軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2017-12-14 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(4)」

(承前)

潜水艦に便乗しショートランドヘ

 この間も敵に投降した者から「投降すればご飯も食える。煙草もある。羊羹もある」と誘われたが、投降すれば戦車で轢き殺されるとの墫もあるので、その誘いには乗らなかった。そして樹の皮を食い、トカゲ肉をしゃぶりながら生きてきたと照さんは語った。

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≪海軍設営隊の作業風景=海軍作戦写真記録?から≫

  


 阿部を埋葬した夜だった。三井参謀より二十六〜七日頃、味方の潜水艦が西方約二十数里のカミンボに連絡のため浮上し、参謀はじめ「大和」観測員の一部が帰る事になったので、搭乗員は便乗出来るかもしれないとの朗報を得た。

 然し、先程の駆逐艦の時の例もあるので、先走って皆に知らせてがっかりさせてはと思い、密かに三井参謀と話を進めている中に、何とか便乗出来そうになった。

 然し、潜水艦の浮上予定日迄、時間か無いので、取りあえず移動準備をし、本部の皆さんや阿部が世話になった軍医長にお礼を言って出発した。

 照さんや他の者達は羨ましそうな笑顔で「ラバウルに帰ったら、又、攻撃に来て呉れ」と云って、我々を送ってくれた。 

 出発間際に、第一小隊三番機の島崎兵曹の三名と合同することが出来た。

 三番機は敵艦に突撃中に、主操縦員の岡宮兵曹が機銃弾で即死。

 又、通信の梅沢、板野兵曹、搭乗整備の設楽兵曹も戦死したとの事だった。

 吉田は口を貫通され、口が裂け歯が全部もぎ取られ包帯で顔を巻いていて何も食べられぬ状態だった。もっとも食べる物も無かったが…。  


 三井参謀他、「大和」観測隊員は、陸軍の大発で海路をカミンボに行くが、全部乗れないので負傷兵のみ大発の便乗を頼み、私と残りの者は陸路移動する事にした。

 然し、陸路であれ、海路でも常に敵哨戒機が飛んでいるので、昼の行動は無理で夜間しか行動は出来ない。潜水艦の浮上予定日が迫って来るので強行軍の連続であった。

 二十七日早朝、徒歩部隊カミンボ着。海路移動部隊は先に着いていたので、我々のために食事を用意していて呉れた。

 ここは食料も比較的あったので、久し振りに腹一杯食べることが出来た。二十八日夜、やっと潜水艦が浮上する事になった。

 昼頃山手で二発の銃声がした。

 敵襲!早速陸戦隊が配備について、我々にも配備についてくれと言われ、数丁の小銃を持たされた。

 間もなく斥候が帰り、ゲリラである事が判り、芋掘りに出た兵隊が狙撃され負傷したとか。

海岸で潜水艦の浮上を待っていた。

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≪当時ソロモン海域で活動していたと思われるわが潜水艦=武器・兵器でわかる太平洋戦争:日本文芸社刊から≫

 潜水艦は、昼の中に潜航して来て、海底に鎮座していて、夜になって浮上するので、それを待っているわけである。陸海軍の参謀達が、時計を見ながら注視している。

 やがて、小山の様な真っ黒い潜水艦が浮上したので、大発に乗り込んで陸を離れ、潜水艦に近づいたが、潜水艦には舷梯が無く、足場になる所は半円の穴だけ。

 当直将校が「何名か」と叫ぶので「三十二名」だと答えると「何だ話が違うぞ」と不審な顔で、降ろされるかと言う不安で一瞬ドキッとするが、「まあよい、急げ、急げ。」と促されてホットする。

 艦には青のりが張っていて、滑って中々上がれない。

 最後に私が乗ろうとした時、突然「空襲!空襲!」「急速潜航!」の号令がかかったので、夢中でハッチに頭から飛び込んでホットする。


 艦内は電灯が赤々として猛烈に暑い。先刻まで荷揚げ作業をしていた軍医長が、汗びっしょりになって我々の建康状態を聞きに来て呉れた。

 室内はクリーム色でカーテンの仕切りがあり、フランス人形、田園風景の絵がかかっていて、我々の乞食のような風体とは全く不調和であった。

 従兵が氷入りレモンジュースと鰻の胆入り缶を運んできた。 


 調子の良いエンジンの響き、艦は静かに潜航、ショートランドに向かっていた。

 翌日も潜航したまま二ノット位で航行していた。

 潜水艦の兵隊は、皆ぶくぶく青白く肥っていた。一度出撃すれば三ヶ月は太陽を拝めないという。その代わり夜の眼は、海上に浮かぶ木の葉までも認められるという。正に訓練の効果である。

 我々飛行隊が対潛哨戒に苦労するのも当たり前の事である。母港に帰り太陽を見ると、暫くの間は色メガネでも掛けないといられないそうである。


 三十日午後、ショートランド港に入港して退艦する。

 第六根拠地隊司令部に顔を出し、横浜航空隊に仮入隊した。一安心したせいであろう、この頃からガ島で感染したマラリヤが発病し始め、何人かは四十度以上の高熱に冒された。

 私も何時までも死んだ陸軍中尉の服を来ているわけにも行かず、羽根田兵曹の飛行服を借り、横空飛行隊長とラバウル行きの飛行便の交渉をした。

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≪ソロモン海域を飛ぶ97式大艇=海軍作戦写真集?から≫

 十二月一日、ラバウル要務飛行の九七大艇に便乗することが出来た。

 初めて乗る飛行艇は大した飛行機だ。振動も多く、乗り心地は誠に悪いし馬鹿でかいだけだ。

 離水の勇ましい事。レバーを出したり引っ込めたり……。然し、お陰で無事ラバウル港に着水出来た。早速、司令部に報告に行く。

 司令官自ら参謀を従えて出てこられた。ガ島の詳細の報告を済ませた後、ビールで生還祝いをして戴いた。幸いな事に航空参謀の中西二一中佐(兵五七)は私の前任地、二十二航空戦隊時代の飛行隊長で重慶・成都・蘭州の攻撃を共にした人であった。

 

ラバウルで廃材の1式陸攻を整備して帰国準備 

 ラバウル「山の上の飛行場」には千歳空の者は誰もいなかった。我々の攻撃が最後で、之が全滅したので部隊再編成の為、北海道の千歳基地に移動していた。

 そして我々の報告を聞いてくれる者も、戦死した者達の功績を称えてくれる者も、暖かい手で迎えてくれる者もいなかった。我々の私物も、戦死者の物という事で全部整理され、何一つ残っていなかった。

 ラバウルに帰って暫くすると、全員マラリアが発病した。私も四十度以上の高熱の日が続いた。キニーネの副作用か、度々夢うつつの幻覚症状に悩まされた――。

 ―――敵と塹壕で対陣している時だった。直ぐ眼の前に真っ黄色に熟したパパイヤが下がっている。谷口の様だったが、それを取りに行くという。

 私が、狙撃兵が狙っているから止めろ!としきりに怒鳴ったが、到々彼は塹壕から飛び出し、パパイヤに手が届いた途端、バーンと一発の銃声がして、彼はパパイヤの木から崩れ落ちた。丁度第一次世界大戦の「西部戦線異常なし」の小説の様だった。

 長い陰鬱な塹壕戦線に美しい蝶が飛釆したので、それを捕らえ様と手を伸ばした瞬間、狙撃兵に射殺されたのと同じ話の幻覚であった―――。

 ガダルカナルでの、食物に対する執着が未だ消えていないのだ。


 中西参謀からの連絡があった。航空便で内地に帰る事は見通しがつかない。さりとて、病院船も駆逐艦も今の処予定がないので、飛行場に廃棄処分になった一式陸攻が沢山ある。それを飛べる様に整備して、それで帰る様にと。

 其の為、整備員を十数名派遣するとの事であった。

 早速、程度の良さそうなものを見つけ、エンジンを交換したり翼を付け替えたりの作業が始まったが、この頃、私もマラリアの発熱がひどくあまり記憶がなかった。多分二〜三週間かかったかも知れない。

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≪それまでのラバウルにおける航空機整備等=同上から≫

 


富士山の白い頂き

 マラリアも大分治まった頃、飛行機も出来上がったので試飛行をやり調子も上々だった。然し、廃棄処分された飛行機なので、機銃・電信機は勿論、航法兵器も何もない。コンパスの磁差すら分からない。

 偵察の羽根田兵曹に「之で内地まで飛べる自信はあるか。」と聞いた処「日本の国は東西に長い、北を向いて飛べばいつか日本列島に突き当たる。行きましよう」との返事。

 流石、四艦隊麾下で内南洋を飛び廻ったベテラン偵察員だ。トラック諸島は島が多いので、先ずトラックに向け進路をとり、到着した島でコンパスの誤差を逆算して求め、サイパン経由で千歳基地に行く事にした。

 

 全行程三千浬近い。一気に常夏の国から雪の国、北海道行きである。我々の服装は、ボロボロになった防暑服、半ズボン、草履ばきで、髪はぼうぼうの乞食姿である。

 八丈島付近に来た頃だった。富士山の白い頂きが雲の上に見えた時は、感無量というか、涙が流れて止まらなかった。

 日本の冬は寒い。三千米上空では、零下十数度。何とも我慢が出来ないので、木更津基地に降りて防寒対策を整えることにした。

 焼け跡の残ったオンボロ飛行機より、乞食姿の搭乗員が下りてきたので、木更津の隊員が異様な眼で我々を見ていた。

 私は海軍中尉の意識があったが、誰も敬礼などしてくれる者がない。浮浪者が迷い込んだ位にしか見ていないのだ。


原隊の千歳基地に着陸、涙の報告

 当直将校に事情を説明して、毛布各自一枚づつを借用して、再度千歳基地に向け出発した。千歳到看予定時の電報もお願いした。

 三陸海岸を飛ぶと津軽海峡は吹雪であった。通常ならば必ず引き返す様な悪い天候だった。然し、一刻も早く懐かしい戦友の待っている原隊に帰りたいの一心で、吹雪に突っ込んだ。間もなく、前面の風防ガラスが、雪の為、視界がなくなった。


 翼の前縁に雪が積り回転数も落ちる。横の窓を開き、横目で前方をチラチラ見ながら翔ぶうちに、やがて北海道が見え、懐かしい飛行場の滑走路が見えて来た。

 着陸予定時間を通知しておったので、格納庫前に司令以下三五〇〇名の隊員が整列し出迎えて呉れていた。

 私は司令への報告事項を前以って心の準備をしていたが、司令の前に整列した時は感無量と言うか、涙がとめどなく流れて言葉が詰まってしまった。

 司令は優しく「報告は後刻ゆっくり聞く、先ず病院に行って手当てをする様に。」との事だったので、隊員に助けられながら病室に行った。


 この記録の後半は、その療養中に病室にて思い出しながら書いたものである。

 七〇三空最後の攻鑿隊の搭乗員六十四名中、この機で帰った者は、私と菅谷飛曹長、羽根田上飛曹、島崎上飛曹、松平三整曹、永田飛長(操縦)、谷口飛長(電信)、吉田飛長の九名であった。

 

あとがき

 私はその後、幾多の航空戦に幸運にも生き残り、無事復員することが出来た。そして今、彼らの三倍以上の歳月を生き永らえて、平和で豊かな幸せな生活を満喫しているが、一時も彼らの事が心から離れた事がない。

 

 よく、歴史は勝者が作るものだと言う。そして、常に勝者の立場が正当化され、敗者の反論は許されない。

 占領軍であるアメリカの指導の下に作られた新しい日本の社会は、この様に国の為に死んで行った同胞をも、軍国主義者だと極めつけている面もあるが、今日の日本の繁栄は、この人達の尊い犠牲の上に築かれたものである事を確信し、この項を終わる。

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≪福地大尉の雄姿=前列左から二人目の飛行服姿=1001空戦友会誌から≫

補足

 これは福地大尉とクルーが、昭和17年11月12日に、ラバウルを出発して撃墜され、ガダルカナル島に漂着。その後、11月14日に海軍設営隊に移動、17日夜半に駆逐艦が入港するも、乗船を断念。25日に阿部飛行兵曹を埋葬、27日カミンボに移動、28日夜、潜水艦に便乗して、30日午後にショートランド港に入港。

 十二月一日には、ラバウル要務飛行の九七大艇に便乗し、ラバウルに生還するも“もぬけの殻”、現地で廃材の1式陸攻を整備することとなる。

 その間マラリアが再発(2〜3週間か)し記憶は定かではないが、組み立てた1式陸攻に乗って飛び立ち、八丈島、木更津を経て、千歳基地に帰還するまでの、約一か月間の経験を記録したものである。下の大東亜戦争海軍作戦経過一覧表を参照。

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≪これは「自昭和17年4月20日〜至昭和18年4月15日」として、5ページ半掲載されている表の一部だが、福地大尉の攻撃記録は11・12日の一項目のみに適用される。

しかしこれから12月1日にラバウルに戻るまでに、ソロモン海戦(第3次)、ルンガ沖夜戦が起きているから、この一覧表に書かれていないような、凄惨な状況が地上・海上では繰り広げられていたのである。公式に記録されていない多くの将兵が戦死していった事実を忘れてはなるまい。往々にして戦史は人間の生き様を無視するからである≫

ここで私と福地大尉の出会いを書いておこう。

 福地大尉は栃木県出身の第五期海軍予備学生で、同期生二十名が入隊したのは、昭和十三年四月二日だったというから私が樺太で生まれる一年前のことである。

 福地氏が海軍を志願した理由は実に単純で、「泥臭い陸軍よりスマートな海軍にあこがれた」からだと言う。

「一〇〇一空戦友会報」に掲載されていた氏の手記『私が歩んだ道』には、

〈当時の社会環境は、一九二九年(昭和四年)以来の世界的大不況の流れの中で、日本国の豊かな現在では、想像も出来ないほどの惨憺たる状態であった。

 私は、農学部であったので、学生時代に東北六県の農村調査をした事があったが、当時の東北地方の農家の負債総額は、約百億円ぐらいあったと記憶している。

 当時の国家予算が約六十億円位だったので、現在と比較すれば、本年度予算(平成十四年度?)が七一兆円であるから、東北六県の負債は、現在で見れば優に一二〇兆円という莫大なものであった。

 この様な惨状だったので、子供の間引きで口減らしをしたり、娘を芸者や女郎に売る事が、半ば公然と行われた時代であった。

 又、都会に於いては、至るところにルンペンと称する失業者が巷に溢れ「大学は出たけれど」等の流行歌が歌われたのも、政治の改革により改善を図らねばと若い将校による所謂、五・一五事件二・二六事件などが起きたのも、その頃の出来事であった。

 そして、これ等の不況を何とか克服する為に、かって日清、日露戦争で国民の血をもって獲得した満州・中国の権益を守る目的で大陸に軍隊を派遣していたが、一方、欧米各国も同様で、自国の利益の為に米国は中部支那を、英国は、香港を中心とした南支那を、又、ソ連はソ満国境に強力な極東軍を配備して、その南下を阻止しようとした日本軍との間にノモンハン事件を始め紛争の絶える事がなかった時代であった(一部加筆)〉

と記されている。


 私が福地大尉と御縁を得たのは、平成7年10月17日に松島基地研修で来られたことで、それ以降、戦友会の事務局長・宇田川駒次郎氏から私には毎回「一〇〇一空戦友会会報」が届けられ、生々しい実戦の様子を学ぶ機会を得たからであった。

 ここに掲載したのはその中の一記録に過ぎない。

 会報は退官後も変わらず送られてきていたが、平成十四年の会報で福地会長の逝去を知った。


 戦後の日本は、このような凄惨な体験をされた方々に感謝することもなく、靖国神社に首相たるものが誰に気兼ねしてか、参拝もしない体たらく。

 この恐るべき人間性の欠如と、先輩方を敬う精神の消滅は、歴史と伝統ある日本国の行く末を暗示しているようで寒心に堪えない。

七五年前、国難に際して、かかる軍人たちがいたことを若い人たちに知ってもらいたく、掲載することにした。

 福地大尉は、戦場で逝った部下たちと今頃“談笑”しておられることであろうと思う。

 心から哀悼の誠をささげたい。合掌

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

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ジェットパイロットが体験した超科学現象

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2017-12-13 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(3)」


(承前)

野戦病院の悲惨

 朝食後、我々は阿部飛長のその後の容態を野戦病院に尋ねて行った。

 半里(注:約2キロ)近くの野戦病院までのジャングルの道で、第一線より病院に後退して行く陸軍の兵にたくさん会った。何れもマラリヤと栄養失調。

 骸骨の如く痩せ衰え、一本の棒に体を支えトボトボと歩いて行く。椰子を一個やったらかぶりついて食べた。「有難う」の声もかすかで聞き取れない。

 道端にはこうした病院まで行けず、精根尽きて行き倒れになった死骸が沢山転がっている。 腹は樽のようにふくれ、顔には無数の蠅がたかっている。


 病院とは名ばかりで、崖の所の大木の木陰に一〜二個くらいの横穴を堀り、ここに薬品・器具を置き、数百名の傷病兵は、周囲のひときわ繁ったジャングルの中に寝ているだけであった。

 軍医は元気な見習士官だった。阿部飛長のお礼とその後の容態を聞く。

 このままでは到底助からない。切開をする事になった。


 元気な軍医と私は同県出身でしかも、私が栃木中学出なのに彼は隣町の佐野中学出身であったのでよく話が合った。彼は私に乾麺包一袋くれた。

 切開するまで、まだ少々時間があるので腰を下ろして休んだ。力ない病兵が、また一人着いて診察を受けた。

「お前は〇〇病だ。お前の命はあと十日だ。向こうで休んでおれ、手当ては無用。」


 渾身の力で辿り着いた病院の宣告で、彼は空ろな眼つきに多少の動揺を漂わせて私達の休んでいる方にやって来て腰を下ろした。

「海軍の方ですか。貴方がたはまた飛行機をとりに内地に帰るんでしょう。私の命はただ今お聞きした通りです。私の叔父が東京の本郷にいますから、この時計を形見に届けてもらいたい」と頼まれた。

 聞くと彼も東京帝大の工科出身インテリ兵だった。私も帰れる目算がなかったので彼の願いを断った。


 辺りは無数に転がっている腐乱死体の異臭とこれを慕って来る数限りない蠅には閉口した。 スコールがあるたびに、これらの人々は約三〜四十名くらい死んでゆくそうだが、手不足のため、そのままにしてあるとの話に、よく見ると寝ている兵の大部分が死んでいた。中には、手足が白骨になっているものもあった。

 私が乾麺包を食い始めた時である。

 後方の方からかすかな声で「中尉毆」と呼ぶ声がした。

 私は自分が戦死した陸軍中尉の服を着ている事を忘れ、しばし自分を呼んでいる事に気が付かなかった。やがて声の主は地を這いながら、私に近付いて来る。

「何だ、用事があるのか」

「ハイ、中尉殿が食っているカンメンボウの屑でもいいですから、なめさせて下さい」。

 彼に数個の乾麺包をやったら、両手を合わせて拝まれた。子供のような嬉しそうな表情だった。これを目撃した十数名の兵がまた這い出してきた。


 びろうな話だが、垂れ流しの異様な色と匂いのするズボンを引き摺りながら。うまいうまいと本当にうまそうに食った。

「死ぬ前にもう一回、東京のニギリズシが食いたいな!」東京出身らしい兵が云った。

 宮城前の広場で閲兵を受けた、あの威風堂々たる皇軍兵士の変わり果てた姿とは、どうしても想像出来ない。

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≪昭和の大観兵式=インターネットから≫


 また、傷病兵の一人が云う。

「横に寝て起き上がれなくなると二週間は生きられない。寝ても未だ顔にたかった蠅を手で追い払うことが出来るうちは、未だ一週間は寿命が有るが、追い払う事が出来なくなり、鼻の穴や口から蠅が出入りする様になると三日以内には死ぬ。そして翌日になると、蛆が這い出して来る。」

 この様な現象は判で押した様に誰でも同じそうである。

 阿部の仙台工専の先輩で、陸軍軍曹が居た。彼は「破傷風」にやられたとかで体全体が硬直状態になり、丸太ん棒の様に真直ぐに伸び、関節の曲がらない足でポックリポックリと歩いて居た。

 そして軍医に「どうしても前線に帰り、敵と戦いたい」と言い張って「そんな体では無理だ」と、軍医に殴られ、棒が倒れる様に直立したままドッと音を立てて倒れた。

 前線に帰り戦いたいとの激しい闘魂には深く感動した。さすが日本陸軍なる哉である。


 その他、肩から腕をもぎ取られ傷口より蛆がわいている軍医やマラリヤで青黒くなりあたかも印度兵と間違える様な者、アメーバ赤痢に罹り、骨と皮に痩せこけた兵隊、足の無い者、手首を失った者等々、その惨状は眼も当てられない。将にこの世の地獄であった。

「今朝は二十五個だ」と話す声がする。

 昨夜の中に独りで死んで行った人々の屍の数である。夜となく昼となく死ぬ。スコ−ルの後は特に多いという。宵の口に死んだ人は明け方には蛆がわくという。

 人間の強靭さと脆さと生命の儚さをつくづぐ感じさせられる。

 此処では毎日死んでいく人の死体を一個、二個と品物の様に数えるのである。

 もし之が内地であったなら。定めし大勢の肉親に見守られながら一嬉一憂されて死ねるだろうに……。

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≪壊滅した陽動部隊の住吉支隊(1942年10月24日、マタニカウ川河口)=ウィキから≫。


 阿部飛長の切開は始められた。私は主操縦、彼は副操縦の関係上、階級を離れ、兄弟の様な親しみがあった。

 麻酔薬一つない彼の腹部切開は、どうしても見るに忍びなかった。彼の苦痛を訴える悲鳴はだんだんウワゴトに変わっていった。

  

海軍部隊に移る

 海軍部隊に連絡を取りに行った菅谷飛曹長が帰って来た。その結果、明十四日に二〜三里後方の海軍部隊に移る事にした。

 阿部飛長を急造の担架に乗せて後方に退った。

 途中、川の辺で一休みしていた時だった。何処から飛んで来たのか、不意に敵の戦闘機の銃撃を食らった。

 ダダダ…ン、あたりに銃弾が飛び散る。我々は勿論すっとんで逃げたが、腹部切開をしたばかりで担架に縛りつけられたままの阿部飛長までが担架を背負った儘逃げたのには驚いた。

 まだ元気がある。この分では必ず助かると自信を深めた。


 この海軍部隊は、第十二設営隊であった。

 本部は藤づるの絡まる密林の中にあって、藤づるが網の様になっていて、太陽の光線か全く届かない不衛生極まりない所だが、敵飛行機を避けるには都合の良い場所だった。私は士官用のバラックに入った。

 そこには戦艦大和の観測隊と共に、飛行場砲撃の第二艦隊の三六糎砲の弾着を観測するために来た三井謙二参謀(兵五五)と特潜での攻撃に失敗して陸岸に乗り上げてしまった廣中尉と三人であったが、三井参謀はこの時、「学徒出身の士官を大量に養成する事が目下の急務で、生きて帰れたら必ず海軍省に出向いて強調したい」と言っていた。


 この十二設営隊も当初隊員が千五百名位だったそうだが、今は生存者が約1/3位しか残っておらず、その中、軽作業の出来る者は僅か二十名足らずとの事に誠に心細い限りである。

 そこで我々は、毎日椰子の実採りをやった。我々以外に椰子に上る様な元気な者がいなかったからである。特に猿の様に木登りの上手な谷口は得意中の得意であった。

 同じ海軍だったのでラバウルの原隊とすぐ連絡がとれ、帰還予定もすぐ手配し通告してくれた。

 連絡によると我々の雷撃隊で完全に基地に帰れた者は、その日ただ一機との事。私の中隊の二小隊長機だった。

 我々は食料を輸送して来た駆逐艦で帰る事になった。近くのクサファロング港が味方の補給港だったため、我々の宿舎からこの地方に対しての砲爆撃は言語に絶するものだった。

 さしものジャングルも、広大な椰子林も砲撃のため、殆ど真っ赤に枯れていた。私達は夜になると、毎日この港に来て砲弾の穴に身を隠し、駆逐艦の入港を待っていた。


駆逐艦は入港したが……

 十七日夜半だったと思う。敵の眼を逃れて、一隻の駆逐艦が入港した。

 帰還予定の傷病兵が、急にあちらの藪、こちらの穴から這い出して来た。百名、二百名、帰りたさの一心、最後の力を振り立たせ、一里も二里もの道のりをよろめきながら来た人々である。

 駆逐艦からカッターが降ろされ、食料、弾薬が陸珊けされたと同時に、一人で到底腰も立たない様な重病兵が一度に押し寄せる。

 この艦で帰らねば、爆撃と空腹と斗いながらガ島で、のたれ死ななければならない彼らなのである。

 もはや命令も統制も無い。

 地獄の底から這い上がろうとする無数の病人は、波にもまれながらカッターの舷側を握って離さない。このまま放置しておけばカッターは転覆してしまう。

 艇長は必死になって野球のバットの様な棍棒を振り上げて無茶苦茶に殴りつけた。そのたびに鈍い音を立てて、一人づつ海中に沈んで行く。

 やがて病人を満載したカッターの出た後には、最後の生きる望みを失った人たちが二〜三十人浮きつ沈みつ波間に消えて行く。

 我々は駆逐艦による帰還を断念した。

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ガダルカナル島への鼠輸送のため駆逐艦に乗り込む将兵=ウィキから:まさかこのような悲惨な撤退になるとはだれが想像できたろうか?≫

 


阿部飛長の最後

 こんな事をしている間に、阿部飛長の容態はだんだん悪化して行った。

 傷口よりは黄色い液が沢山出た。彼の顔も次第に血色が悪くなり、苦痛も訴えなくなった。 遺言を聞いても、ただ「済みません。家の者にも皆の多幸を祈ると伝えてくれ。」と言うだけで力の限り戦った者の満ちたりた顔つきであった。

 已の肉体の苦痛を忘れ、看病を感謝する美しい心だった。


 二十五日、例により早朝病室に行く。付き添いの永田は、連日の疲労で無心に眠りこけている。

「おーい、気分はどうだい」

 返事が無い。毛布をまくってみると、彼の体は硬直していた。

「阿部!阿部!死んでしまったのか、こんな不自由な生活でさぞ苦しかったろう。だが、最後までよく頑張ってくれた……」


 切開手術の時軍医より、弾は腸を避け肝臓をかすめて貫通しているので助かる確率か多い。 「よく手当てをされたい」との事だったので、皆で出来るだけの事はした積りだったが、食料だけはどうにもならなかった。

 隊からの配給は一日カユ少々だけ、阿部の栄養補給のため、野豚狩りを計画したが、ゲリラが危険であるといって止められ、椰子筍を食べさせたいと思って椰子の木を切り倒そうとしたら、椰子を切った者は死刑に処すとおどされた。

 椰子を切ると直接、飛行機の攻撃にさらされるので禁止されていたのを、新参者の我々は知らなかった。

 又、河にボラが泳いでいるが、とても捕まらない。手榴弾でもあればと思うが、そんな気のきいたものは無い。部隊の周辺には草の根であれ、木の芽であれ、蛇やネズミまで口に入る物は皆無である。

 死因は栄養失調であった。長身の彼が骨と皮だけで胸だけが太い。

 肋骨の一本一本の間は谷の様にへこみ、足の関節だけが松の瘤の様に大きく、何とも説明の仕様もない状態だった。

 手術口は未だ治ってなく、肋骨一本が外に突き出ていた。その他我々も知らなかったが、背中に大きな傷とひどい床ずれの跡があり、全く正視出来ない状態だった。


 午前中、敵飛行機のすきを見て、一番上の墓に頭を北に向けて葬った。

 そして、その上に木を削って「故海軍二等飛行兵曹阿部冬之墓」と私が鉛筆の芯をなめながら書いた墓標を立て「骨は必ず拾いに来るぞ。」と約し、一同手を合わせて彼の冥福を祈った。

 兵舎の方は阿部が居なくなったので、墓地の下の方の小屋に移った。

 小屋の主は大津照さんという、四〇がらみの藪睨みの如何にも一癖ありそうな人物であった。

 彼は軍属で、話によると、横浜市六角橋の近くの八百屋で女房が長患いで入院中、女遊びを覚えグレ出した小博打打ちだと、自称していた。

 特にインチキ花札賭博は名人だと威張っていた。もし内地に帰れたら、温泉を廻ってインチキ賭博をやるのを楽しみにして居ると語った。

 そして又、「戦争に行って死んで呉れれば、親戚縁者にも申し訳が立つから是非死んできてくれ」と女房から頼まれた等と言っていたが、然し彼の部隊で生き残ったのは皮肉にも彼独りらしい。

 彼の部隊は設営隊で、ガ島飛行場の建設に当たっていたが、完成二日前の早朝、突然敵の艦砲射撃と飛行機の爆撃を受けた。

 丁度その時は朝食時であったので、ある者は食事半ばで、ある者は箸を持った儘で、ある者は褌一つの作業姿で、蜘蛛の子を散らす如くジャングルに逃げ込み、誰一人として敵に向かう者はいなかったそうである。


 然し、陸戦隊の人達は何とか飛行場を死守しようと努力していた様であるが、やがて自動火器を持った米軍の海兵隊が戦車に守られ、旅団単位の人数が上陸して来たので、百名前後の三八式歩兵銃だけの装備ではどうにもならず、ジャングルに引き上げたらしいとの事。

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≪ジャングルを進む陸戦隊=海軍作戦写真記録から≫

 

 ジャングルはターザンの映画で見る限り果物・木の実が沢山有り豊かそうに想像されるが、現実には全く反対で、剌の生えたブッシュや蔓草か繁茂し、中に入り込んだら、進む事も退く事も出来ず、方角も判らなくなり、太陽の光も入らず、海に落ちたより始末が悪いので、逃げ込んだ大部分の者はジャングル内で餓死したか、敵に投降して了ったかだ、とは照さんの話である。

 そして、彼は味方部隊に辿り着く迄、三十数日ジャングルを放浪して歩いたと言う。(続く)

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≪1942年8月ヘンダーソン飛行場周辺のアメリカ軍展開図:ウィキから≫

ガダルカナル戦記(一) (講談社文庫)

ガダルカナル戦記(一) (講談社文庫)

ガダルカナル戦記(二) (講談社文庫)

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ガダルカナル戦記(四) (講談社文庫)

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2017-12-12 続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白

続・かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後(2)」


(承前)

 愛機は海中深く

 

 飛行機内は、火がどんどん拡がり、黒煙が胴体に充満し松平三整曹も永田、谷口両電信員も配置にいられず、私の後ろに集まって来た。

 前下方にいた羽根田上飛曹も上がって来た。今はこれまでと覚悟をしたことは記億にあるが、その後の意識が遠くなってしまった。

 「最後には自爆しなければならないのだ。」という決定的な「観念」が自働して操縦輪を突っ込ましたのであろう。

 海中深く突っ込んだ飛行機の、蜂の巣のような弾穴から海水か勢いよく迸って入って来た。無数の薄黄色い気泡が海面へと上がって行く。

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≪1式陸攻の操縦席≫


 飛行機が再び海面に上がった頃、私の意識はだんだんはっきりして来た。

 右タンクは尚燃え続けている。いつ爆発するかわからない。爆発したらガソリンをかぶり、皆焼け死んでしまう。私はすぐ「総員退去!」を命じた。

 左側にいた阿部飛長が微かな声を張り上げて「私はもう駄目です。飛行機と一緒にここに置いてください。」哀願するような眼付きだった。

 しかし、しめっぽい問答をしている一秒の余地もない。無理やりに首っ玉を捕まえて引きずり、海中へ放り出した。さぞ苦しかっただろう。


「まだ関口が居らん!」

 誰かの声に羽根田上飛詈が、猛火に包まれている胴体内に行き、関口を抱えて来た。

 彼は顔に血しぶきを浴び蒼白だった。だいぶ重体のようだ。

 総員退去して約十米も離れた頃、鈍い爆発音と共に、愛機三七三号はルンガ岬海中深く没してしまった。「愛機よさらば!」誰の気持ちも同じだったろう。


 阿部は腹部を撃ち抜かれながらも、毎月触れていた愛機の最後を振り返り見ながら、菅谷飛曹長に引かれ離れて行った。

 羽根田上飛曹に引かれて行った関口飛長は、向こうずねに敵弾を受け、水を切る度に皮だけしかついていない足先が、船のスクリューの如く波にもまれてまわり、盛んに激痛を訴えている。

 ガ島はまだまだ遠い。海中に背伸びして、かすかに椰子の梢がぼんやり認められるくらいだった。

 あたりは砲煙のため太陽の光線か遮られ、夕暮れ時のようだった。あちこちに船が盛んに燃えている。船首を垂直に立てて沈んで行くものもあった。

 敵駆逐艦が忙しそうに海面を駆け巡っている。沈没船の救助作業であろう。時々残弾が静寂を破って、薄く気味悪く響く。

  

捕虜にはならぬ

 我々八名は、ガ島の目標に向かってお互いに助け合いながら一心に泳いだ。正に一難去ってまた一難。敵駆逐艦の一隻が、まっしぐらに我々の方に向かって来るではないか。   

 艦橋が見え、水兵まで見えるようになった。

「しまった!捕虜になるぞ!」

 我々はどんな事があっても捕虜だけには絶対ならない。母の困惑した顔が浮かぶ。

 また、最近モレスビーで自爆した捕虜搭乗員の事が浮かんで来る。

 

 彼らは去るフィリピン作戦で不運にも敵弾のため不時着し捕虜となったが、破竹の勢いで進撃を続ける陸軍に救出されて、原隊のラバウルに送り返された。

 しかし司令部では一旦捕虜なった者は、どうしても部下として、再び認めてはくれなかった。当該、福田分隊長の一身を犠牲にしての願いも聞き入れられなかった。

 彼ら一行七名は部隊全員白眼視の中に、兵舎の片隅で生ける屍の如き生活をしていた。

 そして時々、極めて危険な任務が課せられたが、いつも不思議に命拾いをして還って来た。 然し、遂に決定的な最後の命令が出た。『モレスビー攻撃後自爆せよ。』

 彼らは誰一人見送りのない飛行場を単機で飛び立って行った。

「○時○分、我モレスビーを爆撃す。只今より自爆す。天皇陛下万歳!」を最後に無線連絡が絶えた。


 私もどんな事があっても、捕虜にはなるまいと思い、考えても考えてもどうする事も出来なかった。

 私より数百米先にも、七〇七空の一機が浮いていて、搭乗員はゴムイカダで一旦退去した筈だったが、駆逐艦の接近により、また飛行機に戻って行き、機長より順々に上部七・七ミリ機銃の銃口に頭を当て、一人ひとり自決してゆくのが見える。多分、天野機であったと思う。


 駆逐艦は益々近づいて来る。拳銃を燃えた飛行機と共に沈めてしまった我々は、ただもがくだけであった。思いっきり海水を飲んでみた。舌をかんで死のうと試みた。しかし「やっと助かった」と思う生への執着はこんな事で解決はつかなかった。我々八名は一か所に集結し、ただ神に祈るのみであった。

 次の瞬間、運命の神は、我々に幸いをもたらしてくれた。

 水兵の駆け回るのが判るほど接近した駆逐艦は浮いている七〇七空の飛行機を砲撃し、これを沈没させると一八〇度方向を変換して、もと来た路を帰って行った。我々のこの時の喜びはたとえようもなかった。

  

グラマンの後はフカの出現

 八名は再生の勢いを得て、また泳ぎ出した。然し、まだ虎穴を脱したわけにはゆかぬ。上空には、まだ数機のグラマンが遊弋している。時々機首を突っ込んで来ては、我々に向かって銃撃を加えて行った。

 再び私は散開を命じた。元気な者はライフジャケットを捨て、水中をもぐって難を逃れていた。不自由な海中で遮蔽物一つない所、銃撃は譬えようなく薄気味悪い。

 幸い銃撃のためには一人も致命傷を受ける者はなかったが、苦手なアイスキャンディの洗礼は真っ黒いスコール雲が我々を包んでくれる迄、約二〜三〇分続いた。

 敵影一つ見えないスコールの中で始めて「助かった!」

 喜びが胸の奥からこみ上げて来て、自然と軍歌でも口ずさみたいような衝動にかられ、空腹感、疲労感が一度に襲って来た。


「盲亀の浮木」というか一間ほどの流木を拾って一休みしている時だった。

 目前二〜三〇米に長い波の尾を引きながら、こちらに向かってくるものがある。

「フカだ!」あっちにもこっちにもいる。人肉に飢えたルンガのフカの大群である。

 マーシャルにいた頃、一水兵が水泳中、脚をフカにもぎ取られた生々しい記憶が思い出されてギョッとする。

 全員再び集桔を命じた。関口飛長は、一段と鋭い声で傷の痛みを訴える。「殺してくれ!殺してくれ!」

 羽根田上飛曹は一心に叱ったり、なだめたりして引っ張って来た。集まった数名で一直線になり拾った棒切れで防ぎながら泳いだ。

 近くまでガブリガブリやって来たが、この時も足をもぎ取られた者もなく無事に済んだ事は全くの奇跡だ。

 

陸軍のカユ食に涙

 その後は順調に潮流に乗り、夕闇がガ島の島々に迫る頃、やっとガ島の陸岸が認められる距離に到達した頃は我々は精根尽き果てていた。左前方では陸軍の銃声が盛んに聞こえる。

 我々八名が無事に味方の陸軍陣地に、はい上がった時は、もう夜は更けていた。

 長い間苦しみ抜いて来た関口飛長は、陸に上がって安心したためか急に容態が悪化した。

 野戦病院を探し回っている柵子林の中で、菅谷飛曹長・羽根田上飛曹二人の腕に抱かれながら、「敵の船は沈みましたか」と何度も聞く。

「沈んだから安心しろ」と言うと、さも満足しきったような顔をして間もなく静かに息絶えた。

 今まで苦痛にゆがんだ顔には、かすかな微笑さえたたえているような静かな顔だった。

 背中に三発と足と顔の弾痕が彼の命を奪ってしまったのだ。

 彼は今、ガ島の野辺に咲く一輪の名も無き真白き花として、永遠にその芳香を放っていることであろう。

 約半里くらいの野戦病院で阿部飛長の応急手当をしてから、陸軍部隊の心からの饗宴を受けた。一人当たり、カユ食茶飲み茶碗八分目くらいだったが、昼間の雷撃を目前で見た陸軍の人々は、マラリヤと栄養失調で骨と皮だけの手で米袋の底をはたき、二粒・三粒づつ集めて炊いてくれた。

 貧者の一灯は心の底に沁みとおり、有難涙にしばしのどを通らなかった。


日米艦隊の夜戦

 今夜は十時を期して、第二艦隊「比叡」「霧島」を主力とする日本艦隊が、ガ島飛行場を砲撃する事になっていた。第一回は三十六糎の巨砲で、敵に言語に絶する打撃を与え大成功を収めたが、今夜は第二回目だった。ひたすら成功を祈る我々の心を、敵夜間哨戒機の往来が無闇に苛立たせた。

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≪ガ島夜間砲撃に向かうわが戦艦群=大東亜戦争海軍作戦写真記録:大本営海軍部報道部から≫

 十時を余程過ぎた頃だったと思う。

「ズズーン、ズズーン」という巨砲の音に「それ砲撃が始まった。」と海岸に出る。

 然し、我々の期待は裏切られて物凄い夜戦になっていた。敵に味方の行動を察知されたのか、敵味方、合計、約三十隻前後ぐらいだったか、丁度、運動会の騎馬戦のように入り乱れて、もつれた糸の如く飛び交う砲弾の火箭は実に物凄かった。

 晴天に沖する火柱が立つたかと思うと、ガ島の島々をグラグラと動揺し轟沈していった。

 艦は多分、敵戦艦だったろうか、篭マストの吹っ飛ぶ如くに見えた。

 夜戦はツラギ方面よりサボ島の方に移り、中々止みそうもないが、火箭はだんだん少なくなっていったのは、敵味方の消耗の激しさを物語っている。

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≪第3次ソロモン海戦=同上から≫

 翌十三日、我々は眠い眼をこすり乍ら未明に起き、椰子の実の朝食をとる。

 いつまでも陸軍に頼るわけにはゆかず、我々で見つけ、椰子リンゴと椰子水を食べた。

 海上には舵機か機関の故障か、味方駆逐艦一隻、敵乙巡一隻、駆逐艦一隻が勦けないでいた。

 私が椰子リンゴをかぶりついていた時、敵乙巡が味方駆逐艦に第一斉射を放った。水柱が四、五本上がる。

「遠の三〇〇米」。第二斉射「近の一〇〇米」。味方駆逐艦からは、一向に応戦がない。

 第三斉射命中、遂に船尾より真っ逆さまに姿を消した。(続く)

近衛文麿とルーズヴェルト―大東亜戦争の真実

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大東亜戦争の真実―東條英機宣誓供述書 (WAC BUNKO)

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大東亜戦争と本土決戦の真実

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2017-12-11 かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷

かかる軍人ありき=「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後」

 江東区富岡八幡宮で7日起きた殺傷事件は、神社関係者が犯人と被害者というのだから、何とも言いようがない。氏子たちはあきれてものも言えないだろう。

 高級官僚である元文科省事務次官のあきれた行為と言い、何でこのような低俗な人間が出世するのか? 頻発する教師らのわいせつ事件や、人の上に立って“導く”使命を持つ大人たちのふしだらな行為には「世も末だ」と慨嘆する。


ところで76回目を迎えた今年の12月8日は、比較的穏当な記事が目立った。それもその筈、日米開戦の裏には、コミンテルンの謀略があり、ルーズベルトも、近衛文麿も見事にその手に引っかかったというのが、真相に近いことが徐々に判明してきたからであろう。


6年前の2011年12月、雑誌・SAPIOは「日米開戦70年目の真実」を特集した。リードにはこうある。

≪12月8日(現地時間7日早朝)、日本が真珠湾を攻撃してから今年で70年目を迎える。

 日本が圧倒的国力を誇る米国に対し、短期決戦で挑んだ奇襲作戦だったが、その後、戦争は3年9か月にも及ぶことになる。戦後、この戦争をアジアの小国が米国に挑んだ「無謀な戦争」という認識が通説となった。一方でこの戦争を「欧米の帝国主義によって追い詰められた戦い」と捉える見方がある。戦後の「自虐史観」の反動としてこれを支持する声は少なくない。

最近、連合艦隊を率いた山本五十六の関連書籍が多数出版され、年末には映画が公開される。不安定で先行き不透明な現状にどこか似た“開戦前夜”に対する関心は今も高い。しかし、70年の風雪の中、その「真実」の一端を語る当事者は確実に少なくなっている。

 真珠湾の空を飛んだパイロット、当時の市井の人々の声、そしてGHQに焚書された戦前の図書。これら貴重な証言や資料から、当時の人が何を考え、何に突き動かされたのか、改めて検証した。日米開戦の秘話とともに、日本人の中で風化しつつある「開戦」の記憶に新たな光を当てる≫

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≪SAPIO・2011・12・28号から≫

私は、日米開戦を“全く意識していなかった”当時のわが指導部の恐るべき怠慢(準備不足)と、その背景にあったわが外交力の貧弱(情報の収集と分析力)さが、国家的悲劇を招いたと考えているのだが、その結果、多くの国民が犠牲になった。


今再び、半島情勢は混とんとしてきて、日本海側では、公然たる準軍事的攻防が展開され、国際情勢は再び「開戦前夜」の様相を呈しているにもかかわらず、ほとんどの国民は、垂れ流される無責任な“バラエティショウ”の方に現をぬかし、危機感を感じていないことには驚くばかりである。

6年前のSAPIOは「山本五十六率いる連合艦隊が決戦を期した『12・8』。真珠湾へ向かった日本人たちの『秘史』に光を当てる」と書いたが、“一年程度暴れて”見せて戦死した山本長官の無責任さもさることながら、ただ一途に命令に従って、はるか南方の前線で、与えられた使命を果たし、黙々と逝った多くの将兵たちの活動の実際は、ほとんど受け継がれていない。

 そこで上層部による拙劣な情報入手と分析によって、まんまとコミンテルンの罠に陥ったせいで、どれほどの国民が悲劇に遭遇したかに焦点を当て、死地を脱して、奇跡的に生き延びた一海軍士官の手記をここに転載したい。


 一般的には、有識者が編纂した“戦争史”が、“戦争の実態”を示しているかのごとく思われているが、この手記のような生々しい事実が「戦場の実相」であり、指導者たちが引き起こす“戦争”ののしりぬぐいをさせられるのはいつも“軍隊を支える国民”だという事を若い方々に知ってもらいたいし、歴史は、有名な指導者たちによって、華々しく作られたものではなく、このような庶民の犠牲によって積み上げられたものだからである。


「凄惨・壮絶を極めた第3次ソロモン海戦の白昼雷撃とその後」(福地栄彦大尉遺稿) 

  

 昭和十七年十一月十二日、例によりガダルカナル島爆撃の為、早朝真っ暗いうちに飛行場に出て、爆弾、燃料搭載の出発準備を整え隊長に報告した頃は、もう人の顔かうすうす判るようになっていた。明日を約せぬ我々にとって、朝食前の一服はまた格別、誰も黙して朝の微風に乗って、吸い込まれるように昇ってゆく紫煙の行方を見つめている。


爆装から雷装への転換

 突然、朝の静寂を破り指揮所がざわめきたった。我々より三時間前に出発した偵察機からの報告だった。

「敵大型輸送船、約十数隻の巡洋艦駆逐艦に護衛され、ガ島ルンガ岬に停泊中」

指揮所には異様な緊張がみなぎった。すぐ司令部から「雷撃即時待機」の命令が出る。

司令の沈痛な顔つきに引きかえ、地上勤務員の歓声、余りにも地味な長い間の地上作業に対する鬱憤か。昼間の雷撃では生還は期し難い。特に敵航空基地の眼の前である。

「チェッ!到々来やがった」

 ひげ面の搭乗員がつぶやく。

 純情一徹な山本兵曹が胸の内ポケットから写真を出して、一瞥して細かく千切って空に投げた。重慶作戦頃から肌身離さず持っていた恋人の写真だった。一切を清算して死に向かう彼の淡々たる横顔。ふっと肉親の面影が脳裏をかすめる。

「俺逹は生きて内地へ帰れるなど夢にも考えられない。どうせ死ぬんじゃないか。半殺しみたいな毎日の生活より、いっそひと思いの方が却っていいぜ。」

それらの思いを打ち消すように大声でS兵曹が言う。


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≪指揮所前に集合した搭乗員ら=大東亜戦争海軍作戦写真記録から≫


 当時、ガ島の味方の陸軍は、飛行場奪還の為、敵前上陸した一木聯隊が全滅し、続いて那須旅団が全滅したので強力な仙台の丸山師団が上陸し、マタニカウ河付近より幾多の尊い犠牲をも顧みず、敵飛行場に突撃を繰り返した。

丁度、敵は浮き足たった所で、千戴一遇の時であったが、後援部隊が続かず極めて重大な時機であった。

 この際、敵輸送船団のルンガ入港成功の場合、味方陸軍の血の犠牲は水泡に帰するばかりか苦境に追い詰められる運命にあった。我々海軍航空隊は、いかなる犠牲を払っても、この船団を撃滅せねばならない。

 私も覚悟はしたものの心の底の動揺は、どうしても静まらなかった。太陽は東の空に昇り始めた。魚雷員が土煙を立て魚雷を五本・六本づつ牽引車で運ぶ。指揮所では隊長らが攻繋隊の編成に大童である。各航空隊共、連日の攻撃で殆ど消滅していた。


1式陸攻二〇機とゼロ戦三〇機の出撃

 私の七〇三空でも、各中隊のものを集めても可動機は十機くらいであった。結局、一個中隊九機を編成して私か中隊長に任命された。そして攻繋隊の編成は、七〇五空第一中隊八機、七〇三空第二中隊九機、七〇七空第三中隊三機、総指揮官七〇五空飛行隊長中村友男少佐。最後の雷鑿隊の編成が出来た。一式陸攻二〇機とそれを掩護する零戦三〇機だった。

第二中隊長機三七三号機の搭乗員は主操縦の私、副操縦員阿部飛長で東北出身の無口な芯の強い、いい男だった。偵察員で小隊長、歴戦の士である菅谷飛曹長、爆繋手で機長の甲飛出身、長身でインテリ臭さと野生味を感じさせる羽根田上飛曹、色白のナイスボーイは搭乗整備の松平三整曹、それに電信員は何れも通信学校卒業、成績抜群の紅顔の美少年、谷口、永田両飛長、後部二十粍機銃射手、関口飛長の八名であった。

 妻子のある武石兵曹は搭乗割から削った。死出の旅路に妻帯者は不向きだったから…。

武石兵曹は毎日生死を共にしてきたペアーと離れて残る無念さと、喜びが描く複雑な顔をして我々を送ってくれた。「これでいい、これでいい。」

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≪指揮所前の状況=同上から≫

 スルスルスルッと朝風を切って集合の旗旒信号が揚がる。七〇五空司令の命令と注意があった。熱烈なる語調であったが、心から耳を傾けて聞いている者はなかった。この一瞬各自各様の思いに耽っているのだろう。

 〇〇時、全機飛行場を蹴立てて出発した。私は地上にいた時、どうしても朝食が喉を通らなかったが、空中に飛び上がると空腹感を覚え、甘い航空糧食がうまかった。

 高度三五〇〇米、ブーゲンビル島北方を迂回して進む。偵察員より「戦場到着は〇〇〇〇時」の報告あり。あと〇時間足らずの寿命。電信員が傍受電報を報告する。

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ラバウルを発進した1式陸攻の編隊=同上から≫

「六隻の敵巡洋艦は防空巡洋艦のごとし。」

 高角砲の数を胸の中で数える。又、傍受電報がくる。

「一中隊の一機我エンジン不調引き返す。」

 機首を反転、ラバウルに向かう。死神に見離された幸運な奴。

 ショートランドに近づいた頃、私の右エンジンより白煙を吐き、一時爆音不調となった。引き返すのは今だ。搭乗員と私の眼が期せずして一致した。

 後ろを見れば列機八機が一トン近い重い魚雷をしっかり抱いてぴったりくっついて来る。「そうだ、俺は中隊長だ。卑怯な真似はすまい。」

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≪攻撃編隊=同上から≫

 私は私の心の動揺を恥じ、再度決心して一路ガ島へと向かった。時計の針は刻一刻と我々の命を縮めて行った。時が経つにしたがって、不思議と気持ちは落ち着いて来た。イサベル島を通過する頃は、丁度演習にでも行くような軽い気持ちになっていた。

 我々攻撃隊の行動は敵の電探にキャッチされていると思った。それがため、ツラギを迂回し、敵艦を東方より西に向かって攻撃し、そのまま真っ直ぐに基地に帰還する予定を立てた。

「五〇〇番、五〇〇番、こちら一一一番、合戦準備をなせ」

 指揮官機よりの無線電話である。「一一一番、一一一番、こちら二一一番、二中隊合戦準備宜し。」

 敵艦近きに全員思わず緊張の色現わる。生まれて二〇有余年、最後の総決算である。指揮官機はだんだん高度を下げ速力を増し、雲・スコールを巧みに利用して接敵する。

敵戦闘機はどう間違えたのか、まだ一機も姿を見せない。「幸先よし。」

 ガ島の山々は次の瞬間の出来事を予期してか、じっとかたず呑んで我々の行動を見守

っている。

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≪合戦準備に入る編隊=同上から≫


敵輪型陣に突撃

 やがて我々は、最後のスコールを出た。いたいた! 右後方約一三〇度、輸送船団を中心とした輪型陣。直ちに指揮官機より突撃命令が出た。敵との距離四乃至五万米。

 既に戦策で打ち合せていた如く、第一中隊が中央より、私の第二中隊が左より、第三中隊が右側より、一目標に吸い込まれるように突っ込んで行った。速力も制限速力に達している。両翼が微妙に震える。三七三号機ももう少しだ! 空中分解をしないで頑張ってくれ! 心に念じつつ、もっと速力を出す。二八〇ノット、計器盤の針が徴妙に動く。私の中隊は右旋回で他の中隊より遠回りをして攻撃地点に付かなくてはならないため、こんなに増速しても他中隊の攻撃に遅れがちであった。

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≪射線につく攻撃隊=同上から≫

 「−・−・−・−・」

 敵旗艦よりC連送発信号が始まった。

 敵との距離約一万米くらいに達した頃、敵の主砲が一斉に火を吐き始め、眼下に落下、椰子林のような水柱が上がった。

 八〇〇〇米、高角砲も駆逐艦も発砲する。抱いていた魚雷に直撃弾を受けたのか、一瞬こなごなに四散するもの、水柱に引っ掛かって機体もろ共、真っ逆さまに海中に突っ込むもの、私も殆ど夢中でただ「南無妙法蓮華経……」お題目を唱えながら突撃した。

「ガタン」すざましい異様な音がした。

思わず振り返った途端、左エンジンに高角砲の直撃弾でも受けたのか、プロペラが空転しはじめた。このため速力はどんどん落ちてゆく。

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≪敵艦、対空射撃開始=同上から≫

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≪超低高度を肉薄する攻撃隊=同上から≫


 一八〇ノット、だか何とか魚雷だけは無事発射せねばならぬ。四〇〇〇米くらいに来た時、猛烈な機銃弾の弾幕に見舞われた。アイスキャンデーのような真っ赤な曳光弾が雨のように撃ち出され、皆それらが自分の方に吸い込まれるような気がした。我々の飛行高度は約十米。

 海面はあたかも小砂利を握って水面に投げこんだ如く、機銃弾で真っ白いしぶきが一面に拡がっていた。こんな物凄い弾幕で命中しないのが、むしろ不思議である。私の片肺機も機銃弾で蜂の巣の如くなっていた。遮風板も計器盤も無茶苦茶に破壊された。

 火砲は益々激しさを増し、砲煙のため四囲は曇天の如く薄暗くなった。友軍機も遂に半数くらいになったか、あちこちの海面に紅の焔が盛んに燃えている。

 一中隊は発射終了したらしい。今まで真っ赤な焔に包まれて突撃していた何番機かは、発射終了と同時に機体を敵艦橋にぶっつけたのか猛烈な火炎があがる。

 方位角で七〇度、敵速三ノット、絶好の雷鑿態勢である。

「距離一五〇〇米、一二〇〇米、発射用意!・投下!」

 ガクーン、鈍い索のはずれる音。任務終了、瞬間ホットした思いがしたが、同時に、さて、これから何とか戦場を離脱しなければならない。

 操縦輪を握る私の手に皆の眼がそそがれる。しかし、敵前五〇〇米、しかも片肺、絶対絶命である。

 前方で、羽根田上飛曹だけは、まだ機銃を撃ち続けている。曳光弾が敵艦に吸収されて行くのは最後のあがきのようであった。

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≪1式陸攻の銃座=同上から≫


 私は中央突破を企図した。大きな図体で僅か一一〇乃至一二〇ノットでフラフラしているのは、集中攻撃の好目標となったが、幸い距離が接近し過ぎていたためか、却って命中弾は比較的少なかった。

 中央の輸送船上を通過し、外環の巡洋艦の舷側を飛んでいる時、我々の愛機三七三号は最後のとどめを刺されてしまった。

 グラマン数機に取り付かれてしまったのである。数門の機銃が次々と一点に撃ち出される。 アイスキャンディは幾条かの線をなして飛んで来る。その幾条かは、喘ぎながら全力で回転している右エンジン、一〜二番タンクを真っ赤な焔で包んでしまった。

 グラマン一機、火を噴きながら、私の真っ直ぐ前の海面に突つ込んだ。関口飛長が射止めたのであろう。

 速力は目立って落ちるような気がしたが、もう既に速力計も破壊されていた。突然、私の左側にいた阿部副操縦士が腹を抱えてのけぞった。やられたか!

 私は思わず「しっかりしろ!」と左手で彼の肩を突き飛ばした瞬間、私の左肩に焼火箸が突き刺さったような気がした。       (続く)

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≪参考:ガ島周辺戦域図=大東亜戦争全史付図から≫

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イシキカイカク講座のご案内 

https://www.gstrategy.jp/event.php?itemid=1793

来年から、インターネットTVで継続している≪意識改革講座≫が本格的に始まる。私は来年後半を6回受け持つことになったが、そのご案内まで。 

大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した

お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

お国のために 特攻隊の英霊に深謝す

日本を守るには何が必要か

日本を守るには何が必要か

安保法制と自衛隊

安保法制と自衛隊

ある駐米海軍武官の回想

ある駐米海軍武官の回想

 

KGYMKhoKGYMKho 2017/12/11 21:43 もう、40年前の話で、法事で昔陸軍航空隊の搭乗員だったおじさんが自分の飛行機は、防弾装置が貧弱で、
被弾するとすぐに火が出たんだと言ってました。
 一式陸攻は、ワンショットライターとアメリカ軍の搭乗員から呼ばれていたそうですが、アメリカ製装備を買わずに、P1をベースにいろいろな派生型の開発しないのか不思議です。
 例えば、E2Dなんて買うより、P1にレーダーを載せたものや、電波偵察機、弾道ミサイルを捕捉するための光学偵察機開発することはしないのでしょうか?
 対潜哨戒機の電子機器の発電機、空調設備があるP1を改造して航空自衛隊の作戦機を開発しないのでしょうか?
 電子機器の開発設計した経験からすると、今あるこなれた技術や物が手元にあるのに、開発仕様をまとめてさっさとやらなければ要素技術をまとめて開発予算を分捕ってくる仕事を技術研究本部という組織はやるものと思っていたのですが... 5年後固定式イージスの配備予算ですか? まずはPAC3を各県に配備していただけますか?
 それと、反撃するための巡行ミサイル搭載できる戦闘機がノドン、テポドンミサイル直撃受けても大丈夫なの掩体壕の建設予算も分捕って来てください小野寺防衛大臣

2017-12-05 大相撲は”国技”か”競技”か?

大相撲は“国技”か“競技”か?

日馬富士問題が起きて、八角理事長が文科省スポーツ庁長官に報告に行ったとき、ニュース画像で鈴木長官が「アスリートとして恥ずかしくないように…」といったように記憶している。

鈴木長官は“アスリート”出身だからつい出たのだろうが、大相撲は純然たる“国技”である。

辞書によると「アスリート」とは、「運動選手。スポーツマン。特に、陸上・水泳・球技などの競技選手をいう。例えば『トップアスリートが集まった国際大会』などのように…」とある。

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≪日馬富士の引退会見=インターネットから≫


他方、「力士」とは「=力士(りきし、ちからひと)であり相撲をする人間のこと。厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる」とあり、「相撲はもともと神前で行われ、日本固有の宗教である神道にもとづき神に奉納される神事である。力士とは四股名を持ち、神託によって神の依り代になり特別な力(神通力)を備え、神からの御利益のある特別な者である」とされている。

それにしてはなかなか“開けて”いたようで、1891年(明治24年)には、外国人力士である「佛國力士關王繁仙」、あるいは「米国の力士關王、繁仙」などが相撲興行に参加したとされているが、力士になるための条件に「日本国籍であること」という規定がないためらしい。だから、外国籍を持つ者が力士になることもできるというわけだ。


何も、今話題になっているモンゴル出身力士にこだわることはなく、近代においてもハワイ出身力士が、活躍していたではなかったか?

勿論育った国がらからくる≪文化≫の理解度は異なるが…

国籍にこだわらなかったのは、神々の御前に人間は平等だという観点からかもしれないが、相撲自体は日本の国技であり“神事”であることに変わりはない。

しかも国技であるとはいえ、そのルーツを探ると、古代イスラエルが発祥の地だという説さえある。

日本においては古事記の国譲りの神話において二柱の神様が力比べをしたのが相撲の起源とされているので、現在でも天覧相撲が行われていることでわかる。


言うまでもなく、単なる力比べの域を出て、天下泰平、子孫繁栄、五穀豊穣、大漁などを祈願する神事として大和民族に継承されてきたものであって、相撲は単なる“格闘技”ではないのである。


その証拠に、各場所の初日前日には土公神(その土地に住まう名もなき神々)を祀る土俵祭りが行われ、土俵中央には神札が埋められ神々が降りてくる目印となる4本の白幣が屋根の房の内側に付けられるのだが、今では見物衆の都合と力士の安全上、柱は取り除かれ、柱の代わりに、方角と神を表す4色の房がそれに代わっている。

取り組みの前に塩をまくのも、土俵の穢れを祓う神事を表しているのだが、今では見物集を喜ばせる“個性あふれる?”力士のパフォーマンスとしての“撒き方”になりつつある。

横綱が締めているのは神社で見られるしめ縄であり、御神木同様、神の依代、つまり横綱は神が寄りつく人であることを示しているのだ。


行司が持つ軍配には太陽と月が描かれていて、陰と陽を象徴しているのだ。これは「陽極まれば陰となし、陰極まれば陽となす」という陰陽説で、相互に作用しあって変化や発展を生み出すという≪宇宙の原理≫を表したものだという。

最後に行われる弓取りの儀式も、陰陽道によれば、怨霊調伏の方術と言われ、取り組みの後もまた土俵を祓い清める神事である。

つまり、相撲は単なる格闘技ではなく、「天に至る道」に沿うものでなければ国技としての存在意義はなくなるだろう、というのが、最近の相撲界の不祥事を嘆く友人の陰陽師氏の言葉である。


そういえば、気になるのが「四股名」を軽視?して、俗名のまま土俵に上がる力士が目立つことだが、おそらく相撲を“興行”と勘違いしている親方の無理解のせいではないか?

一日も早く日本大相撲協会は、本来の姿に戻ってほしいものである。

今のままでは、あることないこと先走って、興味本位に記事を世界中に垂れ流して“儲けている?”メディア界の犠牲になってしまいそうだから…。

陰陽道 呪術と鬼神の世界 (講談社選書メチエ)

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相撲の歴史 (講談社学術文庫)

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ジェットパイロットが体験した超科学現象

ジェットパイロットが体験した超科学現象

安保法制と自衛隊

安保法制と自衛隊

2017-11-30 半島有事目前だというのに…

半島有事目前だというのに…

メディアは、毎日狂ったように「日馬富士“事件”」を特集している。

噂段階の問題を自分たちが面白おかしく脚色したものだから、これは典型的な”マッチポンプ”事件だ。

そろそろ真相が浮き彫りになってくると、今度は協会の指示に従わない貴乃花親方を攻撃する。マ、どっちにころんでもメディアに被害はないから平気なものだ。

今は正直そんなことで右往左往している場合じゃあるまいに。


北朝鮮がICBMを発射した。今度は大型で米州に届くという。あれだけ“ロケットマン”に対して警告していたトランプ大統領は、怒りを隠せないようだが、まだまだ堪忍袋の緒を切る気配はないから大した大統領だ。

まず、アメリカにたてつくロケットマンを擁護するロシアと、現職大将が首つりする大国・中国の態度を見極めているのだろう。

中国は特使を“コケ”にされ、ロシアは議員団が訪朝中だったのだから、これまた“コケ”にされたのだが。


2007年後半、金正日の健康状態が悪化し、脳卒中で倒れて集中治療室にいる時、二人の子供、つまり正恩と妹の余正が正日を見守っていたという。

当時24歳の正恩は礼儀正しい青年だったと目撃者は語っている。長男の正男も病院に来ていたが、病室に顔は出さなかったらしい。

正男が日本に密入国して拘束されたことを正日は酷く怒っていたというから、それ以降は異常なまでの愛情は正男から離れていき、正恩と与正を溺愛したという。

2008年9月以降、金正日は定期的に家族会議を開き、後継者問題を話し合っていた。集まるのは妹の金敬姫張成沢夫妻。最愛の妻・高姫の後の正日の世話役・金玉と正恩の4人だったという。

ある時、食事の後、正日は「病状が思わしくないので後継者を決めたい」と言い出し、「3男・正恩はどうだ」と切り出した。すると敬姫は「何を言っているの。まだ分別も積まない子供ではないですか!どうやって国を任せるの」と発言。

この言葉を聞いた正恩は、箸を投げ捨てて立ち上がると部屋を飛び出したという。

義兄の心情を読む成沢は反対も推薦もせず聞き役に徹したようだ。


以前正日が中国吉林省を訪問していて、正男を宿舎に呼んだ時に彼は韓国の「天安艦」撃沈を実行した正恩を「こんなことをする弟に資格があるのか?」と不満を漏らしたらしい。

2009年、党計画財政部長・朴南基が緩やかなデノミを計画していたが、正恩は性急に焦って成果を求めた。正日の前で急げば[再び苦難の行軍]を始めねばならなくなると率直な軌道修正を述べた時使った「苦難の行軍」という語が正日の逆鱗に触れた。自分の失政を思い出させる言葉だったからである。

そして朴南基は「親日分子の妾の子、地主の孫でスパイだ」とされ処刑された。

しかし処刑前に朴は後継者について「あいつ(正恩)だけはダメだ」と痛烈に批判し、処刑直前に更に「正恩、あの野郎だけはダメだ」と言い残したという。(秘録金正日=李相哲著・一部加筆)


正恩がどんな男か、北朝鮮政府部内でどう思われているかが、これを読むだけでも理解できる。こうして正恩は、自分に反対した成沢を機関砲で銃殺し、正男をVXガスで処分した。

こんな男が核兵器、それも大型のICBMを手に入れたというのだから、残酷さにおいてはAIISも真っ青だろう。

若すぎる彼の周囲を取り巻く老将軍らには、おそらく彼を制止する力はあるまい。

いま世界はまさに【キチ○○に刃物】の恫喝にゆすぶられている状態なのだ。

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≪年長者の将軍たちに囲まれて、ご満悦?な正恩将軍=インターネットから≫


「米共和党のグラム上院議員は28日、CNNテレビに出演し、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け『事態が変わらなければ、われわれは戦争に突き進むことになる』と警告した。北朝鮮による米本土到達可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発が現実味を帯びる中、米政界では強硬論が高まっている」=(ワシントン発時事)

同じく時事通信によると、北朝鮮ミサイルで安保理緊急会合が開かれ、米国が中国に石油供給停止要求した。

≪国連安全保障理事会は29日午後(日本時間30日午前)、北朝鮮による大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を受け、緊急会合を公開で開いた。ヘイリー米国連大使は会合で、トランプ米大統領が29日、中国の習近平国家主席に対し、「中国が北朝鮮への石油供給を停止しなければならないところにきている」と要求したことを明らかにした。 

ヘイリー氏はまた、今回のICBM発射で「戦争に近づいた。遠ざかってはいない」と指摘。戦争になれば、北朝鮮の体制は「完全に壊滅される」と警告した。また、国際社会に対し、北朝鮮包囲網構築に向け、外交や貿易などの関係を断つよう呼び掛けた。 

北朝鮮は現地時間29日、新型ICBM「火星15」の発射成功を発表し、「国家核武力(戦力)完成」を宣言した≫

 

我が国周辺には、北の“漁船”が多数漂着している。TVは、食糧増産を指示された漁民が悪天候で遭難したのだろう、と伝えているが、調べたのか?

今、米国は、攻撃を躊躇しない姿勢を示している。攻撃はその基地がある日本本土からだ。だからそれをたたくか、日本国内を混乱させるかというのが、彼らの常識的戦略だろう。

クリスマスや年末年始が“穏やかに”過ごせるかどうかは、ここ数日の中国とロシアの行動にかかっている。


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≪WILL 1月号≫

おなじみのWILLである。見出しだけでも内容が透けて見えるが、それだけ今の日本社会は、朝日のみならず“堕ちた”と言えよう。唯一の救い?は「トランプ大統領・アジア歴訪の重力派」という特集だろう。中・韓は影が薄かったが、もともとそれが実態だという事でもある。

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≪Hanada 1月号≫

これも同系統の雑誌、ご存じHanada 1月号である。「朝日の言論テロ、森友・加計報道」は驚くことばかりだが、この会社は昔から変わらぬどころかドンドン腐臭を漂わせ始めている。うそ記事で日本を貶めても、一向に謝罪しないし、読者もそれを気にしない。変な新聞社だ。

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≪徹底検証:テレビ報道「嘘」のカラクリ=小川栄太郎著・青林堂¥1400+税≫

朝日にいちゃもんをつけられ、恫喝されている小川氏の著書。さすがに内容が濃いが、テレビ報道が「嘘」だというのは、日馬富士関引退会見を見れば十分だろう。傲慢チキで無礼千万な報道関係者、とりわけTV記者は自社のエンタメを意識してか、会見場で目立つように動き、つまらぬ質問をして親方に制止されるありさま。横綱に「品格」を求める資格がどこにあろうか!

今度の“事件”はメディアのマッチポンプに過ぎない。これは相撲に限らず、政界でも経済界でも、軍事の世界でも横行しているのだ。ご一読あれ!

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≪国体の形而上学田中卓郎著・展転社¥1800+税≫

私も「国体」について田中先生の講演を聞き、著書を引用させていただいたが、その集大成と言える本である。

第1章 日本国体とは何か――萬世一系の天皇存在――

第2章 主権とは何か

第3章 国軍とは何か

第4章 自衛権とは何か

第5章 日本国体たる萬世一系の天皇存在の無制約性――皇男子孫の皇位継承は萬世一系の唯一の現象形態ーー

第6章 日本国体と「グローバル化」

後半にわかりやすいカラーの図版が入っている。字体が正字体に変換されているから編集には時間を要したことだと思う。特に、向学心に燃える若者たちにはぜひ読んでもらいたいと思う。

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≪雑誌「丸」1月号≫

発行元が、潮書房光人社から潮書房光人「新社」に移行した最初の「丸」である。発行元は産経新聞出版で今回その子会社になったわけだ。

貴重な大戦の記録を発掘することで有名な軍事専門誌だが、最近は最新軍事情報も充実している。小生も「丸」に「我は空の子奮闘記」と題して、現役時代のエピソードを連載しているから、関心のある方はご一読あれ。

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

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ジェットパイロットが体験した超科学現象

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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安保法制と自衛隊

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2017-11-21 北朝鮮をテロ支援国家に再指定

北朝鮮をテロ支援国家に再指定

中国が、習近平の特使を北朝鮮に派遣したが、全くと言ってよいほど効果はなかった。

特使を迎える北の要人たちの表情もさえず、当初から、金正恩が問題にしていないことをうかがわせた。

これでトランプ大統領の腹は決まったようなものだ。一番の当事者である韓国は、全くと言っていいほどピントがずれていたし、北の脅威を真剣に感じていないとトランプには映った。

中国の態度も煮え切らなかった。習近平は“しぶしぶ”特使を派遣したが、これまた当初から成功を信じてはいなかったと思われる。

つまり、韓国も、中国も、アジアを初訪問したトランプ大統領の気迫に押されて、とりあえずの動きを示して取り繕ったに過ぎなかった。

勿論両国が「何らかの効果的行動をとる」などトランプ大統領は期待していなかったはずである。


1994年6月にカーター元大統領が訪朝して、金日成と会談。1994年10月には米朝枠組み合意が成立し、

1.北朝鮮の黒鉛減速炉および関連施設を軽水炉に転換する。このために国際事業体を組織し、2003年までに軽水炉2機(発電容量約2000メガワット)を建設する。

2.米国は軽水炉1号機が完成するまで、北朝鮮に対して代替エネルギー(年間50万トンの暖房・発電用重油)を供給する。

3.北朝鮮は黒鉛減速炉と関連施設の建設を凍結し、最終的にはこれらを解体する。

4.米朝は国交正常化に向けて行動する。(ウィキから)

こととされたが、その後2003年8月の第1回から2007年3月の第6回まで、北の核をめぐる6者協議は北京で計9次の会合が行なわれたにもかかわらず、全く成果がないまま自然消滅した。

これで得をしたのは北朝鮮と“キム・ジョンヒル”米国務省員だけだった!と皮肉られた。


そんな愚かな協議を当時の米国政府が継続してきたことは、トランプ政権の誰もが知ってるから、ハナからロシアは計算外、韓国と中国は今回の訪問で“やはりそうだったのか”と、再確認したにすぎまい。

勿論日本も“計算外”であったろう。米国が問題にしている核に対して日本は拉致問題を重視したように見えたからである。

勿論、拉致問題は人道上許せない悪行だが、本来は当事国が先頭に立って解決すべきものであり、その努力もせずに?同盟国に丸投げするのだから、米国にとっては“余計なお仕事”“有難迷惑”だったはずだ。それもこれも責任は、国際紛争を解決するための“軍事力”を放棄してきた日本政府にある。

一部の保守人は、これは占領憲法のせいだといわんばかりだが、そんな理不尽な“憲法”を後生大事に抱えてきた日本自身の方が問題なのだ。自国同胞の救助を他人に依頼するなど、とても独立国がやる行為ではないことがわかっていないのだ


産経はトランプ大統領が「北朝鮮をテロ支援国家に再指定」したことについてこう報じた。

≪【ワシントン=黒瀬悦成】トランプ米大統領は20日、ホワイトハウスで記者団に対し、北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定することを決めたと発表した。

 テロ支援国への再指定は今年6月、北朝鮮に拘束されていた米国人大学生、オットー・ワームビアさんが昏睡状態で解放され、米国に帰国後間もなく死亡したことなどを受けた措置。

トランプ氏は引き続き北朝鮮に最大限の圧力をかけていくことを強調。また、再指定を受けて財務省が21日、北朝鮮に対する大規模な追加制裁を発表することを明らかにした。

「北朝鮮に対し、核・弾道ミサイル開発と国際テロの支援をやめるよう要求する」と語った≫


 トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」を掲げて当選した人物だ。どこの国もそうだが、最優先するのは自国国民と国益である。

 どうも我が国の政府関係者もメディアもそれがわからないらしく、トランプ大統領が日本のために何かをやってくれると勘違いしているところがある。


 今まで時間をかけて北の横暴を世界に“ジュンジュン”と語りかけ、国内反対勢力の抵抗にもめげず、北包囲網を作ってきたが、韓国と中国が頼りにならないことは織り込み済みだから、次は国際的支持を背景に、トランプ大統領が北の横暴をどう阻止するかが焦点になる。

クラウゼヴィッツは言っている。

「戦争とは政治の延長である」と。

自分の意見に従わない相手に意思を押し付けるためには「軍事力=暴力」を行使して従わせる、それが国際政治の現実なのだ。


 大相撲で揉めている“暴力事件”はその典型だ。横綱という大先輩の説教中に、彼女からのスマホに手を伸ばした、はるか下位の力士の無礼な態度に日馬富士が激怒し、手を出したのもクラウゼヴィッツの原理につながっているのだ。

我が国のメディアは、何が何でも[暴力はいけない]と絶叫するが、世界中、どこでも暴力が渦巻いていることを知らない人はいまい。自分らだって「ペンの暴力」を利用して、意志を貫こうとしているくせに!

もういい加減に偽善はやめた方がいいと思う。

フランス の哲学者で自然哲学者、思想家者でもあったパスカルも「正義が守られえないところでは、力が正義とされる」「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である」と言っている。

今まさに、トランプ大統領は「力なき正義を唱えてきた」前政権に代わって、「正義無き北朝鮮体制」に対して力を行使しようとしているように見える。

パスカルはこうも言っている。

「人間は天使でもなければ獣でもない。だが不幸なことに、人間は天使のように振る舞おうと欲しながら、まるで獣のように行動する。」

日本中の有識者やリベラルメディアに聞かせたい言葉だ。

日馬富士の一件は、噂話に尾ひれをつけて先走ったメディアが「マッチポンプ」的に騒ぎに火をつけた感があるが、それでもそんな“ニュース”が売れるのだから笑いが止まらないだろう。

それにしても外には“国難”が迫り、内には大人の喧嘩や青年?悪魔?の大量殺人事件、母親?の子殺しコンクリート詰め事件など“修羅界””地獄界”が渦巻いている。

どうもこの世は長生きしてもあまりいいことはないことがわかってきた。


次号の「ジャパニズム40」では、理学博士の保江邦夫・ノートルダム清心女子大名誉教授との対談記事が掲載される。

タイトルは「UFOが日本人に教える『保守の精神』」というもので、「〜UFOの出現とそれに伴う不思議な現象は我々に何を伝えようとしているのか。その謎を紐解くと、封印された日本人本来の保守の精神と我々に託された使命が見えてくる(リードから)」というものだが、3時間以上にわたって話が弾んだものを10ページにダイジェストしたものだから、所詮無理があるが、カットされた部分の方が私には為になったと思っている…。

ストレスがたまらない話の方が、健康に良いと思うので、興味のある方はどうぞ!


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「航空情報30年1月号」

早いものでもう来年の1月号だ。今月は、HondaJet開発者・藤野道格氏の開発秘話と、YS-11を作った男=試行錯誤の中からの不屈の航空記述者魂を語る、鳥養鶴雄氏の回想団が秀逸である。

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「報道しない自由・西村幸祐著:イースト・プレス¥1300+税」

 久々の西村氏の本である。副題の「なぜメディアは平気で嘘をつくのか」が面白い。

日馬富士事件で先走りしたメディアは、今頃徐々に修正し始めているが、本質を伝えることよりも、他社に先んじて特ネタを!というやましい功名心が災いしているように思う。

記事の事実なんぞ二の次なのだ。

「今の日本のメディアは…言い方を換えれば、一定イデオロギーの情報機関である。イデオロギーの目的に沿って5W1Hを操るのであるから、洗脳装置である。そして、左派の戦略の目的は、2017年において、明らかに『北朝鮮の脅威隠し』であり、その背後にある大きな柱は『憲法改正阻止』だった」と著者は書く。メディア論の第一人者の筆は中々鋭い。

私もこの手法で、自衛隊が蒙ってきた数々のフェイクニュースを解説してみたいものだ、と感じた。ご一読あれ!


次は第38回国防講座のPR

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演題  北朝鮮の核武装に日本はどう立ち向かうべきか

 軍事評論家としてブログなどで活躍中の当会顧問・佐藤守が「国防」を熱く語る連続シリーズの第三十八回目です。米国まで届く弾道ミサイルを開発し、核実験を繰り返す北朝鮮の脅威が、これまでになく大きなものになってきました。軍事最優先の独裁者・金正恩が核弾頭と大陸間弾道ミサイルを手に入れるという悪夢が実現することで、朝鮮半島と日米同盟の行方は・・・。そして、我々は祖国日本を守ることができるのでしょうか。今回の国防講座では、北朝鮮の核開発・ミサイル開発の経緯や現在の戦力、今日にいたる米国・日本・韓国の歴代政権のこれらへの対応などについて分かりやすく解説し、今後、日本がとるべき国防政策などについて、皆さまとともに考えてみたいと思います。脱線転覆を交え、大人気の佐藤節が唸ります。どうぞご期待下さい〜とあるが、既に北に関する情報はあふれているから、講話内容は 1、北朝鮮成立時の隠された歴史

2、朝鮮戦争(隠された真実)

3、現状の問題点と見通し、程度にする予定。

日時  平成29年11月25日(土) 13:00開演(15:30終了予定)

会場  靖国会館 2階 偕行の間

会費  1,000円(会員500円、高校生以下無料)

連絡先  info@heiho-ken.sakura.ne.jp

金正日は日本人だった

金正日は日本人だった

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

日本を守るには何が必要か

日本を守るには何が必要か

2017-11-11 戦時内閣組閣完了

“戦時内閣”組閣完了

 トランプ大統領のアジア歴訪と、“座間大量殺人事件”で世間はもちきりだが、肝心なのは我が国周辺に予測される“有事”に備えることである。

トランプ大統領は、韓国国会での演説で「北朝鮮は地球規模の脅威でならず者体制。我々を侮ってはならない。試そうとしてもならない。力を通じた平和を実現させる」と北に警告した。要は“舐めるなよ!”と言ったのである。

 有事のシナリオは国防省が何通りか立てて予行演習していることだろうが、北に勝ち目はない。問題は、斬首作戦であれ、侵攻作戦であれ、北の体制変換、つまり次期指導者をどうするかである。関心を持っているのは周辺諸国、と言ってもロシアと中国だが、米国は妥協点を探っているに違いない。

ところが一番影響を受ける我が国はどうだ!韓国は馬脚を現し、国自体が無能なことを証明したが、わが国の野党もそれに劣らぬ無能さを披歴している。

 安倍首相は今回、解散後の組閣は前政権の閣僚を継承することで、無駄なエネルギーの消耗を抑えた。見事である。

 そこで今日は「戦時組閣」を終えて事態に備えている安倍総理の行動を評価する記事をご紹介しようと思う。

 これは先月10月20日号の≪時事評論・石川(北潮社)≫に「“戦時内閣”組閣を急げ」と題して私が寄稿したものである。


≪昭和34年に、私は憲法は改正され再軍備されると信じ、祖国防衛に燃えて防大に入校した。しかし、以後38年間の現役生活で痛感したのは、建軍の本義もなく“憲法に明記されていない自衛隊”は「警察の物理的に巨大な存在(三島由紀夫)」でしかないということであった。

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≪当時の防衛大学校全景≫



自衛官としての苦節と無念と

 騒音問題など各種制約が多く、実動演習でも自国の空港・港湾・道路さえも自由に使えず「設想」で処置するのだが、その実態を知っている国民はほとんどいるまい。

常々政府は「国民の支持なくして国防は成り立たない!」と言ったが、政治家も役人も「事勿れ」に徹し、真剣に国防に取り組んだ者はいなかった。

その上昭和40年2月10日に起きた三矢事件で制服組の中にもやる気をなくす気風が生じた。自衛官と雖も人の子、まじめに評価されないことに耐えられる聖人君子ばかりではなかったのである。


現役時代における総理大臣の評価 

 昭和34年から4年間の防大生時代は石橋湛山岸信介池田勇人で、その後佐藤栄作は沖縄返還を果たして下野した。だが「角福戦争」を制して政権を取った田中角栄は雫石事故の責任を空自教官に負わせて保身を図った。彼が事故調査を捻じ曲げたのだが、天網恢恢やがて収賄罪で失脚した。

昭和51年12月まで三木武夫が政権に着いたが、丁度私は幹部学校を卒業して外務省に出向していたから、連日NPT批准問題で揺れる国会に通い、政治の実像をこの目で確かめる機会を得た。

 その後、ダッカ事件で「超法規」なる新語を作った福田赳夫は、テロ事件の本質を知ることなく「金で解決」して顰蹙を買った。

更に大平正芳の後の鈴木善幸は1000海里シーレーン防衛問題で米国政府との約束を破り、日米同盟を揺るがす事態を招いた。

 この頃第一線の戦闘機隊長だった私はスクランブル対処に追われていたが、ひたすら防空の任に就く部下たちの姿に、腐りきった政界を重ね合わせて「親は無くとも子は育つ」ことを実感していた。

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≪ロシア機に対するスクランブル≫

 防衛研究所では国家戦略を学んだが高名な講師たちもさることながら、高級官僚と政治家の軍事認識度には失笑を禁じ得ないものが多かった。

 昭和59年、空幕広報室長を拝命したが、ここで私は「報道の実態」を垣間見た。勿論大半の記者は真面目だったが、反論しない自衛隊に対する「あらさがし」が目当ての者もいた。そんな記者が書く自衛隊論は推して知るべしで、そこに御巣鷹山事故が起きた。

 この時の常軌を逸したフェーク報道に業を煮やした私は、官姓名を名乗って現役自衛官として初めて「反論」したのだが、その反響は大きかった。

「社会の裏」を学ぶ体験が出来たが、時の総理は元海軍主計少佐で軍事に理解がある中曽根康弘であった。しかし中国の“お先棒”を担いだ朝日新聞記事を気にして昭和60年8月15日に靖国神社公式参拝を中止した事は、中曽根らしからぬ九仞の功を一簣に虧く軽挙であった。

 広報室長時代の体験で「目から鱗が落ちた」私は、その後、各地の部隊で幕僚・指揮官を務めたが、人間を冷静(冷たく?)に観察する癖がついた。

 そして竹下登、宇野宗助、海部俊樹宮沢喜一細川護煕羽田孜という軽量級総理が乱立したが、遂に村山富一が就任すると言う“珍事”が起きた。

 この間の政治の乱れは改めて書くまでもないが、自衛隊員がどんな気持で最高指揮官を見上げていたかは推察できるであろう。

 平成8年3月、反米デモに揺れる沖縄に着任したが、多発する尖閣問題の主役は海上保安庁であった。その海保が自国漁民よりも不法侵入者を保護する不可解な態度をとっていたのは、総理がハニートラップに引っかかった親中派・橋本龍太郎だったからであろう。

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≪波高かった尖閣列島

 その後台湾国民党軍OBらが、ヘリで尖閣に侵攻すると宣言したので空自が海保に代わって対処したが、この時官邸は「武器を使うな」と私に厳命した。部下の命を預かる現地指揮官の私としては承服できなかったから無視したが、これが日本国の総理なのか?「武器を使うな」とは敵に言うべき言葉ではないのか?と怒り心頭に発したものである。

 そして平成9年7月1日に私は制服を脱ぎ沖縄から「復員」したのだが、祖国防衛に燃えて防大に入ってから38年間、最悪の事態は起きなかったものの憲法を改正して自衛隊が正規の軍隊になるという希望も実現しなかった。 


安倍晋三の登場

 平成18年9月、若き安倍晋三が自由民主党総裁に選出され、第90代内閣総理大臣に就任した。退官後の私は岡崎研究所の一員として度々彼に接する機会はあったが、何より期待したのは彼の著書・《美しい国へ》に感動したからである。平成18年8月に出版された本書の裏表紙には「『日本』と言う国のかたちが変ろうとしている。保守の姿、対米外交、アジア諸国との関係、社会保障の将来、教育の再生、真のナショナリズムのあり方・・・その指針を明示する必読の書」とある。そして彼は「はじめに」にこう書いた。

【わたしは政治家として十四年目を迎える。この間(中略)政治家の中には、あまり政策に興味を抱かない人がいる一方、特定の政策については細部までつき詰める人たちもいる。(中略)かっては自民党に「官僚派}と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができるかもしれない。その意味では、若手議員のほとんどは、かってと比べて政策中心にものを考える傾向が強くなっているのではないだろうか。

時代は変わったが、わたしは政治家を見る時、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。

「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。

わたしが拉致問題について声をあげたとき、「右翼反動」というレッテルが貼られるのを恐れてか、運動に参加したのは、ほんの僅かな議員たちだけであった。事実、その後、わたしたちはマスコミの中傷の渦のなかに身をおかざるをえなかった上「応援しているよ」という議員はたくさんいたが、いっしょに行動する議員は少なかった。「闘う政治家」の数が少ないのは、残念ながら、いつの時代も同じだ。(中略)

初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スビーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである】

 更に感動したのは靖国問題に関して「一国の指導者が、その国のために殉じた人々に対して、尊崇の念を表するのは、何処の国でも行う行為である」と語ったことであった。

 しかしながら、総理就任後の平成19年8月15日の靖国神社参拝を、何故か彼は回避した。私はこの日夕方まで多くの参拝者と共に靖国の杜で彼を待った。しかし彼は現れなかった。

 その直後の平成19年9月に彼は体調を崩して総理を辞任したが、私はこの時《英霊の声》を聞いた。

 5年後の平成24年に彼は再起し12月に第96代内閣総理大臣に就任、病後とは思えない目を見張る活動を開始した。「闘う政治家」に戻ったのである。

 そして第97代内閣総理大臣に就任、今や世界の指導者の一人になりつつある。


危機存亡に備える秋

 我が国を取り巻く情勢は開戦前夜だが憲法は不変だから、万一の時には“超法規”で行動する以外にはない。

 しかし安倍晋三は同盟国米大統領ドナルド・トランプと太い信頼の絆で結ばれた。正に僥倖である。そして今回、安倍は衆院解散を決意した。

 野党は「一本化」を企てているが、これは明らかな利敵勢力の集合体であり、我が国益に反している。再び前回の民主党政権の悪夢を招いてはならない。

 現役時代を顧みれば「安倍の前に総理」はいなかった。今後を見渡しても「安倍の後」に適任者はいない。「戦時内閣」を組閣し危急存亡の秋に備える秋である≫


届いた本のPR

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≪愛国者:田母神俊男著・青林堂¥1400+税≫

久しぶりの“田母神節”復活の兆しである。

日米安保の在り方と、安倍総理の靖国参拝に対する苦言は今まで通りだが、番外編の「逮捕に至る経緯と真実」の中の、当時の選挙対策本部長、検察の強制捜査に対する怒りは本音であろう。社会の裏を知るためにご一読あれ!

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≪軍事研究12月号≫

今月は、国産の「X−2」が特別公開されている。

読み物では「探知困難!中国の衛星攻撃兵器≪紛争空間≫へ変貌する宇宙空間」が読ませる。

私事だが、この夏講談社から上梓した「宇宙戦争を告げるUFO」は、終わりの部で中国の宇宙空間への軍事的進出は今手を打っておかないと、人類は将来大きな禍根を残すことを警告したものだが、[UFO〜]というタイトルに負けて「精神世界」「オカルトコーナー」に展示されているだけなので、著者としてはいささか残念である。


宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

日本を守るには何が必要か

日本を守るには何が必要か

安保法制と自衛隊

安保法制と自衛隊

2017-10-31 虎は1匹に絞られたか?

虎は1匹に絞られたか?

一つの山に2匹のトラが住めないというのはシナの格言である。

今回、共産党大会が終了したが、まだ1匹の虎の尾っぽが残っているようだ。

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≪シナの新指導部:産経から≫

ニューヨーク在で80年代後半、中国の民主化運動に関わった陳破空氏は「側近の多くが最高指導部や上層部入りを果たし、権力基盤を一層強化したことが、習近平氏にとって最大の勝利だ」と述べた。

「中央政治局常務委員会の7人のうち、習近平氏と李克強氏は再任したが、他の5人はすべて入れ替えられた。新しいメンバーとなったのは、栗戦書氏、汪洋氏、王滬寧氏、趙楽際氏と韓正氏。「この7人のうち、習氏の側近は栗氏と趙氏。胡錦濤前主席に近いのは共青団派中国共産主義青年団)の李氏と汪氏の2人。王滬寧氏と韓正氏は江派寄りだ」

「一方、習近平氏にとって最も不本意なことは、王岐山氏の退任だ」

「しかし、王氏が率いた中央規律検査委員会は習近平氏が掲げた『トラもハエも一緒に叩く』とのスローガンの下で、過去5年間、数多くの腐敗・汚職官僚を摘発した。失脚させられた『トラ』級大物はほとんど、江派重要人物で、江派を中心とした幹部の恨みを買ったのも事実だ」

「習近平氏が王岐山氏を留任させるとしたら、張高麗氏などの江派は強く反発するだろう。王氏を現職に留めたら、その代わりに江派からも一人ぐらいを留任させるべきだという意見が出てくるだろう」

「江派らの抵抗を抑えるために、習近平氏が妥協案として、筋金入りの江沢民派も退任させることを選んだ」と陳氏は推測する。

「陳破空氏は、習近平氏の盟友であり、反腐敗運動でも辣腕ぶりを発揮した王岐山氏は今後、国家主席の特使、国家副主席など他の重要ポストに任命される可能性もあるとみている。(大紀元日本10月28日)」

 他方、中国の指導者は発言に古詩を引用することを好むが、「習近平総書記(国家主席)は25日の中国共産党第19期中央委員会第1回総会(1中総会)の閉会後、最高指導部の新メンバーの紹介を終え、『吾家洗硯池頭樹,個個花開淡墨痕。不要人誇好顏色,只留清氣滿乾坤』『不要人誇好顏色,只留清氣滿乾坤(中国元代の画家で詩人・王冕氏の詩作「墨梅」』で自らの発言を締めくくったという。

 日本語に訳すと、「ここに描いた花は、私が筆を洗う池のそばで生え出した梅のようだ。花びらには薄い墨液がにじみ、鮮やかな色合いがない。花々は色を褒めてほしいのではない。清らかで淡い香りを天地に残したい一心だ」という意味だそうだが、王冕は「名利に淡白な元代末期の詩人で文学家、水墨画を得意とし、梅や竹、石をよく描いた浙江省紹興諸曁の人。農家に生まれ、日々放牧をしながら蓮の花を描き、この詩作では梅をテーマに、俗世間に媚びないという自分の人生理念を表したと」解釈されている。


 かつて温家宝首相も最高指導部から退任する数カ月前の2012年11月、東南アジア歴訪先のタイで「亦余心之所善兮,虽九死其尤未悔」「伏清白以死直兮,固前圣之所厚(楚の屈原の「離騒」から)」「(日本語訳)真実を追求するためなら私は9度死んでも後悔はない。もし死ぬのなら、誠実かつ高潔に死にたい」を取り上げてスピーチを締めくくったが、最後に「どうか皆さん、私をお忘れください。中国の皆さんも、海外にいる中国人の皆さんも。どうか私のことは忘れてください」と付け加えたという・・・。


「習近平氏は2012年に党総書記に就任して以来、中国伝統文化の重要性を強調してきた。習氏自身もたびたび発言に古代の名文を織り込ませてきたが、数年後退任する際、どのような詩句で自らの政治人生を総括するのだろうか?」と大紀元日本(10・27)は締めくくったがさて?


≪2期目習近平政権指導部の顔ぶれを見ると、「ポスト習近平」とされる次世代リーダー候補がみられない。習近平氏は5年後の党大会で3期目を続投する可能性が高くなった。同時に習氏は、「後継者を任命する」との党内慣例を打ち破ったことを証明した。…

しかし一方、中国共産党内において、昨年習近平氏の「核心」地位がすでに確立したうえ、24日党大会閉幕日で、習近平氏の名前を冠した『習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想』(習思想)を党規約に盛り込むことに成功した。習氏は、毛沢東トウ小平に並んで、党内において絶対的権威を獲得した(大紀元日本10・26)≫

やがて“残った虎の尾”は消滅するのだろうが、制覇したトラは、絶対君主としてシナ全土に君臨するのか? 毛沢東ならぬ“習沢東”の復活か?

シナの権力闘争は、お人よしな日本人には理解できまい。


2010年8月に「暴かれた中国の極秘戦略」を出版した中国からの亡命作家・袁紅冰氏は、10月28日に来日した時の講演で、

「次世代中国の指導者は1966・5から1976・5までの非常に困難な文革を経験しているので 

1、権力以外は信じない。

2、権力のためなら何でもする。

3、理性的判断ができる教育を受けていない、という“歪んだ性格”を持つ、地獄から天国へ成り上がった者たちで構成されているから彼らが天下を取った場合には、中国内では重大な事態が起きるであろう」

と予言した。しかしその弊害は中国内にとどまらないであろう。

彼は主として中台関係を説いた著書の「第一章 共産中国=理解されていない本当の中国」の結論として次のように書いている。


≪世界は、未曾有の政治的危機の前夜にある。しかしそれをわかっている賢人はごくわずかだ。台湾は政治的な大厄難に直面している。…しかし、台湾の多くの凡庸な政客はこれを見逃している。

私は、本章において、中国共産党の暴政の本質を書いてきたが、このことで世界に対して、人類の政治的大危機の源泉の真相を示し、台湾の政治的大厄難の源泉の真相を解明しようと試みたのである。真相がわかれば、危機と厄難に打ち勝つ可能性があるからだ。

 多くの台湾の友人たちは、複雑な感情的理由から、中国および党の暴政について真正面から関心を向けようとしない。

しかし、運命は台湾を最後の一歩まで追いつめており、台湾人は関心を向けたくない対象に閥心を向けざるをえない。

私は党の暴政は、自らの文化と祖国を裏切った外来政権であり、中国はすでに文化的に亡国となり、マルクス主義の政治的および精神的な植民地に貶められたと説明した。

これは、党の暴政と、中国文化・中国人との間の原則的な区別をはっきりさせるためだ。この区別をはっきり認識することは、台湾が厄難の真の原泉をはっきり認識し、これと戦って勝利するうえで、きわめて重要なことである。

 私は、中国共産党の暴政の経済改革において公平な競争による自由資本主義経済が生まれないこと、民主政治に向かう可能性がなく、全体主義的専制を強化していくだけだと説明した。

それは、台湾の政治的大厄難の原因である党の暴政を、台湾経済の希望の星のように言う台湾の統一派政客たちがぱら撒く嘘と、私たちの認識とは異なっていることを原則上示すためなのである。

 最後に、本章の内容を通して、読者諸兄が一つの問題を考えていただくよう希望する。中国共産党の暴政、そのたび重なる反人類的な罪を犯した犯罪集団、その人類史上最も巨大な汚職官僚集団が、人類および台湾に対して、どんな意味をもっているかということである。後続の各章で述べているのは、読者諸兄に考えていただきたい問題について私が試みた回答である≫


半島情勢から目を離せない我が国民は、シナ大陸から関心が遠のいている観があるが、将来最も危険な国はシナであることを忘れてはならないだろう。


今朝の産経にはこんな記事が出ている。

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≪産経新聞12面≫

次の記事は小さな記事だが、シナの傍若無人な国民性を表す事件だろう。

エクアドル、中国に「地球全体への犯罪」〜ガラパゴスの希少サメ6620匹積載した船拿捕〜29・8・29産経≫

 

≪南米エクアドルの世界遺産ガラパゴス諸島沖の海洋保護区で今月、希少なサメなど約300トンを積んだ中国船が拿捕(だほ)される事件があり、エクアドルが中国政府に抗議する事態に発展した。エクアドルの排他的経済水域(EEZ)付近では中国の大漁船団の操業が優詔され、エクアドル側は「海洋資源荒らし」に警戒を強めている。現地報道によると、中国船は今月13日夜、拿捕された。船倉からは国際自然保護連合 (I UCN)の絶滅危惧種リストに掲載されているシュモクザメを含むサメ約6620匹か見つかった。モレノ大統領は21日、演説で「これはガラパゴス翩島の生態系のみならず、地球全体への犯罪だ」と非難した。(リオデジャネイロ共同)≫

こんな人間性に乏しい国が半島のみならず、世界を支配しようとしていることを一刻も忘れてはならないのだ。世界の秩序を無視し、「俺のものは俺のもの、他人のものも俺のもの」という言葉を信じる、こんな国民をのさばらせてはならない。

“習皇帝”による支配による世界秩序の崩壊は目に見えている。


届いた本のPR(紙面の関係でご紹介のみ)

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習近平vs.トランプ――世界を制するのは誰か

習近平vs.トランプ――世界を制するのは誰か

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

宇宙戦争を告げるUFO 知的生命体が地球人に発した警告

金正日は日本人だった

金正日は日本人だった

安保法制と自衛隊

安保法制と自衛隊

2017-10-25 戦い済んで日が暮れて…

戦い済んで日が暮れて…

第48回衆院選はご覧のような結果に終わったが、突然の解散と、緑の党出現にあたふたしたメディアは、まだ踏ん切り悪く、結果を他人のせいにして騒いでいる。

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≪総選挙結果表〜産経から≫

落選した議員たちも、希望の党創設と小池采配を恨んでいて、自分のことは棚に上げているが、それこそが敗戦の原因だろう。

中には小池憎し!とばかりに責任を彼女に転嫁している向きもあるが、私はむしろ彼女の“巧妙な戦略”が今回は功を奏した結果だとみている。

若い都議会議員が都民ファーストを脱退して、仲間割れを印象付けているが、未熟そのものだ!


 ここにも書いたと思うが、小池知事には都知事としての責務があるから、少なくとも築地市場問題と東京五輪終了までは、国政に色目を使うはずはなかった。

勝手に都知事と国会議員(国政の責任者)の二股かけるなどと決め付けたのはメディアと政治評論家たちだったと思っている。要するに”彼ら”にとっては国の先行きよりも、政治を二分化して○×で論じるワイドショウの方が実入りも良く面白いからだろう。

しかし、大阪府知事がそうであるように、必ずしも国会議員でなくても、政党の指導者として存立できている例もあるではないか。身勝手な意見にもほどがある。


さて今回の“小池戦略”の目標は、いかがわしい議員たちで構成されて、国政の足を引っ張っり続けてきた“野党”の分断・解体にあった。それが見事に功を奏して、民進党という“得体のしれないヌエのような集合体”は見事に分解され消滅寸前ではないか。

そんな泥船から緊急脱出した泥ネズミたちは、なりふり構わず緑の党という“救命ボート”に群がった。しかしボートには定員があるから、全員は救助できない。

そこでまず「女子供や老人」を優先救助する実際の難破船同様、小池船長は「人物を査定」して踏み絵を踏ませたのである。

世界各地の紛争で生じる“難民”の中には、必ずスパイがもぐりこんでいて内部からかき回して組織を分解させるのが常套手段であることを彼女は知っていたからだ。


民進党を分解して消滅させる作戦を立案した小池女史が、そのことを自分の組織に適用しないはずはない。だから彼女は「排除」という厳しい言葉を使ったのだろうが、これを問題にする政治評論家らは、では何と言う用語を使えばよかったのかまでは解説しない。「検討させていただきます」と言えばよかったのか?

思想信条の異なる“ぬれねずみ”等をどうするか“検討”した結果、思想が合わないネズミをやがて「排除する」のは当然ではないか。彼女は歯に衣着せなかっただけだろう。

シガラミとナアナア政治からの離脱を掲げて都民ファーストを設立した経緯を見れば今回の手法は十分推定できたろう。


それにしても何とも現代の「男たち」はだらしなくなったものだ。自分の実力を評価することなく、まづスケープゴートを探して鬱憤晴らしをする男たちの浅ましさは同情にも値しない。身から出たさびだとあきらめるべきだがそれもできそうにない!


24日の産経【主張】欄は、「排除の論理 政策重視の選考は非なし」としてこう書いた。

≪衆院選で小池百合子代表の希望の党が伸び悩み、立憲民主党の後塵を拝した。

 選挙直前には大きな注目を浴びながら、その後失速した原因として、小池氏の「排除の論理」が挙げられている。

 安全保障関連法や憲法改正問題への姿勢を、公認する際に重視する基準とした点である。

 新党として初の衆院選に臨むにあたり、基本政策の一致を大事な目安とすることに何ら問題はない。むしろ、これまでの新党には不足していた。そこを取り違えてはなるまい。

 小池氏は防衛相経験者であり、北朝鮮危機に対応する重要性も認識していたはずだ。安全保障関連法に反対するなど左派色の濃い民進党出身者とは、おのずと考え方が異なる。

 「解党」される民進党から、何とか生き残りを図る候補らがなだれ込もうとした。誰でもよいとすれば、実体は元のままで小池氏を看板にするだけだ。政策面のすりあわせを求めるのは、政党の生命線ともいえる。

 だが、「排除します」という小池氏のものの言い方は、有権者の強い反発を呼んだ。小池氏自身、選挙後に「おごり」「慢心」への反省を口にした。

 独裁的な党首が、救いを求める相手に「踏み絵」を踏ませる。そうした構図は、自ら招いたものといえる。小池氏が自らは出馬しなかったことも、独善的な印象を強めた。

 結局、批判の強さを恐れた小池氏側は、厳格な政策による選考を引っ込めた。安保法への反対を公然と唱える候補者もでてきた。そうした混迷こそ、失速の原因と考えるべきだろう。

 政党は政見を同じくする集団でなければならない。直面する課題への解答を一致して公約に掲げなければ、政策の発信力は乏しい。ましてや受け皿は作れない。

 「排除の論理」が野党敗北の理由と言わんばかりの批判もある。理念や政策で政権を争う民主主義の本質を顧みない、筋違いの議論である。

 民進党や旧民主党の低迷、分裂なども、基本政策を徹底的にすりあわせる作業を怠ってきた問題が根底にある。それを置き去りにしてきたから、北朝鮮情勢など厳しい現実を前にしたとき、まともな議論さえできないのである≫


 産経の社会面(政治面?)の記事は何とも表面的で、左翼記事に合わせているかのような不満を感じていたが、さすが主張欄の分析は鋭い。

緑の党設立は選挙直前であり、既成政党ではなく、むしろ不安定な素人政治集団であった。それを古びた既成政党の理論と結びつけて評論する“専門家”の方がおかしかろう。


 いずれにせよそんな新生政党が、初の選挙で野党第1党寸前まで行ったのだから、その方が奇跡ではないのか?

 混迷している政治を抱えたまま、危機存亡の淵に立たされている我が国の政治体制から、ままごと遊びのように無責任な言動を吐いて喜んでいる未熟な野党勢力を分断し、安定と安全保障を優先したいと希望する国民のコンセンサスを表に出させ、安倍政権支持という強固な国民の意思を表明させた功績は実に大きいと考えるのだが、いかがだろうか?

いつも選挙になると思うのだが、要するに候補者らは、政治理念よりも、仕事を失いたくないという自己保存の意識丸出しで、国民の前で展開される「権力亡者たちの見苦しい姿」が見えるので、選挙は候補者たちの“就職活動”に過ぎないと私は思っている。残念だが…。


ついでにもう一本、今回の選挙に関する冷静な分析を紹介しておこう。

総合オピニオンサイト「iRONNA」の、「枝野新党にもぐり込んだ『筋を通さない偽リベラル』の正体」と題する上久保誠人立命館大政策科学部教授)の論文である。

少し長くなるがご一読いただきたい。


≪●リベラルではない政治家たちが、「リベラル」と名乗っている。

 小池百合子東京都知事が代表を務める新党、希望の党が、「事実上の解党」をして公認申請した民進党出身の候補者を、独自の基準で選別する「排除の論理」を持ち出した。

その結果、公認を得られず路頭に迷った議員が立憲民主党を結成した。代表に就任した枝野幸男元官房長官は「リベラル新党、よくできたと期待をいただいている。リベラルによって日本が輝いていた時代の日本社会を取り戻す」と宣言した。

 改憲・安保法制への賛成という「踏み絵」を踏ませ、リベラルを排除した小池氏は「寛容さがない」と厳しい批判にさらされ、希望の党への支持が停滞している。

一方、立憲民主党・社民党・共産党の「リベラル陣営」には勢いが出てきた。「踏み絵」を踏まずに護憲・安保法制反対を守る姿勢が「筋が通っている」と支持を集め始めているのだ。

だが、彼らの行動は本当に筋が通ったものなのだろうか

 そもそも、立憲民主党・社民党・共産党がリベラルと称していることに、疑問を感じている。彼らは、「憲法9条改正反対」「安保法制反対」という安全保障政策の方向性がリベラルだとされている。そして、リベラルと対抗するのが改憲・安保法制賛成の「保守」ということになる。だが、欧米の自由民主主義諸国で、安全保障政策の方向性で「保守」「リベラル」を分ける考え方は存在しない。 欧米では、リベラルとは経済政策の方向性を説明する言葉の一つである。そして、リベラルは「経済の自由主義」を意味している。例えば、筆者がかつて留学していた英国でいえば、リベラルとはかつての自由党、現在の保守党左派、マーガレット・サッチャー元首相に代表される「自由主義」のグループのことで、経済政策の方向性は減税、規制緩和、行政改革である。ちなみに、保守党右派とは、伝統的な「保守主義」を指す。テリーザ・メイ首相、デービッド・キャメロン前首相らであり、欧州連合(EU)離脱の国民投票を行い、ハード・ブレグジット(強硬な離脱)も辞さずの姿勢を示している。

 また、トニー・ブレアゴードン・ブラウン両元首相に代表される「ニュー・レイバー」労働党右派もリベラルと呼ばれる。基本的に「サッチャリズム」を引き継ぎ、競争で起こる格差拡大に対して、補助金よりも教育政策で個人の能力向上で対応する、保守でも革新でもない「第3の道」を標榜(ひょうぼう)していた。これに対して、現在の労働党の主流であるジェレミー・コービン党首率いる左派は、鉄鋼、鉄道、石油、電力など主要産業の国有化を主張する「左翼」である。


●保守も左翼も批判する英国のリベラル

 日本でリベラルという言葉は好感度が高いが、欧州では否定的なニュアンスで語られることが多い。「自由主義すぎる人」「競争的すぎる」として保守・左翼双方から批判されている人たちだ。

 かつて、英国では1960−70年代の「福祉国家」の時代に、「コンセンサス政治」が行われていた。保守・労働の二大政党制で政権交代が繰り返されながら、どちらが政権を取っても、福祉政策の中身は変わらなかった。貴族や富裕層出身が中心の保守党右派政権は「貧しき者には分け与えよ」という思想から、一方、労働党左派政権は労働者の権利拡大のために福祉政策を拡大した。その結果、保守党左派・自由主義のサッチャー政権が登場するまで、深刻な財政赤字に悩まされ、「英国病」と呼ばれていた。つまり、保守と左翼は真逆の思想信条ながら、実際に行う政策は、どちらも再配分重視という「コンセンサス」があったのだ。

 これを日本に当てはめると、どうなるだろうか。安全保障政策は除外して、経済政策の方向性を検証してみる。保守は、安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相など富裕層の世襲議員が多い。経済政策は、金融緩和や公共事業を「異次元」で繰り出す「アベノミクス」であり、「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」と、上から目線で国民を導こうとする推進運動の数々である。「貧しき者には分け与えよ」という思想がプンプン匂ってくる。

 リベラルに当たるのは、自民党では「軽武装・経済至上主義」を掲げてきた岸田文雄政調会長ら宏池会や、野田聖子総務相らであろう。安全保障ではバリバリの保守のイメージがある石破茂元防衛相も、経済では地方創生に取り組み、単純なバラマキよりも「第3の道」的な志向があり、リベラルといえる。

 一方、野党側では、前原誠司民進党代表や、希望の党に移った旧民進党右派、そして安全保障政策では保守だが、内政に目を移せば女性の活躍重視、ダイバーシティ(多様性)重視、環境重視の小池氏がリベラルということになる。

「リベラル守れ!」を合言葉に勢いを強めている立憲民主党・社民党・共産党は、明らかに欧州の文脈ではリベラルではなく、「左派」であろう。実際、フランスのメディアは日本のリベラル派を左派と訳しているのだ

日本の左派がリベラルと名乗るのは、左派ではイメージが悪いからだろう。選挙で票にならないので、必死にリベラルという呼称を確保しようと、アピールしているように見える。


●左派勢力こそ全く筋が通っていない

 要するに、日本ではリベラルではない左派の政治家が、自由民主主義の本家本元である欧州での言葉の意味を無視して、リベラルの呼称を奪って、勝手に使っているのである。

 次に、立憲民主党に結集した左派勢力が、踏み絵を踏まずに護憲・安保法制反対を守った姿勢が「筋が通っている」と評価されていることに反論したい。むしろ彼らの言動こそ、全く筋が通っていないのではないだろうか。

 そもそも、前原氏が「みんなで希望の党に行きましょう!」と演説し、事実上の解党を決めたとき、みんな拍手喝采していた。左派のほとんどが希望の党の公認を得るつもりだったのである。小池氏が保守色が強い政治家であることは、百も承知であったはずだ。「基本政策の違いなんか、大したことない。とにかく小池氏の人気にあやかって、当選することだ」と、あまり深刻に考えていなかったのは間違いない。

 

 左派は「基本政策の不一致」を理由に、希望の党から公認を得られないことが判明したときに、初めて慌て騒ぎ出したのだ。「筋が通っている」というならば、前原代表が最初に合流案を提案したときに反対すべきだったはずだ。だが、あの辻元清美氏でさえ黙っていたのである

 彼らは、希望の党の公認を得られなかったから新党を作ったのであり、もし公認を得られていたら、そのまま希望の党に入っていたのだ。この過程を時系列的に整理してみれば、左派の行動こそ筋が通っていないのは明らかだ。逆に、希望の党の公認を得た民進党右派の候補者は「当選のために魂を売った」と批判され続けているが、それは正確ではない。彼らは民進党から出ることで「売っていた魂を取り戻した」のだ。

 確かに、彼らは2015年の安保法制の審議で徹底的に法案を批判し、採決の際に反対票を投じた。しかし、当時は共産党との共闘関係があり、党議拘束でがんじがらめであった。また、安倍首相が法案審議開始前に米議会で演説し、安保法制の成立を約束してしまったことで、「国会軽視」「野党軽視」だと感情的に首相に反発してしまった経緯があった。

 本来、前原氏ら右派が保守的な安全保障観を持っていることは、国民に幅広く知られている。彼らの中には、民主党政権期に外交や安全保障政策に取り組んだ議員が少なくない。米軍普天間基地の移設問題や、尖閣諸島沖の日本領海に侵入した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事故、尖閣諸島の国有化など、非常に難しい判断を迫られる政治課題に直面した経験を持っている。もちろん、民主党政権の運営の稚拙さは批判されてきた。判断の間違いもあった。だが、少なくとも彼らは、厳しい国際情勢にリアリスティックに対応することの重要性を知ることにはなった。


●野党「戦後最悪の惨敗」

 安保法制の国会審議が始まる前、旧民主党のホームページには「安保法制の対案」が掲載されていた。そこには、安保法制をめぐる国会審議への準備として「安全保障法制に関する民主党の考え方」がまとめられていた。この中で、旧民主党は「憲法の平和主義を貫き、専守防衛に徹することを基本とし、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に対応する」という安全保障政策の基本方針を示し、「国民の命と平和な暮らしを守るのに必要なのは個別自衛権であり、集団的自衛権は必要ない」と主張を展開していた。野党なので、安倍政権との違いを明確に出そうとしたのは当然のことだ。

 一方で、旧民主党は「日本を取り巻く安全保障環境が近年大きく変わりつつある」と、安倍政権と共通する国際情勢認識を持っていることを記していたし、「離島などわが国の領土が武装漁民に占拠される『グレーゾーン事態』への対応は最優先課題」「周辺有事における米軍への後方支援は極めて重要である」としている。要するに、安保法制に関して安倍政権と全て相いれないということはなく、国会審議において政権と是々非々で議論をする準備をしていたということなのだ。

 それなのに、安保法制の審議が始まったときには、旧民主党の右派議員たちは感情的になり、まともな審議ができる状態ではなくなった。安倍政権の強引な手法に大激怒してしまい、「安保法制の全てに反対ではないが、安倍にだけはやらせない」と言い放ち、安倍政権の安保法制に全面的反対の姿勢を取ったのだ。

 その後、旧民主党は維新の党と合流して民進党となったが、共産党との共闘関係が強固になり、安全保障や消費税で政策の幅の広さ、柔軟性を奪われた。野党共闘は選挙においては一定の有効性があったが、政策面ではリアリティーを失い、無党派層を全て与党側に取られてしまうことになった。

 安保法制成立後の16年7月の参院選で、野党共闘は、自民党、公明党の連立与党に維新の党などを加えた「改憲勢力」に、改憲の国民投票発議を可能とする衆参両院で3分の2の議席を与えることになった。

 戦後政治の野党にとって、国会で改憲勢力が3分の2を占めることを阻止することは最低限の目標であった。それを許してしまったことは、まさに「戦後最悪の惨敗」を喫したと断ぜざるを得ない。野党共闘によって、民進党から政権の座は完全に遠ざかり、「万年野党化」が進んでいたといえる。


●政権交代可能な野党復活へ「急がば回れ」

 その後の民進党は、東京都知事選の野党共闘候補の惨敗、都議選での公認候補者の「離党ドミノ」と泡沫(ほうまつ)政党化、蓮舫氏の代表辞任、所属議員のスキャンダルと党勢低迷と混乱が続いた。共産党との共闘が党内の意思決定をゆがめ、党内ガバナンスが失われた結果だということは、離党した右派議員が口々に主張していたことだ。

 党に残っていた保守系議員も、野党共闘に対するストレスは頂点に達していた。前原氏は、希望の党への合流を決断した理由に関して、自身のツイッターで「野党共闘に懸念を持っていた」「支持者や関係者から民進党は左傾化し、共産党や社民党との違いが分からなくなった、と指摘される度に悩んでいた」と語っている。また、「民進党が左派化したことで憲法改正の議論や現実的な安全保障政策の議論すらできなかった。そんな状況を打破したい。これが、今回の挑戦の原点です。私は、大きな塊を作る政治のダイナミズムが必要だと思い定めました。小池百合子さんとともに、新たな理念・政策の旗を掲げ、安倍一強の現状を打ち破るために大同団結しようと決意しました」などと主張していた。

 つまり、希望の党に移った民進党右派とは「失っていた信念を取り戻そうとした政治家たち」である。一方、立憲民主党を作った左派は「信念が合わなくても大丈夫と軽く考えたが、拒否されて、慌てて信念を貫くと言い出した政治家たち」だ。どちらが筋が通っているかといえば、信念を取り戻そうとした右派である。

 筆者は、野党側が再び「政権交代可能な勢力」に復活するためには「急がば回れ」だと主張してきた。国民の野党に対する根強い不信感は、突き詰めると政策志向がバラバラな政治家が集まっている「寄り合い所帯」にあると思うからだ

 確かに、かつて自民党に数で対抗することで「非自民政権」を作ってきた歴史はある。しかし、細川護熙政権と羽田孜政権は政治改革や安全保障で社会党の造反によって混乱した。民主党政権では、憲法、安全保障、財政・税制など基本政策をめぐって、党内が分裂して足を引っ張り合うような醜態をさらし続けた。寄り合い所帯に対する国民の不信感は頂点に達していて、政策の違いを無視して自民党に数で対抗する戦略は、もはや国民に理解してもらえないのだ。


●小池氏への厳しい批判は必然だった

 野党が政権交代可能な勢力になるには、特に安全保障政策という基本政策が一致する政治家で二つくらいに集まる「政策別野党再編」が必要だと考えてきた。それが、野党が国民の信頼を取り戻す第一歩だからだ。その意味で、小池氏が安全保障政策で一致を求めたのは、全く正しい。

 

 小池氏が「排除の論理」を持ち出したことが厳しく批判されているが、全ての民進党出身の候補者を希望の党の公認候補としていたら、どうだっただろうか。おそらく、現在以上の厳しい批判にさらされることになったはずだ。

 「保守色」が強い小池氏と、安保法制反対や護憲を訴える左派の議員が無条件で合同したら、寄り合い所帯以外の何物でもない。それ以上に問題なのは、小池氏が民進党を丸ごと受け入れることは、小池氏が民進党代表に就任するのと同じことになるということだ。選挙で敗色濃厚な党が、人気のある大衆政治家を代表にしてなりふり構わず生き残ろうとする「究極的な大衆迎合」だという批判も巻き起こったはずだ。

 

 つまり、今回の総選挙は排除の論理を持ち出そうが、持ち出すまいが、どちらにしても小池氏は厳しい批判にさらされることになっていた。しかし、民進党からの合流がなければ候補者すらそろえることはできなかっただろう。

 一方、野党が共闘して統一候補を出せば政権交代できると主張する方がいるが、それも甘い考えだと思う。日本の無党派層の多くは、基本的には自民党支持、時に自民党批判票を投じる「消極的保守支持層」である。共産党に引きずられて改憲も安保も原発も「何でも反対」では無党派層の票は取れない。

 なにより、アベノミクスはサラリーマン層や就職活動が好調な若者にしっかり支持されている。野党が、これを崩す説得力ある論理を構築できているとは思えない。

 要するに、野党にはそもそも一挙に政権交代を実現する実力などないということなのだ

 基本政策の一致を軽んじて選挙のためだけに一緒にいた集団が、政策をまじめに考えてきたはずがない。だから、突然選挙になったときに説得力ある対案など出てこないのは当然だ。まずは、政策別に分かれることで、初めて真剣に政策立案に取り組もうという気になるものだ。今回の民進党分裂で、ようやく野党は政権奪取の長い道のりのスタート地点に立ったと考えるべきだ。「急がば回れ」なのである。


●小池・前原が起こした「創造的破壊」

今回、小池氏と前原氏が起こしたことは、古臭い保守・革新の対立を超えた、新しい政治勢力の誕生という「政界の創造的破壊」ではないだろうか。それは、「安全保障政策を争点にしない」という、欧米の自由民主主義国では当たり前の政治を実現したことである。

 例えば、英国では野党は国内のさまざまな政策課題で激しく政府・与党を批判していても、政府・与党が海外への軍隊の派遣を決定するときは、「首相の偉大なる決断」を称賛する演説を行うものだ。このように、欧米の民主主義諸国では、野党は安全保障政策で対立を挑まないし、たとえ政権交代となっても政策の継続性を重視する。国民の生命と安全がかかっている最重要政策を政争の具にはしないということだ

 もちろん、欧米の議会でも安全保障政策をめぐる議論が行われないわけではない。しかし、日本の、15年の安全保障法制をめぐる与野党の激突のような、とにかく法案を潰すためにありとあらゆる方向から反対するようなことはあり得ない。強固な安全保障体制を確立し、抑止力を強化するためにはどうすればいいかという観点で、建設的な議論が行われるのだ

 小池氏と前原氏は故意犯的に「安全保障政策を政争化しない政治」を実現しようとしたと考えられる。前原氏は立憲民主党が立ち上がったとき、「想定の範囲内だ」とコメントしている。最初から小池氏の蛮勇を使って、自ら手を汚さず左派と縁を切るつもりだったのだろう。

 一部のメディアや識者が「リベラル勢力の結集」とはしゃいでいるのを見ると、いまだに古臭い東西冷戦期の保革対立という構図のまま、物事を考えているようだ。だから保守色の強い小池氏に左派が排除されることに感情的な反発をしてしまったのだろう。あえていえば、彼らは対立構図を死守したいがために、徹底的な小池バッシングに走ったといえる。 

 北朝鮮の核開発や中国の海洋進出、世界で頻発するテロの問題に対して、日本は安全保障政策で最悪の事態に備えなければならない。また、日本は世界で競争力を失ってしまっている。IT産業の発展、人工知能(AI)を使った無人工場や自動運転の開発など、米国、ドイツのみならず、中国の後塵(こうじん)をも拝しているのが現実だ。日本は「何でも反対」で足を引っ張り合っている場合ではない。国会で建設的な議論を行い、「政府の改革は手ぬるい、よりよき政策はこれだ!」と競い合う新しい政治を創るのが急務だ。古臭い対立構図の死守にこだわらず、現在日本政治に起こっている現象の意義を、冷静に評価すべきなのである≫


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