稼働させられているにもかかわらず、政府は自衛官の増員を認めない。

つまり、業務が増えれば、当然ながら個人の負担が増すだけなのだから。

疲弊するのは「ローター」だけではあるまい。

整備員だって疲弊しているはずだ。

しかし自衛官は不平を言わない(言えない?)…。


それにしても佐賀の戦闘ヘリ墜落事故は残念だったが、幸運だったことは被災した家にいた女の子が無事だったことだ。

家族にとっては、気の毒にも、かけがえのない財産や記録が焼失したのは不運だったが、一家が無事だったので、ひと安心した。


しかし、操縦していた二人にとっては実に不運が重なった。

固定翼機と違って、回転翼機はオートローテーションで不時着する以外、ベイルアウトはできない。

そのローターが飛散したのだから、万事休すであった。

上空から周辺の地上写真を見ると、被災した人家の周辺には田畑が広がっているから、ローターさえ脱落していなければ、畑に不時着できたと思われる。

私には、ローターが外れて飛散した直後、急降下に入って不時着不可能だと知った二人の心境はいかばかりだったろうと気にかかる。

下方の人家を避けて安全を図ることは、全く不可能になったのであり、あとは重力の法則に従う以外にはないからだ。

20年余と40年余の間の凝縮された人生が、走馬灯のように二人の脳裏に浮かんだか、それとも目前に迫った人家の無事を祈っていたか…


其の昔、浜松で戦闘機教官をしていたころ、訓練前の緊急手順確認で、特に東向きに天竜川方向に離陸して、まだ高度も速度も得られない状態で、突然エンジンが停止した時[とるべき手順]を学生に質問する。

まじめな学生は「教範通りの手順」を口述するのだが、周囲に座っている教官たちから「ドンドン高度が下がっている。エンジン再始動は難しい。その間にも人家が迫る。さあどうする!」と質問が飛ぶ。

学生は口ごもりながら、何か答えようとするのだが、「天竜川には届かない。下に市民球場がある。どうする?」と畳み込まれて、「ハイ、市民球場に機首を向けて自爆します」と学生は答えたものだった。

私らが学生の時もそう教えられてきていたから、なんの不思議さも感じず、我々もそう教育したのである。

それは、1969年2月8日に、小松基地に帰投中だったF104が、雲中で落雷を受けて操縦不能になり、雲中で下が見えなかった乗員は脱出したのだが、その後、機体が旋回して金沢市上空に向きを変え、民家に墜落して住民4名が死亡、民家17戸が全焼するという大事故になったことがあったからだ。

操縦者には全く不可抗力だったのだが、その後大きくメディアにたたかれ、彼は「生き残ったこと」に罪悪感を感じ始めた。

その事例を教訓に、「どんな状況下においても極力地上の被害を回避し、回避が不可能だと思ったら、空き地に垂直に突っ込め。その方が生き残って恥ずかしい思いをするよりもはるかにいい」と教えられ、私らも「揃ってハイ!」と答え、基地周辺の「空地」を調べてマップに記入していたものであった。

1999年に、狭山市でエンジンが止まり、操縦が困難になったT33が、何とか入間川に機首を向けようと、油圧が効かない操縦かんを二人で懸命に操作したのだったが、ついに高度を失って墜落し、二人が殉職した事故もその影響を受けていた、と私は思っている。

この時メディアは、送電線が切れて周辺が停電し、コンビニのアイスクリームが解ける被害が出た!と騒いだものだ。


今回のドライブカメラに記録されたヘリが墜落するシーンを見て、私はコックピット内の二人の行動と表情を想像した。

おそらく二人は最後まで地上の被害を回避しようとして、ローターがないことを知りつつも操縦稈を必死で操作していたに違いない…。入間の二人のように。

優秀な部下を失った部隊長初め、残されたご家族に哀悼の誠をささげたい。


さて、ピョンチャン五輪の開会式が迫ったが、すっかり北の手に乗ってしまった文大統領は、飽きることなく北からの“要員”を“合法的?”に国内に潜入させている。

彼は「トロイの木馬」という戦史を知らないようだ。

もっとも、私が好む「鬼平犯科帳」には、盗賊が大店に盗みに入るときには、前もって「引き込み女」を住ませておき、中から木戸を開けさせるのが常套手段になっている。

だからさしずめ彼は、金さんの“引き込み男”なのだろう。

結果はいずれ3月末にわかるだろう。

それを知ってか知らずか、トランプ大統領は、ペンス副大統領を訪日させて、わが国の防衛体制を視察させたが、肝心の隣国には「引き込み男」が動いていることをご存じかな?

我が国のメディアには、金メダルの数を予想するよりも、その前に行われる北の軍事パレードの方が肝要であることを忘れないようにして分析してほしいものだ。

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≪ジャパニズム41:青林堂¥925+税≫

気になる「対談」や「インタビュー」がそろっている。

私も「平昌五輪作戦に引っかかった文政権」を書いたので、興味ある方はご一読あれ。

世界の中国化をくい止めろ

世界の中国化をくい止めろ

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

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自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

2018-01-30 進歩か、退歩か?

進歩か、退歩か?

前回、靖国神社で実施している「国防講座」のことを書いたが、その締めくくりに今年の情勢として、「今年は世界中の政界、官界、メディア界など、“指導的立場”にある各界で、今まで隠されてきた“悪事”が表面化し、世直しが始まる!」と“占い”、その「改革に遅れてはならない」と締めくくったことは書かなかった。


そんな気持ちで世の中の流れを見ていると、各界で次々に“不祥事”が出てきている感じがする。人類は進歩しているのか、はたまた退歩しているのか?


その最たるものは一見進歩している観がある「仮想通貨」の消滅事件だろう。

27歳程度の人生経験もない男が、バーチャル通貨を考案したところ、多くの欲の皮が突っ張った大人たちが引っ掛かった。

そして双方ともに「自分は悪くない」と主張するのだから滑稽だ。

架空に作られた物体が、消滅するのは世の常だという事さえ気が付かないのだから、自業自得というべきだ。


金融機関でこの手の事件が起きたのは、たしか三和銀行の出納係の女性が、惚れた男に騙されて、機械操作で帳簿上の“架空の金子”を男の口座に振り込んだことが最初だったか、と記憶する。汗水流して得た報酬ではないから、彼女にとっては痛くもかゆくもなく、罪悪感さえなかったことだろう。

そのころから、なぜか防衛庁でも給料が銀行振り込み制度に切り替わった。

汗水、といっても時には命の危険をかけて得た私の報酬は、それまでは「給料袋」という実質的労働の“目に見える成果”として手に取るように実感したものだったが、銀行振り込みという制度になってからは、自分の労働の成果は、一片の細長い紙切れに印刷された数字でしか示されなくなった。働いた実感が無くなったのである。


あるとき小学生の息子から「パパは銀行からお給料をもらっているの?」と聞かれたことがあり」脱力感を覚えたものである。

このころから、働いで家族を養っているという感覚、そして一家の主だという感覚が、日本人男性から失われたような気がしてならない。

夫、父親という立場が消えたのだ。つまり日本文化の破壊そのものだと私は感じている。

確かに便利な点を認めないわけではないが、他人の汗と涙の結晶で儲けたのは銀行ではなかったのか? 安定した“収入”が出来たのだから…

そんな体験がある私にとっては、株式や、ましてや「仮想通貨」などという怪しげな動きにはまったく理解できず、すべてが“投機”に見えたから関心もなかった。


曽野綾子女史が書いていたが、成人式の晴れ着“詐欺事件”にも共通するものがある。

どうして今の日本人は、物事の本質をしっかり考察しなくなったのだろう?

成人式は「晴れ着を着ること」が目的ではなかろう。

式は自身の成長のあかしと、自覚を促すモノであって、晴れ着を着なければ自覚できないシロモノではない。

勿論、だます方が数段悪いことに変わりはないのだが、騙される側にもそれなりの落ち度があるような気がしてならない。


さて、半島情勢だが、やっぱり北は難癖をつけてきた。時事通信によると、「北朝鮮、南北行事中止を通知=韓国メディアに不満」だという。


≪【ソウル時事】韓国統一省は29日、平昌冬季五輪の前夜祭として、北朝鮮東部・金剛山で2月4日に開催することで調整していた南北合同文化行事をめぐり、北朝鮮が中止すると通知してきたと発表した。同省によると、北朝鮮は韓国メディアが「北朝鮮内部の祝賀行事まで問題視し、合意された行事を中止せざるを得ない」と非難。韓国政府は「北朝鮮の一方的な通知と、行事が開催されないことは極めて遺憾に思う」と表明した。

 南北合同文化行事に向け韓国側は今月23〜25日、準備のための先発隊を派遣し、視察していた。韓国メディアによれば、南北からそれぞれ300人の観客が招かれ、伝統音楽や韓国のKポップなどの公演を行うことで調整が進んでいたという。

 統一省によれば、北朝鮮は29日午後10時すぎに中止を通知。通知文では、「北朝鮮の心からの措置を冒涜(ぼうとく)する世論を拡散している」と韓国メディアを批判した。

 北朝鮮は「朝鮮人民軍創建日」に指定した2月8日に軍事パレードを準備しているとされ、「祝賀行事」は軍事パレードを指すとみられる。ただ、同日は五輪開会式前日で、韓国メディアからは「五輪を利用した宣伝だ」などと批判する声が上がっていた。≫


これも騙された部類だが、文大統領はきっと『仮想現実』に浮かれていたに違いない。


其の昔、2005年2月10日に、北朝鮮は核保有宣言を出したことがあった。金正日の時代である。

この時米国防総省の関係者は「すでに北が核実験に踏み切った場合の米政府の取るシナリオの一つに、米国は日本、韓国、豪州の同盟国と協力し、北朝鮮周辺海域を海上封鎖する。他に、米中が連携して、中国主導の下、金正日体制を崩壊へ導く」としていた。

これに対して北は、寧辺の核施設から8千本の使用済み核燃料棒の取り出しに成功した」と発表、プルトニュウム型核実験をほのめかした。そして5月1日に日本海に向けて短距離ミサイル1発を発射してゆさぶりをかけた。

元より米国は、?核実験をさせないこと?ノドン・テポドンなどを撃たせないこと?核物質・核技術を第3国へ流出させないこと、を国是としていて、一つでも破れば、核関連施設を先制攻撃するとして、「5029号作戦」を立て、グアムなどにB2やB52を配備した。

ところがこの時は、盧武鉉政権だったから米軍は韓国軍を信頼せず、情報を流さなかった。

さらに、金大中訪朝以後、金正日に対する韓国世論が変化し、若者の意識が「金正日はかっこいい!」とか美女軍団に取り込まれてしまった。これをみた米国は反米、反日感情の台頭と見たのである。

そして金正日は、密かに米国要人の電撃訪問を画策していたのである。その狙いはヒラリー・クリントン上院議員で、中国と韓国のエージェントを使って民主党関係者に接触を図っていたのである。

そんな事例を知るものとしては、今回の五輪への南北合同参加事業などは、13年前の焼き直しに過ぎないとみていたのだが、その通りになりそうである。

これも進歩ではなく“退歩”の例だろう。

それもこれも、いい大人たちが「仮想現実」に振り回されて、己の利益ばかりを画策するからだと言えよう。実業ではなく、虚業で一獲千金を夢見ているのである。

全て失敗の責任は、それぞれの頭脳の未熟さにあるのだ、と気が付くのは果して何時の事か!


そんな中、スキャンダル続きの大相撲で、グルジア出身の栃の心が、見事に幕内優勝を飾った。誰も予想できなかったという点が実に面白い。

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≪栃の心…優勝!おめでとう!:インターネットから≫


日本人力士の体格は、いわゆる“あんこ型”で脂肪が多そうな体格をしているが、栃の心は筋肉質で引き締まっている。

そんなところが勝利の原因か?と想像しているが、なんだか、今のメタボな日本人の姿を象徴しているとは言えまいか?


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≪Hanada3月号≫

総力特集「朝日新聞の提訴と断固、戦います」は小川栄太郎氏はじめ、各界の“経験者”等が朝日の暴挙を非難している。

しかし、なかなか倒産しないから大した新聞社だ。


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≪WiLL3月号≫  

こちらの朝日新聞のフェイク報道の検証だが、面白いのは大相撲の組織批判だろう。

ご一読あれ!

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

金正日は日本人だった

金正日は日本人だった

ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

2018-01-24 今年は戌年・・・何が起きるか

今年は戌年…何が起きるか

戌年には大波乱があるといわれ、歴史的にみても大変化が繰り返されてきた。

大正7年には第一次世界大戦終結。大正11年に日本共産党コミンテルン日本支部が結成され、昭和9年にはロンドン軍縮会議が決裂する。

そして大東亜戦争に負け、昭和21年に極東国際軍事裁判が開廷され、わが国は骨抜きにされる。

昭和45年には日航機よど号がハイジャック、三島由紀夫が市ヶ谷で自決した。

昭和57年には日航機が羽田沖に墜落し、航空機大事故が連続した。

そしてメディアでは歴史教科書誤報事件が起き、平成6年にはオウム真理教・松本サリン事件が起きている。そして前代未聞の村山富市内閣が発足するという事態が生じた。

おめでたいことでは平成18年に悠仁親王殿下が御誕生あそばされた。

さて平成30(2018)年はどんな年になるのだろうか?

昨年大騒ぎになった半島危機は、北朝鮮の巧妙な「平昌五輪作戦」に韓国の文政権が引っ掛かって、開催直前だというのに混乱を招き、五輪の政治利用という罠にはまってしまった。

まるで朝鮮民族がそろって五輪を私的に利用している観があるが、五輪が終わった後に、何が残るか見ものである。我が国は巻き込まれないように用心するに越したことはない。


保守派論客の西部邁氏が多摩川で自死されたことも、三島由紀夫“事件”を思い出す出来事であった。

産経新聞だけは一面、三面、社会面と大きく特集を組んで氏の業績を紹介しているが、不思議なことに他紙(ことに例の朝日、毎日)は、的外れの短評でお茶を濁している。

おそらく西部氏の頭脳についていけなかったからだろう。

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≪在りし日の西部先生=インターネットから≫


この報道から、私は評論家・福田恒存先生が「言論界に虚しさを感じて筆を折った」ことを思い出した。おそらく西部氏も、ずいぶん前からわが言論界、政治などに虚しさを感じていたに違いなかった。

勿論夫人との死別も大きく影響したことだろうが、三島由紀夫がこの国の道義的退廃に絶望したと同様、西部氏も、この国の各界に漂う「不真面目さ」に絶望したのではないか?という気が私にはする。

要するにいい加減な者が上に立っているからである。


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≪噴火した白根山=インターネットから≫

そして自然界もそれに連動したかのように我々に“警告”した。

草津白根山が突如噴火したのである。

気象庁はじめ地震研究者たちの“盲点”だったそうで、通常の北部の噴火ではなく、記録上「有史以来初」とされる想定外の古い火口が噴火したという。確かに我が国は火山列島だから、万全を期することは不可能に近かろう。

しかし今回の事故では、冬季山岳救出訓練中の自衛隊員が多数負傷し、49歳の自衛官が死亡したという。不運だった。残念だったろうと思うが心から哀悼の誠をささげたい。


専門家は「本白根山は噴気活動もなく、そもそも噴火を想定していなかった。こうした古い火口が再び噴火することも、おかしいことではない」と話しているから、次は富士山か??

同時刻にアラスカ沖で大きな地震が起きた。フィリピンでも火山が噴火している。何か、人類が生息しているこの地球という星に、「金属疲労」現象が起きているのではないか?



話は変わるが、13日に日帰りで京都に出かけた。

保江教授と共に「UFOについて」講演し、その後対談したのだが、会場には各地から100名にもおよぶ熱心な方々が参加していたので驚いた。

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≪講演する保江教授と熱心な会場風景≫


保江先生は物理学者らしく科学的に数式等を用いて解説されたが、私は体験を述べたに過ぎない。

しかし、巷のTVなどのように、興味本位ではない真剣さが会場には漂っていて、つい引き込まれた。

永年UFOを製作しようと研究活動してこられた、大企業人にもお会いしたが、私などその点では素人にすぎないと思わされた。

教養が感じられる御婦人方も多かったが、彼女たちは何か精神的なものを求めておられるような気がした。


20日には、靖国神社で恒例の国防講座を実施したが、すでに39回目、隔月実施だから約7年間継続してきたわけで、会場費の値上がりを機にそろそろ手を引こうか?と感じた。

毎回参加して下さる方々は、非常に熱心に聴いて下さるが、私としては退官後約20年たっても、私の話の内容に驚きを感じる方々がいるのでその効果に自信を無くしたのである。

20年以上も前から説き起こしてきたアジア周辺の危機的状況など、ほとんど国民に浸透していないことを痛感させられる。

自慢するわけではないが、20年前に指摘していた事柄、尖閣初め、南シナ海問題などに関して、長期的戦略で対応してくるシナの行動は、20年後の現在、かなり実現しているから、いかにこの国の対応が遅れているかを痛感させられたからだ。その内にこの国はシナの支配下に入るのじゃないか?

丁度、福田恒存先生や、三島由紀夫や、今回の西部先生が感じたであろう[虚無感]と同じものを私も感じさせられたのである。

物事は直ちに解決されるはずはなく、完成するには時間がかかるのは当然であるとしても、「兵は拙速を尊ぶ」ことを信条とする私としては耐え難い。

拉致問題を見ればわかるじゃないか! これがその最たる“悲劇”である。

今年は変化に富む、予測しがたい戌年である。

残雪に囲まれた田舎の山の中から、ストレス社会の被害を受けなくて済むように、今年は行動半径を縮小していきたいものだと考えている。


届いた本のPR

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≪航空情報3月号≫

今月はロシアの主力戦闘機Su−57を徹底解剖している。いずれ正面の敵になるのだから、研究しておくべきだろう。

今話題の「小型政府専用機」問題について、世界の状勢はじめ色々検討されているが、外務大臣の専用機になるのであれば、大臣と外交官の頭の体操の方が先決だ!という意見もある。

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≪売国議員=カミカゼじゃあのwww著=青林堂¥1400+税≫

著者はインターネット上で活動する情報家だとある。日本の国会議員らしくない議員が繁殖している現在、間違いのない、真相をついた内容であり、目からうろこである。

総務省政治資金収支報告書など、政府の各種報告書の中から、実態を報告しているのだから、“関係者”も反論できまい。

納税者必見の書籍である。


宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

金正日は日本人だった

金正日は日本人だった

ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

KGYMKhoKGYMKho 2018/01/25 05:33 外相専用機がご所望なら、ユネスコ、国連分担金を削減して、予算をひねり出せ。
 外遊して、お願い外交する前に、軍事オプションできるように、自衛隊員の増員と国産装備を充実すべきだよね。
 海兵隊の整備不良の攻撃ヘリなんぞあてにせず、OH-1ベースの国産攻撃ヘリ開発して、支那のWZ-10に対抗できるものを開発してほしいです。

2018-01-11 四方の海は皆同胞、四方の陸は敵ばかり!

四方の海は皆同胞、四方の陸は敵(かたき)ばかり!

いささか旧聞に属するが、1月6日の「産経抄」に「『なりたい職業』不人気だが…子供が政治に夢が抱ける社会であってほしい」という一文が出た。


≪「末は博士か大臣か」。かつてはごく日常的に使われ、昭和38年上映の映画のタイトルともなったこの言葉は、とっくに死語と化したと思っていた。ところが、第一生命保険が4日発表した「大人になったらなりたい職業」の調査結果で、男の子では15年ぶりに「学者・博士」が1位となった。

 ▼学問の道を志し、また憧れる子供たちが多いのは心強い限りである。天然資源に恵まれない日本は、これからも科学立国として生き残っていかなければなるまい。近年の若者の理系志向と合わせ、ほっとするエピソードだといえる。

 ▼もっとも、「博士」は人気でも「大臣」は男女ともベスト10圏外で、政治家の不人気ぶりがうかがえる。それも無理もない。テレビドラマに登場する政治家は、たいてい国民は二の次という利権屋で、裏で悪いことをしてカネを集めるワルと相場が決まっている。

 ▼政治家の実像を知るはずのマスコミも、その仕事の中身を報じるよりも醜聞探しに熱心である。苦労して地位と実績を築き上げた揚げ句に、新聞やテレビから袋だたきに遭うのでは割に合わない。子供が目指したくなるはずがない。

 

 ▼こうした現状は、日本にとって不幸なことだろう。政界に有為な人材が集まらなければ、いかに科学技術で最先端を行こうと、各国との交渉、駆け引きでしてやられるのが関の山である。内政の停滞と混乱でも国力はそがれていく。

 ▼今年9月には、実質的に次の首相を決める自民党総裁選が行われる。安倍晋三首相の出馬は確実で、石破茂元幹事長と野田聖子総務相も意欲を示している。この際、ぜひ将来の日本を担う子供たちが、興味と関心を覚えるような論戦を交わしてもらいたい。政治に夢が抱ける社会であってほしい。≫

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≪調査票:産経から≫


私の子供のころには「大将」が入っていたかと記憶する。

“敗戦後”は、軍事忌避の世の中になり、小学校では「自衛官になってはいけない」と教えられてきたからだろうが、もともと「大将」という階級も消滅しているのだから仕方あるまい。


あれから70年余、やっと憲法で自衛隊を認知する話が出ても潰されるありさまだから、子供たちがなりたいと思うはずがない。

しかし特に3・11以降は、子供たちが理解してくれるようになったことは、せめてもの慰めである。


軍事を制限されているから(日本は手出しはしない)というわけでもあるまいが、近隣諸国は嵩にかかって日本の名誉をつぶそうと躍起である。元日本国だった朝鮮はその最たるものだ。

どういう思考をすれば、あんな考えが浮かぶのだろう??

おそらく思考しないか、出来ないからに違いない。

ニュースを見るたびに大統領が哀れに見えてくる。嘘つきは“泥棒の始まり”とわが国では教えられたが…

だからというからでもなかろうが、この国の大統領は、任期が過ぎると皆さん判を押したように“罪人”として処罰されるのだから、言い得て妙である。

おそらくこの国でも政治家と軍人には、子供たちのなり手はいないのであろう。


明治大帝は国民に≪四方の国皆同胞≫と説かれた。

ところがわが国は、先の大戦でドイツと手を結び、ソ連と不可侵条約を結び、米英と戦ってしまった。

日米双方とも今、その反省からか、世界の歴史でも珍しいほど強固な友好関係を保っている。

昭和16年もこうあるべきだったのだが、どこかでねじが狂い、道を踏み外してしまったのだ。

尊い多量の血を流して初めて、“間違った!”と今頃気が付いたのだろう…

元々海洋国である英米と日本は、同胞であるべきだったのだ。それを崩そうとしたのがコミンテルンであり、それに利用されたのが当時の米、英、日の指導者たちであった。


当時、朝鮮と同じく日本国だった「台湾」を見れば良くわかる。台湾人は、未だに日本人を理解してくれている。

しかし大陸はどうだ。あることないこと(実はないこと尽くしだが)70年以上も前の、生存者さえもいなくなった状態でも、嘘八百のねつ造を並べ挙げて非難している。許せないのは「自分がやった悪事」を日本に押し付けている点だ。


以前、“慰安婦問題”で日韓が“不可逆的合意に達した”と外務省から喧伝されたあの“合意”は、何だったのか?

私は「盗人に追い銭にならねばいいが…」と当時ブログでくぎを刺したはずだ。

そしてその通りになったじゃないか。当時の外務大臣は責任を取らないのか? 何?首相を狙っている?? 無責任にもほどがあろう。

これじゃ子供たちも納得するまい。

韓国政府が、前任者との合意は認められないというのであれば、河野大臣よ、わが方もそうしたらどうだ? 昔だったら[国交断絶]だ。

こんな「大陸国家」ではなく、周辺の強国に右顧左眄するひ弱な半島国家]にかかわっていては時代の趨勢、つまりバスに乗り遅れるぞ!

親中、親韓派の代議士たちよ、そろそろチャイナマネー、パチンコマネーに頼ることなく、自立しようじゃないか! だから子供にも嫌われるのだ。


どうだろう。案外、北と手を結んで、南がどうするか見てみたら?

習もプーチンもどんな顔するか見ものだろうに。

そのくらいの肚のある政治家が出てもいいのじゃないか(笑い)と思うが、無理だろうナ…。

ピョンチャン五輪に出場を望んでいるアスリートたちも、少しは国際情勢に関心を持ったらどうだ? 

せめて今回は「飛んで火に入る夏(冬?)の虫にならないよう」に気を付けてもらいたいものだが。

歴史上、地政学的にみると、なぜか「海洋国」と「大陸国」では肌が合わないことが、十二分に証明されている。

つまり、海洋国家は皆“同胞”だが、大陸国は皆「敵」だという事か。

せめて子供たちの時代から、そんな歴史と地政学の関係を教えてほしいものだ。


要は「敵性国家とはホドホドの付き合いで…」と言いたい次第。


さて次は今週末に迫った講演会と国防講座のPR

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『ついに解禁!! こうなったら洗いざらいしゃべります!』

ロシアやフランスなどがUFOの存在を認める中、かたくなに、だんまりを通す、我が国。

この状況に風穴を開けるべく、元航空自衛隊の空将と、世界的に著名な物理学者が、永年にわたって収集してきた情報を一挙にデイクローズします!!


日時 / 平成30年1月13日(土) 12:30開場

  

13:00〜14:30 佐藤 守 氏 「UFOは存在する」

   14:45〜16:15 保江 邦夫 氏 「UFOとは何か!?」

   16:30〜17:30 佐藤・保江両氏対談 「UFO目撃談」   

会場 / 京都市上京区烏丸通 護王(ごおう)神社 http://www.gooujinja.or.jp/access.html  電話075-441-5458

   

    駐車場の台数が限られていますので、公共交通機関をご利用ください

定員 / 100名(申し込み順。定員に達ししだい受付を締め切ります)

参加費 / 6,000円(当日お支払いください。お釣りのいらないようご準備をお願いします)

申込先 / ichiensou24@yahoo.co.jp へ参加者のお名前・ふりがな・緊急時の連絡先電話番号を、1月12日(金)までにお送りください。

主催 / 古儀陰陽道復興の会

後援 / 北白川倶楽部

★先日「ジャパニズム40号」で対談した安江先生との新年放談?である。

今回、靖国会館から、初めて京都の護王神社に“出張する”ことになった。

新聞、TVの3面記事に溢れる≪修羅界並みの事件≫よりも宇宙界の現象の方がストレスがたまらない。お近くの方はどうぞ!

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●第39回 国防講座「2018年の軍事情勢を占う」

   

平成30年1月20日(土)

靖国会館 偕行の間

1,000円(会員500円、高校生以下無料)

連絡先  info@heiho-ken.sakura.ne.jp

  件名に「国防講座」とご記入下さい。なお、事前申込みがなくても当日、受付けます。

 

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届いた本のPR

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≪学徒出陣とその戦後史:監修・久野潤・構成・但馬オサム:啓文社書房¥2000+税≫

若き学徒が、国の危機に臨んで、ペンを銃に持ち替えて出陣した。本書は生還した7名の学徒たちが語る証言集である。現代、酒と女と金目当てに生きている若い連中には想像もできないだろう。退官後に勉強会で知り合った当時学生であった、漆原氏が、代表取締を務める新進気鋭の出版社である。


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≪軍事研究2月号≫

おなじみの軍事専門誌である。今号は、時節柄北朝鮮問題の見通しが占めているが、「自衛官が構想する南西諸島防衛」が気がかりである。装備と編成は大きく変わったが、国としての一貫した戦略が見当たらない。21年前とほぼ同じ。政治の遅れは致命的になりつつある気がしてならない。


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≪おなじみWILLの2月号≫

紹介するのが遅れてしまったが、いつもの内容と同じである。しかし今月は、はっとするものが目に入った。その一つは、元ウクライナ大使の馬淵睦夫氏の「北朝鮮――背後の仕掛け人」

と、エッセイストの高田都耶子女史の「海軍タルト」である。

以前、ここで取り上げた特攻隊員が最後に機上で食べた≪タルト≫の話が出ている。

昨年を思い出して懐かしかった…。

映画 続・深夜食堂 DVD通常版

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宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

神の物理学: 甦る素領域理論

神の物理学: 甦る素領域理論

KGYMKhoKGYMKho 2018/01/11 19:37  チャイナの潜水艦が潜航したまま、宮古島、大正島の接続水域を航行している。
 どこが友好40周年? いつものように、尖閣はてめーの国の領土と息を吐くように嘘を言う。
 さっさと、屋良覚書覚書の緊急事態と宣言して、下地島空港に戦闘機、哨戒機配備して、燃料節約して頂戴。安倍さん

2018-01-02 平成30年、年頭のご挨拶

平成30年、年頭のご挨拶

昨年末は、恒例の墓参りと神社参拝で、東北道を北上した。≪天候は大荒れ≫との予報通り、東北道を北上するに従い、みぞれ交じりとなり、気温が極端に低下してきた。

福島の菩提寺につくと、急に青空が出たので住職に挨拶した後お墓に向かったが、お墓掃除の最中からみぞれになった。写経を納入後、仕方なくお花を差し替えただけで辞去せざるを得なかったが、なんとなく心残りだった。

翌日は石巻の神社に参拝のため、懐かしい矢本町に入ると、ここでも突然陽がさし始めた。

矢張り“元空飛ぶテルテル坊主だけのことはある!”と自己満足して神社にのぼり、大祓を受けたが、昼過ぎにはここもみぞれになった。境内が一面の雪景色になることは非常に珍しいことだ。

午後、辞去して帰路についたが、宮城県北部以北の東北道は雪で通行止めだという。

一般道も雪で状況は悪く、かなり渋滞や事故が起きているようだった。


三陸道は矢本〜鳴瀬間で「事故発生」とランプがついたのを見てすぐに一般道に出たので、その後は何事もなく通過したが、南下する東北道は激しい雪で、最高速度は50キロに制限。

今夜中に帰宅は不可能か?と考えたが、その後の状況は、まるで現役時代の吹雪の中のペネトレーションを思い出すような雪との戦いになった。

とにかく、道路上のセンターラインが見えないし、側道も、轍の跡で想像するしかない。そのうえ吹雪だから、視界は非常に悪い。

用心して走行していると、そんな状況にもかかわらず、10トントラックが急に車線を変更して眼前に飛び出すからたまらない。

≪なにわナンバー≫と≪愛知ナンバー≫のトラックにはひやりとさせられた。


関東平野に入ってからは漸く星空が垣間見えるようになったが、久しぶりに目は視力減退でシバシバ、肩と両腕は凝り、体と下半身は「エコノミー症候群」そのままの状態で、深夜無事に帰宅できたのは幸運だったと天に感謝した。


翌日車を洗車したが、激戦ぶり?を示す一面の汚れと、床下に固まって垂れ下がった灰色の大きなつららには圧倒された。これを落としておかないと融雪剤(塩)で車が痛む…。

平成29年は、何とも極端な悪天候と戦う羽目になって終わったが、無事に過ごせたのは神仏のご加護のせいだったといえるだろう。


さて、改めて平成30年の年頭のご祝辞を申し上げます。

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≪今年の富士山は曇りベース…今年は何か起きなければいいが…≫


元日は打って変わって穏やかな天候に恵まれた。近くの八幡様に初詣に行ったが、今年は若い夫婦が多数、子連れで参拝しているのを見て嬉しくなった。

学校に入る前の幼児期から、神を敬う心を体験しておくことは日本人として望ましいことだ。所作にはこだわらず、手を合わせて拝むことが重要なのだ。


一旦戻って、今度は我が家の上の山上にある地元の氏神様の小さなお社を参拝した。

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≪自宅の裏山に立つ小さなお社≫

こんな全く知られていないお社にも、結構参拝客が訪れるから嬉しい。見ず知らぬ間柄なのに会釈や挨拶を交わすので、何となく楽しくなる。

しかし、毎年のことだが、見渡す住宅街には一本も国旗が立っていない。最近は門松も目立たなくなった。あれほど店に陳列されているのに、誰も買って飾ろうとしないのなら、明らかに「自然破壊」を進めているのじゃないか?と勘繰りたくなる。

子供たちの遊びが、羽根つきではなく「バトミントン」に代わっているのは仕方ないとしても、これも時代の流れと言って済ませることか?


今日(2日)は少し離れた場所にある小野神社に参拝した。

由緒に「天禄年間に武蔵国司として赴任した小野孝康(小野篁の7代後の子孫)がこの地に祖先の篁を祭ったのが始まり」とあったから、この地に移住してきた末裔?の私は、機会を求めて参拝することにしたのである。

ここはかなり賑わっていたが、「氏子へのお誘い」というパンフを見て、思うことがあったから、転載しておこうと思う。


≪…神社には教祖も教義も戒律もありません。しかし、驚くほど長い歴史を貫いて地域の氏子の人々に祀られ、篤い崇敬を受けるとともに、氏子は神様から限りない安心と活力をいただいてまいりました。

地域社会が昔ながらの共同性をどんどん失っていく昨今、また日本の良き伝統が合理主義や経済至上主義によって忘れ去られてゆくこの現代において、神社は伝統的日本文化の最後の砦ともいえます。

そこは神々が鎮まる清浄な場所、ここには長い歴史に繋がった今があります。さらに神社には地域の共同性がまだまだ生きています。祭りは皆の協力の下に斎行されております…≫


「神社は伝統的日本文化の最後の砦」という言葉が印象的だが、地方にはそれがまだ息づいているという事か?


それにしても昨年は、都内の歴史ある神社で、日本人には想像できない驚愕すべき事件が起きた。ふしだら宮司のあの凶行は果してあの神社だけの問題だといえるのだろうか?と疑問に思う。

どこか日本人の心の隅にほころびが出ているのだ。

神事であるべき大相撲がそれを良くあらわしているように思う。

これも“文化の違い”だといってしまえばそれだけだろうが、我が国の成り立ちを考える時、それだけでは済まされない大きな問題を含んでいると思う。


ところで、兵法研究会顧問として、家村会長と共に長年担当してきた「国防講座」だが、会場である靖国会館の使用料が今年から一気に2倍になったという。

僅か数名のボランティアで維持してきた「兵法研究会」にとっては致命的なため、講座の存続が厳しくなったので、会場設定を変更せざるを得なくなった。

靖国の御霊を崇敬する家村会長はじめ仲間の動揺は隠せない。

ここにも何となく、わが国の信仰心が揺らぐ原因の一つがある気がするが、神社も“経営”が大切なようなので私がとやかく言うべきことではない。

“老兵は消え去れば済む”からである。今月二〇日は公示通り実施するが、以降は未定となる。

さてそこで、今年を占うとすれば、朝鮮半島の“事変”は避けられないだろう。

それよりも気がかりなのは、欧州情勢の不安定化である。

今回の石巻の神社参拝でのお告げに、「核戦争は欧州で起きる」という一言があった。

しかし「地球外生命体がそれを回避させるため動いているから大丈夫だ」と神職が付け加えられたので、一安心ではあるが・・・・


何はさておき、今まで「タブー視」されてきた政官界、経済界、神官界、言論界に広がっていた闇が、ことごとく国民の前に公表され、大掃除が始まることだけは確かなようだ。

お互い、掃除されないように気を付けて過ごしましょう!!

今年もどうぞよろしく!


少し遅くなったが届いた本のPR

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≪雑誌「丸」2月号≫

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≪同上の付録「紫電改」&「疾風」≫


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≪雑誌「WILL」2月号別冊≫

朝日新聞も“最後のあがき”のようだ。百害あって一利ない新聞は取る方が無知なのだ!


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≪「正定事件」の検証:峯崎恭輔著・藤岡信勝解題:並木書房\2000+税≫

シナ事変が起きた10月に、河北省の城塞都市「正定(せいてい)」を日本軍が占領した夜に、カトリック宣教師ら9人の欧州人が“謎の武装集団”によって拉致され殺害された事件の“犯人は日本軍だ!”とバチカンが言いがかりをつけ、国際問題化しかかっている。

どこまで我が国の「歴史戦」は貧弱なのか、韓国の慰安婦問題でやすやすと10億円奪われた外交上のミスがそれを示しているように思う。ストレスがたまること請け合い!だがご一読あれ。

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

2017-12-20 今年もすでに残り10日…

今年もすでに残り10日…

今年の年頭(1月3日付)に私はこう綴った。


≪昨年から始まった、世界規模の大変動は、今年は政治、経済のみに留まらず、地球をはじめ宇宙天体を含む規模の大変動に至るような気がします。

そんな中で我が国が平穏な年頭を迎えることが出来たのは、まさに天佑神助によるものではないかと思われ、神の国・日本の面目躍如に思われます≫

と書き、2日の一般参賀に、平成で2番目の9万6千人超が祝ったことを挙げた。

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そして3日の産経が「主張」欄で「日本文化・守るべきもの見極めたい。変化を超えて伝統に誇りを」と書いたことを紹介した。


この年を終わるに当たり、私は今「守るべき文化の危機」を痛感している。

たまたま朝のTVで、葬儀に「ドライブスルー方式」を取り入れた葬儀場のことが紹介されていたが、あきれてものも言えなかった。ハンバーガーショップじゃあるまいに・・・。

さすがに市民からは3分の一程度しか賛同が得られていなかったが、当たり前だろう。


インタビューされた市民のほとんどが「心の問題」「これでは心がこもらない」と答えていたので、少なくとも「心」を意識している日本人が“残っていること”に安心した。

年頭の産経「主張」は、守るべき日本の文化について論じたが、この“時代に適合した?”ドライブスルー方式の葬儀初め、汚れを祓うべき宮司兄弟の殺人事件、わが国の伝統文化である神事を軽視する「横綱」の不祥事問題などは、まさに日本人の「心」が失われつつあり、文化が消滅しつつあることを示していると思われてならない。

しかしTVはじめメディアに取り上げられているのは、浮ついた人間の心を示す事件事故の連続であって、修羅界、地獄界が蔓延している証拠だと思う。


其の昔、母校の名物教師であった小柳陽太郎先生は「真に教うべきこと」として「それは端的に言えば文化だと思う。つまり(文化とは)人類のすべてが今日の日まで積み重ねてきた一切の歴史だといっていい。教師とは実はかかる歴史を、文化を後世に伝うべき役割を担っているのであり、大きく言えば一つの文化の継ぎ目に私たちは立っているのです(教育の本質:「祖国と青年11月号」)」と語っていた。

三島由紀夫は文化について、福田恒存先生との対談で「『文化を守る』という事は『俺を守る』という事だ…」と語り、福田氏は「そう、俺が文化だもの。だけど今の教育じゃ、文化を守るという事は俺を守るという事につながっていない」と嘆き、三島も【つながっていない】と同意している(「若きサムライたちのために」:同上)

しかし今やこのような教師は見当たらない。日教組が支配するようになってから、教師は労働者階級になったからである。つまり、昔風に言えば“身分が低い”労働者が、教壇に立ったのである。これじゃ日本人が発展するはずはない。

今、世界的な大変革期を前にして、わが国のメディアは「大相撲の理事会の動き」や「パンダ、シャンシャン」のニュースに血道をあげているが、どこかが大きく狂っている気がしてならない。


そんな折、トランプ政権は米国の国家安保戦略について公表したが、早速非難を受けた中ロが反発している。

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≪米首都ワシントンで、自身の政権の国家安全保障戦略について演説するドナルド・トランプ大統領(2017年12月18日撮影):AFP=時事≫

≪【AFP=時事】ドナルド・トランプ米政権が「国家安全保障戦略」を初めて発表したことを受け、米の国力に挑む決意を固めている国と名指しされた中国は19日、米政府は「冷戦の精神性といった時代遅れの考えを捨て去る」べきだと反発した。

 中国外務省の華春瑩報道官は定例記者会見で、「いかなる国や報告であっても、事実を歪曲する、または悪意をもって中傷するような行為は無駄に終わる」と指摘した。

 一方でロシア大統領府(クレムリン、Kremlin)も、同戦略の「帝国主義的な性格」を非難するとともに、米政府が「一極的な世界」に固執していると批判。

 ドミトリー・ぺスコフ大統領報道官は記者会見で、「同文書の帝国主義的な性格は明らかであり、一極的な世界の断念の拒否、断固たる拒否だ」と指摘。ロシア政府は「自国が米国の安全保障への脅威扱いされるのは容認できない」と述べた≫

共産主義に染まった、あるいは染まっている“大国”らしい独善的見解だが、他方中国の同じ報道官は、日本のパンダ“騒動”についてはこんなことも言っている。

≪【北京時事】東京の上野動物園で6月に誕生した雌のジャイアントパンダ、シャンシャン(香香)の一般公開が始まった19日、中国外務省の華春瑩・副報道局長は記者会見で、「香香が中日間の人民の交流と友情を増進し、中日関係の発展推進に役割を発揮することを希望している」と述べ、関係改善のプラス効果に期待感を示した≫


自己中心にもほどがあるが、これが外交関係と国際情勢の本質だろう。特に隣国は、自分に都合がいいものは活用し、不利なものには徹底抗戦する…人のものも自分のものなのだ!

トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の方がまだ理解しやすい。


更に私は年頭に「地球をはじめ宇宙天体を含む規模の大変動に至るような気がする」と書いたが、いよいよ来年は、これら人類にとっての“不都合な真実”に大きな変化が起きるだろうし、宇宙にも大きな変化が起きると思われる。

それがニューヨーク・タイムズの記事を伝える18日の読売新聞記事だ。


≪【ワシントン=海谷道隆】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は16日、米国防総省が、未確認飛行物体(UFO)の目撃情報を調べる「先進航空宇宙脅威識別計画」を2007年から秘密裏に始めていたと報じた。

 民主党のハリー・リード前上院議員の要求で多額の予算が投じられ、ほとんどはリード氏の友人が経営する航空宇宙調査会社に流れた。同省はこの会社と協力し、はっきりした原理が分からず前進したり浮いたりする飛行物体の目撃情報に関する文書を作成した。

 海軍の戦闘機2機が04年にサンディエゴ沖で追跡した白っぽい楕円形の物体をはじめUFOの映像や音声を研究した。

 計画は、約2200万ドル(約24億8000万円)が投入されて12年に終了したが、その後も同省の軍事情報担当のルイス・エリゾンド氏らが調査を続行。今年10月に退職したエリゾンド氏は「(UFOの)能力や意図を解明することは軍や国のために必要だ」と語った≫

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≪公開されたFA18戦闘機が捉えたガン・カメラに映るUFO=同上≫

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≪同じものを伝える朝日=産経も報じている≫


地上では半島と中東危機が、宇宙では≪宇宙戦争準備≫が着々と進んでいるというのに、何が“シャンシャン”だろうか? “極楽とんぼ”でさえ日本人にあきれていることだろう。

三島由紀夫が自決する三日前に死去した大宅壮一はTVメディアの将来を見据えて「一億総白痴化」を唱えたが、すでに完成したというべきだろう。

“ハクチ化”という言葉が問題だというならば「幼稚化」と言ってもいいが…。

ところで私は、来年から≪意識改革≫事業を立ち上げる仲間に誘われた。

私の開講時期は来年後半になるが、各界の現状を憂える仲間たちが参加するのである。

マ、私は“末期高齢者”だから、開講時期までもつかどうかわからないが、軍事軽視の現状を一部でも打破できればいいと考えて参加する次第。

概要は次の私専用のURLからご覧あれ!  http://ruang-af.com/lp/16321/844855/



届いた本のPR

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≪「パヨクニュース:千葉麗子著・青林堂¥1400+税≫

パヨク(左翼)という造語を世に広めたチバレイ女史の本。パヨクなニュースが50例紹介されている。こんな連中が同じ空気を吸っているかと思うと腹が立つ!

表紙は漫画チックだが、内容は本質をついているからご一読あれ。

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「軍事研究2月号」

巻頭言の志方先輩が、北朝鮮情勢について分析している。確かに兵士の亡命や、漁船の漂着が続くかの国の国内では、何かが進行しているように感じられるが…。

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≪おなじみ「HANADAの2月号」≫

見出しだけで読んだ気になるから不思議だ。とりわけ≪総力特集・朝日虚報と全面対決!≫は読ませる。

現役時代、朝日の記者から執務室に“怒鳴りこまれた体験”を持つ私としては小川栄太郎氏の勇気に感心する。もっとも制服の私では、反論してもメディアからは取り上げられなかっただろうが…。

今月号の写真グラビア特集『両陛下の笑顔』は素晴らしい。

矢張りこの国は、天皇を中心にした伝統文化に支えられた国であることを痛感する。個人的には“永久保存版”にしたいほどだ。

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO

実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO

ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

2017-12-14 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(4)」

(承前)

潜水艦に便乗しショートランドヘ

 この間も敵に投降した者から「投降すればご飯も食える。煙草もある。羊羹もある」と誘われたが、投降すれば戦車で轢き殺されるとの墫もあるので、その誘いには乗らなかった。そして樹の皮を食い、トカゲ肉をしゃぶりながら生きてきたと照さんは語った。

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≪海軍設営隊の作業風景=海軍作戦写真記録?から≫

  


 阿部を埋葬した夜だった。三井参謀より二十六〜七日頃、味方の潜水艦が西方約二十数里のカミンボに連絡のため浮上し、参謀はじめ「大和」観測員の一部が帰る事になったので、搭乗員は便乗出来るかもしれないとの朗報を得た。

 然し、先程の駆逐艦の時の例もあるので、先走って皆に知らせてがっかりさせてはと思い、密かに三井参謀と話を進めている中に、何とか便乗出来そうになった。

 然し、潜水艦の浮上予定日迄、時間か無いので、取りあえず移動準備をし、本部の皆さんや阿部が世話になった軍医長にお礼を言って出発した。

 照さんや他の者達は羨ましそうな笑顔で「ラバウルに帰ったら、又、攻撃に来て呉れ」と云って、我々を送ってくれた。 

 出発間際に、第一小隊三番機の島崎兵曹の三名と合同することが出来た。

 三番機は敵艦に突撃中に、主操縦員の岡宮兵曹が機銃弾で即死。

 又、通信の梅沢、板野兵曹、搭乗整備の設楽兵曹も戦死したとの事だった。

 吉田は口を貫通され、口が裂け歯が全部もぎ取られ包帯で顔を巻いていて何も食べられぬ状態だった。もっとも食べる物も無かったが…。  


 三井参謀他、「大和」観測隊員は、陸軍の大発で海路をカミンボに行くが、全部乗れないので負傷兵のみ大発の便乗を頼み、私と残りの者は陸路移動する事にした。

 然し、陸路であれ、海路でも常に敵哨戒機が飛んでいるので、昼の行動は無理で夜間しか行動は出来ない。潜水艦の浮上予定日が迫って来るので強行軍の連続であった。

 二十七日早朝、徒歩部隊カミンボ着。海路移動部隊は先に着いていたので、我々のために食事を用意していて呉れた。

 ここは食料も比較的あったので、久し振りに腹一杯食べることが出来た。二十八日夜、やっと潜水艦が浮上する事になった。

 昼頃山手で二発の銃声がした。

 敵襲!早速陸戦隊が配備について、我々にも配備についてくれと言われ、数丁の小銃を持たされた。

 間もなく斥候が帰り、ゲリラである事が判り、芋掘りに出た兵隊が狙撃され負傷したとか。

海岸で潜水艦の浮上を待っていた。

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≪当時ソロモン海域で活動していたと思われるわが潜水艦=武器・兵器でわかる太平洋戦争:日本文芸社刊から≫

 潜水艦は、昼の中に潜航して来て、海底に鎮座していて、夜になって浮上するので、それを待っているわけである。陸海軍の参謀達が、時計を見ながら注視している。

 やがて、小山の様な真っ黒い潜水艦が浮上したので、大発に乗り込んで陸を離れ、潜水艦に近づいたが、潜水艦には舷梯が無く、足場になる所は半円の穴だけ。

 当直将校が「何名か」と叫ぶので「三十二名」だと答えると「何だ話が違うぞ」と不審な顔で、降ろされるかと言う不安で一瞬ドキッとするが、「まあよい、急げ、急げ。」と促されてホットする。

 艦には青のりが張っていて、滑って中々上がれない。

 最後に私が乗ろうとした時、突然「空襲!空襲!」「急速潜航!」の号令がかかったので、夢中でハッチに頭から飛び込んでホットする。


 艦内は電灯が赤々として猛烈に暑い。先刻まで荷揚げ作業をしていた軍医長が、汗びっしょりになって我々の建康状態を聞きに来て呉れた。

 室内はクリーム色でカーテンの仕切りがあり、フランス人形、田園風景の絵がかかっていて、我々の乞食のような風体とは全く不調和であった。

 従兵が氷入りレモンジュースと鰻の胆入り缶を運んできた。 


 調子の良いエンジンの響き、艦は静かに潜航、ショートランドに向かっていた。

 翌日も潜航したまま二ノット位で航行していた。

 潜水艦の兵隊は、皆ぶくぶく青白く肥っていた。一度出撃すれば三ヶ月は太陽を拝めないという。その代わり夜の眼は、海上に浮かぶ木の葉までも認められるという。正に訓練の効果である。

 我々飛行隊が対潛哨戒に苦労するのも当たり前の事である。母港に帰り太陽を見ると、暫くの間は色メガネでも掛けないといられないそうである。


 三十日午後、ショートランド港に入港して退艦する。

 第六根拠地隊司令部に顔を出し、横浜航空隊に仮入隊した。一安心したせいであろう、この頃からガ島で感染したマラリヤが発病し始め、何人かは四十度以上の高熱に冒された。

 私も何時までも死んだ陸軍中尉の服を来ているわけにも行かず、羽根田兵曹の飛行服を借り、横空飛行隊長とラバウル行きの飛行便の交渉をした。

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≪ソロモン海域を飛ぶ97式大艇=海軍作戦写真集?から≫

 十二月一日、ラバウル要務飛行の九七大艇に便乗することが出来た。

 初めて乗る飛行艇は大した飛行機だ。振動も多く、乗り心地は誠に悪いし馬鹿でかいだけだ。

 離水の勇ましい事。レバーを出したり引っ込めたり……。然し、お陰で無事ラバウル港に着水出来た。早速、司令部に報告に行く。

 司令官自ら参謀を従えて出てこられた。ガ島の詳細の報告を済ませた後、ビールで生還祝いをして戴いた。幸いな事に航空参謀の中西二一中佐(兵五七)は私の前任地、二十二航空戦隊時代の飛行隊長で重慶・成都・蘭州の攻撃を共にした人であった。

 

ラバウルで廃材の1式陸攻を整備して帰国準備 

 ラバウル「山の上の飛行場」には千歳空の者は誰もいなかった。我々の攻撃が最後で、之が全滅したので部隊再編成の為、北海道の千歳基地に移動していた。

 そして我々の報告を聞いてくれる者も、戦死した者達の功績を称えてくれる者も、暖かい手で迎えてくれる者もいなかった。我々の私物も、戦死者の物という事で全部整理され、何一つ残っていなかった。

 ラバウルに帰って暫くすると、全員マラリアが発病した。私も四十度以上の高熱の日が続いた。キニーネの副作用か、度々夢うつつの幻覚症状に悩まされた――。

 ―――敵と塹壕で対陣している時だった。直ぐ眼の前に真っ黄色に熟したパパイヤが下がっている。谷口の様だったが、それを取りに行くという。

 私が、狙撃兵が狙っているから止めろ!としきりに怒鳴ったが、到々彼は塹壕から飛び出し、パパイヤに手が届いた途端、バーンと一発の銃声がして、彼はパパイヤの木から崩れ落ちた。丁度第一次世界大戦の「西部戦線異常なし」の小説の様だった。

 長い陰鬱な塹壕戦線に美しい蝶が飛釆したので、それを捕らえ様と手を伸ばした瞬間、狙撃兵に射殺されたのと同じ話の幻覚であった―――。

 ガダルカナルでの、食物に対する執着が未だ消えていないのだ。


 中西参謀からの連絡があった。航空便で内地に帰る事は見通しがつかない。さりとて、病院船も駆逐艦も今の処予定がないので、飛行場に廃棄処分になった一式陸攻が沢山ある。それを飛べる様に整備して、それで帰る様にと。

 其の為、整備員を十数名派遣するとの事であった。

 早速、程度の良さそうなものを見つけ、エンジンを交換したり翼を付け替えたりの作業が始まったが、この頃、私もマラリアの発熱がひどくあまり記憶がなかった。多分二〜三週間かかったかも知れない。

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≪それまでのラバウルにおける航空機整備等=同上から≫

 


富士山の白い頂き

 マラリアも大分治まった頃、飛行機も出来上がったので試飛行をやり調子も上々だった。然し、廃棄処分された飛行機なので、機銃・電信機は勿論、航法兵器も何もない。コンパスの磁差すら分からない。

 偵察の羽根田兵曹に「之で内地まで飛べる自信はあるか。」と聞いた処「日本の国は東西に長い、北を向いて飛べばいつか日本列島に突き当たる。行きましよう」との返事。

 流石、四艦隊麾下で内南洋を飛び廻ったベテラン偵察員だ。トラック諸島は島が多いので、先ずトラックに向け進路をとり、到着した島でコンパスの誤差を逆算して求め、サイパン経由で千歳基地に行く事にした。

 

 全行程三千浬近い。一気に常夏の国から雪の国、北海道行きである。我々の服装は、ボロボロになった防暑服、半ズボン、草履ばきで、髪はぼうぼうの乞食姿である。

 八丈島付近に来た頃だった。富士山の白い頂きが雲の上に見えた時は、感無量というか、涙が流れて止まらなかった。

 日本の冬は寒い。三千米上空では、零下十数度。何とも我慢が出来ないので、木更津基地に降りて防寒対策を整えることにした。

 焼け跡の残ったオンボロ飛行機より、乞食姿の搭乗員が下りてきたので、木更津の隊員が異様な眼で我々を見ていた。

 私は海軍中尉の意識があったが、誰も敬礼などしてくれる者がない。浮浪者が迷い込んだ位にしか見ていないのだ。


原隊の千歳基地に着陸、涙の報告

 当直将校に事情を説明して、毛布各自一枚づつを借用して、再度千歳基地に向け出発した。千歳到看予定時の電報もお願いした。

 三陸海岸を飛ぶと津軽海峡は吹雪であった。通常ならば必ず引き返す様な悪い天候だった。然し、一刻も早く懐かしい戦友の待っている原隊に帰りたいの一心で、吹雪に突っ込んだ。間もなく、前面の風防ガラスが、雪の為、視界がなくなった。


 翼の前縁に雪が積り回転数も落ちる。横の窓を開き、横目で前方をチラチラ見ながら翔ぶうちに、やがて北海道が見え、懐かしい飛行場の滑走路が見えて来た。

 着陸予定時間を通知しておったので、格納庫前に司令以下三五〇〇名の隊員が整列し出迎えて呉れていた。

 私は司令への報告事項を前以って心の準備をしていたが、司令の前に整列した時は感無量と言うか、涙がとめどなく流れて言葉が詰まってしまった。

 司令は優しく「報告は後刻ゆっくり聞く、先ず病院に行って手当てをする様に。」との事だったので、隊員に助けられながら病室に行った。


 この記録の後半は、その療養中に病室にて思い出しながら書いたものである。

 七〇三空最後の攻鑿隊の搭乗員六十四名中、この機で帰った者は、私と菅谷飛曹長、羽根田上飛曹、島崎上飛曹、松平三整曹、永田飛長(操縦)、谷口飛長(電信)、吉田飛長の九名であった。

 

あとがき

 私はその後、幾多の航空戦に幸運にも生き残り、無事復員することが出来た。そして今、彼らの三倍以上の歳月を生き永らえて、平和で豊かな幸せな生活を満喫しているが、一時も彼らの事が心から離れた事がない。

 

 よく、歴史は勝者が作るものだと言う。そして、常に勝者の立場が正当化され、敗者の反論は許されない。

 占領軍であるアメリカの指導の下に作られた新しい日本の社会は、この様に国の為に死んで行った同胞をも、軍国主義者だと極めつけている面もあるが、今日の日本の繁栄は、この人達の尊い犠牲の上に築かれたものである事を確信し、この項を終わる。

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≪福地大尉の雄姿=前列左から二人目の飛行服姿=1001空戦友会誌から≫

補足

 これは福地大尉とクルーが、昭和17年11月12日に、ラバウルを出発して撃墜され、ガダルカナル島に漂着。その後、11月14日に海軍設営隊に移動、17日夜半に駆逐艦が入港するも、乗船を断念。25日に阿部飛行兵曹を埋葬、27日カミンボに移動、28日夜、潜水艦に便乗して、30日午後にショートランド港に入港。

 十二月一日には、ラバウル要務飛行の九七大艇に便乗し、ラバウルに生還するも“もぬけの殻”、現地で廃材の1式陸攻を整備することとなる。

 その間マラリアが再発(2〜3週間か)し記憶は定かではないが、組み立てた1式陸攻に乗って飛び立ち、八丈島、木更津を経て、千歳基地に帰還するまでの、約一か月間の経験を記録したものである。下の大東亜戦争海軍作戦経過一覧表を参照。

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≪これは「自昭和17年4月20日〜至昭和18年4月15日」として、5ページ半掲載されている表の一部だが、福地大尉の攻撃記録は11・12日の一項目のみに適用される。

しかしこれから12月1日にラバウルに戻るまでに、ソロモン海戦(第3次)、ルンガ沖夜戦が起きているから、この一覧表に書かれていないような、凄惨な状況が地上・海上では繰り広げられていたのである。公式に記録されていない多くの将兵が戦死していった事実を忘れてはなるまい。往々にして戦史は人間の生き様を無視するからである≫

ここで私と福地大尉の出会いを書いておこう。

 福地大尉は栃木県出身の第五期海軍予備学生で、同期生二十名が入隊したのは、昭和十三年四月二日だったというから私が樺太で生まれる一年前のことである。

 福地氏が海軍を志願した理由は実に単純で、「泥臭い陸軍よりスマートな海軍にあこがれた」からだと言う。

「一〇〇一空戦友会報」に掲載されていた氏の手記『私が歩んだ道』には、

〈当時の社会環境は、一九二九年(昭和四年)以来の世界的大不況の流れの中で、日本国の豊かな現在では、想像も出来ないほどの惨憺たる状態であった。

 私は、農学部であったので、学生時代に東北六県の農村調査をした事があったが、当時の東北地方の農家の負債総額は、約百億円ぐらいあったと記憶している。

 当時の国家予算が約六十億円位だったので、現在と比較すれば、本年度予算(平成十四年度?)が七一兆円であるから、東北六県の負債は、現在で見れば優に一二〇兆円という莫大なものであった。

 この様な惨状だったので、子供の間引きで口減らしをしたり、娘を芸者や女郎に売る事が、半ば公然と行われた時代であった。

 又、都会に於いては、至るところにルンペンと称する失業者が巷に溢れ「大学は出たけれど」等の流行歌が歌われたのも、政治の改革により改善を図らねばと若い将校による所謂、五・一五事件二・二六事件などが起きたのも、その頃の出来事であった。

 そして、これ等の不況を何とか克服する為に、かって日清、日露戦争で国民の血をもって獲得した満州・中国の権益を守る目的で大陸に軍隊を派遣していたが、一方、欧米各国も同様で、自国の利益の為に米国は中部支那を、英国は、香港を中心とした南支那を、又、ソ連はソ満国境に強力な極東軍を配備して、その南下を阻止しようとした日本軍との間にノモンハン事件を始め紛争の絶える事がなかった時代であった(一部加筆)〉

と記されている。


 私が福地大尉と御縁を得たのは、平成7年10月17日に松島基地研修で来られたことで、それ以降、戦友会の事務局長・宇田川駒次郎氏から私には毎回「一〇〇一空戦友会会報」が届けられ、生々しい実戦の様子を学ぶ機会を得たからであった。

 ここに掲載したのはその中の一記録に過ぎない。

 会報は退官後も変わらず送られてきていたが、平成十四年の会報で福地会長の逝去を知った。


 戦後の日本は、このような凄惨な体験をされた方々に感謝することもなく、靖国神社に首相たるものが誰に気兼ねしてか、参拝もしない体たらく。

 この恐るべき人間性の欠如と、先輩方を敬う精神の消滅は、歴史と伝統ある日本国の行く末を暗示しているようで寒心に堪えない。

七五年前、国難に際して、かかる軍人たちがいたことを若い人たちに知ってもらいたく、掲載することにした。

 福地大尉は、戦場で逝った部下たちと今頃“談笑”しておられることであろうと思う。

 心から哀悼の誠をささげたい。合掌

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

2017-12-13 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(3)」


(承前)

野戦病院の悲惨

 朝食後、我々は阿部飛長のその後の容態を野戦病院に尋ねて行った。

 半里(注:約2キロ)近くの野戦病院までのジャングルの道で、第一線より病院に後退して行く陸軍の兵にたくさん会った。何れもマラリヤと栄養失調。

 骸骨の如く痩せ衰え、一本の棒に体を支えトボトボと歩いて行く。椰子を一個やったらかぶりついて食べた。「有難う」の声もかすかで聞き取れない。

 道端にはこうした病院まで行けず、精根尽きて行き倒れになった死骸が沢山転がっている。 腹は樽のようにふくれ、顔には無数の蠅がたかっている。


 病院とは名ばかりで、崖の所の大木の木陰に一〜二個くらいの横穴を堀り、ここに薬品・器具を置き、数百名の傷病兵は、周囲のひときわ繁ったジャングルの中に寝ているだけであった。

 軍医は元気な見習士官だった。阿部飛長のお礼とその後の容態を聞く。

 このままでは到底助からない。切開をする事になった。


 元気な軍医と私は同県出身でしかも、私が栃木中学出なのに彼は隣町の佐野中学出身であったのでよく話が合った。彼は私に乾麺包一袋くれた。

 切開するまで、まだ少々時間があるので腰を下ろして休んだ。力ない病兵が、また一人着いて診察を受けた。

「お前は〇〇病だ。お前の命はあと十日だ。向こうで休んでおれ、手当ては無用。」


 渾身の力で辿り着いた病院の宣告で、彼は空ろな眼つきに多少の動揺を漂わせて私達の休んでいる方にやって来て腰を下ろした。

「海軍の方ですか。貴方がたはまた飛行機をとりに内地に帰るんでしょう。私の命はただ今お聞きした通りです。私の叔父が東京の本郷にいますから、この時計を形見に届けてもらいたい」と頼まれた。

 聞くと彼も東京帝大の工科出身インテリ兵だった。私も帰れる目算がなかったので彼の願いを断った。


 辺りは無数に転がっている腐乱死体の異臭とこれを慕って来る数限りない蠅には閉口した。 スコールがあるたびに、これらの人々は約三〜四十名くらい死んでゆくそうだが、手不足のため、そのままにしてあるとの話に、よく見ると寝ている兵の大部分が死んでいた。中には、手足が白骨になっているものもあった。

 私が乾麺包を食い始めた時である。

 後方の方からかすかな声で「中尉毆」と呼ぶ声がした。

 私は自分が戦死した陸軍中尉の服を着ている事を忘れ、しばし自分を呼んでいる事に気が付かなかった。やがて声の主は地を這いながら、私に近付いて来る。

「何だ、用事があるのか」

「ハイ、中尉殿が食っているカンメンボウの屑でもいいですから、なめさせて下さい」。

 彼に数個の乾麺包をやったら、両手を合わせて拝まれた。子供のような嬉しそうな表情だった。これを目撃した十数名の兵がまた這い出してきた。


 びろうな話だが、垂れ流しの異様な色と匂いのするズボンを引き摺りながら。うまいうまいと本当にうまそうに食った。

「死ぬ前にもう一回、東京のニギリズシが食いたいな!」東京出身らしい兵が云った。

 宮城前の広場で閲兵を受けた、あの威風堂々たる皇軍兵士の変わり果てた姿とは、どうしても想像出来ない。

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≪昭和の大観兵式=インターネットから≫


 また、傷病兵の一人が云う。

「横に寝て起き上がれなくなると二週間は生きられない。寝ても未だ顔にたかった蠅を手で追い払うことが出来るうちは、未だ一週間は寿命が有るが、追い払う事が出来なくなり、鼻の穴や口から蠅が出入りする様になると三日以内には死ぬ。そして翌日になると、蛆が這い出して来る。」

 この様な現象は判で押した様に誰でも同じそうである。

 阿部の仙台工専の先輩で、陸軍軍曹が居た。彼は「破傷風」にやられたとかで体全体が硬直状態になり、丸太ん棒の様に真直ぐに伸び、関節の曲がらない足でポックリポックリと歩いて居た。

 そして軍医に「どうしても前線に帰り、敵と戦いたい」と言い張って「そんな体では無理だ」と、軍医に殴られ、棒が倒れる様に直立したままドッと音を立てて倒れた。

 前線に帰り戦いたいとの激しい闘魂には深く感動した。さすが日本陸軍なる哉である。


 その他、肩から腕をもぎ取られ傷口より蛆がわいている軍医やマラリヤで青黒くなりあたかも印度兵と間違える様な者、アメーバ赤痢に罹り、骨と皮に痩せこけた兵隊、足の無い者、手首を失った者等々、その惨状は眼も当てられない。将にこの世の地獄であった。

「今朝は二十五個だ」と話す声がする。

 昨夜の中に独りで死んで行った人々の屍の数である。夜となく昼となく死ぬ。スコ−ルの後は特に多いという。宵の口に死んだ人は明け方には蛆がわくという。

 人間の強靭さと脆さと生命の儚さをつくづぐ感じさせられる。

 此処では毎日死んでいく人の死体を一個、二個と品物の様に数えるのである。

 もし之が内地であったなら。定めし大勢の肉親に見守られながら一嬉一憂されて死ねるだろうに……。

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≪壊滅した陽動部隊の住吉支隊(1942年10月24日、マタニカウ川河口)=ウィキから≫。


 阿部飛長の切開は始められた。私は主操縦、彼は副操縦の関係上、階級を離れ、兄弟の様な親しみがあった。

 麻酔薬一つない彼の腹部切開は、どうしても見るに忍びなかった。彼の苦痛を訴える悲鳴はだんだんウワゴトに変わっていった。

  

海軍部隊に移る

 海軍部隊に連絡を取りに行った菅谷飛曹長が帰って来た。その結果、明十四日に二〜三里後方の海軍部隊に移る事にした。

 阿部飛長を急造の担架に乗せて後方に退った。

 途中、川の辺で一休みしていた時だった。何処から飛んで来たのか、不意に敵の戦闘機の銃撃を食らった。

 ダダダ…ン、あたりに銃弾が飛び散る。我々は勿論すっとんで逃げたが、腹部切開をしたばかりで担架に縛りつけられたままの阿部飛長までが担架を背負った儘逃げたのには驚いた。

 まだ元気がある。この分では必ず助かると自信を深めた。


 この海軍部隊は、第十二設営隊であった。

 本部は藤づるの絡まる密林の中にあって、藤づるが網の様になっていて、太陽の光線か全く届かない不衛生極まりない所だが、敵飛行機を避けるには都合の良い場所だった。私は士官用のバラックに入った。

 そこには戦艦大和の観測隊と共に、飛行場砲撃の第二艦隊の三六糎砲の弾着を観測するために来た三井謙二参謀(兵五五)と特潜での攻撃に失敗して陸岸に乗り上げてしまった廣中尉と三人であったが、三井参謀はこの時、「学徒出身の士官を大量に養成する事が目下の急務で、生きて帰れたら必ず海軍省に出向いて強調したい」と言っていた。


 この十二設営隊も当初隊員が千五百名位だったそうだが、今は生存者が約1/3位しか残っておらず、その中、軽作業の出来る者は僅か二十名足らずとの事に誠に心細い限りである。

 そこで我々は、毎日椰子の実採りをやった。我々以外に椰子に上る様な元気な者がいなかったからである。特に猿の様に木登りの上手な谷口は得意中の得意であった。

 同じ海軍だったのでラバウルの原隊とすぐ連絡がとれ、帰還予定もすぐ手配し通告してくれた。

 連絡によると我々の雷撃隊で完全に基地に帰れた者は、その日ただ一機との事。私の中隊の二小隊長機だった。

 我々は食料を輸送して来た駆逐艦で帰る事になった。近くのクサファロング港が味方の補給港だったため、我々の宿舎からこの地方に対しての砲爆撃は言語に絶するものだった。

 さしものジャングルも、広大な椰子林も砲撃のため、殆ど真っ赤に枯れていた。私達は夜になると、毎日この港に来て砲弾の穴に身を隠し、駆逐艦の入港を待っていた。


駆逐艦は入港したが……

 十七日夜半だったと思う。敵の眼を逃れて、一隻の駆逐艦が入港した。

 帰還予定の傷病兵が、急にあちらの藪、こちらの穴から這い出して来た。百名、二百名、帰りたさの一心、最後の力を振り立たせ、一里も二里もの道のりをよろめきながら来た人々である。

 駆逐艦からカッターが降ろされ、食料、弾薬が陸珊けされたと同時に、一人で到底腰も立たない様な重病兵が一度に押し寄せる。

 この艦で帰らねば、爆撃と空腹と斗いながらガ島で、のたれ死ななければならない彼らなのである。

 もはや命令も統制も無い。

 地獄の底から這い上がろうとする無数の病人は、波にもまれながらカッターの舷側を握って離さない。このまま放置しておけばカッターは転覆してしまう。

 艇長は必死になって野球のバットの様な棍棒を振り上げて無茶苦茶に殴りつけた。そのたびに鈍い音を立てて、一人づつ海中に沈んで行く。

 やがて病人を満載したカッターの出た後には、最後の生きる望みを失った人たちが二〜三十人浮きつ沈みつ波間に消えて行く。

 我々は駆逐艦による帰還を断念した。

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ガダルカナル島への鼠輸送のため駆逐艦に乗り込む将兵=ウィキから:まさかこのような悲惨な撤退になるとはだれが想像できたろうか?≫

 


阿部飛長の最後

 こんな事をしている間に、阿部飛長の容態はだんだん悪化して行った。

 傷口よりは黄色い液が沢山出た。彼の顔も次第に血色が悪くなり、苦痛も訴えなくなった。 遺言を聞いても、ただ「済みません。家の者にも皆の多幸を祈ると伝えてくれ。」と言うだけで力の限り戦った者の満ちたりた顔つきであった。

 已の肉体の苦痛を忘れ、看病を感謝する美しい心だった。


 二十五日、例により早朝病室に行く。付き添いの永田は、連日の疲労で無心に眠りこけている。

「おーい、気分はどうだい」

 返事が無い。毛布をまくってみると、彼の体は硬直していた。

「阿部!阿部!死んでしまったのか、こんな不自由な生活でさぞ苦しかったろう。だが、最後までよく頑張ってくれた……」


 切開手術の時軍医より、弾は腸を避け肝臓をかすめて貫通しているので助かる確率か多い。 「よく手当てをされたい」との事だったので、皆で出来るだけの事はした積りだったが、食料だけはどうにもならなかった。

 隊からの配給は一日カユ少々だけ、阿部の栄養補給のため、野豚狩りを計画したが、ゲリラが危険であるといって止められ、椰子筍を食べさせたいと思って椰子の木を切り倒そうとしたら、椰子を切った者は死刑に処すとおどされた。

 椰子を切ると直接、飛行機の攻撃にさらされるので禁止されていたのを、新参者の我々は知らなかった。

 又、河にボラが泳いでいるが、とても捕まらない。手榴弾でもあればと思うが、そんな気のきいたものは無い。部隊の周辺には草の根であれ、木の芽であれ、蛇やネズミまで口に入る物は皆無である。

 死因は栄養失調であった。長身の彼が骨と皮だけで胸だけが太い。

 肋骨の一本一本の間は谷の様にへこみ、足の関節だけが松の瘤の様に大きく、何とも説明の仕様もない状態だった。

 手術口は未だ治ってなく、肋骨一本が外に突き出ていた。その他我々も知らなかったが、背中に大きな傷とひどい床ずれの跡があり、全く正視出来ない状態だった。


 午前中、敵飛行機のすきを見て、一番上の墓に頭を北に向けて葬った。

 そして、その上に木を削って「故海軍二等飛行兵曹阿部冬之墓」と私が鉛筆の芯をなめながら書いた墓標を立て「骨は必ず拾いに来るぞ。」と約し、一同手を合わせて彼の冥福を祈った。

 兵舎の方は阿部が居なくなったので、墓地の下の方の小屋に移った。

 小屋の主は大津照さんという、四〇がらみの藪睨みの如何にも一癖ありそうな人物であった。

 彼は軍属で、話によると、横浜市六角橋の近くの八百屋で女房が長患いで入院中、女遊びを覚えグレ出した小博打打ちだと、自称していた。

 特にインチキ花札賭博は名人だと威張っていた。もし内地に帰れたら、温泉を廻ってインチキ賭博をやるのを楽しみにして居ると語った。

 そして又、「戦争に行って死んで呉れれば、親戚縁者にも申し訳が立つから是非死んできてくれ」と女房から頼まれた等と言っていたが、然し彼の部隊で生き残ったのは皮肉にも彼独りらしい。

 彼の部隊は設営隊で、ガ島飛行場の建設に当たっていたが、完成二日前の早朝、突然敵の艦砲射撃と飛行機の爆撃を受けた。

 丁度その時は朝食時であったので、ある者は食事半ばで、ある者は箸を持った儘で、ある者は褌一つの作業姿で、蜘蛛の子を散らす如くジャングルに逃げ込み、誰一人として敵に向かう者はいなかったそうである。


 然し、陸戦隊の人達は何とか飛行場を死守しようと努力していた様であるが、やがて自動火器を持った米軍の海兵隊が戦車に守られ、旅団単位の人数が上陸して来たので、百名前後の三八式歩兵銃だけの装備ではどうにもならず、ジャングルに引き上げたらしいとの事。

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≪ジャングルを進む陸戦隊=海軍作戦写真記録から≫

 

 ジャングルはターザンの映画で見る限り果物・木の実が沢山有り豊かそうに想像されるが、現実には全く反対で、剌の生えたブッシュや蔓草か繁茂し、中に入り込んだら、進む事も退く事も出来ず、方角も判らなくなり、太陽の光も入らず、海に落ちたより始末が悪いので、逃げ込んだ大部分の者はジャングル内で餓死したか、敵に投降して了ったかだ、とは照さんの話である。

 そして、彼は味方部隊に辿り着く迄、三十数日ジャングルを放浪して歩いたと言う。(続く)

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≪1942年8月ヘンダーソン飛行場周辺のアメリカ軍展開図:ウィキから≫

ガダルカナル戦記(一) (講談社文庫)

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2017-12-12 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(2)」


(承前)

 愛機は海中深く

 

 飛行機内は、火がどんどん拡がり、黒煙が胴体に充満し松平三整曹も永田、谷口両電信員も配置にいられず、私の後ろに集まって来た。

 前下方にいた羽根田上飛曹も上がって来た。今はこれまでと覚悟をしたことは記億にあるが、その後の意識が遠くなってしまった。

 「最後には自爆しなければならないのだ。」という決定的な「観念」が自働して操縦輪を突っ込ましたのであろう。

 海中深く突っ込んだ飛行機の、蜂の巣のような弾穴から海水か勢いよく迸って入って来た。無数の薄黄色い気泡が海面へと上がって行く。

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≪1式陸攻の操縦席≫


 飛行機が再び海面に上がった頃、私の意識はだんだんはっきりして来た。

 右タンクは尚燃え続けている。いつ爆発するかわからない。爆発したらガソリンをかぶり、皆焼け死んでしまう。私はすぐ「総員退去!」を命じた。

 左側にいた阿部飛長が微かな声を張り上げて「私はもう駄目です。飛行機と一緒にここに置いてください。」哀願するような眼付きだった。

 しかし、しめっぽい問答をしている一秒の余地もない。無理やりに首っ玉を捕まえて引きずり、海中へ放り出した。さぞ苦しかっただろう。


「まだ関口が居らん!」

 誰かの声に羽根田上飛詈が、猛火に包まれている胴体内に行き、関口を抱えて来た。

 彼は顔に血しぶきを浴び蒼白だった。だいぶ重体のようだ。

 総員退去して約十米も離れた頃、鈍い爆発音と共に、愛機三七三号はルンガ岬海中深く没してしまった。「愛機よさらば!」誰の気持ちも同じだったろう。


 阿部は腹部を撃ち抜かれながらも、毎月触れていた愛機の最後を振り返り見ながら、菅谷飛曹長に引かれ離れて行った。

 羽根田上飛曹に引かれて行った関口飛長は、向こうずねに敵弾を受け、水を切る度に皮だけしかついていない足先が、船のスクリューの如く波にもまれてまわり、盛んに激痛を訴えている。

 ガ島はまだまだ遠い。海中に背伸びして、かすかに椰子の梢がぼんやり認められるくらいだった。

 あたりは砲煙のため太陽の光線か遮られ、夕暮れ時のようだった。あちこちに船が盛んに燃えている。船首を垂直に立てて沈んで行くものもあった。

 敵駆逐艦が忙しそうに海面を駆け巡っている。沈没船の救助作業であろう。時々残弾が静寂を破って、薄く気味悪く響く。

  

捕虜にはならぬ

 我々八名は、ガ島の目標に向かってお互いに助け合いながら一心に泳いだ。正に一難去ってまた一難。敵駆逐艦の一隻が、まっしぐらに我々の方に向かって来るではないか。   

 艦橋が見え、水兵まで見えるようになった。

「しまった!捕虜になるぞ!」

 我々はどんな事があっても捕虜だけには絶対ならない。母の困惑した顔が浮かぶ。

 また、最近モレスビーで自爆した捕虜搭乗員の事が浮かんで来る。

 

 彼らは去るフィリピン作戦で不運にも敵弾のため不時着し捕虜となったが、破竹の勢いで進撃を続ける陸軍に救出されて、原隊のラバウルに送り返された。

 しかし司令部では一旦捕虜なった者は、どうしても部下として、再び認めてはくれなかった。当該、福田分隊長の一身を犠牲にしての願いも聞き入れられなかった。

 彼ら一行七名は部隊全員白眼視の中に、兵舎の片隅で生ける屍の如き生活をしていた。

 そして時々、極めて危険な任務が課せられたが、いつも不思議に命拾いをして還って来た。 然し、遂に決定的な最後の命令が出た。『モレスビー攻撃後自爆せよ。』

 彼らは誰一人見送りのない飛行場を単機で飛び立って行った。

「○時○分、我モレスビーを爆撃す。只今より自爆す。天皇陛下万歳!」を最後に無線連絡が絶えた。


 私もどんな事があっても、捕虜にはなるまいと思い、考えても考えてもどうする事も出来なかった。

 私より数百米先にも、七〇七空の一機が浮いていて、搭乗員はゴムイカダで一旦退去した筈だったが、駆逐艦の接近により、また飛行機に戻って行き、機長より順々に上部七・七ミリ機銃の銃口に頭を当て、一人ひとり自決してゆくのが見える。多分、天野機であったと思う。


 駆逐艦は益々近づいて来る。拳銃を燃えた飛行機と共に沈めてしまった我々は、ただもがくだけであった。思いっきり海水を飲んでみた。舌をかんで死のうと試みた。しかし「やっと助かった」と思う生への執着はこんな事で解決はつかなかった。我々八名は一か所に集結し、ただ神に祈るのみであった。

 次の瞬間、運命の神は、我々に幸いをもたらしてくれた。

 水兵の駆け回るのが判るほど接近した駆逐艦は浮いている七〇七空の飛行機を砲撃し、これを沈没させると一八〇度方向を変換して、もと来た路を帰って行った。我々のこの時の喜びはたとえようもなかった。

  

グラマンの後はフカの出現

 八名は再生の勢いを得て、また泳ぎ出した。然し、まだ虎穴を脱したわけにはゆかぬ。上空には、まだ数機のグラマンが遊弋している。時々機首を突っ込んで来ては、我々に向かって銃撃を加えて行った。

 再び私は散開を命じた。元気な者はライフジャケットを捨て、水中をもぐって難を逃れていた。不自由な海中で遮蔽物一つない所、銃撃は譬えようなく薄気味悪い。

 幸い銃撃のためには一人も致命傷を受ける者はなかったが、苦手なアイスキャンディの洗礼は真っ黒いスコール雲が我々を包んでくれる迄、約二〜三〇分続いた。

 敵影一つ見えないスコールの中で始めて「助かった!」

 喜びが胸の奥からこみ上げて来て、自然と軍歌でも口ずさみたいような衝動にかられ、空腹感、疲労感が一度に襲って来た。


「盲亀の浮木」というか一間ほどの流木を拾って一休みしている時だった。

 目前二〜三〇米に長い波の尾を引きながら、こちらに向かってくるものがある。

「フカだ!」あっちにもこっちにもいる。人肉に飢えたルンガのフカの大群である。

 マーシャルにいた頃、一水兵が水泳中、脚をフカにもぎ取られた生々しい記憶が思い出されてギョッとする。

 全員再び集桔を命じた。関口飛長は、一段と鋭い声で傷の痛みを訴える。「殺してくれ!殺してくれ!」

 羽根田上飛曹は一心に叱ったり、なだめたりして引っ張って来た。集まった数名で一直線になり拾った棒切れで防ぎながら泳いだ。

 近くまでガブリガブリやって来たが、この時も足をもぎ取られた者もなく無事に済んだ事は全くの奇跡だ。

 

陸軍のカユ食に涙

 その後は順調に潮流に乗り、夕闇がガ島の島々に迫る頃、やっとガ島の陸岸が認められる距離に到達した頃は我々は精根尽き果てていた。左前方では陸軍の銃声が盛んに聞こえる。

 我々八名が無事に味方の陸軍陣地に、はい上がった時は、もう夜は更けていた。

 長い間苦しみ抜いて来た関口飛長は、陸に上がって安心したためか急に容態が悪化した。

 野戦病院を探し回っている柵子林の中で、菅谷飛曹長・羽根田上飛曹二人の腕に抱かれながら、「敵の船は沈みましたか」と何度も聞く。

「沈んだから安心しろ」と言うと、さも満足しきったような顔をして間もなく静かに息絶えた。

 今まで苦痛にゆがんだ顔には、かすかな微笑さえたたえているような静かな顔だった。

 背中に三発と足と顔の弾痕が彼の命を奪ってしまったのだ。

 彼は今、ガ島の野辺に咲く一輪の名も無き真白き花として、永遠にその芳香を放っていることであろう。

 約半里くらいの野戦病院で阿部飛長の応急手当をしてから、陸軍部隊の心からの饗宴を受けた。一人当たり、カユ食茶飲み茶碗八分目くらいだったが、昼間の雷撃を目前で見た陸軍の人々は、マラリヤと栄養失調で骨と皮だけの手で米袋の底をはたき、二粒・三粒づつ集めて炊いてくれた。

 貧者の一灯は心の底に沁みとおり、有難涙にしばしのどを通らなかった。


日米艦隊の夜戦

 今夜は十時を期して、第二艦隊「比叡」「霧島」を主力とする日本艦隊が、ガ島飛行場を砲撃する事になっていた。第一回は三十六糎の巨砲で、敵に言語に絶する打撃を与え大成功を収めたが、今夜は第二回目だった。ひたすら成功を祈る我々の心を、敵夜間哨戒機の往来が無闇に苛立たせた。

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≪ガ島夜間砲撃に向かうわが戦艦群=大東亜戦争海軍作戦写真記録:大本営海軍部報道部から≫

 十時を余程過ぎた頃だったと思う。

「ズズーン、ズズーン」という巨砲の音に「それ砲撃が始まった。」と海岸に出る。

 然し、我々の期待は裏切られて物凄い夜戦になっていた。敵に味方の行動を察知されたのか、敵味方、合計、約三十隻前後ぐらいだったか、丁度、運動会の騎馬戦のように入り乱れて、もつれた糸の如く飛び交う砲弾の火箭は実に物凄かった。

 晴天に沖する火柱が立つたかと思うと、ガ島の島々をグラグラと動揺し轟沈していった。

 艦は多分、敵戦艦だったろうか、篭マストの吹っ飛ぶ如くに見えた。

 夜戦はツラギ方面よりサボ島の方に移り、中々止みそうもないが、火箭はだんだん少なくなっていったのは、敵味方の消耗の激しさを物語っている。

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≪第3次ソロモン海戦=同上から≫

 翌十三日、我々は眠い眼をこすり乍ら未明に起き、椰子の実の朝食をとる。

 いつまでも陸軍に頼るわけにはゆかず、我々で見つけ、椰子リンゴと椰子水を食べた。

 海上には舵機か機関の故障か、味方駆逐艦一隻、敵乙巡一隻、駆逐艦一隻が勦けないでいた。

 私が椰子リンゴをかぶりついていた時、敵乙巡が味方駆逐艦に第一斉射を放った。水柱が四、五本上がる。

「遠の三〇〇米」。第二斉射「近の一〇〇米」。味方駆逐艦からは、一向に応戦がない。

 第三斉射命中、遂に船尾より真っ逆さまに姿を消した。(続く)

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